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2019年6月13日 (木)

アンネ・フランクの誕生日

Nf05 昨日は「JBBYノンフィクションの子どもの本を考える会」の5回目。ちょうどアンネ・フランクのお誕生日(生きていれば90歳)だったので、ホロコースト教育資料センター理事長の石岡史子さんと、『アンネのこと、すべて』(ポプラ社)の翻訳をなさった小林エリカさんに来ていただいて、アンネ・フランクについての新しい記録映画『アンネの日記第三章〜閉ざされた世界の扉』を見たあと、二人のお話をうかがいました。

私は、アンネやホロコーストものは日本ではたくさん出版されて、どれもそこそこ売れるし、ハリウッドでもホロコーストものはたくさん映画になってアカデミー賞をはじめいろいろな賞をとっているけれど、それって結果として今イスラエルがパレスチナに対してやっていることを隠蔽することにもなってるんじゃないか、と思っていたので、失礼ながらそういう質問をしてみました。それに対して石岡さんは、「イスラエル政府を批判するのはいくらでもすればいいと思うけど、あんなに迫害されたのにまたパレスチナ人を迫害してるユダヤ人ってだめだよねというのは違うんじゃないか。」というふうにおっしゃいました。民族性の問題じゃないですよね、確かに。パレスチナのことがあるから、欧米ではまたユダヤ人に対するヘイトの風潮が大きくなってきているそうです。

それから、「日本が第二次大戦中にアジアでやったことを忘れて、アンネ、アンネともてはやすのはどうか」ということに対しては、石岡さんも小林さんも、もっと広い視野で考えていらっしゃることがわかりました。石岡さんは「私たちは、自分が批判されない物語にとびつく。アジアに対してもっと想像力をもってほしい」とも語られました。いただいたホロコースト教育資料センター(愛称Kokoro)のチラシをあとで見てみると、「Kokoroが目指す教育」として、
・一人の命の尊さを考える
・差別や偏見を生み出した人の心の弱さを学ぶ
・他者の痛みを創造し、思いやる心を育む
・多様な文化、民族、宗教を知り、広い視野をもつ
・平和をつくりだすために自分ができることを考える
と書いてありました。
https://www.npokokoro.com

2019年6月10日 (月)

『ガラスの梨〜ちいやんの戦争』

Photo_20  『ガラスの梨〜ちいやんの戦争』
 の読書会記録

 

 越水利江子/著 牧野千穂/挿絵
 ポプラ社  2018.07

 

ルパン:戦争の話はほかにもたくさんありますが、この本で新しく知った現実が多くありました。特に焼夷弾のところは、とてもリアルに描かれていて、そういうものだったんだということがよくわかりました。油が飛んでくるので火が消えない、これなら逃げられない、ということが実感として伝わってきて、震え上がりました。戦争を題材にしたお話というのは、多く出版されているわりには、敬遠されがちだと思うので、今の子どもたちが読んでくれるといいなと思いました。一点だけ気になったのは、アメリカがしたことについては詳しく書かれているんですけど、同じことを日本がやったということについてはトーンダウンしていることです。p326「もし、日本が攻めていた中国で、日本軍が同じことをしていたら・・・と思えば、やっぱりゆるせない。いや、アメリカのような兵器も物資もなかった日本軍は同じことはできなかったはずだとは思う。」「アメリカ軍とはちがってたとしても、もしひとりの兵、一部の連隊だけだったとしても・・・」という書き方だと、これを読んだ子どもは、結果的にやってないと思ってしまうかもしれません。あとがきで何かフォローがあるかと思ったけれどそれもなくて残念。あと気になったのは、お兄さん夫婦に対して笑生子(えいこ)がちょっとものわかりよすぎるところかな。優等生すぎるコメントで。この夫婦は戦時中でなくても、もともとそれほどやさしい人ではなかったのだから。

アンヌ:出征する時に「行ってきます」では帰るという意味を含むので言えなかった、そんな言葉狩りがされていたんですね。主人公の兄や姉が手紙を書くときの暗号をあらかじめ決めていたというのは、そんな戦時下をいかに生き延びたかの証言だと思いました。焼夷弾の描写には震え上がりました。米軍の爆撃機のパイロットと、戦後にチョコレートを渡そうとするアメリカ人軍医の姿が描かれています。どちらも普通の人間なのに戦争中はまるで違ってしまう。私の世代まではこういう形で戦争を記憶して折に触れ語ってくれる人が身近にいたけれど、もうすぐこんなふうに戦中戦後を生き延びてきた世代がいなくなってしまう、本当にこういう本は必要だなと感じました。その他には「冷やし馬」の場面がとても魅力的でした。

花散里:読めて良かったと思いました。「あとがき」に、この作品は自分の母親をモデルにしていると書かれていますが、笑生子の娘、小夜子が主人公として書かれた『あした、出会った少年』(ポプラ社)など、他の作品も読んでみたいと思いました。これまでの戦争児童文学は被害者としての視点で描かれている作品が多かったと思いますが、この作品は今までの児童文学になかった視点で書かれているのではないかと感じます。巻末の「参考書籍・戦時資料」も詳しくて、たくさんの資料に基づいて描かれた作品であるということが解りました。対象としてはルビが振ってあるので小学校上級から読めると思いますが、描かれている家族の絆など、親子で読んで話し合ってほしい作品だと思いました。動物の描き方、自然描写とか、文章がとても良いと思いましたが、表紙の装丁、挿画も読書を助ける役割を果たしていると感じました。これからの時代を担う子どもたちに手渡したいと思う作品でした。

カボス:モデルにしたお母さんから聞いただけではなく、巻末の参考書籍や戦時資料がいっぱい挙げてあって、いろいろな目配りをしながら書かれているのだと思いました。主観的に身近な人の体験を書いただけのものではないんですね。悲惨な状況の描写が続くなかで、牧野さんのあたたかい絵には、それを和らげる効果があると思います。天王寺動物園で飼われていたヒョウやゾウ、冷やし馬をしてもらっていたのに戦火をあびて燃えながら走った馬のクリ、供出を命じられたのに隠した犬のキラなど、動物に対する愛情が現れているところも特徴のひとつですね。p339には、戦争で殺された生き物と平和時に死んだ生き物の対比も描かれています。またp293では「国家と国家の憎しみは根深く残っても、人と人が心を交わす一瞬は、雲間から差しこむ光のように、たしかに、そこにあったのかもしれない」と、軍と人は違うという視点も出しています。一方でp325では、「あのチョコレートをくれた優しげなアメリカの軍医さんだって壊れてしまうかもしれないし、成年兄やんだって、もし、もっともっと長く戦場で戦えば、壊れてしまったかもしれない」という文章で、戦争で戦うこと自体が人間を壊すことになるとも言っています。
あと、私は米軍が日本全国の数多くの中都市を爆撃していたことや、原爆模擬弾パンプキンが日本の30都市、50箇所に落とされていたことをこの本の後書きであらためて知りました。令丈ヒロ子さんの『パンプキン』(講談社)も読んでいたのですが、そこは頭に入っていなかったんですね。大人も子どもも読めるようにしたいという著者の覚悟を感じました。中学生くらいから読んでほしい本です。

コアラ:大阪の空襲については知らなかったので、こんなにひどかったんだとわかりました。戦争を知るには大切な本だと思います。でも、子どもが手に取って読むだろうか、という印象でした。分量も多いし、難しい言葉や漢字も多いし、内容もつらい。それでも、イラストがやわらかくて、内容をやわらげているんだなと私も感じました。p24〜p25の冷やし馬のイラストとか、すごくいいと思いました。気になったのは、p50のゾウのイラスト。切り抜き方が、なめらかでなくて、境目がなんか気持ち悪いんです。もう少し上手に切り抜いてほしい。

マリンゴ:非常に読み応えがありました。戦争を後世に伝えていきたいという強い思いを感じる本でした。戦闘機「P-51」や焼夷弾の詳細など、私自身、知らなかったことも多く勉強になりました。ぜひたくさんの子に読んでほしいのですが、そう考えると少し文章量が長くてしんどい、という子もいるでしょうか。あと、第8章の「それからの地獄」というタイトルなど、大変さを煽る文言がいくつか見受けられました。ここまでが地獄なのにさらに地獄か、と読むのがつらくなる子もいるかと想像します。見出しなどで煽り過ぎないほうがよかったのではないか、と。そんななか、キラはこの物語の救いの存在ですね。個人的には、児童文学なのでキラが死ぬところまで描かなくてもよかったのかな、と思いました。

西山:キラのことで言えば、この物語はキラに始まり、キラに終わる。最後のキラの死も納得のいく展開です。キラが死んでしまうのではないかとはらはらする場面がいっぱいあったのに、死なせることなくキラの命を全うさせたのがすごくよかったと思います。書き込まれたたくさんの情報はすでにどこかで読んだり、映画で観たりしたことがある内容で新しいことを知ったという事はなかったのですが、主人公が心を寄せる犬を戦争で死なせなかった点は「戦争児童文学」として新鮮に受け止めました。そういう存在を死なせてお涙ちょうだいにしてしまい(補足:まさに『かわいそうなぞう』土家由岐雄著 金の星社)、子ども読者を悲しみで打ちのめす(補足:椋鳩十の『マヤの一生』もなかなかのダメージを与える)のではなく、最終的に打ちのめさない(補足:モーパーゴの口当たりの良さを少し思い浮かべていました)。どんなに惨い人の死が描かれても、キラが無事だったことで子ども読者に決定的なショックを与えないようにしていると思いました。あと澄恵美姉やんがなにしろ魅力的でした。「子どもは泣くもんやっ!」(p242)、とばんと言ったり、とてもすがすがしくカッコイイ女性でした。キラを死なさなかったことと、澄恵美姉やんの魅力をこの作品の美点として読みました。動物園の動物殺害の真相についても、あとがきでフォローしてほしいポイントでした。最初に読んだとき、「ヒョウが、かわいく鳴いた」(p47)というのにひっかかって、あと付箋を貼りそびれて今見つけられないのですが、たしかおばあさんのことも「かわいい」と表現したところがあって、違和感を覚えました。字が大きくて、カットが入ってくるタイミングもいいし、けっこう小学校高学年くらいで読めるかと思いますが、表紙は大人っぽすぎるかな? でもともかく、キラに引かれて最後まで読めると思います。

