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子どもの本で言いたい放題

2017年10月15日 (日)

『きみのためにはだれも泣かない』

Photo_3 『きみのためにはだれも泣かない』
の読書会記録

梨屋アリエ作
ポプラ社 2016.12






ルパン
:これは…いまひとつでした。人物がいっぱい出てくるし、ひとりひとりがデフォルメされすぎてるけど誰が誰だかわからなくなるし。しかも、なんだか大人が中学生のかわりに書いています、っていう感じがしてしまって。と思ったら、これは別の物語の続きの話だったんですね。なるほど、って思いました。もとの話を読んだらもっと共感できるんでしょうか。

レジーナ:登場人物の会話や心情にリアリティがあり、今の中学生に届けようとして書かれた作品だという印象を受けました。でも、私はちょっと入りこめませんでした。デートDVなど現代のテーマは入っていますが、1冊丸ごと、誰が誰を好きで、誰と誰がくっついて……という内容で。人を愛することの喜びや、好きになったときに世界が一瞬で輝くような感じが伝わってこないからでしょうか。ロジャーをなくしたおばあちゃんの気持ちがわからない鈴理は、アスペルガーかなにかの発達障がいがあるようです。描き方次第でもっと魅力的な人物になったのに、この本ではあまり共感できませんでした。

ネズミ:私は苦手でした。どう言っていいのかわかりません。人物ひとりひとりがデフォルメされて、スペックのなかで動いていく感じで、人物の展開に意外性がなくて。現役の中高生が読んで、どんなことを思うのだろうと思いました。共感できるのか、安心するのか、警戒するのか、読んで救われた気持ちになるのか。それがよくわからなかったので、みなさんの意見を聞きたいと。一人称って、みんなおしゃべりになってトーンが似てきてしまいますね。どんなふうに手渡せる本なのか、私はよくわかりませんでした。

西山:章ごとに語り手を変えるというやり方はこの10年、あるいはもう少し前から本当によく見ますが、主体が変わっても、あまり別の人格に思えない場合も多いと感じています。そんな中、梨屋さんの作品は、例えば『夏の階段』(ポプラ社)にしても、本人が思っていることが、他の人からはぜんぜん違って見える、ちゃんと別の人間を見せてくれるので、この手法が生きていると思っています。今回の作品もそう。ただ高校生の複数の恋愛感情が交錯すると、ちょっと、誰のセリフかわからなくなってくるところは何箇所かありました。鈴理ちゃんは、なにかの障がいを持っているのかなと思いながら読みました。でも、それがp240あたりで、そういう次元の話でなくなる。鈴理ちゃんに障がいがあるとかないとかは関係なくなる気がしました。月乃が他者と決定的に分かり合えないことを思い知らされたことで、新しい関係の持ち方へ回路が開かれている。ここがタイトルにも直結していて、メッセージの要だと思います。p29の「他人に迷惑をかけないためには、自分の心に迷惑をかけるしかない」という月乃の感覚とか、多少自己陶酔的な気分にさせちゃうかもしれないけど、共感する中高生は多いのではないかと思います。

ハル:みなさんがどんな風にこの小説を読まれるのかなぁと、いろいろご意見をうかがいたいと思っていました。確かにたくさんのさまざまな人物が出てきますし、実際にはこんなに特徴が顕著な子っていうのはいないのかもしれないけれど、とてもこまやかに練られているので、物語の世界ではリアリティをもって、きちんと生きている感じがします。日常の中で、中高生だけじゃなく大人も抱くような、友情間でのいろいろなモヤモヤに対して、ひとつの答えを示しながら描いているので、読者は「私が言いたかったのはこれなんだよね」「あのとき私があんな風に思ったのは、変じゃなかったんだ」と、安心できるんじゃないかと思います。若い不確かな心情に寄り添おうとする作家の姿勢が、強く感じられる作品だと思いました。

コアラ:私はあまり入りこめませんでした。出だしが鈴理だったので、鈴理に沿って読んでいたら、あまりにも周りが見えていない言動が多くて、読むのが辛くなりました。寄り添っているのでなく突き放すように書いている感じがしました。それでも、中学生が読んでも高校生の気持ちがわかるように書いてあるし、高校生が読んでも中学生の時はそうだったというように自分の成長がわかるように書いてあるとは思いました。どきっとするタイトルですが、後書きを読んでもどういう意味かよくわからないというか、あまりピンときませんでした。ただ、カバーの絵は、何か物語がありそうで手に取りやすいとは思いました。

アンヌ:最初は月乃さんの視点から書かれているのかと思って読み始めたのですが、途中でそれではついていけなくなりました。他人を突き放してみているような姿勢をとりながら、実は自分を整理できていない。ああ、こういうところが中学生なんだという感じがしました。とても古典的なぐらいに能天気に書かれている彗が物語を動かしてするところにも、リアリティを感じました。とにかくこれだけの人数の登場人物を短い言葉でよく書き分けたと思います。うわべは幸せそうだったり素晴らしい人に見える人間でも、心の中に闇を抱えていたりすることが語られていて、デートDVについては被害者だけではなく、加害者へのメッセージもあります。新しいヤングアダルトの書き手だなと感じました。

ハリネズミ:私はおもしろく読みました。たしかに登場人物は多いですが、デフォルメされて特徴がはっきり出ているので、読んでいて混同することはありませんでした。各章がそれぞれの人物の一人称なので、文体も違いますし。普通ギャルメイクをしている人は自分の素を出したくないと思ってわけだから、周りの人の世話をしたりしないと思いますけど、夏海は違いますね。鈴理だけちょっと浮き上がっているように思いましたが、それはこの子が何かハンディを抱えているからでしょうか。それぞれが個性的ですが、表紙の絵はどれも同じ顔なのが残念。私がいちばん気になったのは未莉亜ですが、未莉亜の章はありません。別の巻で出てくるのかな。全体にユーモアもあって、楽しく読めます。このタイトルは反語的な表現なのでしょうね。

西山:人が混ざるというのではないんですが。単純に、会話が続いているとだれのセリフがわからなくなるところがありますね。

ハリネズミ:どうしてこういう書名なのかなあ、と私も思ったのですが、後書きに「自分の心の動きを感じ取れることは、だれかの心をおもいやる力にも他人のために心を動かせるやさしさにもつながるんじゃないのかな。(中略)悲しかったりさみしかったり苦しかったりしたときに、だれかが代わりに泣いてナカッタコトにしてくれるわけではないのですから。そんな意味を込めて、逆説的ではありますが『きみのためにはだれも泣かない』というタイトルをつけました」とあって、納得しました。

(「子どもの本で言いたい放題」2017年7月の記録)

『日小見不思議草紙』

Photo_2 『日小見不思議草紙』
の読書会記録

藤重ヒカル作
飯野和好挿絵
偕成社 2016.09






ハル
:お話はおもしろくて良かったので、気になったのは本のつくりのことだけです。飯野さんの絵は私も好きなのですが、結構、なんというか、しっとりとしたきれいなお話のときに、飯野さんの絵がバーンと出てくると、笑いたくなってしまうというか。物語と絵が合っているのかなぁ?と思わなくもないです。それから、本がとても重たいのが気になりました。ランドセルに入れたら重たいだろうなぁと思います。

西山:この作品、大好きです。今年度の日本児童文学者協会新人賞受賞作です。入れ子にしている作りが効いていて、人を食っている感じ、「騙り」をおもしろがっている感じが本当に読んでいて愉快で好きです。例えば、「三の巻 おはるの絵の具」は本題の話自体はどこかで見たことがあるような印象ですが、「日小見美術散歩 その七」とした絵の解説が本当に愉快。「(日小見市役所観光課発行 季刊『ひおみ見どころガイド』春号より)」(p108)なんて、もう楽しいなあ! 話で一番好きなのは「一の巻 立花たんぽぽ丸のこと」です。子どもの頃、多分学研の「学習」だったと思うのですが、今江祥智の「たんぽぽざむらい」を読んでとても、好きだったんです。これも、戦意を喪失させる、ゆるさがある。子どもの殿様が楽しそうに笑っているのが、しみじみと幸せな景色。人を殺したくない六平太のこの物語を、私は、自衛隊員に読み聞かせしたいと、結構真剣に考えています。

ネズミ:私もおもしろく読みました。納得のいくまで時間をかけて、じっくりていねいに書いた作品という印象がありました。地図までのっているので、自分が今いる町にも、昔こんなふうに、いろんな感情を持ちながら生きていた人がいたんだろうな、って思えてきます。物語の楽しさ、理だけでは片付かない不思議を味わえる作品だと思いました。

レジーナ:ずっと読書会で読みたいと思っていました! とても好きな作品です。人と動物が入り交じって暮らす不思議な町を舞台に、血のつながらない親子や、恋人たちが心を通わせる様が描かれています。人も虫も動物も、いろんな命を等しいものとしてとらえている感じがします。生きることの美しさやヒューマニティを、声高にではなくそっとうたう作品です。読みおわったあと、世界が少しだけ違って見えて、自分が住む場所にもこんな不思議がかくれている気がしてきました。「おはるの絵の具」はちょっとセンチメンタルで、昔の日本の児童文学にありそう。でも、気になるほどではありませんでした。かんざしをさした熊など、飯野さんの絵はユーモアがあり、作品の世界にもよく合っています。p35で、サルが「おなじだよ。おなじ」というのですが、その意味がよくわかりませんでした。

ハリネズミ:どんな理由にしろ人を斬ったという点では同じ、ということじゃないでしょうか。

アンヌ:最初は、サルがそれまでもいろんな人に刀を渡してきていて、そんな人たちとおまえも同じだったんだなという意味で言ったと思っていたのですが、猿が刀を取り戻すわけではなく刀も埋められてしまうので、違うようですね。

西山:「おれは……おれは……。」の「……」には、「斬りたくなかった」とか「斬るつもりはなかった」が入るのが自然な気がするので、「おなじ」というのは、やはり、人を斬ったことに変わりはないという突き放した一言ということになるのかな。考えさせますね。

ルパン:うーん、おもしろかったけれど、私はまあ、ふつう、っていう感じでした。どの作品も既視感があって。たとえば、「おはるの絵の具」の章は、あまんきみこの『車のいろは空のいろ 白いぼうし』みたいだ、とか。

アンヌ:おもしろかったけれど、それぞれの作品を読み込んで行くと、全体にうまく収まりをつけてしまっているところが逆に残念な感じがしました。一の巻では忠臣だった侍が四の巻では実は熊だったりする意外性や、その奥方や女中が熊の姿なのに紅を指していたりするという物語にしかありえないリアリティがおもしろいと思いました。作品としては、三の巻の「おはるの絵の具」の話が心に残りました。主人公が師匠の言うとおりに、おはるがくれた絵の具の色を再現できるように努力したり、江戸に上がって修行して御用画家として藩に仕えたりすることもなく放浪し、水墨画家となり色を使った絵を描かなくなってしまう。稲垣足穂が『山ン本五郎左衛門只今退散仕る』(ちくま日本文学全集)で、この話のようにこの世ならぬものに意味もなく愛されてしまう経験によって「主人公たちは大抵身を持ち崩してしまう」と言っているのを思い出しました。

コアラ:すごくおもしろく読みました。連作の物語を読むおもしろさを1冊たっぷり味わいました。物語の前後に挟まれている文も、現代から江戸時代の物語にすっと入っていけるようになっていて、うまいなと思いました。「立花たんぽぽ丸のこと」では、六平太の鼻にたんぽぽがぱっと咲く場面、挿絵もおかしくて、電車の中で読んでいて笑えてしかたなかったです。「草冠の花嫁」で「おこん」という女の子が出てきてキツネだったので、「おせつネコかぶり」で「おたま」という女性が出てきたのでネコだなとピンときました。「龍ヶ堰」の上田角之進がクマでハチミツづくり、というのも納得です。「おはるの絵の具」は「おはる」という女の子なので春の精霊かな、と思ったら蝶で、意外だったし切ないラストで、私はけっこう好きでした。「おわりに」も日小見の観光ガイドのようになっていて、行ったら楽しそうと思いました。一番最初の地図を見返すと、物語で馴染みになった由庵の診療所があったりして、また物語を思い返したりしました。本を読み終わって電車を降りたら猫が通っていて、「あ、ネコガミかな」と思ったりして、読む前と読んだ後では、世界が違って見えました。

