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2017年3月

2017年3月10日 (金)

『本泥棒』

Photo_22

『本泥棒』
の読書会記録

マークース・ズーサック 著
入江真佐子 訳 
早川書房 2007
原題:THE BOOK THIEF by Markus Zusak,




ジラフ
:とにかく文体が新鮮で、語り口が魅力的でした。ナチス政権下のドイツっていうシチュエーションで、こういう女の子が主人公の話は、ほかにもあるかもしれないし、あり得ると思うんですけど、作者がノートに自由に書きつけていったみたいな、みずみずしいアプローチにぐいぐい引かれて、読み進んでいく感じです。訳者のあとがきによると、最初は100ページくらいの、もっと短い話を書くつもりが、ナチス時代のドイツというシチュエーションを得たことで、物語がふくらんで、こんなに長くなってしまったそうです。登場人物の心象風景がすごくビビッドに伝わってくる表現もいっぱいあって、それは、物語の展開を、語り部の死神が「上から」見ているせいかもしれません。

アンヌ:とても読みづらく、苦戦しました。特にプロローグ。死神のモノローグで始まるので、SFなのかと思ったりしました。その後も、まさか語り手として死神がずっといるとは思わなかったので、なかなか物語の中に入り込めませんでした。死神というものが、神なのか神のしもべなのか、よくわからないせいかもしれません。いきなり、かくまわれているユダヤ人の青年が、絵本を書き、それがそのまま文中に出てくるのも斬新でした。主人公のリーゼルが本を読むことを覚え、やがては防空壕の中や隣家のおばさんに朗読するようになる物語には感動しました。養父母が実は優しい人だとわかってくるとホッとしました。特に、お父さんがとても魅力的でした。飢えている人にパンを与えずにいられないとい人。けれど、それが、罰せられる社会に震撼しました。ヒトラー・ユーゲントについて書かれていることも衝撃的で、このように、与えられた言葉を唱えることの方が重要だという教育を受けると、自分でものを考えない大人になっていく、自分で物事を判断しない、ただの兵士が出来上がるのだなという怖さを感じました。

パピルス:読みにくい本でした。中盤までは一文一文読んでいたのですが、後半は斜め読みをしてしまいました。ちゃんと読めていなくて消化不足なので、あれこれいうのは気が引けますが。まずは文体が特徴的でした。短文でパッパと展開していく印象を受けました。死神の視点で物語が進んでいくというのがおもしろいと思いました。主人公が預けられた家の人たちは、最初は冷酷な人たちに思え、主人公には悲惨な日々が待ち受けていると思われました。ツライ物語かと。が、実は皆良い人だったので安心しました。予想も裏切られておもしろかったです。本を通して主人公が文字を覚えていくところが好きな部分です。ナチス政権下に生きる人々を描いた作品では、『ベルリン1933 』(クラウス・コルドン著 酒寄進一訳 理論社)を読みました。コルドンの作品では、時代背景の描写がもっとしっかりしていてよく伝わり、その時代に懸命に生きた人々の姿が鮮明に描かれていました。なぜ「ナチス政権下のドイツ」をテーマにしたのかがわかりました。ちゃんと読んでないので間違っているかもしれませんが、今回の作品は「皆さんご存知の絶対悪のナチスや、皆さんご存知の絶対悪のヒトラーが」というように、小説を書くための単なる要素の一つとしてナチスを扱っているような印象を受けました。

オカリナ:ここ10年でいろいろ読んだ中で、私はこれがいちばんといっていいほどおもしろかった。死神とあるけど、英語では大文字のDeathでしょうね。日本語では神となっているけど、一神教の場合は神のほうが位が上。だから、別に矛盾はないと思います。それから、ナチスはドイツでも絶対悪というふうには捉えられていないと思います。悪魔のしわざではなく普通の人がああいうことをする流れになっていったのが怖いのです。この作品も、そのあたりをうまく書いています。生と死、愛と別れ、狂気と正気、そういうものをとてもうまく書いている。そして死神にも個性や情をもたせているのもうまい。この作品は言葉の問題も扱っていますが、ヒットラーの言葉と、庶民がつながっていく言葉が別種のものだということがわかる。それから、登場人物の一人一人がとても個性的で、ちょっとしたことから性格やその人の世界観がわかるようになっています。一つ気になったのは、小見出し(死神の言葉)の扱い方。原書でセンター合わせになっているからといって、日本語でもセンター合わせにしたら読みにくい。あんまり考えないで編集してますね。

紙魚:これはきっと、原書がそうなっていたんでしょうね。横書きだとセンター合わせでよいでしょうが、縦書きでこうするのは間違いだと思います。

オカリナ:人物像もそれぞれがくっきり現れてきます。養母も悪態ついてるけど、実はいい人だというのも読んでいるとわかってきます。ヒトラーの言葉と、ふつうの人がつながっていく言葉はちがう、と書かれている部分なんかも深いです。リーゼルの父親への愛情も心を打ちます。だから死神もリーゼルを特別扱いするんですね。

ルパン:すみません、まだ途中までしか読んでいないんですど、出だしのところから、「死神が語っている」という設定が子どもにわかるのかなあ、と思ったし。あと、各章のはじめに見出し? みたいなものがあるのですが、これがわかりにくいうえに、ストーリーの先取りみたいなこともしていて、それがじゃまをして話の世界にどっぷりつかれない。

オカリナ:ここは必要だけど、訳が不十分なので、有機的につながっていないんですね。

紙魚:そもそもは一般書だったのに、アメリカでヤングアダルトとして刊行したらすごく売れたという話を聞いて気になっていたので、じつは映画を観てしまっていました。なので、すでにあらすじが頭にあり、みなさんよりは読みづらくはなかったと思うのですが、それでもやはり難航しました。この本の印象は、読み手がどう死神とつきあうかで変わると思うのですが、本のつくりのせいなのか翻訳のせいなのか、どうも死神にうまく引っ張ってもらえなかったように思います。でもこの本は、死神を語り手にしたからこそ、時間も場所も自在に移動できたんですよね。作中好きだったのは、地下室でリーゼルが本を読む場面です。そのシーンが読みたくて、読み進められたといってもいいくらいでした。弟も死んでしまい、両親とも別れ、なにも持っていない女の子が、言葉を手に入れることで生きる力を得ていくということが書かれている物語です。ああ本っていいものだなあとあらためて素直に思えました。私も本の世界にたずさわる者として、なんだったら、盗んででも本を読んでほしいなあとさえ思いました。実際のところ、状況はまったく別ですが、もしかしたら将来、本の世界がやせ細り、読みたい本が読めない時が来てしまうかもしれないと、最近、危機感を抱くこともなくはないんです。

きゃべつ:売れる本だけをつくろうとすると、多様性が細っていくような気がするので、そうならないようにできればと思います。

紙魚:自由に好きな本が読める喜びを、本の中で感じました。途中、マックスの書いた寓話が入っていますが、あの部分、よいリズムを生み出していますよね。それにしても、アメリカでベストセラーになった本で話題性もあったというのに、なぜ日本では売れなかったんでしょうかねえ?

オカリナ:日本語版の体裁や、死神の台詞の部分が読みにくいですよね。私は、小見出しをとばし読みしました。私も映画をDVDで見ましたが、映画より本のほうがおもしろかったです。せっかくの内容なのに、編集の仕方で損をしてると思います。

ルパン:もし書店や図書館でプロローグだけ立ち読みしたら、そのまま棚に戻していたかもしれません。

アンヌ:字を太くして強調されると、逆に読みにくくなってしまうと思います。

オカリナ:英語で太い字になっている部分を機械的に太くしているのでしょう。もっと配慮した編集をしないと、いい本だって売れないですよね。もったいない。

きゃべつ:字を大きくしたりするのは、ハリーポッターから目立つようになった気がしますね。

ルパン:アスタリスクも気になります。内容はいいんですけどね。気に入っているのは町長の奥さんが「盗んででも本を読んでもらいたかったの」というところです。

レン:ごめんなさい。まだ3分の1くらいしか読めていないんです。おもしろいと言われたので、どこかですっと読みだせるだろうと期待してきたんですけれど、まだ入りこめていなくて。語り手が死神であることも、50頁くらい行ったところで、ソデの「わたしは死神。」というのを読んで初めてわかったのですが、それがわかっても、やっぱりなかなか進みませんでした。

 

レジーナ:数年前に読み、非常に心を動かされました。しかし、日本語が読みにくい部分もあるので、それを含めて考えたくて、読書会で読みたいと思っていました。語り手は、人間らしい感情を持つ死神です。毎日のように空襲があり、収容所へ向かうユダヤ人の行進が町を通る時代です。どこにも希望が見出せず、死さえも救いとなるような状況は、いわば神なき世界であり、そうした中では、神は死神となるしかない。しかし、この死神は死をもたらすだけではなく、人間らしい生き方を貫いた者、他者への思いやりを持ち続けた者に目を留めます。言葉に生かされるリーゼル、死んでいく敵国人パイロットのそばにクマのぬいぐるみを置くルディ、ユダヤ人にパンを差し出す父親……。死神は、瓦礫の中に最後まで残る人間性を照射しているのです。リーゼルを支える周りの人々の描写が温かいですね。父親は、煙草を売って本を手に入れ、読むことを教え、出征の前には、「防空壕で本を読み続けるように」とリーゼルに言います。この時点では自分でもまだ気づいていないのでしょうが、リーゼルにとって物語がどれほど大切か、父親はちゃんとわかっているんですね。リーゼルを愛する母親やルディも、深い悲しみの中を生きるフラオ・ホルツアプフェルも、粗野で武骨で、文学に関心があるわけではありませんが、豊かなものを持っている人たちなのでしょう。
 この本には、人がいかに言葉に生かされるかが描かれています。一番心に残ったのは、リーゼルが、収容所に向かうユダヤ人の列の中にマックスを見つけ、「ほんとうにあなたなの?」「わたしが種をとったのは、あなたの頬からだったの?」とすがりつく場面です。マックスはリーゼルに物語を書き、リーゼルは、病気のマックスのために石や羽を拾っては、それにまつわる物語を聞かせます。そんなマックスが収容所に送られたことで、リーゼルは、言葉というものを信じられなくなったのではないでしょうか。人は嘘をつくし、上っ面だけの言葉を言うこともあります。マックスはどうしようもなく去っていくのですが、それでもリーゼルは、マックスを失って、世界は生きるに値しない、言葉で語るに値しない、言葉は役に立たないと感じたのではないでしょうか。
 私は4歳の時から毎日、日記を書いていますが、数年間どうしても書けなかった時期がありました。本当に絶望したとき、人は言葉を失い、自分のことを語れなくなります。リーゼルは、町長夫人の言葉をきっかけにして、悲しみを乗り越え、自らの物語を書きはじめました。長田弘さんの詩に、「ことばというのは、本当は、勇気のことだ。人生といえるものをじぶんから愛せるだけの」とあります。言葉は、世界や人生への信頼に根差したものなのだと思います。リーゼルという名は、ドイツ語の “lesen”(読む)という単語に少し似ています。言葉を渇望し、物語を愛した少女にふさわしい名前です。国際アンデルセン賞の受賞スピーチで、画家賞を受賞したホジェル・メロさんは、「言論の自由が奪われた時代に育ち、政府に好ましくないことを書いたために連れて行かれる人々を目にする中で、言葉がどれほど力を持つかを知った」と語っていました。言葉には大きな力があり、だから権力者は言葉を恐れて焚書を行う。ナチスは中身のない言葉やスローガンを植え付け、考えない国民を育てる。先月、『ベルリン』三部作を書いたクラウス・コルドン氏が来日しました。若い人に向けて歴史小説を書く意味についてお話され、「歴史的な出来事の真実を書きたい」とおっしゃっていました。真実を語ること、同時に、真実を語れる環境を守っていくことが必要ですよね。

(2014年12月の言いたい放題)

『図書館の神様』

Photo_21 『図書館の神様』
の読書会記録


瀬尾まい子 著
ちくま文庫 2009
マガジンハウス 2003





きゃべつ
:瀬尾さんは好きな作家です。瀬尾さんの作品では、いつも主人公が、自殺したくなったり、恋人が死んでしまったり、どん底の状況になることが多いですよね。でも、生老病死は避けられないけれど、だからといって救いがないわけではないということを、いつも全力で言っていて、そういうところが児童書らしいなと思います。この作品でも、最後のところで、救われる場所や人はちゃんといる、ということを書いていますよね。作品の根が明るいところが、森絵都さんの作品に通じている気がします。

オカリナ:私、この本のよい読者ではなく、身につまされるところがあってそこを中心に読んでしまいました。この主人公は本嫌いなんですね。で、私も今、本嫌いの人たちと付き合わなければならない立場にいるのです。だから本嫌いの人って、そうか、こんなふうに思うのか、こんな反応をするのか、だったら、こっちはどうすればいいのかな、なんて考えながら読んでしまいました。

きゃべつ:瀬尾さんは、たしか司書さんでいらっしゃいますものね。もしかしたら、そういった読書嫌いの子と日々向かい合っているのかも知れません。

オカリナ:読後感のいい小説ですね。

アンヌ:頭痛を逃れるためにスポーツに打ち込むという設定には、じんましんの痒さを逃れるためにスポーツを始めたと言っていた人がいたので、リアリティを感じました。ただ、ここまで本を読まない国語の先生なんているはずがないと思ったのですが。

一同:いっぱいいるんじゃないでしょうか。

アンヌ:垣内君が、高校生にしてはできすぎているようで。夜中に電話をしても怒らないし、なんだか主人公のことを、呆れながらも見守ってくれている老紳士のようでした。弟も心配して5年間毎週のように様子を見に来てくれているし、3人の男性に守られて時間とともに更生していく話と感じました。ただ、夏目漱石の『夢十夜』をとても怖がりながら読みんだり、授業で生徒たちと語り合ったり、生徒の書く物語を読む場面は好きでした。先生には、こんな楽しみもあるんだなと思いました。

ジラフ:この作家は好きで、わりとよく読んでます。自殺未遂だとか、この作品もそうですけど、何かつらいことがあって、水の中でじっと息を潜めているみたいにやり過ごしている時間のことがよく書かれていて、読み終わった後にある種のカタルシス、清々しさを感じます。淡々としていて、地味な作品が多いのに、この読後感にもっていけるのは、作者に力があるんだと思います。主人公が恢復していく場所が、この作品では図書室で、ここで「袖振り合う」というくらいの淡い出会いがあって、でも、たがいに必要以上に深くは踏み込まないで、また別れていく。そのあっさり加減がいいんです。でも、「袖振り合うも多生の縁」で、やっぱりそれはかけがえのない、再生に不可欠な、ひとつの出会いのかたちなんだと思います。

レジーナ:さらっと読みました。主人公はバレーに一生懸命で、正論を語りますが、正しさというのはひとりよがりになることがあるし、人を追い詰めることもありますね。特に悩みを抱えた人は、正しさを求めているわけではなく、自分の気持ちを受け止めてもらいたいだけだったりしますよね。でも高校時代の主人公には、それがわからなかった。不倫についても、相手に嘘をついてないから裏切ってないかというと、そうではないように、人間関係や人生には白黒つけられない部分があって、この作品はそこを描いているのだと思いました。浅見さんは自分の教え方に問題があるから、生徒が料理教室をやめていくことにも気づいていません。子どものような大人ですね。魅力が感じられませんでした。主人公と垣内君が、日本十進法から教科別に、本の並びを変える場面があります。一時、赤木かん子さんの提唱で、すべての本を内容別に並べる学校が増えました。しかし非常に使いにくく、今、困っている学校がたくさんあります。特定の主題にくくれる本ばかりではないですし、ひとりの担当者の考えでその本の主題を決めても、どう分類したのか、後から配属された人にはわかりません。p122(※単行本)に、10年以上寝たきりだったおばあさんがサナトリウムに入ったとありますが、ホスピスではないでしょうか。今の時代、結核患者のサナトリウムはあまり見かけませんが。

レン:さらっと読みました。大人の童話だなと思いました。高校生も読んでると思うけれど、大人が懐かしんでいる感じがして。主人公は社会人になってもまだ自分探しをしていて、大人になりきれない大人が、中高校生に寄りかかる。そういうのを私は、積極的に中高校生にあまり勧めたくないなあと。親が子に不満をぶつけるとか、高校生に頼ってしまうという状況がいやなんです。

紙魚:私も大いにそう思います!

レン:大人に守られるべき18歳以下の子にもたれるというのは逆だろうと。

オカリナ:この主人公は浅見さんには寄りかかっているけど、垣内君には寄りかかってないと思う。不満をぶつけたり、悩みを打ち明けたりはしていないから。

レン: 最終的に主人公は救いを見いだすし、読者も希望を抱けるのかなと、みなさんの話を聞いているうちに少し思えてきたけれど、それでも、大人の童話かな。

オカリナ:いや、この主人公もまだ大人にはなってないんじゃないかな。20歳で自動的に大人になれるわけじゃないから。垣内君は、何か問題を抱えていそうな主人公にやさしいけど、それだけで、別に負担に感じたりはしていない。一定の距離をおいて対応しているんだと思うな。

紙魚:物語の印象が非常に軽やかでふわふわしていて、やや頼りない文体、あいまいな人物設定には、個人的には信頼しがたいなと感じてしまいました。自殺とか、不倫とか、病とか、通常、ごくごく気をつけて扱うべき事柄を、あっさりと書いてしまうことにも、ちょっと違和感を持ちます。でも、もしかしたらそれも、作者の意図なのかもしれません。というのも、この小説には、深刻さの押し売りがなかったなと。読み進めるにしたがってだんだんと、登場人物の事情がちらっと見えてきたり、人がどう本から影響を受け変わっていくかということが伝わってきたり。人間関係はすごくやっかいでめんどくさいことは、もちろん作者だって承知のうえで、でもそれを最初から書かず、解像度が低い景色から、だんだんと識別可能な精密さへ持っていこうとしているのかなとも思います。ただ、正直なところ、この主人公はあんまり好きになれなかったです。大人とは思えなくて。

オカリナ:主人公は垣内君に頼ってはいないですよね。

紙魚:確かに、頼っているわけではないんですよね。このような大人と少年の関係性は、山田詠美の初期の作品などにもちょっと似ている感じがあります。

きゃべつ:先ほど、森絵都さんの『ラン』(角川文庫)と作品が似ているという指摘がありましたが、たしかに『ラン』の主人公も22歳で、児童書の主人公になる年齢ではないし、子どもでいていい年齢でもないと思います。ただ、肌感覚として、社会人1、2年目って、ほんとうにぐらぐらしていて子どもだし、森さんにしても、瀬尾さんにしても、大人として描いていないのではないでしょうか。このお話のユニークなところは、文芸部の顧問と生徒だったら、顧問が詳しくて、生徒がやる気ないのがふつうだけれど、それが真逆なところですよね。立場が逆転しているからこそ、先生と生徒という関係性でも、対等でいられるのではないのかなと。だから、精神的に依存しているわけではないのだと思います。たしかにその軽重を理解せずに、安易に生老病死を扱ってはいけないですよね。そのことは、新人賞の選考会でもよく話題になりますが、瀬尾さんの場合は、その重みはよくよく分かっていて、わざと問題そのものを真っ正面から描かず、回復していく心に焦点をあてているのではないかなと思います。生老病死に苦しむ気持ちは読者の内側にあるから、それを借景にして、そこから先を書く、というような……。

パピルス:読みやすくてパッと読むことができましたが、特におもしろいとは思いませんでした。人物描写が薄っぺらいというか、例えば、最初に不倫相手が出てきたときの会話では、「不倫相手」(男性)と会話してるというのがわかりませんでした。同性との会話か、ファンタジーみたいに人間じゃない生き物と会話をしてるのかな? って思ってしまいました。主人公は過去に傷があり、再生していく物語であると帯で謳われていました。その傷というのが同級生の自殺でした。傷を表現するためにとってつけたように死を持ってきたような印象を受けました。

ルパン:これ、半分くらい読んだところで、ようやく「前にも読んだことある!」って気がつきました。

オカリナ:印象が薄い本なのかしら。

ルパン:エンタメとして読んじゃいました。同級生の死に責任を感じている、っていう設定なのに、いまひとつ「重さ」が伝わってきません。国語の教師が、高校生に触発されて本を読み出す、というのも、まじめに考えたらちょっと……。とりあえずおもしろかったけど、マンガみたいな感じでさらっと読んじゃったからだろうな、と思います。

(2014年12月の言いたい放題)

『とびらをあければ魔法の時間』

Photo_20 『とびらをあければ魔法の時間』
の読書会記録


朽木祥 作
高橋和枝 挿絵
ポプラ社
2009



アンヌ:花柄模様の陶器の犬が出てきたので、『とびらをあけるメアリーポピンズ』(P..トラヴァース作 林容吉訳 岩波少年文庫)の「王さまを見たネコ」を思い出し、きっと、この犬もきっと動きだすぞとわくわくしながら読み始めました。思ったとおり、クッキーの甘さにほっとできるような別世界が開く物語でした。ただ、もう少し物語の展開をのんびりしてもらいたかったような気もしました。本の中から出てくるのが、動物とお菓子。これを1日にしないで、動物の日、お菓子の日、音楽の日、で、もう1度音楽、くらいな流れはどうだろうと考えてみたりしました。でも、3回もサボったら、先生から電話がかかって、レッスンをさぼっているのがばれるから、2回が限度かもしれませんね。こんな風にあれこれ構成を考えてしまったので、他の作品を読んでみたくなり、『あひるの手紙』(朽木祥作 ささめやゆき絵 佼成出版社)を読んでみたら、これもおもしろく、見事な構成の作品でした。

レジーナ:おもしろく読みました。子どもの時に出会っていても、きっと楽しく読めた本です。ファンタジーの場合、世界を作り過ぎる作家もいますが、そうではなく、曖昧なままで終わるのが見事ですね。

レン:すいすい読めました。おもしろいけれど、どこか既視感がある感じ。賢治の『注文の多い料理店』と似ているかな。ピアノ教師の知り合いの話を聞くと、この主人公みたいに、まじめに練習しているのにできなくて追いつめられるような子は少なそうなので、書きだしのところでどこまで今の子が物語にのってくるかなというのは、ちょっと思いました。

きゃべつ:こういうふんわりとしたお話をどう読めばいいのかわからなくて、読んでいて、気になるところがずいぶんと出てきてしまいました。まず、気になったのが、情報が後出しじゃんけんになっているところです。最初に、音楽の練習に行きたくないという話が出てくるけれど、次のページをめくって絵を見るまで、主人公がなんの楽器をやっているのかがわからず、とまどってしまいました。「メヌエット」という言葉だけで、バイオリンとわかる人が多いのでしょうか。「谷戸」や「☆のように急がず」という言葉に、注訳が入っているのも気になりました。主人公がこの言葉を理解できていないのに、読者だけがわかるだなんて、へんな気もします。あと、「鳥ノ井驛」も旧字をすんなり読んでいたりして、そういったところに、作者の存在を感じてしまいました。この物語で不思議なのは、人が出てこないところで、たとえばすずめいろ堂にはじめて入るとき、他人の家に入るのに、主人公は住んでいる人の姿を熱心に探しません。そして、勝手に人の本を手に取ってしまう。なぜ、そこには本しかないのか、なんのために存在する場所なのか、など気になることはたくさんあります。たとえばそこにおじいさんでもいたら、そのあたり違和感なく、また注釈での説明を必要とせず、伝えられたのではと感じました。

この作品がいいのは、「すずめいろどき」という言葉(概念)を使っているところだと思います。でも、すずめいろいろどきってどんなだろう、ってうまくイメージができなくて、そのせいか、世界にひたることができませんでした。すずめいろどきのあいだだけの魔法というのが魅力的なのに、最後のところで主人公が「営業時間をのばしてくれるかも」と安易に言っているのが、少し興ざめでした。あと、小見出し、2行取りで鳥が2羽以上いるのは、窮屈な感じがすると思いました。でも、高橋和枝さんの絵は、やっぱり素敵ですね。とてもよかったです。

オカリナ:この本屋さんは異空間なので、現実的でないところがあってもいいんじゃないかな。かえってその方が、異空間にさまよいこんだ感じが出るので、著者はきっと敢えてそうしているのではないかと思います。人が出てきたりしたら、リアルな日常空間になってしまいそうです。子どもって、どうしていいかわからなくなったとき、自分で視点を変えることってなかなかできない。それが、本という異世界で別の視点を獲得すると、何か見えてくる。そんなことをこの本から感じました。

レン:あさのあつこさんの『いえでででんしゃ』(佐藤真紀子絵 新日本出版社)も思い出しました。いやなことがあって家出したあと、おかしな人といっぱい会って、そこから戻ってくる。ストレスをかわすのに、こういうお話はいろいろあっていいのかもしれないですね。

オカリナ:この作者の方は、研究などもしておいでだったようなので、谷戸などにもちゃんとわかるように注が入ってるんですね。

ジラフ:楽しかったはずの習いごとがいやになって、でも、「自分で(楽器が)ひけたら、どんなにうれしいだろう」という、習い始めの楽しかった気持ちを思い出すまでのことが、とてもうまく書かれていると思いました。見知らぬ駅が、不思議な異空間への入り口になっているのもよかったです。ただ、このファンタジーの背景になっている「すずめいろどき」という時間が、具体的にどういう時間なのかイメージできなかったので、最後まで霞がかった感じがぬぐえなくて、そのことはずっとひっかかりました。「すずめいろどき」という言葉に、私はこの本で初めて出会いましたけど、どこかの地域の言葉なんでしょうか。

オカリナ:空の色ではなく、暮れなずんできたときの街並みがすずめの色みたいに見えるんでしょうか?

レン:スズメの色を、あらためて見てしまいますね。

アンヌ:こうやって本を読んだ後に、ある時ふと黄昏に、「ああ、これが『すずめいろどき』なのか」と思ったりする楽しみがありますよね。

紙魚:朽木さんの本なので、もしや教養がぎっしりつまっている物語なのかしらと思いながら読み始めたところ、いえいえ、とってもおもしろくて、物語の中にどんどん入っていくことができました。感銘を受けたのは、音楽という、文章で表現するのがもっとも難しいものが、まるで自然と音がきこえてくるかのように表現されていたことです。ふだん私たちは音楽を、美術など芸術の範疇のなかで語りがちですが、朽木さんは、そこから見事に解放されて、音楽をおかしや動物との対比によって表現している。そうか、音楽って、好きなもの、楽しいものという範疇の中に入れて、こんなふうに表現すればよかったのかと、すがすがしく感じました。

ルパン:既視感があるお話なのだけど、不思議とそこがよかった気がします。子どもの本の王道、という感じですよね。斜に構えていないところがとても好感がもてました。大傑作ではないけれど、珠玉の佳作というか、くせも気取りもなくて、読み終わったあと幸福感があって、とてもいいと思いました。

オカリナ:読者対象を考えると、あまりひねっても仕方がないですもんね。

ルパン:「お約束どおり」にストーリーが進んでいく安心感が得られます。「平凡」なのではなく、「安心感」。おさまるべきところにすとんとおさまるうれしさ、みたいなものがありました。

紙魚:p84に、「そうだった。ずっとわすれていたけど、わたしもまえはそう思っていたのだ。大すきな音楽を、きくだけじゃなくて、自分でひけたらどんなにうれしいだろうって。」という文章がありますが、この本をずっと読み進めて、ここにたどりついた時、本当に心がふわっとして、私まで、ああそうだったという気持ちになれたんです。おそらく作者は、この境地を描きたかったのではないでしょうか。私も子どもの頃ピアノを習っていたのでわかるような気もするのですが、子どもの時って、どんなにピアノが好きでも練習はいやだし、うまくなろうと地道に練習しようと考えたりもしないんですよね。でも、お稽古をやめるときかれれば、やめたいわけでもない。小さい時って、先のことを考えずに、そのつど今を生きていますから。ただ、ふと「そうだった」と思う時もやっぱりあったりするんです。このあたりのことが、なんとも自然に描かれていて、すごいなあと思いました。

ルパン:最後のところで、ピアノを始めたばかりの頃の気持ちにもどるところ、「そう、そのせりふを待っていたの」と言いたくなりました。このお話のすべては、そのひとことに至るまでの道だったんだね、という、いい意味での予定調和ですよね。結末はわかっているのだけど、そこまでのプロセスがちっとも飽きさせなくて。

オカリナ:お話の長さもちょうどいいですね。これ以上長くなると、冗長になります。

パピルス:主人公の女の子の気持ちがよく伝わり、おもしろく読みました。高橋さんのイラストも可愛く文章とぴったりで、お話の世界に自然に入り込めました。年末は仕事だったり家庭のことで忙しくて落ち着いて読書ができないのですが、時間があるときに再度ゆっくり読みたいと思いました。主人公の女の子が本から「文字」を通してメッセージを受け取るのではなく、本を開くとクッキーが出てきたり、音楽が流れてきたりして、それらがメッセージとなって女の子に伝わるという設定に感心しました。対象読者である小学校低・中学年の子に、本を読む楽しさがわかりやすく伝わるなと思いました。

きゃべつ:あっ、今調べてみてわかりましたが、「すずめいろどき」ってほんとにあるんですね。たそがれどき、夕暮れどきのことを言うようです。

(2014年12月の言いたい放題)

『川かますの夏』

Photo_19 『川かますの夏』
の読書会記録


ユッタ・リヒター 著
古川まり 訳
主婦の友社 2007.06
原題:HECHTSOMMER by Jutta Richter




ルパン:時代設定がよくわからず、なかなか話に入れませんでした。お城の中に住んでいて、伯爵もいるようなので昔なのかなあ、と思うとスクールバスが出てきたり。

アカシア:現代のものか一昔前のものかは、携帯電話が出てくるかどうかで判断できますね。これは、出てきませんよ。

ルパン:たまたまなんですけど、直前に『庭師が語るヴェルサイユ』(アラン・バラトン著 鳥取絹子訳 原書房)っていう本を読んだんです。ちょうどヴェルサイユ宮殿のなかに住んでいる庭師が書いた作品で。そのイメージがあったので、「お城に住んでいる子どもたち」の特別なおもしろさを期待してしまったら、ちょっとはずれました。ただ、お城の敷地のなかだけの生活で、男の子としか遊べない主人公が、「女の子の友だちがほしい」と思うあたりはよく描けているなあ、と思いました。ただ、この子のお父さんはとてもいい父親のようなのに、離婚後はまったく会いに来ないのはどうしてだろうという疑問は残りました。

アンヌ:私にとっては、残虐な場面が多い物語という感じで、読み返せませんでした。孔雀の足はとれてしまうし、川かますは無意味に殺される。川かますの神様とか言っているので、アイヌの神のように何かその命を送りだす儀式とか意味とかあるのかと思ったのだけれど、そんなこともない。まともな大人が、現実の中に出てこない。離婚して今はいないお父さんの思い出と、病気のゲゼルおばさんだけで。がんの描き方も、あとがきを読まない限り30年前の話だとは分からないので、ショックを感じる読者もいるのではないかと思いました。これが映画だと美しい景色を外から眺めて楽しめたかもしれないけれど、本だとその中を生きるような気がするので、気が滅入った物語でした。それから、ラッドとは何か、どんな魚なのか、すぐにわかるように、注を入れてほしかった。

ルパン:アンナは不治の病のおばさんに最後までお礼が言えないままで終わるんですよね。そこがほんとうに残念でした。アンナも残念だったはずなので、感情移入したということかもしれませんが。

パピルス:7年前に読んだのですが、内容を全く覚えていません。読んだ当時、よく理解できていなかったのだと思います。

レジーナ:先ほど残酷だという意見がありましたが、私はそうは思いませんでした。子どもには残酷な面があり、虫の脚をちぎることもあるし、取り返しのつかない瞬間を繰り返し、後悔を重ねながら生き物との距離感を学んでいくのだと思います。巨大な川かますは、母親の死、死の不可解さや不気味さを象徴しているのでしょうか。ダニエルが川かますと向き合う様子は、幼なじみの少女の目を通して描かれます。当事者にしかわからないことがある一方、当事者じゃないからこそ見えるものがあり、アンナの視点をとることで、それが見事に捉えられています。ダニエルやギゼラおばさんに対して何もできず、アンナは無力感を感じます。また女の子である自分は、母親には望まれていないのではないかと感じたり、離れて暮らす父親を恋しく思ったり、友人関係に悩んだりしながら、父親のお話に出てくる「バカルート人」のように振舞うのではなく、自分の頭で考えることを学びます。この本のテーマは、失われた子ども時代への追憶です。目をこらし、川底の川かますを見つめるかのように、2度と戻らない瞬間を切り取っています。「読者はこうした本も理解できる」と信じて書く作者には、子どもの持つ力への信頼があるのでしょうね。

