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子どもの本で言いたい放題

2019年5月14日 (火)

『願いごとの樹』

Photo_13 『願いごとの樹』
 の読書会記録

 

 キャサリン・アップルゲイト/著
 尾高薫/訳
 偕成社   2018.12

 WISHTREE by Katherine Applegate, 2017

 

マリンゴ:樹の1人称の物語ということで、非常に興味深く読みました。序盤、1つの章が短くて読みやすいなと思いました。p174、175の白黒反転や、p192、193の全面見開きのイラストなど、レイアウトも工夫されていて、物語の盛り上げに一役買っています。樹が切り倒されるかも、という主軸の話のなかに、ひとりぼっちの女の子の友情の話など、他の要素も入ってきて多層的ですね。気になったのは、p9「クラスの全員が『マイケル』という名前だったら、と想像してごらん」の部分。いくら人間の話をよく聞いて博識とはいっても、樹が1人称で語る比喩としては、自然ではないと思い、そこでちょっと引いてしまいました。あと、メイブの日記帳に何が書かれていたのかが示されていない。それが少し物足りなく思いました。

西山:最初はちょっと読みにくかったです。表紙から得た印象ではYAかと思って読み始めたので、童話的なテイストとのギャップに戸惑ったという感じです。今のアメリカの排他性を憂えている人たちの存在を思うと、切実すぎて切ない感じがしました。でも、しっとりしんみりという空気で覆うのではなくて、ユーモアが覆っていてそれは好きでした。カラスのボンゴの「ムリー」と「カワイー」の使い方や、動物ごとの名前の付け方とか、仕返しが「落とし物」だったり、世界を柔らかくしていてかなり好きです。ただ、まぁ、長さ的に無理とは分かりますが、本のつくりとして、もっと違ってもよかったのではと思ってしまいます。p192、193の見開きの挿絵はじめ、絵の主張も強いし、ずっと文章を刈り込んで、絵をもっとふやして、寓話的なきれいな大判の絵本でもあうだろうなぁなどと。

ネズミ:私はちょっとお話に入りにくかったです。樹が声を出すことで、物語が動くというのになじめませんでした。願いごとの樹、動物が住んでいる樹のイメージが先行して、物語ができたのかなと。人間の心の変化そのものは、あまりつっこんで書かれていないようで、やや物足りませんでした。

まめじか:レッドもコミュニティも、いろんな人、いろんな動物を受けいれ、ときに軋轢が生まれるのを見ながら歴史を重ねてきました。レッドとサマールの想いは、「ここにいたい」という願いに結晶化されていきます。居場所をもとめる切実さが、この物語の底にありますね。アイルランド系のメイブのところにイアリア系の赤ん坊が来て、その子が家庭をもって、というふうに、異なる人たちが家族になって連綿とつづいてきた、命のつながりが描かれているのもいいです。少年が「去レ」という言葉を樹に刻んだのは排外的な風潮からですが、その子のバックグラウンドが少し気になりました。あえて書いていないんでしょうけど。

彬夜:とても好きな作品でした。私は、今回読んだ3冊の中ではこれが一番よかったです。寓話的な作品ってなかなか日本の今の作家は取り組まないようですが、もっとあっていいのかもしれません。この物語の静かで、でもどこか人間くさい(樹なのに)語り口が好きです。からすのボンゴとの会話もいいですね。イスラムの女の子の背景については、もう半歩書いてほしいような気がした一方、そうすると物語の良さを壊してしまうのかも、という思いがあります。日記が出てきた時点で、これが、樹が切られてしまうのを防ぐのかな、という風に予測が立ってしまいました。実は、そこの箇所を読む前に樹に動物たちが集まっている挿絵がちらっと見えてしまって、オウンゴールをしてしまったみたいな気分でした。自責のネタバレですね。ああ、動物たちが助けるのね、と。それから、樹が切られるという方向の物語ってありえたかな、というのもちょっと夢想してみました。

アンヌ:ファンタジー好きとしては楽しみに読んだのですが、樹に話をさせたところで拍子抜けしてしまいました。ここは樹が語らなくても、子どもたちに日記を読ませても樹の成り立ちを伝えられるので話す必要はないと思います。樹の代弁者としてのカラスのボンゴもいますから、日本の作家なら樹のそよぎや気配で書ききるかもと思いました。フランチェスカが家族の言い伝えを思い出さないのも不自然ですし、日記を読むというのが当日だというのも駆け足な気がします。ただ、双方の家族がこれだけ奇跡的な状況なのにまだ溶け合わないとしているところは、現実も描いているなと思いました。

ハリネズミ:おもしろく読みました。ただ日本の読者を考えると、もう少しわかるように出してくれるとよかったと思いました。たとえば、レッドに彫られた「去レ」という言葉ですが、日本だと「出て行け」くらいの言葉かなあと思ったり、レッドが2軒の家のまん中にあるので、どうして家じゃなく、樹に彫るんだろうとも思いました。原書の読者は、サマールという名前が出て来たとき、イスラムっぽいとわかるのかもしれませんが、「去レ」がサマールの一家に向けられているということが日本の読者にも最初からすっとわかるでしょうか? アマゾンで一部を見ただけですが、原書には、願いごとを書いた布がいっぱい樹に巻き付けられている絵がありましたが、日本語版にはないんですね。どうしてなんでしょう? ヘイトの行為として、卵を樹にぶつけるという場面も出てきます。樹に?と思いました。

まめじか:p52で、サマールの家に生卵を投げていますよ。そのあと樹にぶつけるから、サマールの家族に対してだとわかったのかな。

ハリネズミ:家にぶつけるのはわかりますが、2軒の間に立っている樹にぶつけるでしょうか? いいところは、樹を主人公にしている読み物という点がおもしろいと思いました。樹が人間だけでなく動物にとっても大きな存在だということが伝わってきます。それと、動物と樹のやりとりにユーモアがありますね。絵も助けになっています。p202に「とはいえ。」とありますが、ここは句点でいいんですか?

彬夜:「とはいえ。」といった書き方をしてみたくなる時はあります。が、誤植に思われそうで結局辞めてしまうかもしれません。

花散里:サマールの思いがよく描かれているところがよかったと思いました。この本は樹に語らせているのが大切なことだと思います。とても情感豊かな作品だと思います。こういう作品を子どもに手渡したと思いました。主人公の樹の思い、去年読んだ本の中でも忘れられない1冊です。本の創りがとても良いなと思いました。白抜きの箇所、挿絵も作品のよさを支えていると感じました。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

エーデルワイス(メール参加):樹を主人公にして、カラスやリスなど動物たちが登場し、ファンタジーのように思えますが、じつは移民をテーマにもしている奥の深い作品だと思いました。美しい文章だが、全体的に少しわかりにくいのが残念でした。

(2019年04月の「子どもの本で言いたい放題」)

『ぼくたちは幽霊じゃない』

Photo_12 『ぼくたちは幽霊じゃない』
 の読書会記録

 

 ファブリツィオ・ガッティ/著
 関口英子/訳
 岩波書店   2018.11

 VIKI CHE VOLETA ANDARE A SCUOLA by Fabrizio Gatti, 2018

 

まめじか:『神隠しの教室』(山本悦子作 童心社)を読んだとき、日本の義務教育は外国籍の子どもにはあてはまらないと知って驚きました。イタリアでは、難民の子どもにも教育が保証されているのですね。警察に見つからないように生活していても、学校に行けば居場所がある。すばらしい教育制度だと思いました。ヴィキは、7歳にしてはちょっと幼く感じました。p181で、共産主義の意味をきかれて「トマトをダメにするもの」と言ったり、p144で、下のほうがせまくなっている黒板に文字を書くと、下にいくほど文字が小さくなるため、文を書くときは必ずそう書くと思っていたり。おとな目線の子ども像というか・・・。

ネズミ:とてもおもしろくて、読み出したらやめられず圧倒されました。聞き分けのない5歳の無邪気なブルニルダと、まだ7歳なのに兄としてがんばるヴィキ。この年ごろの子どもにとって、外国とはこのくらいぼんやりとした認識しかないだろうと自分の体験からも思い、私はとてもリアルに感じました。難民船で海を渡る家族の体験は壮絶ですが、今も危険をおかして海に渡る人々は同じような体験をしているのではないでしょうか。理由はどうあれ、難民として国外に逃れる人たちがどんな気持ちで、どんな目にあっているのか、これを読むと、いくらかでも想像できそうです。読めてよかったです。

西山:このシリーズでこの束で、読むのに時間がかかるかと思っていたのですが、かまえたほど長くなかったですね。紙が厚いのかな。手が止まらなかったからでしょうか。本筋ではありませんが、子どもが質問して、それにちゃんと答える文化というのが一番印象的でした。なんか、このタイミングでそれ聞く?とか、ちょっと黙ってて、とか結構ひやひやというか、イライラというか、読んでる私は思うわけですが、ちゃんと相手をしてるんですね。p223とか、あんなに大変な状況のあとで明日のクリスマスの劇、見にきてくれるのかって、お母さんは丁寧に答えているけれど、私なら無理。日本では、幼い子もものわかりがよく描かれているのか、あるいは、作品以前に社会全体のおとなと子どもの関係のちがいなのか・・・。とにかく、次から次に困難と直面する極限状況にありながら、おとなを質問攻めにする子どもに私はストレスを感じたというのが正直な感想です。もちろん移民や難民の問題を考えるに当たって、学ぶべきところは随所にありました。p79、で「いい人はたくさんいる」止まりでなく「悪いのは法律」と書いているところに信頼を感じましたし、p188の「働きたいなら文句は言うな。非正規だろうが仕事がもらえるだけありがたいと思え。」が、今の日本と重なったり、p243の「問題はおもちゃじゃない」という下りは支援のあり方を厳しく問うていましたし。

マリンゴ:非常に読み応えのある本で、よかったです。移民の旅の物語は、ずっと大変なことが起きて結末近くで少しほっとする、というような展開が多いかと思います。でもこの物語は、いいことがあって、悪いことがあって、というコントラストが強くて、それぞれの場面がより印象的になった気がします。海のシーンは、非常にリアルで怖かったですね。弱者が犠牲になりますけど、その弱者というのが“ひとりぼっちでいる人間”であるのは、衝撃的でした。ミラノに着いて、都会的な美しい風景に癒されて、でもバラックに着くとそこは大変な場所で、とこれもまたコントラストが強いんですね。ラストが若干、尻切れトンボ感がありましたけれど、実在の子の体験をもとにしているから、そこはやむを得ないのかなと思いました。

ハリネズミ:読んでよかったとは思いましたが、お父さんは、イタリアで最底辺の暮らしをしていて、なんの保障も得られていないのに、どうして家族を呼び寄せようとするのか、読者にはわかりにくいんじゃないでしょうか? 戦争や飢餓だとなるほどと思うんでしょうが、この本では「共産主義だったから」としか出てきません。アルバニアで農業をしていれば現金収入は少なくてもずっと人間的な暮らしができるのに、と普通は思うんじゃないでしょうか。国を出る理由がよくわからないままだと、物語に入り込めないように思います。イタリアの子どもなら、アルバニアからたくさん人が入ってきたのを知っているのかもしれませんが、日本の子どもはわからないので。イタリアの学校の先生は、すばらしいですね。不法移民だとわかっていても「学校にいるあいだは心配いりません。イタリア人の子どもも外国人の子どもも、分けへだてなく受け入れるのが、私たち教育者の役目ですから」(p222)なんて言える先生、すてきです。本としては出だしのつかみが弱いように思いました。作文のテーマが、ヴィキだけじゃなく、何を書けばいいのかだれもわかりませんよね。最後のヴィキのメッセージは、ヨーロッパではなくても「正義」と「法律」は一致しないだろうと思います。日本の読者向けと考えると、あと一工夫あるとよかったと思いました。

彬夜ここは「ヨーロッパでは」じゃなくて、「ヨーロッパでも」だとよかったのに。

アンヌ:海を渡る場面の過酷さに、何度本を閉じたかわかりません。非常に迫力に富んだ描写で、しかもその状況が少年の目を通して描かれているのがつらかった。無事たどりついた時に親切なイタリア人に手助けしてもらえますが、その後も過酷な生活状況やお金を巻き上げる警官や悪徳不動産屋の姿など、なかなか読むのにつらい場面が続きます。そのなかでまるで『クオレ』(エドモンド・デ・アミーチス著 偕成社文庫)のような幸福な学校生活にほっとしました。でも、保育園では冷酷なお役所仕事で移民を受けいれません。同じ国の中に残酷さと優しさが同居しているのを感じました。これを読んだ後、日本の人々にも、人に優しくできる誇りというものを感じてほしいと思いました。

彬夜:ノンフィクションっぽい作品だなと思いました。冒頭部分の位置づけは、どうなんでしょう。主人公が中学2年生になってます。ボートで海を越えるシーンの緊迫感がすごいのに、冒頭のシーンのために、ああ、無事に渡れたのね、と思ってしまいます。それでも、あのシーンは読むのがつらかったです。トラウマにならないかも心配でした。ただ、子どもが幼く感じられました。妹はまだしも、主人公の少年は、ああいう緊迫した状況だったら、もう少し聞きわけがいいのではないかと感じてしまいました。学校に行ってからのシーンでは、これでいじめに遭ったりしたらいやだなと思ったのですが、そうならなくてよかったです。彼らはいわば経済難民のようで、これは少しわかりにくいので、もっと説明があってもいいのかもしれません。ラストはちょっと駆け足で、はしょられた感がありました。その後、どんなことがあったのか、なぜ、お母さんだけがうまく仕事が得られたのか、もっと知りたかったです。警察の扱いはひどいですが、日本人には腹を立てる資格はないかもしれませんね。受け入れ政策も貧弱だし、入国管理局の問題点も指摘されている。それを下支えしているのは私たち自身の無関心なので。

