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子どもの本で言いたい放題

2017年12月14日 (木)

『僕には世界がふたつある』

Bo 『僕には世界がふたつある』
の読書会記録


ニール・シャスタマン 著
西田佳子&金原瑞人 訳
集英社 2017

原書:CHALLENGER DEEP by Neal Shusterman, 2015


ハリネズミ:読み始めたはいいのですが、どこまでいっても読みにくくて、どうしようかと思いました。病を持った人が見ている世界が描かれているんだと思いますが、苦しいんだろうなあとは思っても、長い作品なのでえんえんと不可解だったりして、楽しい部分がない。それに原書はYAですが、日本語版は大人向けに出ていますね。よほど本好きな子でないと読むのが難しいのではないでしょうか。それにこれを読んだから、統合失調症のことがすべてわかるわけでもないし。物語ではなくレインの『引き裂かれた自己』(ちくま学芸文庫)を読んだほうがまだわかる。こういう本は、だれが読むのかな?と、思ってしまいました。

ネズミ:読むのがつらい物語でした。正直、途中ななめ読みした部分もありました。こういう世界がある、ということを知らせるという意義は感じますが、多くの読者の共感を呼ぶのは難しいだろうと思いました。言葉遊びの部分は、日本語だと音も意味もつながらずおもしろくありませんが、原文だとおもしろいのかな。

西山:いやぁ・・・・・めくりはしました。でも、船の世界の方はほんとに、斜め読みで、一応めくっただけです。この作品が、だれかの救いになるのかなぁ。不安定な精神状態で読んだら、病を深くしないかしらと思ったり・・・・・・。うーん、しんどかったとしか言えません。

レジーナ:数年前、3分の2くらいまでは原書で読んだのですが、それも読みにくかったです。いろんなテーマの本があって、いろんな子どもが生きやすくなるといいな、とは思いますけど。看板など目に映るものが、そんなことあるわけないのに、なにか重要なメッセージを送っているように思えて、その指示に従わざるをえなくなるなど、主人公の心の描写にはリアリティがあります。でも、心を病んだ人の目から見た世界を、そうでない人が入っていけるように描くのは、なかなか難しいですね。夜の病室で、キャリーと僕が抱きあう場面がありますが、そんなことは本当にできるものなんでしょうか。

西山:『レイン~雨を抱きしめて』(アン・M・マーティン作 西本かおる訳 小峰書店)は、主人公の女の子のことがいとしくなったけど、これが子どもに読まれても異様なものとしか思われないんじゃないかと思ってしまった。

レジーナ:『レイン』は、1章まるごと同音異義語について書いてあるのを日本語版では省いたり、パニックをおこした主人公が同音異義語をさけぶ場面ではそれを数字に変えたり、訳も編集も工夫しています。

よもぎ:たしかに妄想の場面などわかりにくいのは当たり前だと思うのですが、間に挟まれている現実の場面とのギャップが痛ましくて、最後まで突きはなさずに、きちんと読まなければという気持ちになりました。仲の良い友だちと一緒にやっていたことができなくなる、友だちが後ずさりして自分の家のドアから出て行く……本当に深淵に突きおとされたような気持ちになるのではと思いました。古い作品ですが、乙骨淑子作『十三歳の夏』の15章に、主人公の13歳の利恵がたまたま精神疾患のある青年と電車で乗りあわせる場面があるんです。怯えたように大声で泣く青年を、隣にいる年老いた母親がおだやかな口調でなだめている。青年が泣いている理由など、ほかの人たちには理解できないものなのでしょうが、母親はその悲しみに寄りそっている。その母親の姿に、主人公は心を打たれるのです。作者が亡くなったあとのことですが、知的障害の娘さんを持つ方が、この箇所を読んだことで乙骨淑子の大ファンになったと聞いたことがあります。ニール・シャスタマンも、乙骨淑子と同じ姿勢で精神疾患のある息子や、おなじ病を持つ若い人たちに向かいあっているのではと思いました。最後に船長から船に乗れといわれた主人公が「もう乗らない」とか「絶対にいやだ」ではなく、「今日は行かない」といったところがリアルで、なかなか良かった!