プルメリア:渋谷区の図書館には残念ながら蔵書がありませんでした。

 

アカシア:いつも児童書を出している出版社ではないので、図書館の方がじっくり読んでから判断しようと思っているうちに、品切れになってしまったのかもしれませんね。内容ですが、私も残酷な話だとは思いませんでした。もっと残酷なシチュエーションにおかれている子どももいっぱいいるし、子どもそのものも残酷な面を持っていますからね。全体としては、私は子どもの心理がとてもうまく書けているし、この年齢ならではの、つらいけれどもきらきらと輝くような子どもたちのありようが描写されていて、すばらしい作品だと思いました。ただ、最初のほうは、登場人物の関係性がわからなくて、とまどいました。この子どもたちはきょうだいなのか、と思って読んでいたら、途中でどうも違うらしいとわかったり。子どもにすり寄らない、つまりお子様ランチ的ではないこういう作品は、訳すのが難しいですね。フランス在住の方のせいなのでしょうか、60ページには乱暴な言葉使いのお母さんが「~かしらん」と言ったりしています。まあ、その辺は編集がフォローしなくてはいけない部分だと思いますが。いい本を読んだという満足感がありました。

(2014年11月の言いたい放題)

『わからん薬学事始 1』

Photo_18 『わからん薬学事始 1』
の読書会記録


まはら三桃 著
講談社
2013.02





アンヌ
:最初は、題名から江戸時代の漢方薬の話かと思いました。漢方薬も出てきますが、主に生薬の話という設定はおもしろいだろうな、という期待を持って読みだしました。先が気になって、3巻とも読んでしまいました。表紙に薬草の絵とそれぞれの巻の物語の中に出てくる動物の絵が描いてあり、薬草辞典も付いているという装丁が素敵でした。ただ、気になったのが、マンガのような会話の言葉遣いです。75歳の下宿の管理人が 「じゃぞ」とか言っていて、さらに、2巻の中国人のセリフが「~あるよ」となっていて、現代の作品でこれでいいのかと思いました。嵐のセリフもバンカラ風で気になりました。数々の謎が提示され、それが各巻ごとに解決されていきます。例えば、下宿の住人についての謎や、管理人やその家族についての謎とか。最終的には、新・気休め丸を作る過程の中で、草多の父親はどうなったのか?久寿理島とはなにか?という謎を解いていく仕組みなんだろうなと思いました。主人公に薬草や薬の原材料の声が聞こえる能力があるという設定に、なんとなくマンガの『もやしもん』(石川雅之 講談社)を思い出しました。下宿の設定には『妖怪アパートの幽雅な日常』(香月日輪 講談社)を。

レジーナ:都会に出てきた主人公が、個性的な仲間とともに下宿し、学校生活を送る物語はよくありますが、薬学というのがユニークですね。動物実験が苦手なために留年し続ける嵐など、登場人物の設定もおもしろかったです。草多が新しい環境で奮闘する中で、彼の出自や「気やすめ丸」をめぐる謎を少しずつ明かしていく手法も上手です。まはらさんの『鷹のように帆をあげて』『鉄のしぶきがはねる』『たまごを持つように』はどれもよく、多くの人に読んでほしい作品ですが、本を読まない子どもが、なかなか手に取らないのが残念です。この本は表紙も洒落ていて、子どもの目にとまるようです。読みやすく、内容もしっかりしているので、この本をステッピングストーンとして、まはらさんの他の作品へと読み進めていってほしいですね。

プルメリア:書名を耳にしたとき時代物かと思いましたが、違いました。本の装丁が洒落ているなと思いました。また薬草の紹介も気に入りました。作品の内容が、イメージしていたこれまでのまはらさんの作品と違っていたので驚きました。テレビドラマのように展開しているような感じで読みました。次作も読みたいですが、3巻で完結なんですね。

アカシア:私はおもしろくずんずん読めたんです。でも、立ち止まって考えてみると、まはらさんはこれまで念入りに取材をして現場のリアリティを読者に伝えようとして作品を書いてきたように思うんです。これは、最初からファンタジーの要素が入り込んできているので、この読書会でとりあげた『鷹のように~』とも『鉄のしぶき~』とも、そこが違うように思いました。登場人物もステレオタイプで、漫画っぽい。リアリティを捨て、ドタバタ的なおもしろさも入れて、読者にサービスしているのかな。それとも、作家ご自身がちょっとリアリティから離れたいと思われたのでしょうか? 私はリアリティを追求するこれまでのまはらさんの作品がとても好きだったので、ちょっと拍子抜けでした。まあ、薬草についてはいろいろと調べられたと思いますが、こういう作品はほかの作家にも書けるように思うので、まはらさんにはリアリティを追求しつつおもしろいものを書いてもらえればうれしいというのが、正直な気持ちです。

ルパン:残念ながらこれはおもしろくなかったです。リアルでもファンタジーでもなく、何もかもが中途半端でした。薬学の学校は『ハリー・ポッター』のホグワーツ魔法学校を思い出させるものの、そこまで行ってない感じでした。

(2014年11月の言いたい放題)

『14歳、ぼくらの疾走』

14 『14歳、ぼくらの疾走』
の読書会記録


ヴォルフガング・ヘルンドルフ 著
木本栄 訳
小峰書店 2013.10
原書:TSCHICK by Wolfgang Herrndorf, 2012
*ドイツ児童文学賞受賞



プルメリア:表紙を広げると1枚の絵になるつくりがよかったです。最初は淡々とした内容でしたが、読んでいくうちにひきつけられました。主人公は登場人物と関わりながら成長していく。作品全体に会話文が多いせいか、場面や状況がよく分かり心情に寄り添えるので気持ちに入っていけました。日本にありそうでない作品でした。登場人物の考え方が変わっていくのがいいですね。

レジーナ:同級生に「サイコ」と呼ばれる主人公は、クラスでも浮いた存在です。走り高跳びでかっこいい姿を見せられると思っていたのに、実際はそうではない。酔っ払って登校したり、車を盗んだり、チックは主人公以上にアウトサイダーです。ふたりは旅の間、さまざまな人に出会います。オーガニックのものを食べ、本に詳しい大家族、浮浪児の少女、人里離れた沼地で暮らすおじいさん、事故にあったふたりを助けてくれるおばさん……みんなどこか風変りですが、実に魅力的です。麦畑を車で走り、ミステリーサークルのような跡をつける場面をはじめ、ドイツの景色も鮮やかに描かれています。『シフト』(ジェニファー・ブラッドベリ著 福音館書店)を思い出す設定です。『シフト』はすらすら読めて、映画を思わせる場面展開でしたが、『14歳、ぼくらの疾走』はもっとていねいに、時間をかけて書いている印象を受けました。書き急いでいない小説ですよね。もとの文体がくだけた表現なのかもしれませんが、p6の「僕のいってること、わかりにくい? ですよね、スミマセン。あとでまたトライする」といった言葉づかいには、慣れるのに時間がかかりました。

パピルス:児童文学を読むのが久しぶりだからか、序盤は文章が全く頭に入らず、何度か一から読み直しました。文章が頭に入ってくるようになると、終盤までおもしろく一気に読めました。二人が旅に出た理由がよくわからなかったのですが、通して読むと理解できました。最初は自他共にさえないと思われていた主人公でしたが、だんだんと魅力があることがわかってきました。私は主人公に気持ちを入れて読んでいたので、そのところでとても爽快な気持ちになりました。一部、ジャンク的な表現があり、10代の子が理解できるかな?という部分がありました。また、冗談を言い合う場面で、「ユダヤ系ジプシー」など、日本人には分かりづらい表現があったのが気になりました。

アンヌ:出だしの部分が入りづらかったのですが、病院に入院して、看護婦さんと話し出すあたりから読みやすくなりました。読み出すと、勢いづいてどんどん読み進めました。読み終えてから、この物語を思い出すたびに、尾崎豊の『15の夜』の曲が頭の中に流れ出すような疾走感を感じました。主人公とチックとの二人の旅は、いかにもバカンス中のドイツらしく、男の子二人でうろうろしていても、誰も変だとは思わない。どきどきするけれど、実は、悪いことがあまり起きない。会う人も、皆いい人ばかりで、その中で、東ドイツのソ連との戦闘の物語を知ったりする。この作者がうまいと思うのは、例えば偶然出会ったイザという女の子について余計な身の上話などさせずに別れさせるのだけれど、でも、その後、手紙が届くところ。冒険が終わった後も、続いていく未来を感じさせる気がします。

アカシア:確かに面白い。スピードもある。変わった人も出てくる。ドイツには珍しいのかもしれませんが、ドイツ以外なら、この手の作品は結構あるかな、と思いました。この作品は、たぶん今の若者のスラングでリズムよく書かれているんでしょうし、話の仕方でその人の人となりを表している部分もあるんでしょうから、訳が難しいですよね。子どもたちのやりとりは、とてもじょうずでおもしろく読めましたが、たとえばヴァーゲンバッハ先生のp287あたりの嫌みな話し方は、そのいやらしさが今一つ伝わってこない。難しいところですよね。日本語でこんな話し方をする人はいませんから、どういうニュアンスでこの先生はこんな話し方をしているのかが、伝わらない。

 それから原題は『チック』ですね。『チック』とつけたかった著者の気持ちはよくわかります。この作品で書きたかったのはチックなんですよね。だとすると、とんでもなくイカレテるけど、とっても魅力的、でも、自分はゲイじゃないから越えられない一線もあってとまどう、というマイクの気持ちがもう少しぐいぐい迫ってくるとよかったのにな、と思いました。それは翻訳では難しくて、ないものねだりになるのかもしれませんけど。

ルパン:今回の3冊のなかではこれがいちばん読みごたえがありました。最初は主人公の自己否定が極端で、ちょっと読みづらかったのですが、話が進むにつれ登場人物がどんどん生き生きとしてきて、結局一気読みしてしまいました。リアリティもありますし、読ませる作品です。ただ、あとがきに「これを読まなくては、ドイツの児童文学は語れない」とあったのですが、そこまで言うほどのものかなあ…?

アカシア:ドイツは比較的理詰めの本が多いので、こういうスピーディーなロードムービー的な作品は珍しいのかもしれませんね。そういう意味では、ドイツの中ではこれを読まないとYA文学を語れないという位置づけになるのかも。

ルパン:出だしはほんとにつまんなかったんです。ただ、チックがでてきて、女の子に絵を届けに行くあたりからぐいぐいひきつけられました。一番よかったのは、チックに「(君は)つまらないやつじゃない」と言われる場面でした。人生って悪くないと思うようになるプロセスがとてもうまく描けていて、楽しんで読めました。それだけに、チックが同性愛者じゃなくてもよかったのに、と、残念に思いました。

アカシア:私も、なんだかその部分はとってつけたような気がしました。でも、考えてみると日本と違ってドイツなら14歳だと普通は女の子と旅をしたいのかもしれないから、チックが近づいて来る自然な理由になっているのかもしれません。

ルパン:純粋に友達として好きになってもらった方がよかった。同性愛者の目で恋愛対象として見るのではないところで、魅力を見つけてもらいたかったです。

アンヌ:特に物語の中で、チックが同性愛者だとは気付かなかった気がします。普通に友達という感じで。

ルパン:18歳ならまだよかったんですけどね。14歳の同性愛者っていうのがどうも…。

アカシア:性的な関係を持つのが目的ではなく、マイクが魅力的だから最初はそこに惹かれたというだけのことかもしれませんよ。日本なら18歳が妥当かもしれませんが、ドイツは14歳なんじゃないかしら。

ルパン:全体的にスケールの大きな話ですよね。次どうなるんだろう、というわくわく感でさいごまで引っ張られました。あと、好きな箇所は、山の上で昔の人の落書きを見つける場面です。自分だけの閉鎖的な世界から大きな世界の一部としての自分に目覚めていく瞬間が印象的でした。

(2014年11月の言いたい放題) 


『ホープ(希望)のいる町』

Photo_17 『ホープ(希望)のいる町』
の読書会記録


ジョーン・バウアー 著
中田香 訳
作品社 2010
原題:HOPE WAS HERE by Joan Bauer, 2000




ルパン
:私は今回の課題図書のなかではこれがいちばんよかったです。日本の物語にはない設定、場面、ストーリー。翻訳青春モノの珠玉作だなあ、と思いました。

アンヌ:食べ物が出てくる本が好きなので、私も今回の本の中ではいちばんおもしろく読みました。主人公が17歳なのにプロのウェイトレスということに驚きました。高校生の政治参加の場面にも。発達障害の疑いのある赤ちゃんに、哺乳瓶でミルクをあげながら「あなたには愛してくれるお母さんがいる」という場面や、ウェイトレスとしていろいろなお客と接する場面とかに、いい場面がそれほど山ほどあり、感動しました。人と人との関わりを、職業を通して描くのが好きな作家なのだなと思いました。唯一気になったのが、GTが白血病で最後は亡くなり、お弔いの場面が延々と描かれていること。ここが必要かどうか考えたくて、別の作品『靴を売るシンデレラ』(ジョーン・バウァー著 灰島かり訳、小学館)も読んでみましたが、そちらも理想の父親像のような登場人物を交通事故死させお弔いの場面を描いているので、作者は、作品の中で、死を描く必要を感じているのではないかと思いました。

レン:今回の他の2冊とタイプの違う本ですね。話が上手にできていて、読み応えがありました。主人公の気持ちに寄り添って読んでいきましたが、母親に捨てられ、父親も分からず、おばさんに引き取られた女の子が、なんとたくましく、大人なんだろうと。お母さんが自分に残してくれたものが、ウェイトレスの才能と名前というのがおもしろいですね。名前は途中で捨ててしまうけれど、その才能を極めることで、この子は周りの人と人間関係をつくって生きのびていく。おばさんも魅力的。主人公が発達が遅れているかもしれない赤ちゃんに話しかけるシーンなど、上手だと思いました。愛されているということがあると、子どもは強く生きていけると。選挙のことも詳しく書かれているけれど、これって一種の職業小説ですよね?

一同:そうそう。これは職業小説ですよね。

レン:選挙の仕組みはよくわからないところがありましたが、選挙に絶対行かないと言っている人のおかげで、不正がばれるというのもうまい。読ませますね。

アンヌ:原題は過去形なのに、なぜ現在形にしちゃったんでしょうね?

レン:装画は日本の人なんでしょうか? 文章で受けたのとイメージが全然違いました。

ajian:挿画はちょっと安っぽい印象がしますよね。

すあま:日本で出版する場合は、タイトルだけだと内容がわかりにくいので、登場人物のイラストが必要だったのでは。

ヤマネ:読書会で取り上げられなかったら、おそらく手に取らなかった本でしたが、すごく良かったです。

アカシア:自分からは手に取らない本ってありますよね。「新しい場所は新しいものの見方を授けてくれる」なんていう台詞がいいですね。児童書には、希望を感じるまっすぐな言葉がところどころに見つかります。自分でのそれを見つけるのも、本を読む楽しみですね。選挙のところですが、あんまりおもしろく書いた小説がないなかで、これはおもしろかった。中高生でもおもしろく読めると思います。

ヤマネ:一筋縄じゃない。感情の表現もいい。ボクシングのサンドバッグをたたきながら、悔しさをあらわす場面が良かった。主人公はお父さんが迎えにくるのをずっと待ち続けていて、けれどそれが全く違う形でやってくる。中高生が読んだら、人生にはそういうことだってあるのだと気づくのではないでしょうか。電車の中でカバーをして読んでいたのだけれど、カバーを取って表紙の絵に驚いた。中高生向けに受け入れやすいように狙ったイラストではないか? 文章から感じる表紙のイメージは、あたたかな風景画のイメージだったので、この表紙には驚いたけれど、話の内容は良かった。ウェイトレスの仕事のおもしろさもよく伝わってきました。

レン:混みあってきたらコーヒーをつぎ足すとか。

ajian:原書の表紙、調べてみましたが、こっちのほうが全然いいです。

(一同、表紙の画像を見る)

すあま:日本で出版する場合は、タイトルだけだと内容がわかりにくいので、登場人物のイラストが必要だったのでは。

アンヌ:この表紙絵(日本版の表紙)、他の二人に比べて、GTはうまくイメージがわかなかったような絵ですね。

レジーナ:バウアーの作品にはいつも、置かれた環境で努力する主人公が出てきます。病を抱えながら選挙に立候補するG・T、名前を変えるホープ……ままならない現実を受け入れた上で、困難な状況を全力で変えていこうとする登場人物の姿が、押しつけがましくなく描かれているのがいいですね。不正を働いたり、家族や社会の責任を果たさなかったりする人々がいても、ホープはそれにめげず、大切なものをゆずりわたさず、ウェイトレスとしてお客さんを笑顔にします。そしてアナスタシアとの関わりの中で、母親との問題に向き合います。娘のことを顧みない母親も「あんたの人生のたいせつな一部」というアディの台詞がありますが、人を形作るのは、手に入ったものや勝ち得たものだけではなくて、望んでも手に入らなかったものや失ったものもまた、その人の大切な1部だという、作者の生きる姿勢が表れていますね。

アカシア:バウアーは職業とかキャリアを追求している作家ですね。ウェイトレスなんて、おもしろそうじゃないのに、わかってくると「すごいなあ。おもしろそうだなあ」と思えるように書けるところがすばらしい。日本の児童文学の世界では、政治は書かないほうがいいと言われているそうですが、選挙だって、中学生くらいを対象にした本だったら書いたらいいし、世の中はどうなっているかというのも書いた方がいいでしょう。この人はそこもうまく書ける作家ですね。話のもっていきかたもすごくうまいから、選挙のところだけ浮いているようなこともないのがいいですね。

(2014年10月の言いたい放題)

『クラスメイツ』

Photo_16 『クラスメイツ』
の読書会記録


森絵都 著
偕成社
2014





ヤマネ
:この本は発売された時に、とてもおもしろく読みました。前期と後期と読んで、前期は登場人物の紹介という感じで軽い感じでしたが、後期では前期で謎のまま終わっていた問題が1つ1つうまく解決されていったり、クラスメイツ同士の関係の深まりを感じて、後期が特に読み応えがありました。知り合いの中学生にも薦めたのですが、クラスにこんな子いるいる!と共感できたり、自分と同じ悩みを見つけてホッとしたり、など楽しく読めるのではと思います。大人が読んでも、中学生の頃を思い出したり、中学校時代の自分と似ている子はどの子だろうと考えてみたり、などいろいろ楽しめると思いました。

レン:おもしろかったです。24人のそれぞれの営み、変化が伝わってきて、本当にうまい文章。ユーモアもあって、堅苦しくなく、読者を選ばず読んでもらえそう。現役の中学生もいいけれど、これから中学に行く6年生に手渡したいですね。自分のクラスのだれに似ているとか、だれが好きとか読めて、中学校生活への希望がもらえます。

ルパン:これはすっごくおもしろかったです。『ラン』(森絵都 講談社)よりこっちのほうがずっといいなと思いました。『かさねちゃんにきいてみな』(有沢佳映 講談社)を読んだあとこっちを読んだのですが、『かさねちゃん』のほうは「今どきの小学生事情」みたいな一時的、同時代的な感じでしたが、こっちは根底に「永遠の中学生」のような、どの時代にも共通する中学生らしい感情、という筋が一本通っていて、大人が読めば郷愁感、子どもが読めば等身大。それに現代っ子らしさがほどよく加わっていて好感がもてました。24人が対等に出てくるのもいいし。どの子のも全部おもしろくて。最初に出てきた子たちは、吹奏楽部に入る話なんだけど、それが最後にまた出て来て演奏する、というつなげ方もうまい。いちばん笑ったのは、レイミーちゃんが泣いたのは、ネズミがシューマイではなくシューマッハだから、と言ったところ。あと、印象的だったのは、ガラス破損の犯人さがしになったとき、ヒロが「でも、ぼくじゃないよ」と言ってすんでしまうシーン。そういう子って、確かにいますよね。

 文庫で子どもたちを見ていると、いつの時代にも変わらない小学3年生らしさ、5年生らしさ、中学生らしさ、といったものが確かにあります。この話は、リアリティらしさとお話らしさがマッチしていて私は好きです。

ワトソン:森絵都さんはこの年代の子どもを書かせたら本当に上手だなと、期待通りの作品でした。こういった構成自体は最近多くて新鮮味という点ではあまりありませんが、それでも読ませるおもしろさがありました。一人一人が個性的にかき分けられ、クラスに起きた事柄をそれぞれの視点で捉えそれがまた全体としてつながっています。だれか一人に寄り添って読む作品も良いけれど、「自分はこの子に近いな」とか、「この子のこういう部分はわかる」というように、何かしら共感を得られるところがあるのではないでしょうか。そういった面で、同年代の子どもたちが読むのに意味がある作品だと思いましたし、この年代を過ぎた人には懐かしく読めるのではないでしょうか。

アンヌ:この作者の本を読むのは初めてでしたが、私は苦手でした。とてもうまく書けているし構成もいいけれど、ある意味、物語が始まったところ、人物の紹介だけで終わってしまっている気がして。読んだ後に、24人分のそれからのことを考えて、眠れなくなって困りました。虫博士の陸くんとか好きな子もいたのだけれど。

すあま:森さんが、大人向けの小説の方に行ってしまったように思っていたので、久々に中学生が主人公の物語を書いたんだ、と思って読みました。語り手を変えて物語が進行する形式の本はいろいろと出ていますが、1990年に出た『トリトリ』(泉啓子著、草土文化)という作品が一番印象に残っています。そのときは新鮮に感じたのですが、今はよくある形式なので、特に新しさは感じませんでした。とにかく人数が多いので、だんだん混乱してきました。印象に残る子はいるんだけど、やはり誰か一人に共感しながら読むことができず、一気に読んだ後に物足りなさを感じました。

アカシア:読んで、「ああおもしろかった。森さんのYAの中では一番おもしろかった」と思ったんです。でも、あとでふりかえると、内容が思い出せなかったんですよ。この世界で完結しているから、思い出せないのかもしれません。その時その時で読者が受け取るものがあれば、別に思い出せなくてもいいんですけど。一つ一つの話が全体としてつながっていくのがいいですね。

ajian: 森絵都さんの作品はじつはちょっと苦手だったんですが、これは文句なしにおもしろかったですね。自分の中学生時代のことなんかを思い出します。一口にクラスメイトといっても、仲がいい連中もいれば、あまり会話したことのないやつなんかもいて、同じクラスでもよく知っているといえるのは、何人かなんですよね。この作品は、そういうクラスの子たちの、それぞれの視点から書かれていて、自分が中学生だったらたぶん交わらなそうな子もいるんだけど、そういう人の事情にもちょっと踏み込んでいけるようでおもしろい。前期後期に分かれていて、いろいろな事件があって、1年が動いていく構成もうまいなと感心しました。ビートルズも知らなかったハセカンが、後半の別の章ではクラッシュを聴くようになってたり、ああUKロック好きになっていったのかなあとか、書かれていない部分での成長と変化を想像できるのも楽しい。

 一番好きだったのは吉田くんですね。吉田くんがいちばん変貌を遂げるんじゃないでしょうか。モテたいから東大に行くとかいっていましたが、中高モテなくて勉強にばかり時間を捧げていると、仮に東大に行けたとしてもあとから「中高のときにモテなかった」というルサンチマンをこじらせることになるので、吉田くんはほんとうに水泳部に入ってよかったな、と思います。完全に感情移入していますが。震災のことがちらっと出てくるのも今の作品だなという感じがします。正直にいって読む前はこれほどおもしろいとは思っていなかったので、食わず嫌いはいけないなと思いました。

レジーナ:中学に上がったときのことを思い出しながら読みました。なかなか学校になじめなかったり、いつも小さな気がかりや悩みがあり、「これまでは何も悩みがないのが幸せだと思っていたけれど、きっとこれからは悩みがなくなることはなくて、それが大人になるということなのか」とふと感じたり……。いじめに負けず学校に通い続けたしほりんが、「強くなった半面、弱くなった部分がある。なにかに勝ったつもりで、なにかに負けたのかもしれない」と思う場面がありますが、「今、辛い」とか「今、楽しい」とか、その場の感情ではなく、こんな風に、ちょっと離れた場所から自分のことを振りかえって客観的に考えられるようになるのが、中学1年くらいの年齢ではないでしょうか。老人ホームでボランティアをする場面は、家族や学校で完結しない外の社会とのつながりが描かれていておもしろかったです。美奈の父親が倒れた時、そういうプライベートなことを、先生が他の生徒に教えてしまうのは、現実ではありえないでしょうね。タボの章に、蒼太が給食のデザートをおかわりしないことが書いてあり、その後の章で、レイミーが、甘いものが苦手な蒼太のための特製チョコレートを作ります。細かな伏線の張り方は、さすが上手ですね。ひとりひとりの人物像がくっきりしていて、『ズッコケ三人組』シリーズ(那須正幹 ポプラ社)の6年1組を思い出させますが、もう少し深く描かれていると、よりよかったかな。

(2014年10月の言いたい放題)

『かさねちゃんにきいてみな』

Photo_15 『かさねちゃんにきいてみな』
の読書会記録


有沢佳映 著
講談社
2013




アンヌ
:読んでいるうちに、これはいつまで続くのだろうとだんだん耐えられなくなって、途中でラストを読んでから、読み直してしまいました。自分でもそれはなぜなのだろうと思って、いろいろ調べて、劇団ひまわりで上演されているのを知り、ああ、そうか、ユッキーの一人称で、一人の視点で延々と物語が続くのでなければ、おもしろいのかもしれないと思いました。読み直してみると、一つ一つのエピソードはとてもおもしろいので。最後にリュウセイが戻って来ていますが、どうやって戻ってきたのかとかが、なぜ描かれていないのだろうと思いました。

ワトソン:今回のテーマである子どもたちの日常にあてはまる作品として、私はとても楽しく読めました。登校班だけてこれだけの作品を書くのはすごいと感心しました。一番魅力的だったのはユッキーで、彼の語りの良さがこの作品を支えていると思いました。その分、かさねちゃんに物足りなさを感じました。かさねちゃんの「ちゃんとして」が魔法の言葉のように描かれていましたが、そこにはユッキーのかさねちゃんへの憧れがかなりプラスされているので、実際は魔法のようには効かないのではないでしょうか。また、小学生が読者と考えるとこの量は多すぎる気がしました。

ルパン:私はあんまりおもしろくなかったです。課題じゃなかったら、途中でやめていたかな。『アナザー修学旅行』(有沢佳映著、講談社)は、場面が動かないわりに、まだおもしろかったんですが、今回は、通学路という限られた場面のなかで、かさねちゃんの魅力がまったく伝わってきませんでした。かさねちゃんだけでなく、どの子も、「この子のことが読みたい」というものがなかったし。強いていえば、語り手のユッキーが毎回日記のさいごに間宮さまへの語りかけを書いているのがおもしろかったけれど。ただ、登校班だけで、よくここまで書いたなとは思いました。結局、「かさねちゃん」とインパクトがある名前だけでひっぱってきた感があります。ふつうの平凡な名まえだったら誰も手にとらないんじゃないかな。印象的に目に浮かぶものといえば、牡丹の模様つきのランドセルでしたが、かさねちゃんの個性とどうリンクするのかわかりませんでした。

レン:私は今回選書係だったのですが、この本は、私自身よくわからない本だったので、みなさんの意見を聞きたいと思って選びました。この著者の『アナザー修学旅行』の時もそうでしたが、私は最初はおもしろくひきこまれたけれど、途中でちょっとうんざりしてきて、「修学旅行だとか、集団登校の班長って、そんなに大事?」と思ってしまい、最後まで読めなかったんです。今の子どもの話し言葉をそのまま移したような会話が続くのも、うまいなあと感心する一方で、当の子どもが読んだらどう思うんだろうと思いました。写真そっくりの絵を見ているような感覚というのか。この数カ月で確かにユッキーは少しずつ成長するけれども、こういうそのまんまの一人称の語りで子どもに伝わるのかな、ふんふんと読んで終わってしまわないかなと。今回読み返しましたが、やはりわかりませんでした。リュウセイのエピソードを盛り込んでいるのは、いいなあと思いましたが。

ヤマネ:話題になっていたので、とても気になっていた本です。まず設定について、これまで集団登校を場面の中心として書いている人はいなかったので、斬新だなと思いました。1日1日、ユッキーの日記で綴られていて、日記の最後が「間宮小の守り神」と言われているホコラの中の間宮さんに何かを祈ったりお願いする形で終わっている。日記をうまく終わらせるために間宮さんは登場するのではないかと感じました。お話は3分の2ぐらい読み進めたところで、ようやくおもしろくなってきました。全体を読み終えて感じたのは、子どもも大人も、一定の時間一緒に過ごす体験をすると、情が湧いたり連帯感のようなものが生まれるのだなと思いました。対象年齢は小学校高学年向けに出されているようですが、正直、小学生がおもしろく読むのかどうかは疑問に思いました。そうかといって、大人が懐かしいと思って読むには自身の子ども時代とは違う現代っぽさがあるし、どのあたりの層がおもしろいと感じて読むのかが分からないと思いました。また、かさねちゃんは大人で冷静なように描かれているけれど、言うべきことや不満などは、全て班員で4年生のマユカが全部言ってくれるので、かさねちゃんは言わなくて済むようになっていると感じました。

ハリネズミ:私は日常と違う世界だと思いました。小学生が集団登校する姿はよく見るけど、たいていはまったく話をしないで黙々と歩いている。だから、この作品はフィクションの世界で書いてると思ったんです。『アナザー修学旅行』もそうだったけど、子ども同士はあまり直接のコミュニケーションをとらない。有沢さんは、わざとコミュニケーションをとらせて直接的なやりとりをさせている。そこが書きたいところじゃないかと思ったんです。

ルパン:地域性もあるかもしれませんね。うちは小学校が目の前なので言葉をかわすヒマもないのですが、甥のところでは2キロ歩くんだそうです。毎日それだけの距離を一緒に歩いたら、会話もはずむだろうし、集団登校も子どもたちの生活の一部になるかも。

ハリネズミ:主人公はかさねちゃんではなくユッキーで、すべてユッキーの視点だから、かさねちゃんは実像じゃない。

アンヌ:もし私が子どもの時読んだら、たぶん、班長をする自分を想像して、こんなにキレる子が二人もいたら、いやだと思うだろうなと感じました。

ハリネズミ:賛否両論あるとは思ったんですが、私はおもしろくて、後になっても印象に残った本です。子ども同士のやりとりもおもしろくて、今の子どもたちの人間関係が狭くなってきているだけに貴重な作品だとも思います。

すあま:私のまわりの人の評判がよかったのですが、私は全然読み進むことができませんでした。登場人物がなかなかおぼえられず、苦労しました。この作品の特徴は、話し言葉でかかれていること、そして場面として登校するシーンだけを描いていること。脇明子さんの『読む力が未来をひらく』(脇明子=著、岩波書店)に、話し言葉と書き言葉についての記述がありましたが、話し言葉で書かれた会話が続くと、読みにくいんだな、と思いました。子どもがおしゃべりしている感じは伝わるけれども、読んでいてうるさい、わずらわしい、と思ってしまいました。マンガのように吹き出しのセリフをどんどん読んでいくのと似ているけれど、絵がないので頭の中でイメージするときに混乱したのかも。読む前は、かさねちゃんが主人公なのかと思っていたら、リアリティがなくて、もっと魅力的に描いてほしかったです。登場人物のだれに寄り添って読めばよいのかがわからず、それも読みづらさの原因かもしれません。かさねちゃんが小学生らしくなくて、感情を爆発させるところがあれば、と思いながら読み進めていましたが、ずっといい子のままだったのも残念。リュウセイくんの問題も、あえて入れる必要があったのか、扱い方が中途半端なように思います。

ajian:私はこの文体っていうか会話はすごくいいと思ったんです。物語はちょっと物足りないものを感じたのですが……。読んだのが結構前なのであやふやですみません。

レジーナ:人口芝の上を歩きたがる場面では、私も昔、同じように感じたのを思い出しました。作者は、子どもの時のことをよく覚えていて、それを素材に書いたのでしょうね。リアリティを追求したのかもしれませんが、実際に子どもが話しているような文体が続くと、少々読みにくく、またリュウセイの複雑な家庭環境には胸が痛くなりました。読み終えて、作者が何を伝えたいかがわかりませんでした。この作品は児童文学なのでしょうか……。

(2014年10月の言いたい放題)