花散里:私は今回選書係だったのですが、海外の作品ですぐに思いついたのがこの作品でした。難民もひとりひとりが個人であるということを、『風がはこんだ物語』(ジル・ルイス作 さくまゆみこ訳 あすなろ書房)と重なるように読みました。人形がなくなったり、海をわたっていくボートのところは、読んでいてもとても辛かったですが、とてもよく描かれていると思いました。
父親が呼びよせたときの思いや、お金を搾取される状況。それでも海をわたりたいと思う一家。日本にも外国籍の子どもたちが増えている今、実話をもとにしているという、こういう作品を読んでほしいと思います。難民・移民の話がひとつの作品として読めたのはよかったと思いました。

西山:さっき、おとなと子どもの関係の違いかもと言いましたけれど、普段おとな向けの作品を書いている作家が書いているから、登場する子どもが子どもっぽすぎるのか、とも疑っています。一般の小説家が書いた子ども向け作品では、妙に子どもが子どもっぽく書かれていると感じることがちょくちょくあって。ああ、でも子どもだけでもないかなぁ。あんなに町へ出るのが危険だと言っているのに、お母さんの教会に行きたがりようが呑気すぎるように感じたし。(そこもイライラしたポイントです。笑)おばけが出るぞという軽口に、お父さんには、妻子がどんな困難をこえてきたのかがわかっていないのだなと、体験の断絶の残酷さを感じました。そうでなければ、単にデリカシーがなさ過ぎですけど。

彬夜:船が着いた場所で助けてくれた人たちのことなども、もっと知りたかったです。

ハリネズミ:組織なのか、個人なのか、この本ではわかりませんね。

彬夜:幼稚園と学校の管轄の違いなどは、興味深かったです。

花散里:難民、ひとりひとりが個人であり、それぞれの思いがあると思います。すべてを手放して難民となった辛さ、父親はどういう思いで家族を呼び寄せたのか、日本の子どもたちにも知ってほしいと思いました。

しじみ71個分:今のヨーロッパの情勢をよく映す作品だなぁと思いました。私は、この主人公のヴィキや妹のブルニルダの幼さは、ときどき危機を招くのでハラハラさせられましたが、アルバニアでの暮らしが素朴なものであったことを想像させられて、素直に読みました。一番いいなと思ったのが、イタリアの学校の先生たちです。教育は子どもたちにとっての権利であり、難民であろうがなかろうが、教育を等しく受けさせるのだ、という強い意志が感じられ、感動しました。保育園の園長は反対に官僚的で意外でしたが。また、特に心に残ったのは、学校の初日、クラスの子どもたちが一所懸命に歓迎のために歌を歌ってくれたり、ハグや握手をしてくれたりしたのに、言葉が分からなくて、逆に孤独と不安でヴィキが泣いてしまったところでした。その心細さ、切なさはリアルに胸に迫りました。異国に暮らすことの難しさ、心細さを子どもの視点でとてもよく描いていると思います。言葉に慣れるのがおとなよりも早い、というのも後で分かりますが。密航の船上の恐怖や、不法滞在ゆえのひどい暮らし、警察に見つからないように幽霊のように忍んで暮らす日々、ミラノには居られなくなって郊外に引っ越すなど、厳しい現実がこれでもかと突きつけられ、問題提起のまま終わった感じもしますが、実話に基づくがゆえに簡単に解決の見つからないことなんだと思わされます。このこと自体がとてもリアルだと思いました。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

エーデルワイス(メール参加):7歳のヴィキの目線で話が進むので、苛酷な密入国の場面にハラハラしました。5歳のブルニルダがあまりにも無邪気で、やりきれなさが何倍にもなります。「幽霊」や「おばけ」という表現は、子どもにとってはとても怖いと思います。イタリアでは学校はすべての人に開かれているんですね。

(2019年04月の「子どもの本で言いたい放題」)

『むこう岸』

Photo_11 『むこう岸』
 の読書会記録

 

 安田夏菜/著
 講談社
 2018.12

 

彬夜:再読です。直球勝負の意欲作だなと思います。このテーマをとりあげたことに共感するし、いい作品だとも思いました。ただ、再読すると、ちょっと気になることも出てきて。いちばん悩んだのは、むこう岸とは? ということなんです。和真と樹希、この2人は対比ではなく、同じ側にいるように感じました。だから、むこう岸は誰にとっての何なのかなと。それから後半、生活保護の解説書めいた感なきにしもあらず、かなとも。もちろん、それあっての物語なので、中学生が読むのにはいいのかもしれませんが。それに「居場所」というのは今、まさに求められる居場所なのですが、まるで樹希たちのためだけに存在するようにしか思えなくて。ここの場の奥行きが見えない、というか。ほかに客がいるの? マスター、生活大丈夫? とちょっと心配になりました。あとは、放火してしまう人ですが、人としてのいやな部分をひとりで背負わされているようで、ちょっとかわいそうでした。いい人と悪い人がやや類型的というか、人が仕分けされてしまっているような印象もありました。人物でおもしろいと思ったのは和真の母親です。父親に対しては、和真の側に立ってかばおうとする、その直後に、生活保護の子とつきあっていないと知って安心する。「総論賛成各論反対」的なリアル感がよかったです。ふつう気がつくでしょ、というツッコミはともかく、梅酒の誤飲でふたりを出会わせるのもおもしろかったです。

アンヌ:私も同じく直球勝負の作品だと感じました。生活保護法の条文を詩のように感じる少年を描いてくれたことに感動しました。政治家が率先して生活保護受給者を非難するような情けない時代に、働いて社会保障費や税金を払うことの意義を知って欲しいと思っているので、うれしい作品です。最初はアベル君以外の人物の描き方が単純な気がしたのですが、再読したときに構造の巧さに舌を巻きました。

ハリネズミ:すごくよくできた小説だなと思いました。生活保護家庭の樹希は母親に対し「もっと根性だしたらどうだ」と思っていますが、和真のお父さんは和真に対して同じように思っているという構造もおもしろい。さっき彬夜さんは「同じ岸にいるんじゃないか」とおっしゃったのですが、最初はやっぱり別の岸にいるんだと思います。樹希は最初、和真のことを「ものすごくお腹がすいている横で、美味しそうなパンをまずそうに食べているようなやつら」の一人だと見ている。和真も樹希を見て、小学校で自分をいじめた子どもたちのことを思い出し、「生活レベルの低い人たちが苦手だ。怖いし、嫌悪感がある」(p63)と言っているし、樹希に「金持ちのおぼっちゃま」だと言われて嫌な気持ちでいる。それが最初の状況じゃないでしょうか。そのあと、元の同級生の桜田という能天気な人に会って、「きみ(樹希)にとってのぼくは、ぼくにとっての桜田くんなのかもしれない」(p92)「哀れんでいるものは、自分の放つ匂いに気づかない。哀れまれているものだけが、その匂いに気づくのだ」(p93)と感じるようになる。最初は向こう岸にいた子どもたちが、だんだんに近づいていく様子がとてもよく描かれていると思いました。
 もう一人のアベル君は、ナイジェリア人の父親の暴力がトラウマになっている存在だと思いますが、こういう存在の出し方もうまいなあと思いました。ナイジェリア人の父親も、ただ暴力をふるっているのではなく、どうしようもない状況におかれて、そうなったというところまで書いています。その結果、アベル君の方は言葉が出なくなり筆談しかできずに、自分はバカだと思っています。和真はそこで、アベル君にも進学校で落ちこぼれた自分を重ねていく。実体験をしたからこその気づきを書いているのも、うまいです。生活保護のところは、必要不可欠な部分だけを書いているように私は思いました。できるところをやっていこうという意欲は書かれているので、それ以上書く必要はないと私は思いました。結局、ほかの人とちゃんと関わりをもてたときだけ、人間は変わっていけるということなんですね。西ヨーロッパだと、必要最低限のお金は生活保護で得て、弱者のためにボランタリーな仕事する人がいますが、日本では生活保護はまだ白い眼で見られているのですね。「カフェ・居場所」のマスターみたいな人はいるので、私はリアリティがないとは思いませんでした。和真の父親やおばあさんはステレオタイプかもしれませんが、やっぱり日本にはこういう人いると思います。

マリンゴ:非常によかったです。テンポがよくて章が終わるたびに、次がどうなるのかと、引き込まれました。こういう物語って、ひとりのキャラが強くて、もうひとりが弱い、というのがよくあるパターンかと思うのですが、本作ではふたりとも強いんですよね。それがとても魅力的です。私自身は、進学校で苦労した経験があったので、和真のほうに自分を重ねてしまう部分がありました。読んでいて思い出したのは、数年前にネット上で物議をかもした生活保護の家庭。ひと月の携帯電話の料金が1万円を超えていて、それはいかがなものか、と批判されたんですよね。でも、既に携帯がないと生活できない時代になっていたし、自分だけでなくキッズ携帯なども必要となると・・・やむを得ないし、「これ、いらないんじゃない」と他人が簡単に言っていいことでもない。私がそんなことを思い出したように、この本をきっかけに生活保護について考えることができるのではないかと思います。

西山:ペンクラブ子どもの本委員会で困難を抱えた子どもたち向けた本を企画中なのですが、その企画の中で学んでいることがこの本の中にあれもこれも詰まっていると思いました。ふたりが互いの理解を進めていく過程が丁寧に積み上げられているという指摘も、ふたりともおなじ岸にいるのではないかという指摘も、どちらにも共感します。結局、和真と樹希たちが同じ岸にいるという指摘を、若干の不満として敢えて指摘するなら、1カ所だけひっかかったところがあります。p66で和真が自分とアベルくんを重ねるところ。「きみは、バカではありません」と和真が思わず発したこの一言はとても重要なわけですが、そんなに重ねられるものだろうか、同じ立場なのに、越えきれない骨の髄まで刷り込まれた差別意識こそがとっさに出てしまうのではないのか、と思ってしまったのです。そんなにすぐにアベルくんの側に立てるのかと。でも、ここで飛躍して、こういうペースで進んでいかないと物語の中での展開は書いていけないと思うので、これはこれでありと思いはします。

ハリネズミ:ここはアベル君を頭で理解するのではなく、自分も進学校の先生や親にバカだと思われたり言われたりする実体験を持ったからこそ言えた言葉なんじゃないですか。

西山:重なる構図は分かるのです。でもこんなに端的にそれを自覚して言葉にできるのか。和真は価値観の彼岸にはいないと思ったんです。育ってくる中でしみついてきた差別意識というものはものすごく根深くて、そう簡単には行かないんじゃないかなと私は思います。それはさておき、生活保護のことを調べるのは、この作品の価値のひとつだと思います。うまく書き込まれている。現実と重ねると、生活保護について調べたいと訪れた中学生に「生活保護手帳」を出してくるって、カウンターの人のチョイスおかしいですよね。でも、p170の「この本のわかりにくさに、怒りすらわいてきた」という一文は大事だと思うから、まぁ、これを出してくるために仕方なかったのかな。子ども学科で、ある先生から「障がいのある人にとってわかりにくさは暴力ですから」と言われてはっとしたことを思いだしたんです。制度自体の至らなさを、お勉強的に生な情報の羅列にすることなく、自然に物語にとけこませて、でもしっかり指摘している。新人作家を比べて言うのは酷ですが、『15歳、ぬけがら』(栗沢まり著 講談社)では、生な情報がつめこまれた印象がどうしても残ってしまったので、やはり、こっちはうまい。生活保護をうけている側を「けなげ」で捉えずタフさで描いたところも好きです。細かいところですが、p177で、「しがない下っ端の、助教だけどね」って、安田さん、いろんなことに気をくばって(笑)。すみずみまで異議申し立てが詰まっていて、すごい作品が書かれたと思います。

ネズミ:意欲作だと思いました。とてもおもしろくて一気に読みました。体は大きくなっても、それぞれの環境によって知っていることも限られ、制約の中で生きている中学生が、周囲との思いがけないかかわりによって世界を広げていくようすに説得力を感じました。いろんなおとなが出てくる物語って、日本の作品では珍しいのでは。頼りない担当ケースワーカーもそうですが、この人はこういう人と、決めつけてしまわないを描き方がいいなあと思いました。生活保護についてていねいに描かれ、個人の努力が足りないせいではないとよくわかります。テーマ性があるけれど、和真と樹希がどうなるか知りたくて、読まずにいられない、物語としての力のある作品だと思いました。

まめじか:すごくよかった。和真も樹希も、相手は自分とは違う側、むこう岸にいると思っているけど、その境界は曖昧なものなんですよね。若いうちは特に、この人はこうだと決めつけて壁をつくってしまうことがあります。でも、お店でアベルが暴れたときに「斎藤のおばさん」が助けてくれたり、エマがおじさんを紹介してくれたり、実は思っていたのとは違う人だったことって、現実にもけっこうありますし。樹希がけなげでなく、かといって敵意まるだしのひねくれた子というわけでもなく、その人物造形もうまい。p135「アベルくんは、泳げない魚で、飛べない鳥なんだろうか? ・・・嵐が吹き荒れる中、物陰でじいっとしているうちに、泳ぎ方も飛び方も忘れてしまったとしたら?」とか、p119「そんな時間があるおかげで、あたしは少しだけ楽に呼吸ができている」とか、心に残る文章もありました。