カボス:動物園の動物のことは、p136でねずみのおっちゃんに「空中があったら、動物園の檻が壊れて猛獣が逃げ出すんで、それを防ぐために、猛獣を殺すようにって、大阪市から命令があったんや。(中略)もともと、うちのキリンやらカバやらは飼料不足のせいで死んだり、餓死したりしてたけど、十月になってからは、市から、オオカミやヒグマ、トラやライオンにも、毒入りのえさを食べさせて頃競って命じられたんや」と言わせていますよ。

ネズミ:こわいほど迫力がありました。笑生子を視点人物として、一人称にとても近く書かれているので、笑生子がどう生き抜いていくのかが気になって、最後まで一気に読みました。『世界の果てのこどもたち』(中脇初枝著 講談社)もそうだろうと思うのですが、一人の個人の体験ではなく、たくさんの資料にあたって複数の人の体験を登場人物にもりこんだり、今の読者の視点から知りたいこと、書くべきと思ったことを強調したりできるところに、当事者本人ではない作家が書く強みを感じました。当事者だと、自分が思ったことに忠実にあろうとして、こういうふうには書けないかな、と。一方で、p326の後ろから4行目からの「今も決して、アメリカをゆるせないと思う笑生子の気持ちと同じに・・・」のあたりは、この時代を本当に生きた人が、この時点でこのように考えられただろうかと思いもしました。

まめじか:自分の家族の体験があって、それをもとにひとつの作品を書いているのですが、今の時代、その意味はすごくあると思いました。ただ、淡々と出来事を連ねていくような文体に、p172「めちゃくちゃよろこんで」とか、p283「ハグハグ食べて」とか、今の言葉が入ってくるのに違和感をもちました。空襲の描写も、こんなに擬音語を使わなくてもいいのではないか、と。カタカナが多いと目立つし、表現として軽くなるような気がします。

マリンゴ:表現について言うと、私はp307 「死ぬほどおいしかった!」という部分が気になりました。ここまで「死」について重厚に描いてきたのに、この場面ではずいぶん軽く使われている気がして。

西山:焼夷弾の「ザーザー」(本文中は「ザーッ、ザーッ」)は、よく言われる擬音で、多分実際の音をよく表しているのでしょうから、それを他の表現でというのはうまくイメージできません。ただ、おっしゃるように「ハグハグ」といった擬態語が全体の印象を軽くしているというのはあるかも。表現が軽いから、読みやすいというのもあるのかもしれない。それを良しとするか、評価は分かれるだろうけれど。

さららん:語り手の言葉のほかに、戦歌や爆弾が落ちる時の生々しい擬音、玉音放送の天皇の言葉とか、さまざまなレベルの言葉が入っています。そんないろんな要素が全体を形作っていくのに、この長さがあってちょうどよかった。というより、このぐらいないと書けない作品だと思いました。最近、外猫の最期を看取ったばかりなので、キラが命を全うして死ぬ瞬間の描写に共感を覚えました。「魂虫」が最初のほうと、最後にまた出てきますが、作者は現実とむこう側の命がつながっていることを、目に見える形で表現したかったのでしょう。体験したことを少女がどのように感じたか、それを中心に書いた作品なので派手な擬音もありかと。空襲の場面は映画館で映画を見ているような臨場感を覚えました。p272に玉音放送の言葉があり、今読むと、今と全く違う天皇の立場に、強い違和感があります。でも歴史の勉強ではなく、主人公と一体化しながら、その生の言葉に今の子どもたちが出会うのは大事なことかと思うのです。それからアメリカが舞台の児童文学でも、戦死者が出た家に栄誉の印を出す場面があり、日本もアメリカでも国の巧妙な仕掛けは同じなんですね。

木の葉:表紙ですが、ちょっとバラバラとした印象を受けました。中扉の絵の方が好きでしたが、こっちだと、いかにも戦争物、という感じになってしまうかもしれません。

カボス:中扉はよくある日本の児童文学という感じです。この表紙だからこそ新鮮な感じがして、私はこの表紙でよかった、と思いましたよ。

木の葉:まず形式的なことですが、大阪の地図があるといいと思いました。それから、ルビはページ初出のようですが乱れているところがいくつかありました。タイトルは、どうしても『ガラスのうさぎ』(高木敏子著 金の星社)を連想してしまうので、もう一工夫あってもよかったのではないでしょうか。この物語はご本人のお母さんの体験がベースになっているということで、書かなければ、という作者自身の強い使命感があったのだと感じました。その思いの強さはよくわかりましたし、それが物語としての勢いにもなっていると思います。その反面、勢い故にか、若干粗さが残ってしまったというか未整理な文章が気になりました。たとえば、p13の「天王寺動物園の仕事も、ときどき手伝っているので、山仕事や手伝いでいそがしい」とか、「宇治からの帰りは、宇治の山から採った柴を運んでくる柴船に乗って帰ってくるので」とか。p54「お母さんとおばあちゃんと、うちだけで、男手が全然ないんで、澄恵美さんがきてくれはって、ほんま、助かってます!」(←澄恵美さんは女性!)とか。p112の「ぼうぜんとした笑生子には、お母やんをなぐさめる言葉さえ浮かばなかった」というのもちょっと気になりました。小学生にその役割を担わせるのか、と。擬音については、使うことはともかく、少し多すぎるのでは? ウウウウ ジャンジャンという言葉など、いささか鬱陶しく感じました。
冒頭のポエム的な部分は、必要だったのでしょうか。私は今一つしっくりきませんでした。ここも含め、いい悪いということでなく、書き方が情緒的だなと思いました。「情」は感動に繋がることなのでとても大事な要素だけれど、私は「情」が全面に出てくるものに、どうしても警戒感が働いてしまいます。なので、感情が表に出た描写が続くと、少し苦しくなります。
戦争に関する記述では、私はあまり新味を感じなかったです。が、それは私が大人だからなので、子ども読者にとっては意味があるかもしれません。いちばん残念だったのは、加害への言及が弱いことです。被害を書くことを否定はしませんが、p41でドーリットル空襲への言及があって、先生が「国際法では、兵隊でない人を攻撃することは禁じられていのに」と言います。そういうことは実際にあったかもしれません。でも、あとがきなりで、重慶爆撃などに触れてほしかったです。無差別空襲はナチスによるゲルニカや、日本軍による重慶が先です。重慶爆撃は、アメリカの日本への空襲の口実になったと言われています。加害への言及としてp325に「かつて、日本が攻めていった戦地では、日本軍はなにをしたのだろう」とありますが、具体的なことは一切触れてません。p326「アメリカのような兵器も物資もなかった日本軍は、同じことはできなかったはずだ」というのも、当時の感情としてはありえるかもしれませんが、ここもあとがきなどでフォローしてほしかったです。加害に対する記述は終始、抽象的で具体性を欠いているのが残念です。なぜ私が加害ということにこだわるのかといえば、被害体験では、厭戦(反戦ではなく)にしかならないことを危惧するからです。そのことは、敗戦前にすでに清沢洌が指摘しています(『暗黒日記』)。お兄やんが戦地に向かう際も、生きて帰ってほしいという切実な思いは伝わるものの、お兄やんが殺ししてしまう可能性への言及はありません。当時のこととしては仕方がないのかもしれませんが、回想としては描き得たのではないでしょうか? 殺す側への想像は、この読書会の3月の課題だった『マレスケの虹』(森川成美著 小峰書店)には書かれています。

ハル:もし私がこの本の編集者で、この原稿を預かったとしたらどうしただろうと、わが身の反省も含めて、考えてしまいました。著者の意図として「あとがき」に「この本を、おとなだけが読む本にも、子どもだけが読む本にもしませんでした」とありますが、私が編集者だったら「子どもの本としては描写が残酷すぎないか」とか「削ってはどうか」とか、余計な提案をしてしまったんじゃないかと思うんです。実際に戦争を体験した人の話を聞いているようなこの生々しさが、それこそが大事だと思う反面、本当にそうだろうかとも思いますし・・・。本の中でも、動物園の職員だったねずみのおっちゃんが笑生子に、かわいがっていた動物を殺したことを臨場感たっぷりに泣きながら語るシーンも、「子どもに向かって容赦ないな」と思いました。うーん、でも、残酷な描写をどんどん削ってしまって、ますます戦争の痛みがうすれてしまうのも怖いことですね。それとは別に、さまざまな描写が多少、冗漫というか、ちょっと過多な感じはしました。ちょうどいい例が浮かびませんが、目に見えた景色を「あれはきっとにいちゃんのなんとかや」みたいに、いろんなことをつなげて考えるところとか、たとえば「(隆司も、ここに引きとられるみたいやし・・・。きっと、一休さんもよろこんではるはずや!)」(p324)とか、ラストの「それは、欲望の金色でもなく、空を制す銀色の比翼でもなく、大きな希望の青い空と~」(p346)だったり、冒頭の「わたしは、川を知っている」「あっちにもこっちにも、光る鳥が飛び交うようにせせらぐ川面のきらめき」(p2)だったり・・・。

カボス:「安穏に暮らしている子ども」は、地球上にはそんなにいないんですね。残酷で悲惨な状況に日々さらされている子どもたちもたくさんいる。「安穏に暮らしている子ども」に、そうでない子どもたちのことをどう伝えていくか、は確かに難しいところです。残酷だから読みたくないと本を閉じられては意味がないので。ただいろいろな工夫をして、やっぱり世界の現実を伝えていかないと。あんまり小さい子だと無理ですが、中学生くらいなら視野を広げてもらう必要もあるかと思います。

花散里:本書は作者がたくさんの資料を基に徹底した取材で描かれた作品であるということが「あとがき」を読んでもよく分かりました。7章「生と死」、昭和20年6月1日の空襲で笑生子が見た、「赤ちゃんの頭がなかった」というのは実際にあったことが書かれているのだと思います。勤務していた小学校の学校図書館では広島の原爆の写真集など所蔵していました。高学年は授業で資料として使用していました。丸木美術館の「原爆の図」も、広島の原爆資料館も過去に実際にあった事実として子どもたちに見てほしいと思います。「怖いところを削るよう提案」するということ、実際にあったことを見せないのは、大人の判断として良いのでしょうか? 削っていいのかと疑問に思います。

ハル:痛いことを痛く書かないことも問題ですね。勉強になりました。ありがとうございます。

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エーデルワイス(メール参加):実母をモデルにして、戦争中の生活が克明に描かれています。ノンフィクションとしても書かれてもおかしくないのが、敢えて児童読み物としたところに、戦争を決してしてはいけないと、子どもたちに伝えたいという作者の強い気持ちと願いが伝わってきました。表紙と挿絵がとてもいいですね。