『カレンダー』

Photo_12 『カレンダー』
の読書会記録


ひこ・田中 作
福音館書店
2014





レタマ
:同じように家族を扱っていても『ゼバスチアンからの電話』(イリーナ・コルシュノフ 白水社)と非常に対照的でした。あちらの両親は古きよき家庭にありがちなキャラクターですが、こちらは型にはまらない人びとが次々と出てくる。日本の児童文学は大人の存在感が希薄なものが多いのですが、これは大人がたくさん描かれていて新鮮でした。しかも、若い登場人物だけでなく、おじいちゃんやおばあちゃんも、読み進むにつれて変化します。料理やレッサーパンダやダーツなど小道具づかいに、人びとのさまざまな価値観が感じられました。20年前に書かれているのに、古い感じがせず自由で、かえって今の若い書き手のほうが保守的な価値観にとらわれている感じしました。ひこ・田中さんには、こういうYAをもっと書いてほしいと思いました。

ヤマネ:ひこ・田中さんは評論家の印象が強くて、作品は初めて読んだんですが、とてもおもしろかった。内容も新しい感じがする。こちら福音館書店から発売されたのは今年2014年で、もともとは1997年に書かれている本ですが、全く古さを感じなかった。福音館書店版は表記の仕方や本のつくりが新しい感じで実験的な部分がいろいろあると感じました。たとえばp139の家の中の座席の表現など縦書きの文章のなかにいきなり図版が入ってきて驚きました。他ではバナナシェイクの文字だけ太字になっていたり。最初に装丁を見た時は斬新だと思いましたが、お話の内容を読んだら合ってますね。対象年齢になっている小学6年生はどういう感じで手に取るのでしょう。もしかしたら対象はもう少し上の中高生あたりかも。日記や手紙などの入れ方も上手だと思った。

げた:昔文庫で読みました。文庫版のあとがきで作者自身が冒頭シーンが相当いいかげんと言っているんだけど、全体に筋の設定が何となく無理やりな感じがしますね。それに、人物像もはっきりしないですよね。林君との初恋も、彼女が彼のどこにどういうふうに惹かれたのか、わかりません。筋的には突拍子もないところから始まって、おもしろい展開ではあるんですけどね。ちょうど40年前に京都に1年いたので、その頃のことを思い出しながら読みました。

プルメリア:独特の雰囲気を持つ女の子の挿絵と背表紙や表紙の一部分がキラキラしているのが印象的です。手紙があったり日記があったり、未来の自分への手紙があったり、会話文が長く挿入されていたりなどさまざまな構成が組み入れられている作品だなと思いました。ダーツは家庭にあったりダーツバーがあったりしますが、中学校の部活でやるのは難しいかも。方言、お寺、地名から京都が身近に感じられました。

アカシア:いろいろなキャラクターが浮かび上がるように書いてあります。谷口極などのキャラクターは、書かれた当時よりも今の方がリアリティがあるかも。ふつうこういうYAは同世代のやり取りしか書いてないけど、さまざまな大人との対話が書かれているところがいいですね。リアルな家族というよりは、理想が書かれている。イデオロギーが先にあるというふうに言えなくもないのだけど、『ゼバスチアンからの電話』などとちがって翻訳物じゃないので、日本語の魅力で引っ張っていくことができる。内面を書くとき、ふつうは会話や行動で書くものですが、日記や会話を使うのはちょっとずるいかな(笑)。読んだときはそれほど気にならなくて、仕掛けとしておもしろく感じたんですけどね。

ウグイス:冒頭で、主人公が赤ん坊の時に両親を交通事故で亡くしたと書いてあり、ああ作者は親のいない話を書きたかったんだな、とわかりました。両親ではない大人との関係を書いて成功していると思います。いろいろな人がいて、いろいろな価値観があるというのが分かり始める年代の子どもの気持ちがよく書かれていますよね。大人顔負けの考え方をする、ちょっとひねくれてはいるけれど、明るく前向きで、へこたれない女の子像というのは、90年代の特徴かもしれません。

ルパン:私はこの本は楽しめませんでした。吐く場面から始まるし、せっかく声かけた女の子に「なんか文句あんの?」っていう大人が出てきた時点でもう…。しかもこの人たちを家に入れちゃって、ずっと物語が続いていくんだけど、ぜんぜん共感できないから、このあとどうなるんだろう、っていうワクワク感もなくて。

シオデ:私も、冒頭から吐いたり、下痢をしたりする場面に生理的な嫌悪感をおぼえたのと、京都弁が多用されるのが字にすると騒がしくて、途中で読むのをやめてしまいましたが、何日かたって続きを読んだら、今度は一気に読めました。世代も環境も違う人たちと触れあいながら成長していくのは、理想というよりむしろリアルなんじゃないかな。そういうリアルな触れあいを書いたところが新鮮で、なかなかいいなと思いました。でも、新版の最後にある現代の部分は、いまの読者に読んでもらいたいという配慮なんでしょうが、本当に必要なんでしょうか? それから、おばあちゃんは、とっても魅力的なんだけど、最後にサークルを作って雑誌を発行するというのは、つまらないところに着地したなと……。

アカシア:そこは、あるあるなんじゃないですか? わざとそうしてるのかも。

シオデ:いるけど、だからがっかりしたというか。

ajian:台詞や文体でひっぱるおもしろさや、それぞれの日記や手紙で内面がぽんと出てきたりするおもしろさがあって、ぐいぐい読めました。コンセプトが先にあっても、けして類型的なキャラクターはなくて、主人公の女の子も不思議な魅力があり、ひょうひょうとしています。私はガッツがある子が好きなので、吐いている人にけりを入れてやろうかというあたりに、いいぞと思いました。かといって短気というわけでもなく、魅力的。なかなかおもしろかったです。最後の章はなくてもいいかな。

:『お引っ越し』『カレンダー』『ごめん』も読んだし、映画も見ましたけど、やっぱり、ひこさんは評論や書評がいいのでは。舞台にしている京都については、生活的な部分があいまいで、ひこさんが大学時代に過ごして知っている部分だけが突出しているようで、気持ちが悪い。日記とか『ヴォイス』など、書くという行為も、結局、ひこさんが知っている世界なだけですよね。その上で、登場人物にひこさんの理想を投影しているだけ。リアリティがあまり感じられない。

シオデ:俗にいう京都のいやらしさもよく出ているんじゃないですか。主人公が、修学旅行の生徒のふりをするところとか。

ajian:個人的には、この本を読んで京都に対する好感もあがりました。

シオデ:私は、京都でずっと暮らしていた上野遼さんの作品がとても好きなんだけど、上野さんの作品は、またちょっと違いますよね。この作品に出てくる人たちって、おじいちゃんは元大学教授だし、翼の両親と転がりこんでくるふたりは、関西の名門大学の卒業生だし、いわゆるインテリ(今は死語かも)ばかりってところがちょっと鼻につく……。

アカシア:慧さんがリアリティがないとおっしゃったのは……。

:海と極に両親の服を着せるところは、つくりものめいている。

アカシア:服はそうかもしれないけど、海と極みたいな人はいるのでは?

:あと、この生活の余裕感は今はないですね。ちょっとアルバイトしたりとか……。

(2014年7月の言いたい放題)

『ゼバスチアンからの電話』

Photo_11 『ゼバスチアンからの電話』
の読書会記録


イリーナ・コルシュノフ 著
石川素子・吉原高志 訳
白水社 2014
原題:EIN ANRUF VON SEBASTIAN by Irina Korschunow,1981




レタマ
:大昔に読んだけど、内容をすっかり忘れてしまい読み直しました。ザビーネの両親の姿が私の両親とあまりにも似ていて、読んでいると息苦しくなるぐらい。何気ない日常の中でのザビーネの気持ちの動きがこまやかに描かれているところがよかったです。最後に家族全員に変化があるけれど、そこに行き着くまでが長いので、山あり谷ありのストーリーに慣れている子どもには、起伏がなくて読みづらいのかも。前はYAの作りだったのが、今回大人の本として再刊されたのはどうしてでしょう。中高校生では読みこなせなくなったから?

げた:福武書店の版で読みました。ドイツでも、すごく(価値観が)古いんだなとびっくりしました。もっとも、原書は1981年の本で30年以上前のドイツのことだから、今はどうだかはわかりませんけどね。ゼバスチアンのお母さんが、ザビーネにゼバスチアンの世話を頼もうと旅行に誘い出すあたりなどは、ちょっと怖いものすら感じましたよ。ただ、最近の若い子たちは束縛されたがっているところもあって、このザビーネのように自分の生き方を貫いていく強さがあるといいなとも思いました。

アカシア:今の若い人たちが束縛されたがっているとは思わないけど、専業主婦が楽だと思っている人はいるかもしれません。楽なほうに行きたいというか。

げた:結果としては同じになってしまうんですよ。だから、若い子たちに読んでもらいたいと思いました。それから、ゼバスチアンっていうキャラクターなんだけど、こういう男っているんですよね。若い女の子にモテて、嫌味なやつが。私はどちらかというとアンドレアスタイプだったんですけどね。

アカシア:白水社版は、せっかく新版にしたのに誤植が多いですね。内容はすっかり忘れていたのでもう1度読みましたが、あまりおもしろくなかった。いかにも古い。ザビーネの恋愛の対象がゼバスチアンかアンドレアスかという2択だけど、今はもっとたくさんのタイプがいるのに。両親の人物造形も類型的。ユーモアがないのもまずい。クソまじめでおもしろくない。トルコ人が出てくるところの書き方にも引っかかりました。今の若い学生が読みたがるとはで思えません。この作家は言いたいことがあって書いているので、それがちょっと鼻についたりもします。だから楽しくないのかも。

ウグイス:最寄りの図書館には新版は1冊もありませんでした。予算がないからか、旧版が入っている場合には買わないことが多いみたい。訳者やタイトルが変わると買うけれど。原書が出たのが1981年、福武で出たのが1990年。恋愛というより母親からの自立の物語として印象に残る作品で、ヤングアダルトというジャンルが形成された8、90年代には、親からの精神的な自立というのは一つの重要なテーマだったと思います。この黒い装丁も当時はおしゃれで、中学生、高校生ぐらいによく読まれたのだと思いますね。今になってどうして新訳されたのかはわかりませんが……。ザビーネの一人称で書かれていて、時系列どおりに話が進まず、回想シーンが入ったり、気持ちのゆれに合わせて場面が転換していくあたりも、当時は新鮮だったのではないかと思います。

シオデ:たしかに作者の言いたいことが前面に出ていて、今の若い人たちには古いと思われるかもしれないけれど、私はおもしろく読みました。大人の読者には、共感できる部分も多いのではないでしょうか? だから、いま大人向けに出したというのも分かる気がします。新版なのに誤植が多いのは、私も気になりました。

アカシア:あとザビーネがとてもいやなキャラクターよね。

シオデ:弟をのぞいては、みんな、それほど好感を持てるキャラクターじゃないわね。それが、けっこうリアルだと思ったけど……。

アカシア:キャラクターが立体的でないのは、やっぱりイデオロギーが先にあるからじゃないかしら。

夏子:まあ、それなりにおもしろく読みました。ただ最初からずっと、気に入らない気に入らないとひっかかりながら読んでいて、何にひっかかるのだろうと、考えていたんです。結局、イデオロギーが先行しているからだと思い当たりました。ザビーネの母親からの自立と、母親本人の自立、それが平行して描かれているところが、いちばん興味深かったです。とはいえ今読むと古くて、子どもが読んでおもしろいとは思えないなぁ。ティーンエイジャーの恋愛が描かれていて、セックスにひかれているということだってあるはずなのに、そのあたりはまったく無視していますよね。読んでいて「そんなもんじゃないだろう!」と不満でした。

ajian:イデオロギーはたしかに先に立っているし古いところもあるけれど、2歳年下の同僚は、「すごく分かるところがある」と言ってました。ゼバスチアンのいやなキャラクターですが、こういうやつは今もいるので、アクチュアルな感じもこの本は持っていると思います。さっさとそういう男から卒業して幸せになってもらいたいと若い女の子には思っているけど。

夏子:だけどね、ゼバスチアンからすると、「あなたのためになります」という女の子に迫られたら、まるでお母さんがふたりできるみたいで、すごくうっとうしいと思うよ。ゼバスチアンが逃げたくなる気持ちも、よくわかる。

ajian:ぼくやげたさんは男性なのでゼバスチアンに辛口なんだと思う。

夏子:そんなにいやなやつじゃないと思うけどな。

ajian:デートDVとかしそうじゃないですか。

アカシア、レタマ:そういうタイプじゃないよ。

アカシア:サビーネみたいな、お世話します系はどうですか?

レタマ:でも、ザビーネが、相手に合わせようとしてしまって後で悔やんだり、勇気のない自分をお母さんと同じだと思ったりするところは、おもしろかったです。恋人の前で、自分が思っていたことと違うことを言ってしまったりするあたり。

夏子:そうそう、そのあたりはよく書かれている。

:おもしろかった。のめりこんで読みました。ザビーネは、ピルの心配など大人びているところもありますが、その大人っぽさゆえに、免許を取って仕事を得て家計を支えはじめるお母さんの姿や、得意科目以外は勉強しないベアティの男の子っぽさをとてもよく見ています。で、このお母さんは、一昔前っぽいけれど、案外今でもいそう。だから、高卒で就職か大学進学かという悩みは現在とはちょっと違うけれど、古さはほとんど感じなかったです。ゼバスチアンはいやなやつですね。でも、彼はあまり関係ない。最後に、自分から電話をかけるザビーネは、ゼバスチアンかアンドレアスに選ばれるという2択ではなく、自分自身で決めるという第3の選択ができている。立派な成長です。

アカシア:古いと思うのは訳し方のせいもあるのかも。こういうお母さんもゼバスチアンみたいな人もまだいることはいるけど、「~わ」で終わる口調などはいかにも古い。

レタマ:一つ思い出したことですが、この頃の「電話」のドキドキする感じが、今の人にはわかりにくいかもしれませんね。当時は携帯電話もメールもなく、長距離電話にはお金がかかって、顔を合わせていない時間は連絡がとりにくかったし、電話の会話は家族に筒抜けでしたが、今はぜんぜん違うので。

(2014年7月の言いたい放題)

『ローズの小さな図書館』

Photo_10 『ローズの小さな図書館』
の読書会記録


キンバリー・ウィリス・ホルト 作

谷口由美子 訳
徳間書店 2013
原題:PART OF ME by Kimberly Willis Holt, 2006





アカシア:ずいぶん前に読んだので思い出す部分と思い出さない部分があります。5部構成になっていて、4世代のそれぞれの物語をそのうちの4部をつかって書き、第5部で亡くなった登場人物以外の全員がそろうという構成がおもしろい。すべてのエピソードの舞台が図書館ではないけど、本や図書館にまつわる人を4世代にわたって描いています。アメリカの十代の普通の人たちがどんな暮らしをしていたのか、世代をまたがってたどれるところもおもしろい。わなにかかった犬の話など印象的なエピソードも登場します。おまけのおもしろさとしては、ホームレスの人が図書館でハリー・ポッターを読んでいるなんていうところ。平日の昼間、行き場のない人が図書館にいくのは、日本もアメリカも同じなのかと思いました。系図があるのでそれを見ながら読んでいけるのもいいですね。大傑作とは思いませんでしたが、佳作。気持ちのよい本でした。

ウグイス:4世代にわたる家族の物語で、最終章で79歳になった主人公ローズの現在が語られています。とてもつらい境遇にありながら、本が大好きで、移動図書館の運転手として本にかかわっていくローズ。どんな運命も受け入れていく主人公の芯の強さに共感を覚えました。最初の章の展開がおもしろく、この子がどうなっていくのかと期待が高まります。その後の章で、ローズの生き方や本に対する気持ちが、次の世代の家族にどう伝わっていくかが描かれています。2章以降は三人称で書かれているのでより客観的に物語が進み、描かれている期間もローズの章より短いので、ちょっと物足りなさも感じるのですが、読み進むにつれ、書かれていない部分にどんなことが起こったのかを想像する楽しみもあることに気づきました。例えば「アナベス」では3人の男性が出てきますが、次の「カイル」の章を読むと、アナベスの結婚相手は別の男性だとわかります。結局アナベスが選んだのはどんな人なのか、「カイル」を読んで知ることになるわけですが、その間の出来事は読者の想像にゆだねられているのです。人物描写は短いながら的確で、読者の想像をかき立てるので、十分に物語の中にひきこまれます。ローズの子ども、孫、曾孫の中には、ローズと同じように本が好きで図書館に通う者もいれば、本とは関係のない生活をする者もいるけれど、どこかで必ず本にかかわっていくところがおもしろい。どの章にも常にどこかにローズの存在があり、最後にローズの夢がかなうというのは、幸せな余韻が残る終わりかただと思いました。

 各世代の描写の中からは、それぞれの人生のほんの一部を垣間見ることしかできませんが、前の章からのつながりが随所に見られるので、読者は満足できます。そういった小さな描写が、その後の章への大切な伏線となって物語に深みを与えていると思います。たとえば、ローズは後に夫となるルーサーに出会ったとき、しわくちゃなシャツが気になるという描写があって、次の章では、ルーサーが「糊のきいたシャツのボタンをとめていた」という1文があり、結婚してローズがパリッとしたシャツを着せていることがわかるわけです。そういうのが、物語を読む楽しみのひとつだと思うし、読者を満足させてくれると思います。また、その時代にはやっていた小説や、図書館の様子にも時代性が見られ、「本」を通してアメリカの時代の移り変わりを感じることができます。日本でも翻訳されている書名が数多く、それを読む人々がより一層身近に感じられました。『大地』から『ハリー・ポッター』まで登場する本は他にないですよね。本や図書館をキーワードにして描いた家族の歴史というのは珍しく、本好きな人の心をくすぐる描写が数多く散りばめられています。図書館がなくてはならない存在であり、図書館員は本の好みを知り尽くした一生の良き友人として描かれているのもよかった。ローズが最初、ぜんぜん本を読まない人に『大地』を紹介して失敗するけれど、そのあともっと軽い本や料理のレシピ本などを手渡したら、その次に行った時には借りたい人を5人も連れて待っていてくれたところなんか、ぐっときました。

 原題、Part of Meはどう訳すか難しいところですが、「ローズの小さな図書館」とすると、ローズだけの物語にも思えるので、ちょっと内容と違うかなという気がしました。時の流れや家族の歴史というニュアンスがほしかったと思います。

ルパン:私もいいお話だと思いました。はじめにローズが出てきて、そのあと何世代にもわたる何十年分かのエピソードが出てくるんですけど、最後にまたローズの物語が出てくる、というのがすごくいいですね。ときどきちょっとわかりにくいところもありましたけど。たとえば、p16。「風車を回して、畑に水をやるのをやめた。」という描写があるんですけど、これ、風車は回ったのか回らなかったのか、って悩んでしまいました。それから、ローズと図書館司書をやっていたアーマがずっと独身なのは切ないなと思いました。ローズの家系はつぎつぎに子どもが生まれてそれぞれの幸せをみつけていくのに、この人はずっと移動図書館のなかで人生を過ごしていくんですよね……。

シオデ:良い本だと思います。本でつながる4世代の物語というのも、本や図書館を愛する大人たちには文句なしに受け入れられるテーマですし、章ごとのエピソードも良く描けている。第1章と第2章は、特に良く書けていると思いました。ただ、私はひねくれているのかもしれませんが、おもしろくなかったし特に感動もしませんでした。発想から書き方に至るまで「いい本でしょ? 感動するでしょ?」と言っているような……。優等生的な感じがするんですよね。私は、登場人物が書いているうちに作者の手に負えなくなってしまうような、作者の思惑と違うところにたどりついてしまうような作品が好きなので、あまりおもしろみを感じなかったのかもしれません。書名がいろいろ出てきますけれど、その本が読んだ人の人生にどのように関わってきたかまでは書いていませんよね。その本を読んでいる読者は想像できるかもしれないけれど、本当は「本&図書館=素晴らしい」ということより、どうしてそうなのか、個々の本の力が読者の人生にどんな風に働きかけたのかを書いてもらいたかった。本好きの人にとっては、いまさらいうまでもない、当たり前のことなのかもしれないけれど。ちょっと引っかかったのはp176の「わけのわからないことをわめいているホームレスみたい」という1文。この子(アナベス)って嫌な子だなと、一瞬思ってしまいました。つぎの章にもホームレスの人たちのことが出てくるので、ホームレス(今は路上生活者っていうんじゃないかしら?)の人たちに対する感じ方が時代によって変わってきたと作者は言いたかったのかもしれないけれど、それだったらもう少していねいに書いてもよかったのでは? 原文がどうなっているかは分からないけれど、アナベスは路上生活者一般についてそう思っているのか、それとも特定の、たとえば自分の家の近くにいる誰かについてそう思っているのかもわかりませんでした。

夏子:アカシアさんと同じく、気持ちのいい本だと思いました。私は、表紙が気に入らないんです。この本は“時の流れ”が一つの大きなテーマとなっているのに、この表紙では、それがあまり感じられないのでは? 好意的に言うと、アメリカの移動図書館の車を、日本の読者に見せてあげる必要はあったのかもしれませんが……。本の内容は、最初のローズの章が何と言ってもいちばんおもしろかったです。「大草原の小さな家」シリーズのように、貧しく素朴な生活がリアルに描写されています。だけどこういうリアリズムのよさが発揮されるのは、貧しい時代の素朴な生活でないとだめなんだと思う。世代が代わってローズの孫のアナベスのあたりで、時代は近代ではなくなり現代になりますよね。現代になると、こういうリアリズムで生活を描いても、読者が共通項を持てないというか、共感しにくくなるんだと思う。アナベスの章は、主人公の心理描写になっているし、カイルの章になると、ハリーポッターの本が消えるというミステリーを持ってこないと、ストーリーにならなくなってくる。ええっと、村上龍の言葉を借りると、貧しさゆえの「悲しみ」に共感するのが近代で、個人がばらばらとなったがゆえの「寂しさ」に共感するのが現代とのこと。おおざっぱな言い方ですけれど、悲しみから寂しさへという近代から現代への変化が、一冊のなかで感じられて興味深かったです。

 最後にローズが登場することで円環が成立します。児童文学の中には、ものを書きたい女の子がたくさん登場しますよね。この本では、そういう女の子が年をとり、おばあちゃんになってから本を書くわけです。それをひ孫が読むというふうに時間が一巡りするところも、おもしろかったな。

ajian:好きな本でした。短いエピソードを重ねていくので読みやすかった。わなのところ、漁師のおじいちゃんのコネが運転免許場できいたはなしなど、一つ一つのエピソードが印象的です。こういう構成で書けるなんて巧い。いろいろな書名が挙がっていて、ローズが『大地』を貸して失敗したジュリアに次に『春は永遠』を貸して、とても気にいってもらます。『春は永遠』が読みたくなったけど残念ながら未訳でした。アメリカで有名な本がいろいろ挙がっていて、他の本も見てみたい気持ちになりました。アナベスが結婚したのは第3部には出てこない日系の人なんですが、それってだれ?と思いました。

夏子:日系の方の苗字は「コアミ」ですよね。「小網」さんっていうのかな?

シオデ:作者が知っている日系人の名前かもしれませんね。

ajian:だんだん現代的になっていくのもおもしろい。ベトナム戦争の話や、チャットルームにいりびたる子も、おもしろかった。

ルパン:未訳といえば、私も、『シンデレラの姉』を読んでいてお母さんが夕飯を作るのを忘れる、というシーンがあったので、その本を読んでみたいと思ったんですけど、これも日本では未訳でした。

:ちょっとお行儀がよすぎるかな。本好きに向けて「よくできた本でしょう」と主張しているみたい。本がたくさん出てきて、辛いときには『大地』、読書への目覚めには「ハリー・ポッター」などメンタルと本がリンクしてる。ブック・ピープル向けの工夫や間テキスト性がたっぷりでした。だから、ちょっと作りこみすぎかなと思いましたが、一応はおもしろかったです。ルイジアナだし貧しいし、最初は黒人の話かと思いましたが、白人ですね。クレオール的な言葉やアクセントは土地のもののようなので、翻訳で工夫されていますが、原文が見たいなと思いました。

ヤマネ:夏子先生が先ほど見せて下さった原書のように、時の流れを感じさせる表紙だったら手に取ったかもしれませんが、日本語版の表紙ではあまり手に取りたいと思いませんでした。また『ローズの小さな図書館』というタイトルから、もっと図書館の話を中心に描かれるのかと期待していましたが、実際は違いました。でも、4世代にわたる家族を書いている構成はとてもおもしろいと思いました。最初のページに載っている地図や家系図が読む手助けになりました。本の中で紹介されている名作とお話のつながりを感じられて心に残った場面は、マールヘンリーの章で『黄色い老犬』という本を読む場面。犬が助からないというパターンに陥ってなくて良かったとホッとしました。全体的にはあまり感動できなかったけれど、良い本だと思いました。

げた:私も、タイトルと表紙の絵を見て、もっと図書館を中心にした話なのかと思ったんですが、違いました。アメリカ南部の1940年前後からの子どもたちの様子を描いているんですね。先程リアリズムで素朴な生活が描かれているという意見が出ましたが、第2部の「わな」の描写などは、たしかに南部の生活を感じさせるリアリティがありますね。ただ、それぞれ章が短いので、これから、という感じのところで終わっていて、ちょっと印象が薄くなり、残念です。私ごとで恐縮ですが、ローズは自分の母と同い年で、母の人生とつい重ねてしまいました。

夏子:大人向けのこういう本『チボー家の人々』とか『ジャン・クリストフ』とかは、何て言うんだっけ? 「大河小説」でいいんですか? たいていもっと分量が多くて、何冊にもなっていますよね。これは短いエピソードをつないで1冊になっているので、読みやすくて助かる(?)というか、子ども向けなんだわね。でもこれほど短くても、後半になればなるほど、家系図を見ないと誰が誰だかわからなくなりますよね。

プルメリア:表紙の女の子は落ち着いていて14歳には見えないかな。裏表紙の、のどかな感じが気に入りました。各章ごとの内容が違っていますが、年号が書かれているので時間が経ったんだなと思うとすんなり内容には入れたような気がしました。ローズがミンクを溺れさせる場面など、当時の生活様式がわかり興味深く読めました。物語の舞台になっているアメリカの地図や家系図、作品に出てくる書名のリストがあるのは作品をさらに読みやすくしてくれました。図書館が作品の中にいろんな形で出てきたのがとてもよかったです。

レタマ:最初のローズの物語が一番印象的でした。17歳だとごまかして免許を取るときに、苦手なおじいさんが口ぞえしてくれるエピソード、移動図書館で人びとに本を手渡していく話など、とてもおもしろくて、そこだけをもっと深めてくれてもよかったのにと思いました。章ごとに世代が順々に変わっていく構成は、本を読み慣れている読者でないと読みにくいかな。1930年代と言ったら、日本の人たちはどんなふうに本を手にしていたのでしょうね。アメリカは図書館サービスが古くから発達していたのだなあと思いました。

シオデ:ルイジアナの言葉が出てきたり、それぞれの時代のベストセラーや背景にある事柄が出てきたりするので、アメリカの読者は自分の国の歴史や時の流れ、自分たちの家族について、日本の読者とはちがう感動をおぼえるのかもしれませんね。

ウグイス:地方色というのも一つの特徴なんでしょうね。ルイジアナといえば、アメリカ人なら誰でも知っているような雰囲気があるのだろうと思います。翻訳になるとそこがちょっと伝わりにくいというマイナスポイントはあるかも。以前、作者のホームページだったか、この本の紹介ページのBGMとして明るく賑やかなバンジョーの音色が流れていたんですね。たしかに日本語版のイメージとはちょっと違うかもしれません。

夏子:ルイジアナの地名は、確かブルボン王朝のルイ王から来ているんですよね。スペインやフランスのラテン文化が入っていて、独特な地域ですよね。

シオデ:ルイジアナの言葉の訳は難しかったでしょうね。促音の「ッ」が使われているところなど、音読するときはどんな風に読むのかな? 日本のどこかの地方の言葉を使う場合と、木下順二さんのように創作方言にする場合があるけれど、わたしは創作方言にするしかないと思っています。

夏子:すべて標準語に統一する翻訳者の方もいるけれど、それも味気ないですよね。

(2014年7月の言いたい放題)

『ラン』

Photo_9 『ラン』
の読書会記録


森絵都 著
理論社 2008
角川文庫 2012.02
講談社 2014.04



げた:初版からはかなり表現を削って、分量が少なくなって新しく出されたようですね。

ルパン:おもしろかったです。亡くなった人と会う、というのはすごく難しい設定だと思うのですが、前に読んだ『母ちゃんのもと』(福明子 そうえん社)と比べたら、こちらのほうがずっとまともです。親に死なれるって、若い人にとっては大変なことだと思いますが、その気持ちも書けていて。死んだ家族と会っているけど、こんなに仲いい家族だったっけ、とか家族のリアリティにも踏み込んでるし。無条件にいいことばかりではなかったことを冷静に思い出すんですが、わざとらしくなくて。あと、「走る」っていうことで、知らない世界を知っていくわけですが、ゼロから知っていくパターンって、説明調で鼻につくストーリー運びもあるけれど、これはそんなにいやらしくなく、読んでいて、疲れなかった。あと、醤油飲んで自殺はかるおばさんがおもしろかったです。YAものの脇役としてはずいぶん年上ですよね。そのうえ最初から敵対関係なんだけど、何となく距離が縮まっていくあたり、主人公に感情移入できました。それに対して、ドコロさんは、よくわからなかったです。その罪悪感も、罪ほろぼしの論理も。

ハリネズミ:ペースメーカーをしてもらった後輩が心不全で亡くなって「ひでえ罪悪感にとりつかれてさ。そいつへの罪滅ぼしのつもりで走るのをやめた」って、書いてありますよ。

ルパン:ラビットが死んでしまったからといって、自分まで走るのをやめちゃったのは、どうしてでしょう。やめたら、その人の死を無駄にしたような気がするんですが。

ハリネズミ:天才ランナーとか言われるレベルの人だと、ペースメーカーがつくことも多いんでしょうから、また同じことになっちゃまずいと思ったんじゃないかな。

トトキ:最後まで、すらすら読めたのは覚えています。あの世とこの世を行ったり来たりするという点は、同じ森さんの『カラフル』に似ていますね。エンターテインメントとしては、おもしろく書いてあると思うけれど、どういったらいいのか「死ぬ」ということに対する切実な感じがないのがひっかかるんですよね。一緒に読んだ『ロス、きみを送る旅』(キース・グレイ作 野沢佳織訳 徳間書店)は、「死」が身を切られるほど切実なものとして迫ってくるんだけど。なんていったらいいか分からないけれど、物語がすべて作家の掌の中にあるっていう感じ。心を揺さぶられる作品って、登場人物が作家の手に余るというか、勝手に掌から飛び出していくような感じがあるんだけれど、みんなお行儀がよすぎるというか……。

ハリネズミ:『カラフル』は、死んだ人が生き返ってきますね。

トトキ:『カラフル』は設定がうまかった。出たときは、こっちとあっちを行き来する作品もそんなになかったし。

ハリネズミ:でも、この作品では行ったり来たりを肯定してるんじゃなくて、無駄ですよって言ってます。

ajian:うーん、私にはおもしろくありませんでした。突拍子もない設定や展開など、お話をつくるのはうまいと思うんですが……。この作者は『カラフル』もあまり好みではなかったので、合わないのかもしれません。登場人物も好きになれないというか、みんな書き割りのようにパターンで分けられていて、今ひとつ物足りなさを感じます。「キリストもブッダもアッラーも一休さんも言ってなかったんだよね」とか、作者は冗談のつもりで書いているんだろうけれど、とくに笑えないってところもいっぱいある。「生きていかなきゃ」というテーマにつなげた、全部がオハナシな感じがする。

ハリネズミ:大人が読むとそうかもしれないけど、中学生くらいの子どもはおもしろいんじゃないかな。深く考えることはできないかもしれないけど、考えるきっかけにはなるように思うな。

ajian:長いので読むのもたいへんだけど、読み終えたあとは呆然とするというか、徒労感があって。最近日本の作品はあまり読んでいないから、感覚が開いてしまっているのかもしれないですが。