しじみ71個分:同じように困難な生活を送る子どもを描いた『15歳、ぬけがら』とどう違うのだろうと思い出しながら読んだのですが、登場人物の魅力や、心情の描き込み方の違い? そうなると、作家としての経験や筆力の違いなのかなと思ったりしました。生活保護に関する難解な説明については、和真が学んだ内容として紛れ込ませて、うまいこと読ませるなと思いました。それから、「うまいなぁ」と思ったのはp162~163で、和真の母親が、父親に叱られる和真をかばい、高圧的な夫に対する自分の想いを見せたところで、母親は和真の気持ちに共鳴するのかと一瞬、読者に思わせておきながら、直後に生活保護世帯についてあからさまな差別意識をのぞかせ、和真を失望させるところは二重三重に展開があってあっと思わされました。その効果で、和真のおとなへの失望、おとなの嫌らしさとともに、子どもである自分も含めた差別意識の根深さ難しさがよく伝わるなと思って感心しました。いろんなおとなたちとの対比で、子どもたちの抱える困難や苦しさが分かりやすく描かれていると思います。家庭内での抑圧と自己肯定感の喪失、虐待、貧困とか、さまざまな形で子どもたちが抱える困難を分かりやすく伝えていると感じました。
『むこう岸』というタイトルもとてもいいと思いました。何が向こう岸なのか、って考えさせられます。最初はこの世とあの世の岸のことかと思って、幽霊話か何かと思ったのですが心の問題でしたね。1本の線のような境界を越えて、むこう岸を知ろうとするか、しないか、ということが共生する世界には大事なのかなと思って、よいタイトルだなぁと思いました。「対岸の火事」という言葉もありますが、他人ごとと思って見ないふりをするかしないか、と考えるところが大事かなと。そういう意味で、和真がアベルに勉強を教え、生活保護について調べることを通して学びの喜びに気づく成長や、樹希の進学への希望などはこれからの可能性が最後に見えて、読後も気持ちよかったです。

まめじか:樹希は最後、看護師になる夢をもちます。「むこう岸」は人間関係だけじゃなく、それまで手に届かないと思っていたもののことも含んでいるのでは。いろんなことを考えさせるタイトルですよね。

花散里:昨年読んだ日本の児童文学の中で特に印象に残った作品でした。どうして12月にこういうよい作品が出るのかと思って読みました。一年のまとめをもう書いてしまったのに、と。タイトルもよいし、表紙の絵もとても作品の内容を表していると思いました。和真は名門中学で成績が低迷し、公立中への転校を余儀なくされますが、樹希が母親と幼い妹と生活保護を受けながら暮らしていることを知り、勉強の中だけで生きていた自分自身を見つめ直していく様子がよく描かれていると思います。カフェでふたりはつながりますが、子どもの居場所って大切だと思いましたし、マスターの存在がとてもいいなと思いました。世の中に、親とは違う存在があることが大切だと思いました。
生活保護を受けていたら看護士になれないと思っていたのが、なれることがわかり、勉強していくようになっていくところなど、子どもが読んで共感できるところがあるのではないかと思いました。作者の安田さんは、図書館員にはこういう人がいるのかと、見ているのかと思いましたが、ひとりひとりの人物をよく書いているなと感じました。作品を読んで、無料塾とか子ども食堂とかにも希望があると思いました。

ハリネズミ:p90に「ピアノがべらぼうにうまくて」とありますが、べらぼう、って、今の子どもも使うんでしょうか?

アンヌ:他にもいくつかp111の「なかなか窮屈です」のように子どもらしくない言い方があるので、p128で「山之内くんのしゃべり方って、おじさんぽくて、おもしろーい」とエマが言うように、個性として使わせているんじゃないでしょうか。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

エーデルワイス(メール参加):表紙が暗すぎて、読むのを敬遠したくなりました。しかし、和真と樹希の境遇が、時にはユーモアを交えながらリアルに伝わり、希望を持って終わっていたので、読後感がよかったです。学びたいと思う気持ちが伝わってきます。生活保護についてもよくわかりました。

(2019年04月の「子どもの本で言いたい放題」)

2019年4月21日 (日)

『ぼくとベルさん〜友だちは発明王』

Photo_5  『ぼくとベルさん〜友だちは発明王』
 の読書会記録


 フィリップ・ロイ/作
 櫛田理絵/訳

 PHP研究所 2017.02
 原題:ME&MR.BELL by Philip Roy, 2013

 

カピバラ:描写が細かくていねいで、情景が伝わってきました。ディスレクシアがどういうものが理解できてよかったと思います。両親がそれぞれのやり方で、息子を理解しようとしていくのが嬉しかったです。

西山:時代が時代だからが、父親がエディに障碍があると思って接しているからなのか、エディの父親に対する口調が敬語なのに違和感を覚えて最初はなかなか物語に入れませんでした。なんの話なのだろうと。読み進めたら、いろんな情報が入ってきて、それぞれを興味深く読むことになりましたが、ライムの説明はなかなかむずかしいですよね。p70〜77あたり、興味深いけれど、ついていくのが大変。こういうの、訳すの大変なのではないですか? 今回「世界が変わる」というテーマを得て、エディ本人の抱えているものが変わるわけではないけど、ベルさんという理解者との出会いからエディを包む世界が劇的に変わって開かれた。そういう作品なのだということがクリアになったと思いました。

ネズミ:小学校高学年向けの読み物として、ドキドキしながら読めるよい作品だと思いました。自分はだめだと思っていた少年が、ベルさんやヘレン・ケラーとの出会いのなかで、好きなものを見つけて前に進んでいくのを応援したくなります。少年と大人との出会いは、『ミスター・オレンジ』(トゥルース・マティ作 野坂悦子訳 朔北社)を思い出しました。ただ、話し言葉は全体に古風で、ところにより説明的な感じがしました。特に気になったのは家族の中でのお母さんの口調。「書いてごらんなさい」などは、時代感を出すために、わざとていねいにしたのでしょうか。お行儀のよい感じになりすぎるのは、もったいない気がしました。

レジーナ:昔の上流階級だからじゃないですか?

カピバラ:ここは口調が変わっていくところです。最初は「書いてごらんなさい」だけど、次は「じゃあ、書いてみて」そのあと「さあ、書いて」になってますよ。

西山:エディがおつかいに行ったところは、字が書けないなら口で言えばいいのに、と思ったりしました。

ネズミ:数字の8を書いたっていいのに。

まめじか:おもしろく読みました。p134「思いちがいをされているんでしょう」など、父親への言葉遣いはていねいすぎるような・・・。昔の話だとしても。ところどころ、わからないところはありました。p13で、お父さんは主人公の字が読めとれず遅れて到着します。hとnをまちがえたようですけど、どうまちがったら、8時が9時半になるのか・・・。翼の形について友人と議論しているベルさんに意見を求められ、エディは「よくわかりません。もしぼくが飛行機で空中にうかんだとしたら、たぶん次に知りたいのは無事に地上にもどれるかってことです。でもぼくも、あの見た目はすごくかっこいいと思います」と言います。私は、エディがどちらの側についているのか、このせりふからはわかりませんでした。次のページで、ベルさんが「二対二で同点だな」と言っているので、エディはベルさんに同意し、その形の翼では飛べないと言っているんでしょうが。それと、畑の石を掘りだすのは、「大人の男がするような仕事」みたいですが、父親は、なんでそんな大変なことをエディにさせたんですか?

ネズミ:そんなに石が大きいとは思ってなかったんでしょう。

サンザシ:お父さんは、この子は勉強もできないから畑仕事のプロにしなくちゃと思ったんじゃないかな。

さららん:テーマも、出会いの描かれ方もすごくいいし、応用数学を使って、主人公が大きな岩を滑車とロープで運び出すところなども、大変おもしろかったんですが、例えばp122、p208のロープと滑車のつなぎ方は、文章だけでは想像できない。だからp125に挿絵があって、ほっとしました。ただp124に「馬たちは丘を上り始め」とあるのに、挿絵の絵は平地に見えます。またp103の「馬房」はなじみの薄い言葉ですね。p126の「主はアルキメデスだ」という文章も、スッとわからない。対象年齢を考えると、少し言葉を補ったほうがよいのかもしれません。

まめじか:アルキメデスの原理で、石を動かしたからですよね。

サンザシ:アルキメデスはp113-114にかけてずっと出てきていますよ。滑車の法則を発見した人だっていうのも出ています。もう一度ここでも補うってこと?

さららん:メッセージもストーリーも素晴らしいだけに、訳語でひっかかるのが残念だったんです。物語の魅力をさらに輝かせるためには、p70-72にかけての「ライム」についてヘレンが話す場面も、もう少しわかりやすくなるといいな、と思えました。

鏡文字:正直なところ、前半が読みづらかったです。物語に入れないな、という感じで。冒頭から、プツンプツンプツンと言葉を投げられているような気がしてしまったんです。物語そのものはいい話だなと思いましたし、エピソードもいいんです。なんというか幸福感のある話ですよね。ただ、表現面でいろいろひっかかりを感じてしまったんです。『マレスケの虹』(森川成美作 小峰書店)はちょっと改行が多すぎると思ったのですが、この本は、ここ改行なしにつなげちゃうの? と思うところが何か所かありました。それから、p20の終わりに、「そんなある日、ある人との出会いが、すべてを変えたのだった」とあり、p43には「そしてこの本が、ぼくにとってすべてを変えるきっかけとなった」とあります。すべてを変えるのがそんなにあるの? とか。それから、ベルさんって、今の子たちにピンとくるのでしょうか。

サンザシ:p4に、「世界じゅうでその名を知られる発明家、アレクサンダー・グラハム・ベル」とか、お父さんのセリフで「ベルさんは、この世でいちばんかしこい人なんだぞ」と、書いてありますよ。

まめじか:電話を発明した人って、どこかに書いてありましたっけ?

サンザシ:それは別になくてもいいんじゃないですか。この作品の本筋にはかかわらないから。

マリンゴ:作家はカナダ人ですけど、カナダではだれでもベルを知ってるんでしょうね。

鏡文字:これってまるっきりフィクションなんですか? それとも、エディにモデルがいるんでしょうか。それを知りたいと思いました。

ハル:奥付ページの上のほうに、「この物語は、史実を考慮して書かれたフィクションです」と書いてありますよ。

カピバラ:「考慮する」って微妙ですね。

ハル:まだp108までしか読めていなくて、そこまでの感想ですみません。ヘレン・ケラーに会って「かしこさの正体」に気づいた場面がぐっときました。子どもの頃には「この授業が、実生活でなんの役にたつのか」「なんでこんな勉強をしてるんだ」なんて、つまらなく思うこともあると思いますが、自分の中で賢さとは何かという答えが出ると、世界がガラッと変わるんじゃないかと思います。エディは、賢さとはp68「ぜったいにわかってやるという強い想い」だと知りますが、はたして読者はどう思うか。それぞれの答えが見つかるといいなと思います。なんて偉そうに言いますけど、私ももっと勉強しておけばよかったと今になって思っています。一か所、勉強ができないことの引き合いに、過去に事故にあったフランキーという少年が登場しているのは、嫌だなと思いました。最後まで読んだら、違う意図があるのでしょうか。

アンヌ:以前に読んだ時は、実在の人物ばかりが気になっていたのですが、今回は主人公の気持ちになれました。読み書きがうまくできないということだけで、差別されたり、何を言っても「うそだね」と否定されたりするのが読んでいてとてもつらかった。けれど、数学や問題が解けた時のさわやかさを主人公と一緒に感じられて、再読できてよかったと思います。私も左利きで矯正された世代なので、この視察員には不快さを感じました。お父さんが怒ってくれてよかった。

鏡文字:100年以上も前の1908年に、左で書くことを親が認めてくれるというのは、うらやましいことですね。

アンヌ:p68のヘレン・ケラーの知りたいという強い思いを感じるところも素晴らしいと思いました。主人公の語り口が大人っぽいのは、ディスクレシアではあるけれど、内面にはすぐれた知性があるという事を示すためなんだろうと思います。

サンザシ:これ、読書感想文の課題図書なんですね。感想文が書きやすいのかな、やっぱり。会話とかあんまり気にせずに読んだけど、そういえばそうですね。エディは10歳の子で、何も習っていないのに滑車の道具を考えだしたりする、ものすごく賢い子なんですね。普通のディスレクシアの子は、もっと大変なんだろうなと思いながら読みました。家族の外にいる人との交流の中で、子どもが自信を得ていくというテーマはいいですね。現地音主義で言うとグレアム・ベルでは? ケネス・グレアムはグレアムになってますけど、この人はずっとグラハムですね。

一同:もうそれで定着してるから。

アンヌ:ベルが飛行機まで発明していたとは知りませんでした。

マリンゴ:今回のテーマは「世界が変わる」なのですが、選書をする段階で、「史実とフィクションのさじ加減」というテーマでもいいかなと、担当者で話し合っていました。この本はまさに、史実とフィクションの混ぜ方が興味深い作品だったのです。グラハム・ベル、ヘレン・ケラーという実在の人物が重要な役割を果たす一方で、エディという主人公はどうやらフィクションらしい、と。その辺の作り方がとてもおもしろいなと思いました。カナダ人にとっては、ベル氏は英雄だし、ヘレン・ケラーは世界的に知られている人だし、どちらも一切悪く書かないで、物語にうまく取り込むのは難易度が高い気がしたのです。もっとも、著者もカナダの方なので、リスペクトする気持ちがもともと高いのでしょうけれど。先ほど、ディスレクシアの症状をつかみにくいという話がありましたが、大人になってからディスレクシアだと気づいた人が主人公の漫画があります。やはり絵で表現されると、伝わりやすくて症状がよくわかるんですよね。活字で症状を語るのは難しいのだなと思いました。

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エーデルワイス(メール参加):主人公のエディと発明王ベルさんの友情がさわやかです。ベルさん、魅力的ですね。普通の人には理解できない、ディスレクしあの人の苦労がていねいに書かれていました。エディの観察力の鋭さと数学的な思考の優秀さも。

(2019年03月の「子どもの本でいいたい放題」)

『マレスケの虹』

Photo_4  『マレスケの虹』
 の読書会記録

 

 森川成美/作
 小峰書店
 2018.10

 

ハル:文学で戦争を伝えていくことの意義は、この「虹」を探すことにあるのかなと思いました。戦争の恐怖、悲劇、残酷さを伝え、絶望を知り、だからもう2度と繰り返さない、というところからさらに1歩踏み込んで、その恐怖や絶望の芯に何があったのか、戦争による恐怖の本質をいろいろな角度から考え、学び、簡単には言えないけど、やはり未来の希望へつなげていかなければいけないんじゃないかと、そんなことをこの本を読みながら考えました。