しじみ71個分(メール参加):最初、子ども時代の戦争体験本か、と思わされたが、過去に多く著されているので、どう違うのかを意識的に読むことになった。ユニークだったのは、随所で米軍の非人道的な行為を語りつつ、日本の行為にも思いをいたしている点だった。また、空襲の場面はリアルで、読み進めるのがつらかった。なんと焼夷弾の威力が凄まじいことか、と恐ろしさがずしんと重くのしかかってきた。作家のお母さんが主人公のモデルとのことなので、ていねいに、ていねいにお話を聞いて、このリアリティがもたらされたのだなと実感した。長兄の正義の意地悪さも含め、きょうだいの描き方はみなとても魅力的で、人物像が目に浮かぶようだった。成年兄やんは特に素晴らしく、自分の父が京都で9人兄弟の末っ子で、2番目の叔父が沖縄で亡くなったが、やはり一番、やさしくて優れた人だったと聞いており、ついつい重ねて読んでしまったが、隣り合う京都と大阪では空襲の有無でこんなにも状況が異なっていたのだということをつくづく思い知らされた。また、最後のあとがきに胸を打たれた。作家の想いが詰め込まれていて、あとがきも一つのエッセイのようだと感じた。日本では戦争を全く知らない大人たちが増え、戦争の記憶が消えかかっている今、子どもたちにどのように戦争の事実を伝えていくかは大きな課題だと思う。その課題に敢えて取り組まれたことは本当にすばらしい。

(2019年05月の「子どもの本で言いたい放題」より)

 

『世界を7で数えたら』

Photo_19  『世界を7で数えたら』
 の読書会記録

 

 ホリー・ゴールドバーグ・スローン/著
 三辺律子/訳

 小学館 2016.08
 原題:COUNTING BY 7S by Holly Goldberg Sloan, 2013

 

コアラ:出だしは、内容がすっと入ってこない文章で、数ページで投げ出してしまう子もいるんじゃないかと思いました。p4のソフトクリームを食べている場面ですが、チョコレート液にワックスが入っていて、「もっと正確に言えば、食用流動パラフィン・ワックスというものだけど」という文章は、専門的すぎるというか、話の方向が変な気がしました。同じp4の後ろから5行目、「あたしたちの役目は、それをまた外に出してあげること」という文章も、意味がよくわからない。翻訳のせいかと思ったりしたのですが、読み進めるうちに、主人公の性格のこだわりが原因というか、興味を持つところが人とは違っているということがわかってきて、納得しました。慣れてくるとおもしろくなってきましたね。登場人物が生き生きとしていて、特に後半のクアン・ハがとてもよかったです。人や出来事がつながっている展開がとてもいいと思いました。ただ、最後が納得できなかったです。親権を取得してウィローの家族になるんですが、ウィローのことを思うなら、事前にウィローにそのことについて相談したり、「あなたはどうしたいの?」と聞いたりするはず。それを聞かずに本人に秘密にしたまま進めるのはどうなのかなと思いました。それ以外では、心に残る印象的な場面や文章はたくさんありました。p79の12行目、「あたしは、自分でない人間のふりをしていない。その上で、ふたりはあたしを仲間に入れてくれている」とか、p169の真ん中1行アキの前、「かかってこい。ぜんぶいっぺんに。かかってこい!」とか。p205のビール瓶を割ってステンドグラスのようにする場面とかも印象に残りました。気になったのは、p234の3行目「かんそう機」。ひらがなだと逆に読みにくいと思いました。読み終わってみればおもしろかったので、人にすすめたいですね。

マリンゴ:勢いよく読めるし、整った物語だとは思いました。でも、整い過ぎて、ゲームっぽくも感じてしまったんです。たとえば、最後の最後、パティが実はたくさんお金を貯めててマンション一棟買えるという部分などですね。え、そういうミラクルなお話だったの、と印象が変わりました。あと、いろんな人の視点で描いているのが特長ですが、終盤は切り替わりが早すぎて、ちょっと面倒くさいと思ってしまいました。映画やテレビドラマのシーンを起こしたような作りで、脚本的というか・・・・・・。そんなところが目につきました。

西山:1日で読みました。時間がなかったというせいもありますが・・・・・・。おもしろくは読んだんですけど、出だしのところでは、これは学生と一緒に読もうと思っていたのだけれど、だんだん、まあいいか、となりました。エンタメとして、おもしろく読めるよと紹介はできますが、ことさら読み合いたいとは思いませんでした。その理由の第一はウィローが、コミュニケーションに差し障りがないということです。人物としてはデルがおもしろかったです。ここまでダメダメな大人も珍しいけれど、ウィローとの関わりのなかで徐々に変わっていく。でも、終盤の方でもまだ「デルは『人に奉仕する』ってことの意味がわかってないらしい」(p296)と思われるような行動を取って、クスッと笑えました。なかなか消えないダメっぷり。彼女の天才的な「高い能力」が随所で発揮されてはいるけれど、でもそれで大金を手に入れてハッピーエンドという展開ではなかった点には好感を持ちました。

ネズミ:日本にはない作品で、おもしろく読みました。語りに、ウィローの独特の感性、世界の捉え方が表れているのがおもしろく、勢いがあって、ぐいぐい先を読みたくなりました。ただ、最後にいくほどに、何もかもがあまりにもうまくおさまりすぎて、ついて行き難くなりました。1つ1つの文章が、どれもとても短かったのですが、これはもともと原文がそうなんでしょうか? ダメだったりチャンスに見放されていたりしている大人たちがたくさん出てきますが、普通の日本人とはかなり違う状況なので、読者をかなり選ぶのではと思いました。外国文学を読みつけていない読者がいきなり読むのは、ちょっとハードルが高そうです。

まめじか:ウィローは集団になじめず、親を亡くす前から大きな孤独を抱えています。心を開ける人たちと出会ったことで解放されていく様子が、ひしひしと伝わってきました。ウィローの悲しみに、クアン・ハは彼なりに、いろんな人がいろんなふうによりそうのがいいですね。デルの成長は、いくつになっても人は変わっていけるのだと教えてくれます。以前読んだときほどは引っかからなかったんですけど、それでも、よくわからない箇所がところどころありました。p52「デューク氏はまず、あたしのテストの点のことは話題にしたくないと言った。でも、そこで話は終わった」は、なんで「でも」なのでしょう。p118の「黒いほお」は、人の肌なので褐色のほうがいいのでは。

ヘレン:英語でテキストを聴きました。笑うためにはいいと思いますけど、書き方はあまりよくないと思っていて。ウィローはアスペルガーということですが、そういう人だと他の人の気持ちはわからない。なので、ウィローがいつも他の人の印象を書いているのは、リアリティがないと思いました。好きだったのは、人のつながりということ。一人のやることが別の人に影響していく。

さららん:主人公のウィローが黒人の女の子だとは、初めは気づかなくて、途中で、ああそうか!とわかりました。テストの成績が良すぎたため、学校でカンニングを疑われたのは、彼女の外観でそう思われたのかも。いっぽうカウンセラーのデルは白人、こんがらがった、不潔で劣等感の塊のような人です。初めのうちはウィローの親友のマイやクアン・ハやベトナム人の家族を、どこかで見下していたんだろうけど、だんだん巻き込まれていくうちに、デルが変わっていくところがよかった。デルの殺風景なマンションに、ベトナム人一家が好き勝手な家具を持ちこみ、一家が前から住んでいるように変えてしまうところが、具体的でとてもおもしろかったです。

木の葉:アスペルガー? といったことを意識せず、頭が良すぎる子の話かな、と思い、わりとすらすら読めました。ある程度の長さがあってしかも初読だと、あまり引っかかっている余裕がなく、あれ? と思うところもややすっ飛ばして読んでしまったかもしれません。物語がどこかファンタジーっぽいなと思いました。主人公の頭が良すぎることへの周囲の無理解は描かれていても、あまり苦労している感がなくて、痛手になるような失敗も挫折もなく、お金も降ってきちゃうんですね。ウィロー以外の子、マイにしてもクアン・ハ(この兄妹の名前の付け方が私にはよくわかりませんでした。慣習的な意味があるのか?)にしても、能力の高い子なのだと思いました。とにかく、いろんなことがうまく行き過ぎだな、と。ハッピーエンドの物語を否定する気はまったくないです。とはいえ、物語の途中でこういう終わり方になるだろうなと思ったら、そのとおりになってしまったので、もう少し、いい意味での裏切られ感がほしかったです。庭が大きな役割を果たしているのですが、私には視覚的につかめませんでした。

ハル:この表紙とこのタイトル! ずっと気になっていた本だったので、今回読めて嬉しいです。どんな人も、ダメに見える人でも、お互いに影響しあっていて、ぐるっと輪っかにつながって、世界が変わっていく様子や、それぞれの成長、特にデルの成長に勇気づけられました。「突然変異型」っていいですね。「そう、おれは変われるのだ」(p267)、「もっとすごいことだ。内側の変化だから」(p268)なんて、わくわくしました。ああ良かったな、と読み終えてから、あんまりタイトルは関係なかったんじゃない?と思いました。ただ話題性ということだと、タイトルの勝利もあるのかなと思います。

ルパン:ずっと前に読んで、とってもおもしろかったことは覚えているんですけど、実は話の内容をすっかり忘れていたんですよね。今回読み返したらやっぱりおもしろかったです。エンタメなのかもしれないけど、ここまでやってくれたらエンタメ上等、っていう感じです。物語にしかできないことをいっぱいやってくれていて、つぼにはまりました。ハッピーエンドだし、子どもが読んで楽しめるんじゃないかと思います。登場人物が、大人も子どももみんなが成長していて魅力的です。ご都合主義でも、ストーンとめでたしめでたしで、いいと思います。これだけの分量を読ませる力のある本だと思います。しばらくしてまた忘れちゃったらまた読んで楽しみます。

さららん:どんなに絶望的なことがあっても、この世界は信頼にたるものなんだ、希望は持っていていいんだと、ファンシー的な設定の中で伝えていますね。

ルパン:この子は養父母の庇護のもとにいたときはそれで自分の世界が完結していたんですけど、保護者がいなくなって外の世界に出なければならなくなった。でも、みんなの助けを受け入れてみごとに乗り越えていく、そのプロセスがとても気持ちをあったかくさせてくれるんです。