レジーナ:作者はきっとこの作品で、それぞれ悩みを抱えたり、傷つけたり傷つけられてりしながら、生きている人は生きている人たちで、何とかやっているということを伝えたかったのでしょうね。生者も死者も、お互いに気がかりだけど、心配しなくてもいいというのは、子どもというより大人の視点ではないかと思いました。桜並木を走る場面では、新しいことを始め、止まっていた時間が動き出す様子、家族のことを少しずつ忘れていくことへの恐れが伝わってきました。おもしろく読みましたが、生者の世界と死者の世界がもう少し絡み合っていれば……。二つの世界があまりにもかけ離れているんですよね。最初は重要人物に見えた紺野さんも、途中から存在が薄くなります。家族が亡くなり、紺野さんも引っ越してしまい、紺野さんのくれた自転車のおかげで、死んだ家族に会える。理屈は通っているんですが、頭で書いているのかもしれません。家族に会うためにマラソンを始めた主人公を非難し、自分の考えを一方的に押しつける大島君には、腹が立ちました。後から反省はしますが。同居を始め、「タマ」と呼んだおばさんに、「猫を飼うような気分なんじゃ……」と思ったり、おばさんを「装甲車」と表現しているのはおもしろかったです。文章はちょっとくどいですが、高校生くらいの読者には読みやすいのかな。

ajian:いや、「生者は生者で生きていきましょう」とか、浅いと思うんですよね。そんなに簡単な人間観とか死生観でいいの? と思ってしまいます。私にとって小説が魅力的なのは、そこに描かれている人物に、どうしようもない人間味を感じてしまうときで、正直に言って、ここに出てくる人物たちが死のうが生きようがどうでもいいと思ってしまいました。一言でいって、心に迫ってくるものがないんです。

ヤマネ:森さんの作品は好きなんですが、『カラフル』と『ラン』はあまり好きではありません。『リズム』『宇宙のみなしご』などは、きらきらした少女の気持ちがよく描かれていて好きなんです。軽さが受け入れやすいのか、小学校高学年の女の子たちからも人気がありました。ただ生と死の話になると、設定から受け入れるのが難しくて。また、タイトルが『ラン』なのでもっと走ることが描かれた話かと思ったら、そうでもなく期待外れでした。読む人の好みにもよるかもしれませんが、苦しいことをもっと深く描いてそこから立ち上がる主人公の姿を読みたかったな。主人公の置かれている状況は、すごく辛い状況なのに、それがあまり伝わってこないから。一方で、生と死の世界をつなぐレーンの説明はつじつまが合うようにうまくできているとは思いました。

すあま:子どもの本ではなく、大人の小説だと思って読みました。自転車があの世に連れて行く、という設定や描写をうまく頭の中に描けず、話に乗り切れませんでした。天涯孤独の主人公があるきっかけで走り始める話、ではだめだったのか、新しい人間関係ができていくところを丁寧に書けばよかったのではないかと思いました。はたして死んだ家族のところを行き来する必要があったのか、と考えてしまいました。1冊にいろいろなことを盛り込みすぎのような。おもしろいキャラクターも出てくるので、ちょっともったいない感じがしました。

げた:今回は私が選書係だったんですが、最初の2冊が決まっても、あと1冊、日本の本がなかなか見つけられなくて、本屋さんの棚で見つけたんです。最初の部分で、紺野さんと主人公の出会いと別れの箇所を見て、テーマにつながるかと思って読み始めました。ストーリーとしてはありえないこだし、言ってみれば荒唐無稽ですよね。ありえないけど、ランニング仲間とのやりとりは現実的な、ありそうなストーリー展開でリアルなファンタジーですね。エンターテイメントとしては、おもしろかった。死んだ人がファーストステージにいる段階で溶けていき、次のステージに行って、生まれ変わるというのもなるほどと思いましたね。人間年をとると、死ななくても、実際既に溶けているんじゃないかなって。

プルメリア:『ラン』なので『DIVE!!』(森 絵都 講談社)のようなスポーツ青春ものなのかなと思ったら、そうではなかったです。真知栄子さんとのバトル、どちらも譲らない強い女の人ですね。猫が死んだときに猫と椅子をうめ、庭を掘り返したときに作業着姿の男に「猫がいませんでしたか」って尋ねると、「わからない方がいい」と答えられ意味深な感じでしたが、何故かネコは紺野さんがお骨として持っていました。奈々美さんと真知栄子さんは意思も口調も強くおばさんパワー?がたくましい感じ。「穴熊(アナグマ)さん」名前の設定もおもしろい。

ハリネズミ:私、ユーモアは大事だと思うんですけど、おやじギャグみたいなレベルでも中・高生に受け入れられるのかどうか、ちょっと疑問でした。あと、ネコは紺野さんの飼い猫だから、息子のところにまず行くんじゃないかな、なんていう疑問もありました。

げた:ちなみに、醤油は、戦前、徴兵逃れのために体の具合をわざと悪くするために飲んだ人がいたということを聞いたことがあるんですが、死ぬためじゃなくてね。

トトキ:江戸時代に醤油飲み競争をして亡くなった人がいるって話は聞いたような……。

ハリネズミ:エンタメだと仕方ないんだけど、マチエイコを除くと、人物像がステレオタイプかな。

げた:エンタメとして書いたんじゃないですか。

ajian:マチエイコが主人公のほうがおもしろいでしょう。

(2014年6月の言いたい放題)

『あたしって、しあわせ!』

Photo_8 『あたしって、しあわせ!』
の読書会記録


ローセ・ラーゲルクランツ 作
エヴァ・エリクソン 絵
菱木晃子 訳
岩波書店 2012
原題:MITT LYCLIGA LIV by Rose Lagelcrantz



げた:この本の主人公ドゥンネは決して恵まれた境遇にいるわけじゃないですよね。お母さんは「遠くへ行っちゃてる」しね。けれど、とっても前向きなんですよね。1日の終わりに、ひつじの数を数える代わりに、幸せだったことを思い出すなんて素敵だな。絵がいい。絵を見てるだけで、十分楽しめますよね。

ハリネズミ:いっぱい入っている絵から、雰囲気が伝わってきますね。

げた:とっても、気に入った本の1冊です。読後感がいいです。自分も幸せな気持ちになれるような気がします。

すあま:北欧の作家ってうまいな、と思いました。訳者の菱木さんがよく訳しているウルフ・スタルクの作品を思い出しました。中学年くらいの子ども向けでしょうか。

ハリネズミ:主人公のドゥンネは1年生ですね。ちょうどこの頃の子どもの気持ちがほんとにじょうずに書けています。

すあま:大事なことを年齢の低い子どもにもわかるような形で上手に書いている。悲しいこともあるけれど、楽しいこともいっぱいあって、その時その時の主人公の気持ちがていねいに書かれてるので、そこに寄り添って読んでいくことができました。時代や国に関係なく、だれにでもあるようなことを書いているので、読みやすいのでは。最後も幸せな気持ちで終わるので、とてもいいお話でした。

ヤマネ:淡々としたことばで進んでいくけれど、すごく打たれる箇所があって、ああやっぱり児童書っていいなあと心から感動しました。仕事でもお薦めの本にしました。年齢設定はちょっと難しくて、出版社HPでは小学1、2年生からとあるけど、小学2年生の後半から3、4年生ぐらいがこのお話を理解するのにふさわしいかな。はじめは主人公の女の子の幸せなエピソードが続いていきますが、p52ぐらいから、ママが亡くなった時の話が出てきたり、クラスメートの永久歯を折ってしまって悩んだり、子どもの悲しみや辛さがうまく描かれている。自分が子どもだった時に感じていた気持ちをたくさん思い出しました。一番ぐっときたのは、親友のエダフリータが転校してしまった後に、転んだ場面で、転んだことが悲しいのではなくて・・・というところ。

レジーナ:作者は、子どものときに感じたことや不思議に思ったことを、よく覚えているのでしょうね。入学したばかりの頃、せっかく楽しみにしていた宿題がなくて、がっかりしたり、仲良しの友達と物の取り合いでけんかをしたり、入れ歯を見てびっくりしたり…。私も子どものときに、同じように感じたのを思い出しました。エッラ・フリーダが引っ越した後、主人公は転んでけがをしてしまいます。なにもかもうまくいかないような、やりきれない気持ちがよく伝わってきました。スウェーデンの学校には、「くだもの週間」や「やさい週間」があるのですね。他の国の暮らしを知ることができて、おもしろかったです。日本では、6月が食の教育月間ですが。エヴァ・エリクソンはすばらしい画家ですね。表紙では、どんよりとした雨空の下を、二人で一つの傘をさして楽しそうに歩いていて、黒い傘の内側から、光と花がこぼれています。ふたりでいたら、どんなときも幸せなんでしょうね。エッラ・フリーダの長靴の模様がドクロなのも、彼女の性格が分かるようで、おもしろい。お調子者のヨナタン、エッラ・フリーダが引っ越した後、空っぽの机をじっと見つめるドゥンネ、そんな様子をちゃんと後ろから見ている先生……文章に寄り添い、作品世界を生き生きと浮かび上がらせています。ちょっとした仕草や表情で、登場人物の気持ちが伝わってくるんですよね。2014年は惜しくも国際アンデルセン賞画家賞を逃しましたが、次回はぜひとってほしい!

さらら:短い物語なのに、子どもの気持ちをよく表しています。絵本から読みものに移っていく過程で、安心して手渡すことができる本だと思う。この世代向けの翻訳作品の難しさは、日常に身近な物語であればあるほど、海外の日常生活を、どう日本の子どもに自然に理解してもらうかという点です。ここでも、「クネッケ」などの食べ物に、少し説明が加えられています。また、日本とは違う学校でのできごと(たとえば「くだもの週間」など)は、括弧に入れて、さらりと繰り返しています。なじみのない言葉の説明は、翻訳の過程で入れている部分もあると思いますが、押し付けがましくなくて好感が持てます。入れ歯が出てくるところで、「入れ歯が痛いときは、水につけておくといいよ」と、ドゥンネが友だちにアドバイスしたり、パパにモルモットを買ってもらったときには、「モルモットはウンチばかりしているのです」という描写があったり。そういった小さな部分にユーモアがあり、さまざまなエピソードにも、大人の子どもに対するさりげない愛情を感じました。子どもだってけんかするし、けんかをしたあとは、苦労して仲直りもする。そんな子どもの内面までしっかり描かれています。親友のエッラ・フリーダが引っ越してしまったあと、ドゥンネはすっかり落ち込んでしまいますが、でも少しずつ自分で友だちを作り、自分で何かを考え、まわりに気持ちを伝え、うまくいくという経験を積み重ねます。その、自分ひとりでがんばった時間があったからこそ、親友と再会できる喜びが、いっそう大きく読者に伝わってくる。構成のうまい作家で、スウェーデンの児童文学はやっぱり奥が深いと思いました。

ハリネズミ:これだけ子どもの気持ちをしっかりわかって書いている人って、日本だと神沢さんくらいでしょうか。

さらら:ひとつだけ、「復活祭」に注が入っていないことが、気になったのだけれど……。

ハリネズミ:ここは、お祭りなんだなということがわかればいいと思ったんじゃないかな。

トトキ:ほとんど全部言われてしまいましたね。私も、すごい作品だなあと思いました。小さい人たちの心の動きを、本当に繊細に描いていますね。

さらら:ほんとうに、品がいい物語。

トトキ:ずっとふさぎこんで、ひっこんでいた主人公が、思いきって積み木の山に腰かける。ここもいいけれど、その騒動で男の子の歯が折れてしまう。そのときの主人公の、奈落に突き落とされたような、目の前が真っ暗になった気持ち、よくわかります。そのあとの入れ歯のくだりや、主人公が一所懸命に書いた手紙も、じんわりとしたユーモアがあっていいですね! それから、ちょっとADHDっぽい男の子がクラスにいて、先生がじつに親身になって面倒を見ているということもさりげなく書いてあって……。

ルパン:とてもよかったです。『わたしって、しあわせ!』のタイトル通り、幸福感でいっぱいになります。子どもの本はこうあるべき、っていう見本みたいで、ひさびさにスカっとした読後感でした。出てくる人がみんないい人で。

さらら:しかも、ひとりひとり個性が強くて、味がある人たち。

ルパン:そう、それぞれに不満や事件もあるのですが、根がいい人ばかり。そこがすごくいいと思います。

ハリネズミ:私もみなさんと同じ感想を持ちました。特におもしろかったのは、p101で、ヨナタンとドゥンネがリンゴやバナナに貼ってあるシールを食堂のマットの裏に貼ってるでしょう? この年代の子どもらしさが生き生きと浮かび上がってくるところですけど、こういうエピソードって、なかなか日本の児童文学には出てこない。リンドグレーンにしてもマリア・グリーペにしても北欧の作家は特にこういう場面を書くのがうまいですよね?

すあま:本質的なところを書いているので、古くさくならないと思います。

プルメリア:子どもの日常生活がわかりやすく、身近に感じます。今、シングルマザーやシングルファザーが増えていますが、お父さんの少女に対する関わりがさりげないようだけどとっても温かいです。お父さんとの暮らしで、子どもが幸せだって感じているのが作品から伝わってきます。p116ではモルモットが大きくなっており、モルモットたちから少女を見ている挿絵が素敵。いろんな子がいて、それがいいなって思います。表紙の挿絵 どくろの長靴もかわいく外国の感覚がわかるので気に入りました。

ハリネズミ:幼年童話って、学校での生活体験が国によって違うから、翻訳が難しいってよく言われます。でもこの本を読むと、ドゥンネの通っている学校では、<パン週間>で、パンについてのあらゆることを習ったり、<ジャガイモ週間>で、ジャガイモのことをいっぱい習ったりしてます。日本とは違う勉強の仕方があって、それも楽しそうだなって思えたら、日本の子どもの視野も少し広がりますよね。

げた:余計なことかもしれませんが、学校で子ども同士のトラブルで歯を折ったりしたら、日本では大変でしょうね、保護者対応の後始末なんかでね。

ajian:本国では、同じ主人公が出てくる次回作も出ています。

さらら:この本は、緑陰図書に選ばれてますね。幼年童話のジャンルでは、原書を見て「この本なら訳したい!」と思うことがなかなかないんですが、そういう意味でも、うらやましい作品……。

さくま:絵を見ればいろいろわかるから、1年生でも読めるかも。

さらら:レイアウトは原作のまま?

ajian:原書をちらっとみたかぎりでは、だいたいそのままだったと思います。

ハリネズミ:大人も子どももちゃんと書けているのがいいですね。

さらら:単純な文章のようですが、じつは会話よりも描写文が多く、心に深く入ってきます。力がある作家ですね。

ハリネズミ:菱木さんの翻訳もいいですねえ。

(2014年6月の言いたい放題)

『ロス、きみを送る旅』

Photo_7 『ロス、きみを送る旅』
の読書会記録


キース・グレイ 作
野沢佳織 訳
徳間書店
2012
原題:OSTRICH BOYS by Keith Gray, 2008


 

トトキ:キース・グレイの作品を読んだのは、これが初めでですが、とてもおもしろかったです。友だちの遺灰を盗んで、その少年の行きたかった場所に撒きに行くというストーリーですが、主人公ひとりで旅に出る設定にすると、なんとも暗くてやりきれない物語になったのではと思います。ズッコケ3人組みたいな、それぞれ個性の違った少年たちが旅をすることで、ユーモアもあれば奥行きもある話になっていると思いました。翻訳が上手なので、人物がそれぞれくっきりと描かれていますね。読みはじめたときは、「ったく、男の子って!」と思いましたが、亡くなった少年が果たして事故死だったのかどうかという疑問が出てきて、それぞれの少年に対する後ろめたさが描かれていく中盤から、男の子も女の子もない、普遍的な物語になっていきます。そのへんも上手いなあと思いました。ただ、死んだロスという少年は、「いじめ」のように何か強い理由があって死にたくなったというより、いろいろなことが重なって死に魅かれていったような感じがします。だから、事故だったのか、自殺だったのかは、なんとなくぼんやりしていて、はっきりと書いてないですね。そこのところが、かえって妙にリアルな感じがしました。作者のあとがきを読むと、その点がはっきりしてくるんだけど、創作ものは作品のなかで完結してほしいという気持ちが、ちょっとしました。作者が自分の作品を解説するのって、あんまり好きじゃないです。

レジーナ:登場人物がくっきりしていて、ひとつひとつの場面が印象的で、とてもおもしろく読みました。自分の体形を時々皮肉り、場に合わせて人とうまくやっていける主人公は、3人の中では一番大人ですね。旅と友情がテーマになっていたので、『シフト』(ジェニファー・ブラッドベリ著 小梨直訳 福音館書店)を思い出しました。p283に、「今までは、自分たちがどんな目にあうかということだけ心配していて、ほかの人をどれだけ傷つけるかという点は、あえて考えないようにしていたのだ。」という文章があり、自分の行動が周りの人にどれだけ影響を与えるかを考えることができ、他者性をきちんと持っているのが、『シフト』のウィンとは違いますね。大切な人を亡くしたとき、周りの人たちの言うことが見当違いに思えたり、自分だけが、その人を真に理解していたのだと思ったりするのは、よくありますよね。「周りは分かっていない」という気持ちが、「大人は分かっていない」となるのは、この作品の主人公が15歳だからでしょうね。旅を経て、鉄壁だと思っていた友情も変わり始めます。「ロス」という名前には、「失われたもの」や「二度と戻らない子ども時代」の意味が、こめられているのでしょうか。「果たして自分が何を求めているのか、はっきり分かっているわけではないが、旅を通じて失われたものを取り戻そうとする」というのが、作品の骨組みにあるのでは……。翻訳も読みやすかったです。p40の「窓にハマらないで出てこられる?」は、「窓につかえずに」「引っかからずに」でしょうか。少し不自然に感じました。

ヤマネ:3人組の男の子がいて、一人亡くなって、お葬式が納得いくようなものでなくて、自分たちだけがロスのことをわかっている、まわりはわかっていないという思いから骨壺をもって、亡くなった友達と同じ名前の「ロス」という場所をめざすというストーリーの根幹がおもしろかった。最後まで止まることなく読めました。なんとなく感じることなのだけれど、男の子のほうが、女の子よりも表面的に友達を見ているところがあるかもしれないと思います。自分は友達の深いところまで見ていないということを、男の子のほうがあとになって気づくのかなあと、このお話を読みながら感じました。旅を通して、友達の深い部分に気づいていったり、自分自身も嘘をついているということに気づいていくところがおもしろかった。ロスのため、といいながら、それぞれがロスに後ろめたいことがあってその気持ちからロスの灰を運ぶという行動に向かったことを、自分自身も最初は気がついていない。最後に気がつくところが心に残りました。男の子(少年)同士の精神的なところでの友情の亀裂を描いた作品を、これまであまり読んだことがなかったんです。日本の「夏の庭」(湯本香樹美著、新潮文庫)と少し設定が似ていると思いましたが、こちらで描かれている友情はもっとさわやかで読後感がすがすがしい。今回、男の子同士のぐちゃぐちゃした気持ちの揺れやぶつかり合いが新鮮でした。

さらら:ロードムービーを見ているようでした。最初、主人公がロスの家に骨壺を盗りにいく時、姉のキャロラインの存在が気になっていて、ためらっているけれど、結局、彼女の目の前で持ち出してしまう。ぬけぬけと馬鹿な行為を始めてしまうところに、思春期の少年らしさを感じました。道中、お金を落として、主人公たち3人組がにっちもさっちもいかなくなるあたりは、まさに定番の流れですね。その後、親切な青年たちの出会い、いきあたりばったりのバンジージャンプと、盛りだくさんの出来事のなかで、仲間同士のわだかまりが少しずつ明らかになっていく。死んだ友達のことを、どう受け止めたらいいのかわからない、というのは永遠のテーマで、その死に対して周囲の人間が罪悪感を抱くのも自然なことなのだけれど、それをどう描くか。キース・グレイは、書きながら自分でもロスの死に立ち会い、泥まみれになって、結末までなんとかたどりついたのではないでしょうか。答えが最初からあるのとは違う、体当たりの書き方が、ティーンエージャーの共感を呼ぶのでしょう。個人的には、もう少し思考を深めたところから書かれた作品が好きですが、これはこれでありだと思います。

レジーナ:ロザムンド・ピルチャーの短編で、上の方の階級の女性が亡くなったとき、火葬にすると死亡広告にわざわざ書いてある場面がありましたね。骨壷の出てくる話では、『ヴァイオレットがぼくに残してくれたもの』(ジェニー・ヴァレンタイン著 冨永星訳 小学館)もあります。

さらら:骨壷という「物」があることで、死を具体的に感じられる。死というものの分からなさを、なまのまま、ぶつけることができる。死体を運ぶのは大変だけれど、自分たちのやり方で骨壷を盗んで弔おうとする行動なら、実現可能だし、若い読者にも想像しやすいのでは?

トトキ:もしかして、上流階級の人たちは今でも土葬だけど、庶民は火葬になったのかも。

ハリネズミ:東京は今は土葬はできなくなってますよね。広い場所が必要だからかもしれないけど。でも地方にはまだ土葬できるところがあるようですね。

すあま:読み終わったばかりなので、まだ感想がまとまっていませんが…。身近な人が亡くなって、残された人がいろいろと考えたり、つらさや悲しさを乗り越えていく物語は他にもあるけど、事故だと思ったら自殺だった、という展開がめずらしいと思いました。これを読んで思い出すのは、『だれが君を殺したのか』(イリーナ・コルシュノウ作 上田真而子訳 岩波書店)。両方を読み比べしたらおもしろいかもしれません。ラストは、少し物足りない感じでした。最後にあえて3人をばらばらにし、そのうち一人はそのまま出てこないで終わってしまう。余韻を残して途中で終わるので、ラストの良し悪しの感想が人によって違うのではないかと思いました。家を飛び出してお金がなくなり、でもそのまま旅を続ける、というひと夏の思い出のような楽しい話ではなく、主人公たちが友人の死という大きな問題と謎を抱えているのが、似たような物語とは大きく違うところだと思います。旅でそのつらさが癒されるわけでもなく、何度も思い出してしまう。日本は、自殺する人が多いし、もし自分の身近な人だったら、何かできたのではないかなどと自分を責めたりすると思う。この物語は残された人たちの心情がよく描かれているのではないかと思います。結局ロスは自殺だったのか?と思いながらあとがきを読むと、作者自身が死のうと思った経験があることが書かれていて、やはり自殺なのか、と思いました。

ハリネズミ:徳間書店は、日本の読者へのメッセージを著者にたのんでいるようですね。

すあま:この本は、感想文を書いたり、ディスカッションをするための課題図書に向いているかもしれない。いろいろなテーマを取り出すことができるので。

げた:タイトルを見て、「きみを送るって」なんだろうかと思って手に取りました。男の子3人組がハラハラドキドキしながら、読者を連れて「ロス」まで行くんですよね。3人の関係性が、いろんな行動の中で、明らかになっていくんですね。ロスまでの道のりが遠くて、どんどん曲がり道に行っちゃうし、最後までハラハラさせてくれました。結局ロスが自殺だったかどうかはわからないのだけど、最後の部分で修理したパソコンのデータからロスの遺書かもしれない書き込みが出てきたんですね。本当に自殺したのかは、よくわからないですけどね。作者のあとがきはなくてもよかったんじゃないかな。言わなくてもわかってますよ、と言いたくなりましたね。

さらら:父親が、自分の夢をロスに押し付けていたことも明らかになります。ロスが、父親の書きためていた原稿のデータを消してしまったということも。あとがきの件は、確かにげたさんの言うとおり!

げた:ストーリーを追うだけでもおもしろかったです。主人公たちは中3か高1ですかね、日本の同年代の子たちに比べると行動力があるような気もしますね。

ハリネズミ:私は骨壺を盗んでいくっていうところに引っかかりました。死者を忌む感覚っていうか、そういうものがないんでしょうか? 日本の子はこういうことはしないと思うけど。ロスについては具体的にどういう人物だったのかが、あんまり書いてないので、この子たちが骨壺を盗んでまで旅に出ていくだけの背景がよくわからなかったのですが、読んでいくうちにわかってきますね。じつは後ろめたさがあったということなんですね。

さらら:だれかが死ぬと、周囲の人間はその理由付けどうしてもしたくなります。亡くなった本人にも実際にはわからない理由であっても、理由を付けることで、周囲はその死が自分の心におさまる場所を作り、「そうだったのか」と自分を納得させます。ロスの死も、単純に誰かが、何かが悪かったのではないわけで、そのわからなさを抱えて生きていくことが、大人になっていくことなのかもしれません。読者をここまでひっぱってきて、解決のあるようないような結末には、やや物足りなさを覚えますが、現実の感覚にできるだけ忠実に書かれた作品なのでしょう。

(2014年6月の言いたい放題の会)   

『今昔物語集』

Photo_6 『今昔物語集』
の読書会記録


令丈ヒロ子 著
つだなおこ 挿絵
岩崎書店
2014.01



ルパン:物語ごとにテイストがずいぶん違いますね。会話ばかりの章もあるし。子どもにはこういうほうがわかりやすいんでしょうか。

げた:令丈さんの言葉で語っていて、とっつきやすいですね。今の子どもたちには、伝わり易いんじゃないかな。『紫の結び』は、原典に忠実に再現しているけど、この『今昔物語』は令丈さんの作品になってる。この本に収められているお話の中では「瓜とふしぎな老人」が楽しめました。CGとかアニメでもおもしろく再現できそうですね。「羅生門の老婆」は、気味悪くて、小さな子どもにはわかりづらいかもしれないけど。

ルパン:『芋粥』のあとで、『まんじゅうこわい』を引き合いにだしているのはどうしてでしょう。ちょっと話が違うんじゃないかと思うんですが。

げた:私もそう思いました。言葉づかいは今の言葉で、とっつきやすい。

ハリネズミ:最近はストーリー中心の再話が流行っているようですね。外国のものだと、中には原文を参照しないで再話する人もいるみたいです。一時は、子どもの本の抄訳や超訳が批判されて、完訳で読みましょうと言われていたのにね。文学ってストーリーを追っただけじゃ本当の良さがわからないと思うんですよ。この本は、それとはまた違って、令丈節がしっかりできていて、そこがおもしろいんですね。

ヤマネ:日本の古典の現代語訳もさかんで、今度河出書房新社から「日本文学全集 全30巻」が刊行される(2014年11月刊行開始)ようです。そこでは『古事記』が池澤夏樹さん訳で、『源氏物語』が角田光代さん訳だそうです。古典を現代の作家によって今の人たちに読みやすいものとして受け継いでいく流れがあるんですね。この『今昔物語』は、世田谷区の図書館は所蔵が1館だけだったので、借りることができませんでした。公共図書館では、この本を入れるかどうか選書でゆれているのかもしれません。私は以前学校図書館で働いていたんですけど、子どもにはまず出会わせることが必要だと思うので、この試みには賛成したいです。古典はきっかけがないと、子どもたちはなかなか手に取らないから。出版社も、子どもに出会わせることを目的として出版したんでしょうか。

レジーナ:表紙に現代的な美男美女が描かれていますが、当時の美的基準は、今とは大分違うのでは? 「芋粥」の五位殿も、「もっさりしている」と悪口を言われていますけれど、そうした男性が、当時はもてたかもしれませんし。p9では、女性の容姿を、「スタイルがいい」とほめています。体のラインを隠す着物を着ているのに、スタイルも何もないのでは……?

プルメリア:昨年小学校5
年生の担任をしました。私がこの本を子どもたちに紹介したら、歴史好きの男子がこの本を購入して読んでいました。古典にはあまり目が向かなかった子どもたちがこの作品を読み始めています。令丈さんの名前で興味を持ったことや表紙がかわいいとかも手にとる大きな理由かも。令丈さんの文はわかりやすく、目次にもまとまりがあり、一話一話の後に書かれている説明文もとってもよかったです。このシリーズは10巻ありますが、この作品がいちばんいいなと思いました。


ハリネズミ:令丈さんなりのまとめ方をしているところがいいですね。一話一話の後のあとがきで視野が広がるし、モデルはどんな人だったのかとか、ほかの作品へのつながりなどおまけの情報もあるので楽しい。ちゃらちゃらした会話がふんだんに出てくる話とそうでもない話があってトーンがいろいろですね。欲を言えば、もう少しトーンを統一してほしかったけど、古典への架け橋と思えばそれもいいのかも。学校図書館には、古典のシリーズが入っているんですか?

プルメリア:私が勤務している小学校の図書館には『21世紀によむ日本の古典』

(ポプラ社)が入っています。

すあま:『今昔物語』は読みにくい話ではないので、ここまで今の会話風の文体にしないで、普通の現代語訳でも楽しめるのではないかな、と私は思いました。このシリーズでは、金原さんの『雨月物語』も、おもしろかったです。あまり手にとられない古典、知られていない古典の場合にはこういう工夫もありですけど…。時代を今に置き換えているんなら、こういう会話でもよいと思いますが、そうではないし、無理に言葉遣いを現代風に変える必要はないのでは? はやりの言い回しを使った場合、時間がたつとかえって古くさく感じてしまうこともあるし。

ルパン:わざわざ「メインストリート」に直さなくても、「大通り」の方がわかるのに。

げた:手に取りやすさはありますよ。内容も言葉も読みやすい。

ハリネズミ:「わらしべ長者」の話にはキャピキャピした会話が出てきませんね。

すあま:令丈さんの本が好きな子だと、令丈さんが書いているから、という理由で読むこともあるかも。

ハリネズミ:入り口になればいいですよね。

ルパン:今回読んだ3冊のの本は、これが「令丈ヒロコ 著」、『紫の結び』が「萩原規子 訳」、『はじめての北欧神話』が「菱木晃子 文」となっていますが、文、著、訳はどう違うんでしょう?

すあま:原作を元にして創作したら「著」、原作をそのまま翻訳したり現代語訳にすれば「訳」、北欧神話の場合は複数の本を参考に書かれたので「文」なのではないでしょうか。

(2014年5月の言いたい放題)

『紫の結び(一)』

Photo_5 『源氏物語 紫の結び(一)』
の読書会記録

紫式部 原作
荻原規子 訳
理論社
2013.08





ルパン
:古典をやさしく書くということにおいて、どんなところがポイントになるのか、今日はみなさんのご意見をうかがいたいと思って来ました。これは小学生向けなんでしょうか?

ハリネズミ:中学生じゃないですか。

ヤマネ:対象年齢は、出版社の表記だとヤングアダルト~一般のようです。

ルパン:もともと知っている話だから読めたんだと思います。『源氏物語』をまったく知らない中高生が読んでもわかるのかなあ。実は、知っていたといっても、マンガで読んだんですよ。『あさきゆめみし』(大和和紀 講談社)。あれはよくできてました。これを読みながら、マンガの絵がうかんできちゃいました。ところで、この『紫の結び』の中では、歌の部分は現代語訳だけ書いてあるのですが、私としてはもとの和歌を書いてほしかったです。著者の萩原さんは古典に強いのかな。ご自分で原典を読んで歌も訳したのでしょうか。

一同:国文科出身の方ですからね。

レジーナ:マンガの『あさきゆめみし』は、源氏物語の大筋を知るには良いけど原典と異なる部分もあると、聞いたことがあります。一方『紫の結び』は、荻原さんが、原典になるべく忠実に語ろうとしている様子が感じられますし、読みやすい現代語になっています。源氏物語は、大学受験でも、これが読めれば他の古典は読みこなせると言われるほど難しいので、古文を学ぶ受験生が一読するのに最適の副読本になるのでは。注釈をなくしたのは画期的ですが、「上の局」「斎院」「わらわ病み」等、日常では耳にしない言葉を、子どもがどこまで理解できるか……。古典オタクの高校生・大学生ならばともかく、自ら進んで読んでもらうのは難しいかもしれません。

プルメリア:地元の渋谷区の図書館でこの作品を予約したところ1冊しか入ってなくて私はリストの3番目でした。残念ながら順番がきませんでした。

げた:以前、与謝野晶子の現代語訳を文庫版で読み始めたことがあったんですけど、すぐに諦めました。今回やっと読み通して楽しめる本に出会ったと思ったんだけど、これまでの本と同じくらいしかわからなかった。筋はなんとなくわかるんだけど。楽しい読み物として読むまでいかなかったな。読まされているという感じがあってね。和歌が訳しか掲載されていないんだけど、元歌があった方がいいな。感じがつかめるから。

ヤマネ:まずパッと見て装丁がいいなと思いました。美しい本。おそらくこの本を一番手に取るのは、大人の女性ではないかと思います。もしかしたら古典好きの子は手に取るかもしれませんが…。『源氏物語』は、実はこれまで読み通せたことがないので、ようやく読み通せるかもしれないと期待しているところです。和歌を省いているところについては、止まらずに読めるのでスムーズに進むと思いました。和歌のところで立ち止まって想像するのも楽しみの一つではあるんですけど。

すあま:『源氏物語』は、日本人として読むべきだと思っていて、これまでもいろいろな人の現代語訳を読んでみたけれどなかなか読みきれず、今度こそ…と思ったけど、やはり今ひとつ話に乗り切れませんでした。これは紫の上を中心にして、読みやすくなるように再編しているのが特徴だけど、結局この話自体がおもしろくないのではないかと思ってしまいました。光源氏にしても、マザコン、ロリコンで、行動が共感できないし…。登場人物に共感したり、光源氏をかっこいいと思えればおもしろいけれど。全体的に不幸な人や満たされない人ばかり出てくる印象があります。すでにあるけど、マンガにして登場人物を美しく描いた方がおもしろく読めるのではないかと思いました。もちろん荻原さんの作品が好きな人は読むと思います。

ルパン:光源氏って、あんまりおもしろくない男ですよね。美人が好きで、若いのが好きで、ステレオタイプすぎる。

ハリネズミ:勝手気ままに楽しんでいた光源氏が晩年にしっぺ返しを受けていく。そこがおもしろいんじゃないですか。年をとって真剣に悩み、深みが出てくる。実はね、私はある時田辺聖子さんが源氏物語について講演なさっているCD(新潮CD 講演)を聞いて、全体像をつかんだんですよ。30枚以上のCDを、少しずつ家事をしながら聞いたんです。でも最初の方だけだと、女たらしが出てくるだけで女性が読むと反発を感じるだけなのは、よくわかります。

すあま:講演のCDでしょうか?