ハリネズミ:私もおもしろく読みました。最初は人間だと思っていたのが、獣だということがわかってくるんですね。幽庵先生もネコだし。飯野さんの絵はいいですね。登場するのが人間界と動物界をいったり来たりする者たちなので、ぴったりの気がします。一つ一つはよくある物語ですが、時空を超える仕掛けがあって、過去の歴史と今がつながるように書かれていますね。その仕掛けが見事だと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2017年7月の記録)

『いたずらっ子がやってきた』

Photo 『いたずらっ子がやってきた』
の読書記録

カトリーナ・ナネスタッド作
こぺんなな挿絵
渋谷弘子訳
さ・え・ら書房 2016.12
原書 THE GIRL WHO BROUGHT MISCHIEF by Katrina Nannestad, 2013

コアラ:最初に「1911年デンマーク領ボーンホルム島」とあるのですが、何か事件があったわけでもなく、なぜその時代設定なのかわかりませんでした。単に今より窮屈な時代というだけでしかなく、なぜ今、この現代に、その時代の物語が必要なのかわかりませんでした。読んでいていろんなところで『赤毛のアン』を思い出しましたが、『赤毛のアン』の方がずっと心に残ると思いました。最後まで読みましたが、私はあまりおもしろいとは思いませんでした。

アンヌ:時代設定が1911年というのは、作者が古い時代の話をデンマーク人の夫の親戚等から聞き書きして書いたからではないかと思いました。題名に「いたずらっ子」とありますが、主人公が自主的にいたずらをするのはp.182のアンゲリーナのブルマーを取る場面だけかもしれません。この場面で、おばあさんなんだと思っていた島の女性が思いっきり走ったあげく、みんなで昔を思い出して女の子のように笑い転げて、それから「おばあさん」であるのをやめてしまう。型にはまった大人から、女の子だった自分を取り戻していく感じがして好きです。註が見開きの左ページの端に載っているのは、読みやすく感じました。

ルパン:おもしろく読んでいるところですが、まだ途中です。これまでのところでおもしろかったのは、死んだ七面鳥が生き返る場面です。夜中にひとりで生き返っているところとか、想像するとゆかいです。今、気になっているのは、母親が死ぬまでどういう暮らしをしていたかということです。父親が亡くなって、この時代の母子家庭のはずなのに、お手伝いさんがいたり。けっこう裕福な暮らしをしていたらしいので、財源はどこにあったのかなあ、とか。いずれにしても、都会のぜいたくな暮らしをしていた女の子が、その価値観を田舎の生活に持ち込むわけですが、ここから先、そのへんのところ、どう折り合いをつけていくのか、続きが楽しみです。絵は、好き嫌いがあるかなあ、と思いますが、私はレトロな感じで悪くないと思いました。

レジーナ:全体的に私には読みにくく、作品の世界に入っていけませんでした。たとえば33ページの「なによりうれしいのは、おばあちゃんがわたしに帽子をあんでやりたいと思ってくれたことだ」で、子どもの側から見たときに、「(祖母が自分に)あんでやりたい」という言い方をするでしょうか。先生への手紙で、上着が変だと書いていますが、この書き方だと無神経な感じがして、主人公に共感できません。昔の話なので、体罰のシーンもけっこうあり、この時代設定にした意味もよくわかりませんでした。

ハリネズミ:「あんでやりたい」は、それでいいんじゃないですか。私はひっかかりませんでした。文が長いから読みにくいというか所はありましたけど。

ネズミ:おもしろい本なんだろう、と思って読みました。母親の死をどうのりこえるかというのがテーマでしょうか。互いになじみのない主人公と祖母が共に暮らすなかで死を乗りこえて生きていくというのはすてきで、いつの時代にも通じるテーマですね。でも、どこか違和感がある。前後がつながらない表現がちょこちょこあって私はすっと物語に入れなかったので、おもしろいと言い切るのはちょっと、という感じです。たとえば、p33で、毛糸の帽子のボンボンのことを、「おばあちゃんがあんでいた毛糸の玉だ」と言っていますが、ボンボンは編むのでしょうか?

p36の5行目「わたしはすごくうれしくなって、そのあとはもうおしゃべりができなかった」というのは、どういう意味なのでしょう。また、シチメンチョウがガボガボゴボゴボ鳴く、という表現が出てきますが、この擬声語でいいのかなあと思いました。p187の後ろから3行目「元気で、型やぶりな子だったんだよ」の「型やぶり」と「子」の組み合わせも、私にはしっくりしませんでした。ニシンの燻製の小屋に入って、ネコがついてくるなど、想像するとすごく楽しいのですが。全体のリズムや盛り上げ方をもう少し工夫してくれると、もっと楽しい作品になったんじゃないかと思いました。字組みやルビを見ると、高学年からの作りに見えますが、主人公と同じ10歳くらいの子どもでも、内容としては楽しめそうな気がしました。レイアウトのことを言うと、p7の最初、「一九一一年 デンマーク領ボーンホルム島」は四角で囲まなくてもよいのでは?

ハリネズミ:北欧の国はジェンダー的には進んでいると思っていたのですが、この本では女の子がずいぶん差別されているみたいですね。この時代の田舎だからでしょうか?

西山:ノリがわからない、とういうのが全体的な印象です。失礼な言い方にはなりますが、応募原稿にときどきある感じ。書きたいこと、醸し出したい雰囲気はあるけど、笑わせたいというのもわかるけど、それが一つのまとまった印象にならない感じです。文体の問題かなと思います。燻製小屋のところがおもしろくて、そこあたりからは笑えるようになったのですが。冒頭のおさげをヤギに食べられてしまうというのが、笑うところなのか、どう受け取ればよいのか本当に戸惑いました。p13のおばあさんに手を叩かれたシーンは一瞬で心が冷えたというか、とても深刻にショックを受けて、だから、なかなか書かれているあれこれがユーモアとして受け取っていけない。どう読んでいいかわからないということになっていたと思います。それから、七面鳥の大きさを「お茶箱くらい」とたとえている(p21他)けれど、日本のお茶箱を想像すると大きすぎるし、ましてや今の子どもがお茶箱を思い浮かべられるとは思えません。伝えるための比喩のはずがそうなっていない。

ハル:みなさんのご意見をうかがいながら、確かにそうだなぁと思っていました。あとになって、いろいろな場面を絵にして思い浮かべるととてもおもしろいのに、読んでいるときは笑えないというのが残念ですよね。物語の中で学校の先生に宛てた手紙が出てきますが、子どもが書いたとは思えないような手紙です。大人が、子どもの頃に大人から受けた不愉快な出来事を思い出しながら、「あのとき、ああ言ってやればよかった、こう言ってやればよかった」っていう思いの丈をぶつけたような。手紙だけじゃなく、全体をとおして、主人公の女の子の向こうに大人が透けて見えるような感じがしました。

ハリネズミ:あの手紙は、とても10歳の子の手紙とは思えませんね。いくら賢い子だとしても。

ハル:絵も、攻めてるなぁと思います。ダメというわけではないですが、どうしてこの絵を選んだのか、編集の方にお話を聞いてみたいです。

ハリネズミ:インゲが前向きに生きていこうとするのは、いいですね。物語もなかなかおもしろい。死んだと思っていたシチメンチョウのヘンリュが生き返るところとか、燻製ニシンの小屋で寝たらいつまでも匂いがとれなくてネコがついてくるところなど、愉快です。ただ、インゲのいたずらが、子ども本来の生きる力から出てくるものと、単なるドタバタ(アンゲリーナのブルーマーを持って走り回り、追いかけてきたアンゲリーナのスカートを犬が食いちぎる場面など)と両方あって、それがごちゃまぜに出てくるのが気になりました。それと、舞台はデンマークで、デンマーク語の世界だと思うのに、原書が英語のせいかブロッサム、チャンキー、プレンティなどいくつかは英語のままで出てきます。できたら著者に問い合わせるなどして、全部デンマーク語でそろえてほしかった。みなしごのクラウスに対するところは、昔のチャリティの精神ですね。

ネズミ:カタカナ名の部分ですが、番ねずみの「ヤカちゃん」みたいに、意味をとって日本語にするとか?

ルパン:p78に「民衆学校」とありますが、これは何のことでしょう?

ハリネズミ:ところどころ、注があった方がいいな、と思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2017年7月の記録)

2017年9月24日 (日)

『スピニー通りの秘密の絵』

Photo_3 『スピニー通りの秘密の絵』
の読書会記録


L.M.フィッツジェラルド著
千葉茂樹訳 

原書: UNDER THE EGG by Laura Marx Fitzgerald, 2014   
あすなろ書房
2016.11
 

ナガブチ:テンポもよく、読み進めるほどに、楽しく読めました。最後かなり加速しますが、中でもナチスについてのくだりでは、存命者リストの話や施設の話など、非常に具体的な情報が出てくるのが印象的です。1枚の絵が持っていた真の意味、重さを知った時、とても感動しました。

ネズミ:いろんな要素が盛り込まれている本だなと思いました。セオとボーディが仲良くなっていくところがおもしろかったです。でも、あまりに盛りだくさんすぎて、ここまでしないとおもしろい本にならないのか、読者はのってこないのかと、やや食傷気味にもなりました。こういうのが今風なんでしょうか。ナチスのことも出てきますが、実際の収容所の様子などはうかんでこなくて、筋だてのひとつの道具なのかなという感じ。冒頭で、ジャックがセオのおじいさんだということに、途中まで気づきませんでした。前のほうに書いてあったんでしょうか。

アカザ:わたしも、すぐに分からなくなりました。たしかに前のほうにおじいさんだって書いてあるけれど、1か所だけだとつい見落としてしまいますね。

西山:美術館に行きたくなりました。単純に絵画の読み解きは面白いなと。最初、私も貧困の話かと思いました。スピーディーに繰り出される情報と謎解きでだんだん加速してきたのですが、実はあと少しで読み終わっていません。謎解き部分なので、直前に慌ただしく目を通すのももったいないかと、帰りの電車を楽しみにしています。でも、お構いなく、語ってください(笑)

ハル:子ども向けといっても、こんなにおもしろいミステリーがあるんだ、と夢中になって読みました。絶望的な環境にもめげず、たくましく、しかも天才的な才能をもつ主人公の女の子も痛快です。終盤になって、もう残り何十ページもないけどほんとにお話が終わるのかな?というくらい駆け足になってしまったのがちょっと残念ですが、新しい発見もあり、勉強にもなり、絵画への好奇心もくすぐられて、とてもおもしろかったです。

マリンゴ:最初、読みづらいなと思っていたのですが、途中から一気に引き込まれました。ただ、ラストの部分、捜しまわっていた人が隣に住んでいた、というところで、びっくりするというか、それはちょっとないよ、と思いました。作者のサービス精神が旺盛すぎたのでしょうか。伏線がはられていなくて、後で弁解のようにいろいろ経緯が語られるスタイルで、ミステリー作家さんとかが読むと、いわゆる「ルール違反」ではないのかな、と思いました。あと、p114で、「超オタクの奇人レオナルド・ダ・ヴィンチは卒業総代をねらっている」など、画家たちを高校の生徒にたとえて説明する部分はとてもうまくて、読者もわかりやすいのではないかという気がします。

すあま:ちょっと主人公の境遇がひどいのではないかと思いながら読み進めましたが、主人公の世界が広がっていくにつれて、おもしろくなりました。終盤で話が急展開してちゃんとついていけず、探していた人物はおじいちゃんがとなりに住まわせていたのかと思ってしまいました。最後におじいちゃんの手紙を見つけるところは、なくても物語としては十分だったかもしれません。手紙を読まなかったのに、おじいちゃんの希望をかなえることができた、というところはおもしろいと思います。

