『エベレスト・ファイル:シェルパたちの山』
『エベレスト・ファイル:シェルパたちの山』
の読書会記録
マット・ディキンソン 著
原田勝 訳
小学館 2016
The Everest Files by Matt Dickinson, 2014
*この記録をアップしてから、翻訳者の原田さんからコメントをいただきました。ご本人の了解を得て、この記録の後にそれもアップしましたので、ぜひ両方をご覧ください。「言いたい放題の会」では、一読した者たちが勝手な感想を言い合っていますので(それはそれで必要なこととも思いますので)、作家や翻訳家の方たちからは、時に正当なお叱りをいただきます。原田さんも、恐らく勝手な感想に憤慨なさったことと思いますが、理を尽くして丹念に説明してくださいました。深く感謝いたします。
ルパン:ストーリー性豊かで、読んでいるときはおもしろかったのですが……読み終わってから、どうも釈然としないものばかりが残ってしまいました。まず、大統領候補のブレナンが選挙戦中に悠長に登山していていいのか、という疑問。ブレナンに雇われているカミが、ブレナンが休んでいるのに自分は働くことに不平等感を持つのはそもそもおかしい。ジャーナリストであるサーシャが取材相手のブレナンとどなりあったり、ブレナンを面とむかって批判するのもリアリティがない。最後は、カミは全身麻痺、サーシャは死に、ブレナンは世捨て人になり、ニマはブレナンでなくカミを恨んだままアル中に。ともかく救いのない物語。読後感が悪く、登山の様子はよく描かれていますが、子どもに薦めたいとは思いません。物語の意図が、シェルパという職業の人たちにスポットライトを当てたい、ということだったのであれば、完全な失敗だと思います。カミの悲惨な運命には、シェルパへの敬意が感じられません。
アンヌ:最初の語り手が、ギャップイヤーという大学生以前の男の子で、何も知らない様子なのに、いきなり単独行で山奥の村まで医薬品を運ばせるという設定には驚きました。行方不明のカミがほぼ全身まひになっているというところからカミが語る物語が始まるので、ひどいことが起きるのだろうと思いながら読んでいくのはつらく、一度は読むのをやめてしまったほどです。これだけ人が登っているエベレストで、嘘をついてなんとかなると思ったりするのも変で、償いの仕方ももう一つ納得がいきません。最後がエベレストの魅力で終わるのも、奇妙な感じです。山への畏敬の念がない人が書いたんだなと思い、価値観の違いを感じました。お坊さんの話の引用も中途半端で、いかにも「悟り」とか好きそうな欧米人という感触でした。
マリンゴ:惹きつけられる内容で、一気に読みました。ただ、著者のサービス精神が旺盛すぎるように思います。シェルパが山を登って降りてくるだけでも、じゅうぶん読ませるのに。でも、シェルパ族が主人公では、読者がとっつきにくいと思ったのかなぁ。出だしはイギリス人のナビゲーターにしたほうが、イギリスの読者には親しみやすいと考えたのかもしれません。それにしてもシェルパが主人公というのは興味深かったです。これまで登山成功のニュースを読んでも、私自身、関心をもつのは山を登った“外国人”のほうでした。シェルパは高地に強くて、黙々と荷物を運び続ける職業の人、という程度の認識しかなかったので。また描写は、著者本人が実際に登頂しているだけあって、リアルでした。山に遺体があちこち放置されたまま、というのは知らなかった……。遺体を収容できなくても、その場に埋めると思い込んでいたので……。第2弾も出ているとのこと、ぜひ読みたいので、早く翻訳してほしいです。
アカシア:謎に引かれて一気に読みはしましたが、そんなに好きになれませんでした。西欧的な価値観と世界観で書かれているような気がしたんです。たとえばユキヒョウを助ける場面ですけど、自分の生存が脅かされているような地域の人たちは、普通は自分や恋人や家族の命の危険を冒してまで、野生生物を救おうとは思わない。そんなぜいたくはできないんです。それがシュリーヤもカミも、計画もなしに危険を冒す。カミだって携帯電話やメモリーカードを使われたらどうなるかわかっているのにすぐに返してもらおうともしない。この作者はシュリーヤやカミのことを、ピュアだけど知恵なしだというふうに描いているのかと思いました。そうでなければご都合主義。それからカミが頂上まで行けなかったのはカミのせいじゃない。ブレナンが命じたからだし、高山病にかかっていそうなブレナンを支えなきゃと思ったからです。でも、著者はカミに「神様たちにむかって『ごめんなさい』と叫びたい、ばかげた衝動にかられた。あんなに近くまで行ったのに、信仰の証を示せなかったことが申しわけなかった。シュリーヤからあずかった捧げ物を、神々の手にあずけることができなかったことも。そして、ブレナンを頂上に立たせてやれなかったことが申しわけなかった」と言わせている。著者はその後もさんざんカミに悩ませて、雪崩という罰まで加えている。カミはブレナンにはめられたわけですが、首から下が麻痺して寝たきりになり、はめた本人のブレナンが「カミは特別な人間だ」なんて言いながら隠者顔してそばにいる。それなのに著者はカミに「よくきてくれたね」などと語り手に笑顔で言わせている。私は読んでいて気分悪くなりました。歴史的に欧米人に命令されて動くしかなかったシェルパの人たちは、本来ならどこかで生きる知恵を身につけて、割り切り方も知っているはずなんです。もしカミにそれでも申し訳ないと思わせたいなら、遠征隊とは違う理由でカミなりにヒマラヤ(という名前からして西欧的で、この著者の意識を表しているような気がします)の頂上に登らなくてはならない理由があったと著者は書くべきです。それもないので、ご都合主義的に見えます。