ハリネズミ:連続講演で、途中で冗談なんかも入るので、楽しくてわかりやすいんです。この本の歌のところですけど、やっぱり私も訳だけでなく、カッコつきでもいいからオリジナルの歌があったほうがいいと思いました。リズムや言葉のもつ力のようなものは、訳だけだと伝わりませんからね。たとえばp223ですけど、直訳風なので「たいそうかわいい」感じがなかなか伝わりませんね。そういう意味では歌だけでも原文があると、雰囲気がもっとわかるんじゃないかな。これから角田光代さんの現代語訳も出るとのことですが、そちらは歌はどうなっているのかしらね。

すあま:人物相関図があるとわかりやすいんだけど。

ハリネズミ:書ききれないのでは? 『北欧神話』でもそう思ったけど。

(2014年5月の言いたい放題)

『はじめての北欧神話』

Photo_4『はじめての北欧神話』
の読書会記録

菱木晃子 文
ナカムラジン 挿絵
徳間書店
2014.03




げた
:北欧に伝わる神々のお話ですね。世界に何もなかったときから、神様が生まれて、神様が鬼になったり動物になったり、そのあげく、世界中が焼きつくされ台地が海に沈んでしまい何もなくなってしまう。けれど、最後は大地がよみがえり、今生きてる人々の先祖が登場し、次々と新しいいのちを生み育てていった。今いる自分たちは生まれ残ったすばらしい人間の子孫なんだという、誇りを持ってもらい、楽しく読んでもらえるようなお話になっている。神様が突然タカになったり、ヘビになったり、ビジュアル性があるので、アニメーションになったらおもしろいんじゃないかな。テレビも本も無かった昔から、語り伝えで、伝わってきたんじゃないかな。当時は大きな娯楽の一つとしてあったんでしょうね。北欧の子どもは、この本にのっているようなお話を常識として知っているのかな。日本の神話は民族主義的で、楽しむところまでいかない気がするけど。

ハリネズミ:私たちが子どもの頃は、日本の神話は国家神道と結びついているというので教えるのをためらっていた人たちがたくさんいました。でも今は、右翼の出版社だけでなく、普通の出版社が、特に古事記はお話としておもしろいんじゃないかというんで、出版しています。松谷みよ子さんが再話した『日本の神話』(のら書店)もあるし、竹中淑子さんと根岸貴子さんが再話した『はじめての古事記』(徳間書店)や、こぐま社の『子どもに語る日本の神話』もあります。絵本も、舟崎克彦さんが再話して太田大八さんが絵をつけたものなど、いろいろ出ています。

げた:こんな感じで楽しめるならいいですね。

ハリネズミ:2年前に出た『はじめての古事記』は、スズキコージさんの絵がいいんです。

ヤマネ:北欧神話は、これまで岩波少年文庫で出ているものなど高学年のものしか見たことがなかったんです。ちゃんと評価しようと思ったらそういうのと比較しないと分からないところもあるので、難しいほうも読んでくればよかったですね。しかし低・中学年向けに出されたということで、ふりがながふってあるし字が大きめで、読みやすかったです。神様とはいえ、いたずらや争いがあり、人間と変わらないところに子どもたちも興味をもって読めるのではないでしょうか。出てくる登場人物がカタカナの名前ばかりで、覚えづらい点はありました。

ハリネズミ:登場人物リストがあった方がいいのかな。菱木さんは、ラグナロクを「ほろびの日」、ユグドラシルを「宇宙樹」、アースガルズを「神の国」というふうにずいぶんわかりやすく言い換えています。ブリージンガメンも「首かざり」としていますけど、そう言えばアラン・ガーナーの作品に『ブリジンガメンの魔法の宝石』(芦川長三郎訳 評論社)というのがありましたね。あれも北欧神話が下敷きになってたのかな。それと、菱木さんは本文でも、ただ神様の名前をぽんと出すのではなく「みのりの女神フレイヤ」とか、「海の神ニョルズ」とか、「いたずらもののロキ」「うつくしい光の神バルドル」などとちょっとした説明をつけて書いています。ずいぶんと工夫されているので、私はとても読みやすかったです。

レジーナ:読みやすい文体で、北欧神話の魅力が伝わってきました。太陽がなくなって、世界が滅びるというのは、北欧ならではの世界観ですね。主役の神々の敗北があらかじめ定められた神話は、ほかにあまりないのでは。C・S・ルイスは、上級生にこき使われた辛いパブリックスクール時代、北欧神話が支えになったそうです。運命を知りつつ、最後まで誇り高く雄々しく振舞う姿に、惹きつけられたのでしょうか。横暴な巨人に抵抗する神々に、自分の姿を重ねていたのですね。J・R・R・トールキンは、北欧神話を下敷きにファンタジー世界を創造しました。今回の作品は、北欧神話の重厚な世界を映す挿絵であれば、もっとよかったです。しかしルイスも、自分の読んだ北欧神話の挿絵はよくなかったが、それでも心惹かれたと語っているので、物語としての力を持つ神話を語るのに、挿絵はあまり問題にならないのかもしれません。ゲームや映画をきっかけに北欧神話に興味を持つ子どもは、結構いるのではないでしょうか。北欧神話を探していた中学生に、K・クロスリイ-ホランドの『北欧神話物語』(山室静・米原まり子訳 青土社)をすすめたことが何回かあります。

ハリネズミ:私は神話を読むのが好きなので「エッダ」や「サガ」も読んでおもしろいと思ったんですけど、原典のままだと流れやつながりがよくわからない。この本は、菱木さんがまとまりをつけて読みやすくしているので、流れもつかめていいと思いました。北欧のことや北欧神話のこともよくわかったうえで、言葉をかみくだいているのがわかって安心できます。

ルパン:まだちゃんと読んでいないんですけど、おもしろかったです。ぱらぱらと見たなかで、カワウソに化けて殺されちゃう家族のお話があったんですが、なにも悪いことしていないのに、かわいそうだと思いました。神話とか名作とかを低学年向けに書くのはむずかしいと思うのですが、これはたいへんよくできていると思います。

プルメリア:岩波書店の『北欧神話』(P.コラム作 尾崎義訳 
岩波少年文庫)とは、違う感じ。寒い場所にもかかわらず神様がダイナミックで迫力があります。登場人物の性格がはっきりしていてわかりやすい。いろいろな神々や巨人族、小人族などが次から次へと登場してくるのでおもしろさがありますが、読み進めるとだんだんいたずらもののロキ以外はわからなくなりました。登場人物の紹介があると読みやすかったかなと思います。素敵な表紙で、男の子はゲーム感覚で読むのではないかと思いました。

すあま:北欧神話やギリシア神話は一般教養として知っていないといけないものだと思うので、読みやすい本があるのはよいと思います。ただ、小学校中学年向けの本だと思うけれど、登場人物の名前が難しいので、キャラクター紹介のようなものがあるとわかりやすくなるのでは? 小人族、巨人族などが出てくるので、『指輪物語』(トールキン著 瀬田貞二ほか訳 評論社)の好きな子に薦められます。巻末に北欧神話の本の紹介があるので、興味を持った子は、そこからさらに読み進めることができるのではないでしょうか。

ハリネズミ:ただ置いておいても子どもは手に取らないかもしれないので、手渡す人が重要ですね。

すあま:教科書にも昔話や神話が出てくるので、出版も増えているのかな。古典だけでなく、文豪の作品なども読みやすい本が出てくるとよいと思います。

ハリネズミ:夏目漱石を、ストーリー中心に書き換えるとか?

すあま:書き換えるっていうより、芥川龍之介の短編などを手に取りやすい形で出してくれたらいいな、と。太宰治の作品も、最近ではマンガ風のイラストを表紙にしたのがありますよ。

ハリネズミ:そこまで軽くしなくても、文豪は文豪でいいんじゃないの。

(2014年5月の言いたい放題)

『嵐にいななく』

Photo_3 『嵐にいななく』
の読書会記録

L.S.マシューズ 作
三辺律子 訳
小学館
2013.03
*読書感想画コンクール課題図書




ルパン
:まだp170までしか読んでないのですが、今のところ3冊の中で一番いいと思っています。ただ、p120のマックスの言葉の意味がよくわかりませんでした。

アカシア:両親が、ジャックのことを理解していないということでは。

ルパン:あと、ジャックが読み書きできないということを、マックスはいつ知ったのでしょう。

アカシア:p81ページでは。

:最後は本当に衝撃ですよね。おもしろい。これまで読んできた前提がひっくりかえされます。時代もよくわからなくて、ずいぶん昔のようでいながら、先端のエネルギー問題がでてきたりして、予想が何度もくつがえされます。背後にあるのは無機質な世界なんです。でも、そこに、人間同士のあたたかい関係や、読み書きとか、有機的なものが立ち上がってきます。それは成功していると思います。馬を自由に飼うことはできないその状況は無機的ですけれど、馬のお世話をするときの脈動とか、馬という動物じたいの躍動感とか、もっといえば、馬の前にシカが殺されたときの赤い血の広がりとか、そういうあたたかさが有機的なものとして浮かび上がってきていると思いました。もちろん、その先に、マイケルとの交流がありますね。いろいろな意味で実験作ですね。

プルメリア:以前読んだとき、いい本だなって思いましたが、今回 読んでみたところ感想画を描く5・6年生の高学年には読み取りにくい作品だなと思いました。読み書きができない内向的な少年が、馬と出会って変わっていく。飼うのが大変な状況の中で馬と心を通わすことで安心感を得る。ペット的な小動物でない馬の設定がおもしろい。残念なことは、学力的に高くないと読みきれない作品だと思います。

アカシア:最初の出だしはとてもドラマティックで、ぐっと引きつけられました。でも、4章ではとつぜん18か月後のちがう話になります。そこで、まずえっ? と思って、私の中の読むリズムが崩れてしまいました。それと、時代がいつなのかがよくわかりません。出版社の言葉には近未来とありましたが、エネルギーを無駄遣いしないという枠はわかっても、どうして新時代の自動車ではなく馬が使われているのか、省エネ機械ではなく人力ですべてが行われているのか、どうして学校制度が形骸化してしまったのか、などはよくわかりません。ベースになる時代設定をヒント程度にでも書いといてもらわないと、読む方は落ち着かない気持ちになります。これ、特に近未来にする必要がなかったんじゃないかな? もちろん動物と人間の愛情などよく書けていますし、いい描写もあるのですが、イギリスのアマゾンを見ると、もうキンドル版しか出ていませんね。不安定な舞台設定がネックになったのではないでしょうか? マイケルが実はおじいさんだったことが最後の最後でわかるのですが、それも意表をつくおもしろさというより、あざといと思ってしまいました。そんな小細工しないほうが、伝わるものが大きいのではないでしょうか? それから、翻訳はいい文章なのですが、わかりにくいところがありました。

レジーナ:原文は、どうだったのでしょうね。英語は、言葉づかいが、日本語ほど年齢によって変わらないはずですが、日本語の翻訳者は、老人なら老人らしく、子どもなら子どもらしく、台詞を訳します。マイケルの口調が少年のように訳されている分、原文より日本語訳の方が、最後の驚きは大きいのかもしれません。読者の知らない事実を最後に明かす手法は、シャロン・クリーチの『めぐりめぐる月』(もきかずこ訳 講談社)を思い出しました。『めぐりめぐる月』は、少し凝り過ぎだと思いましたが、今回の作品はちょっとだまされたように感じてしまいました。筋はおもしろく、読者を引っ張っていく力があり、大人の作品だったらよいと思いますし、また仕掛けをしておき、最後にあっと驚かせる作品を好む子どももいます。しかし、児童文学である以上、「だまされた」と読者に感じさせないようにしなければいけないのではないでしょうか。作品に寄り添って読むことができていたら、そう感じなかったかもしれません。エネルギー不足の近未来という舞台設定、馬との心の交流、字が読めないというハンディ――さまざまな要素が、もう少し絡み合っていたら、よかったのでしょう。最後の方に、嵐の後、家に閉じ込められた人を救う場面があります。洪水で家を失い、別の土地で新しい生活を始めた少年が、そこで出会った人や動物の力を借りて、今度は他者を助ける側になるのですね。レースのように見えたり、エメラルド色をしていたり、鮮やかでみずみずしい野菜の描写、身体を自由に動かせないマイケルが、鍬によりかかる人を見て、「疲れる」という感覚を思い出す場面は印象的でした。今すぐマイケルの日記を読みたいジャックが、日記を「今にもはじけそうになっている花のつぼみのよう」だと表現しているのも、美しいたとえですね。いじめっ子のフレッドやジムは、痛みを抱えた人間として描かれていて、人物造形に厚みがあります。洪水の時の不気味な静けさはよく伝わってきましたが、においもするはずなので、そこを描けばもっとリアルに感じられたでしょう。ハミやオモガイといった言葉にはなじみがないので、217ページの図に助けられました。図が冒頭にあれば、なおよかったです。

アカシア:近未来にするなら、現在の社会からどう変わってこういう社会になっているのか、そのあたりを少なくとも作者は考えて書いてほしいと思います。そうでないと、子どもだましになってしまう。

ルパン:携帯電話が出てくるまでは、昔の話だと思って読んでいました。近未来という設定だというのは気がつきませんでした。ぜんぶ読まないとだめなんですね。

ラストを聞いたら、先ほどのp120のところも納得がいきます。

アカシア:ジャックの一人称部分は明朝体、マイケルの日記はゴチック体で印刷されているんですが、訳注は両方ともゴチック体なので、明朝部分の注がやけに目立ちます。それから、「動物をペットとして飼えなくなった時代」とありますが、p124に犬は出てきますね。これは、猟犬なのでしょうか? だったら猟犬と訳したほうがよかったかも。

:資源が足りないから、ペットを飼えないのでしょうか。洪水で鶏小屋が流れてくるけれど。

一同:ニワトリは食用なのでは。

アカシア:太陽エネルギーを蓄電できれば、いろいろな問題は解消されるはずなんだけど、この作品では時代が元に戻ってしまっていますね。

(2014年3月の言いたい放題)

『希望への扉 リロダ』

Photo_2 『希望への扉 リロダ』
の読書会記録

渡辺有理子 作
小渕もも 挿絵
アリス館
2012.11
*読書感想画コンクール課題図書




ルパン
:私は、これはなかなか良いと思いました。先に読んだ『かあちゃんのもと』(福明子作 そうえん社)を評価できなかったからかもしれませんが。よくまとまっているし。ただ、最近こういうのが多いな、とは思いましたが。

アカシア:こういうのって?

ルパン:難民の話とか、途上国が舞台の物語です。私はここ3年ほどシャンティの訳語シール貼りをしていたので、親近感をもって読みました。途上国で新たに本を作って出版するのはとても大変なことだと思うので、現地の言葉のシールを上から貼って手渡すのはいいアイデアだと思っています。私がシールを貼った本はこういうところに行って読まれているのだな、と思うとうれしくなりました。お話のなかでよかった場面は、高床式の図書館を作っているときに、中で読み聞かせの練習をしていたら、床の下に子どもたちがたくさん入って聞いていた、というところです。

:現実には、こういう活動にはうまくいかないことも悪いこともあると思うんですけれど、よくできた部分を取り出した報告パンフレットのようでした。日本のNGOのおかげというのが前面に出ているところも。難民の話かと思ったら図書館の話になるんですよね。カレン族とミャンマー族の相克の背景など、もっと深めてほしかったな。難民を描くという点では浅いのではないでしょうか。あと、リロダというのもはじめ何のことだか分からなくて。

ルパン:タイトルにもそうありますし、図書館のことでは。

:(本を見て確認)読みすごしていました。たしかに、ちゃんと「図書館」とありますね。

アカシア:私は内容も記述も教科書的だな、と思いました。書いてあることは悪くないんだけど、表現にもクリシェが多いし、作者自身が難民ではないので今ひとつ迫ってこないのが残念でした。ミャンマーのシャンティはライブラリアンの研修をちゃんとするんだな、とか、人数をかぞえるのに小石を一つずつ箱に入れてもらうのはいいな、とか、そういう発見があったのはよかった点です。貧しい中でも家族が助け合って暮らしている様子も伝わってきました。それからカレン語の訳を、日本や欧米の絵本に貼るのも悪くはないと思いますが、本当はそこの土地の子どもたちが自分が主人公、という気持ちになれる本が必要なのだと思います。その意味では、カレン族の昔話を紙芝居にして、難民キャンプで暮らす絵の好きなおじさんが絵を描いてくれる、というのは、とてもいいと思いました。こういった試みが広がっていくのが理想だと思います。挿絵では、p39の絵だと川幅がそれほどないように思えるので、政府軍のサーチライトをかわすのはこれでは無理なのではないか、と思いました。

ルパン:学校の先生が書いたクラスづくりのおはなしとかに、こういう感じの本ありますよね。

アカシア:うまくいった部分だけを取り上げて書いたものは、ノンフィクションにもたくさんあります。

:成功体験でまとまっているのが多いですね。

ルパン:ただの紹介や説明だと聞いてもらえないけど、物語にしたら読んでもらえるからストーリーにまとめるんでしょうね。

アカシア:最初は木に登って図書館の中をのぞいていた男の子パディゲが、図書館の中に入れて文字も少し教わり、お母さんから認められて小学校に通えるようになる。そしてマナポが働いていた図書館が洪水で流されてしまったとき、このパディゲの家族は、自分たちが別の場所に立ち退くからそこに図書館を建ててほしいと言い出す。この展開は、とてもきれいですが、実際は、そんなにうまくいかない場合がほとんどじゃないかな。学校に行かせない親は、西欧風の価値観に毒されると思ったり、早くから手に職をつけてほしいとか思っている場合が多いでしょうし、そうした考えを変えていくのにはかなりの時間がかかるように思います。

ルパン:あまりわくわく感がないのは、最初から「これを書こう」という枠組みを決めて書いているからじゃないですか。登場人物が自然にいきいきと動き出す、という感じはないですよね。でも、図書館を見たことがない子どもたち、初めておはなしを聞いたときのうれしさ、本が読めるよろこび、というものがすなおに伝わってきて、好感がもてました。成功体験だけをまとめているのかもしれませんが、同じ会で読んだ『かあちゃんのもと』のご都合主義にくらべたらはるかに読後感がいいです。

アカシア:難民キャンプには募金が集まるので図書館がいくつもつくれる。でも、逆に地方の村には図書館がない。この作者は、図書館は絶対的にいいものだという価値観が最初にあって書いているようですけど、ボランティアって本当は安易にするべきものじゃなくて、深く考えてするものだと思うんです。文字の文化も安易に導入すると、声の文化を圧迫して消滅させてしまう結果になる。まあ、この本は小学生向きなので、そう詳しくは書けないでしょうけど、作者がどこまで深く考えているのか、は大事だと思います。

:その言葉を話す人たちに家族を殺されているのに、心理的な抵抗はないのかしら。いつかカレン語で、という願いはありますが、現状への葛藤はあまりないみたい。

レジーナ:石で入館者を数えたり、高床式の建物の床下でおはなしを聞いたりする場面からは、その土地ならではの素朴な温もりを感じました。厳しい環境で生きる子どもが、読書の喜びを知っていく姿に、子どもに本を手渡していく活動は、時代や場所を越えて続いているのだと感じました。第二次世界大戦後、瓦礫の中でミュンヘン国際児童図書館を始めたイェラ・レップマンを思い出しました。それにしても、湿気が大敵の図書館を、川のそばに作ってしまうのには驚きました。難民が一番多い地域は、アジアだと書かれていましたが、これまで知りませんでした。

プルメリア(遅れて参加):この本を読んだ5年生の女子は、『難民って大変なんだな。図書館はどこにでもあると思っていたから、図書館がないところがあることを初めて知りました。』との感想でした。絵もあって、とくに女子にはとっつきやすそうでした。

(2014年3月の言いたい放題)

『母ちゃんのもと』

Photo 『母ちゃんのもと』
の読書会記録

福明子 作

ふりやかよこ 挿絵
そうえん社
2013.02
*読書感想画コンクール課題図書



:何もかもリアリティがなかったです。お父さんが乗り越えていないお母さんの死を、たけるはいとも簡単に乗り越えてしまっています。寂しさはあるけど、その寂しさに奥行きがないというか。こんな5年生は絶対にいないし、けなげすぎるでしょう。遺言を守っているという設定ですけれど、そこにもリアリティがありません。

「母ちゃんのもと」という小道具も、マンガにありそうですけど、空気が入ってぼよんぼよんしていて、いかにもまがいものですよね。たけるがいろいろ教えてやらないと、本当のお母さんに似たものにならないから、子どもが優位に立たざるを得ません。間違ってます。たけるの喪失を埋めるものにならないから、疑似的な親子関係にもリアリティが生まれないし、最後はあんなふうに消滅してしまいます。八百屋も何を考えているのだか、たけるになぜあんなものをお試しで渡したのかしら。残酷。あらゆる面で、たけるは大人にとって都合のいい子どもになっていて、本当の気持ちはどこ?と思います。

ルパン:なんてかわいそうな話なんだろう、と思いながら読みました。たけるはお母さんが亡くなっても立派にがんばっているのに。たとえ、いつまでもめそめそしている子どもだとしても、わざわざ中途半端に死んだお母さんをよみがえらせたりしたら残酷なだけなのに、ましてやこんなに健気にお父さんの世話までしている子に、いったい何をさせたかったんでしょう。いきなり出てきて「母ちゃんのもと」なんか使わせて感想を言わせようとしているこの八百屋(?)の「おっちゃん」も意味不明です。

アカシア:やっぱりリアリティがないですよね。たけるがけなげで新たな出発をするのはいいのですが、たとえば、峠から自転車の二人乗りで坂道を下って、おもちゃ屋に突っ込んでショーウィンドーを割るくだりとか、ビニールプールをかぶって雨をよけるくだりは、いかにもマンガ的で、リアリティがない。お母さんが現れたとしても、こんなぼうっとしたつかみどころのないお母さんだったら、かえってたけるは大変になるだけ。それを乗り越えてっていう展開にそもそも無理があると思います。

レジーナ:雨の中、お母さんを守りながら自転車で走る場面をはじめ、切ない雰囲気の作品です。お母さんが割烹着を着ていたり、部屋にちゃぶ台があったり、時代を感じさせる設定が、暗さを助長しているようで……。種から生まれたお母さんのちぐはぐな言動に、ユーモアがあれば、救われたのですが。ショーウインドーは高額のはずなので、それを壊してしまい、どうするのかと思っていたら、ガラス工場に勤めているお父さんが弁償します。ご都合主義な展開です。登場人物も、もっと作り込む必要があります。無力で健気な子ども像が強調されているのも気になりますし、ロックミュージシャンのような八百屋さんの描写も平面的で、リアリティが感じられませんでした。

プルメリア(遅れて参加):学級(小学校5年生)の子どもたちに紹介しましたが、読んだ子どもたちからは残念ながらおすすめの本として紹介する姿はありませんでした。お話がオーバーに構成されているように見えました。たとえば、お母さんと一緒に自転車に乗ってみかん畑に倒れたとき、帽子がみかんの木のてっぺんに引っかかったり、お母さんがゴロゴロと転がって木にぶつかりみかんがぽこぽこおちてきた場面。疑問に思った場面では『スニーカーの先がアスファルトのつくたびに火花が散るのが見えた。』見えるのかな?また『初めてお父さんが料理をする』とありますが、今まではどうしていたのかな? よく似た作品には『お母さん 取扱説明書』(キム・ソンジン作 キム・ジュンソク絵 吉原育子訳 金の星社)がありますが、登場人物はそっちのほうが少なくまとまっていたように思えます。みなさんの意見はどうでしたか?

 

アカシア:『母ちゃんのもと』については、たけるが、せっかくけなげに前向きに生きているのに、中途半端にお母さん人形みたいな物をちらつかされ、しかも、自分のせいで消えてしまう。子どもにしたら、とても耐えられないような踏んだり蹴ったりのシチュエーションじゃないかと思うという声がさっきは多かったのです。

(2014年3月の言いたい放題)

2017年3月 9日 (木)

『狛犬の佐助 迷子の巻』

Photo_9 『狛犬の佐助 迷子の巻』
の読書会記録


伊藤遊 作
岡本順 挿絵
ポプラ社
2013

★第62回小学館児童出版文化賞





プルメリア:文も絵もよかったです。身近だけど、神秘的な狛犬。6歳まで聞こえるのも、モモがいなくなるという設定もおもしろいです。また、命令調の親方と佐助のかけあいもよかったです。佐助が、戻れなくなるのもハラハラして子ども達は先をはやく読みたくなると思います。作品に登場してくる男の子が幼稚園なので、もう少し上だとよかったかな。でも、幼稚園児だけど、人間関係がぐちゃぐちゃしているので感情移入できるのでは。続きがあるような気がしますので、次作はどういうふうに展開されるのか楽しみです。

:おもしろく読みました。近所の神社の隣にも幼稚園があるので、とてもリアルに読みました。翔太って、大人から見たいい子ではなく、一人占めもするし、悪態もつくし、いるいる、こういう子って思いました。犬をめぐるやりとりはよくできていたし、生まれた子犬を引き取って丸く収まるところはさすが。佐助が戻れなくなるところでは、スリルもありました。あれ、プライドの象徴である玉を捨てると自由になれるんですね。

ヨメナ:安心して読める作品でした。江戸時代に作られた狛犬を主人公にしたところがおもしろかったし、子どもたちも日ごろ見慣れている神社の一角に、昔からの時の流れが続いているのをあらためて感じて、奥深い読後感を持つのではと思いました。続編でこれから語られていくのでしょうが、佐助の生きていた時代がどうだったのか、どんな出来事が佐助の身の回りに起こっていたのか、もっと知りたいと思いました。

:佐助の時代からここまで150年もあるから、続編はいろいろに展開できますね。

レン:ずいぶん難しいテーマを選んだなって思いました。狛犬自体が、子どもにとってそんな身近な存在ではないから。でも、親方と弟子のやりとりは、言葉遣いもおもしろくて、日本の作家ならではの力量を感じました。数えの7歳というのもいいなあと。だけど、耕平が、自分の犬がいなくなったいきさつを、ここまで説明的に狛犬に話しかけて話すというのは不自然に感じました。しっぽのかけらに乗り移ったところで、もう帰ってこられないと思ったら、親方が連れて帰ってくるというのは、びっくりでした。子弟の愛情が感じられていいけれど、やや強引かなと。

アカシア:大人である耕平が、心の中にあることの一部始終を毎日狛犬に話すというのは、不自然といえば不自然ですよね。それと、耕平がせっかくモモを探し当てたのに、本当にモモかどうか確信が持てないというところですが、いくら成長して毛の色や長さが変わっていても、犬好きの人はわかるんじゃないかな。外見じゃなくてちょっとした仕草とか癖とか本人にしかわからない意思疎通の仕方とかあるし、と思いました。でも、そういうことをさておいても、佐助と親方の会話がおもしろいので、楽しくどんどん読めます。それに、挿絵がいいですね。「狛犬に似ているかわいい犬」というのは描くのが難しいと思うんですけど、p26の絵はそれをうまく表していてすごい! 普通は動かない狛犬が動くかもしれないと思わせる絵になっているのもうまいし、p170の絵もおもしろい。そうそう、狛犬の会話で親方が「びびっている」という言葉を使っている(p98)のには、ちょっと違和感がありました。

レジーナ:ちょっと生意気なショウタをはじめ、人も狛犬もいきいきと描かれています。動かない狛犬を中心に、次々と人が登場するので、舞台のようです。また、親方の佐助に対する気持ちも伝わってきて、人を育てるというのは、こういうことなんだな、と思いました。決して出来がよかったり、見込みがあったり、大成しそうだから、目をかけるのでなくて、出来が悪くても、ひたむきさに打たれることがあるんですよね。人の命は有限で、その中で何を残せるかを考えたとき、弟子の未来にかけ、希望を託す。そうやって次の世代に伝えていくんだな、と思いました。また、狛犬は動けないので、ハンカチを使って、ショウタと耕平を会わせますが、小道具のハンカチの使い方がうまいと感じました。お金のない耕平がタクシーに乗る場面には、モモに会いたい気持ちがよく表れていますね。

(2014年2月の言いたい放題)

『ゾウと旅した戦争の冬』

Photo_8 『ゾウと旅した戦争の冬』
の読書会記録

マイケル・モーパーゴ 著
杉田七重 訳
徳間書店 2013
原題:AN ELEPHANT IN THE GARDEN by Michael Morpurgo, 2011





:戦争の時代を扱ったいい作品はたくさんあるけれど、ゾウとは意外でした。こんなこともあったかもしれないと思わせることに成功しています。介護施設での思い出話という枠がしっかりしていて、その中でペーターとの出会いの話があるので納得できます。ただ、軍国主義のおじさん夫婦よりリベラルな両親の方が正しかったことも、戦争の結末も、後世の私たちにあらかじめ分かっているところからスタートしているずるさはあります。この作品の問題だけではないですが。

レジーナ:ゾウと旅をする設定に、ジリアン・クロスの『象と二人の大脱走』(中村妙子訳 評論社)を思い出しました。リジーが恋に落ちる敵兵は、カナダ人です。カナダは、民族的にはアメリカに近いけれど、ドイツ人にとっては、爆撃してきたイギリスやアメリカに比べると、敵対心が少なかったのでしょうか。また彼は、母親がスイス人で、ドイツ語も話せます。心を通わせる上で、同じ言葉が話せるというのは、大きいのでしょうね。舞台はドイツですが、英国側から描かれた作品なので、いい人はみんな、ドイツ人でも反ナチなんですよね。リジーの家族もそうですし、助けてくれる伯爵夫人の夫も、ナチに抵抗して、軍のクーデターを起こした人物です。翻訳で、10ページに「うれしそうにさわぐ」とありますが、「はしゃぐ」の方が自然ではないでしょうか。またp84に「喪に服す」とありますが、至る所で泣き叫んでいる声が聞こえている状況なので、世界中がうめき声を上げているかのように感じられたということでしょうか。p60の「ヴンダバー」は、ドイツ語です。英語とドイツ語はつづりが似ているので、英語圏の子どもにはこのままでいいのかもしれませんが、名前なのか、何のことなのか、日本の読者は分からないでしょうから、ふりがなが必要では。

:ムティはいい味を出しているのに、あくまで「お母さん」なので残念。ゾウには名前があるのに。

ヨメナ:戦争と動物……どちらもモーパーゴの得意なテーマですね。ゾウは、だれにでも愛されている動物ですし、うまいテーマを選んだなと思いました。介護施設に入っているおばあさんと女の子の話から戦争中の物語に入っていくわけですが、とても自然で、いま生きているお年寄りもこういう経験をしていたのだと子どもたちにあらためて感じさせる上手な持っていきかただなと思いました。大人が本当に伝えたいことを、上から目線でも押しつけがましくもなく、かといって懐古的でもなく物語っていける優れた作家のひとりだと、あらためて思いました。『モーツァルトはおことわり』(さくまゆみこ訳 岩崎書店)や『発電所のねむる町』(杉田七重訳 あかね書房)もよかったし。

アカシア:今、ノンフィクションの一般書ですが、『象にささやく男』(ローレンス・アンソニー著 中嶋寛訳 築地書館)というのを読んでいるんですけど、そこに登場するリアルなゾウと比較すると、4歳のゾウの鼻だけ持って一緒に長旅をするというのは、ほんとうはあり得ないんじゃないかと思います。ただし、それ以前の暮らしの様子がとてもていねいにリアルに書かれているので、あり得るかもしれないと思わせる。この作品には、とてもリアルな部分と、話としてうまくできている部分の両方が出てきますね。たとえばリベラルな考えを持っていたリジーのお母さんが英国軍の兵士に会ったとたん、憎しみをむき出しにする部分はリアルですが、カーリの命を救ってもらったことで変わるという部分は、出来過ぎかと。構成はとてもじょうずにできています。ほかの作品でもモーパーゴは枠をうまく使いますが、この作品でも、老人ホームにいるリジーが語るという外枠がとても効果的ですね。

 それから、リアリティに関して気づいたんですけど、最後に見せてもらうリジーのアルバムにはマレーネの写真は一枚だけしかないんですね。でも、前のほうではリジーの写真はたくさんあるけど、のばしてくる鼻がじゃまでちゃんとは写っていないと言っています。ということは、リジーの話全体がファンタジーだとも考えられるという仕掛けになっているんじゃないかしら。そう考えるとすごいですね。

:戦争のほかに、老人と子どもという児童文学に得意のテーマも入っていますね。

プルメリア:さらりと読んだので、私はそれほどおもしろいとは思いませんでしたが、クラスの子ども達(小学校5年生)に紹介したところ読み終えた女子は、「お母さんがマレーネを守るうとすることに対してリジーが持つ嫉妬の気持ちが共感でき、戦争が昔あったことは知っているがどんな様子だったかはまったく知らなかったのでこの作品からドレスデンへの空爆のことがよくわかりました。おばあちゃんはユーモアのセンスがあるおばあちゃんみたいな気がしました。」と感想を言っていました。

(2014年2月の言いたい放題)

『おいでフレック、ぼくのところに』

Photo_7 『おいでフレック、ぼくのところに』
の読書会記録

エヴァ・イボットソン 著
三辺律子 訳
偕成社 2013

原題:ONE DOG AND HIS BOY by Eva Ibbotson, 2011





ヨメナ
:とても、おもしろく読みました。長いことファンタジーを書いてきたイボットソンが最後に書いた作品だということですが、ずっとこういう物語を書きたかったんだろうなと思いました。ちょっと古い感じがしたし、小学生が読むとしたら長いのではとも思いましたが、読書力のある子どもだったら、物語のおもしろさにひきこまれて一気に読んでしまうでしょうね。犬の大好きな子もね。ただ、登場人物が多くて途中で分からなくなってしまったので、最初に紹介をつけておいてほしかった。お父さんとお母さんは、これほどマンガチックに書かなければいけないのかな?