アカシア:最初の展開から、ジャックが収容所で一緒だったマックスの話になり、マックスが娘の命を助けるために高価な絵を使ったのが明らかになる。そこまでの展開はみごとだと思いました。でも、最後が『小公女』みたいにご都合主義になってしまった。p252には「収容所を生きぬいたとしても、パリの死刑執行人の手から逃れるのは無理だったんじゃないかと思う」とありますが。p246では、その「パリの死刑執行人」ハンス・ブラントが、アンナの出所申請をしたと書いてあるので、流れに無理が。p252には「ボーディがラップスターのまねみたいな話し方をやめるなら」とありますが、ボーディの口調はそういう訳にはなっていないので、ひっかかりました。マダム・デュモンが自分の名前をおぼえていないということで、最後の展開につながっていくわけですが、自分ではおぼえていなかったにしても、「アンナ・トレンチャーを知らないか」ときかれれば、普通は思い出すのではないかと、そこもひっかかりました。あと一歩でおもしろくなりそうなので、ちょっと残念。

ルパン:とてもおもしろく読みました。エンタメとしては最高だと思います。そう思って読むと、となりの奥さんがさがしていた少女だったとか、最後にお金がたっぷり出てきて一安心、というのも、「どうぞどんどんやって」という感じで楽しめました。ただ、児童文学作品として考えると、あまりにご都合主義なのが残念。あちこちに『クローディアの秘密』(E.L.カニグズバーグ作 松永ふみ子訳 岩波書店)のオマージュなのかな、と思われるシーンがありますが、それにしてはちょっとお粗末な気がします。

アンヌ:主人公がニューヨークのど真ん中でビーツを育て酢漬けの瓶詰を作ったり、祖母の残した服を再利用したり、『家なき娘』 (エクトール・マロ作 二宮フサ訳 偕成社文庫)のように生活をやりくりする様子がとても楽しい物語でした。ナチスによる美術品の略奪話は推理小説にも多いのですが、この作品では、絵の謎だけではなく、祖父が盗人ではないということを解き明かすというスリルがあって、主人公と共にドキドキしながら読み進められました。絵の謎を解くために、ボーディがスマホを駆使し、図書館員がパソコンで調べてくれる。このいかにもスピーディーな現代の謎とき風景と、これに対比するように描かれる主人公が現物の絵画を見、参考資料を読みこんで謎を解こうとするところが実に魅力的で、作者の思い入れを感じます。愕然としたのはp264から始まる隣人と絵の関係がわかる場面です。あまりに描写が省略されすぎていて納得がいかず、作者がもともとは長々と書いていたのを削られたのかなと思いました。

カピバラ:この本で一番いいと思ったのは、ふたりの女の子の関係性です。育った環境も性格も全く違うのに、初対面から拒否反応を起こさず、すっと相手を認めていくところがすがすがしい。この年頃の女の子の、大人っぽくしたい、背伸びしている感じもよく出ています。図書館で調べるところもよかった。

アカザ:とてもおもしろくて、一気に読みました。主人公の女の子が魅力的だし、貧しいといっても豊かな貧しさというか、庭で飼っているニワトリに名前をつけたり、読者が憧れるような貧しさですよね。美術史を学んだ作者ならではの贋作の見分け方とかラファエロの絵の話とか、細部がとても魅力的な物語だと思いました。ただ、やっぱり最後ができすぎというか、やりすぎじゃないのかな。

野坂:作者はもともと美術研究者で、その専門を生かした、力のこもったデビュー作ですね。友情物語、謎解き物語として夢中で読みました。主人公セオは相棒ボーディと力をあわせ、死んだおじいちゃんが遺した絵の謎を探るのだけれど、最終的に絵の中にも失われた家族が描かれていたことがわかり、いくつもの家族の喪失と再生の物語が層になっている点、うーんやられたという感じ。絵そのものにも見えない層があって、絵の秘密を探るため、病気のふりをしてレントゲンにかけるところも、奇想天外な子どもたちのパワーを感じました。ただ、大円団の部分で、マダム・デュモン(いじわるな隣人)が、急にきれいな言葉で話しだし、人格が変わったように感じたのは残念。そして、セオはものすごく貧乏なんですが、ただの貧乏ではなく、そうしたことがアートのように感じられるのは、売れない画家だったおじいちゃんのセンス、生き方のおかげ。そんなおじいちゃん、セオの人物像にも、それなりに苦労しているセレブの娘ボーディの描かれ方にも、好感が持てました。

レジーナ:私も『クローディアの秘密』を思い出しながら、おもしろく読みました。ところどころわからない部分がありました。映画『黄金のアデーレ』は、ナチスに奪われたクリムトの絵を取りかえそうとした実在の人物の話ですが、奪われた絵を取りもどすことが、失われた過去を取りもどすことにつながっていて、その点ではマダム・デュモンの人生に重なりました。

しじみ71個分(メール参加):美術の専門家が書いただけあって、絵にまつわる謎解きがとてもリアルでしたし、モニュメンツ・メンという存在も初めて知り、非常におもしろく読みました。貧しく、頼りのおじいさんを亡くし、母は生活力がないという厳しい環境にありながら、知恵をフル回転させて、アナログを旨として生きる主人公のセオと、珍しい家族環境を持ち、ネット検索に非常に長けたボーディ(bodhi、菩提=悟り、知恵)という女の子の二人組が、本とネットという現代に必要とされる知性をそのまま象徴しているようで、その二人が絵にまつわる謎解きをするという構成がとても巧みだと思いました。私が特にいいなと思ったのは図書館員のエディで、タトゥーがあって型破りでありながら、図書館情報学修士号を持ち、専門的なサポートをしてくれる存在として描かれています。また、いかにも司書らしい容姿として描かれる専門図書館員の彼女もプロフェッショナルなスキルをフル動員して子どもたちを助けるというところで、アメリカにおける図書館員の認知度の高さが良くわかり、日本とは違うなぁと実感しました(多くの専門家がそこを目指しているとしてもまだ社会全体でそこまで到達していないという意味で)。セオがおじいさんの宝の絵を売って生活の足しにすることばかり考えて、途中、絵の持ち主探しに消極的に見えるように思えた点はちょっと残念にも思いましたが、生活に困窮しているという意味でリアルだったなとも思います。最後の、お前はニワトリだ、地面をつついて真実を探せ、というおじいちゃんのジャックの言葉はぐっときました。真実を探求する人の姿勢を端的に表した言葉だと思います。小学校高学年くらいの子どもには、ミステリ的な要素に知的好奇心をくすぐられておもしろいのではないかと思いますが、もしかしたらちょっと難しいでしょうか?

エーデルワイス(メール参加):極貧で、家の仕事と母の世話をするセオドラはたくましくもけなげです。言語と図書館と美術館とミステリーがあわさって、おもしろい作品に仕上がっています。訳もいいですね。ナチスの奪った絵画を洞窟から奪い返すという映画を何年か前に見たことがあります。

(2017年6月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

『オイレ夫人の深夜画廊』

Photo_2 『オイレ夫人の深夜画廊』
の読書会記録


斉藤洋著

森田みちよ挿絵
偕成社
2016.06




ナガブチ
:この作品は、難解でした。日本人の作家さんとは思えない文章でした。ただ、難しいところや描写を読み飛ばしても、なんとなく読める、ストーリーは追えるなと思いました。

レジーナ: 同じ作家の『ドローセルマイアーの人形劇場』『アルフレートの時計台』と同じように、雰囲気のある作品です。ドイツの冬の静謐さ、重苦しい感じはよく出ているのですが、物語でぐいぐいひっぱっていくような作品ではないので、読み手を選ぶ本です。わたしはあまり入りこめませんでした。雰囲気を味わうようなこういう本も、あっていいとは思いますが。

ネズミ:物語の世界にすっと入っていけました。確かなイメージが浮かんできて、うまいなと思いました。夜だけ開く画廊で、出会うべきものに出会って、最後に主人公の人生の方向が変わるというのも魅力的。物語の世界を楽しめました。このあいだ読んだ同じ著者の『アリスのうさぎ』(偕成社)よりも好きでしたが、主人公が青年というのは、子どもにはとっつきにくいでしょうか。こういう本がたまにはあっていいと私は思いますが。

西山:特に付箋をはることもなく、さら~っと読んでしまいました。なぜか、安房直子をふと思い出して、ふわっと懐かしい気分を味わいました。だから、なに、という感想も特になく、すみません。

ハル:なんだかこれからおもしろいことが起こりそうなんだけど……眠い、と何度も心地よい眠りに誘われながら読んだら、ラストでぞくっとくるほど感動したので、こう言うのも変ですが、最後まで読んでよかったです。出版社のホームページでは読者対象が小学5~6年生となっていましたが、どこまで読めるんだろう? というのは判断が難しいところだなと思います。

マリンゴ:最小限の言葉で、異国の不思議な空間を描き出すのは、さすが斉藤さんだと思いました。ただ、広場に行ったあたりから、私の想像力が追いつかず、イメージが曖昧になってしまいました。読後感はいいです。ただ、さらっとしていてあまり後には残りませんでした。p134の「だれだって、ヒントに出会うのです。ヒントは連続してあらわれますからね」は、「わかるわかる」と、とても納得できました。

すあま:私は『アルフレードの時計台』よりもおもしろかった。ただ、前半がまどろっこしい感じで、物語にうまく入っていけなかった。主人公が子ども時代にサモトラケのニケの頭と首がないのがこわかった、と感じたことに共感できた。著者はたくさんの作品を書いているが、これはあえて海外の作品のような感じにしている。登場人物の名前が難しいので、日本の物語を好んで読む子どもには読みにくいかもしれない。

アカシア:これは連作の3冊目ですね。1冊目の『ドローセルマイアーの人形劇場』には、ふしぎな人形と人形遣いが出てくるし、2冊目の『アルフレートの時計台』にはタイムファンタジーの要素もあって、どちらも不思議さの度合いがもっと濃厚です。この3冊目は、それに比べると、オイレ夫人のキャラもそうそうくっきりはしないので、単発の作品としては弱いかもしれません。また、リヒトホーフェン男爵が現れて、フランツが小さい時グライリッヒさんにあげた木のライオンを取り戻すという要素と、サモトラケのニケの顔がわかるか、という要素が入り交じっているので、読者がくっきりとした印象をもてない理由は、その辺にもあるかもしれません。ただ、前の2作に登場したクラウス・リヒト博士、時計台やアルフレートの絵、ドローセルマイアーさんなども再登場してきたり、2作目で不気味な役割を果たしていたフクロウがオイレ夫人と重なっているなど、連作で読むと、よりおもしろいのかと思います。

 画廊に立ち寄った哲学の学生であるフランツは、彫刻家になる決心をします。1作目では高校の数学教師だったエルンストが人形遣いになり、2作目でもやはり別の道を志していたクラウスが、親友の死に直面して小児科医になるなど、主人公たちはみんな、ふとしたきっかけをもらって、これまでとは別の道を歩み始めるというところも、3作に共通しています。p32の「どういたします?」は「どうなさいます?」かな。

ルパン:こういう雰囲気の物語は好きなのですが、オイレ夫人に魅力がなく、期待外れの感がありました。また、サモトラケのニケとかミロのヴィーナスの「失われた部分」に想像力がかきたてられる、というのは言い古されていることなので新鮮味がなかったです。でも、子どもにとってはおもしろいのかもしれません。p31の「複数形」に関しては、そこまで翻訳風に作らなくてもいいんじゃないかと思いました。ちょっとやりすぎ。

アンヌ:カフカやカミュを思わせる静かな始まりで、医師の言葉に、主人公はもうこの町から出られなくなるのかなとか、深夜画廊の客の様子に、『おもちゃ』(ハーヴィイ・ジェイコブス/作 ちくま文庫『魔法のお店』収録)を思い浮かべ、さあ、怪奇に行くかファンタジーに行くのかとワクワクしながら読み進めました。普通、過去の何かに出会う主人公は、取り戻せない時間に苦い思いを抱くのですが、この物語では未来を手に入れるところが新鮮でした。ただ、町見学の場面やオイレ夫人の描写に今一つ魅力がなく、主人公が若い大学生というより中年男性のようで、物語の謎もそのままで淡々と終わってしまったのが残念でした。