アンヌ:読み始めたら止められなくて一気読みをしたのですが、逆に読み返す気にはなれない本でした。すべてがハッピーエンドに向かって突っ走っていくような感じで。天窓のガラスの破片は美しいけれど、風が吹いたら危険だろうなとか、挿し木で庭を造るという魅力的なプロジェクトがだめになると、プロの植木屋さんが好意で庭を造ってくれるというのは何か違うだろうとか、気になることがいろいろあるのですが、なおざりのまま進んでいく感じです。15章の養母が癌を病院で宣告される場面は必要ないと思いました。映像として交通事故の場面がほしいから描いたのでしょうか? ガレージに住んでいたパティが実は大金持ちで、しかもタクシーの運転手さんまでくじを当てて、その上二人が恋に落ちるとは、いくらなんでもうまくいきすぎと思っています。

花散里:2016年に出版された児童文学のなかで、表紙の画とともにとてもおもしろい作品だったという印象が今でも残っています。タイトルが特に良かったと思いました。小学校の図書館に勤務していたとき、アスペルガー症候群の子でよく図書館に来る子がいたので、その子のことを思い出しながら読んだという記憶があります。主人公のウィローが好きな場所も「図書館」でした。エンタメというよりもこの本は読ませるところが多く、私は人の絆についてなど、いろいろな意味で本書は奥が深いのではないかと感じていました。登場人物が群像劇風で、特にベトナム人女性、パティがとても魅力的で印象に残りました。寒冷地体で生息する木、柳という名前の主人公のウィローが物語の中で成長していく、その変わっていく描き方もうまくて、後半の里親探しなども興味深く、今回、読み返してみても、やはり子どもたちに読んでほしい作品だと思いました。

カボス:社会にうまく適応できない人たちが、コミュニケーションをとって影響し合い、変わっていく姿を描いているところは、たしかにいい。ただ、主人公のウィローは、7にこだわりがあるのと能力がとても高いだけで、アスペルガーという規定はできないですよね。それと訳が荒っぽいように感じました。たとえばウィローの養母の名前は、ロバータじゃなくてロベルタになってますが、イタリア系かなんかでしたっけ? 私は言葉によって物語世界に入りこみたいタイプなので、細かいところが気になるんです。p102に「超音波検査のあと、もとの服に着がえてからようやく、ロベルタはなにかおかしいと気づいた。医師にもう一度部屋にくるように、言われたからだ。さっき一度いったのに?」とありますが、日本だと検査のあとまた呼ばれて説明を受けるなんてよくあるから、えっと思うし、「それから、医師は『おひとりになる時間を』と言って立ちあがった。『ご主人に電話したほうがいいでしょう』」っていうのもよくわからない。p134では女の人について「姿勢から、下部腰椎に痛みがあるのがわかる」とあるのですが、p135では「背中に問題のある女の人は」となっている。下部腰椎は背中じゃないですよね。またそれぞれの章には視点人物の名前が書いてあるのですが、一人称と三人称が混在していてわかりにくかったです。p152「ふたりの姉弟が家出して、ニューヨークの美術館にかくれるっていう、むかしの本みたいにはいかない。ベッドが必要だし、しょっちゅうおふろやシャワーにだって入りたい」というのは、カニグズバーグの『クローディアの秘密』のことを言っているのでしょうが、クローディアはベッドもある、シャワーもあると考えたうえでメトロポリタン美術館に家出をするんじゃなかったですか? この訳(原文かもしれませんが)だとしっくりきません。p197の「デルが大きな声で言った。/『ヘイ!』/クアン・ハは全身に緊張が走るのを感じた。ハという名前の人間にむかって、『ヘイ』とはふつう言わない」もわからないし、p199にはクアン・ハの台詞で「まるで脱獄かなにかみたいだ」とありますが、脱獄?と思ってしまいました。そういう違和感をあちこちで感じてしまって。
それに、ウィローは肌が褐色でメガネもかけているのですよね? p129でクアン・ハも「だいたい、あの子は変だ。みんな、わからないのか? 服とか、髪とか、メガネとか、〜」と言ってます。そこはこの物語にとってたぶん大事な要素だと思うのに、この表紙はその特徴を消してしまっています。

ルパン:そういうことは編集者が指摘するべきでは?

カボス:そうですね。翻訳者だけだと気づかないところもたくさんあるので、編集者の役割は大事だと思います。エンタメだからこそ、もっとていねいに訳し、もっとていねいに出してほしかったな、と思いました。

花散里:デルの「変人分類法」について、ウィローが、「この数か月でわかったことがあるとすれば、(中略)人間をグループや等級にわけることはできないってこと。世界はそんなふうにはできていない」が印象に残りました。一人ひとりが違っていいのだ、ということが。

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エーデルワイス(メール参加):デル・デューク式変人分類法(DDSS)1.不適応型 2.型破り型 3.一匹狼型 4.イカれ型 5.天才型 6.暴君型 7.突然変異型、というここがとても好きです。作者は脚本家、映画監督でもあり、すでにこの作品も映画化が決まっているといいます。本を読んでいて、映像が次々にうかぶので、映画、きっとおもしろいと思います。だからなのか、脚本を読んでいるかのようでした。最初から映画ありきで書かれた児童書ではなく、純粋?に児童書として書かれた作品を読みたいと思いました。

しじみ71個分(メール参加):以前、読んで今回再読したが、私はこの本はとても好きだし、おもしろいと思う。天才的な知能、あふれるほどの知識を持つがゆえに、周囲とのコミュニケ―ションがうまくいかない少女ウィローが、最愛の両親を一度に亡くし、世界を喪失し、悲しみのどん底に陥るが、彼女と出会い、なぜか心を通じ合わせたベトナム人親子のパティ、クアン・ハ、マイ、うだつの上がらないカウンセラーのデル、タクシー運転手ハイロたちが巻き込まれ、ウィローを助け、かかわりあっていく間に、変化がもたらされ閉塞していた自分たちの状況をも新たに切り開きチャンスをつかみ、最後には大きな幸運がもたらされる話で、最後にパティとハイロが共同でウィローの親権を獲得し、ともに暮らせるようになるハッピーエンド。それまでは、最愛の両親を喪失した悲しみと、心を通わせる仲間たちといつか別れなければならない悲しみとが底辺にずっと流れているが、ラストでそれが昇華され、感動が迫る。モチーフとして、植物が重要な位置を占めているが、例えるならウィローは春のようで、周囲の人々は植物みたいだ。ウィローに触れて少しずつ変わっていき、芽吹いて花開いていくように幸せになっていくのが、読んでいて清々しい。植物が種から目を出し、花開いて枯れていくのと同じように、人生もめぐっていく、その中での人と人との関わりを愛おしみ、生きていくことの喜びが伝わってくる。なので、この本はとても好きだ。

(2019年05月の「子どもの本で言いたい放題」より)

『夜間中学へようこそ』

Photo_18  『夜間中学へようこそ』
 の読書会記録

 

 山本悦子/著
 岩崎書店
 2016.05

 

ネズミ:とてもテンポがよくて、優菜の行動にそって一気に読みました。夜間中学がどんなところか、よくわかりました。さまざまな事情から学校に行けなかった人、海外につながる人など、多様な人の存在に気づいて、優菜が変わっていくところがいいなと思いました。中学生の話ですが、小学校高学年くらいから読めるでしょうか。p140で、おばあちゃんが優菜の漢字を知って、「これからは、優菜を呼ぶときには、漢字で呼べる」というところが強く印象に残りました。

西山:たいへんおもしろく読みました。中学入学前の小学生の不安がとてもよく書かれていると思いました。たとえば、「カラフルだった小学校の教室に比べ、中学の教室の暗さときたら驚異的だ」(p30)なんて、ほんとにそうだと思う。でも、不安が具体的に書かれているわりに、入学したとたん、部活の仮入部期間休んで、夜間中学に行くことになったのに、そのことへの葛藤がなさ過ぎるのが気になりました。中学入学直後、人間関係をつくるのに大切な時期のことはあまり書かれていない。戦争がいつごろの出来事で、おばあちゃんがそのとき生きていたということに改めて気づくところも、新鮮でした。でも、おばあちゃんが学校に行けなかったことをきいても、結構しつこくさぼりだとか不登校だとか、疑っているところは不自然に感じました。先月のテキスト『むこう岸』(安田夏菜著 講談社)や、今回の『ガラスの梨』(越水利江子著 ポプラ社)もそうですが、実態を調べて知ったエピソードが、どれだけフィクションの中でなめらかに、なだらかに取り込まれているか、という課題が出てくると思います。この作品も、ときどき生な情報が顔を出しているように感じてしまうところがありました。文章の質の違いを分析できない限り、読み手である私の側の感覚の問題とも言えますが。(補足:ちなみに、私が生な情報に感じたのは読み書きができなくて一番困ったのはお通夜というくだり。p40)駅員さんが応援してくれたり(p28)、電車で席をゆずってもらったり(p59)、というところはよかったです。こういうテーマだと、無理解な人を出す書き方もできるわけだけれど、後半で松本さんと高校生のトラブルもありますけれど、全体として人の良い面を前面に出しているところに好感をもって読みました。

マリンゴ:発売間もない頃に読んだのですが、今回再読できませんでした。記憶が遠いので、あまりコメントできずすみません。知らなかったことを学べるいい1冊で、子どもにおすすめしたい本ですよね。ただ、女の子がおばあさんに対していい子過ぎて、「こんな子、本当にいるのかな」と思ったことは覚えています。個人的には、同じ著者の『神隠しの教室』(童心社)のほうが好きです。

コアラ:タイトルがまじめな感じで、おもしろくないんじゃないかと思ったのですが、最後まで飽きずに読めました。以前、在日朝鮮人のお母さんの手記を担当したことがあって、その中に夜間中学のことも書かれていて、夜間中学の存在は知っていたので、イメージとそんなに違わなかったです。戦中戦後の混乱で学校に行けなかった人を身近に感じる設定、この本では、主人公のおばあちゃんという設定ですが、そういう設定で夜間中学を取り上げることができるのは、今がギリギリのタイミングだと思いました。でも、山あり谷ありの人生の人たちが登場するのに、さらっと読めてしまったせいか、あまり印象に残らない作品でした。

カボス:夜間中学のことをよく知らなかったので、様子がよくわかりました。調べてみたら、東京にも8校あるんですね。そのうちのいくつかには、日本語を学ぶクラスも併設されているそうです。いろんな人が来られる多国籍な空間なんですね。さっき西山さんが「おばあちゃんが学校に行けなかったことをきいても、結構しつこくさぼりだとか不登校だとか、疑っているところを不自然に感じた」とおっしゃったのですが、私はおばあちゃんがなぜ学校に行けなかったかを詳しく書いてあるのがおもしろかったんです。戦争のごたごたで行けなかっただけじゃなくて、おばあちゃんの場合はこうだったし、80歳を超えている松本さんの場合はこうだったということが具体的に書かれているのが、いいなあと。具体的に戦時中の様子が説明されている部分がないと、今の読者には逆に伝わらないのではないか、とも思いました。優菜が昼間の学校に通いつつ、祖母の付き添って夜間中学も体験するという設定なので、空気感の違いがわかるのもいいですね。和真は性格が悪いからいじめられたんだろうな、とわかりますが、その和真を、優菜を出入り禁止にしても担任の先生が大事に守ろうとする場面からは、夜間中学にかかわる人たちの覚悟をが伝わってきました。元の学校の先生も和真を気にかけている場面が登場しますね。各章の冒頭のカットの入れ方がおもしろいですね。また、優菜が昼間の学校へのこだわりがあまり書かれていないという意見も出ていましたが、優菜は夜間中学を体験して昼間の学校の同調圧力はどうでもよくなったんじゃないですか?

