3.11シンポジウムのまとめ
「ポスト3.11 子どもたちの未来、子どもの本の未来」
のまとめ
2015年3月11日(水)午後5:30〜7:30に青短の教室で行われたシンポジウムについて、参加者のお一人である久米絵美里さんが、まとめを書いてくださいました。この日はちょうど、DAYS JAPANの集会もあったりして、出られなくて残念という方もおいでだったので、久米さんの許可を得て、掲載します。
少しだけニュアンスが違うかもしれないところもありますが、聞き手の方がこう受け取ったということも大事だし、サイド情報についてもきちんと調べて下さっているので、そのまま載せさせていただきます。久米さん、そして間を取り持ってくださったこだまともこさん、本当にありがとうございました。
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フォーラム
ポスト3.11
子どもたちの未来、子どもたちの本の未来
主催:一般社団法人日本ペンクラブ
後援:青山学院女子短期大学、一般社団法人日本国際児童図書評議会、
一般社団法人出版文化産業振興財団
2015年3月11日(水)17:30 ~ 19:30
@青山学院女子短期大学 教室L301
参加者:220名ほど
【第一部 映像&トーク「いのちと子どもの本」】
1. 太田康介さん(『のこされた動物たち』の著者・カメラマン)映像とトーク
<導入トーク>
報道カメラマン(フリーカメラマン)である太田さんは、大の猫好き。2011年3月30日から4年間、福島に何度も訪問し、第一原発20キロ圏内に残されている動物たちのためにキャットフードをまいて歩き、写真を撮って記録している。(キャットフードは栄養価が高く、犬も猫も食べられるがドッグフードは猫には向かないため、震災の時はキャットフードを活用するとよい)2011年3.11直後、猫を保護して歩いたものの、あまりに数が多く、焼け石に水の状態。そのうちに、犬猫のほかにも、家畜の大型動物(牛、馬、ダチョウなど)がたくさん死んでいくのを目の当たりにするようになる。やるせなく、自分にできることは、この状態を記録することだと写真を撮った。当時、20キロ圏内に入っていたのは、フリーの報道者だけ。大手報道社は、50キロ以内に入ってはいけないという会社からのお達しを受け、入ることはなかった。
<写真と映像によるムービー(10分間)>
2011年3月29日〜30日 福島へ向かう。
鎖につながれたままの犬。飼い主を待っているのか家から離れない犬。
人を恋しがって、尻尾をふり寄ってくる犬。
2011年4月
20キロ圏内の人の捜索は始まったが、動物へのケアは手つかずのまま。
飼い主たちは、国からの退避命令により餌をやることもできなかった。
水を求めた牛たちは用水路に落ち、二度と上がって来られなかった。(溺死)
豚には、雑食性を活かし、泥などあらゆるものを食べて生き続けたものも。
(溺死し腐敗した死体や、鎖につながれケージに入れられたまま衰弱死し
ている動物たちの姿、蠅や蛆がたかっている猫の死体、ダチョウのひか
らびた首(胴体なし)などが、加工せずありのままの状態の写真が映し
出され、会場からはすすり泣く声が相次ぐ)
ボランティアや太田さんたちフリーカメラマンたちは、警備の手薄なとこ
ろから侵入し、中へ入った。当時、危険地帯に入ることは違法で、入ると
10万円ほどの罰金や拘束の罰則があった。その後、国から正式に許可を得
て入れるようになったが、当時は不法侵入になっていた。
2012年春
動物たちへの手は差し伸べられないまま。必死に生き残った豚や牛たちは、
危険だと判断され、殺処分に。犬も死に、見かけなくなっていった。繁殖
能力の高い猫だけが残ったが、生まれてきた子猫たちは餓死するために生
まれてくるという悲惨な状態に。
2013年春
猫の数も少なくなり、町には子猫の死骸も。
<映像後トーク>
当時の心境を振り返る太田さん。最初は東電や国を責めたが、3月11日から初訪問の30日までの間、自分も「あんな危険なところにいけない」と思っていたことに気がついた。行こうと思ったのは、ほかのカメラマンたちから状況を聞き、行けるとわかってから。たくさんの悲惨な動物たちの死を目の当たりにして以来、牛・豚・鶏の肉、牛乳などがなんとなく食べられなくなってしまった。自分も生き物だから、ほかの生物の命をいただくことはしかたない。しかし、お肉は食べるけれど、牛はかわいそうと思っていた自分の気持ちの矛盾にも気がつき、改めて命について考えるようになった。今の自分の活動は自己満足であると意識しながら、猫のために福島に通い続けている。
太田さんBlog 「うちのとらまる」 http://ameblo.jp/uchino-toramaru/
→さくま先生が心を動かされた後藤健二さんに関する記事
http://ameblo.jp/uchino-toramaru/entry-11984261974.html
2.『希望の牧場』について トーク
「希望の牧場」代表:吉沢正巳さん・絵本の作者:森絵都さん
(進行役:さくまゆみこさん)
「希望の牧場」について
通販生活ウェブサイトより吉沢さんインタヴュー記事
http://www.cataloghouse.co.jp/yomimono/150120/
Q:なぜ、この絵本をつくろうと思ったのですか?