カピバラ:1作目から読んできたけど、異国の街で、時計塔、古いホテル、人形劇場、画廊などを出して、いかにも謎めいた、これからなにかが起こりそうな雰囲気を上手に出していると思います。3部作として読むと、前に出てきた人がまた出てくるなど、読者を楽しませる工夫があるんですが、出版の間隔があいているので、前作のことをほとんど忘れてしまって……。おもしろい作品というより、おもしろそうな作品という感じです。

アカザ:3部作のうちでは、私は『アルフレートの時計台』がいちばん好きで、いまも心に残っています。この作品も、とても上手く書かれていて、男爵があらわれる前に景色が少しずつモノクロに変わっていくところなど、素敵でした。ただ、フランツにどうしても木彫りのライオンを返したかったグライリッヒさんの思いとかがあっさりしすぎていて、強く伝わってこないんですね。美しい物語を読んだという気はするけれど、感動とまではいかなかった。

野坂:物語世界はよく構築されているので、すうっと読めました。でも、子どもにはどうなのか、少しわからない部分があります。前作の二つも読まないといけませんね。「どうせ考えたって、わからないんだから、奇妙だと感じても、まあ、そういうことなんだって、そうおもうしかないのよ」という少女の言葉に、主人公フランツは、自分には何か思い出せねばならないことがあるのだろうか、と考えこみます。そんなところに、虚構の世界に読者をからめとるレトリックの巧さを感じました。また「クルトがきみに何を思い出してほしいかは来るとの問題だし、きみが何を思い出すかは、やはりわたしの問題ではない」と明言する男爵の論理が、個人主義、ヨーロッパ的でおもしろく、男爵の存在感を際立たせていますね。YAとしても読める作品では。

アカシア:ルビの振り方をみると、YA対象ではないですね。

しじみ71個分(メール参加):まず、本を開いて、文字組みの視覚的な効果に感動しました。頭を揃えて、ほぼ1行1文で描かれた文章ですが、その形式だけで、幻想的な物語であることを端的にわからせる効果があると思いました。そこだけでぐっと引き込まれます。子ども向けというよりは、ヤングアダルト、もしかしたら大学生とか、就活中の人とか転職模索中の人とかでもいいような、青年層向けの自分探しの童話として受けとめました。主人公が木彫りのライオンとニケの像を見付けて、自分の夢が何だったのかに気づくという割とストレートなプロットですが、途中途中で描かれる美術品や街の表現が美しいのも良かったです。

エーデルワイス(メール参加):さすがストーリーテラーの斉藤さん。おもしろく読者を引っ張って最後にすとんと落とす。わかりやすくて読みやすいです。挿絵もいいですね。ルーブル美術館には行ったことがあります。「サモトラケのニケ」は入口でお出迎えしてくれるようですね。どんな美女だったのか興味があります。

(2017年6月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

『ミスターオレンジ』

Photo 『ミスターオレンジ』
の読書会記録

トルース・マティ著
野坂悦子訳
平澤朋子挿絵

原書: MISTER ORANGE by Truus Matti, 2011   
朔北社 2016.09




ナガブチ
:「ミスターオレンジ」がモンドリアンであるかどうか微妙で、ずっと読みながらひっかかっていて、最後の解説で、ああやっぱりそうだったのか、と腑に落ちました。モンドリアンの絵画は解釈が難しいですよね。一瞬、教育色の強い、戦争の愚かさを前面に伝える本かと思ったのですが、三原色とは何か、といった哲学的なところ、絵画の見方の提案にまで踏み込んでいっていて。それから印象に残ったのが「ミスタースーパー」です。狂言回し的な役回りで、読み易く、技法上必要なのかもしれませんが、どこか既視感もあって、本筋にとってどれくらい意味があるんだろうと思いながら、読んでいました。しかし、消滅後、もう出てこないと忘れていたら、最後に再登場し、驚きました。「想像力」の二面性を体現する存在として、どこか懐かしさを感じさせながらの登場に感動しました。最後ではっきりとこのキャラクターの意味が分かった気がします。ミスターオレンジは初登場の雰囲気から、この人は最後は死んじゃうんだろうなと予測しながら読んでいたので、それとは対照的でした。

ルパン:とてもおもしろく読みました。親友のリアムが悪い先輩と仲良くなってしまって気まずくなったあと、仲直りするシーンが印象に残りました。孤独なデ・ウィンター夫人の最後はせつなかったです。

アンヌ:以前に読んで、とてもいい本だけれど同時に心が重くなる本でもあるなと思っていました。作者はオレンジひとつで読者を物語の中に引き込むのを成功していると思います。その色、味わい、香り、形や重さを感じることによって、読み手は主人公の少年の日常からニューヨークでのモンドリアンの生活やその絵画にまで引き込まれます。作者はそれだけではなく、ブギウギというダンス音楽によって、当時のニューヨークの音と動きを本の中に引き込み、さらにモンドリアンの絵の象徴するものを感じさせることにも成功していて、実に手の込んだ作品だと思います。ただ、この時点で、ヨーロッパからやって来たモンドリアンには戦争はもう終わるとわかっているのに、この後、原爆が落とされたのだなと思うと暗然とする気分があります。ニューヨークの自由のまぶしさと戦争の残酷さが同時に感じられる物語でした。

カピバラ:とてもおもしろく読みました。この主人公の男の子の気持ちがとても素直に描かれていると思います。最初のうちは大好きなお兄さんが出征していくことを誇りに思っていたけれど、お母さんの微妙な反応に気づき、お兄さんからの手紙の中に父母だけが知っている真実があったことをだんだん知っていくのが自然と描かれていて、読者も主人公と一緒に成長していけるのがよかったです。お兄さんが出征している弟の話はほかにもありますが、ミスターオレンジに出会うことでまったく新しい自由な発想や、未来への希望といったものを絵や音楽から感覚として知っていくという感じがとても新しくてわくわくするようなものがあって、そこが今まで読んできたものにはない、新鮮な印象を与えてくれました。このミスターオレンジはナチスの手を逃れて新天地アメリカにわたってきたんですけど、「おさるのジョージ」の作者レイ夫妻も同時代にアメリカに渡ってきました。その当時のニューヨークの雰囲気がもっと描かれていてもよかったんじゃないかな、と思いました。日本版の装丁は、内容をよく表していていいですね。

アカザ:本当に、装幀は原書よりずっといいですね。物語の雰囲気をよくあらわしていて素敵です。物語そのものも、素晴らしい。英国や日本の児童文学では、実体験としての戦争が描かれていますが、参戦していても本土での戦いがなかったアメリカやオーストラリア、ニュージーランドなどの国の子どもたちがどのように戦争を見ていたかがうかがえて、おもしろかったです。『ペーパーボーイ』(ヴィンス・ヴォーター作/岩波書店)と同じように、主人公のライナスがまったくの他人だけれど素晴らしい大人にめぐりあって、新しい考え方に触れ、変わっていくところが、とてもいいと思いました。お兄さんが描いた漫画の主人公と頭の中で会話をかわしながら少しずつライナスの戦争に対する考え方が変わっていくところも、とても上手い書き方をしているし、家族の描写もおもしろかった。ただ、想像力についてのくだりは感動的だけれど、ちょっと理屈っぽいかな。モンドリアンがモデルだということは物語の最後まで明かされないけれど、どこかに絵を入れたほうが良かったのではと、ちょっと思いました。口絵とか、栞とか……。

カピバラ:これは創作だから、はっきりした作品を出してないのでは?

アカシア:ヴィクトリー・ブギウギなんていう絵の名前が出てくると、モンドリアンだってわかりますけどね。表紙もモンドリアンの絵をモチーフにしてますね。

野坂:この本を訳しながら、何度も繰り返しテキスト全体を読み。読むたびに新しい発見がありました。そのつど、ひとつひとつのシーンが映画のように立ち上がってくるんです。でも実はライナスは、考えている時間のとても長い少年です。地の文、ライナスの意識の流れ、思考から地の文にもどるときの自然な着地・・・思考の部分は、二倍ダーシュを使ったり、括弧に入れたり。それに加えて、自由間接話法をかなり取りいれました。また空想の中でのミスタースーパーとのやりとりが際立つように、地の文とは違うゴシック系の書体を使いましたが、ライナスが空想から徐々に覚醒していくところでは、あえて明朝とゴシックを数行おきに混ぜて使いました(p184-p188)。

 これまでにも、いろいろな方から感想をいただいています。例えば、第二次世界大戦中の日本の子どもの日常は、山ほど読んできたけれど、海の向こうのアメリカの子どもが戦争をどう感じていたかは、ほとんど知らなかったとか。それから、「モンドリアンはもっと気難しく、複雑な人だと思っていた」と、画家さんに言われたこともありました。でも、正確なモンドリアン像を伝記のように描こうと、作家は意図したわけではありません。芸術や音楽、戦争とはなにか、ライナスにとって新しい視点を開いてくれる「だれか」として、その姿は描かれている。子どもの本として、このような書き方もありではないかと、私は受け止めています。家族や友人ひとりひとりの性格も、きちんと肉付けされている。迷いながら自分で考えを深め、自分なりの答えを見つけていくライナス。全体として、ライナスに象徴される「子ども時代」への応援歌になっている作品だと思っています。一方で、本来自由であるべき想像力が、戦争賛美の方向へコントロールされることもある。今も世界中で繰り返されている、そうした無言の圧力に、子どもがどう抗していくか、という物語にもなっています。

 それから、念のため作家に確認したところ、ライナスの一家はドイツ出身だそうです。「ミュラー」という名字が、本文にでてきます。お話のなかでは、何系の移民か、ということは大きな意味を持っていませんが。

レジーナ:装画がすごくすてきで、それに惹かれて読みました。とてもおもしろかったです。全体をとおして、空襲など、直接戦争の被害を受けない状況で、子どもが感じている不安がひしひしと伝わってきました。志願して戦争に行ったアプケが、目の前で人が死んでいくのを見るうちに、なんのために戦っているのかわからなくなるのも、戦争のリアルな現実を表しています。想像力についてのくだりは、私はそんなに理屈っぽいとは思いませんでした。「自由を奪われたら、人はかならず抵抗する」という台詞は現代にも通じます。困難な時代になにを信じ、たよりにするか、そういうとき、想像力や目に見えないものがどれだけ力になるか、そんなことを考えながら読みました。ブラジルの絵本作家のホジェル・メロさんが、「言論が弾圧された時代、ペンで権力に抵抗した人々が次々とどこかに連れていかれるのを見て、言葉がどれほど大きな力をもつか知った」と語っていたのを思いだします。ナチスがモンドリアンの絵を飾ることを禁じたと語る場面では、エリック・カールが、学生時代、美術の先生の家に遊びにいき、そのときナチスに禁じられた画家の絵をこっそり見せてもらって、それが自分の人生を決めたと言っていたのを思い出しました。

ネズミ:おもしろく読みました。最初は、戦争に行くお兄さんをかっこいいと思っていたライナスの戦争観がだんだんと変わっていき、お父さんやお母さん、そしてミスターオレンジと、それぞれの立場からの戦争の受けとめ方が見えていくところ、「ぼく」の描き方がよかったです。最初は、ミスタースーパーってなんだろうと思いましたが、ミスタースーパーがいるから、戦争の虚像と実像の対比があざやかになっていくのかなと思いました。ただ、読者を選ぶ本かなとは思います。最初と最後が1945年で、物語が展開するのは1943年。本を読みなれた子じゃないと、構成がすぐにはわからないかもしれませんね。