アンヌ:半分くらい読んで、これはファンタジーではなくて悪夢だぞと気づき読めなくなりました。統合失調症について知らないからだろうと思って、精神科医の著作等を読み、改めて読み進めたのですが、現実世界と著者が深淵と呼んでいる別世界との関連がわかりませんでした。病院での主人公の行動も、例えばなぜ薬を飲まなかったのか等も、医者側からのアプローチが書かれていないので読み解くことができないままでした。読んでよかったと思えるのは、精神の病というものを普通の病気と同じように見ていく視点が与えられたことです。

西山:よかったところもありましたよ。「98あったはずの未来」の「こうなれたかもしれないのに」のほうが「こうなるはずだったのに」よりずっといいから。死んだ子どもは偶像化されるけど、精神を病んだ子どもはカーペットの下に隠される」(p194)、これは胸に刺さりました。

ルパン:何がどうなっているのか、わからないまま読みました。精神を病んでいる人にとってはこう見えるのか、ということがおぼろげながらわかったような気がしますが…。今回の課題でなかったらきっとすぐに投げ出していたと思うのですが、がんばって最後まで読んだら、空色のパズルピースの場面がぐっときました。精神を病んだ人の気持ちを知るにはいいのかもしれないけど、これは児童書なのか、考えるとかなり議論の余地があるかと思います。子どもに読ませたいかと聞かれたらノーです。そもそも、どこの、なんの話か、イメージがまったくわかない。「カラスの巣」というのがマストの上のバーの名前であることなど、しばらく読まないとわからないし、空間としての理不尽さも、スヌーピーの家のようなワクワク感がなく、ただ理解不能のフラストレーションがたまるだけ。船も白いキッチンもそれがどういう場所であって何を表しているのか最後までわからない。

 

 ただ、最後まで読むと、精神疾患の人に世界がどう見えているか、そして現実の友人には精神を病んだ友達がどう見えるのかということが書いてあって、主人公が妄想と現実の間を行ったり来たりしているということがわかります。心の病を持つ人に共感はできなくても、これを読むことで、少しでも理解しようという気持ちにはなれると思います。いずれにしても、読み終わったときは、どっと疲れました。再読したらもっとよくわかるのかもしれないけれど、これを2度読む元気はないかな…。

(「子どもの本で言いたい放題」2017年10月の記録)

『奮闘するたすく』

Photo_3 『奮闘するたすく』
の読書会記録

まはら三桃 著
講談社
2017






アンヌ
:ケガだけではなく認知症にもなったおじいちゃんがデイサービスに通うのについて行き、夏休みのレポートを書く。自分からボランティアに志したわけでもない小学生がデイサービスに行くという設定がおもしろくて、介護職の人や調理師さんとか、うまく描かれているなと思いました。祖父といる時のつらい思いやせつなさと同時に「お年寄りのやることには意味がある」と理解しようと変わって行くところ等、いいなあと思いながら読みました。花の部屋への推理小説じみたストーリーも、うまい仕掛けです。p.231-232の、死について考えつつ、人には死の間際まで生きようとする力があるという感じ方や、死者が心の中に生きていくというふうに繋がって行くところも、いいなと思いました。なんといっても、お年寄りと小学生の男の子たちが古い歌謡曲の「食べ物替え歌」で盛り上がって行き、最後は大笑いのうちに幕を閉じていくというところが、本当に意外で傑作だと思いました。

レジーナ:デイサービスでの経験を通して、死や老いについて考える小学生の等身大の姿がユーモアたっぷりに描かれていて、好感がもてます。「宇宙が存在するのも、考える自分がいるからだ」と思う場面が印象的でした。p137で、祖父が、「自分ではできないとわかっているけど、世話にはなりたくない。なのに、『どうしたいか』ときかれても困る」という台詞には実感がこもっていますね。ただ「やきもち」や「ケチ」など、お年寄りの姿が少しキャラクター的に描かれている感じがしました。リニが初対面でハグする場面もちょっとリアリティがないように思えて違和感がありました。