パピルス:読んでみたいと思っていた本です。おもしろく読みました。他の方がおっしゃるように、ブレナンがエベレストに登ることで、大統領選にどう影響するのか、おかしいと言えばおかしいですが、そういうものだと思って気にせず読みました。著者がエベレスト登山を経験しているため、ペース配分や酸素ボンベの使い方など細かいところまでリアルに描かれていて、展開を盛り上げたと思います。また、純粋なカミの十代ならではの苦しみがよく伝わってきました。サーシャとの友情や、ブレナンへの忠誠心、シュリーヤへの想いなどです。こういった部分はヤングアダルトならではだと思いました。
西山:おもしろくて一気読みしました。おっしゃる突っ込みどころは、聞けば同感ですが、そういう心理を気にせずに読みました。謎解きで引っ張られてるんですね。ツッコミどころ満載だけど、気にしなければ読める、という読み方自体どうなんだという問題は残ると思います。ただ、テキストだから読みましたが、この表紙で、このタイトルでは、山に興味のない私は手を出さなかったと思います。ノンフィクションだと思っていましたから。
レン:先が知りたくで、どんどん読めました。ストーリーの強さがある作品ですね。ただ、腑に落ちないことがいろいろありました。獣医になる前の社会貢献をする機会としてネパールにやってきた「ぼく」が、いきなりグーグルアースにも出てこないような村に一人で向かうというところで、まずひっかかって。作者はブレナンを嫌なヤツに描きたかったのだろうけれど、あまりに一面的かなとか。内容的に、こんなこと言うかなあ、するのかなあと思ってしまうことがたくさんありました。「シェルパたちの山」と副題にあるのが、あまりピンとこず。山を甘くみちゃいけないということ? 読ませられるけれど、積極的に薦めたいとは思わない本でした。
パピルス:ユキヒョウのところは、カミとシュリーヤが深くつながるきっかけですよね。
花散里:今回の3冊の中で、私はこの本がいちばんおもしろかったです。本書は少年カミを描きたかったのだと思います。ユキヒョウが登場する第3章は、設定が上手いと思いました。シェルパたちの話は、新田次郎の『強力伝』(新潮社)など、山岳小説を思い出しながら読みました。アメリカ人のブレナンなどは物語の登場人物であり、人物像などは、豊富な資金を提供する人間、そういう設定なのかと気にはなりませんでした。ネパールの僻地に医薬品を届ける若者を登場させてストーリーを展開していくことで、カミとシュリーヤの関係性がわかっていくという構成もうまいし、お金がほしくてやってはいけないことをやってしまったという、カミが罪の意識に苛まれていくところも、最後まで一気に読ませると思いました。原田勝さんが訳されたということも、この本を読んでみたいと思った一因でした。
アカシア:でも、この状態で罪の意識をカミに感じさせるのは、西欧的な視点だと思いませんでしたか?
花散里:お金を得るには、それしか考えられなかったのでないでしょうか。
アカシア:だったらなおさら、著者はなぜカミに罪の意識を感じさせるんでしょう?
花散里:ブレナンに対して拒絶できなかったこと、シュリーヤとの約束を守れなかったことを、「捧げ物を、神々の手にあずけることができなかった」と表現したのではないでしょうか。
アンヌ:シェルパの人たちが持っている信仰は別のものではないでしょうか。カミは雇われて山に登っただけ。それなのに、嘘をついたことへの罪の意識とか、罰が当たったことを受け入れているところとか、何か同じ価値観を押しつけている気がします。
花散里:愛情表現ではないでしょうか。
アカシア:カミは遠征隊の中では自由意志が発揮できない存在なんです。シェルパの立場にある人がカミみたいに感じていたら、実際は生きていけないんです。「純粋だけど愚か」という設定にしているんじゃない?
ハックルベリー:児童文学の山登りものといえば、山を登るのは感動的で、基本的にいい人という描き方がほとんどでしたが、名誉名声のために登るとか、シェルパをお金で買って登るとか、汚いものがリアルにからんでいる、というのがおもしろいと思いました。シェルパの人たちの価値観は描かれていると思いますが、なにぶんカミは若いです。お金がほしいとか、愛を貫きたいとか、思いが単純で、まだまだ未熟で、シェルパの地域の価値観もわからない中で、どんどん悪い方に巻き込まれている感じが悲しい。カミはそのつど純粋に悩んで決めているんだけど、ひとつひとつどこかずれていく。カミとニマが山に置き去りにされる場面など、衝撃的で、胸に迫りました。簡単に人の命が犠牲になる、そうして世の中から置き去りにされていく人たちを描いている文学という気がします。山に登るピュアな気持ちとか、感動とかいうより、この世界に置き去りにされていく、というのを描いていると思いますし、それは実際にあることです。そういう社会構造そのもののおかしさとか、愚かなことがつみかさなっていって、こうなりたくないという例の物語として読みました。
アカシア:だれも幸せにはならない物語ですね。
ハックルベリー:「山登りの汚さ」も見るべき、と思いますし、そういう物語があってもいいと思います。
(2016年9月の言いたい放題)
*<翻訳者・原田勝さんからのコメント>
バオバブのブログの読書会の記録で『エベレスト・ファイル』をとりあげてくださってありがとうございます。
2)サーシャがブレナンとどなりあう
3)カミが全身麻痺で終わることについて
4)シェルパへの敬意が感じられない
5)自然への敬意
6)山への畏敬の念と山の魅力
7)カミの罪の意識
8)だれも幸せにならない物語
9)ご都合主義について
10)原作者の意識
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