森さん:当時、私も20キロ圏内に入り込み、取材をしていた。
どんどん命の影がうすくなっていく中、無力感を感じた。
そんな中、300頭の牛が生き続けていて、
何とかして伝えたいと思った。
Q:吉沢さん、絵本を読んでどう思いましたか?
吉沢さん:大人も子どもも考えさせられる本になって、感動している。
「希望の牧場」には、100頭くらい、ほかの牧場から引き取った牛
もいて、新しく生まれてきている牛もいる。さすがにもう一頭一頭
の個性は把握できていないが、絵本に300頭と描かれてしまったか
ら、もう減らすこともできない(笑)
Q:吉沢さんは定期的に渋谷のハチ公前で演説をされていますが、その中には、怒り、切なさのほかに、希望も感じる。なぜ「希望の牧場」という名前にされたのですか?
吉沢さん:なぜ牛を助けるのか、模索しているうちに「希望」に行き着いた。
すぐとなりの浪江町には、とてつもない量の放射能があり、二度と
暮らせない絶望的な状態。しかし、それに「くずれてしまいたくな
い」という気持ちがあり、その気持ちの果てが、深くて重い希望だ
と、長い時間をかけて思うようになった。大勢の人の励ましに応え
るためのものなのだ、と。
そして、このような状況は、明日は我が身、みなさんの番であり、
人ごとではないということを、たくさんの人に知っておいてほしい。
Q:絵本のテーマの選別理由はどのようなものでしたか?
森さん:最初は、悲しいだけになってしまうのではないかと躊躇したが、吉沢
さんと出会い、その強さを知り、悲しみだけでない、命を学び続ける
ひとりの主体の姿を描きたいと思った。心のやさしい人こそ、つらい
現状を直視出来ず、このようなことを知ることを本能的に避けてしま
う。そういう人に無理矢理見せるのは、違うと思う。ただ、伝えなけ
れば、つらい状況は変わらない。だから、伝えなければならない。
Q:吉沢さんは、ずいぶんと演説慣れなさっていますが、元々、普通の牛飼いだったのですか?
吉沢さん:ちがいます。3.11前も、県会議員選挙に出て、反原発を訴えていた。
その結果、浪江町への原発の増設は止まった。今、61歳ですが、ド
イツのような原発のない国を目指して、牛たちと暮らしながら、そ
の意味を探しながら生きていこうと思う。
ほかの酪農家と言い合いになったこともある。自分は、国の方針
に逆らっている。動物をおいて避難したのも正しい、殺処分するの
も正しい、命を守り続けるのも正しい。何通りもの正しさが、あの
時にはあった。
Q:(from森さん)日本は動物より人間を、という考えが主流だが、海外はペットレスキューにも積極的。小さな命だからこそ助けようという気持ちがあり、当時は海外メディアからの取材もあったと思うのですが、日本メディアとの違いを感じましたか?
吉沢さん:違いという意味では、正直よくわからない。ただ、斑点牛という皮
膚に斑点が出ている牛がいて、これは明らかに被爆の影響だと思っ
ているのだが、それには海外メディアの方が興味を持ってくれてい
る。伝えることで、研究が進めばよいと思っている。斑点牛につい
ては、農水省に調べてもらったが、わからないという答えしか返っ
てこなかった。わからないまま殺処分というかたちは、証拠隠滅だ。
子どもたちの甲状腺異常が出ているのも、政府は関連性がないとし
ている。漫画「美味しんぼ」の騒動もあり、国がコントロールして
いることを感じている。
会場からのコメント
「希望の牧場」を出版した岩崎書店としては、ぜひ子どもたちへの推薦図書にしたかったが、政治色があるためか、残念ながら選ばれなかった。(岩崎書店社員談)
【第二部シンポジウム「3.11後の子どもたちの未来、子どもの本の未来」】
パネリスト:朽木祥さん、さくまゆみこさん、那須田淳さん、森絵都さん
進行:芝田勝茂さん
Q:一部を終えて、皆様どうでしょうか?