アンヌ:すぐには物語に入り込めなかったのですが、裸足で学校に通う描写のあるp25のあたりから、ハワイでの戦前の移民の生活が感じられてきました。一見封建的なおじいさんもハワイで生きてきた人だから、ハワイ人を差別しアメリカに勝つと言っている日本語学校の校長先生とは違う。p88「じいちゃんはたしかにぼくのじいちゃんだ」の意味が、だんだんわかっていきました。疑問なのが母親で、姉や兄に連絡を取らないのはなぜかと思っていたら、実はスパイと一緒だった。時代の緊迫感を感じました。「何人も令状なしに逮捕されないと、憲法に書いてあるでしょう」とp136でミス・グリーンが口にする憲法の下での人権の話がとても心に残ったのですが、戦争が始まると超法規的なFBIが子どもにまで手をのばす。こんな仕組みを作ってはいけないと思います。ハワイの海にかかる「雨の後の虹」をめぐる思いが美しい物語でした。

サンザシ:ここには、白人も日系人もハワイ人もいるという設定ですが、周りの人たちをちゃんと観察して分析しているところがおもしろかったです。たとえばマレスケはハオレ(白人)について「怒れば怒るほど、一歩ひいて、冷静になろうとする。皮肉を言っておしまいにするのも、文句を言うより、相手に響くと考えるからだろう」と思う一方で、日系一世のおじいちゃんについては、「直情径行で、頭にきたらかっかとして、自分の気のすむまで、どなりちらす」と見ています。日系人でも一世と二世はメンタリティが違って「一世はまじめで、やることはとことんやる」けれど、二世についてはもっとのんき。でも二世でも「シェイクスピアを読んでもすごいなって関心はするけど、ハオレのものだという気持ちがどうしてもぬぐえなかった」り、「俳句を読むと、ところどころ意味はわからなくても、なんとなく気持ちがわかるもんなあ。しっくりくる、って感じだ」とハジメさんに言わせたりもする。先住民のレイラニには「私たちハワイ人は、いつだって、あせらないのよ。雨が降れば雨があがるのを待つし、風が吹けばやむのを待つの」と言わせる。それがステレオタイプになるのはまずいと思うけど、いろんな人が混じり合って暮らしている場所ならではの描写だと思うと、おもしろかったです。パールハーバーの事件があって、日系の人たちが右往左往するというところも、よく描かれています。ただ私はマレスケの母親が一体何だったのかがよくわかりませんでした。スパイだったのか、だまされたのか。本の中で明かされないので疑問として残りました。一か所ひっかかったのは、p157で、マレスケが「ぼくは日本人を見殺しにしてしまった」と言ってるんですが、別に見殺しにしたわけではないのでは? マレスケが服をとりにいったあいだに、いなくなっただけなのでは?

まめじか:p124に「生きて虜囚の辱めを受けず、という男の言葉が、ぼくの頭の中をかけめぐった。捕まるぐらいなら死ね、ということだ」とあるので、このあと自ら命を絶ったと、主人公は思ってるんですよ。

さららん:その日本人を助けられなかったことを、見殺しにしてしまったとマレスケ本人が強く感じているんじゃないですか?

ハル:でも、p121に「ぼくらといっしょに、カヌーで戻ります?」とも誘っているので、たしかに曖昧な感じもします。

サンザシ:マレスケの心自体が揺れているように思い、迷っているのかなと思っていたんですけど。

マリンゴ:児童書で、ハワイの日系人の戦争関連の物語。切り口がとてもいいなと思いました。全体の3分の1のところで、パールハーバーが始まるのもとてもいいバランスだと感じました。それ以前とそれ以後と、空気の変わり方がとてもよくわかります。とても読み応えありました。ただ、最後は作者の言いたいことが全部書かれ過ぎていて、余韻が消されている気がしました。正直、p239「美しい虹だった。」で終わってくれたらよかったのにと思うくらい。あと、風景描写がほとんどないのが残念でした。読み始めて序盤で1度ストップして、本当にこれハワイの物語なのかな、と確認してしまったほどです。美しい海とヤシの木と・・・そういう美しい風景があれば、戦争とのコントラストがよりくっきりしたかと思うのですけれど。

カピバラ:戦争中の話で、暗く厳しい現実を描いていますが、主人公がまわりのいろいろな大人たちをよく見て、14歳という年齢なりに考えていく姿に好感がもて、明るい気持ちで読めました。2つの祖国の間でアイデンティティに悩むというのは、どの国の移民もかかえている問題ですが、どちらかに決めることはない、という考え方は納得ができました。現在の日本でも外国籍の子どもが多くなっているし、今の子どもたちの問題でもあるので、ぜひ読んでほしいと思いました。ただ、この表紙の絵はどうなんでしょう。何だかとっても素敵な男の子が描かれていて、ちょっとこっちを向いて、と言いたくなるような感じなんですが・・・。

ハル:足の付け根あたりの描き方がちょっと変・・・?

カピバラ:物語の中身と合っていないと思います。

サンザシ:書名の後ろじゃなくて前に虹が来てるのはわざと?

西山:最初に何の情報もなく本を手に取って、このおしゃれな表紙に「マレスケ」、またまたなんでこんな古くさい名前と思いながら読み始めると、主人公自信がこの名前が嫌だと語っていて、その由来やハワイの日系の世代間の感覚の違いまでそこで伝わってきて、かゆいところに手が届く感じで、うまいなぁと、すっと作品の中に入って行けました。日本の児童書の中で、日系移民のことを正面から書いた作品は、私は思い出せません。こういうドラマで現代の子どもに史実をお勉強的でなく伝えています。ただ、過去の伝達だけでなく、たとえばp37あたりの、マレスケが自分の進路を考えるところなど、今の子にとっても、自分はこれからどう生きていくのかという普遍的な14歳の不安につながっています。戦争についても、p136の後半の部分は、非常時は人権が制限されるという、戦争を過去の出来事としての戦闘だけでとらえない、本質を伝えてくれています。移民のアイデンティティの複雑さを象徴的に伝えてくれる、p161~162にかけての露店のシーンも印象的です。あっち、こっちと立場を2分できない複雑さに沖縄を重ねて思いを馳せました。貴重な過去のことを題材にしているけど、現代的なことも描いていて、大事な1冊が書かれて良かったと思います。先にご指摘があったように、五感に訴える描写があったら、もっとよかったのでしょうね。

カピバラ:最後のお兄さんの手紙、この時代にこんな手紙文は書かないと思ったのですが、これは英語で書いてある設定のものを日本語にしているからなんだと気づきました。

さららん:日本とアメリカでは状況が違うので、なんともいえないけれど、こんな内容の手紙を、軍人のお兄さんが自由に家族に出せたんでしょうか? 検閲にひっかからなかったのかな。

ネズミ:意欲的な作品だと思いました。戦時中の北米の日系人の状況もそうですが、100年前の移民政策によって海を渡った人々の歴史を書いた本はとても少ないので。同じ北米でも、ハワイとアメリカ大陸では違ったのでしょうか。ハワイの日系人はこうだったのかと、興味深かったです。カピバラさんと西山さんがおっしゃったように、マレスケには、今の同世代の子どもも自分を重ねられそうなところがありますね。将来どうしようとか、自分は何をしたいんだろうとか、迷っていて。なので、最後まで目が離せないところがうまい。アイデンティティについて、ありのままの自分でいい、どちらでもいい、と着地したのがいいなと思いました。ひとつだけどうなのだろうと思ったのは、p100のJAPS GO HOMEという言葉。「日本人は国に帰れという意味だ」と書いてあるだけですが、JAPSに差別的な意味合いはなかったのでしょうか。

サンザシ:最初は略語だったのが、戦争の中でどんどん日系人迫害に使われるようになって、蔑称として定着したんじゃないでしょうか?

ネズミ:解説がほしいなと思いましたが、創作だとつかないのでしょうか。翻訳ものでこういう内容だったら、必ずつきますよね。

マリンゴ:たしかに日本の本だと、巻末にあとがきを入れるかどうかは、作家次第ですね。入れたとしても、だいたいは謝辞が中心でしょうか。

まめじか:伝えたいことがあって書かれた、意味のある作品だと思うんですけど・・・。静かなドキュメンタリー映画を観ているようで。入り込めなかったのは、主人公が、思ったことをぜんぶ言葉にしていて、撓めがないからでしょうか。作家をめざすのも、先生の言葉だけでそうしたように読めて、私は納得できませんでした。

さららん:マレスケはあるとき日本人スパイとの関係を疑われ、マレスケの立ち寄ったホテルにFBIが調べに行きます。でもドアボーイは、そんな少年は知らないと答えたんです。それを「かばってくれた」としっかり感じたところに、ハワイという多民族社会の戦争時代に生きるマレスケを感じました。

まめじか:そうした場面で、主人公が自分の特性に気づく様子が書かれていたらいいんですけど、それがないので、最後がちょっと唐突に感じました。

さららん:戦争中の日系人の話は関心のあるテーマです。収容所に入れられた一家の話かなと思ったら、そうじゃなかった。私自身は、物語に起伏がないようには思いませんでした。「しかたがないものは、しかたがない」というのがおじいちゃんの口癖。戦争をテーマにした別の作品で、愛犬が連れていかれたあと、母親が子どもに「戦争なんだからしかたがないのよ」と言う場面があり、その「しかたがない」に強い反発を覚えたことがあります。でも、ハワイに移民したあと苦労を重ねてきたおじいちゃんの「しかたがない」には、人生の重さを感じました。前に読書会で読んだ『ミスターオレンジ』(トゥルース・マティ作 野坂悦子訳 朔北社)の主人公にも、出征した兄さんがいて、『マレスケの虹』の時代や状況と共通するものがあります。今の日本の子どもたちに必要な点を与える、良い作品だと思いました。

アンヌ:小峰書店のサイトでは、読者対象が小学校高学年・中学生向けとなっていますね。

鏡文字:再読です。私はこの本のオビが好きです。色もいいな、と。表紙はオビがあるとないとで、だいぶ感じが違いますね。オビの1941年12月、ハワイという言葉で、描かれる世界がすっと入ります。カバーをとった中もいい感じです。物語としては、まず、題材がとてもいいなと思いました。共感できることがたくさんあります。森川さんの作品の中では一番好きです。が、再読でちょっと気になるところが出てしまって。さっき西山さんが言ったp136。グリーン先生の問いかけに、マレスケ本人がすべて答えを持ってしまっている。「それは、戦争になったからだ」以下の記述です。ずいぶん達観しているな、と。たしかにいろいろ考える子ではあるけれど、他の記述からとりたてて早熟さは感じないタイプです。おそらく作品を描くためにいろいろ調べたことのだろうと思うけれど、「調べました感」が顔を出しているという印象もありました。それと風景描写や身体的な表現も少ないから、潤いがない。冒頭からそのことでつまずきました。p9の「14歳にしてはじめての失恋だ」以降の3つの文はいらないと思います。

さららん:「マレスケは」と三人称で書いてあったら、どんな印象になるでしょう?

鏡文字:そう、三人称にした方がよかったのかも。一人称で描かれている割には、距離があるというか、客観的すぎるんですよね。だからドラマチックなことがあるのに、平板な印象になってしまう。あ、でも、再読で新たに思ったのは、グリーン先生がいいなということで、「本を貸してあげるから」というところは、ちょっとグッときます。最後のお兄さんの手紙、p229「だけどね、ぼくらが殺そうとしている相手は親も子もいるんだ」というのは、日本兵には書けなかったことかもしれない、と思いました。アメリカの兵隊はこういうことを書けたのだとしたら、やっぱり日本の軍隊は・・・と思ってしまいます。ただ、「お母さん ぼくはあなたをあいしています」というのがラストに来て、それが実感なのかもしれないけれど、私は「母か・・・」と少し引いてしまいました。

サンザシ:翻訳だと『そのときぼくはパールハーバーにいた』(グレアム・ソールズベリー著 さくまゆみこ訳 徳間書店)というのもありましたね。その本でも、日系ハワイ人のおじいちゃんやお父さんが収容所に入れられていました。

西山:植民地下の朝鮮人が、日本軍の兵士として戦地に立った皮肉な悲劇も重なりますね。長崎源之助『あほうの星』を思いだします。

サンザシ:アメリカの海兵隊に入る人たちも、貧しくて自分のお金では大学に行けないような人たちが多いと聞いています。そういう人たちが、自分たちはB級市民じゃなくて一人前だと認められたいがために、志願するようですね。

西山:最初に上陸して戦闘に入っていく人たちなので、洗脳というか感情をもたない人間に改造されるんですよね。

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エーデルワイス(メール参加):とても印象に残る作品でした。日本とアメリカの間に戦争が始まり、その最中のハワイでの日系人の生活が書かれています。主人公マレスケの心の軌跡もていねいに書かれていて、伝わってきます。母親への思慕と嫌悪感が切ないですね。兄の広樹のような気持ちで戦争に参加する日系人が多いと思うと、それも切ない。「ノーレイン、ノーレインボウ」という言葉が印象的です。希望がある終わり方ですがすがしいです。

(2019年03月の「子どもの本で言いたい放題」)

『泥』

Photo_3  『泥』
 の読書会記録


 ルイス・サッカー/作
 千葉茂樹/訳
 小学館 2018.07
 原題:FUZZY MUD by Louis Sachar, 2015

 

さららん:『穴』(幸田敦子訳 講談社)以来、久しぶりのルイス・サッカーの作品です。動きの描写がきっちりした翻訳のおかげで、安心して読み進めることができました。同じ学校に通うマーシャル、タマヤ、チャドの3人の人間関係を核に、森の中である事件が起こります。チャドのいじめを避けようと、マーシャルがタマヤと入った森で、パンデミックが始まるのです。フランケン菌とあだ名のつい「エルジー」の不気味な増殖と、帰ってこないチャドを救いに森に戻るタマヤ、タマヤを追って森に戻るマーシャル。単純なからみあいだけれど、説得力がありました。物語には、事件の前から始まる大人たちの聴聞会での証言が織り混ざり、現実の描写と、最初は意味不明の過去の証言が交差して、初めのうちは?だらけですが、途中から、聴聞会の時間が現実の事件を後追いする形になって、真相が明らかになっていきます。巧みな構成です。説明抜き、視点が刻々と変わるところなど、サスペンスのようですが、ホッとするところ、クスっと笑ってしまうところもあって楽しめました。結末はオープンエンディングで、やや不気味。でもこのぐらいの軽さ、辛さがちょうどよく、文明への警告として今の十代にすすめたい作品です。私自身、どっぷり物語に浸って楽しみました。