西山:だったら同調圧力なんて実は無いんだ、そんなもの気にしなくていいんだと書いたほうがいいのでは?

カボス:そう書いたら説明っぽくなってつまらないんじゃないの?

木の葉:それは書き方によりますよ。

花散里:作者は元小中学校の教員なので、子どもを学校現場で実際によく見ていた人が書いている物語だと思いました。外国籍の子どもたちに日本語を教えている元教員の知人から話を聞いていたので、日本の学校で学んでいる子どもが増えている今こそ読んでほしい作品だと思います。作者の『神隠しの教室』(童心社)は、本書を読んだ後に手にしたので、子どもたちや家庭の描き方に多少、違和感を覚えました。主人公、優菜が周りの人たちから、自分がいい子だと言われていることに対しての思い。その優菜が和真の心を傷つけてしまったときの先生の対応。自分は分かっていなかったと気づいていく主人公の心のあり様などがていねいに描かれていて、人の立場に立って物事を考えるということが作品から伝わってきます。子どもたちに読んでほしいと思いました。祖母の幸という名前の意味、祖母との関わりなどを「夜間中学」を通して、上手に物語の中に組み入れていると感じました。読み継がれていってほしい1冊だと思います。

アンヌ:読み終えてから、おばあちゃんがp246で優菜の名前を漢字で呼んでいるのがいいなと思って前の方を調べたら、p11では確かにひらがなで呼んでいて、それに対してp17ではお母さんは漢字で呼んでいるのに気づいて、おお、と思いました。いろいろとおばあちゃんの心を思って涙ぐむ場面も多かったのですが、名前の意味を知らなかったというところには疑問を持ちました。童謡や流行歌の中にも歌われる名前なので。ただ親に愛されていないと思っていたというので、無意識に意味を聞くことを避けていたのかもしれませんね。p200の松本さんのせりふは、不登校児に届くといいなと思いました。いじめや暴力にあった子に、自分を守ることは重要なんだと大人が伝えるいい場面です。何も知らないなりたての中学生がいろいろな国や年齢や事情を抱える大人から学んでいくというところがすばらしい話だと思いました。駅員さんや周囲の人たちの優しさにもほっとしました。そして、戦争のことを文学で伝えていくことの重要性も感じました。

ルパン:中学生の気持ちがリアルに描かれていたと思います。おばあちゃんを送迎していることをほめられて晴れがましい気持ちや、とりかえしのつかないことを言ってしまって、それまでの幸せ感がうちくだかれた時の気持ち、などです。「夜間中学について教えられている」と思うと楽しめないのですが、「調べて書いてる感」があまりなくて、自然に楽しむことができました。ただ、唯一にして最大の残念は、タイトル。

花散里:逆に、「夜間中学」そのものを子どもは知らないから、このタイトルで手に取るのではないでしょうか。

ハル:読んでよかったなと思うところがいっぱいあったのは確かなのですが、私にはちょっと、優菜という主人公が見えてきませんでした。学級委員的な優等生っぽさや、勘の良さがある一方で、夜間中学の生徒と先生の関係を「マジックみたいだ」と表現するところなどは妙に幼い感じもしますし、ちぐはぐな感じがして、どういう子なのかいまいちつかめません。特に後半、優菜が和真に言ってはいけない言葉をぶつけてしまう場面あたりから、いろいろと疑問が湧いてきます。あの失敗のあとでまだ「和真がまた『じじい、電話くらい出ろよ』とか言いだすのではないかとひやひやしたが、さすがに言わなかった」(p197)とか。この場面でそういう想像する?と思いますし、松本さんにどうして少年時代に中学校に行けなかったのかを聞くのも「今なら聞けるような気がした」(p197)って、ここは優菜が聞いちゃだめじゃないですか? この中学校に来ているひとはいろんな事情を抱えているって、痛いほど学んだばかりなのに。母親に車で送ってもらっていた和真に「電車で来ればいいのに」(p217)って言うのも。「先生、和真くん、すごく変わったと思うよ」(p237)も、最後まで、和真くんはいやな子、いやなやつだった子なんだなというところが、気になってしまいました。
あともうひとつ、生徒に「にんべん」の漢字を書かせる場面で、なんで著者はおばあちゃんに「優菜」の「優」を書かせなかったんだろう。おばあちゃんはこの後の場面でお父さんの「健治」も書けてますし。だったら、「木へん」とか違う字にすればよかったんじゃないかなと思います。でも、実際、黒板の前にたったら、ぱっと浮かばないものかもしれませんけどね。

木の葉:夜間中学という素材がとてもいいと思いました。ファンタジーっぽい構造の作品だなという気もしました。往きて帰りし、というか。ただ、あらかじめ決めているストーリーラインにのって物語が進んでいくという印象で、テーマ性を重視したためか、冒頭が誘導的で、優菜という子が見えないまま、読まされてしまったかな、と。特に前半、優菜が夜間中学のガイド役的に感じられて、もし、具体的なモデルがあってのことならば、むしろノンフィクションで読みたかったです。それにしても、今の中学生ってこんな感じなんですかね。作者の方は教師をされていたそうですので、私よりもずっとリアルな子どもについてはおわかりなのだから、これが現実なのかもしれませんが、優菜が幼く感じました。国の場所を知らないことにもびっくりでした。

ネズミ:中学生はわからないでしょうね。大学生でも、わからない子はたくさんいるので。

木の葉:国の場所ですが、地図帳を見ながら、ブラジルを日本の裏側と発想できますか。地球儀だったらわかるのですが。それから、戦争についてこんなに無理解なのかなと、ちょっと悲しくなりました。後半の戦時についての話題は少し唐突かな、と。優菜も、戦争のことなど何もわかってないはずなのに、すんなり入っている感じがしました。気になった箇所は、p209の「栄養失調で死んだ子どものほうが多かったかもしれないですよねえ」というところ。会話としてはありうる言葉と思いつつ、本当に? と思ってしまいます。裏付けがあってのことなのか。そうでないなら、何らかのフォローがないと、あやまった認識を生むことになります。「そうやって引き揚げの船に乗るまで、全部の赤ん坊が殺された」というのも、自分が乗った船では、ということを強調しておかないと、引き揚げ者のすべての赤ん坊が殺されたような誤解を招きます。
一番気になったのは、優菜のリアル中学との関係です。夜間中学での学びの意義はとても理解できます。そここそがこの作品の肝というか、書きたかったポイントでもあろうかと思います。けれど優菜には現実の学校生活が長く続くのだから。たとえば、一度は出入りを禁じられ、中学で部活を始めます。ところが、再びつきそいをすることになってから、昼間の部活はどうなったのかが気になって。リアル中学生活、ないがしろにならないかな、と思ってしまったんです。
それから、父親ですが、自分の母が漢字を読めないことに気づかなかったというのは鈍すぎるのでは? そのうえ親の気持ちを理解しようとしない。かなり終わりの方になっても無理解のままで、「本当はおばあちゃんのことが好き」という言葉だけではしっくり落ちませんでした。無理解な人としての役割を負わされたようで、なんだか気の毒に感じてしまいました。

さららん:以前、海外に住んでいたのですが、そのとき通った夜間の語学学校を思い出しました。いろんな人種、いろんな価値観の人がいて、意見がかみ合わないところがおもしろかったんです。思い出の扉が開かれ、自分の経験とひとつになって、一気に読んでしまいました。

まめじか:「星に名前があることなんて、学校で教えてもらわなかったら知らないままだった」と、おばあちゃんが語る場面がありますが、学ぶというのは、世界の見え方を変えていくことですよね。優菜が学校生活から一歩外に出て、違う世界を知っていくのもよかったし、夜間中学やフリースクールなど、いろんな学びの場にふれているのも好感がもてました。いい人ばかり出てくるな、とはちょっと思ったけど。

西山:夜間中学を通して学ぶことの意味に気づいたことを、優菜のいる中学での学びへの捉え直しに還元してほしかったです。今自分が昼間の中学で学んでいることがどれだけ意味を持っているのか、夜間中学の紹介だけでなく、もっと普遍化した学ぶことのドキドキを書いてほしかったという思いはあります。敢えて欲を言います。

カボス:だけど昼間の中学って、おもしろくないと思います。だってよっぽどの先生じゃないと、組織にがっちり組み込まれていて、自由な発想が禁じられてるんだもの。

西山:だけど、夜間中学は夜間中学、昼間の中学は昼間の中学と分けて、夜間中学にはすてきなエスニックの世界がありますね、だけじゃあもったいない。昼間の中学でも学びのおもしろさに気づくとか。

花散里:部活を休んだら好きな楽器ができなくなるとか、昼間の中学のことが書かれてないわけじゃないですよね。

木の葉:昔、菅原克己さんから識字学級の話を聞いたことがあるのですが、字を習得して作文を書いたおばあさんが、今まで夕焼けがきれいだと思ったことがなかったけど、字をおぼえたから夕焼けがきれいに見える、と書いたんですって。