レジーナ:イボットソンは、ひねりのきいたユーモアや大人の社会に対する痛烈な皮肉が、ロアルド・ダールに通じる作家ですね。『幽霊派遣会社』(偕成社)は入りこめませんでしたが、『ガンプ : 魔法の島への扉』(偕成社)はおもしろかったです。あまり奇想天外な設定より、日常にファンタジーの要素を持ちこみ、その中で起こるどたばた騒ぎを描くのがうまい作家です。今回の作品はファンタジーではないけど、犬からの視点が入っている点では、リアリズムでもなく……犬も人間もよく描けていますね。翻訳に関して、p252に、結婚によいイメージのないハルが、「結婚しなくても問題ない」と考える箇所があります。「結婚しなくてもかまわない」の方が、子どもには分かりやすいのではないでしょうか。気になったのは、正義感の強いケリーの妹が犬を逃がす場面です。ルームAの犬だけ逃がすのですが、ほかの部屋の犬はそのままでいいのでしょうか。

:とてもおもしろく読みました。旅の終わりに犬が1匹ずつ落ち着くべきところを見つけていく収束感があってよかったです。子どもは田舎で育つべきだという昔ながらの考え方が強調されていて、湖水地方に救われたポターのことも思い出しました。カントリーサイドへの憧れがありますよね。出てきた場所の中では、現代のオアシスのような温かい修道院がよかったです。気になったのは、犬も人も多いこと。時々混乱しました。あと、p215に「ケヴィン・ドークスは親切な男でした」と書いてあるけれど、実際は悪い人です。こういう皮肉は子どもの本には不要かなと思いました。戯画的な両親像は、一応つじつまが合っていて、これ以上書きこむとあまりに複雑になるのではないかと思います。お母さんも、最後の買い物のところで一応自己反省できていてよかったなと。

アカシア:ハルとフレックの関係は生き生きと書かれていて、とてもいいですね。後半に登場する人たちも、短い文章でその人らしさを浮かび上がらせているのもうまい。何より犬にも人間にもそれぞれ個性があり、協力し合って冒険するのが楽しい。ファンタジーではないのですが、かといってとてもリアリティに徹しているかと言えば、そうでもない。だって子ども2人で、セントバーナードを含めて5匹の犬を連れて旅していたらかなり目立つので、すぐ見つかると思うし、両親もリアルというよりは戯画化されています。それに私も、ピッパがルームAにいる犬だけを放すのは不自然だと思いました。両方の間にある、希望や夢がつまった物語といったらいいのかな。さっき、ダールみたいという話がありましたが、ダールだったら、この母親はこてんぱんにやられてるでしょうね。この母親がほとんど変わらないことや、父親も一見行いを改めるようですが、結局はお金をケイリーに寄付してハッピーエンドになるところは、イギリスの旧来的なストーリー。中産階級以上の作家が中産階級以上の子どもに楽しいお話を書いていた、という意味でね。そこが、古い感じにつながっているのでしょうね。あと、細かいことですが、訳者の方はイギリスに行ったことがないのでしょうか? トッテンハムという言葉がたくさん出てきますが、これはトッテナム。サッカーでも有名なので、サッカーファンの子どももよく知っていると思います。トットナムという表記もありますが、トッテンハムではない。

:最後はお金で解決。

プルメリア:おもしろく、読み進めることができました。自分勝手な考え方がよく出ていました。長い作品ですが動物たち1匹1匹の性格がわかりやすくまたストーリの展開がおもしろかったです。犬を飼っていない作品を読んだクラス(小学5年生)の男子が「犬と一緒に生活している気持ちになったよ。」と感想を言っていました。

レン:おもしろく読みました。最後、犬を飼えてよかったね、と主人公の気持ちによりそって読めて、書き方がうまいと思いました。犬のほうは犬のほうで、ブレーメンの音楽隊みたい。人物の心理描写が細かいわけではなく、全体としては文学というよりはエンタメかな。本のおもしろさが伝わる本でした。

アカシア:読者対象はどれくらいなんでしょう? プルメリアさんとレンさんがおいでになる前に、犬も人もいっぱい出てくるので、全体を把握するのが小学生だと難しいのではないか、という声もあったのですが。

プルメリア:高学年だったら読める子は読むと思います。

アカシア:それと、最後の文章「生涯、一人の主人とともにいられれば、犬は、犬らしく自由に生きられるのです」というのは、どういう意味なんでしょう? レンタルペットショップではまずいというのはわかるんですが。

レジーナ:ここに登場する犬たちは、みんな新たな居場所を見つけて幸せになるのに。

アカシア:そういえば、この本の原題はOne Dog and His Boyで犬が主体なんですね。だから最後の文章だとニュアンスが逆ですよね。この原題と最後の文章が対になっているんでしょうか?

:本当だ。原題どおりにするなら『おいでハル、ぼくのところに』ですね。

(2014年2月の言いたい放題)

『負けないパティシエガール』

Photo_6 『負けないパティシエガール』
の読書会記録

ジョーン・バウアー 著
灰島かり 訳
小学館 2013
原題:

CLOSE TO FAMOUS by Joan Bauer, 1996



さらら:外に飛び出していくことで、だれも認めてくれない自分の才能を発見するという設定が、子どものころから大好きなんです。しかも、お菓子作り、という要素が、食いしん坊の私にはたまらない。主人公が得意なのはカップケーキを焼くことだったり、プレスリー好きのハック(ママの元恋人)が登場したりと、なにもかもとてもアメリカ的な背景で、私もアメリカの女の子になった気分で読みました。下宿先のレスターが、釣りをたとえに、人生ってこんなもんじゃないかと、いいことを言うんですよね。そういうのが非常にうまくからみあっている。いろんな意味で楽しませてもらった1冊でした。


プルメリア:読みやすい。チャリーナさんとの関わりを通じて、言葉を習得していく過程がとってもわかりやすかったです。話せても言葉を理解することは難しいんだなって改めて思いました。子ども(小学校5年生女子)から感想を聞くと「ハックはいやな人」「チャリーナから読むのを教えてもらうかわりに、チャリーナにお料理を教えてあげるのがおもしろかった」「チャリーナが賞状をあげるところに感動した」でした。読書が好きな女子は2時間ぐらいで読み終えていました。

レジーナ:バウアーの『靴を売るシンデレラ』(灰島かり/訳 小学館)の主人公は16歳でしたが、この本では6年生です。しかしその年齢の子どもが経験するには、非常に辛い状況です。シャワーを浴びながら泣いている母親の声を聞く場面など……。ケーキという、人生に喜びを与えるもので、家庭の暴力やディスレクシアなどの問題に立ち向かうというテーマが、とても明確に打ち出されています。チャリーナ夫人からもらった小切手を、自分のために使うのではなく、罪を犯した家族を支える場「手をつなぐ人の家」のために使うのも、好感がもてました。誇り高く、過去の栄光にしがみついている有名人のチャリーナは、E・L・カニングズバーグの『ムーン・レディの記憶』(金原瑞人/訳 岩波書店)を思い出させます。周囲の雑音に惑わされるのではなく、心の中の静けさや平安を守り、自分を大切にするよう語るレスターやチャリーナをはじめ、信念を貫くパーシーや、けちなウェイン店長、プレスリーに憧れ、自分に酔っているハックなど、味のある個性的な人物が登場するので、あまり盛りこみすぎず、人物を減らし、何人かに焦点を当てて、深く描いてもよかったのかもしれませんね。

たんぽぽ:おもしろかったです。6年生が、感動したといっています。お菓子というのも、まず惹かれるようです。チャリーナが登場する場面も、ドキドキしました。母親が、いつも自分を、認めてくれているのがいいです。私自身もそういう子どもに、やさしく、気長にせっしたいと、思いました。

ジラフ:アメリカのアクチュアリティが、すごくよく出ていると思いました。アメリカではいま、カップケーキがとっても流行っているし、イラク戦争でお父さんが亡くなっているとか、DVの問題とか、大人と子ども、それぞれの矜持が描かれているところとか。人生に対してつねにポジティブなアメリカを感じました。それと、食べ物が大きな力になっているところも魅力的でした。以前、研究生活からドロップアウトしてしまった友人が、パンを焼くことでまた生きる元気を取り戻したことがあって、食べ物や料理の持つ力をあらためて感じました。裏表紙にレシピが載っているのもいいですね。この作品についてではないですが、「前向きに生きのびる」というのはしんどい場合もあって、逆に、内向きに閉じることで生きのびられる時もあるかも、ということを、一方で考えました。

アカザ:同じ作者の『靴を売るシンデレラ』も良かったけれど、この作品もすばらしかった。主人公と母親のところにDV男のハックがいつ現れるかと、読んでいるあいだじゅうハラハラさせられて、最後まで一気に読んでしまいました。ディスレクシアの主人公の口惜しさや悲しさも胸に迫るものがあったし、それをカップケーキ作りにかける夢と才能で乗り越えていくというところも良かった。登場人物の描き方が、大人も子どももくっきりしていて、読んでいるあいだはもちろん、読んだ後もしっかりと心に残っています。主人公の身の回りだけではなく、刑務所のある田舎町の様子や出来事も描いているところに社会的な広がりを感じさせますが、良くも悪くもとてもアメリカ的。カニグズバーグに似ているなと思ったのですが、カニグズバーグの作品のほうが、もっともっと世界が広いのでは?

カボス:最初からずっと緊迫感や謎があって、それに引っ張られながらどんどん読めました。おもしろかった。コンプレックスが拭えなくてさんざん苦労したフォスターの複雑な心理が、うまく読者にも伝わるように書けていますね。またSNSやメールではなくて、人間と人間が実際に出会ってお互いに変わっていくというのが、とてもいいですよね。出てくるケーキはどれもおいしそうなのですが、日本の家庭ではもうあまり使わなくなった着色料などが平気で出てくるのは、アメリカ的ということなのでしょうか? p250でレスターがフォスターの父親をほめているところにも、弱さを克服することがすばらしいことなのだというアメリカ的な価値観が出ているように思いました。戦場で勇気をもつということがどういう意味をもつのか、そのこと自体の是非については疑ってもいない。丸木俊さんが近所の子どもたちに「戦争が始まったら、勇気なんか出さなくていいから、とにかく逃げなさい」と言っていたことを思い出しました。

コーネリア:この作品は、物語がものすごく都合よく進んでいくのですが、それが許せるおもしろさがあると思います。文中に、ジョン・バウアー格言が矢継ぎ早に、次から次へと出てきます。私もこの言葉にぐっと惹かれましたが、子どもだったら、大人よりもストレートに入ってくるのではないでしょうか。勇気づけられる作品。

夏子:主人公が12歳にしては大人ですよね。小学生向けの本なのか、ヤングアダルトなのか、ちょっととまどうところがありました。この作家は『靴を売るシンデレラ』にしても『希望(ホープ)のいる町』(金原瑞人・中田香/訳 作品社)にしても、いつも大きな問題を抱えた主人公を描きますよね。今回も、ディスレクシアや、お母さんのつきあっていた男性のDVやら、問題が山盛り。ちょっと教訓っぽいところがあるけど、主人公が自分はどうしたら幸せになれるか、一生懸命考えて、手探りしながら生きていくところがいいですよね。この本では子どもも大人も、奥行きのある人間としてしっかり描かれている。印象的な女優のチャリーナさんが、こちらもディスレクシアとちょっと都合のいいところはあるけれど、それが許せるのは陰影と味わいのある人物だからなんでしょうね。ちょっとカニグズバーグを思い出しました。

(2014年1月の言いたい放題)

『ただいま!マラング村』

Photo_5 『ただいま!マラング村:タンザニアの男の子のお話』
の読書会記録

ハンナ・ショット 作
齊籐木綿子 挿絵
佐々木田鶴子 訳
徳間書店 2013
原題:TUSO. EINE WAHRE GESCHICHTE AUS AFRIKA by Hanna Schott, 2009




さらら
:「ただいま!」は、挨拶の言葉だったんですね。「只今」の意味かと、思ってしまいました。不安な気持ちや様々な感情表現が、きちんと書き込んであるのは、好感が持てました。お兄ちゃんとはぐれた後、ストリートチルドレンになるのが少し唐突かな、と思ったのですが、描かれている部分と描かれていない部分でうまくバランスを取っている。主人公は途中で、シスターに惹かれて施設に入る。でも、どうしていいかわからず飛び出してしまう。そうした心理もよく描かれていますね、短いページ数の中で。派手なところはないけれど、誠実に描かれた物語という印象を受けました。1箇所だけ、「二年前から(犬が)しずかなねむりについている」という訳語にひっかかりました。これでは犬が死んだことが、子どもにはわからないのでは?

アカザ:とても好感が持てました。こういう作品は年代の上の子どもが対象でないと難しいと思っていましたが、低年齢の子どもたちにもよくわかる書き方をしていて、はらはらしながら最後まで読みました。世界にはいろいろな子どもたちがいて、いろいろな暮らし方をしているということを幼い子どもたちに伝える作品が、もっともっとあってもよいのではと思いました。

ジラフ:人ってどんな時代に、どこに生まれるか、本当に選べない。その与えられた環境の中でいやおうなく生きていくしかない、というあたりまえのことをひしひしと感じて、胸にずしんときました。この男の子の場合は、寄宿舎に入って勉強することで人生ががらりと変わりますけど、実話がうまく物語に昇華されていて、自然に読むことができました。ただ、時間の経過が、路上生活から寄宿舎に入るまで4年、それから村に帰るまで5年と、いずれも章がかわってページをめくると、それだけの時間が経っていて、男の子は外見的にもずいぶん成長しているはずなので、そのあたりを読者の子どもがイメージできるのか気になりました。

たんぽぽ:中学年から、世界中の子ども達に目を向ける導入としてもいい本だなと、思いました。3年生ぐらいだと、後半の時間の経過が、理解できるかなと、少し気になりました。

夏子:皆さんが指摘されたポジティブな部分は認めた上の話ですが、西洋人が見たアフリカという感じが、すごくするんですよね。難しいことは承知のうえで、アフリカの人が書いたアフリカの本が読みたいと思いました。タンザニアの状況は苛酷ですが、日本の子どもたちだって苛酷な状況に陥ることはある。とはいえまったく違うことがあって、それは、日本の子どもに援助の手を延べるのはたいてい日本人(=同じ文化の人間)だけれど、タンザニアの子どもに援助の手を延べるのは、たいていは西洋人(=異文化の人間)ということ。結局、主人公の少年は、西洋化するしかないんでしょうか? 本当にそれしかないのか、私にはわからないんです。私は15年ほど前に、タイの人が書いたタイの本を読みました(後で思い出しましたが、ティープスィリ・スクソーパー作『沼のほとりの子どもたち』[飯島明子/訳]で、1987年に偕成社から出た本でした)。9割くらい読み進むまで退屈で退屈で、何度も途中でやめようと思ったんです。でも読み通したら、最後の部分が、忘れられないほどおもしろかった。ああ、時間の流れがわたしたちとは違う、と体感できたことが、読後の満足感につながっているんだと思います。もちろん最後だけ読んでもダメで、これを味わうには、退屈に耐えないと。となると今の日本の子どもたちはなかなか読みきれないでしょう。子どもたちが読める本で、アフリカやアジアの人が書いた本は、そうはないですよね。西洋の目から見たアフリカであっても、まずそれを知ることが必要なんだと思いますが……。

レジーナ:西洋から見たアフリカの本というのは、確かにそうですが、書き手は西洋の側にいるので、慈善団体の人がいい人に描かれているのは、仕方がないかもしれません。最後のインタビューで、寮ではペットを飼えないと語っているので、寄宿学校にドーアを連れていく部分は、フィクションでしょうか。私が少し気になったのは、挿絵です。ユーモラスなタッチだからかもしれませんが、目鼻が大きく、唇が厚い姿を、必要以上に誇張して描いています。これはポリティカリー・コレクトという観点からは、どうなのでしょうか。フランク・ドビアスの描いた『ちびくろさんぼ』(ヘレン・バンナーマン作 岩波書店/瑞雲社)があれほど物議を醸した後ですし、今の時代の本ということを考えると……。アフリカの人は、どう感じるのでしょうね。

コーネリア:最初は実話とは気づかなくて読み進めました。盛りだくさんに小道具を使ってドラマチックに創作されているつくりものの世界に慣れていると、最初は物足りなく感じました。でも男の子の視点がぶれずに書いてあるので、好感をもって読み進めることができました。半ばくらいから、ツソといっしょになって、応援しながら読みました。ハッピーエンドの方がいいから、最後にお兄ちゃんと会えてよかったのだけれども、村でお兄ちゃんが暮らしていたというラストには、ちょっとしっくりきませんでした。どうして、お兄ちゃんが先に帰っていたのか? はぐれたら、お兄ちゃんの方が弟を探すのではないか? 疑問が残ってしまいました。最後のインタビューで、お兄ちゃんがどうしていたのか、聞いてもよかったのでは。読者対象が、2年生ぐらいだと、これくらいストーリーをシンプルにする方が読みやすくていいのでしょうか?

カボス:みなさんがおっしゃるように、一見良さそうな作品で、好意的な書評もいろいろ出ているのですが、タンザニアに詳しい人に聞いてみると、あちこちに間違いがあるのがわかりました。遠いアフリカの話なので日本の人には間違いがわからないかもしれませんが、こういう本こそ、ちゃんと出してほしいと思います。
 まずスワヒリ語をドイツ語読みのカタカナ表記にしてしまっています。カリーブ、ドーア、カーカ、バーバ、バーブと出て来ますが、スワヒリ語ではカリブ、ドア、カカ、ババ、バブと、音引きが入りません。白人のこともワツングとしていますが、ワズングです。ほかにも、p9に「ツソが水をくんでこないと、おばさんが、トウモロコシをつぶしてお湯でねった晩ごはんをつくれないのだ」とありますが、これは主食のウガリのことだと思います。とすると、乾燥してから碾いたトウモロコシを使いますから、不正確です。p12には「ツソは、大いそぎで、手のなかのおかゆを口にいれた」とありますが、これもウガリのことなのかもしれませんが、おかゆとは形状が違います。おかゆのようなものもありますが、それは手では食べずにコップに入れて飲むそうです。p10にはカモシカが出てきますが、アフリカにはカモシカはいません。
 翻訳だけでなく原文にも問題があるかもしれません。p24に「お日様が昇る方向(東)にいけばモシがあり、ダルがある」とありますが、目次裏の地図を見るかぎり、モシはマラング村から西南の方向にあるようです。バスがダルエスサラームにつく場面では海が見えるとありますが、バスステーションからは海は見えないそうです。現地をよく知っている人は、バスの座席にもぐりこんで旅をする場面が、モシからダルまでは7~8時間もかかるのに、ずいぶんとあっさりした描写だな、とおっしゃっていました。またp106には「アルーシャのまわりの村には、まだ学校などないのがふつうだった」とありますが、アルーシャは大きな町なので、周辺の村でも学校はあるのではないかという話でした。欧米の作品だとみんないろいろ調べて訳すのに、そうでない場所が舞台だと、そのあたりがいい加減になってしまうのでしょうか? そうだとしたら、とっても残念です。こういう作品こそきちんと出してほしいのに。訳者の方は、現地に詳しい人に聞いたとおっしゃっていたのですが、どうしてそこでチェックできなかったのでしょう? たとえばウガリのことなどは、だれでも知っていることなのに。そういうせいもあってか、全体に、「かわいそうなアフリカ人の子どもが西欧の慈善団体のおかげで一人前になりました」という感じがにおってきて、私はあまり好感を持てませんでした。著者がどの程度、ちゃんとインタビューして、場所なども取材したのか、それも疑問です。
 前に、『ぼくのだいすきなケニアの村』(ケリー・クネイン文 アナ・フアン絵 小島希里訳 BL出版)が課題図書になったとき、スワヒリ語が間違いだらけで困ったな、と思ったのですが、それと同質の違和感をこの本にも感じます。今はアフリカ人の作品もあるのだから、欧米の作家の中途半端なものを翻訳出版しないでほしいと思います。
 アフリカ子どもの本プロジェクトでも推薦するかどうか検討したのですが、推薦できないということになりました。ちなみに、編集部には再版から直してほしいとお伝えしてあります。

一同:そうなんですか。ちょっと読んだだけじゃ、わかりませんね。

プルメリア(遅れて参加):表紙をはじめ挿絵がいいなって思いました。活字も読みやすいし。目次も関心を引きました。作品からタンザニアの人々の生活や村の様子がよくわかりました。わくわくしたけど、でもあまりにもハッピーエンド。カモシカって、寒いところにいるのではなんて思いました。書名『ただいま!マラング村』の意味は、インタビューを読んで納得しました。

アカザ:さっき、レジーナさんが絵は問題があるのでは、と言ってましたが。

コーネリア:子どもたちの手に取りやすい絵にはなっていると思います。

(2014年1月の言いたい放題)

『3人のパパとぼくたちの夏』

3_2 『3人のパパとぼくたちの夏』
の読書会記録

井上林子 著
講談社
2013.07


 




コーネリア
:こういう男の子いるだろうなって、楽しく読みましたけど、マンガチックな構成で、読み飛ばしてしまって、心に残らなかった。小学生くらいの男の子だとが読みやすいのかもしれません。

レジーナ:タイトルを初めて聞いたときは、ゲイのカップルの物語かと思いました。「やっと日本の児童文学でも、そうしたテーマを扱うようになったか!」と思ったのに、ふたを開けてみたら、シングルファザー同士で暮らしている設定でした。小学6年生が、おぼれている子どもを助けるのは、そう簡単にはできないので、リアリティーが感じられませんでした。また、家出していることに気がつかず、主人公の持っているパンを見て、「朝食を持参しているなんて、用意がいい」と言ったり、「ぐるぐる」という呼び名を本名だと思ったり、夜パパがあまりにもとんでいて浮世離れしているので、ファンタジーの世界に迷いこんだように感じました。主人公は、自ら状況を変えようとはしていない。いわば逃避ですね。リアルな設定なのに、異質な空間が唐突に現れ、主人公はそこに逃げこみ、しばらくの間、現実とは別の時間を過ごす。しかし児童文学では、家出や旅を通じて、それまでと異なる自分になって帰ってくることが大切なのではないでしょうか。たとえば、E・L・カニングズバーグの『クローディアの秘密』(松永ふみ子/訳 岩波書店)では、家出をした主人公は、自分だけの秘密を持って、家に戻ります。でもこの物語では、主人公の中のなにかが決定的に変わったり、成長したりはしない。挿絵の宮尾和孝さんは、ジェラルディン・マコックランの『ティムール国のゾウ使い』(こだまともこ/訳 小学館)や中村航文の『恋するスイッチ』(実業之日本社)の表紙も描いていらっしゃる、今人気のイラストレーターですね。

さらら:ストーリーラインは単純で、言葉も台詞のやりとりで続いていく。映画みたいで、ラノベに似ていますね。目で見える情景が続いていて読みやすいけれど、軽い。家事をやらないお父さんに対する、子どもからの反撃というのは、私が好きなテーマですけど、文体についていけなかった。ちょっと文章のつくり方が粗いのかなあ・・・

夏子:状況の設定が秀逸だと思いました。父子家庭の集合体っていうのは、母子家庭の集合体と比べると、今ひとつリアリティーがないでしょ? だから、理想化できるのでは? ほら、ひまわり畑の真ん中にあるという「夢の家」にいるのがオッサンなわけだから、イメージが新鮮になるじゃない。とはいえ「ひまわりの家」のポイントは、朝パパの超楽天的な個性ですよね。「テキトー、ずぼら、いいかげん。でも超ハッピー」で、これはまあ、パターンかな。この個性を、夜パパが讃仰していて、それで共同体ができあがっている。めぐる君も影響を受けて、やがて「うちのお父さんのようなテキトーなやり方もありかも」と受け入れるようになる。よくあると言えばよくある展開ですが、私は楽しく読みました。女の子はペアの天使というキャラですよね。ジャラジャラとアクセサリーをつけているのは、フラワーチルドレンというか、ヒッピー風。深読みすると、お母さんがいないという欠落を、なんとかして埋めたい衝動があるとか? ただイラストが、髪型やらリボンやら正確でなくて、残念です。こういうふうに、登場人物をパターンやキャラで描くところが、ラノベとかマンガっぽいんでしょうね。でも主人公は家出をすることで前に進んだからこそ、「他者を受け入れる」という課題を成し遂げたわけで、なかなか良い本だと思います。

たんぽぽ:どうかなって、思ったのですが、読んでみたらおもしろかったです。3年生ぐらいから高学年まで、よく読んでいます。家出という設定も好きで、主人公の気持ちが自分たちと重なるようです。最後に父親がわかってくれたというのも嬉しいようです。これも食べ物を囲むシーンが度々出てきますがあたたかい気持ちにさせてくれます。

ジラフ:私もうまく乗れなかったくちで。やっぱり、ゲイのカップルかなあ、と思いました(笑)。シチュエーションがちょっとおとぎ話みたいで、吉本ばななの『キッチン』(福武書店、角川書店)を思い出しました。『キッチン』は性転換したお父さん(というかお母さん)でしたが、日常の中で、そういうおとぎ話的な場所を持つことでやっていける、生きていかれるということはあるなあ、と思いました。

アカザ:ノリが良くて、最初からすらすら読めました。キラキラした女の子たちが出てきたところで「あれ、これはファンタジーなのかな? ふたりともこの世ならぬ存在で、キングズリーの『水の子』(阿部知二/訳 岩波書店ほか)みたいな展開になっていくのかな?」と思いましたが、そうはならず最後までリアルな作品なんですね。でも、なんだかリアルではない……。登場人物の書き方が記号的で、あまり体温が感じられないからなのか。たしかに主人公も主人公のパパも、家出事件の前と後では心境も変化しているし、成長もしているだろうし、ある意味、児童文学のお手本ともいうべき書き方をしているんだけど……最後まで嫌な感じはしないですらすら読めるんだけど……なにか薄っぺらいというか、心にずしんと訴えかけてくるようなものがなかった。これは、無いものねだりなのでしょうか?

夏子:すらすら読める、というのもポイントだけれど、それだけでいいと思ったわけではなくて、家出という問題解決の方法を、私は評価したいです。

たんぽぽ:4年生ぐらいで読めない子がおもしろいなーって、他の本にも広がるきっかけになれば良いなと思います。

ジラフ:作者のプロフィールを見ると、梅花女子大の児童文学科を卒業して、日本児童教育専門学校の夜間コースで勉強していたそうなので、ひょっとしたら、いい子どもの本の書き方のお作法みたいなものが、知らず知らずのうちに身についてしまっているのかも、とふと思いました。

カボス:お父さんへの不満ですけど、子どもから見れば大きいんでしょうね。大人から見れば些細なことでも、そう簡単に許すことはできないから。女の子2人が溺れたのを助ける場面は、ちょっとご都合主義的だと私も思いました。私は朝パパのキャラが好きだったんですけど、いつも飛ばしているはずの親父ギャグが途中から出なくなるので、残念でした。なかなかおもしろいシチュエーションで、父子家庭が助け合って暮らすというのは現実にはあまりないでしょうけど、こういう作品が出ると現実でもアリかなと思えてきて、そこがいいですね。

コーネリア:家出とか、お料理ものとか、子どもが喜びそうなものがちりばめられていて、読む間は子どもも楽しめるのですけれど、印象に残らなかったんですよね。

(2014年1月の言いたい放題)

『スターリンの鼻が落っこちた』

Photo_4 『スターリンの鼻が落っこちた』
の読書会記録

ユージン・イェルチン 作
若林千鶴 訳
岩波書店
2013.03




アカザ:とにかく迫力があって、終わりまで一気に読みました。おもしろかった。ずっとリアルな場面が続くんだけど、最後のほうで主人公が追いつめられて、大変な精神状態になるところでスターリンの鼻の幻影が出てくるでしょう? 一気に全速力で駆けぬけるような作品の終盤でそういう場面を入れるところなど、うまいなあと思いました。最後、どうやって終わらせるのかなと思っていましたが、ウソっぽくなく、それでいてほんの少しだけど胸のなかがあたたかくなる終わり方で、よかったなあと思いました。以前はロシアの児童文学ってたくさん翻訳されていたけれど、今はどうなってるんでしょうね? リュードミラ・ウリツカヤなんかも児童文学を書いているって聞いたけれど。

アカシア:ロシアの児童文学は、今はあまり出てないんでしょうか?

さらら:『愛について』(ワジム・フロロフ/岩波書店)とか。

アカシア:昔はロシア語の児童文学の翻訳者はたくさんおいででしたけど、今は少ないのかもしれませんね。大人の文学の翻訳者は、亀山郁夫さんとか沼野充義さんとか、おもしろい方が活躍なさってますが。

アカザ:きれいな絵本を見せてもらったことはあるけれど、読み物は読めないので、どうなっているかよくわかりませんね。

さらら:モスクワにいい書店があるんです。翻訳物がたくさん並んでいました。『くつやのねこ』(いまいあやの作/BL出版)もロシア語で出ていました。

アカシア:ロシアには文学の伝統ってずっとありますもんね。

アカザ:ボローニャやフランクフルトの見本市には、ロシアの本は出品されないんでしょうか?

さらら:ロシア語を読める編集者が少ないから、商売にならないかも。

レジーナ:それまでピオネール団に入るために頑張ってきた子どもが、父親の逮捕をきっかけに、価値観が揺らぐ様子を手加減せずに描いています。日本の敗戦にも通じますが、国家に翻弄され、それまで信じてきた理想が根本から崩れる体験です。絵の力にも圧倒されました。

アカシア:グラフィックノベルではないんでしょうけど、絵がたくさん入っていてそれに近いですね。

レジーナ:ニューベリー賞オナーに選ばれたということは、文章で評価されたのですね。アメリカの子どもは、どう読むのでしょう。

:昔、『ビーチャと学校友だち』(ニコライ・ニコラエヴィチ・ノーソフ)というソ連の児童書がとても好きでした。ピオネール団や共産主義も出てくるのですが、とてものんびりした楽しい雰囲気の本で、そことのギャップをすごく感じました。

アカシア:時代はどうなんでしょう? 『スターリン~』より前じゃないですか?