森さん:「希望の牧場」は、現代の日本の拝金主義と戦っているのだなと再認識。
そして、改めて動物に失礼なことをしてしまったと感じている。人間
の都合で飼ったのに、置き去りにしてしまった。
小説『カラフル』には、天使が出てくるが、その時、天使という異
質な存在が入ってくるだけで、なんとよい風が吹くのだろうと思った。
人間は、「異質」というものに助けられていると、創作活動をしながら
感じている。
さくまさん:ロンドンで暮らしていた時、明らかに子どもより犬を大切にして
いる人たちを見て、正直、うっと思った。自分は、犬を飼ってい
るし、猫も飼ったことがあるが、子どもの方が大事と思って子育
てをしてきた。しかし、現在の福島の状況を見て、命よりもお金
を優先する日本には違和感を覚えている。
朽木さん:有事の際は、小さいものから犠牲になっていく。前例でも、猫、犬、
幼児の順番でいなくなっていった。そのことのおそろしさを感じな
がら、第一部を聞いていた。
那須田さん:(ドイツと日本を行き来する立場から)チェルノブイリの影が、ド
イツにはある。東ドイツでは、当時、ほとんど報道されなかった。
しかし、その後、健康被害が発覚。メルケルは、反省しながら政
治をする政治家。3.11直前まで、ドイツでも原発を再稼働させよ
うとしていたが、3.11を受けて、その話はなくなる。ドイツは日
本をリスペクトしてくれる国。日本ができないなら、世界の誰も
できないと思った。
朽木さん:そういう事実を、子どもたちにどう伝えていくのか。消費されても
よいという覚悟で物語を書いていくつもりでいる。
Q:子どもの本を書く上で気になっていることとは?
森さん:貧困の問題。給食費を払えない子どもがいるということを、あえてメ
インテーマではなく、背景として描いていきたい。
さくまさん:子どもは「今」に縛られてしまう。見えていないものを見える窓
を、翻訳家という立場からたくさん用意し、開けていきたいと思
っている。
日本と海外の違いとして感じるのは、日本の児童文学は政治と
宗教の話題を書かないようにしているということ。日本の作家は、
窓を開こうとしてはいるものの、海外に比べるとその窓は少し小
さいように思う。
芝田さん:出版社によって、表現についての意見はいろいろ違いがある。出版
社間の風通しはどうなるのだろう?
Q:過去とどう向き合うか?
朽木さん:3.11が起こってしまった時、「私たちがきちんと広島を伝えてこなか
ったから、核の平和利用などという言葉にまどわされてしまったか
ら、こんなことが起きてしまったのだ」と自戒の念を抱いた。小説
『8月の光』は、3.11を受けて、急いで活字にしたもの。献辞にあ
る「生き残った人々へ」は、福島の人々のことをさしている。
那須田さん:娘を通して、いじめについて思うことがあった。だいたい、10
人くらいが1人の子をいじめるわけだが、そうすると守る子たち
も出てきて、討論となり、解決していく。
さくまさん:戦争は、今の子どもたちにとってファンタジーになってしまって
いる。自分のおじいさんおばあさんが体験したことだったら、ま
た、自分のお父さんがヒトラーだったらなどのように自分ごと化
できるしかけが必要。また、今伝えられている戦争は、「被害」ば
かり。加害者でもあったということが日本ではあまり書かれてい
ないことも疑問。もっと悲惨な状況を伝えていくべきだったのか
もしれない。
森さん:書き方はとても大切。ただ重くて暗い物語では、子どもたちを惹きつ
けられない。どう伝えるべきか、考えて行きたい。
那須田さん:日本の学校では、テロ対策がされていない。テロがあった時に、
どのように対応するか、など考える場も必要。
朽木さん:小説を書く時は、共感恐怖をどう得られるかということを胃が痛く
なるほど考えている。ただ、他者の痛みを感じられるようになるた
めの、あたたかいものを書ければとも思っている。児童文学のいい
ところは、希望を語っても恥じなくてよいというところだ。
<おわり>
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