カボス:さっき優という字も習ったから書けるんじゃないかとおっしゃったのは、p140の場面ですよね。でも、そこでは先生が書いたのを見ながら書いているから、黒板に出て書きなさいといわれたら、やっぱりすぐには書けないのかもしれませんね。

西山:孫の名前をもっと画数の少ない、簡単に書ける字にしとけば感動が増したかも、ですね(笑)。

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エーデルワイス(メール参加):読みやすくてさわやかでした。孫と祖父または祖母の話は児童文学では不滅ですね。私は、「えっ、夜間高校じゃないの?」と思ったくらい夜間中学の存在を知らないかったのですが、とてもよくわかりました。今では外国人の学びの場所になっていて、国際交流してるんですね。

しじみ71個分(メール参加):夜間中学というところが、どのような場所か、どのような人たちが学びに来ているのか、知ることができるよい作品だと思う。定時制高校はよく知られていても、夜間中学に対する認識は全国的に低いと思うので、周知のためには効果があると思う。夜間中学の自由で、国際的である雰囲気や、昼間の中学と違う主体的な学びの場でまた、どんなに年齢を重ねても、国籍が違っていても、学ぼうとする意欲はとても尊いということも伝わる。一方で、物語としてはときどき、何か事を起こすために設定した感じが見えてしまって、作家の意図が見えてしまって興ざめに感じるところがいくつかあった。例えば、p82~84で漢字が書けないことをからかうような言動を中学生が言うあたり、ちょっとわざとらしさを感じてしまった。主人公の優奈が、おばあちゃんの付き添いで学校に通うことになったという流れも、作家の取材経験が透けて見えて感じられた。全体的には、夜間中学を知らしめるにはよかったけれど、お話としてはまあまあ、という印象だった。

(2019年05月の「子どもの本で言いたい放題」より)

2019年6月 9日 (日)

Refugee

Refugeeただ今、Refugeeという本の、自分で訳した文章をチェックしています。この本は、アメリカのアラン・グラッツという作家が書いた「難民」をテーマにした児童文学。主人公は12歳前後の三人。ドイツのベルリンに住んでいるヨーゼフと、キューバのハバナに住んでいるイサベルと、シリアのアレッポに住んでいるマフムード。ヨーゼフの物語が始まるのは1938年、ナチスに追われて船でキューバに向かいます。イサベルの物語が始まるのは1994年、父親が逮捕されそうになりボートでアメリカに向かいます。マフムードの物語が始まるのは2015年、空爆で家をなくしてドイツに向かいます。ヨーゼフはユダヤ教徒、イサベルはキリスト教徒、マフムードはイスラム教徒。

宗教も時代も背負っている文化も違う三人ですが、共通しているのは「難民」であるということ。ほかにも、「海」「赤ちゃん」「目に見えない存在」「明日」などというキーワードが三人を結びつけています。

史実を基にしたフィクションです。原書は340ページもありますが、アラン・グラッツのストーリーテリングがさえていて、ぐいぐい引っ張っていきます。最後のほうで、この三人をみごとに結びつけていることにも驚かされます。

つらい場面も多いのですが、それが現実なので、小学校高学年以上の人たちにはぜひ読んでもらいたいと思っています。

2019年6月 4日 (火)

産経児童出版文化賞贈賞式

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私は、産経新聞児童出版文化賞の選考委員というのもやらされています。編集者としても翻訳者としても産経の賞は何度かいただいたので、恩返しをしろ、ということで呼ばれたのです。

この賞の選考は全部で3回行われます。1回目は、それぞれの分野での選考。私は落合恵子さんと一緒にこの段階では絵本部門の中からすぐれた作品を選び出します。社会・科学の分野は、千葉大大学院教授の木下勇さんと東京子ども図書館理事長の張替惠子さん、文学の分野は武蔵野大学名誉教授の宮川健郎さんと日本女子大学教授の川端有子さんが第一次選考にあたります。2回目は、この6人で集まっておおまかな議論をし、候補をしぼっていきます。そしてそこで最終候補に残った作品は、全員でじっくり読んで3回目の選考会で意見を言い合い、最後は投票して大賞、JR賞、美術賞・・・と決めていきます。3回目の
選 考会には、フジテレビ、ニッポン放送、産経新聞の方も議論に加わり、投票も行います。ちなみに、3回目の選考会でいちばん辛口なのは、私かもしれません。

3日はその贈賞式。この贈賞式も以前は、多くの方が集まって祝賀パーティが開かれていたのですが、今は予算が削減されたせいか、パーティ部分はなくなりました。そして25年にわたり、紀子さんがずっと贈賞式においでになっていましたが、今年は佳子さんがおいでになりました。

今年の大賞は、豊田直巳さんの『それでも「ふるさと」』全3巻(農文協)。豊田さんは、イラクやパレスチナの子どもたちも撮ってこられた方です。そして福島にかかわる本も何冊も出しておいでです。この3冊は、福島県飯舘村の人々の避難からの約6年間を写真と文章で記録した本です。産経新聞のインタビューでも、豊田さんは、「意識したのは、次世代にこの未曾有の災害を伝えること」「一枚一枚の写真単体では、情報として消費されてしまう。でも、写っている人たちは情報じゃない。情報化に抗する意図があった」と語っておられます。
今回から新たに担当になった産経新聞の方からは「新聞社からすると、原発に反対する意図がはっきりしている本はどうなのか」という懸念が出されたのですが、上司の方は「そんなことは考えなくてもいいんじゃないか」とおっしゃいました。つまり自由な議論を保証してくださったわけで、それはありがたいと思っています。
このシリーズが大賞に決まってからも、著者が受賞をお断りになる可能性があるのではないかと危惧しましたが、昨日その話をすると豊田さんは、「本は読んでもらってこそ意味があるのです。産経新聞の読者の、これまではこういう本に触れたこともなかったかもしれない人々に、知ってもらえるだけでもいいじゃないですか」とおっしゃっていました。

JR賞は、『しあわせの牛乳』(佐藤慧著 安田菜津紀写真 ポプラ社)。岩手県にある「なかほら牧場」の頑張りを伝えるノンフィクション。たまたま産経ビルの中に「なかほら牧場」の牛乳を売っている店があり、最終審査が終わってから、みんなで少しずつ飲んでみました。
産経新聞社賞は、『ひだまり』(林木林文、岡田千晶絵 光村教育図書)で、のらネコを主人公にした絵本。フジテレビ賞は、『たまねぎとはちみつ』(瀧羽麻子著 偕成社)という小学校5年生の女の子が様々な人と出会って成長するリアリスティックな物語。ニッポン放送賞は、『空の探検記』(武田康男写真・文 岩崎書店)。贈賞式の後名刺をいただいたのですが、「空の探検家」と印刷してありました。登録商標にしているそうです。また別の名刺は、照明や光にすかすと、オーロラが見えるようになっていました。この本は、雑多なものがいっぱいつまっていて、私はもう少し編集で整理して空の様子にしぼったほうがよかったのではないかと思ったのですが、話をうかがってみると、もっともっと膨大な写真やお話の中から、ずいぶんと選んで一冊にまとめたものだとのことでした。

美術賞は、『バッタロボットのぼうけん』(まつおかたつひで作 ポプラ社)。松岡さんは、とっくに受賞なさっていると思っていましたが、今回が初めての受賞とのこと。
翻訳作品賞は『ショッキングピンク・ショック!』(キョウ・マクレア文 ジュリー・モースタッド絵 八木恭子訳 フレーベル館)。エルザ・スキャパレリという女性デザイナーを主人公に、十分に愛されなかった子ども時代から、個性的ですてきなデザイナーになるまでを描いた伝記絵本。もう一冊の翻訳作品賞は、『カタカタカタ:おばあちゃんのたからもの』(リン・シャオペイ作 宝迫典子訳 ほるぷ出版)。これは台湾の絵本で、おばあちゃんと孫娘の足踏みミシンをめぐるやりとりを描いています。

2019年5月29日 (水)

政治家の交渉ごとをめぐって思い出したこと

昔、イギリスから帰ってきてしばらく通訳の仕事をしていました。ある時、イギリスから有名な美容師グループが来るというので、通訳を頼まれました。そのグループ(3人くらい来たかと思います)を招いたのは、関西のほうの美容グループでした。日本側は、とにかく接待攻勢をかけて、そのグループの名前を使った日本でのフランチャイズ権をゲットしようとしていました。日本側の代表は、こう言っては失礼ですが、「腹巻きに札束を詰め込んだようなおっちゃん」というイメージでした。でもイギリスのグループは、とてもクールでした。接待より具体的な条件や、日本のグループがどのような人たちなのかを知りたがったのです。でも、日本側は、そのような交渉ごとに慣れていないせいか、とにかく相手を「気分よくさせよう」「重んじられていることを肌で感じてもらおう」の一点張り。私も途中で落差が大きいことに気づいたので、通訳の分際でありながら意見を申し述べさせていただいたりもしたのですが、日本側にはあまり理解されませんでした。それで当然のことながら、結局、肝腎の交渉ごとのほうはうまくいかなかったのです。

なんでこんなことを今思い出したか、というと、abeがその「腹巻きに札束を詰め込んだようなおっちゃん」と重なったからです。クールな交渉もしつつこちらの立場を明らかにし、いい条件を引き出すことのできない、悲しいおっちゃん。しかも、abeの札束は税金なのに。

2019年5月14日 (火)

朝日新聞の「子どもの本棚」について

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朝日新聞の毎月最後の土曜日に掲載される「子どもの本棚」で、私は自分がすてきだなと思う本を紹介しています。選書・執筆担当は、広松由希子さん(絵本家)、兼森理恵さん(丸善丸の内本店児童書担当)、越高一夫さん(松本の「ちいさいおうち」書店店長)、それに私の4人。毎月3冊ずつ掲載されるので、時々休んでいい月が回ってきます。毎月、長い原稿が1つ、短い原稿が2つ掲載されますが、長いのをだれが担当するかも、回り持ちになっています。それと夏休みと冬休みは特別版になって、4人がそれぞれ新刊と既刊をそれぞれ1冊ずつ紹介します。