まめじか:環境問題とサスペンスをくみあわせたのがおもしろいですね。社会派エンターテイメントというか。日本の作品にはなかなかないです。徐々に数が増える掛け算の数式は、正体不明のものと向きあう恐怖をかもしだしています。この本では、若い力が立ちあがり、それが世界を変えていくんですね。今、アメリカでは銃規制、欧州では環境問題をめぐる若者のデモがひろがっています。先日は、JBBYの子どもの本フェスティバルで、作家の古内一絵さんが、福島について考えるだけでなく、行動を起こさないといけないと語っていました。読んでいて、そんなことを考えました。いろいろと思いをめぐらすことのできる本でした。

ネズミ:構成や書き方がうまい。アメリカの売れるYAというのは、こういうところ、抜かりないですね。人物造形がそれほど深いわけではないけれど、物語とからみあって人物像が見えてくるからか、とってつけた感じはせず素直に納得できました。泥にはまっていくシーンと、そこから抜け出すところの臨場感は、作者も訳者も見事です。文学好きの読者にとってもおもしろいし、あまり物語を読み慣れていない読者も、どうなるのだろうとひきこまれるのでは。いじめっ子がいじめていた理由や、いじめを放っておいてしまう周囲など、日本の子どもも共感できそうです。はじめての海外文学の一冊にいい、間口の広い作品だと思いました。

カピバラ:やはり構成が緻密でうまいと思いました。たとえば計算式とか、途中途中にはよく意味がわからないところがあるけれど、あとになってだんだんわかってくるというおもしろさがありました。どうなっていくのか、先へ先へと読ませるんですけど、聴聞会の部分など難しいので、私はむしろ読書力が必要ではないかと思います。

ネズミ:聴問会の部分は、私は最初の1つ2つを読んだ後は、飛ばしてしまって、あとで最初から読み返しました。

さららん:子どもたちの描写の部分だけ読むんだと、飛ばしすぎでは?

まめじか:読んだ中学生が、すごくおもしろいと言ってましたよ。それまでファンタジーなどは読んでなかった子ですけど。

カピバラ:計算式は何かを表してるんだな、と思いながら読んでいき、先へ先へと得体の知れない恐怖が増してきます。ひりひりする感じがあり、私はあまり好きになれない作品でした。いじめっ子が、実はだれにも愛されていない子だった、という設定はちょっとありきたりかな。

ネズミ:そこが初心者向けかなと。

カピバラ:でも初心者だと、やっぱり聴聞会の部分を理解するのは難しいんじゃないかな。

マリンゴ:架空の世界なのにリアルに描かれているのが、さすがだと思いました。少しずつ悪くなっていく症状が、手に取るようにわかりました。私は、実は聴聞会の部分がとてもおもしろかったんです。対応の遅さや隠蔽しようとする行動がうまく表現されていて。これらを読んで、東日本大震災や第二次世界大戦中のさまざまなことを連想してしまいました。でも、児童書だから、ここから一気にハッピーエンドに持っていきます。その筆力がすごいです。そして最後に、こんなひどい事故が起きたというのに、製造をやめない、今度こそは大丈夫と言い張る・・・これも何かを想起させる象徴的なシーンですよね。大人にとっても読み応えのある作品でした。

サンザシ:私もとてもおもしろかったです。本を読み慣れた子だったら、聴聞会の部分もおもしろいと思います。読み慣れているかどうかというより、社会問題に対する視点があるかどうか、かもしれないけど。今の問題と重ね合わせて読めますからね。バイオテクノロジーの怖さもよく出ています。安易に技術開発して使うことのおそろしさや落とし穴がちゃんと書かれている。人物は、厚みがあるというよりは、状況のなかで動くものとして描かれています。展開のおもしろさにぐぐっと引っ張られました。すべて解決したと思ったところで、p218にまた2×1=2がまた出てきます。これ、また同じことがくり返されるという暗示ですよね。怖いです。今はバンパイアとか妖怪を持ち出して変に怖がらせるだけの作品も多いので、そういうのよりよっぽどいい。聴聞会とタマヤたちの話が無関係だと思っていると、だんだんつながってくるのにワクワクしました。テキストみたいな文章ではなく、このくらいおもしろい物語で環境問題を考えると、社会に意識をむける中高生も増えるのではないかと思います。

アンヌ:子供の時からSF好きなもので楽しく読みました。取り返しがつかない発明の恐さは、アレクサンドル・ベリャーエフの『永久パン』(西周成訳 アルトアーツ刊)を思いださせます。皮膚炎の描き方はかなり怖いなと思います。チャドのいじめの原因を家族から疎外されているからだと説明していますが、チャドのふるう暴力場面もかなり怖いです。p157、p160あたりですね。助けに来てランチを食べさせてくれるタマヤがここまで我慢する描写に、作者はタマヤが女の子だからそうさせたのかなと、ちょっと怒りを覚えました。男の子だったらここまで世話を焼くようには書けなかったでしょう。

サンザシ:切羽詰まったいじめっ子だったら、これくらいするんじゃないですか? これが現実なんじゃないかな。タマヤをがまんさせると言うより、むしろタマヤを冷静な存在として描いているのではない?

アンヌ:32章のp197「カメ」で、あ、助かるんだと未来を見せハッピーエンドを予感させるところはうまい。ユーモアのある作風とはこういうところかと思いました。気になったのはp232「風船を膨らませる方法」の活字です。らの字がとても読みにくいので、なぜこの書体を選んだのかと。

サンザシ:手書きっぽくしたいんでしょうね。そういえばp233に誤植が。

ハル:あとがきに「パニック小説」という言葉もありましたが、まさにそういう、パニック映画を見るような感覚で、読んでいるときは純粋に楽しみました。2×1=2、2×2=4の数字の意味に気づいたとき、見出し回りの泥がどんどん増えていくことに気づいたときの、うわぁぁぁと背筋にくるような気持ち悪さ。ラストもお約束的で(これは、雪が解けたら、そこには突然変異でさらに進化したバイオリーンがいるんですよね?)、もう、きたー!という感じ。だけど、読み終わってから、ただ「おもしろかった」だけでは済まないものがついてくる。そこがいいですね。やはり、ていねいにつくられた本は、読者にも伝わるんだなと思いました。

西山:7章の最後から登場する数式が、エルゴニムが36分毎に倍に増える様を表しているのだけれど、「2×〇〇」という数式になっています。「〇〇×2」とした方が倍々に増える恐怖が出ると思ったのですが・・・。

サンザシ:アメリカの計算式の書き方なのかしら? でも2つに分裂したものが〇〇個あると考えれば、同じかも。

西山:まさかパンデミックものだとは思わずに読み始めたので、皮膚のただれる様子とか想定外の怖さでした。再読する時間がなかったので、ていねいに読みかえしたら、あらためて気づく絶妙な伏線とかあるのだろうなと思っています。

鏡文字:雪解け後のことを考えた時、園子温監督の『希望の国』のラストシーンを思いだしました。逃れて海辺に出てマスクをとり、晴れやかな気持ちになる。と、手元の線量計がピーピーと鳴ります。あの怖さにちょっと類似したものを感じました。この本は、物語そのものはおもしろく読みました。ただ、p131の聴聞会の記述で、瀕死の状態とあって、そこで死ななかったとわかる。前半の緊張がここで一気に緩んでしまいました。それから、バイオリ-ンの設定。これがファンタジーになってしまったかな、と。ファンタジーが悪いわけではないのだけれど、ちょっと説得性が不足してしまうというか。ところで、ラストの風船をふくらませる方法は、みなさんはどう感じましたか。

サンザシ:助かると思うと緊張が途切れる、というのは、大人の読み方かも。それに、いったんはほっとさせますが、それで終わりではないし。

アンヌ:天才のフィッツマンの頭の中にあるものと実際に生まれてくるものの違いでしょうか? 言葉で表していても、実際はその発明を実現する技術は追いついていない。突然変異に対処できるのか不安が残ります。

さららん:恐ろしい話として読んでいても、これは創り話だから、と、どこかで安心していられます。やっぱりファンタジーっぽいのかも。

鏡文字:人間関係はリアルな緊張感があるのに、バイオリーンがファンタジーなので、怖いんだけど、そんなに怖くない。という感じがしました。

サンザシ:私は逆に、バイオリーンが今の社会のもろもろを象徴的に表しているような気がして、逆に怖かったです。

さららん:装丁もいいですね!

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エーデルワイス(メール参加):私はこの作家とどうも相性が悪いようです。『穴』も読後感が悪かったのを思い出しました。この作品も、内容はおもしろいし主人公が魅力的なのですが、構成が懲りすぎているように思いました。

(2019年3月の「子どもの本で言いたい放題」)

『満月の娘たち』

Photo_2  『満月の娘たち』 の読書会記録

 

 安東みきえ/著 

 ヒグチユウコ/装画
 講談社
 2017.12

 

彬夜:安東さんの作品は、ほとんど読んでいて、これも再読です。3組の母娘が出てきますが、基本的に繭の物語かなという気がしました。安東さんは比喩表現なども巧みで、とても文章が上手。たとえば、「プリンが崩れたみたいに、てれっと笑った」(p10)とか、「(サバが)アメリカンショートヘアーみたいな模様」(p142)とか。私は動物に詳しくないので知らなかったけれど、ネットでアメリカンショートヘアーを検索して、とても納得しました。随所にまだまだおもしろい表現があります。繭の物語と感じてしまったのは、一番深刻そうだからで、語り手=主人公である志保は、ある意味、母とけんかできる時点で健全だなと感じてしまったからでしょうか。志保はすごく冷静な子だと感じました。達観しているというか、冷めた目で世の中を見ているな、と。それから、ちょっと書きすぎ感があるかな、という気もしないではありませんでした。野間児童文芸賞の受賞作だし、おもしろく読みましたけれど、私はやはり、安東さんの短編作品の方が好きです。

アンヌ:うちの家族が珍しく表紙を見て「わあ、ヒグチユウコだ。おもしろい?」と訊いてきて、若者に人気のあるイラストレーターなんだと改めて思いました。私は、残念ながら前半のおもしろそうなやりとりに乗りそびれてしまったようです。そこに繭さんが出てきて、釈然としない人物だなと思っているところに、幽霊らしきものが出てくる。それなのに、助けたのかあの世に引きずり込もうとしたのかわからない、という展開では、幽霊も出てきた甲斐がなく、この親子の問題は曖昧なままで役割を終えた感じです。前半部については、p112の祥吉への恋心を書いておいて、ふと外すところとか、p153の月の話とか、いい場面や言葉がたくさん山あって附箋だらけなんですが、全体については、楽しめませんでした。

カピバラ:中学1年生の志保と美月と祥吉は保育園からの幼なじみで母親同士もよく知っている。3人の会話がテンポよく描かれており、時にアハハと笑いながら読めてドラマでも見ているようでした。幽霊屋敷を探検するというのも中学生にはおもしろいストーリーだし、ちょっとホラーっぽい、謎めいた独特の雰囲気があって、読ませる作家だと思います。でも繭さんの描き方は不自然なところもあり、実在する人のリアルな感じがしませんでした。作者が伝えたかったことは結局何なのか。母親のたった一言の呪縛から逃れられずに苦しむ娘の葛藤? 娘を愛しすぎるために娘を束縛する母の葛藤? 問題提起はいくつかありますが、解決するところまでは行っていないので物足りなさを感じました。タイトルや表紙デザインは魅力的でよかったけれど、男子をシャットアウトしているのが残念。

アカシア:私も安東さんの短編は好きですが、うますぎて子どもにはわかりにくい作品もあると思っていました。この作品のほうが子どもにもわかりやすいんじゃないでしょうか。幽霊話で引っ張っていくので一気に読めるし、ユーモアもあるし。私は、繭さんのことよりいろんな親子関係があるっていうことを書きたいのかと思いました。中心にいる3人は、それぞれ何かしら問題を抱えています。志保と美月は、母親としっくり行っていない。祥吉のお母さんはちゃんとしていて、祥吉は反発も感じていないし家の中に居場所がないとも感じていませんが、お父さんがそばにいません。私は、この本から、「家族はいろいろだ」し、「母親を全面的に正しいと思わなくてもいい」というメッセージを受け取りました。最近は、親子が無条件に絆で結ばれているわけではないと子どもの本でも言っていますが、ひと昔前までは、親子は愛の絆で結ばれているのが当たり前という書き方でした。そうでないのは、たとえばルナールの『にんじん』のように、とても稀な例外だった。だから私は、子どもの頃にこの本を読みたかったと思いました。こういう本がもしあったら、私は救われていたと思うんです。今だって、救われる子はいっぱいいると思います。最後の場面ですが、繭のお母さんが娘を守ろうとしたのか、それとも自分がいる死の方へ引っ張ろうとしたのかわからない、という意見がありましたが、私はわからないからこそいいんだと思います。どっちかに結論づけていたら、月並みになるか、オカルト物語かどっちかになる。わからないからこそ、割り切れない母子関係が立ち現れるんじゃないかな。私にとっては、好感度がとても高い作品でした。