:『ビーチャ』は、もっと昔の話だったのかしら。『スターリン~』の方は、大変な問題意識を持って書かれていますね。児童文学は、ザイチクが列に並ぶ最終場面のあたりから書き始めて、「昔、こんなつらいことがあった」と回想するタイプが多いように思うのですが、この作品は、その「昔」の部分をぐいぐい書いています。これから疑似家族をつくっていくのかもしれませんが、それにしてもしんどい経験ですよね。戦争児童文学やアフリカン・アメリカン児童文学だと、目に見える形で異質とされる人が攻撃されますが、ここででは、誰が誰を裏切るか分からない。怖いです。

げた:タイトルから、もっとユーモアのあるおもしろい話かと思ったけれど、全編怖い話でしたね。少年の信じるものがひと晩で崩れていく話ですよね。少年にとって英雄だったお父さんが、いきなり逮捕されて、スパイにされてしまう。いつも、大人の争い事に子どもが巻き込まれて、悲惨な結末になるのが、あわれでしょうがないです。なんとか、そうじゃない社会であってほしいですね。日本の子どもが読むならば、歴史を勉強してからじゃないとわからないんじゃないかな。中学生くらいじゃないと難しいかな。ホラーに近い挿絵は効果的ですね。

アカシア:確かにそうですね。

げた:読んで、つらい気持ちになりました。

プルメリア:以前読みましたが、今回もう1度読みました。暗いストリーですが、挿絵と手に取った感じと大きさが気に入りました。密告して利益を得る人や人間のあさましさが出ている社会が描かれています。資本主義と共産主義の違いも。にんじんがおいしいのは、ひもじいから? 鼻が欠けて空気が凍るような場面、鼻がしゃべり出す場面の設定には驚きました。挿絵が突飛です。最後に、自分らしく生きることが出てくる。

アカシア:自分らしい決断はしますが、それで生きていけるのかしら?

プルメリア:でも同じような思いの人との出会いは、よかったのでは。

アカシア:共産主義じゃなくて、ここは全体主義のことを言ってるんですね。日本だって、そうなるかもしれないわけです。この作品でも、当時の社会を支配していた恐怖が実感をもってひしひしと伝わってきます。この作品に出てくる人たちは、みんな脅えていて、ぎすぎす生きている。どんな時代にも、そうじゃない人はいたと思うんですが、ここには愉快な人、人間らしい生き方をしている人は出てこない。アメリカで出ているので、スターリン時代の恐怖政治が強調されているのかもしれません。

アカザ:私も、アメリカで出版されたということで、どう読まれるのか少し気にかかりました。だからロシアは……とか、だから共産主義は……というふうに読まれるのではないかと。それよりも、あとがきにあるように、今の日本でこういう本を出版するということに意味があると思いました。

げた:日本の戦前の「隣組」もそうですよね。資本主義でもありうる話ですね。

アカシア:それって、今の世界の構造そのもので、それがわかりやすい形で小規模に行われているんじゃないですか?

:(検索して)『ビーチャ』は1951年なのでスターリンの時代に書かれていました。真実は『ビーチャ』と『スターリン』のあいだくらいにあるのかもしれませんね。

ルパン(遅れて参加):今回読んだ3冊の中では、私はこれが一番おもしろかったです。ただし、funnyではなくinterestingの意味で。マッティは別の意味で子どもたちが生き生きと動いてはいましたが…でも、ママのかわりに寄付しちゃうお茶目なマッティと対照的に、先生の机のなかにスターリンの鼻を入れてしまうのは…。とんでもない先生なのだけど、考えてみたらこの先生もかわいそう。おとなも子どももみんな社会の犠牲者ですよね。こんな時代が本当にあったのだと思うと身震いしたくなります。『ワイルド・スワン』(ユン・チアン)の児童文学版を読んでいるかのようでした。ただ、それでいて最後まで子どもの目線できちんと書けていると思いました。理屈ではなくストーリー運びの中で両親と引き裂かれた悲しみが描かれています。ところで、アメリカ人のお母さんは結局どうなったのでしょう。

アカシア:お母さんはお父さんが売っちゃったんですよね。子どもを生きのびさせるために。今『ワイルド・スワン』の話が出ましたが、私はあの作品には反共プロパガンダ的なところがあると思っています。

ルパン:子どもたちのひとりひとりに個性がありました。フィクションのなかでリアルに子どもたちが動いている。最後はハッピーエンドではないのですが、ピオネール団は入らない、というザイチクの決意に好感が持てました。ザイチクはこのあと知らない女の人の子になるのでしょうか。この女の人の子どももきっともう帰ってこないのでしょうね。御都合主義ではなく、悲しい結末だけど、このお話には未来があります。たぶんこの女の人と寄り添いながら、ザイチクはこれからも社会に流されず自分の足で生きていくのだろうと思わせる余韻がいいなと思いました。

(2014年4月の言いたい放題)

『マッティのうそとほんとの物語』

Photo_3 『マッティのうそとほんとの物語』
の読書会記録

ザラー・ナオウラ 作
森川弘子 訳
岩波書店
2013.10






プルメリア
:表紙がとってもいいなと思いました。『湖にイルカがいる』ことには驚きました。エイプリルフールに嘘の情報を載せる新聞ってあるのかな。

アカザ:日本の新聞でもちょこっと載せることがあるじゃない。

プルメリア:岩波書店もいろいろな作品を出版するんですね。驚きました。お家が当たったと嘘をついたり、おじさんが誘拐犯に間違われたり、動物にお金を送ったりなどはらはらさせる場面が展開し、でも読ませる作品でした。最後にほっとしました。湖がでてきたり、フィンランドの森がでてきたりとのどかな自然が落ち着かせるのかな。お母さんのおじさんが安定剤になっているような存在感がありました。

げた:最初に湖のほとりで途方に暮れる家族がでてくる。一体これはなんなんだろうって思って読み進むと、最終的には、嘘から出たまことのような結果になって、ハッピーエンドで終わっているので、まあ、よかったかなという感じですね。『林業少年』『スターリンの鼻が落っこちた』と続いて最後に読んだんですけど、最後に安心して、素直に楽しめました。ドイツとフィンランドは遠いような気もするけど、近いのかな? いずれにしても、国境にこだわらず、行ったり来たりする感じがいいな。愛国的になってないのがいい。国際的にならなくっちゃね。

さらら:フィンランドの人って、オランダにけっこう多いんです。母音と子音が多いから、オランダ語の習得も早くて、発音がきれいだった。

げた:ドイツの高層アパートってどの程度の広さなんでしょう。とっても狭苦しい感じで書かれてたけど、日本じゃ広いほうだったりしてね。フィンランド人のお父さんがほとんどしゃべらないんですね。おとなしいんですかね?

アカシア:でも、ほら話はしてますよ。

さらら:ほら話はすごく好き。弟も、ちょっとしか出てこないんだけど、幼稚園のやんちゃな感じがおもしろかった。基調は友情物語ですよね。友だちの別荘に夏休みに遊びに行きたいのに、お金がないからだめって言われて、マッティは妄想でいろいろとやっちゃって。でも世界を正すかという正義感がおもしろい。価値観は人それぞれで、それに気づくって、大切なこと。あと、ここがいいなって思ったのは、パパとボートをこいでいるときに、マッティとパパは向かい合って話をする。嘘をついて、あやまりにこなかったのは、パパもマッティも同じで、それをパパが認めている。大人と子どもが対等なのが気持ちいい。

:努力をしなかったことでいいものが転がりこんでくるというところがとても素敵。人生について考えが深まるというのもあるけど、幸運が最後に手に入っちゃうおもしろさがいいですね。わたしもフィンランドに住みたいなあ。あと、これは、いろんなきょうだいの和解や変化の物語ですね。お母さんとクルトおじさん、お父さんとユッシおじさん。マッティとサミの関係も変わっていきますし。北欧というとドライなイメージがありますが、きょうだいという血のつながり方がいい方に作用しているように思います。

レジーナ:子どもたちは、自ら世界を正そうと考えます。大人の理屈と、それとは異なる子どもの理屈を等しく扱っている点は、とても好感が持てました。はじめの場面に「水切り石」とありますが、「水切りのための石」「水切りするときの石」「水切りに使う石」と訳した方が、わかりやすいのではないでしょうか。

アカシア:石切り遊びをしたことがある人は、ぴんとくると思うけど。

げた:石が自分で水切りするという意味にとれるということかな?

さらら:「水切り」を知らない子だと想像できない?

アカシア:すぐ次のページに、実際にやっているところが出てきますよ。

レジーナ:今の子どももするのでしょうか。

:やりますよ。

レジーナ:弟の幼稚園で、カエル組の方がトラ組より年長なのがおもしろいです。

アカシア:子どもが自分たちでクラスの名前を決めるのかも。日本では、すみれ組とかたんぽぽ組とか、りす組とかうさぎ組とか、かわいい名前が多いですが、子どもが決めるとなると、突飛な名前が出てくるかもしれませんね。ドイツも、子どもに何でも決めさせようという意識が高い国だと思います。

レジーナ:早くから民主主義社会のやり方に慣れるのは、いいことかもしれませんね。

アカザ:収拾がつかないかも。

アカシア:ドイツには「ミニミュンヘン」というのがあって、30年も前からミュンヘンでは夏休みの間、子どもが自分たちで町を作って、自治をするんです。暮らしていくにはこれが必要だと思ったら、自分たちでそれもやっていく。子どもの自発性を重んじるので大人は脇役で、指導したりはしないみたいです。日本でも「こどものまち」という名前であちこちで似たような試みを行っています。四日市の書店メリーゴーランドの増田さんもずいぶん前から日本のミニミュンヘンをやっているとおっしゃってました。今は、子どもに何でも決めさせるというのがはやりですが、一方には、あまり小さいうちから決断を強制していくといつも不安を抱えるような子どもになってしまうという考え方もあります。

プルメリア:学校現場でも、やってみたいですね。

さらら:発想はキッザニアみたいな? 

アカシア:でも、キッザニアはおとな側が全部お膳立てしちゃうじゃないですか。お母さんに楽をさせて、その分お金を吸い上げる商売ですよね。ミニミュンヘンでは、子どもに親切だったおとなを子どもが選んで表彰したりもするんです。ところで、この本ですが、日本の作品にはないおもしろさがありました。最後はうまくいきすぎと思ったけど、そうか、それも嘘かもしれないと思うと、さらにおもしろいですね。

さらら:最後のメールのやりとりは、ほんとなのか嘘なのか、読者の読み方に任せている。だから、オープンエンディングじゃないですか?

アカシア:翻訳はところどころ引っかかりました。p8ではマッティが「ああ、またもや、皮肉だ」って言ってますけど、子どもの台詞らしくなかったし、この場面では皮肉にはなっていない。p15の「そんなこと、あの人には関係ないでしょう」も場面にしっくりこない。p19のパパの台詞は「イエス」だけど、ドイツ語じゃなくていいのでしょうか? 訳者あとがきの「未知の国フィンランドに出会えるのも」って、誰にとって未知の国? などなど、いくつか突っ込みたくなりました。

ルパン(遅れて参加):最初は笑ったらいいのか怒ったらいいのかわかりませんでしたが…最後は大笑いして終わりました。もう、めちゃくちゃですよね。でも、そのなかにピリリとスパイスが効かせてあるのがいいなあ、と思いました。

さらら:ただの馬鹿話じゃない。

ルパン:ええ。すごく鋭いところがありますよね。主人公は「世界を変える行動」に出るんだけど、それは「動物保護のために寄付をしている」、って嘘をついていたパパとママのかわりに寄付しに行ったり…ユーモラスで奇抜なんだけど、子どもに嘘をつくおとなを見事にやりこめてます。子どもに林業をなんとかさせようとして空回りしている大真面目な『林業少年』より、一見ふざけまくっている『マッティ』の方が、よっぽど子どもの視点できちんと世界を見ているような気がします。

レジーナ:良かれと思ってしたことが、とんでもない結果につながります。こんなにやりたい放題の子どもたちは、ネズビット以来。

ルパン:お母さんは理不尽に怒ってるのにお父さんはにやっと笑ったりしてるところもおもしろいし。

さらら:いいお父さんですよね。

アカシア:そういうところに存在感が出てる。

ルパン:エイプリルフールに、おとなたちもみんなだまされて池のイルカを見に集まるシーンもよかったなあ。

レジーナ:私も信じました。

ルパン:A型で学校の先生である私としては、これ、怒らなきゃいけないんじゃないかと思って読んでたんですけど、途中から笑いをこらえきれなくなっちゃって。さいごに家が当たる、っていうどんでん返しも、ここまで徹底的にリアリティなかったらむしろスカっとしますよね。

レジーナ:一番最後のメールで、家が当たったというのは、嘘かと思いました。もはや誰を信じていいのか……。

ルパン:でも、ただのドタバタに終始しているわけじゃなくて、たとえばマッティが新しい家に引っ越すんだ、ってはしゃいでたときに、親友のツーロは寂しく思ったりするシーンとか、全編通して、ちゃんと子どもの心の機微をとらえているところがよかった。理屈で説明するのでなく、それがストーリーのなかにさりげなく織り込まれているから。

(2014年4月の言いたい放題)

『林業少年』

Photo_2 『林業少年』
の読書会記録

堀米薫 作
スカイエマ 挿絵
新日本出版社
2013.02






げた
:タイトルは流行の「なんとか少年」や「なんとか男子」を使って、目をひこうとしたのかな。内容は社会科の林業の副読本を読んでいる感じで、登場人物も画一的な物言いだし、それぞれの登場人物の立場で台詞が決まっている点でおもしろみに欠けますね。楓は卒業後の進路海外留学ではなく林業を選んだけど、そうさせたものが先輩との出会いだけなのは弱い気がする。林業の行く末に関しては具体的なイメージさえ提示されず、これで楓ちゃん大丈夫なの?と思う。具体的に何に惹かれたのか分からない。いまいち見通しがはっきりしないのに大丈夫かなと思ってしまう。時代的に設定は今なのだと思うけど、50年前の話みたいで古い感じがしますね。私が子どもの頃から林業をめぐる状況はこうだったように思います。私自身の話ですが、田舎の姉が山持ちの方と40年前に結婚したんですよ。当時はすごいなと思ったけど、結局、今は山もあるだけで切り出すのにお金がかかる現状で、お金にはならないんですよね。それに、私の身内に「相対」を仕事にしている人がいるんですけど、あんまりいい感じの人じゃなくて、ふっかける感じの人なんですよ。あんまり、いいイメージはもってないんですけどね。全体に現実味に欠けるかな。

アカシア:学生に環境を伝えるのに調べてるときに、PARCのビデオ『海と森と里と つながりの中に生きる』っていうのを見たんです。それでわかったんですけど、日本の政府の林業政策はひどいですね。日本では戦時中に木を乱伐したので、戦後は政府が拡大造林政策というのをとって、もともとあった広葉樹林を伐採して建材に使う針葉樹をめいっぱい植えなさいと指導したんです。必ず儲かるからと言って。で、どこもかしこも人工的な針葉樹林にしてしまった。でも、その後政府が方針を転換して安い木材をどんどん輸入するようになる。それで、日本の林業はたちゆかなくなったんです。おまけに広葉樹林の実を食べていた獣たちも食べるものがなくなって村里に出て来るようになるし、花粉症も広がるということになったんです。今、クマとかイノシシなんかが人家の近くまで出てきますが、昔は山と里の間に広葉樹林があって木の実がたくさん落ちていたからそんなことはなかったんですって。林業が衰退するのも当たり前ですよね。1本切り出して50万円じゃ割りに合わないですよね。

げた:最後の百年杉としたらなおさら。

アカザ:だから、主人公のお母さんは怒ってるんですね。

アカシア:ふだんから下草刈りとかいろいろあるでしょうし、切るとなっても伐採のお金とか馬の運搬費などかかるから、100万円でも割りが合わないんでしょうね。

アカザ:年金をもらいながらの道楽でないとダメってわけですね。

アカシア:この本では未来に希望を持たせるような書き方ですが、実際には難しいのかもしれません。作者も林業をやっている方のようなので、作者の希望も入っているのかも。

さらら:人物がステレオタイプ化している気がしました。強烈なキャラクターが、ひとつくらい入っていてもいいのに。おじいさんも穏やかだし、お母さんもちょっと怒りっぽい程度。少年は姉の選択にドキドキしますが、すぐに解決してしまう。少年が家族思いで、お利口すぎて、悪くないけど読んでいて先が見えてしまう。物語としての計算が透けていて、おもしろさが今ひとつ。描写は一生懸命だけど、「ずんだもちの甘さで…(p12)」など、ていねいに書こうとしているけど少し浮いてしまっている。家族がなんとか持ち直すところに積み木のたとえで出てきますが(p148)、少年の意識を追った表現としては不自然な気も。このたとえを入れるなら、せめて位置をもう一工夫してほしかった。「女でも(傍点)林業ができる」という発想が女性の側から出ていますが、さらにつっこんで、「女だからこそ」できる新しい林業を書いてほしかったな。ただ、はっとさせるほど、いいところもあります。たとえば、p69の喜樹とかえでが杉に抱きつく場面。切る直前の、杉のいのちを感じるところはとても好きです。悪い本ではないけれど、手法の点、視点の点で、全体にちょっと古い印象を受けてしまいました。

:私が古いと感じたのは、楓が美人なところです。美人じゃないとうまくいかないのかと。十人並じゃだめなのかと。作者は、女性ですか、男性ですか?

さらら:女性です。

:そうなんですか、おじさんみたいな視点を感じました。お父さんもお母さんも仕事を持っているから、暮らしのお金には困っていなくて、道楽のように山を持ててますよね。でも、山や林業に希望を持たせるためには、お姉ちゃんをあれほどまでに美人に仕立てないといけないのかと思いました。だけど、林業の実際については納得しましたし、おもしろかったです。家が古くて立派なところがよかったです。磨き上げられた床とか銘木とか。

レジーナ:『神去なあなあ日常』(三浦しをん/著 徳間書店)も林業を扱っていますね。

アカザ:私、こういう仕事の詳細をしっかり描いた作品って好きなんです。子どもたちも、物語の中ほどの林業の実際を描いた場面なんか、興味を持って読むと思います。私も、生き生きしていておもしろく読みました。でもでも、そこにたどりつくまでがね! 文章が古くさくって、なかなか物語に入りこめませんでした。なぜかなって考えたんですけど、主人公が小学5年生で、地の文もその子の目線でずっと書かれているんだけど、どう考えても小学5年の男の子の感性じゃないんですね。たとえば、p30のお姉ちゃんの部屋の描写でも「ドアのすき間から、安っぽい化粧品の匂いがただよってきそうで」とか、その後に出てくるおばあちゃん手作りのサツマイモのかりんとうが「素朴な甘みとかりかりとした歯ごたえが後を引いて、いくらでも手が伸びる菓子だった」とか、おばさんぽいっていうか、おっさんぽいっていうか……。それから、この物語の芯になっているのは楓っていうお姉ちゃんで、主人公の喜樹はずっと傍観者というか観察者なんですね。それなら、いっそのこと楓を主人公にしたほうがよかったのでは? それから、林業の現在とか未来が、この一家の問題だけに終わってしまっているような感じがして、「大変そうだけど、山を持ってて、立派な家に住んでて、跡継ぎも決まったようだし、よかったね」という感想を、ついつい持ってしまいそうで。もっともっと大きな問題があるんじゃないかな。そういう、広い世界の、大きな問題につながるようなところまで書いてほしかったなと思います。

アカシア:最初が法事の場面で、そこに親族の名前がわーっと出て来ます。そこに関係性の説明がほとんどないので、ちょっと混乱しました。主な登場人物は後を読めばわかるのですが、主な人だけでも少し説明をいれてもらうと、最初からイメージできるのでいいんじゃないかな。

アカザ:編集の問題かな。

ルパン:正直おもしろくなかったですね。つまらない理由は皆さんがおっしゃるとおりで…そう、そう、と心のなかでうなずきながらお話を伺っていました。やっぱり、林業の将来性が感じられないというのが致命的ですよね。林業の抱える問題点を伝えたい、というのが前面に出てしまっていて、どきどきさせるようなストーリーがないですから。あとから「どんな話だっけ?」と思っても何も思い出せないほど起承転結がなかったです。

さらら:するする進んでしまうけど。

ルパン:問題提起だけで終わったら、読んだ人は林業がやりたくなくなってしまいますよね。残念ながら、私はこれを読んでも森に対する愛着はわかなかったです。自分が子どものときに読んで「ああ、木を植えたい」と心から思ったのは 宮沢賢治の『虔十公園林』でした。あれは山に木を植えなければ、などとはひとことも言っていないのですが、ものすごく心を打たれ、木への心をかきたてられました。ジオノの『木を植えた男』とかも。それに対して、こちらは一生懸命語っているのにもかかわらず、50年後の山の姿がまったく見えてこないのは残念でした。あと、主人公の喜樹の語りが妙におとなっぽくて、途中でランドセルを取りにいったときは「あ、小学生だったのか!」と、びっくりしてしまいました。

プルメリア:12月頃に男子(小学校5年生)がこの作品を学校図書館で借りて読んでいました。5年生では3学期に林業を学習します。身近な生活とかけ離れているため、なかなか理解することができない内容なので、林業をしている人々の生活にふれてほしくて子どもたちに紹介しました。主人公も5年生でぴったり。資料集とは異なる実生活がありました。作品を読んでお姉ちゃんの気持ちも少年の気持ちも感情移入ができたようです。教科書や資料集には木を運ぶ道具として馬が出てこないので、そこが違和感があったかな。教科書ではトロッコでした。実際に馬を使っているのかどうかと。

アカシア:馬で木を出すのは今日で最後か、って言ってるから、もうあまり使ってないんでしょうね。

さらら:作者には、そんな馬が残ってほしいという願いがあるんだと思いますけど。

プルメリア:林業に誇りを持って仕事をしているおじいちゃんの姿がいいなと思いました。木材は輸入が多いけど、国産品への意識もあります。杉は嫌われているけど花粉を出さない杉が開発されたことを最近ノンフィクションの作品で読みました。戦後植林をしたことによって花粉症がふえたこと、自然の影響ではなくて人工的なもの。「杉が悪いのではなく植えた人間が悪い」と書かれていました。

アカシア:国の林業政策が場当たり的だったせいもあって、たぶん今まで通りのやり方だと林業で生計を立てていくのは難しいと思うんですけど、たとえばただ木材として売るのではなく、家具などに加工するところまで自分たちで会社をつくってやって成功している人たちはいますよね。そういうオルターナティブの道筋も示してくれるとよかったな。

プルメリア:自分が夢中になれるものがあるのはいいですよね。

アカシア:でもルパンさんは、これを読んでも林業につきたいとか木を植えたくなったりはしないと言ってましたよ。

プルメリア:5年生の子どもたちは好きな仕事ができていいなと言っていました。私のクラスの保護者の職業はほとんど同じ職種なので。「自分で自由な仕事を選べるのはいいね」ってよく言っています。

げた:(検索して)プルメリアさんがさっき触れたのは、『花粉症のない未来のために』。斎藤真己という研究者の本ですね。

プルメリア:取引の場面もおもしろかった。

さらら:海外でものを値切る交渉は、100のものを、10といい、中間の50で手を打つことが多いが、この取引はそんなに差がないところから始まる。その辺どうなのかな。

アカシア:この地域の人たちは木1本の相場もわかってるんでしょうから、それと桁が違うような所からは始められないでしょう。

さらら:なるほど、日本人はやはり常識的!

アカシア:挿し絵はどうでしょう?

レジーナ:50年前の話のようだというお話がありましたが、絵は、今の子ども向きなのでは。両親と姉の会話を、主人公と祖父が聞く場面では、解説の図のように、文章をそのまま絵にしていますよね。工夫してほしかったですね。

さらら:表紙はいいですね。

プルメリア:この作家は、『チョコレートと青い空』(そうえん社)を書いた人ですよね。

さらら:「季節風」でずっと書いていた人です。

アカシア:農業をしながら作品を書いている方ですね。 私はこの本は、現場を知っている人ならではのディテールがあって、おもしろく読んだんですけど、できれば個人のレベルでがんばるだけじゃなくて、もっと広い視野で書いてもらえるとよかったと思いました。

さらら:そういう視点のある人物がいるとよかった。

アカシア:この作家は福島の方ですか?

アカザ:生まれは福島。

レジーナ:現在は、宮城県在住のようですよ。

アカシア:こういう実体験をもっている人に、もっともっと書いてほしいですね。この作品はとてもまじめですが、社会科の教科書だけではわからないことがわかったりするので、副読本に使ってもらうといいんじゃないですか。

プルメリア:イメージがわいて理解しやすくなります。

アカシア:作品そのものの出来については、もう少しがんばってと言いたいですが、現場にいる人にしか書けないことはありますからね。

さらら:知らないことは新鮮に映ります。

レジーナ:農家に嫁ぎに来るアジアの人も多いですよ。年金をつぎ込んで、荒れていく山を維持しようとする様子から、林業の切実な状況が伝わってきました。『神去なあなあ日常』の登場人物は個性的でしたが、この作品は美男美女ばかりで漫画のようでした。林業の仕事に情熱を燃やし、サルのように木を切る青年も、いまどきの外見でかっこいいという設定でしたし……。その木がどれだけ手をかけられてきたかが年輪から分かることや腐りにくい木の種類、「相対」「トビ口」という特殊な言葉を知ることができたのは、おもしろかったですね。林業の仕事の内容は、『林業少年』の方がていねいに描かれています。子どもに手渡すのだったら、こちらをすすめたいです。

アカシア:そこが、インタビューして書く人と、自分で見聞きしていることを書く人の違いですよね。

レジーナ:取材して書いたのではなく、著者自身が農業に携わっているから、描写にリアリティがあると私は思いました。在来種の馬の足の太さに気づく場面をはじめ、実体験にもとづいて書いている印象を受けました。人物は、もう少し深く描いてほしかったです。はじめから林業を継ごうと考えている男の子が主人公ですが、現実を映していないのでは……。自分がかなえられなかった夢を娘に押しつける母親は、あまりに身勝手で、読んでいて腹が立ちました。

アカザ:娘に英文科に行って、将来は海外に行ってもらいたいって思うお母さんって、いまどきいるのかしら? 半世紀前なら別だけど。いまは、農学部のほうが人気だと思うけど。

アカシア:今は英文科など閉鎖している大学もあるくらいで、バイオテクノロジーなどを扱う農学部は花形なんじゃないかな。

さらら:私の息子は農学部ですけど女の子が多いですよ

アカシア:お母さんが家つき娘で、自由なことができなかったというのは、今でも地方だとあるんでしょうか。

レジーナ:山ではなくても、家を継ぐという意識は、田舎では今も根強いのでは。

アカシア:それはそうでしょうけど、好きな勉強もできなかったし、サラリーマンと結婚するのも反対されたんですよ。そのあたりは、もうあまりないのかな、という気もします。

アカザ:日本の児童文学ってお母さんをすごく悪く書く作品が多いですよね。目の敵みたい。もう少し深く描けないものかな。

アカシア:お母さんだけじゃなくて、人間そのものをあまり深く描写していないものが多いと思います。

さらら:たとえばオムニバス形式の『きんいろのさかな・たち』(大谷美和子/くもん出版)は、どの話も人として生きようとするお母さんがユニークでした。

レジーナ:p147の母親の台詞「これだけ大騒ぎしたんだ。お前、絶対合格してみせなよ!」は、言葉が強過ぎると思いました。字面から受けるよりもう少し柔らかいニュアンスなのでしょうか。

アカザ:私も、ちょっと乱暴な言い方だと思ったけれど、この辺だとそういう言い方をするのかと……。

アカシア:ふだんの口調が荒っぽい地域もありますよね。

レジーナ:母親が方言を使っているとは、あまり感じませんでしたが……。

アカシア:全体として、林業のことを書こうとするあまり、人間を描くことがちょっとおろそかになった感がありますね。

レジーナ:林業理解には、いいけど。

:知らなかったことを教えてもらった楽しさはありましたね。

(2014年4月の言いたい放題の会)





2017年3月 1日 (水)

『おいぼれミック』

Photo_3 『おいぼれミック』
の読書会記録

バリ・ライ 著
岡本さゆり 訳
あすなろ書房
2015
原書:OLD DOG, NEW TRICKS by Bali Rai, 2014




ルパン
:おもしろく読みました。原題のOld Dog, New Tricksというのを見て、どんなお話なんだろう、と思いました。

しじみ71個分:いいお話だと思いました。でも、訳の問題だと思いますが、主人公のハーヴェイの話し言葉にしばらくの間ひっかかってしまいました。15歳のイギリスの男の子というと、もう少し大人っぽいだろうと想像しますが、ちょっと女の子らしいというか、幼いという印象がぬぐえませんでした。話が進むにつれて、気にならなくなってはきましたが。人種に対する偏見のある老人が、若者との日常のつきあいの中で、事件をはさんで和解に至るというシンプルですが、大人っぽい話だと思いました。くさくてかわいい犬が二人をつなぐ大事な装置になっているというのもうまいと思います。表紙の少年の挿絵もインド人を感じさせないし、サモサが登場する以外は、「善良なるインド人一家」と帯に書いてあるほどインドらしさは登場人物には感じられないのですが、作者自身も既に移民意識が薄くなって、定着している世代ということはないかなと思いました。舞台となる街自体が、移民の方が多数派になっており、旧来の地元住民が少数派になっているということで、逆に老人のミックの方が弱者という、逆転した状況に既になっており、ミックの人種差別的な発言は弱者の強がりといった感じの印象を受けました。ハーヴェイのぞんざいな言葉遣いも、ミックがハーヴェイの話すのを聞けば自然な英語を話していることを認めざるを得ないという点にも表れているように思いました。移民の第一世代が地元住民との間の摩擦を起こす、という段階を過ぎた状況を描いており、そういった意味では新しいと思います。複雑な状況を軽妙にさらっとおもしろく書いている点を大人っぽいと感じました。

よもぎ:以前は差別される側だった移民の人たちと、差別意識を持っていた白人とが、ここでは逆転しているんですね。だから「人種差別主義者」とずばりといっても痛切に響かず、かえってユーモラスな感じになっている。そこは、おもしろいと思いました。ただ、主人公のミックに対するしゃべり方がぞんざいなのが気にかかりました。「おいぼれ」という言葉も。原書のタイトルOld Dog, New Tricksのもとになっている諺のOldにも、「おいぼれ」のような侮蔑的な意味あいは、あまりないんじゃないかな。

さららん:軽いけど、テーマは明確です。すぐに読み終えた作品でした。102pで「心臓がいくらよくなったって、人生が破綻していたら意味ないじゃないか!」と、主人公はいい放ち、ミックの秘密にふみこんで娘さんを探し出します。一線を越える行動ですが、そういうことがあってもいいんじゃないかと私は思いました。だいたい主人公の気持ちに沿ってんでいけましたが・・・ちょっとひっかかるところも。原題のOld Dog, New Tricksという表現が、締めくくりにも使われていますが,「おいぼれ犬が新しい技をおぼえた」という訳は、どうなんでしょう? となりの老人ミックを、「おいぼれ」&「犬」と呼ぶことが気になります。愛情を込めた冗談だとは思うのですが、そう感じさせるためには、日本語にかなり工夫がいるのでは?

レジーナ:『おいぼれミック』というタイトルでは、読者が手に取りづらいのでは? けんかの場面では、主人公の言葉づかいは今どきの15歳っぽくて生き生きしているのですが、30ページの「~だもの」など、語りになると幼くなりますね。93ページのネルソンの台詞も、「おれ様」なんて言う人は現実にいるのでしょうか?