西山:共謀罪が成立しようとしていたとき、ちょうど95ページを読んでいたんです。「こうしたことは、長いプロセスなんだ。わたしが生まれるまえからはじまっていて、このあともずっと続いていく。もっともっと大勢の人の努力が必要で、そこがまさにすばらしいところなんだよ」と、ここが、あまりにも現実の政治状況と重なって、くさってる場合じゃないな、と、諭されたような気持ちになりました。全体に、今、この状況下で読むことで考えさせられる場面が多かったです。先ほど『あらしの前』『あらしのあと』(ドラ・ド ヨング著 吉野源三郎訳 岩波書店)の名前が出ていましたが、私もあの作品では、異年齢の子どもたちのそれぞれの感覚も好きな所の一つで、例えば、22ページ「アプケはいろんなことを子どもっぽいと感じないぐらい、大人なんだ」というちょっとしたところなどに、とてもおもしろさを感じました。みなさんがおっしゃっているように、勝った側のアメリカの戦争の子どものものの感じ方が新鮮でした。ミスタースーパーの両義性が、戦場へ人を送り込むのか、戦争に反対するのかどちらにはたらくのか、雑誌など、児童文化財の問題としても興味深いと思いました。(でも、この作品は「戦争に参加すること=正義」の側に立っていて、にわかに日本に置き換えられないなと、読書会を通して考えさせられました)ライナスの感性のするどさには、感心して読みました。部屋を見て、陽気な感じがする、と感じたり。「教わったばかりの、いままでとはちがう考え方を、ライナスは頭の中でごちゃまぜにしたくな」くて階段をゆっくり降りる(p97)とか、そういう細部を楽しみました。

ハル:とても良かったです。「ライナスはかけていく。水たまりをとびこえ、歩道のふちでバランスをとり……」という、リズミカルな冒頭の1行目から引きこまれました。爆撃を受けたり、防空壕に避難したりという実体験の戦争の恐ろしさを伝える物語とはまた違い、想像から始まる戦争の恐ろしさ、絶望も希望もうむ「想像力」のパワーを、物語を追いながらとてもわかりやすくイメージできました。この画家は誰だろうと思いながら、読み終わって改めてカバーを見たら「ああ~」とわかりますね。素敵な装丁です。そして、先ほどアンヌさんがおっしゃっていましたが、私も読後は「1945年3月」には、ニューヨークではもうほとんど戦争が終わっていたんだなぁと、何とも言えない切なさも覚えました。

マリンゴ: とても素敵な物語だと思いました。お母さんの反対を押し切って戦争へ行ったお兄ちゃんは、主人公にとってヒーローでした。でも、お兄ちゃんが向こうでつらい思いをしていると知り、主人公は戦争の現実を知ります。その流れがとてもよかったです。あと、描かれているのが「戦勝国」の考え方だなぁと思いました。p207の「アプケは未来を想像できたから、戦争に行ったんだ。想像したのはいい未来だよ」に象徴されるように、戦争は正義なのだと捉えているところが少し気になりました。戦争には勝つ国と負ける国があるわけなのですが……。日本の戦争児童文学とはまた違う心理描写で、興味深く読みました。それと、「訳者よりみなさんへ」の部分で、この本が作られた経緯について紹介されていて、とても驚きました。「モンドリアン展」のために作品を書いてほしいと依頼された作家が、このような作品に仕上げるとは。普通なら、もうちょっとモンドリアンに寄せて、主人公として書くと思うのですが、ここまで大胆に作り上げたことがすごいと思いました。

すあま:非常におもしろかった。お兄さんが戦地に行ってしまって、家でのライナスの役割が上になり、がんばって背伸びをしている。でも戦争をすべて理解しているわけではない。ライナスはミスターオレンジに出会うことで成長していく。ミスターオレンジがライナスを子ども扱いせずにきちんと語りかけ、ライナスの世界が広がっていく。私はミスターオレンジのモデルがモンドリアンだと気付かなかったので、あとがきを読んでびっくりしました。読み手は、モンドリアンという画家にも興味をもつのではないでしょうか。

アカシア:いい作品だと思って、私がかかわったブックリストでも推薦しています。オランダでのモンドリアン展に際して依頼されて書いた作品とのことですが、モンドリアンとの距離が絶妙なのもすばらしい。ライナスの感受性の強さを「においには名前がない」のを不思議と思ったりする描写であらわしているのも、いい。1945年3月の出来事が最初と最後にあって、つながっているのですね。ただ2回目に読んで、もし自分が編集者だったら相談したいなというところが少し出てきました。たとえばp5に「ポスターに書かれている住所は、西五三番地十一番地」とありますが、これはニューヨーク近代美術館(MOMA)の住所です。でも、オランダの子ども以上に日本の子どもには、それがわからない。そことつながっている最後の章は、ライナスがこの美術館にやって来たところから始まりますが、「ビル」と訳されているのでそれが美術館かどうか読者にはまだわかりません。日本の子どもだとビルと美術館は別物だと思う子も多いと思います。ようやくp238で「こんな立派な美術館」と出てくるのですが、おとなの本ならこれでもいいと思いますが、子どもにとってはイメージがうまくつながらなくて盛り上がれないようにも思います。「ビル」じゃなくて「建物」とするとか、最初の章で、ライナスがこの住所にこれから向かうことをもっとはっきり打ち出すとか、何か工夫があるとさらによくなると思いました。p5には「ライナス、中へお入り・・・」という言葉が太字になっていますが、後のほうを読まないと、これがモンドリアンのいつもの台詞だということがわからない。謎が1箇所に1つなら子どもはその謎を抱えて読み進めますが、いくつも謎があると、わけがわからなくなってくるのではないかと危惧します。p52の「ヨードチンキの小びんを、ぐるりとまわした」は、ひょっとすると小瓶で、ぐるりと周りをさした、ということ? ちょっとよくわかりませんでした。p183の「ウィンドウに飾られたもう何個かの青い星」は、前に星が2個と出てくるのですが、それが増えているということ? だとすると、なぜ増えているのかよくわかりません。p187の「だったら、わたしにひとつ、例を見せだまえ!」も、もう少しすっとわかる表現になるといいな。p204の「あいつはだいじょうぶなんだよ」も、戦地でひどい目にあっているのですから、「まだ生きているんだよ」くらいの方がよかったのでは?

 それからこれは、この作品に限ったことではないのですが、欧米の作品の多くは、戦争にはひどい部分がたくさんあるけれど、それでも正義の戦争は必要だというスタンスですよね。そこに、今回気づきました。この作品でも、お兄さんの友だちが戦死したり、お兄さんが「こんなはずじゃなかった」と思うなど戦争への疑問は書かれていますが、p197「戦争に勝つことは、未来のために戦う意味があるんだよ」p207「アプケは未来を想像できたから、戦争にいったんだ。想像したのはいい未来だよ。敵のいうなりにならなくちゃいけない未来じゃなくて、別のやつ。みんなが、自分のしたいことができる未来なんだ。だからこそ、アプケは戦いに行った。そのためには戦わなくちゃいけないって、わかってたんだ」などというところがあって、ああやっぱり、と思いました。

ネズミ:登場人物のせりふにそういう表現が出てきたとしても、それは時代を反映して描いているからかもしれないし、作者のスタンスはわからないんじゃないでしょうか。批判をこめて書いている可能性もあるし。

アカシア:著者を責めているのではなく、欧米の著者はそういう視点にどうしても立ってしまう。兵役がある国では当然そういう教育がなされるので、それが普通なのだと思います。

しじみ71個分(メール参加):モンドリアンを素材にして、戦時中のアメリカを描いていた点、とてもおもしろく思いました。未完の遺作になった「ヴィクトリー・ブギ=ウギ」の画像を確認してみて、物語の中でこの絵が非常によく表わされているなと思って感心しました。アメリカを、特にニューヨークを自由の象徴として描ており、自由をもとめてヨーロッパから逃げてきたモンドリアンと、自由を守るために戦地に旅立ったお兄さんとの対比がそのまま少年の葛藤になるあたり、おもしろく読めました。架空のヒーローが自分の心との対話にもなっていると思いますが、戦争賛美がまやかしであり、お兄さんが命を賭けていることに気づいた段で、ノートを縛って片づけるところが良かったと思います。兄弟が修理して靴を使いまわすところなど、「物がない」ということを具体的にイメージしやすく、生活臭があって良かったです。

エーデルワイス(メール参加):読みやすい訳ですね。心に響く言葉がたくさんありました。p99「未来にはだれもがみんなこんなふうに暮らせるはずなんだ」p197「自由を奪われたら人は必ず手行こうするものだ」などです。ピート・モンドリアンがとても重要な人物として登場しますが、あくまでライナス少年の成長を描いているのがいいですね。平田さんの挿絵もすてきです。モンドリアンをよく知らなかったので、図書館で大きな美術本を借りてカラーで印刷された作品を見ました。オランダでの初期の作品は風景画が中心で、具象から幾何学抽象への過渡期があり、新造形主義を確立していったようです。作品はニューヨークにもあるようですが、オランダに行く機会があったらハーグ市立美術館へ行って作品に会いたいです。

(2017年6月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

2017年7月 5日 (水)

『タイムボックス』

Photo_3 『タイムボックス』
の読書会記録



アンドリ・S.マグナソン 著
野沢佳織 訳
NHK出版 
2016.10




ネズミ:私は本当にファンタジーが苦手なので、最初に発言するのが申し訳ないです。時間を止めることがどういう結果をもたらすのかと、最初はおもしろく読みだしたのですが、途中でふたつの話の筋についていけなくなってしまい、最後はどうなってもいいという気分でした。シグルンは結局どうなったのでしょう。感想しか言えずごめんなさい。

西山:ふしぎな話ではある。けど、読書感想文を書きやすいと思っちゃいましたよ。テーマがはっきりしている。最後にバタバタと終わるのは、うーんとも思いますが、ま、そういう話かと。スペイン映画『ブランカニエべス(白雪)』を思いだしました。これ、グリムの『白雪姫』を下敷きにしているのですが(白雪が七人の小人と闘牛士になる!)、とんでもなくブラックで残酷(描写がグロテスクというのではなく、展開が皮肉で救いがない)で、この寓話に通じるものを感じました。

マリンゴ:書店に買いに行ったら、児童書コーナーではなくて、一般書コーナーにありました。読んだ感想は……すばらしいと思いました! 自分では、もし同じストーリーを思いついたとしても、書けない物語です。近未来の架空の設定から、過去の架空の設定に飛ぶ――なぜそんな、いびつな構造なのだろう、と思っていると最後に理由が明かされます。架空の設定がふたつあるのに、読み分けしやすいと思いました。過去のほうの物語を寓話風に描いて、描写を少なめにしているため、近未来とうまく差別化ができています。こういう書き分けのできる筆力がすごい、と感じました。

ルパン:なんだかグロテスクな描写が多くて辟易しました。あちこちに教訓めいたというか、思わせぶりなところがたくさん出てくるんですけど、何が言いたいのかさっぱりわからないし。そもそも最愛の妻を亡くした悲しみを世界征服で癒そうとするところから、すでにダメでしょ。可愛い赤ちゃんが生まれたというのに置き去りにして戦争しに行っちゃって。こんなに長い話の結末が、「時間には勝てない」という、子どもでもわかるあたりまえの結論だなんて。正直、どこがいいのかさっぱりわからない作品でした。あ、でも、挿画はすごくいいと思います。

サンザシ
:おもしろくは読んだんですが、謎の部分が残ったままになってしまいました。たとえば、なぜ子どもだけがタイムボックスの外に出られるのか? アノリは結局どういう経過を経て最後にまた登場するのか? そういうことは、わからずじまいです。作者は過去と近未来をつなげようとしているのでしょうが、両方ともあり得ない世界なので、今の子どもが自分と重ね合わせて読むことができるのでしょうか? タイムボックスのセールスマンは『モモ』の灰色の男みたいですが、この著者はそういう糸をいっぱいつなぎ合わせて物語を紡ぎ出しているのですね。原文はアイスランド語だそうですが、日本語版は英語版から訳されています。アイスランド語の翻訳者がいなかったということでしょうか。訳者は、著者が英語版にもちゃんと目を通しているからだいじょうぶだというようなことを書いておいでですが、重訳の問題は、書かれている内容に間違いがなければそれでいい、というものじゃないんですね。さっきの石牟礼さんの本じゃないけど、最初に書かれたものには言霊を感じさせるものがあったとしても、訳した段階でそれは減ってしまうので、本当はやっぱりオリジナル言語から訳したほうがいいのだと思います。それと、この作品はやっぱり長いですね。たとえばピーターとスカイラーのエピソードなどは、なくてもいいんじゃないかと思いました。