マリンゴ: 素敵な作品でした。娘と母親を描く小説って、2人が向き合うタイプのものが大半だと思うのですが、この小説のなかには「月」という、象徴的なものが1つ加わるので、母娘関係を客観的に描くことができているのだと思います。とても余韻が残ったし、自分自身、母とのことを少し思い出したりもしました。先ほどの話にも出ましたが、私は「解決しない」のがいいと思いました。読者にはそれぞれ違う母娘関係があるから、何かピシッと結論を出されると、「自分とは違う・・・・・・」と感じてしまう人も多いのではないでしょうか。唯一、物語で気になったのは“匂わせ”部分。たとえばp19「でも、笑っているこの時には気づかなかったのだ。残り一パーセントの可能性ともうひとつ、怖いのは幽霊だけではないことに」を読んで、異世界に飛んで行ってしまうなど、よほど恐ろしいことが起きるのだと思ってしまいました。だから、警察署に連れていかれるという実際の展開も、本当ならじゅうぶんショッキングなのですが、自分の想像が激しすぎたので、なーんだそういうことか、と少しがっかりしてしまったのです。こういうふうに先を匂わせなくても、じゅうぶん怪しげな雰囲気は漂っているので、ないほうがかえって読者には親切かなと思いました。

ケロリン:母と娘とは、永遠のテーマなんでしょうね。反抗期からまだ抜け出ていない娘を持つ身としては、胸がイタタタとなりながら読みました。特に、繭さんをなぐさめるつもりで言った、「もしも私なら、最後に大嫌いって言われたってどうってことないわ。子どものついた悪態なんてなんでもない。覚えてもいないわ!」というセリフですが、母親ならなんてこともなく受け止めてるよ、という意味にも取れるのに、美月と志保には、子どもの言ったことを覚えてもいないなんて、勝手だと言われてしまう。母と娘ってこんなことの繰り返しなんでしょうね、とさらにアイタタタとなりました。しかし、今はフルタイムで働く母親も多く、本当に覚えてなかったりするのかも、と思うと、母と娘の関係も、少し前とずいぶん違ってきているのかもしれません。

ツチノコ:かなり好きなお話でした。文章のディティールや、表現で、いいなと思うところがたくさんありました。ヒグチユウコさんの表紙イラストや装丁の色遣いも素敵ですよね。幽霊の描写が中途半端だったり、作中に登場するいくつもの親子関係がどれも似通っているような気がしたり、なんだかしっくりこない部分もありましたが、最後の急展開で吹き飛びました。ラストシーンでは「サスペリア」という古い怪奇映画を思い出しました。館の崩壊と共に母娘関係の呪縛も解けたかのような不思議な爽快感、カタルシスがあります。繭さんがミニチュア作家というのも箱庭療法のようで象徴的ですよね。オビにある、「まるで神話のようだ。新しい時代の母娘の。」という梨木香歩さんのコメントが印象的でした。

西山:子どもたちのぽんぽんとしたやりとりがおもしろくて、ところどころ吹き出しました。例えば、p25の「孤独死」の勘違いなんておかしいし、はっとさせられる新鮮さもあります。p62後から4行目の「美月ちゃんのおばちゃんとうちのママは仲がいいけれど、意見の割れることも多いみたいだ」というくだりなんかも、母親たちの描写として新鮮に思いました。そうやっておもしろく読んでいたのですが、どうも繭さんが出てきたあたりから、つまらなくなってしまった。「お茶飲む? っていうみたいに、『ネコ、だく?』」(p73)と言う繭さん、これはまたおもしろい人が登場したぞと思ったのですが、彼女が危うくなってくるにつれて冷めてしまった。森絵都の『つきのふね』(講談社、角川文庫)と構図が似ているな、と思って。中学生の女の子ふたりと男の子ひとりが、心が壊れはじめた大人をなんとかしようとじたばたする、月が象徴的なモチーフ、クライマックスは火事だし・・・・・・と、そういう構図の類似性を興味深く思って読んでいる段階で、もう作品自体からはちょっと引いた読書になっていたんだと思います。美月ちゃんと志保が再会してせっかく仲良くしていたけれどぎくしゃくするといった、月並みな展開でなかったことなど全体的に好感は持っているのですが、私は、子どもたちが中心のドラマが読みたかったのかなと思います。

まめじか:母娘の複雑な関係性を繊細に描いた作品ですね。さきほど、表紙が女の子向けだという話がありましたが、私は、この本は女の子が読めばいいんじゃないかと。p245の、美月の母親の台詞は、パトリック・ネスの『怪物はささやく』(シヴォーン・ダウド原案 池田真紀子訳 あすなろ書房)を思いだしました。状況はまったく違いますが、『怪物はささやく』では、母親が死を迎えつつある現実を受けとめられず、怒りをぶつける子どもに、あなたの気持ちはぜんぶわかっていると、母親が言うシーンがありました。「子どもが自分のことをどう思ってるかなんて、気にしてらんないの。そんなひまはないのよ。きっとあんたのおかあさんも娘の言葉に傷ついたりしてないと思うわ。だからだいじょうぶ。なんにも悲しむことなんてない」(p245)という美月の母親の台詞は、どんなにわかりあえなくても結局母親の愛は絶対だという前提ですよね……?

彬夜:親の側から見ると、そう感じるということなんじゃないですか?

まめじか:子どもの気持ちがあって、それとは別に親の想いがあるのはわかるんですけど。母親は子どもを愛するものだという前提にこの本が立っているとして、でも、そうじゃない家庭も現実にはありますよね。子どもを愛せない親もいるし。それを書かなきゃいけないということではなくて、思ったのは、その前提は日本的だなと。血縁重視というか。いいとか悪いとかじゃなく。

西山:現役の中学生がどう読むのかとても興味深いですね。私たち大人が気にも留めないところに反応するのかもしれない。親世代子世代混ざって読書会をしたらおもしろそう。

ネズミ: 100ページまでしか読めてません。でも、まだ物語が本格的に始まっていないんですよね。会話のテンポはいいんですけど、『いいたいことがあります!』(魚住直子著 偕成社)と比べると、主人公に特徴があまりなく、読者をひっぱっていく機動力にやや欠ける感じもしました。あまり強引じゃないというのか。でも、日本の作家だからできる技だと思ったのは、美月を関西弁にして、主人公の会話と区別させているところ。こういうのは、翻訳だとできません。

アカシア:しかも中途半端な関西弁と断っているので、ちょっと変でも大丈夫なんですね。

ハル:はじめて読んだときは、「いいなぁ」と思いながらも、読後はどこかほんのり、古いというと語弊があるかもしれませんが、懐かしい感じもあって、少し前に出ていた本かな?と思った記憶があります。今回改めて読み直してみたら、会話もとてもおもしろく、生き生きとしていて、「古い感じ」という印象は抱かなかったのですが、強いていえば、繭さんというキャラクターが、ちょっと昔懐かしい感じがするのかなと思います。母親は母親で、これが親のつとめだと思っているし、娘は娘で、こんなに繊細なのかと思うほど、母親の何気ない一言に傷ついて、親子の関係って、どこの家も似たりよったりで、ずっと模索し続けていくものなのかなと思いました。

彬夜:ラスト近くの、繭の母親が引きずりこもうとしてるんじゃないかというシーン、怖いですね。結果的には、救うことになる。そこがおもしろいです。意図はわからなくていいと思います。ちなみに、安東さんはあるインタビューで「親は完全じゃない。不手際も、失敗も、言っちゃいけないことも言います。子供がそれを全くわからないまま『毒親』だと子供に言ってほしくない」と語っています。親から見る、という視点はかなりあったかと思います。

ルパン(みんなの話が終わってから参加):正直、あまり感動できませんでした。私には、志保とママとの確執があまりピンと来なかったんです。よその家の子に生まれたかったと思うほどの深刻な問題が見えてきませんでした。また、キーパーソンとなるべき繭さんの魅力があまり見えてきませんでした。繭さんが母親の呪縛にどう立ち向かってどう戦ってどう勝ったか、というプロセスがきちんと描かれていないと思ったんです。結局、母親や熊井さんがいないと生きていかれないことを露呈しただけのような。さらに、その繭さんを救うひとことになるはずだったと思われる美月ちゃんのお母さんのp245の言葉も、結果的に美月や志保を傷つけて終わったという、なにかとんちんかんなエピソードに思えてしまいました。さいごに志保はママに抱きしめてもらってよかった、というあっけない結末も、志保がそこまでママを嫌っていたことと結びつかず、拍子抜けしてしまいました。それに、繭さんや美月ちゃんはこれからどうなっていくのか、という疑問が残り、不完全燃焼的な読後感でした。

アカシア:志保のお母さんは管理的なので、感受性のするどい子どもにとっては嫌だと思います。客観的に見るとそうでなくても、子どもにとっては翼をもがれたみたいな気がするんじゃないかな。私にはその確執はリアルでしたが、そのあたりの感じ方は読者によって違うかもしれませんね。

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エーデルワイス(メール参加):会話がスマートで、どんどん読み進められました。印象に残った新鮮な文章がたくさんあり、すぐれた作家だと思います。表紙もいいですね。

(2019年02月の「子どもの本で言いたい放題」)

『いいたいことがあります!』

Photo_1 『いいたいことがあります!』
 の読書会記録


 魚住直子/著 西村ツチカ/絵
 偕成社
 2018.10

 

 

ツチノコ:読みやすくてメッセージも分かりやすく、おもしろかったです。自分が子どもの頃にこの本を読んでいたら、すごく感銘を受けたと思う! 子どもの頃は自分の親を一人の人間として客観的に見ることが難しいから、母親の悩みや過去に思いをはせることで何か気づきがあるかもしれない。家事分担や将来、友人関係についても絶妙なリアルさで描かれていて、読者が身近な問題を考え直すヒントになりそうだと感じました。

ケロリン:この作者は、女の子が主人公のお話が上手ですね。ハシモとのやり取りとか。スージーが出てきたとき、すぐに正体はわかったけれど、とても上手につないでいると思います。いつの世も、母親は自分の失敗を繰り返してほしくなかったりもして、いろいろアドバイスをするけど、うっとうしがられる。そんな気はちゃんちゃらないつもりでも、どこかで自分の付属物のように思ってしまっているのかもしれません。

マリンゴ:すっと頭に入ってくる物語で、とても読みやすかったです。魚住さんはほんと、女性と女性が関わりあう物語が特におもしろいなぁと思います。『Two Trains―とぅーとれいんず』(学研プラス)もそうですね。仲良くなったお姉さんが、実は昔のお母さんで、自分と今のお母さんをつないでくれる存在になる、という構造がとても効いているなぁと思いました。

アカシア:母親と娘の日常がリアル。リアリスティック・フィクションですが、ファンタジーの要素も入っている作品。そういうのは、うまくまとめるのが難しいと思いますが、これはとてもよくまとまっています。それに、子どもの側からだけじゃなくて、母親の視点もちゃんと描かれている。とてもおもしろく読みました。陽菜子は最後に自分の道を見つけたわけですが、それが具体的には塾にちゃんと通うだけというのはちょっと寂しいけど、主人公が成長したことは伝わってきますね。家事の分担に焦点をあてた書評もいくつか見ましたが、もっといろんなことを扱っている作品じゃないでしょうか。

カピバラ:子どもを思い通りにしたい母と、反発しながらも直接ぶつかれず、塾をさぼってしまう娘。6年生は母親に対していろいろ疑問を持つ年頃で、モヤモヤした気持ちを自分でももてあましている感じがよく描かれ、共感するところが多いと思います。スージーがお母さんの分身とはすぐにわかるけど、今のお母さんとはあまり結びつかないですね。スージーがお母さんだというのが、妹である恵おばちゃんの話でわかるわけですが、陽菜子自身がちょっとずつ「もしかしたら?」と気づいていくほうがおもしろかったんじゃないかな。気づく伏線がもっとあったらよかったのに。お兄ちゃんには家事をさせない、専業主婦を選んだ母親の、夫へのなんとなくの負い目など、男女差について読者に問いかけている部分がありますが、それがこの作品の主眼ではないですよね。6年生女子の微妙な友だち関係はうまく描けていると思いました。p 22 に、スージーが紺色のポロシャツを着ているとありますが、挿絵はどう見ても紺色には見えません。文と絵を合わせてほしかったです。

アンヌ:「あのさ、ごはんってだれでもたべるよね」(p179)で始まる言葉が、この物語を通しての陽菜子の成長のあかしだと私は感じました。家事は母親の仕事だと兄が言うのに対して、家事は生きていくための能力であり平等に誰もが身につけなくてはいけないものだと気づいて口にすることができたのは、よかった。陽菜子が日々感じてきた不満や不平等感が、母だけの責任ではないこと、男女間の不平等の問題に気づいたのだと思います。でも、兄にはその言葉が届かずただ怒っているように書かれているので、これでは母と娘だけの物語で終わってしまっていますよね。兄がこうでお父さんも同じだったら離婚かな?なんて心配しながら読み終りました。

彬夜:中表紙の紙が好き。これも再読でした。母子対立はあっても、重くなく、さらっとおもしろく読みました。ゆるやかにリアルという感じでしょうか。責められる子が出てこない。母子の対立を含みながらも、疲れている時でも読める本かもしれないですね。嫌な子は出てこないし。ご指摘のとおり、スージーはすぐにお母さんだとわかるけれど、それでいいと思いました。徐々にわかるほうがいいというカピバラさんのご意見には、なるほどと思いましたけど。おもしろい言い回しだなと思ったのが、「難しい大学」という言葉と、単身赴任の父を指して、「家族のレギュラーじゃない」という言葉です。

ハル:子どもの立場としては、一度くらいは親の子どもの頃を見てみたいと思うことはあると思います。「お母さん(お父さん)だって子どもの頃があったくせに、どうして子どもの気持ちがわからないんだ!」って。このお話は、ファンタジーとしてその願いを叶えてくれています。本を読むことの醍醐味だなと思います。手帳に書かれていた言葉は、自分にも確かにこういう時代があったなと思い出させてくれる、リアルさと力強さがありました。同世代の読者ならなおさら、「そうだ! そうだ!」と勇気づけられるだろうと思います。