ネズミ:偏見に満ちた寂しい隣のおじいさんのことを主人公がだんだんと心配するようになって……というストーリーはよかったのです。ですが、最後に手紙を開封するほどミックのことを心配する、そこまでして見たいと思うようになるというところまで、主人公の気持ちが動いていくようすが、物語のなかで今ひとつ迫って感じられなかったのが残念でした。原文の問題か訳文の問題かわかりませんが。犬と音楽の使い方はいいなと思いました。インドからの移民といっても、そのなかで対立もあることが描かれているのもよかったです。手紙を開封するという行動は規範から外れているけれど、戦争のときでも、お上の言うことに唯々諾々と従わなかった人が生き残ったり人を救ったりした例もあるので、こういう逸脱は時に現実にはありうることかと思いながら読みました。だからこそ、そこまで説得力のある盛り上がりがほしかったですが。主人公の口調は全体に年の割に幼い印象でした。

西山:時と場所が限定されている話を翻訳作品からも探さねばとなったとき、翻訳ものって、大抵そうなんじゃないか、と気づきました。日本の作品の中ではいつどこを限定しないように書いている作品の方が多いのに。ちょっと、考えさせられます。この作品は、マイノリティが差別されているわけではない。人種差別主義者のほうがマイノリティ。娘が黒人と結婚したから差別するというのは、ヘイトはちがうから、『セカイの空がみえるまち』とは同じ図式で考えられないと思いました。訳者あとがきで「シク教徒」について詳しく知ることができてよかったです。

マリンゴ:表紙から、ミックは完全に犬だと思い込んでいたので、「人間かよ!」と最初は大きな戸惑いがありました(笑)。みなさんも既におっしゃってますが、主人公が知的な15歳の子のわりに、冒頭でのミックに対する物言いが粗雑すぎると思いました。たとえば14ページの「サモサだよ」ですが、「サモサですよ」だと丁寧すぎるとしても「サモサっすよ」くらいにするなど、翻訳で調整できたのではないかなぁ、と。ミックはわかりやすいキャラだし、驚くような展開ではないけれど、イギリスの移民の実情が伝わってきましたし、時代に取り残されていく人の淋しさや、主人公のいろんな感情が描かれていていいと思いました。なお、版元の方によれば、15歳の子が主人公のYAで、これだけ短い本というのは、通常イギリスではありえないけれど、これはディスレクシアの子を対象としたシリーズのなかの1冊だから、簡潔な文章なのだそうです。

ピラカンサ:原書がディスレクシアの子どもを対象にした本だったら、日本でもそういう出し方の工夫をしてほしかったな。現状ではだれのせりふかすぐにはわからないところもあり、読むのが苦手な子どもには向いていませんね。改行のしかたなど、もっと工夫してほしいです。普通の本としては、ストーリーにご都合主義のところもあり、ちょっと大ざっぱすぎますね。ミックの入院中にハーヴェイたちがミックの家を勝手に片付けていて、テーブルの下の段ボール箱に開封されていない手紙があるのを見つけて断りもなく読んでしまうところなんか、どうなんでしょう? かわいそうなおいぼれだから面倒を見てやらないと、という上から目線に思えます。どうしてもやむをえず、ということであれば、「こういう状況ならやむをえないな」と読者も思えるように訳して(あるいは書いて)ほしかったです。結果オーライだからいいだろう、ではまずいと思います。

さららん:私は物語の主人公と主人公の家族が、インド系だとあまり感じられなかったんです。頭の中で、典型的なイギリス人の男の子をついイメージしてしまい……もしかしたら挿絵があったほうが、よかったのかも。

レジーナ:表紙の少年も白人っぽいですよね。

ピラカンサ:シク教徒はカースト制を否定していて皆平等だという理念をもっていることなど、この本から知ったこともありました。そういう意味では読んでよかったとも言えるのですが、気になったのはミックが単なる弱者で、ハーヴェイたちは同情して上から目線で「かわいそう」と思っているところです。書名からして「おいぼれ」ですから、よけいそう思えてしまいます。対等なつき合い方をしていません。たとえばp104「だって悪いやつじゃないよ。ただのおいぼれ犬だよ」p114「ぼくらがこんなに色々やったのに、相変わらずいやなやつのままだったのか」など気になりました。それからp110には、ジェニーが入院中のミックに会いにいったとき、「父は、私と会うのがこわかったんですって。私に憎まれているとおもっていたから」とありますが、ジェニーは返事がなくてもずっとミックに手紙を書き続けていたわけで、つじつまがあいません。リアリティがないように思いました。

げた:「ついに、おいぼれ犬が新しい技を覚えたぞ」ってのはちょっとひどいと思うな。ミックは人間で犬じゃないんだから。そんな思いを持ってて、本当に仲良くなれるんでしょうか?

さららん:おそらく英語の表現にはユーモアがあったはずだけれど、「老いぼれ犬」という日本語にしたとたん、ユーモアが消えて、差別的なニュアンスが出たんじゃないかしら。

げた:移民といえば、日本ってもっと受け入れた方がいいんじゃないかな。観光客じゃなくって、一緒に日常生活を営む仲間として。そのためにも、子どもたちがいろんな国やその国の人々のことを知るってことが必要だと思う。

コアラ:ミックのほうに感情移入して読みました。それで、くさい犬を飼っていたり散々な描かれ方で、あまりいい気持ちにはなれませんでした。7ページで、ミックが「人種差別ではない」と言っているのに、それを無視するかのように、人種差別主義者のミック、という扱いをするのが残念。移民の問題として、移民をする側の思いと、移民を受け入れられない、でも受け入れざるを得ないという側の思いの両方をすくいとって描いてほしかった。YAに分類されていましたが、装丁も内容ももっと幼い感じがしました。

アンヌ:このレスターという町の様子がうまくイメージできなかったので、同じ作家の『インド式マリッジブルー』(東京創元社)を読みかけています。そちらも舞台はレスターで、通りによって、ここらは90パーセントがアジア人の街で、この通りの反対側はスラム街で高級住宅街とか白人街もある等の説明があったので、たぶんこの本の舞台は、古い家のある街にアジア系の移民が増えていった地区なんだろうなと、見当がつきました。この本では、シク教徒や寺院の場面がおもしろかった。お父さんが「まるで小さなブッダだな」という場面には、非西洋的な理解の仕方を感じて、こういう風に子どもの言うことを受け止めてくれるお父さんがいていいなと思いました。

ルパン:66ページで、目をつぶればみんな同じ(移民もイギリス人も)、と言っていますが、ここはどういう意味なのかな。みな同じ人間だということ? それぞれの文化を尊重しあうべき、という異文化交流的なものがテーマだと思いましたが。そのうえ、文脈的に、ここは英語に訛りがないことを言っているらしいので、イギリス人に同化していることに価値があるようにもとれて、ちょっとひっかかりました。

アンヌ:この子なりに、同じイギリス生まれで同じ口調で喋っているんだよと説得しているのでは?

エーデルワイス(メール参加):原題はOLD DOG, NEW TRICKSで、おいぼれ犬に新しい技を教えてもむだ、というところから来ているのですね。物語は予想どおりの展開で、安心して読みました。シク教徒については、今回初めて、だれもが平等という精神を持っていると知りました。世界中に散らばっているインド人の3分の1がシク教徒だということや、イギリスのレスターは移民の町で、人工の40%がインド・パキスタン系のひとたちだということも。白人の方が押され気味で、そんなところからトランプ大統領のような人も生まれるのかと思いました。

(2017年1月の言いたい放題の会)

『フラダン』

Photo_2 『フラダン』
の読書会記録

古内一絵 作
小峰書店(Sunnyside Books)
2016







アンヌ
:言葉でダンスや歌を説明するのは難しいことですが、この物語では、ハワイアンの奇声のような掛け声とか踊りの用語とかを知らないままに、まるでSFを読んでいる時のようにどんどん想像して読んでいくことができました。部活動で、男子のいない部に男子を強引に勧誘する場面等も、あるあるなどと思いながら読みました。ただ、読み直してみると、詩織の母親との関係や、木原先生の話などいらないと思う場面もいくつかあった気もします。私が一番心を打たれたのは、マヤが犬のジョンのことを悲しむ場面です。文学にできることは、こういう論理的に説明したり解決できない何かについて書くことじゃないかと思っています。心にいいものが残る小説だと思いました。

コアラ:文章がおもしろかったです。26から27ページの転入生柚月宙彦の自己紹介の場面とか、13から14ページの会話とか。あと薄葉健一の発言の書き方、53ページの12行目とか、聞き取れない小さな声を小書き文字で表現していて、あの年頃の男の子の言葉が全部「いいっス」みたいに「ス」が付くのも表していて、すごくおもしろかったです。フラガールズ甲子園で、詩織が観客席にきっといると信じて、戻ってこいと踊りで呼びかけるシーンが感動的でした。ただ、装丁がキョーレツで、手に取ることをためらわせるのでは、と思ってしまいました。もっとかっこいいほうがいいと思います。

げた:工業高校の生徒たちが、仲間同士小競り合いをしながら成長していく物語ですよね。フラダンスって、今や地域でも職場でもすっごく流行っているんです。高校生がスポーツとしてやってるのはとっても新鮮でした。とってもユーモラスなキャラクターが登場する話なんだけど、震災と原発がずっと裏に流れているんですよね。高校生たちが震災と原発によって歪んだ社会をなんとかしようとしている姿に感動しました。それにしても、原発は無くならないものでしょうかね。皆が生活を一段切り下げれば原発が無くたってなんとかなると思うんだけど。

ピラカンサ:原発の方が電気代はかえって高くつくことがわかってきたのに、辞められないのは利権に群がる人たちがいるからですよね。

げた:ラストで仮設の老人が咽び泣く詩織の背中に掌をそっと添えたってとこはよかったな。

ピラカンサ:この作品は、何よりもユーモアがあふれているところが素晴らしい! あちこちで笑えますけど、その中で福島の原発事故の影響なども描かれていて、考えさせられます。たとえば85pには「以前なら気軽に聞き合えた質問を、同じ福島県に住む穣たちはできなくなっている。互いの過去の重さの予測がつかないからだ。ほとんど被害のなかった自分が気軽に問いかけたことが、相手を深く傷つけてしまう場合だってある」とあります。父親が東電に勤めているという健一の視点も出てきますね。ストーリーには意外性も随所にあって、うまいですね、この作家。私はユーチューブで男子のフラダンスというのを見てみたんですが、本場のは体格のいい人がやっていて立派なのですが、日本の男子はほとんどの人が細身で、しかも腰に大きな飾りをつけてたりするので、とてもユーモラスでした。表紙も、中を読んでから見ると、とてもおかしかった。フラダンスは笑顔が大事ということで、みんな笑顔なのですが、その笑顔にそれぞれのキャラクターの思いが入っている気がします。キャラクターの書き分け方も、喜劇的なラインに寄ってはいますが、うまいですね。

マリンゴ: 毛色の変わったスポーツ小説に、原発や福島の問題を絡ませる……そのバランスがとてもいい本だと思いました。印象的なシーンとしては、85pの「うかつな質問はできない」以降の部分。高校生って傍若無人でいい時期なのに、まるで社会人のように、相手のプライバシーに踏み込みすぎないようにしていて、気苦労が伝わってきます。全体的によかったのですが、一部、芝居がかった文章が気になりました。たとえば180p。「だがこのとき穣は、まだ少しも気づいていなかった。~衝突を生もうとしていることに。~プラズマが潜んでいたことに」と、煽りすぎていて、そんなに煽らなくても続きはじゅうぶん気になってるから大丈夫なのに(笑)と思いました。またクライマックスでは、詩織が来ているかどうかまったく確認していないまま、みんなで演技をします。連ドラの最終回だったら、こんなふうに詩織が来るか来ないか!と煽りがちですけど、現実だったら、事前に来るかどうかだけでも確認するとか、来るように仕向けるとか、なんらかの行動を起こすかと思います。そのあたりが少しイメージ先行な気がして、最後の演技の部分、後味はよかったのですけれど、感動とか泣くとか、そういうふうにはなりませんでした。

西山:ほんとにおもしろかった!「3・11」から5年目の福島であることが、必然の物語だと思います。テーマを取って付けたような分裂がなくて、ひとつの小説として大満足の読書となりました。210pの真ん中あたり、「震災を経てから、自分たちは家族や出身地について明け透けに語ることを控えるようになった。」というところなど、実際にあるんだろうなと胸を突かれました。傷が生々しすぎる時期、もちろん語れないということも理解できる。でも、語れないことで、傷がいつまでもじくじくしているということもあると思うから、これは、本当に、何度も言うようですが、「5年目の福島」を言葉にしてくれていると思います。一方で、ほんとに笑える! 羊羹の一本食いとか……。それでいて。203pの羊羹を切るシーンで、実は意外にも繊細に扱われていたと分かるところなど、本当におもしろく読みました。こういうところが何か所もあって、読書の快を満喫しました。他に例えば258pの「成人よ、責任を抱け。」とか、共感できる価値観がいくつも言葉になっているし、よい1冊でした!

ネズミ:とてもよかったです。福島の人々、高校生みんながこういう問題を抱えているということを、部活を切り口に説教臭くなく伝えています。3人称だけど限りなく1人称に近い書き方で、主人公の穣の気持ちによりそって読者をひきこんでいます。あらゆる立場の部員が集まってるというのはフィクションらしい設定だけれど、あざといと感じはせず、気持ちよく読めました。一人一人が、この物語のどこかでとてもいいところを見せるのもいいなと。健一くんが、甲子園に「うまくなったから出たい」と主張するところとか。いいなあと思う文章もちらほらありました。125pの「別にどこかに出ていかなくても、意外なところに世界を広げるヒントは隠れていたのかもしれない」とか、255pの「少しだけ、男子だらけの工業高校に通う女子の気持ちが分かった気がした」とか。113pの「ナナフシから瀕死のマダラカミキリのようになった健一や」では爆笑。

レジーナ:登場人物が生き生きしていて、ユーモアがあって、何度も読みかえしたくなる本です。読んでいてすがすがしく、一人一人を応援したくなりました。羊羹を丸かじりする大河も、底抜けに能天気な浜子も、いちいち芝居がかったしゃべり方の宙彦も、これだけ強烈な人間はそうそういないし、フラガール甲子園で詩織が舞台に上がる場面も、現実だったらこんなにうまくはいきません。でも登場人物の心の動きや、福島の人たちが抱えている想いにすごくリアリティがあって、胸がいっぱいになりました。ひとくくりに福島と言っても、その被災状況はさまざまで、踏みこみすぎないように被災者同士気をつかったり、震災のことを話さないように学校で指導されたり、そういうどこにも出口が見つからない閉塞した状況も透けて見えます。原発事故で突然土地を奪われる理不尽さは、ハワイの歴史と重なりますね。弱い立場の人を切り捨てるあり方に作者が疑問をもっていることが、水泳部のいざこざをはじめ作品全体を通して伝わってきました。

さららん:引用しようと思ったところは、みなさんからもう出ているので、あまり言うことがないです。原発事故後の、分断化され、どこに住んでるのかさえ気軽に聞けない現実の重苦しさを、福島で暮らす高校生の、ありのままの重さにして書いているのが見事だと思いました。読者を笑わせながら、すうっと福島の問題に移れるのは、人物が人間として動いているから。テーマなんてものではなく、登場人物たちのおなかを通した言葉として「今」が語られているからなんでしょう。クライマックスで、サークルのみんなが大会の舞台で踊りながら、詩織を呼ぶシーンを電車の中で読んでいて、泣いてしまいました。『ウォーターボーイズ』や『フラガール』といった映画もあり、決して新しい素材ではないけれど、読者を楽しませつつ、考えさせる虚構の作り方の巧さに感心しました。

よもぎ:『チア男子!!』とか『ウォーターボーイズ』みたいな話かなと思って読みはじめたのですが、福島のいろいろな立場の子どもたちの心情が、きめ細かに書かれていて、おもしろいだけでなく深みのある作品だと思いました。これだけ登場人物が大勢いるのに、「これ誰だっけ?」と思わせずに、見事に描きわけている。本当に上手い作家だと思いました。思わず吹きだしながら最後まで読み、フラダンのクラブも順調にいきそうだし、敵視されていたおじいさんからも花束を贈られ、「良かったね」で終わりそうなのですが、「でもね……」という「もやもや感」が残る。その、どうにも解決できない「もやもや感」が現実の福島の姿なんじゃないかな。そこまで描けているような気がします。

しじみ71個分:さっき表紙がどうも、という意見がありましたが、私はこの表紙がすごく好きです。裏表紙の二人の顔の絵も意味深で、何で、何で?と、本筋ではないながら興味を掻き立てられながら読み進められて、うまい装幀だと感心しました。『セカイの空がみえるまち』の後、これを読んだのもあって、福島の問題をよくぞここまで貫徹して書いたなと作者の強い意志に感動しました。同じ県内でも被災しなかった地域の子、被災して帰宅困難地域から避難してきた子、加害者の立場にある父を持つ子、犬を置き去りにしたことで悲しんでいる子など、いろんな立場の子を通して、福島の今の問題にきちんと話の筋を返していこうという作者の意図が素晴らしいと思いました。また、言葉のセンスがすごくいい。言葉のうまい人だなと思いました。特に、主人公の穰が心の中で入れる突っ込みの言葉などは非常におかしくて、笑いを誘われました。著者の古内さんは、日大の映画学科を出たということですが、そのせいか表現が非常に映像的で、どの場面も映画のように画像が思い浮かびますし、穰が老人ホームで最初の男踊りを披露したときに、健一の背中に塗ったドーランですべって大コケするところとか、細かい描写が非常に場面を想像する助けになりました。あとがきに、実際の高校のフラダンス部に取材したとありましたが、ダンスのテクニックの詳細が書いてあって、『一瞬の風になれ』(佐藤多佳子著 講談社)の表現にも通じるかと思いますが、スポーツやダンスの様子に非常にリアリティを感じられたのも良かったです。福島の原発のせいで生じた閉塞感の中で苦悩しながら、部活に懸命に取り組む中で世界観が広がっていく過程を描くことで、非常に明るい希望を持てる作品になっていると思います。子どもたちに本当に薦めたいです。最後のフラガールズ甲子園のところは、仮設住宅に住まうおじいさんが花束を持ってきてくれたりして、和解につながるなどは少々都合よい場面と思うところもありましたが、それも含めて良い映画を見るように気持ちよく読めました。ヤンキーな浜子のキャラクターも良かったですし、男の子たちがお弁当を交換する場面で、宙彦がパクチーについてデトックスになると言ったのを健一が言葉尻を捕まえて「福島だから?」と鋭い質問を入れるところなども表現に緊迫感があり、宙彦が言葉に詰まるところを穰が救うところなども、高校生なりに難しい問題を語るときのもどかしさをうまく表現していたと思い、感心しました。

ルパン:まだ2017年が始まったばかりなのに、すでに「今年のイチオシ!」と言いたくなるような作品でした。これは傑作だと思います。3・11後の福島という場所にいるいろんな立場の子どもとおとなが描かれていて、すばらしいと思いました。特に、「原発問題後の福島にいる東電社員の子ども」である健一君のいたたまれない思いが非常にうまく書かれていると思います。でも、ちゃんとそこに寄り添う友だちもいて、心があったかくなります。情景描写もすごい。踊りを文章で表すのは難しいと思うのですが、地味なメガネ女子のマヤちゃんが、フラダンスを始めると「キエエエエ!」って掛け声をかけるあたりなど、目に浮かぶようでした。動いているものとか目に見えないものを文章にするのはすごい筆力だと思います。大絶賛です。268pの歌の歌詞で、「踊り上手なあなたに……」「踊り手がそろったら……」というところは、何度読んでも泣けてしまいます。

エーデルワイス(メール参加):福島原発の事故で、故郷に住めなくなった方や仕事をなくした方、そして子どもたちがどんな思いでいるかを、きちんと書いていると思いました。福島のフラダンスは有名ですが、笑わせてくれるところもたくさんあって、おもしろく読みました。自分の中では今年度読んだ本のベストの中に入ると思います。p241「・・本当にリーダーになれるのは一番弱い人のことまでちゃんとかんがえられる人だもの」p249「・・自分の悲しみを人と比べることなんてないんだよ」っp250「この世は自分たちの手には到底負えないほど大きくて深い悲しみと理不尽さでできている」などの名台詞もよかったです。

(2017年1月の言いたい放題の会)

『セカイの空が見えるまち』

Photo 『セカイの空が見えるまち』
の読書会記録

工藤純子 著
講談社
2016






西山
:新大久保のヘイトデモが出てくるというので、出た直後から話題になっていて気になっていた本です。ここでみなさんの意見をうかがいたいと思って、この作品から今回のテーマ「いつどこ固有の物語」というのを考えました。一言で言えば、ヘイトスピーチをとりあげたということは賛成したいと思います。物議をかもしそうなことを、どちらかといえばエンターテインメント性の高い作品を多く書かれている作家が取りあげるということは、子どもの本に関わる人たちにいい影響があるんじゃないかなと思ったので。書く題材が広がるということでは賛成。ヘイトというものを、学校裏サイトの言葉の暴力とつないだのは、問題意識を持っていなかった読者に近づけるやり方として有効だったと思います。ただ、新大久保のアパートの人たちが一様にいい人たちだったのがどうにも残念です。被差別者、偏見でレッテルを貼られている人を、そうじゃない「いい人たちなんだ」と描く物語は今までもたくさん書かれてきたと思いますが、それは事態を裏返しただけで、結局は壁をくずさないというか、そういう展開の仕方はまたかという感じがしました。基本賛成だけれど、不満が残ったというところ。野球部の男の子が繰り返される慣習を変えようとする点は、大事な提案だと受け取りました。

マリンゴ:発売直後、ネットでいくつかレビューを見かけたので、これは読まなくてはいけないのかなと思って買いました。今回、再読ができなかったので、記憶が若干遠いのですが、新大久保を舞台にして、ヘイトスピーチや在日韓国人の人たちとの関係性を取り上げた、という試みはとてもいいと思います。読み応えのあるテーマです。著者の工藤さんの小学生向けの本を読んだことがありますが、口語調のライトな文体でした。今回はYAだし、これまでの作品とは一線を画した重厚なテイストになっていることを期待したのですが、読んでみると、文体はラノベ的というか……。期待が大きかっただけに、やや失速感があった気がします。みんなはどういうふうに読むだろう、と思っていたので、今回の読書会の課題本として取り上げてもらってよかったです。

ピラカンサ:私も、こういうテーマを取り上げることは評価できると思ったし、たがいに異質の存在である空良と翔がだんだんうちとけていくのは、よく書けていると思いました。ただ、こういう作品こそ普通の本以上にうまく書いてほしいと思っているので、私はどうしても辛口になります。だって、子どもがせっかく読んでも浅かったりつまらなかったりしたら、社会に目を向けた作品をますます読まなくなりますからね。15-16pにヘイトスピーチのサンプルが出ていますが、実際はこんなもんじゃないですよね。新大久保のヘイトデモのプラカードも、ネット上にも、「死ね」とか「殺せ」なんていう言葉があふれている。でも、この本ではマイルドな表現しか使っていないのはどうしてなんでしょう? さっき、ラノベという言葉が出ましたが、キャラクターも、翔はまだしも空良は不安定な気がします。1章ではあかねに押される一方なのに、2章では酔っぱらいに声をかけたり、割って入った翔に文句を言ったりするので、どんなキャラ設定なのかわからなくなりました。知り合うきっかけとして翔が別のホームからわざわざ駆けつけてくるのも、わざとらしいですね。それから、空良の両親にしても翔の父親にしても、おとなが書けていません。著者の人間理解が浅いのかと思ってしまいます。それから例えば146pのように、ここに住んでいるやつらはけっこう図太くてたくましいよ、と状況を説明している部分が多いのも気になります。空良が、自分の一言で父親が出ていったと思い込んでいるのにもついていけない。主人公が物語の中で生き生きと動き出すというより、作者が書きたいことに沿ってキャラを動かしている感じがしてしまいました。残念です。

げた:たいへん厳しい言葉のあとに、甘い感想を言うのは気恥ずかしい感じがしますが、新大久保も上北沢も馴染みのある場所なんで、何となく親しみのわく話でした。新宿の職安も20年前には毎月仕事で通ってましたから。実は、私も翔くんと同じように野球部に入っていて、全く同じような経験をして、野球部内にはびこっている悪習をなんとかしたいと思っていました。でも、翔くんのように先輩に突っかかっていくことなんてできませんでした。すごいなと思いました。なかなか野球部の男子がこの本を手にするってことはないかもしれませんが、もし、読んだとしたら、きっと共感するんじゃないかな。ヘイトスピーチや父の失踪をめぐる家族との関係、同級生との関係など考えさせられる話題の詰まった本でした。買って読んだけど、よかったなと思いました。

コアラ:すごく読みやすくておもしろかったけれど、さらさらと読んでしまってあまり印象に残らなかったのは残念でした。複雑な家庭環境とかヘイトスピーチとか重いテーマを含んでいるので、さらっと読めるほうが重苦しくならなくていいのかもしれないとは思いました。作者の問題意識が強すぎると、物語がつまらなく感じたりするのですが、この作品はそういう作者の主張が浮き上がった感じはなかったと思います。トランペットの女子と野球部の男子、という設定はどこかで聞いたことがあるような、と思ってネットで調べたら、『青空エール』(河原和音作 集英社)という漫画が同じ設定だったことがわかりました。映画にもなった作品のようです。『青空エール』は高校生が主人公なので、それの中学生版ということでこの本が出版されたのかもしれませんが、同じような設定でいいのかなあ、とちょっと疑問に思いました。物語の最後のほうで、あかねと別れた野上先輩が急にイヤな奴に描かれていて、それもとってつけたようにありがちな描き方で残念。全体的に、自分と違う国の人たちのことを「あいつらは」と一括りにせず、一人一人と個人的に仲良くなっていこうというのが感じられてよかったと思います。でも、ちょっと物足りない。

アンヌ:主人公たちは中学生という設定なんですが、セリフが高校生という感じで、その割りにラブシーンが控えめなので、ああ、やっぱり中学生なんだと思いました。

げた:えっ!これ、中学生の話? ずっと、高校生だと思ってた。

アンヌ:酔っ払いに話しかける危険性とか感じていないところも、空良が中学生だからかもしれませんが、翔とのやりとりとか少し奇妙な場面でした。会社を辞めて失踪してしまうお父さんも、家族と話し合えない人なんでしょうが、子どもっぽくていい人には思えなかった。最初はいい話でおもしろいと思ったけれど、2度目に読むと、こういう矛盾ばかりが目に付いてしまいます。

ルパン:おもしろく読みました。が、どこがおもしろかったのかな、と後からふりかえってみると、正直なところあまり思い出せないんです。ただ読みやすかっただけ、ということでしょうか。翔くんの野球部の場面ですが、私はそんなに良いとは思いませんでした。やり方が稚拙で一人よがりだなあ、と。たとえば、2年生になったとたんに何でも自由にできると思って、勝手に1年生にグローブを持たせた結果、その1年生が3年生に怒られてしまうとか。練習をすっぽかしたあと、山本君が好意的に迎えてくれたのにひどい態度で応えるとか。部活の場面がとてもいい感じで始まっているのに、あっというまに「自分のためだけに野球をしているんだ」「ただ勝てるチームにしたいんだ」となり、それでいて、「山本君が成績のために野球をするのは気に入らない」と言い……部活動に対する理想が低く、ものすごく自分中心のせりふが多くて興ざめでした。

 冒頭でヘイトスピーチをとりあげていますから、「ことばの暴力」がテーマなのかな、と思ったのですが、そのわりに主人公の空良ちゃんも翔くんも、けっこう人に対してひどい言葉を使っていて、それに対する反省が見られない。ほかの登場人物の性格もまったくのステレオタイプか、野上先輩みたいにストーリーの都合でとちゅうで豹変してしまうかのまっぷたつで、奥行きが感じられませんでした。空良ちゃんのお父さんも翔くんのお父さんも自分のことしか考えていないし。一番の問題は、ヘイトスピーチがどこの方向にとんでいったのかわからないままであること。言う側にも言われる側にも、何の答えも出していない。ヘイトスピーチをするほうの問題にはまったく焦点があてられていないし、言われる側も、どう立ち向かっていくかという方向性が見えていないので。「言っている人が悪いので、言われているほうは何も悪くないんだよ」というメッセージだけでは、問題提起にすらなっていない気がしました。

しじみ71個分:自分の息子が中学生なのでそれと比べると、主人公の翔くんの言葉が中学生にしては大人っぽすぎて、腹落ちしない感じがしました。実際に子どもがしゃべる言葉と違うかなというところで、違和感が最後までありました。新大久保に関する最初の描写については、ヘイトスピーチへの理解と取扱いが薄くて、軽いかなと感じました。実際にはもっと暴力的だろうと思います。ヘイトスピーチを作品のモチーフに扱ったところは挑戦的だなと思いましたが、非常に重いテーマのはずなのに、最後の方ではそれがどこにも見えなくなってしまうなというところも気になりました。民族の違いにかこつけて、全く理不尽な、言葉や実際の暴力として投げつけられるヘイトと、翔くんが抱えている、自分を捨て、顧みない親に対する憎しみは全く異なる種類のもののはずですが、親に対するヘイトを乗り越えるというところで終わってしまって、筋がすりかわってしまっており、最後には触れることもなくなってしまっているのが残念に思いました。空良ちゃんとの関係も、結局は、学校や部活のはみ出し者同士がくっついちゃうんだな、あーあという感じを受けて、かなりステレオタイプなストーリー展開だと感じました。あと、中学2年生にしては、部活改革で戦うというのも大人っぽすぎるなと思って入り込めず、あまり気持ちが動かされることが最後までないまま終わっちゃったのが残念でした。

よもぎ:私も、「主人公たちは中学生なんだ!」と、びっくりしました。それはともかく、数年前までは、読書会で取りあげる日本の創作といえば、登場人物の半径数メートルのことばかり書いたものが多かったので期待して読んだのだけれど……。ヘイトスピーチも新大久保のことも、風景程度にしか描いていなくて、ちょっとがっかりしました。ヘイトスピーチ、どこに行っちゃったの? 作者の中で熟していないまま、作品として出してしまった感じがします。それから、説明で書いてあるところが多くて、もっと動きや情景で描いて欲しかったなと思いました。こういうタイプの話によくあるんですけれど、新大久保に住んでいる人たちはみんないい人みたいな書き方も、薄っぺらい感じがしました。空良のお父さんも、翔のお父さんも、けっきょくはいい人だったみたいな書き方もね。『きみはしらないほうがいい』(岩瀬成子著 文研出版)は、人間の心の深みにまで踏みこんでいて、感動しましたが。

さららん:私も主人公は高校生だと思っていました。装丁がアニメ風でしょ。自分で本屋に行っていたら、手にとらなかったと思うので、今回読めてよかったです。なんの予備知識もなしに読みはじめたらヘイトスピーチが出てきて、『おっ、これは第一印象とは違って骨のある話かな』と思ったんですが……。疾走感があり読みやすく、漫画を読んでいるように、どんどん先へ連れていかれるけれど、よくわからない部分が残ります。特に翔のお父さんや、ヒトミさんなど大人の造型がパターン化されていて、感情移入できないままでした。

レジーナ:ヘイトスピーチという、今の社会が抱える問題を扱った点では意欲作だと思いました。でも登場人物にリアリティがなく、感情移入できませんでした。217pの野上の発言ですが、こんな無神経なことを言う人は現実にいるのでしょうか。ヒトミもいい人すぎますよね。ゴミの分別にこだわるキムさんもそうで、「ちゃんとゴミを分別する、こんないい外国人もいる」ということを伝えたいのはわかるのですが、ステレオタイプを反対側から書いて終わっているので、ヘイトに抵抗する力は感じませんでした。ジェニー・ヴァレンタインの『迷子のアリたち』(田中亜希子訳 小学館)も、社会からはみだしている人たちが暮らすアパートが舞台ですが、そちらの登場人物のほうが深みがあります。

ネズミ:さまざまな家族のありようやヘイトスピーチを扱っているのはいいなあと思いました。翔と空良、それにほかの登場人物たちもさまざまな問題を抱えている。今こういう状況は実際めずらしくないだろうと思います。でも全体に、トラブルをかかえている人とそうでない人がステレオタイプで描かれている印象がありました。それにお父さんが出ていったからといって、それでいじめにあうのでしょうか。私がこれまで見てきた中学生は、難しい家庭の事情に対してむしろ同情的というのか、そこはいじらないという暗黙の了解があるような子が多かったのですが、この本ではそれも「普通ではない」という意味でトラブルの発端になるので、今はこういうことがあるのならおそろしいと思ったし、そういった子を真の意味ですくいあげる方向には向かっていない印象がありました。118pにある「世間からはみだした人は、案外いい人が多いんだよなぁ」というセリフは、言ってほしくなかったです。意欲作だけど、私は中高校生に積極的に手渡すのはためらうかな。

エーデルワイス(メール参加):市内のどの図書館にもなくて、県内の所蔵刊から取り寄せてもらおうとしましたが、新刊は半年以上たたないと他の図書館に貸し出しできないと言われてしまいました。で、仕方なくアマゾンから取り寄せたのですが、すぐ自宅に届き、複雑な思いを味わいました。読んでみて、韓流ドラマブームとか、従軍慰安婦像の設置問題とか、大統領の罷免問題などがわっと頭にうかびました。日本で起きているヘイトスピーチの怖さも感じました。表紙が、今話題のアニメ映画「君の名は」い似ていますね。中高生が手にとってくれるようにという配慮でしょうか。藤崎空良と高杉翔の章が交互に登場するなど、工夫されていると思いました。異文化の差別はもちろん、この物語にあるような学校での重苦しいいじめも、なかなかなくならないのですね。

(2017年1月の言いたい放題の会)

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