コアラ:読んだのは2回目でしたが、それでもよくわからなかったです。最初のページで「あの人、経済学者?」「そんなわけないでしょ。経済学者ならスーツを着ているはずよ」とあって、風刺だとは思うけれど、文章の端々にあるそういう表現のほうが気になって、ストーリーに入れませんでした。作者は口承文芸研究家ということで、後半に、口承文芸の昔話風の挿入話があって、「昔、あるところに王女がいました」で始まる話なんですが、そこはいわゆる昔話の型にのっとっていたので、そこだけは読みやすくておもしろかったです。あと、カバーの絵と本文中の挿し絵もかわいらしくてよかったです。

アンヌ:読むのがつらいファンタジーでした。この暗澹たる感じはフィリップ・プルマンの『黄金の羅針盤』(新潮社)から始まる「ライラの冒険」シリーズを読んだとき以来です。出てくる人々が少しも心を通わせない。最初の大前提で、王さまは戦争に動物を使ってはいけないと言われていたはずなのに、全然罰せられないで何十年も闘い続けられているのもおかしいと思いました。

サンザシ:いちばんすごい罰が下ってるんじゃないですか。

アンヌ:でも、その間におびただしい数の動物や人が死んでいきます。えせ魔術師たちの目的も能力も明らかにされないままです。エクセルがとても残酷に殺されていく意味も謎のまま。姫は空腹を感じるのに、なぜ人々が飢えないまま時間を超えられるのか、など説明されない設定が多すぎます。さらに、著者の「日本人読者へのメッセージ」と「訳者あとがき」が両方ともネットでしか読めないというのには驚きました。これは読者に対してあまりに不親切です。

メリーさん:皆さんの感想を聞きながら、いろいろな意見があるんだな…と。タイムトラベルものはいろいろありますが、時間を止める箱というのはおもしろいな、と思いました。しかも、自分の手で愛する人を傷つけてしまったけれど、タイムボックスのおかげで、とりあえずは死なせずにいられるという、その二律背反がユニーク。後半、グレイスの正体が明かされてびっくりしました。個人的には最後の場面「きっとまた会える!」というアノリの姫への手紙が一番好きです。

レジーナ 寓話のような作品なので、描写が残酷だとは思いませんでした。ジョン・ボインの『縞模様のパジャマの少年』(千葉茂樹訳 岩波書店)や、ソーニャ・ハートネットの作品など、戦争や現代のテーマを寓話のように描いた作品はほかにもありますが、寓話には寓話にふさわしい長さがあるので、これは長すぎるのでは……。オブシディアナが父親を恋しく思っていることが描かれていますが、現代の寓話だとすると、こうした感情描写はいらない気もします。グレイスがビデオ映像を見せるのが不自然だったり、急にオブシディアナ姫をまつりあげるようになった理由がわからなかったり、ファンタジーのつくりとして気になりました。p124で、なぜ奇跡が起きたのか、あるいは実際には起きていないのかもしれませんが、なぜみんながそう思いこんでしまったのか、アーチンの意図はなんだったのか、よくわかりませんでした。p196でオブシディアナ姫は目覚めますが、なぜこのタイミングで箱から出すことにしたのでしょう?

エーデルワイス(メール参加):アイスランドといえば、火山と温泉の国、トロルの国でもありますね。壮大なファンタジーといっていいと思いますが、著者が口承文芸の研究家で、自然保護活動家と知って納得しました。今に至るまでの歴史にみる人間の愚かさと希望、再生、永遠の愛がテーマですね。一気に読んでしまいましたが、お説教臭いのが残念でした。

しじみ71個分(メール参加):読んでびっくりしました。これは本当に子ども向けのお話として書かれたのかなと何度も思いましたが、最後まで読んで、やっぱりそうなんだと思いました。昔話と現代の話がパラレルに進んでいきますが、両方とも怖かったです。自分では絶対に手に取らない類の本だったので、好き嫌いはさておき、いろんな意味でおもしろく読みました。昔話のほうは、小人の首がはねられるところはグリム童話みたいに残酷だし、お姫様は愛されるあまりか、おとなの様々な邪な思い出虐待され誤解され恐れられ憎まれてしまいます。楽しいお話とはいえない。表現は、白雪姫や眠り姫やシンデレラやかぐや姫まで、あらゆるお姫様物語の典型が要所要所に盛り込まれているように思え、そのためお父さんがベッドで子どもに読み聞かせる物語のような印象を受けました。現代のお話の方は、明らかな政治・経済批判だと思って読みました。経済不況を理由に、人々、特に国会議員がすべてを無責任に放り出してタイムボックスから出てこないとか、遠方に苔むす銀行ビルが象徴的に出てくるところも、明らかに銀行・国際金融資本、グローバル経済批判を基調にしていると受け止めました。そういったものが、タイムボックスに人々が逃避したせいで崩壊し、自然が凌駕していくさまは、怖いように思いました。
 余談ですが、アイスランドは、サブプライムローン問題、リーマンショックで経済破綻に陥り、IMFの管理下になるところでしたが、政府の決定に大統領が拒否権を発動し、国民投票も行って介入を否決、イギリス・オランダからの借金を踏み倒し、アイスランドクローナの価値は暴落したものの、そのおかげで観光が増え、経済が持ち直しました。国民が政治にノーを突きつけ、腐敗した既存の政治勢力を否認し、市民活動を基盤として政治参加をしたと聞いています。
 子どもたちがタイムボックスを開けるために奮闘するのは、拝金主義の愚かなおとなにならないように、傍観主義や無責任に陥らないように、いろんなことに関わり合って楽しんで生きろ、という作者のメッセージのようにも思います。時間や老いの中で生きることを選び、最後に愛を獲得した姫と少年は、時間泥棒や拝金主義の大きな流れに抗う市民の力の象徴のようです。子どもたちの成長というよりは、人類全体がタイムボックスから出てこい、というほうが、テーマとして際だっているように思います。
 これも余談ですが、「アイスランド無血革命:鍋とフライパン革命」という映画をご覧になってみてください。Youtubeでも見られます。とてもおもしろいです。民主主義をどうやって作るのかがわかりますし、政治への市民参加、市民活動に希望が持ててくる映画です。この作品はこの映画ととても印象が似ています。
(2017年5月の「子どもの本で言いたい放題」より) 

『水はみどろの宮』

Photo_2 『水はみどろの宮』
の読書会記録


石牟礼道子 著
山福朱実 挿絵
福音館書店 
2016.03



マリンゴ: 描写がとても美しくて魅力的です。自然の生き物、植物が緻密に描かれていて、自然に対する畏敬の念が伝わってきます。ただ、石牟礼さんの本に物申すのは畏れ多いところもあるけれど、登場人物の気持ちの描き方が少なくて、感情移入しづらい部分もありました。たとえば、107ページの「お葉はそれから三日も帰らなかった」の部分。爺さまがどれだけ心配し、再会したときどれだけ喜んだか、というあたりは描かず、さらっと流しているところが気になりました。一方、非常に素敵な表現も多くて、特に111ページの「片目じゃの、片耳じゃの、ものの言えない者じゃの、どこか、人とはちがう見かけのものに遭うたら、神さまの位をもった人じゃと思え」が、とてもよかったです。

西山:最近、うまいなと思う作品の多くが、読者にレールの上を走らせるのが巧みで、伏線の仕込み方や、引っ張り方はうまいんだけど、少々どうなんだろうと思うところがありまして。この作品は、そういうタイプとまったく違いました。ひたすら文章に惹かれて、そこにたゆたう心地よさで、世界を受け入れながら読みました。とにかく、言葉がおいしい! 「気位の美しかものども」(14ページ)の気配が言葉として満ちている感じ。111ページの「片目じゃの、片耳じゃの、……神様の位をもった人じゃと思え」などなど、九州の方言(私は親戚のいる博多弁で響かせながら読んでましたが)のやわらかさとも相まって、本当によかった。猫もよかった。「どうなるの?」という「読まされ疲れ」みたいなものが最近あるので。こういう作品を読めるキャパが育つということも、とても大切だと思います。この先もときどきひたりたくなる世界だなと思いました。

ネズミ:文章が濃い物語だと思いました。パソコンではなく、手書きで書かれた感じ、言葉のひとつひとつが作者の体から出てきているように思いました。こういった自然を実際に体験して、五感で書いている感じ。ただ、物語は起承転結が見えてこないので戸惑いました。爺さまと暮らすお葉がごんの守と出会って、そのあとどうかなるのかと思ったらそうでもなくて。それに「水はみどろの宮」と「花扇の祀」は、別々の話なのか、ひとつの物語なのかも、よくわかりませんでした。

コアラ:第一部(「水はみどろの宮」)と第二部(「花扇の祀」)は、単行本では続いていますね。

レジーナ:五感に訴えかける描写が多く、体で書いている作品ですね。長谷川摂子さんの『人形の旅立ち』(福音館書店)を思い出しました。石牟礼さんがテーマにしてきた水俣についての言及もありましたが、自然の中でつつましく生きるあり方が描かれていて、人は自然の中で生かされているのだと全編を通して伝わってきます。恐竜まで出てきたときは驚きましたが、人間が地球に暮らしているのは、途方もなく長い歴史のわずかな時間にすぎないのだということでしょうか。少女の視点で書いていたのが、第二部では猫の視点になり、時間も前後するので、読者を選ぶ本です。

メリーさん:石牟礼道子さんがこういう話を書いていたことは知りませんでした。とてもよかったです。この本を子どもにそのままどうぞ、というのはちょっとむずかしいかなと思いますが、何とかして読んでほしいなと思います。たとえば語り聞かせるのはどうでしょう? 方言を多用した歌のような文体がすごくいいし、オビのコピーに「音符のない楽譜」とあるように、やわらかなトーンが物語の世界に読者を誘う気がします。これというストーリーはないのだけれど、日常のすぐ隣にあるもうひとつの世界に、知らぬ間に入り込んでいく心地。それでも、お葉とごんの守の間には、明確な境界線があって。生活と幻想のあわいの部分が何ともいえずよかったです。

よもぎ:言葉の力を感じさせる作品でした。たしかに、お葉と千松爺の話は、ストーリーがはっきりしないから子どもたちには読みにくいかもしれないけれど、音読してもらったら、好きになる子もいるんじゃないかな。わたし自身も、子どものときにわけがわからないまま暗誦した詩や古文が、ときどき、ふっと蘇ってくることがあります。ぜひ、子どもたちに手渡して、日本語の美しさを味わってもらいたいと思いました。マリンゴさんがおっしゃった111ページのお爺の言葉、わたしもいいなあ!と思いました。この2行だけでも、読んだ子どもの心に残るといいなと……。後半の、猫のおノンの話は、物語もしっかりつながっていて読みやすく、胸を打たれる話でした。地の文だけではなく、会話がとてもおもしろい。猫も、狐も、恐竜も、それぞれキャラクターにあった言葉遣いをしていて、いばっていたり、かしこまったりしていても、どこか間が抜けているところなど、宮沢賢治の『どんぐりと山猫』を思いだしました。先月の読書会で話題になったオノマトペも、例えば子猫が「ふっくふっくと息をしている」とか瞳孔が「とろとろ、とろとろ糸のように細く閉じていく」とか、昔からある言葉なのに、ここにはこのオノマトペしかないと感じさせる使い方をしている。このごろよく見る「ぶんぶんと首を横に振った」とか、「ふるふるとうなずいた」というような表現より、ずっと新鮮でした。本当に、読めてよかったです。

アンヌ: 久々に、小説を読んだなと思いました。日本のどこかにあるかもしれない、あったかもしれない場所が、実に見事に作られていて、映画でも観ているかのように見入っているうちに、気が付いたらファンタジーの物語の中にいたという感じでした。読んでいて心地よく、すごくほっとしました。言葉でこの世や自然、自分の体の中に流れているものを見つけて書いていっているという感じがします。最初の何章かだけでも子どもたちが読んで、この不思議な世界を感じてほしいと思います。後半猫が主人公になり、鯰が口をきき始めてからは実に奔放な物語になっていき、それもとてもおもしろく読みました。著者も亡くなった飼い猫を再創造できて楽しかったんじゃないかと思いました。