ネズミ:おもしろく読みました。私もこんなふうに思われていたことがあったんだろうなって思いました。娘はずいぶん煙たがっていただろうなって。この本は、絶対的な権力者だった親が、ひとりの「人」になるときの感じを、とてもうまく表現していると思いました。スージーがお母さんだというのは、最初から読者にわかるように書いているのだろうと私も思ったんですけど、p141の、物置の屋根にあがって二階の窓から入った、というところで結びつくのがうまいなと思いました。登場人物の中で、陽菜子だけが、ここで「あっ」と思うでしょう。お兄ちゃんだけ甘やかしてという母親の行動は、私もちょっと古い感じがしましたが、友だちの描かれ方は好きでした。友だちに誘われて遊びにいくけど、実はその子たちには別の意図があったというところや、ハシモが絵をほめてくれるところ、心の機微が現れています。よかったです。

まめじか:この年頃は、親だって間違えるのだと気づきはじめ、少しずつ自立に向かう時期です。親に一方的な正しさを押しつけられれば、反発もします。親子といっても、別の人間なのだから、自然にわかりあえるわけではない。主人公の心の動きがていねいに描かれていて、感じのいい作品だと思いました。手帳にスージーが書いた言葉も、ストレートに胸に届きました。中学2年生で、ここまで自分の意見を整理して、言語化できるのかな、とは思いましたが。この子はしっかりしているので、できたのでしょうね。

西山:さらっと読めてしまったのだけど、変な言い方ですが、たぶんすごく上手。深い謎で引っ張っていくというわけでもないし、妙にとんがったところがなくて、でもそれを物足りないとは思いませんでした。多分すごく上手というのは、あのスージーの手帳の文章が、手書き風にフォントを変えて何度も出てきますよね。それが、そのたびに、ちゃんと読まされたように感じてはっとしたんです。コピぺに思えたら、中身は知っているわけですから飛ばし読みもできたはずなんですけど、その都度改めて読めて、腑に落ちていった気がします。これは絶妙な繰り返しなのじゃないか。作為を感じさせないけれど、そうとう練り上げられているのかもと思った次第です。お兄ちゃんにだけは、いらつきましたね。ドラマにはよく出てくるけれど、今更なパターンに思えてしまいました。

アカシア:母親がそういうふうにしむけているわけですよね。確かに古いですが、まだまだ実際はこういう家庭も多いんじゃないかな。じゃなかったら、日本はもっとよくなってるはずだもの。

西山:お父さんの描き方も絶妙ですね。p97で陽菜子がわかってくれるかどうか迷うけど、電話してみると案の定だったとか。それと、p132の挿絵があるところと、p153で、スージー/母親は両方とも丸い椅子に座っているんですよ。さらっと読めちゃうけど、細かい所までちゃんと考えられてるんですね。

ケロリン:ぜんぜん関係ないんですけど、スージーが最初に出てきたとき、とてもやせている絵だったので、やせていたので「スージー」っているあだ名になったというオチでは!?と思って読んでいました。(笑)

アカシア:この本には悪い子が出て来ないってところですけど、悪い子を書くと、悪いってだけで終わらなくなります。今は、なんで悪いのかを書かなきゃいけなくなるからね。『ワンダー』(R.J.パラシオ著 中井はるの訳 ほるぷ出版)だって、1巻目ではいじめっ子でしかなかったジュリアンから見た物語を2巻目の『それぞれのワンダー』で描かなきゃいけなくなる。悪い子を登場っせないのは、もちろん作家の「こうあってほしい」という願望もあるでしょうけどね。

西山:ひと昔、ふた昔前は、もっと陰湿でどろどろに展開するいじめ物語も多かったけれど、この本では「地元の中学に行く子をふやそうキャンペーン」(p114)だなんて、言葉選びもうまい。陽菜子に塾をサボらせた子たちも、それを伝えてくれたここちゃんも、不信感をこじらせて引っ張らない展開も、どれも私は好感を持って読みました。

ルパン(終わってから参加):今日話し合う3冊の中では一番おもしろかった作品です。主人公の陽菜子と昔のお母さんが出会う、という設定もいいと思います。ただ、息子には何もさせなくて、娘には家事をたくさんやらせる母親って、ちょっと古いかな、とは思いました。あと、陽菜子は行きたくなかった塾にまた行くようになりますが、ここちゃんの告白がなかったらどうなっていたかな、とも思いました。どちらかというと、小学生より保護者に読んでもらいたい作品かな。無意識に自分の思いを子どもに押し付けている親は今でもたくさんいると思うので。自戒もこめて。

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エーデルワイス(メール参加):これも、従来からある手法を使っていますが、読ませますね。p240の「子守歌をいつやめたらいいのか、つなぐ手をいつ離したらいいのかそれがわからない」など印象的な言葉も多いし。あれもこれもできないといけない女の子って大変ですね。流されない自分をもつことの大切さを感じました。

(2019年02月の「子どもの本で言いたい放題」)

 

『クレイジー・サマー』

Photo 『クレイジー・サマー』
 の読書会記録


 リタ・ウィリアムズ=ガルシア/作
 代田亜香子/訳

 鈴木出版 2013.01
 原題:ONE CRAZY SUMMER by by Rita Williams-Garcia, 2010

 

アンヌ:知らないことばかりで驚きながら読んで行きました。ブラックパンサーがこんな風に人民センターを運営し、食事やサマーキャンププログラムで夏休みの子どもたちの世話をしていたんですね。いろいろと調べながら読まなくちゃと思っていたんですが、それにしても、なぜここまで注をつけないんでしょう。セシルはなぜ子供たちに来させたんだろうと読んでる間中思っていました。水一杯飲ませるのに、ここまで子供を怖がらせるとか、理解できないことが多すぎて。例えばp144でセシルが言う「わたしたちはつながりを切ろうとしているんだよ」の私たちは誰なのか?とか。勝手につながろうとするなと言いながら、デルフィーンにもっとわがままを言ってもいいと言うのはなぜなのかとか。セシルの言葉の中に、手掛かりを探していました。セシルの生い立ちを知っても、すっとわかるというわけでもなく、いまだ釈然としません。物語としてはおもしろく、とてもパワーがあってどきどきしながら読めました。ただ、時代についてもセシルについても本当にわかりにくく読みづらい本でした。

彬夜:物語そのものはおもしろく読みました。3姉妹のキャラもいいし、前半、ちょっと読むのがきついけど母親像もおもしろい。ラストもいい感じです。ただ、いまの日本の子どもが読んでわかるのかが疑問でした。主人公は11歳ですが、かなり大人びています。読者も高校生ぐらいなら、読めるんでしょうか。薄手の紙を使ったのか、見た目よりページ数も多く、けっこう長い物語です。いきなりカシアス・クレイが出てきて、まず、今の子知らないよ! と思ってたら、少し経つと、50年前の話であることがわかってくる。でも、公民権運動についての説明もないし、これ予備知識なしに、理解するのはハードル高いんじゃないでしょうか。私が読んでも、「世界の反対側」という表現には戸惑ったし、「有色人種」と「黒人」という言葉に、当時どういう意味を持たせていたのか、わかりません。注釈も少なく、読者を選ぶというか、あまり親切な作りになってないと感じました。こなれてない訳文も散見しました。日系のヒロヒト・ウッズという少年が出てくるんだけど、どういう考えがあって、ヒロヒトと名づけたんでしょうね? この少年の描写もちょっとひっかかりました。p147の「そんなに目が細くて~」というところ。そして、当時の職業観といえばそれまででしょうが、ジェンダーバイアスたっぷり(158p)で、やっぱり、今読む子への配慮がほしいな、と。あとがきの文章を読むと、ワシントン大行進より先にケネディ暗殺があったような印象を与えてしまいます。それから、訳者は「ユーモアがあって」と解説していますが、そのユーモアは感じ取れなかったです。好きなところは、p173の「公園に名前をつけてもらうより、自分が公園にいたかったんじゃないの?」という言葉です。

ルパン:これは読むのが難しかったです。読んでいるときは、この母親がどうして子どもたちにこんな態度でいられるのか、そもそもどうして家庭を捨てたのか、というところがさっぱりわからなくて。全部読み終わってから、「きっとセシルは、白人に頭を下げて生きていくような姑や夫の生き方がいやだった…んだろうな」とか「子どもには、民族の誇りを表すような名前をつけたかったのに、ちがう名前をつけられていやだった…んだろうな」とか「父親はセシルの生き方を一度見せておこうと思ってわざわざ会いに行かせた…んだろうな」とか、「セシルは政治活動にかかわっているから、子どもに累が及ばないようにと思って冷たくした…んだろうな」とか、いろんなことを一生懸命考えたんですけど、それが合っているのかどうかもわからず、フラストレーションがたまりました。そもそも、これ、小学生が読んでわかるんでしょうか。せめてあとがきに「アフア」という名前のこととか時代背景のこととかを含めてもっとわかりやすい物語解説を書いてもらえたらよかったと思うのですが。さらに、あとがきに「全編がユーモアと愛とさりげない感動に満ちて」いるとありましたが、そうかなあ…? 少なくともユーモアはあんまり感じられませんでした。訳し方の問題かな? ネイティブが原語で読めばユーモラスに思えるのでしょうか?

ハル:日本の本にはなかなか登場しない母親像だなと思いましたが、とても難しかったです。時代背景のこともですが、母親が娘を置いて家を出た理由も、わかるような、わからないような……。自分の思想、信念を守るためにこういう選択をしたのかなとは思いますが。いつもなら「こんな難しい本じゃ伝わらない」とばっさりいくところ、この本に関しては、先ほどの「日本の本にはなかなか登場しない」母娘関係という意味で、わからないながらも読んでみて、世界にはこういう母娘もいるんだろうかと想像してみるのも良いのかなと思いました。とはいえ、末の娘の名前のところは、どうしてその名前にこだわったのかが、少なくとも日本語版からはまったくわからなかったので、そこはわかりたかったです。

ネズミ:お話として、とてもおもしろかったです。とても濃い。すべてを言語化しようとしていくところは、日本の作品にはないものですね。サンフランシスコに遊びにいくところ以外、舞台はほとんど変わらず、大きな山場のないストーリーなのに、この子がどうなるのか、読まずにいられなくなってくるところがすごい。我慢強いお姉さんのデルフィーン。感受性が豊かで、思いを外に出さず、どんどんひとりでためこんで、手のつけられない妹たちと一生懸命生きていて、いったいどうなるんだろうって。印象に残ったところがいくつもありました。たとえば、p100の6行目の「妹たちとわたしが話をするときは、いつもかわりばんこだ。……デルフィーン、ヴォネッタ、ファーン、デルフィーン、ヴォネッタ、ファーン」とか、p116の8行目「だれの心にも、ラララがある」とか。でも、訳文が不親切だと感じるところもぱらぱらありました。小学校高学年から中学生くらいの読者なら、もっとドメスティケーションしてよかったんじゃないかと思います。訳語だけ出されても、わからないところなどは。

まめじか:日本の作家は書かないテーマですし、骨太の作品だと思いました。でも、わからない部分がところどころあって。p84で、ブラックパンサー党の人が「この絵がどうかしたか」ときくんですけど、Tシャツの絵のことですよね? そのあと、主人公が、答えはわかってるというのは、どういう意味でしょう。この3姉妹は、かわりばんこに、歌をうたうみたいに話すと書かれていて、だから、原文でもそうなのかもしれませんが、p80やp170は、だれの言葉かわかりませんでした。子どもの本だったら、だれのせりふかわかるようにしたほうがいいかと。あと、母親の口調が乱暴なのが気になりました。品がないだけの人のように感じられて。p73「いいから、おまえ、さっさと飲みな。一滴も残すんじゃないよ」とか。男っぽい服を着て、詩人で、ほかのお母さんとは違うにしても、この言葉づかいでいいのかな・・・。

ツチノコ:当時の文化や固有名詞があまり分からないなりに、独特の空気感を楽しみました。公民権運動が盛んな時代のオークランドでのひと夏を疑似体験した気分で読書しました。社会背景を知らないと理解しづらい部分があるので、注や説明が少ないのは不親切だと思います。黒人だから誇り高くきちんとしないといけない、万引き犯に間違えられないように堂々としないといけない、といった自制心が痛々しくも健気で、11歳の女の子にここまで考えさせる社会の空気や人種差別の根深さが伝わってきました。一生懸命に健気に生きるデルフィーンたち3姉妹の姿がまぶしいです。この本でブラックパンサー党やハリエット・タブマンについて初めて知り、少し調べてみました。人種問題に興味を持つきっかけとしても、いい本だと思います。

ケロリン:昔の話だと思わずに読みはじめ、あ、昔なんだな、と思い軌道修正しながら読む感じでした。アメリカの1960年代でさらに黒人問題となると、子どもの読者には、物語に入っていくのに、かなりハードルが高そうだと思いました。しかし、大人の読者だと、緊張感を強いられながら生活している様子など、当時の状況を知ることができておもしろいと思いました。ただ、わからないのがセシルの気持ち。ここまで子どもたちに冷たく当たる理由を、文章から読み取ることができなかったです。特にデルフィーンは、母の行動にいちいち深く傷ついていく。だから最後に、娘たちが詩を朗読したり、犯人を見つけたりして大喝采を浴びたあと、娘たちと別れるシーンで娘たちをハグするシーンが、ちょっと嫌な感じに思えてしまいました。うまくやったから娘たちをハグしたように思えて・・・。物語がよく読み取れなかったのかもしれません。でも、日本の作品だったら、これだけわからないところがあると、けちょんけちょんに言われるのに、翻訳だと「わからないけど雰囲気はいい」みたいに言われたりするんですよね。それが、下駄履かされてるみたいで、嫌です。翻訳物って、もともと自分がわからない世界だから、想像で補って成立するところはあるんだけど、このお母さんのことは、もっとちゃんと知りたかったですね。

ネズミ:でも、p145の「デルフィーン、もっとわがままをいっても死にはしないよ」って声をかけるところなど、お母さんの変化が感じられますよね。

マリンゴ:なぜだか読みづらかったです。終盤、引き込まれていって、盛り上がってよかったなとは思うのですけれど。文体の問題なのかどうなのか、お母さんのセリフにも馴染めないものがあって、中盤までスムーズに読めなくて、しんどい読書体験でした。描かれている社会背景は興味深かったです。キング牧師やマルコムXについてはそこそこ知っているつもりでしたが、ブラックパンサー党の具体的な活動や人民センターの様子など、初めて知ることもたくさんあり、勉強になりました。