ついこの間の2019年3月までは、いちばん短い欄が100字ちょっとの分量だったので、長くて複雑なYA小説は紹介するのが難しくて、短い欄担当の時はどうしても絵本の紹介が多くなっていました。でも、とある時私は考えました。おとなの本の紹介欄はどの新聞でも大体毎週あって、紹介文もたっぷりなのに、どうして子どもの本は月に1回で、紹介文も短いのだろう、と。ひょっとして、子どもの本は軽視されてる? それとも子どもの本=絵本と考えてる人(けっこうたくさんいますよね)が、そんなに長く書くこともないだろうと思ってる? でもさ、子どもの時に本を読まなかった人が、おとなになって読書家になる? 子どもの時におもしろい本(笑えるという意味じゃなくて)を読んで魅力を知っておかないと、一生損するんじゃない? そう思った私は、担当の記者に事あるごとに相談し、説明し、要望してきました。新聞社の上層部の方に会った時にも、「子どもの本って、大事なんですよ。活字文化の土台なんですよ」としつこく言いました。

それで、当時の担当の中村さんもがんばって考えてくださるようになり、とうとうこの4月から、短い欄でも200字以上書けるようになりました。うん、ちょっとうれしいです。

ところで、この欄で取り上げる本は、掲載時で3か月以内に出た作品という原則があります。でも、何を取り上げるかの候補を出すのは月初めなので、実際はほぼ2か月以内に出た本になります(どうしても取り上げたいとがんばれば、もう少し以前に出た本でもダメとは言われませんが、新刊を取り上げる欄という性格上、なるべく原則に沿ってほしいと言われています)。

でも、2か月以内に出た本は、地元の図書館にまだ入っていなかったりするんですよね。だから、本屋さんで立ち読みしてめぼしい本は購入したり、出版社から送っていただいた本の中から、つまり自分の手もとにある本の中から候補作を選びます。その月の選書・執筆担当者から候補が出そろったところで、読者対象が偏っていないか、選書バランスはとれているかを検討し、調整します。朝日新聞社のこの欄担当の方は、最近の紙上で候補作が取り上げられたことはないかどうかをチェックしてくださいます。この時、一同に会して話し合ったりはしません。すべてメールでやりとりをします。

ところで、朝日の担当者はしょっちゅう替わります。以前にこの欄を執筆なさっていた佐川さん、汐崎さん、米村さんも、「しょっちゅう担当者が替わるんですよ」とおっしゃっていたので、担当者の交替は伝統になっているのですね。

私は編集者だったとき、朝日新聞の「子どもの本棚」担当者宛に新刊児童書を送っていましたが、今になって考えると、あれは意味がなかったですね。新聞社に送られた本を、選書・執筆担当者が目にすることはないし、何が送られて来ているかを知らされることもありません。一般書については、本を並べてその場で話し合ったりする社もあるようなので、新聞社に送った作品が書評で取り上げられる可能性がありますが、子どもの本にかぎっては、選書が執筆担当者に一任されているので、それはないのです。

でも、朝日新聞はちゃんとこうした欄があるので、子どもの本のことをきちんと考えてくださっているのだと思います。ほかの新聞社では、予算削減のせいか、子どもの本をちゃんと紹介する欄がなくなって、あんまりよくわかっていない記者さんが、新聞社に送られてきた本の中から適当に選んで書いている場合も多くなっています。

活字文化の衰退を嘆くならまず、中身のちゃんとした、編集の目も行き届いている、おもしろい子どもの本をきちんと紹介していくことが必要なんじゃないかな、と私は思っています。

『願いごとの樹』

Photo_13 『願いごとの樹』
 の読書会記録

 

 キャサリン・アップルゲイト/著
 尾高薫/訳
 偕成社   2018.12

 WISHTREE by Katherine Applegate, 2017

 

マリンゴ:樹の1人称の物語ということで、非常に興味深く読みました。序盤、1つの章が短くて読みやすいなと思いました。p174、175の白黒反転や、p192、193の全面見開きのイラストなど、レイアウトも工夫されていて、物語の盛り上げに一役買っています。樹が切り倒されるかも、という主軸の話のなかに、ひとりぼっちの女の子の友情の話など、他の要素も入ってきて多層的ですね。気になったのは、p9「クラスの全員が『マイケル』という名前だったら、と想像してごらん」の部分。いくら人間の話をよく聞いて博識とはいっても、樹が1人称で語る比喩としては、自然ではないと思い、そこでちょっと引いてしまいました。あと、メイブの日記帳に何が書かれていたのかが示されていない。それが少し物足りなく思いました。

西山:最初はちょっと読みにくかったです。表紙から得た印象ではYAかと思って読み始めたので、童話的なテイストとのギャップに戸惑ったという感じです。今のアメリカの排他性を憂えている人たちの存在を思うと、切実すぎて切ない感じがしました。でも、しっとりしんみりという空気で覆うのではなくて、ユーモアが覆っていてそれは好きでした。カラスのボンゴの「ムリー」と「カワイー」の使い方や、動物ごとの名前の付け方とか、仕返しが「落とし物」だったり、世界を柔らかくしていてかなり好きです。ただ、まぁ、長さ的に無理とは分かりますが、本のつくりとして、もっと違ってもよかったのではと思ってしまいます。p192、193の見開きの挿絵はじめ、絵の主張も強いし、ずっと文章を刈り込んで、絵をもっとふやして、寓話的なきれいな大判の絵本でもあうだろうなぁなどと。

ネズミ:私はちょっとお話に入りにくかったです。樹が声を出すことで、物語が動くというのになじめませんでした。願いごとの樹、動物が住んでいる樹のイメージが先行して、物語ができたのかなと。人間の心の変化そのものは、あまりつっこんで書かれていないようで、やや物足りませんでした。

まめじか:レッドもコミュニティも、いろんな人、いろんな動物を受けいれ、ときに軋轢が生まれるのを見ながら歴史を重ねてきました。レッドとサマールの想いは、「ここにいたい」という願いに結晶化されていきます。居場所をもとめる切実さが、この物語の底にありますね。アイルランド系のメイブのところにイアリア系の赤ん坊が来て、その子が家庭をもって、というふうに、異なる人たちが家族になって連綿とつづいてきた、命のつながりが描かれているのもいいです。少年が「去レ」という言葉を樹に刻んだのは排外的な風潮からですが、その子のバックグラウンドが少し気になりました。あえて書いていないんでしょうけど。

彬夜:とても好きな作品でした。私は、今回読んだ3冊の中ではこれが一番よかったです。寓話的な作品ってなかなか日本の今の作家は取り組まないようですが、もっとあっていいのかもしれません。この物語の静かで、でもどこか人間くさい(樹なのに)語り口が好きです。からすのボンゴとの会話もいいですね。イスラムの女の子の背景については、もう半歩書いてほしいような気がした一方、そうすると物語の良さを壊してしまうのかも、という思いがあります。日記が出てきた時点で、これが、樹が切られてしまうのを防ぐのかな、という風に予測が立ってしまいました。実は、そこの箇所を読む前に樹に動物たちが集まっている挿絵がちらっと見えてしまって、オウンゴールをしてしまったみたいな気分でした。自責のネタバレですね。ああ、動物たちが助けるのね、と。それから、樹が切られるという方向の物語ってありえたかな、というのもちょっと夢想してみました。

アンヌ:ファンタジー好きとしては楽しみに読んだのですが、樹に話をさせたところで拍子抜けしてしまいました。ここは樹が語らなくても、子どもたちに日記を読ませても樹の成り立ちを伝えられるので話す必要はないと思います。樹の代弁者としてのカラスのボンゴもいますから、日本の作家なら樹のそよぎや気配で書ききるかもと思いました。フランチェスカが家族の言い伝えを思い出さないのも不自然ですし、日記を読むというのが当日だというのも駆け足な気がします。ただ、双方の家族がこれだけ奇跡的な状況なのにまだ溶け合わないとしているところは、現実も描いているなと思いました。

ハリネズミ:おもしろく読みました。ただ日本の読者を考えると、もう少しわかるように出してくれるとよかったと思いました。たとえば、レッドに彫られた「去レ」という言葉ですが、日本だと「出て行け」くらいの言葉かなあと思ったり、レッドが2軒の家のまん中にあるので、どうして家じゃなく、樹に彫るんだろうとも思いました。原書の読者は、サマールという名前が出て来たとき、イスラムっぽいとわかるのかもしれませんが、「去レ」がサマールの一家に向けられているということが日本の読者にも最初からすっとわかるでしょうか? アマゾンで一部を見ただけですが、原書には、願いごとを書いた布がいっぱい樹に巻き付けられている絵がありましたが、日本語版にはないんですね。どうしてなんでしょう? ヘイトの行為として、卵を樹にぶつけるという場面も出てきます。樹に?と思いました。

まめじか:p52で、サマールの家に生卵を投げていますよ。そのあと樹にぶつけるから、サマールの家族に対してだとわかったのかな。

ハリネズミ:家にぶつけるのはわかりますが、2軒の間に立っている樹にぶつけるでしょうか? いいところは、樹を主人公にしている読み物という点がおもしろいと思いました。樹が人間だけでなく動物にとっても大きな存在だということが伝わってきます。それと、動物と樹のやりとりにユーモアがありますね。絵も助けになっています。p202に「とはいえ。」とありますが、ここは句点でいいんですか?