コアラ:文学にひたった感じです。最初の一行で、文学の香りがどっとおしよせてきて「これは違うぞ」と思いました。「他とは違う」でもあり「今読む気分じゃない」でもあったのですが、気持ちを整えてから読むと、けっこうさらさらと読めました。方言が出てくる作品は読みにくいなと思うことが多かったのですが、これは読みやすかったです。お葉と千松爺の会話がとてもいいと思いました。お葉はよく「ふーん」と言うんですが、お葉の感じが出ていると思います。千松爺がお葉を大切にしていることも、いろいろなところから伝わってきました。「花扇の祀」のおノンと恐竜のところで、ちょっとついていけない感じがありましたが、これは、掲載していた雑誌が出なくなって、物語の筋から自由になってというか、自由に想像をめぐらせたのではと思いました。全体としてユーモアもあるし、比喩もいい。例えば57ページの「雨蛙の子が木にはりつくようにして」というのは本当に目に浮かぶようでおもしろいと思います。メリーさんがおっしゃっていたように、語りでもしないと、子どもにはとっかかりがないかもしれないけれど、ぜひ読んでほしいと思います。

サンザシ:私もたいへんおもしろかったです。自然と人間が共存していて、不思議なものや畏怖するものがたくさんあったころの、生きることの有りようを描き出していると思いました。この文体も、その内容と深くかかわっていますね。今は、どこもかしこも偽の明るさに彩られて、そういう不思議なものが消えてしまいました。最近の物語は、場面展開を早くしたり、人目をひくアイテムを出してきたりすれば読者を獲得できると思われているようですが、この作品にはそういうのとはまったく違う、言葉そのものの力があります。言霊がひびいているような物語だと思いました。その力を少しでも感じ取れる子どもなら、この作品に入っていけると思います。
「花扇の祀」のほうが、時間が行ったり来たりするので難しいかもしれません。冒頭におノンが恐竜たちと遊ぶ場面がありますが、著者が楽しんで書いたことはわかっても、何もここで恐竜を出して子どもにサービスしなくても、と思ってしまいました。

西山:p241に、「六十年ばかり前、海に毒を入れた者がおって、魚も猫も人間も、うんと死んだことがある」とあります。p114では地の文で、「いまではアロエというが」なんて書いてある。作品の時間なんておかまいなしに書いていらっしゃって、そういうこともおおらかに受け止めればいいのかなと。

サンザシ:時間があっちへ行ったりこっちへ行ったりするんですね。

よもぎ:九州の言葉の力強さを感じました。

西山:動物でひっぱれられて、結構子どもも読めるんじゃないかと思います。犬、狐、猫。たとえば14ページなど、山犬らんのしぐさが目に浮かびます。しぐさとか声とか、全編に生き物が目に浮かぶように出てくるので、子どもに難しいというわけではないのではないかと思います。音読したら、結構入り込むんじゃないかな。子どもが小さかったら、試してみたかったと思うくらいです。

エーデルワイス(メール参加):美しい文章でした。ただ、意図的なのでしょうが、内容の進行が散漫なのが残念でした。盛岡の図書館にあったのは平凡社版でした。福音館版とは挿絵が違うので、印象も違うかもしれません。

しじみ71個分(メール参加):言葉の力を存分に味わうことができました。あまりに言葉が美しすぎて、我知らず泣いていました。言葉が色鮮やかに、人、動物、虫、木、花、風、水、音を描き、頭の中に世界が浮かびました。方言もたくさんあり、読んで難しいのかなと一瞬思ったのですが、とんでもなく視覚的な物語で、あっという間に読み終わってしまいました。お葉が山犬のらんとともに白藤を見に行ったところで、白い蝶がひらひらと舞うに至っては、心がふるえて、もう涙がぽろぽろ出ました。非常に静かな表現なのに、とても強く、深く染みいります。ごんの守とお葉の歌の掛け合いのところなどは、まるで能か狂言のようで、どのように立って言葉を交わしているのかが、まざまざと目に浮かびました。猫のおノンと白い子猫の話も素晴らしかったです! 時空を超えて、すべての行きとし生けるものが自然の中で命を循環させるその切なさ、強さ、美しさを心底から理解できる作品だと思います。子どもたちにとっては、方言がとっつきにくいでしょうか? 子どもの感想を聞いてみたいです。

(2017年6月の「子どもの本で言いたい放題」より)

『チポロ』

Photo 『チポロ』
の読書会記録

菅野雪虫 著
講談社
2015.11






コアラ
:おもしろかったです。読みながら、矛盾に気がついたり、この伏線はこうなるのかなと思ったのにそうならなかったりして、あまり計算されていない物語なのかな、と思いました。でも終盤に一気に迫力が増して、チポロのせりふの「人間なめんなよ」と魔物ヤイレスーホの「魔物をなめるなよ」、このふたつは結構気に入りました。このあたりから、細かいところはどうでもいいと思えるおもしろさでした。チポロの母親がどうして死んだのかということについてずっと説明がなくて気になっていたのですが、最後のところでいろいろ説明がつけられていましたね。p252の「(人間に)なにか与えたいと願うならば、おまえの命と引き換えだ」というところから察しがつきました。そして、柳の木になって、柳の葉を人間の糧となる魚にしたというところで、そうだったのか、と。本の扉の絵も柳で、愛を感じる扉だなと思いました。ほかにもすごくいいなと思う場面はp250。相手を殺すのが嫌で「ほかに方法があるんじゃないか」と言ったり、「なぜ、死をもって償わせようとしないのだ」と問われてチポロとイレシュが(なんでだろう?)(なんでかな?)と顔を見合わせたり。戦いのさなかにあって「殺すのが嫌だ」と立ち止まって考えるのはすごくいいと思いました。ただ、伏線についていえば、p74。チポロがシカマ・カムイの家来になると決心して、そのあと右手がだめになったときのために利き腕でない左手で弓を射る練習する場面。このあときっとシカマ・カムイの家来になって、右手がだめになるというピンチが来るけれど、練習の成果で左手を使って切り抜ける、という展開になるだろう、と期待したのに、家来にもならなくて…。シカマ・カムイはなぜかp223でいきなり再登場してくるし、右手がダメになるピンチはチポロでなく、なぜかレプニにふりかかる。せっかく期待させたのだから、もう少しうまく展開してほしかったと残念でした。魂送りの矢についても、体を鍛えただけで射ることができるようになってしまって、もうちょっと何か特別なことを絡めてほしかったです。でも読後感はよかったです。ちなみに「チポロ」とはアイヌ語でイクラのことだそうです。
 
アンヌ:おもしろくて本当に読んでよかったと思える本でした。アイヌ文学で忘れられないのは知里幸恵編・訳『アイヌ神謡集 』(岩波文庫)ですが、あのふくろうの神様と同じように、物語は鶴が貧しい子どもであるチポロの矢に打たれるところから始まります。この自ら撃たれた鳥が神としてその家を富ませるという不思議な物語を、殺された鶴が神として儀式を求め、それからあの世に旅立っていくというふうに書いています。アイヌのアニミズムを、すべての生き物に宿る神様と人間との関係として実にうまく描いていると思いました。イレシュがさらわれ、手に触れるものが凍ってしまう魔法をかけられるというところは、アンデルセン著『雪の女王』を思い浮かべました。家族がアイヌの物語について調べたことがあって、巻末にあげている資料が家にあり、これを機会に山本多助著『カムイ・ユーカラ』(平凡社)なども読んでみました。ミソサザイの神様や怪鳥フリューのユーカラがあり、優しい姫神様の名前がイレシュだったりして、この物語をさらに奥深く楽しめました。この作品を読んだ後、私のようにアイヌの世界に興味を持って、独自のアニミズム的世界観を知ってほしいと思います。子どもたちが、世界の人々が様々な自然観を持っていることや、一神教の宗教だけが宗教のあり方ではないと知ることは重要だと思うからです。

よもぎ:わたしも、『雪の女王』を思いだしながら、最後までおもしろく読みました。アイヌの神話が巧みに取りいれられていて、興味深かったです。子どものころ、知里幸恵さんの伝記と、神謡集のなかのお話を子ども向けに書いた物語を読んで、とても感動したのを思いだしました。ただ、どこまでが神話から採ったものか、どこが作者の創作なのか、あとがきかなにかでもう少し詳しく書いてくださるとよかったかな。読者も、もっと知りたい、読みたいと思うでしょうし。けっこう難しい単語を使っていますが、敬体で、易しい語り口で書いてあるので、けっこう年齢の低い子どもたちも、おもしろく読めるのではないかと思いました。ミソサザイの神が、かわいい!
 
メリーさん:下敷きになっている物語がいくつかあると思うのですが、読ませるなあと思いました。これは男の子が女の子を探しにいくので『雪の女王』の逆パターンですね。それにしても、この限られた分量の中で、紋切型ではない人間が書かれているのがすごい。どんな人にも善と悪、ふたつの面があることが描かれているので、物語に深みが出ていると感じました。自分を傷つけようとする相手にも思いをめぐらせて後悔するイレシュや、強さと弱さの両方を持つチポロ。どちらかというと、やさしいけれど強い、イレシュに感情移入して読みました。チポロはちょっとかっこよすぎるかな? ミソサザイの神様など、サブキャラクターたちはかわいくて好きです。
 
レジーナ:『天山の巫女ソニン』(講談社)の舞台は韓国風の異世界でしたが、今回はアイヌの伝説を下敷きにしていて、どちらもおもしろく読みました。チポロがかっこよすぎるという話が出ましたが、神話の主人公だと考えれば、それでいいのではないでしょうか。敬体で書かれているので、戦いの場面は少しまどろっこしく感じました。盛り上がっているときにテンポが落ちるようで……。p78「魔物の手からはにゅーっと黒い粘り気のある汁のようなものが伸びています」や、p248「わーっ!」はラノベっぽい表現で、p82「黒いコウモリのような魔物は地面に落ちると、砂が崩れるように散ってゆきます。そしてそれは何百何千という黒い虫になって、飛び去っていきました」も非常にわかりやすいのですが、漫画っぽい描写で、少し気になりました。ヤイレスーホはなぜ人間になりたかったのでしょう?
 
ネズミ:成長物語としておもしろく読みました。主人公が10歳で、小学校中学年くらいからが対象だと思うので、意識的に敬体で書いたのだろうと思います。こういうやわらかな語り口もいいなと私は思って、それほどひっかかりませんでした。弓がじょうずになっていくところ、おばあさんのありがたさ、自然を大事にすることなどがいいですね。ところどころに印象深い表現もありました。p262の「人間の『弱さ』を助長させる『甘さ』だとオキクルミは思いました」とか。ただ、戦いの場面で鳥が助けにくるところはやや唐突な感じがしたし、p211でイレシュが「出来心よ」というのは、12歳くらいの女の子としてはどうかと思いましたが。
西山:おもしろく読みました。でも、なんとなく、全体にちぐはぐした感じ。「ソニン」シリーズは、文体に感心したんです。上橋菜穂子的世界でもあるのだけれど、それがこんなに易しい文体で書かれているということに驚いた。結構あれこれ入り組んでいる世界なのに、ものすごくなめらかに伝わってくる「前巻のあらすじ」にとにかく驚いた印象を強く持っています。だから、この作者の敬体自体に私は、批判的どころか好感を持っているのですが、今回の敬体はアニメ的に感じてしまう瞬間がそこここにあった気がして、そういう感触はソニンにはなかった気がしています。「人間なめんな」とか、おもしろいんですけど、どうもでこぼこして感じる。読み直して比べたわけではなくて、印象の記憶だけで言ってます。アイヌの世界を下敷きにしたファンタジーとしては、たつみや章の『月神』シリーズを思い出しながら読んだのですが、あちらは神への祈りとか、ものすごく厳かで、ゆるがせにできない感じがあったのに、こちらでは、チポロが「空腹のあまり、〈魂送り〉の儀式を忘れてい」(p124)て注意されたりして、なんか、軽い。自分の中にエキゾチズムっぽいアイヌ文化ロマンみたいなのが前提としてあったから軽薄に思ったのか…。切なく放り出されたままの感じのヤイレスーホは、私は続編への伏線かしらと思っています。
 