アカシア:クレイジーって言葉ですが、タイトルだけじゃなくて、お母さんもクレイジーだし、クレイジー・ケルヴィンも出て来るし、原書ではそれで全体の雰囲気もかもしだしているんでしょうね。ただ日本語にするのが難しい言葉なので、訳文ではそのまま「クレイジー」だったり「どうかしている」だったり「頭のおかしな」だったり、いろんな訳し方がされています。私も、お母さんがなぜ家を捨てたのか、なぜ3人の娘に会っても冷淡なのかというのは、最後まで読んでもわからないままでした。
 この作品は、ニューベリー賞オナー、全米図書賞ファイナリスト、コレッタ・スコット・キング賞、スコット・オデール賞などすごくたくさん賞をとっているんですね。続編もあと2冊あって、そっちも賞をとっている。だから、もっとおもしろい作品のはずなんです。それが、日本語で読むとそれほどおもしろくない。その理由の一つはもちろん、アフリカ系の人たちの歴史や文化が日本ではあまり知られていないからだと思います。でも、もう一つの理由は、翻訳なのかなと思いました。原文の一部がアマゾンで読めるんで、読んでみたら、けっこうニュアンス違うなあとか、訳をもう少していねいにしてもらえれば、と思うところがありました。たとえば、p3の「自分と妹たちを力いっぱいシートに押さえつけて」は日本語として変だし、p5の「(父親が)自分もいっしょにくるわけじゃない」だと、父親も母親も娘たちに冷淡なようにとれますが、原文では「私たちを行かせたいわけじゃなかった」となっているので、父親はもっと思慮深いイメージです。全文を比較したわけではないので、この先は単なる想像ですが、もしかしたらセシルについても、原文ではちゃんと理解できるように書かれているんじゃないでしょうか。この訳者の方は、うまいなあと思う作品もいっぱいあるのですが、この作品は相性が悪かったのかな。セシルの口調も荒っぽく訳されているせいか、考えの足りない人のように思えて、最後のハグも、ケロリンさんのおっしゃるように自分で想像力を思いきり膨らませないかぎり、とってつけたように思えてしまう。残念でした。
 あと、ブラックパンサー党が政治活動だけじゃなくて、貧しい人たちのための活動をいろいろとしてたことは伝わってきますね。ただ、英語だとpeopleだけど日本語だと「人民」と固い語になってしまいますね。

ネズミ:注があまりないと思いました。入れない方針だったんでしょうか。

アンヌ:固有名詞については、前半のp6、p7、p9、p63、p91等に、かっこで注が入っているものもありますね。でも、例えば「赤い中国」(p103)などの歴史的事実について、どこかに注があればもっと読みやすかったと思います。

カピバラ:わからないところはいろいろ、たくさんありましたけど、デルフィーンがあまりにも健気なので、この子が最後に幸せになるところを見たい一心で、深く考えずに先を急いで読んでしまいました。今回の課題3冊は、主人公が同年齢ですが、日本の2冊とは外の世界に対する気持ちのはりめぐらし方、緊張感の度合いに雲泥の差があります。日本の主人公たちには、デルフィーンに比べたら、あなたたちの悩みなんて何ほどのものでもないよ、と言いたくなるほどでした。私も最後がいちばんわからなくて、ハグさえしてもらえば、それでよかったのかな、と疑問に思いました。細かいところでは、情景をわかりやすくするために固有名詞を使った比喩がふんだんに使ってあるのですが、スニーカーを「原始家族フリントストーン」のフレッドみたいに引きずってピタッと止まった。(p202)、マイクをダイアナ・ロスみたいに握ると(p254)、ハリウッドの黒いシャーリー・テンプルだといわれたみたいに舞い上がった(p262)など、日本の読者にはかえってわかりにくくなってしまっています。

彬夜:読者対象はどうなんでしょうね?

カピバラ:5、6年から中学生を対象にしていると思いますが、中学生でも難しいんじゃないでしょうか。

ケロリン:ルビの付け方を見ると、中学生向けのようです。

カピバラ:サラ・ヴォーンとかスプリームスとか言われても全くわからないでしょうからね。それに、スプリームスって、シュープリームスですよね。

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エーデルワイス(メール参加):主人公のデルフィーンがとても健気だし魅力的ですね。まだまだ黒人差別がはっきりある時代に、毅然として態度をとり続けるのは並大抵のことではないのだと思いました。最初はセシル(ンジラ)のことを何様?と思っていましたが、だんだん素敵に思えてきました。幼い娘三人を残してなぜ家を出たのか、ジュニアに理解できるのかな?

(2019年02月の「子どもの本で言いたい放題」)

2019年2月17日 (日)

『トルネード!〜たつまきとともに来た犬』

Photo_8 『トルネード!〜たつまきとともに来た犬』
の読書会記録


ベッツィ・バイアーズ/作
もりうちすみこ/訳 降矢なな/挿絵

学研教育出版 2015.05
TORNADO by Betsy C. Bears, 1996


西山:今回の3冊の中で一番おもしろかったです。気に入った話を何度も聞く、家庭内のおなじみのエピソードがある、その場面がとてもよかったです。好感をもって読みました。ほかの本だと、入れ子構造が余計な仕掛けに見えたり、効果が上がっていないと思ったりすることがありますが、これは違和感なくおもしろく読みました。(当日言いそびれ。竜巻は本当に恐ろしいことで、津波や地震、あるいは空襲まで含め、おびえる子どもを安心させたいという思いがこの構造そのもので、そのことが最後の一行「また、トルネードが来たときにな」で強く感じられて、子どもへの愛にあふれた本だと思いました。)ただ、『レイン』(アン・M・マーティン著 西本かおる訳 評論社)を思いだして、「バディ」として「トルネード」を飼っていた女の子の気持ちを思うと……。そこだけは複雑です。

ネズミ:物語の中に物語がある構造が、効果的に使われていると思いました。カメのことも、手品のことも、五時半のことも、毎日の何気ない話だけれど、どれも楽しいし、何度も聞きたがるぼくたちのおかげで、楽しさがさらに増すようです。挿絵がとてもよくて、最初と最後だけカラーだけど、全部色がついているような錯覚に陥りました。p72の「あの男はれいぎ知らずで、自分の名前も、いわなかったしな」というのだけ、ちょっとひっかかりました。p62-63の場面で「あの男」を、それほど「礼儀知らず」と感じなかったので。ともかく、物語の楽しさを味わえる作品だと思いました。

レジーナ:絵がお話にぴったり! トルネードが愛らしく、生き生きと描かれています。カメが口に入って困った顔とか、大事な穴を猫にとられて呆然としている表情とか。最後のカラーの挿絵は、ほかとは少しタッチが違いますが、これもまたすてきですね。トランプの手品の場面はよくわからなかったです。トルネードがいつも同じカードをとるのは、においがするとか、なんか理由があるのだと思いますけど。「ハートの3だったら、カードを捨てない」というのが、手品なんですか?

西山:ちっちゃい子が、わけもわからない手品をやってみせることがありますよね。ボクとトルネードが自分たちでも「それがどんな手品なのか、さっぱりわからないんだ」(p30) と、一人と一匹が困った様子で顔を見合わせているp31の絵と相まって、本当におもしろいと思いましたが。

アカシア:そこはおもしろいんだけど、p78では弟が「トルネードは、ほんとのほんとに、トランプの手品ができたの?」ときくと,ピートが「ああ、できたとも」と答えるので、だったら、もう少しわかるように書くか、訳すかしてもらえると,スッとおもしろさが伝わるのではないかと思いました。つまり、本当は手品じゃないんだけど、やりとりがおもしろいんだということが伝わるように、ってことですけど。

レジーナ:手品っぽいというのはわかりますけどね。

鏡文字:また犬か、とちょっと思ってしまいました(前々回も犬の話があったので)。トルネードにいちいち「たつまき」のルビがふってあるのが気になりました。自然現象は、「たつまき」だけではだめなのでしょうか。物語は、ちょっと中途半端な感じ。竜巻が来ているという緊張感があまり感じられなかったんです。話をするのがピートで、この人との関係がつかめなくて。まあ、読んでいけば子どもたちと信頼関係があることは伝わるんですが、これまで子どもたちとどんな風に関係を築いてきたのか。親だったら、安心させようとして、こういう話をする、というのもありかもしれませんが、雇われている人、なわけですよね。ピートのことがよくわからない(人となりだけでなく、どういう雇用関係なのかな、とか)ので、なんでここまで子どもがなついているのかな、と・・・。私は子どもたちが話を聞いている間中、お父さんはどうなったかが気がかりでした。大事なくてよかったですが。あと、p48「じゅうたんをほりまくってあなをあけた」というのがちょっとひっかかりました。

アカシア:家の中でも前足で地面を掘るようなしぐさをする犬がいて、じゅうたんには実際に穴があきますよ。そういう犬を飼ってないとわからないかもしれませんが。

鏡文字:女の子のことは、私もかわいそうだと感じました。挿絵は、猫の絵が好きでした。

ルパン:おもしろかったです。トルネードは犬小屋ごと飛んできたんですよね。竜巻はたいへんなことだと思いますが、場面を想像するとなんだか笑えてきました。絵もすばらしいです。トルネードはピートと7年過ごしたとあり、最後(p79)の絵はピートがずいぶん大きくなっているんですよね。そういうところがいいなあ、と思いました。ひとつだけ気になったのは、トルネードの前の飼い主のこと。おじいさんから孫への贈り物だったんですよね。とてもかわいがっていた女の子と、プレゼントしたおじいさんが気の毒で・・・そこのくだりはないほうがいいと思いました。

アカシア:うちにも犬がいるんですけど、トルネードは、せっかく掘ったお気に入りの穴をネコにとられる。その時の顔(p51)、たまりませんね。犬の表情を挿絵はとてもうまく捕らえて描いていますね。暗くて狭いところにみんなで避難しているときにお話を聞けて、いつもそれを楽しみにしているという設定も、とてもいいなあと思いました。ほかの方と同じで、ひっかかったのはトランプの手品のところです。客観的に手品っていわれると、よくわからない。『レイン』では、発達障がいの子が、飼い主を自分からさがそうと懸命になります。この本では、もとの飼い主の女の子がトルネードを抱きしめている場面があるのに、ピートは、トルネードが戻って来たのを知らせないどころか、隠している。前の飼い主は意地悪だから返さなくていい、という理屈ですが、そうなら、前の飼い主をもっとひどい人に描いておかないと、読者もちょっと納得できないんじゃないかな。『レイン』を読んでなければ、そこまで思わなかったかもしれませんけど。

西山:『レイン』の主人公は、発達障がいがあって、嘘がつけない、融通が効かないという子だから、黙って自分のものにしてしまうというようないい加減なことができなくて、それが哀しい。そこを、あの作品の切なさとして読んでいたのですが。

アカシア:でも『レイン』のローズは、クラスの他の子の事は考えられなかったのに、あんなふうにほかの人のことを考えられるようになるのは、やっぱり成長が描かれているんじゃないかな。

ネズミ:この本では、ピートたちが犬を奪ったわけじゃなくて、トルネードが自分で戻って来たんですよね。

アカシア:本の前のほうに、犬が行ったり来たりするのもありだ、みたいなことも書いてあるので、そうすればいいのに、と私は思ってしまいました。

カピバラ:飼い主のわからない犬に出会い、かわいがるうちに元の飼い主が現れるという話はほかにもあるけれど、トルネードという自然災害とからませ、避難中にピートから昔の思い出話を聞くという枠物語に仕立てて、読者をひきこむ工夫をしていますね。読者もピートの話を聞きたいという気持ちで読んでいきます。ストーリーの組み立て方がうまいですね。元の飼い主の女の子がかわいそうだという意見がありましたが、読者はこっちに残ってほしいと思いながら読むから、この結末には満足すると思います。元の飼い主のことはほんの少ししか書いてないので、子どもの読者は女の子のほうにはあまり感情移入しないでしょう。大人の読者はそちらの状況もいろいろ想像できてしまうけれどね。とてもおもしろい作品でした。

マリンゴ:とてもおもしろかったです。短い文章なのに、いろいろなことが伝わってきます。私は、語弊があるかもしれませんが自然現象のトルネードが好きで(笑)トルネードのドキュメンタリーとか映画とか、必ず見てしまいます。が、日本の子どもたちはそこまで知識がないかもしれません。「台風」「地震」などは共通の認識がありますが、「トルネード」はそこまでぴんと来ないと思うので、訳者あとがきなどで知識を補足してあげたら、なおよかったのではないかと思います。物語については、エピソードの小さいところがいいですね。カメのこととか、五時半の猫とか・・・。一つだけ気になるのは、p76-77の見開きのイラスト。廃墟感が強くて、一瞬、すべて吹き飛ばされてしまったのかと思いました。そこまでの被害は受けてないので、もう少し、それがわかる絵だと、なおよかったのかなぁ、と。

西山:活字を変えているのもわかりやすいですが、実はそれに気付かないぐらい自然に読んでいました。これからお話が始まるというのがはっきりしているから、混乱はしないと思います。

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エーデルワイス(メール参加):表紙と挿絵が降矢ななさんだ!と、期待して読んだのがいけなかったのか、読後感が今一つ。アメリカの竜巻の発生する地名が書いてないのですが、日常に竜巻が襲ってくることや、避難の備えをしていることをもう少し書いてほしかったです。この本の薄さは低学年向きかと思いきや、語り部による過去と現在のお話が交互に進み、高学年向きなのか・・・。なんだか中途半端に感じました。犬のトルネードの物語の骨組みだけ残して、降矢ななさんの『絵本』にしたらどうかしら・・・なんて思いました。

(2019年1月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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