彬夜:「とはいえ。」といった書き方をしてみたくなる時はあります。が、誤植に思われそうで結局辞めてしまうかもしれません。

花散里:サマールの思いがよく描かれているところがよかったと思いました。この本は樹に語らせているのが大切なことだと思います。とても情感豊かな作品だと思います。こういう作品を子どもに手渡したと思いました。主人公の樹の思い、去年読んだ本の中でも忘れられない1冊です。本の創りがとても良いなと思いました。白抜きの箇所、挿絵も作品のよさを支えていると感じました。

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エーデルワイス(メール参加):樹を主人公にして、カラスやリスなど動物たちが登場し、ファンタジーのように思えますが、じつは移民をテーマにもしている奥の深い作品だと思いました。美しい文章だが、全体的に少しわかりにくいのが残念でした。

(2019年04月の「子どもの本で言いたい放題」)

『ぼくたちは幽霊じゃない』

Photo_12 『ぼくたちは幽霊じゃない』
 の読書会記録

 

 ファブリツィオ・ガッティ/著
 関口英子/訳
 岩波書店   2018.11

 VIKI CHE VOLETA ANDARE A SCUOLA by Fabrizio Gatti, 2018

 

まめじか:『神隠しの教室』(山本悦子作 童心社)を読んだとき、日本の義務教育は外国籍の子どもにはあてはまらないと知って驚きました。イタリアでは、難民の子どもにも教育が保証されているのですね。警察に見つからないように生活していても、学校に行けば居場所がある。すばらしい教育制度だと思いました。ヴィキは、7歳にしてはちょっと幼く感じました。p181で、共産主義の意味をきかれて「トマトをダメにするもの」と言ったり、p144で、下のほうがせまくなっている黒板に文字を書くと、下にいくほど文字が小さくなるため、文を書くときは必ずそう書くと思っていたり。おとな目線の子ども像というか・・・。

ネズミ:とてもおもしろくて、読み出したらやめられず圧倒されました。聞き分けのない5歳の無邪気なブルニルダと、まだ7歳なのに兄としてがんばるヴィキ。この年ごろの子どもにとって、外国とはこのくらいぼんやりとした認識しかないだろうと自分の体験からも思い、私はとてもリアルに感じました。難民船で海を渡る家族の体験は壮絶ですが、今も危険をおかして海に渡る人々は同じような体験をしているのではないでしょうか。理由はどうあれ、難民として国外に逃れる人たちがどんな気持ちで、どんな目にあっているのか、これを読むと、いくらかでも想像できそうです。読めてよかったです。

西山:このシリーズでこの束で、読むのに時間がかかるかと思っていたのですが、かまえたほど長くなかったですね。紙が厚いのかな。手が止まらなかったからでしょうか。本筋ではありませんが、子どもが質問して、それにちゃんと答える文化というのが一番印象的でした。なんか、このタイミングでそれ聞く?とか、ちょっと黙ってて、とか結構ひやひやというか、イライラというか、読んでる私は思うわけですが、ちゃんと相手をしてるんですね。p223とか、あんなに大変な状況のあとで明日のクリスマスの劇、見にきてくれるのかって、お母さんは丁寧に答えているけれど、私なら無理。日本では、幼い子もものわかりがよく描かれているのか、あるいは、作品以前に社会全体のおとなと子どもの関係のちがいなのか・・・。とにかく、次から次に困難と直面する極限状況にありながら、おとなを質問攻めにする子どもに私はストレスを感じたというのが正直な感想です。もちろん移民や難民の問題を考えるに当たって、学ぶべきところは随所にありました。p79、で「いい人はたくさんいる」止まりでなく「悪いのは法律」と書いているところに信頼を感じましたし、p188の「働きたいなら文句は言うな。非正規だろうが仕事がもらえるだけありがたいと思え。」が、今の日本と重なったり、p243の「問題はおもちゃじゃない」という下りは支援のあり方を厳しく問うていましたし。

マリンゴ:非常に読み応えのある本で、よかったです。移民の旅の物語は、ずっと大変なことが起きて結末近くで少しほっとする、というような展開が多いかと思います。でもこの物語は、いいことがあって、悪いことがあって、というコントラストが強くて、それぞれの場面がより印象的になった気がします。海のシーンは、非常にリアルで怖かったですね。弱者が犠牲になりますけど、その弱者というのが“ひとりぼっちでいる人間”であるのは、衝撃的でした。ミラノに着いて、都会的な美しい風景に癒されて、でもバラックに着くとそこは大変な場所で、とこれもまたコントラストが強いんですね。ラストが若干、尻切れトンボ感がありましたけれど、実在の子の体験をもとにしているから、そこはやむを得ないのかなと思いました。

ハリネズミ:読んでよかったとは思いましたが、お父さんは、イタリアで最底辺の暮らしをしていて、なんの保障も得られていないのに、どうして家族を呼び寄せようとするのか、読者にはわかりにくいんじゃないでしょうか? 戦争や飢餓だとなるほどと思うんでしょうが、この本では「共産主義だったから」としか出てきません。アルバニアで農業をしていれば現金収入は少なくてもずっと人間的な暮らしができるのに、と普通は思うんじゃないでしょうか。国を出る理由がよくわからないままだと、物語に入り込めないように思います。イタリアの子どもなら、アルバニアからたくさん人が入ってきたのを知っているのかもしれませんが、日本の子どもはわからないので。イタリアの学校の先生は、すばらしいですね。不法移民だとわかっていても「学校にいるあいだは心配いりません。イタリア人の子どもも外国人の子どもも、分けへだてなく受け入れるのが、私たち教育者の役目ですから」(p222)なんて言える先生、すてきです。本としては出だしのつかみが弱いように思いました。作文のテーマが、ヴィキだけじゃなく、何を書けばいいのかだれもわかりませんよね。最後のヴィキのメッセージは、ヨーロッパではなくても「正義」と「法律」は一致しないだろうと思います。日本の読者向けと考えると、あと一工夫あるとよかったと思いました。

彬夜ここは「ヨーロッパでは」じゃなくて、「ヨーロッパでも」だとよかったのに。

アンヌ:海を渡る場面の過酷さに、何度本を閉じたかわかりません。非常に迫力に富んだ描写で、しかもその状況が少年の目を通して描かれているのがつらかった。無事たどりついた時に親切なイタリア人に手助けしてもらえますが、その後も過酷な生活状況やお金を巻き上げる警官や悪徳不動産屋の姿など、なかなか読むのにつらい場面が続きます。そのなかでまるで『クオレ』(エドモンド・デ・アミーチス著 偕成社文庫)のような幸福な学校生活にほっとしました。でも、保育園では冷酷なお役所仕事で移民を受けいれません。同じ国の中に残酷さと優しさが同居しているのを感じました。これを読んだ後、日本の人々にも、人に優しくできる誇りというものを感じてほしいと思いました。

彬夜:ノンフィクションっぽい作品だなと思いました。冒頭部分の位置づけは、どうなんでしょう。主人公が中学2年生になってます。ボートで海を越えるシーンの緊迫感がすごいのに、冒頭のシーンのために、ああ、無事に渡れたのね、と思ってしまいます。それでも、あのシーンは読むのがつらかったです。トラウマにならないかも心配でした。ただ、子どもが幼く感じられました。妹はまだしも、主人公の少年は、ああいう緊迫した状況だったら、もう少し聞きわけがいいのではないかと感じてしまいました。学校に行ってからのシーンでは、これでいじめに遭ったりしたらいやだなと思ったのですが、そうならなくてよかったです。彼らはいわば経済難民のようで、これは少しわかりにくいので、もっと説明があってもいいのかもしれません。ラストはちょっと駆け足で、はしょられた感がありました。その後、どんなことがあったのか、なぜ、お母さんだけがうまく仕事が得られたのか、もっと知りたかったです。警察の扱いはひどいですが、日本人には腹を立てる資格はないかもしれませんね。受け入れ政策も貧弱だし、入国管理局の問題点も指摘されている。それを下支えしているのは私たち自身の無関心なので。

花散里:私は今回選書係だったのですが、海外の作品ですぐに思いついたのがこの作品でした。難民もひとりひとりが個人であるということを、『風がはこんだ物語』(ジル・ルイス作 さくまゆみこ訳 あすなろ書房)と重なるように読みました。人形がなくなったり、海をわたっていくボートのところは、読んでいてもとても辛かったですが、とてもよく描かれていると思いました。
父親が呼びよせたときの思いや、お金を搾取される状況。それでも海をわたりたいと思う一家。日本にも外国籍の子どもたちが増えている今、実話をもとにしているという、こういう作品を読んでほしいと思います。難民・移民の話がひとつの作品として読めたのはよかったと思いました。

西山:さっき、おとなと子どもの関係の違いかもと言いましたけれど、普段おとな向けの作品を書いている作家が書いているから、登場する子どもが子どもっぽすぎるのか、とも疑っています。一般の小説家が書いた子ども向け作品では、妙に子どもが子どもっぽく書かれていると感じることがちょくちょくあって。ああ、でも子どもだけでもないかなぁ。あんなに町へ出るのが危険だと言っているのに、お母さんの教会に行きたがりようが呑気すぎるように感じたし。(そこもイライラしたポイントです。笑)おばけが出るぞという軽口に、お父さんには、妻子がどんな困難をこえてきたのかがわかっていないのだなと、体験の断絶の残酷さを感じました。そうでなければ、単にデリカシーがなさ過ぎですけど。

彬夜:船が着いた場所で助けてくれた人たちのことなども、もっと知りたかったです。

ハリネズミ:組織なのか、個人なのか、この本ではわかりませんね。

彬夜:幼稚園と学校の管轄の違いなどは、興味深かったです。

花散里:難民、ひとりひとりが個人であり、それぞれの思いがあると思います。すべてを手放して難民となった辛さ、父親はどういう思いで家族を呼び寄せたのか、日本の子どもたちにも知ってほしいと思いました。

しじみ71個分:今のヨーロッパの情勢をよく映す作品だなぁと思いました。私は、この主人公のヴィキや妹のブルニルダの幼さは、ときどき危機を招くのでハラハラさせられましたが、アルバニアでの暮らしが素朴なものであったことを想像させられて、素直に読みました。一番いいなと思ったのが、イタリアの学校の先生たちです。教育は子どもたちにとっての権利であり、難民であろうがなかろうが、教育を等しく受けさせるのだ、という強い意志が感じられ、感動しました。保育園の園長は反対に官僚的で意外でしたが。また、特に心に残ったのは、学校の初日、クラスの子どもたちが一所懸命に歓迎のために歌を歌ってくれたり、ハグや握手をしてくれたりしたのに、言葉が分からなくて、逆に孤独と不安でヴィキが泣いてしまったところでした。その心細さ、切なさはリアルに胸に迫りました。異国に暮らすことの難しさ、心細さを子どもの視点でとてもよく描いていると思います。言葉に慣れるのがおとなよりも早い、というのも後で分かりますが。密航の船上の恐怖や、不法滞在ゆえのひどい暮らし、警察に見つからないように幽霊のように忍んで暮らす日々、ミラノには居られなくなって郊外に引っ越すなど、厳しい現実がこれでもかと突きつけられ、問題提起のまま終わった感じもしますが、実話に基づくがゆえに簡単に解決の見つからないことなんだと思わされます。このこと自体がとてもリアルだと思いました。

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エーデルワイス(メール参加):7歳のヴィキの目線で話が進むので、苛酷な密入国の場面にハラハラしました。5歳のブルニルダがあまりにも無邪気で、やりきれなさが何倍にもなります。「幽霊」や「おばけ」という表現は、子どもにとってはとても怖いと思います。イタリアでは学校はすべての人に開かれているんですね。

(2019年04月の「子どもの本で言いたい放題」)

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