マリンゴ:おもしろく、勢いよく一気に読みました。半年くらい前に読了して今回再読できなかったので、少し記憶が遠いのですが、会話がちょっと軽い気がしたことを覚えています。ラノベ感、と言いますか……。読んだのと同じ時期に、友人に『ゴールデンカムイ』(野田サトル作 集英社)という漫画を勧められ、これがとても重厚な描写で重いので、『チポロ』がちょっとライトな気はしました。テーマがテーマだけに、重厚感を期待する人もいるのではないかな、と。あと、終盤はこれでもかこれでもか、と戦いがあって、途中で、文章を読む速度に想像力が追いつかなくなりそうだったことを覚えています。
 
サンザシ:物語はおもしろかったんですけど、どの程度アイヌの伝承に基づいているのか、わかりませんでした。オキクルミやシカマ・カムイといった名前は聞いたことがありますが、伝承に基づいたキャラ作りをしているのでしょうか? 魔物との戦いは勇壮ですが、どれくらい伝承に基づいているのでしょうか? そのあたりを知りたいと思いました。引っかかったのは、チポロの言葉が妙に現代風で、神様に対してもタメ口だったりするところ。想像の世界から急にリアルな現代に引き戻されるような気がしたんですね。オキクルミの妹とイレシュのイメージがダブるように作られているのはおもしろいですね。
 
レジーナ:オーストラリアのパトリシア・ライトソンも、先住民の伝承に基づいた物語を書いたとき、批判されたのを思い出します。
 
アンヌ:でも、アイヌの人たちは、書いてもらって広く知られればうれしいと思うのでは? そういう声も聞いたことがあります。
 
サンザシ:ライトソンも先住民を抑圧する側の白人だったので、批判的な意見が出たんですね。だとすると、同じようにアイヌの人たちから言語や文化を奪った側の日本人としては、勝手に解釈したりねじ曲げたりするのは許されないということになります。菅野さんは勝手にねじ曲げてはいないと思いますが、そういう意味では、アイヌ文化とどう向き合ったかという後書きを書いてほしかったな。
 
ネズミ:さっき言い忘れましたが、ヤイレスーホを殺せばイレシュの呪いがとけるとわかっているのに、殺さない方法を探すというところは、大きなテーマを投げかけていると思いました。敵を殺せばいいというのではないのは。
 
ルパン:今回読んだ3冊のなかでは一番わかりやすくて、おもしろく読みました。ただ、「ですます調」が気になるんですよね。語尾は、敬体より常体のほうがスピード感があっていいのではないかと思いました。

エーデルワイス(メール参加):アイヌの神話を題材にしたのが新鮮ですが、なんだか軽い。高橋克彦原作の「アテルイ」をNHKドラマで見たような印象でした。

しじみ71個分(メール参加):アイヌの物語をなぜ菅野さんが書かれたのか、そこにまず興味を持ちました。自然とともに生きるアイヌの人々が自然や命への謙虚さや感謝を忘れ、神から見放されてしまった時代に、頼りなかった少年が魔物にさらわれた女の子を救い出すために強くなっていく、という筋書きは、素直におもしろく読めました。アイヌ文化のモチーフそのものにとても魅力があるので、それが物語をさらにおもしろくしているのだと思います。ところどころ台詞が現代風で、ふっと我に返ることもあったのですが、それ以外は楽しく読みました。少年が神の血を引くとわかると、なんだやっぱり普通の弱い子じゃないじゃん、と残念にも思ったのですが、旅をして、戦って、達成して、帰還するという成長物語はわかりやすくていいなと思いました。ヘビの化身の少年がちょっと哀れでしたが、敵役なので仕方ないのかもしれません。

(2017年5月の「子どもの本で言いたい放題」より)

 

2017年6月18日 (日)

『ぼくたちのリアル』

Photo_3 『ぼくたちのリアル』
の読書会記録



戸森しるこ 著

講談社

2016.07
*課題図書



げた
:現実として、リアルのような、ここまでいいやつがいるかなってところはありますけれどね。完璧じゃないから、またそこがいい、こんな子がいるクラスだったらいいなっていうふうに思いました。先生もすごくクラス運営やりやすいんだろうなって。今でも現実にいじめって一定数あるんですよね。こういう子がいてくれたら、いじめもなくなるのにね。それとサジくんって、前の学校ではいじめられたけど、けっこう行動力があって、頼もしい感じがしました。リアルのお母さんを笑わせようと漫才のDVDを持っていくなんて、ちょっと想像を超えてますよね。リアルとアスカとサジの3人トリオ、すごくいい感じですね。

アンヌ:とても繊細に書かれていると小説だと思いましたが、それだけに息が詰まるようで読み返せませんでした。リアルが背負わされているものが大きすぎて、弟の死だけではなく母の病とか。アルトの様ないじめが趣味みたいな人間が出てきても、兄としての責任の問題に話が流れていくところとか、つらさが先立ちました。

コアラ:友情だけでなくて、恋と失恋の話にもなっていておもしろかったです。他人のことを思いやったり行動を理解したりして、繊細だし、無意識にやっていると気づかないことだと思うんですけれど、自覚的に友達同士でも配慮しあっているんだなと思いました。タイトルもおもしろいと思いましたが、装丁がちょっと地味かなという気がしました。

ハル:とてもよかったです。同性愛者の男の子が登場しますが、そうなるとこういうお話はだいたいそこに集中しがちで、道徳的にもなりがちだと思っていました。でも、戸森さんの場合は、そこは話のひとつで、道徳的にもならず、読書のおもしろさが存分に味わえる。夢中で読めて、読み終わってからもいろいろ思い返して心や頭で想像したり、考えたりできる。課題図書(第63回青少年読書感想文全国コンクール・小学高学年課題図書)に選ばれたのも納得の、いい本だと思います。

よもぎ:とてもおもしろかった! 会話といい、一人称で書いている地の文といい、こんなに上手い作者が出てきたんだと感動しました。特に、サジの書き方がいいですね。ちっともめそめそしていなくて。こういう書き方だったら、いろんな子がいて、どの子もみんな普通の存在なんだと読者の子どもたちも感じるのではと思いました。p201のサジのせりふ、「うそばっかり」なんて、いいですよね! あえて難をいえば、あまりにも上手くて、すっきりまとまりすぎているところかな。こういう言い方をすると叱られるかもしれませんが、女の人の書き方だなあと感じてしまいました。作者が自分の体験から書いた『ジョージと秘密のメリッサ』は、もっと激しい、胸に突きささるようなところがありましたけれど。

ネズミ:「ワケあり」のさまざまな事情をかかえながら生きていく子どもたちに共感しながら、ぐいぐい読まされる作品でした。おもしろかったです。p147に「いいたいことをいえばすっきりするから我慢するななんて、おとなはたまにそんなことをいうけど、そういうのってちょっと無責任だ。すっきりするだけじゃすまないってことを、ぼくたちはけっこうちゃんと知っている」という文章がありますが、子ども社会のたいへんさに作者がよりそっていて、もがきながら出口をさがしていく子どもたちを応援しているのが伝わってきました。

サンザシ:主人公のリアルは、あえてリアリティからちょっと離れたスーパーボーイにしているのだと思ったので、私はあまり気になりませんでした。とてもいいな、と思ったのは、サジが同性愛者だということが嫌な感じなしに書かれているところです。サジはそこだけではなく別の面もちゃんと描かれているので、一人の人間として浮かび上がってくる。またそのサジの思いを大事にしようとする渡の視点もいいな、と思いました。同性愛者とどう付き合っていいのかわからない子どももたくさんいるので、こういう作品が出るのは評価したいです。またこの作家は、文章にリズムやうねりがあって、会話のテンポもいい。これからが楽しみです。

ルパン:文句なくおもしろく読みました。いちばん良かったのはp201「だって、ふたりで外国にいけるほどおとなになるまで、ぼくとリアルは友だちでいられるだろうか。これだけははっきりわかるけど、五年になってぼくとリアルがなんとなく仲がいいかんじになれたのは、サジがいてくれたからだ。」というところです。地味キャラの「ぼく」の気もちがほんとうに“リアルに”伝わってきました。

マリンゴ:この本は、昨年刊行されて間もなく読みました。文章がとてもうまい。そして、リアルくんにしろ、サジくんにしろ、華やいだキャラクターなのが、他の児童文学と大きく違う点だと思います。一般的に日本の児童書に出てくる登場人物って、素朴なイメージの子が中心で、こういうふうに、オーラを持つ子が描かれているのは珍しいですよね。同世代の小学生の読者が憧れるような魅力的なキャラで、惹きつけられて読めそうだな、と。戸森さんのブログなどによれば、LGBTはこだわりのあるテーマだそうで、今後も書き続けたいようです。2作目の『11月のマーブル』(講談社)も読んで、わたしは『ぼくたちのリアル』のほうが好きでしたが、1作1作がほかの作品にない独特な雰囲気をまとっていて、これからも新作が楽しみです。

りんご:最初のリアルの描写にすごくひかれました。リアル、完璧すぎるんじゃないかとも思いましたが、嫌味じゃないし、こんな男の子いたらいいな、と素直に思います。3人の男の子たちも愛情深く描かれていて、しかもお父さん、お母さん、学校の先生もリアルに描かれているところが好きです。カバーに使われている紫色は、お話のなかで大事なモチーフになっているラピスラズリの色だそうです。

西山:私は『11月のマーブル』と続けざまに読んで、正直に言うと、初読のときは印象がよくなかったんです。2作の印象があっという間に混濁しちゃって。再読したら、ここ好きっていうところをあげていくと、驚くほどいっぱい出てくるんです。目に付いた一例を挙げるとp45「友だちの数が多いやつは、たいていベルマークを集めるのがうまい」とか、こういうのすごくおもしろいと思う。冒頭は、後藤竜二の『大地は天使でいっぱいだ』(講談社)を思い出しました。文章が生き生きしてる。うまい。でも、後藤竜二始め、先にたくさんいるし、こういうヒーローを出すのはとてもいいなと思ってるんですけれど、石川宏千花さんの『UFOはまだこない』(講談社)の彼がいたよなと思ったり。では、どういう点が新しいのかと考えると、トランスジェンダーの子どもを意識的にテーマとして取り込んでいる点かだろうけれど、2作の印象が混じってしまったのも、まさにその点が原因だと思うので、あまり手放しで賞賛できない感じです。お母さんの問題、リアルの問題、こんな重たいものを背負わせなくてもと、物語が過剰な感じもして、もっとものすごく日常のリアルたちを読みたいと思いました。作者が描きたいと思っている、目を向けている問題を入れることが過剰で、止めた方がいいと思うのではなくて、それらがもっと普通にさらりと書かれたのが読みたいという勝手な感想です。

サンザシ:さっき『川床にえくぼが三つ』(にしがきようこ著 小学館)を読んだとき「ふるふると首をふる」という表現はいかがなものか、という意見が出ていましたが、この作品にもp80に同じ表現が出てきます。はやりなのでしょうか?

よもぎ:いま、マンガやアニメに使われているオノマトペが、文学作品でもよく使われるようになってきてますよね。いいのか悪いのか、それともしかたがないのか分からないけれど、わたしとしては児童文学作品には昔からの美しい言葉を使ってもらいたいという気がしています。児童文学って、そういう言葉を次の世代に伝えていく船のようなものだと常々思っているから。その反面、作者独自のオノマトペを創造してほしいとも思うんですよね。

エーデルワイス(メール参加):よくあるテーマですが、構成がしっかりしていて、ぐいぐい読めました。同性を好きになる川上サジの内面はどうだったのか、深くは踏み込まないで、爽やかに終わっていますね。日本には昔からマンガにBL(ボーイズ・ラブ)の分類がありますが、やっぱりマンガのほうが進んでいる気がします。登場人物の名前が魅力的で、璃在の璃はラビスラズリでお母さんのるり子にたどりつくところとか、サジはスプーンで広い心をもってすくい取るだとか、最後に意味が明かされるところが憎いと思いました。

(2017年4月の「子どもの本で言いたい放題」より)

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