西山:たいへんおもしろく読みました。もう少し低学年向けかなと思いながら手にとったら、『伝説のエンドーくん』(小学館)くらいのグレードかなと。読み始めたら、大人として普通に楽しむ読書となりました。最後、あのおばあさんを死なせなかったのがよかったな。大笑いで終わらせたっていうのが、たいへん賛成でおもしろかったです。レジーナさんが今挙げたところとか、私もなるほどと思って読んでました。あと、p167の「佑の思考は、妙な具合にカーブした」とか、おもしろい軽い書きぶりがあちこちあって、でも、ただ奇をてらったという感じじゃなくて、「人間ってぜってー、死ぬんだよな」(p231)「でも、死んでからもたまに生きてるぜ」(p232)なんて、軽いけど、妙に深い。一つ難をいえば、早田先生がこの課題を与えた意図というのが、単なる思いつきなんだか・・・・・・。何か、深い意図が明かされるかと思いながら読み進めたけれど、別に説明はありませんでしたね。そのへんはエンタメ的に読み流さないとだめなのかな。有無を言わせない目力って、教師のパワハラでもあると思うと、ちょっとひやひやしました。1カ所文章で気になったのは、p173のまんなかあたり、「自分が怒鳴ったくせに、祖父は引っ込みがつかなくなっている」のところ、「くせに」じゃなくて、怒鳴った「から」ではないのかと思いましたが、ここ、どう思います? インドネシア人のリニさん、言葉がたりない分、あけすけで、おもしろかったです。

レジーナ:「自分が怒鳴ったくせに、祖父は引っ込みがつかなくなっている」ですが、ここは佑が、「自分が怒鳴ったんでしょ?」「自分でやったんじゃん」と思っている箇所なので、これでいいのではないでしょうか。

西山:なるほど!

よもぎ:ユーモアがあって、テンポの良い作品で、楽しく読みました。高齢化社会になって、ゆくゆくは介護職を選ぶ子どもたちが大勢いると思うので、良いテーマを選んだなと思いました。外国から来る介護士の方たちも、ますます増えてくると思いますし。細かいところですが、蝉が羽化するところを見たいと願っていたおばあさんの話、いいなあと思いました。幻のように白く透きとおった蝉が、だんだん緑色を帯びてきて、最後に茶色い蝉になる……本当に、何度見ても飽きないですよ!

ハリネズミ:さっき、西山さんが教師のパワハラか、とおっしゃったのですが、私はそうは思いませんでした。この先生は、たすくがいつも中途半端に流しているのを見ていて、もっと突っこめばおもしろいよ、ということを分かってもらうために、この課題をあたえたのだと思います。ほかの子どもたちのこともよく見ていて、それぞれに別の課題を与えているのかもしれません。老人クラブの老人たちは、すぐに「ひごの~もっこす~」と歌ってしまう坂本さん、言葉を普通とは違うところで切って話す北村さん、女子力の強いよし子さんなど、個性的な人がそろっているし、インドネシアから来たリニさんも、いい意味で存在そのものがユーモラス。だから私もおもしろく読みましたが、たすくの祖父までおどけさせなくてもいいのに、とちょっと思ってしまいました。p61で「大内警部補、出動だ」とたすくが言うと、「はっ」と言って敬礼までするところなど、やりすぎのように感じました。それから「花の部屋」についての謎も、盛りすぎ、引っ張りすぎの印象を持ちました。そうまでしなくても、充分おもしろく読めるのに、と。

ネズミ:父のデイサービスに、最近私も何度かついていきましたが、そこでも東南アジア系の人が入浴介助を担当してました。こういう世界のことは、以前はわからなかったのですが、自分が行くようになってから、認知症の高齢者を扱った本がちょっと気になるようになりました。子どもに伝えるのが難しいテーマなのか、「これはいい」と思う本になかなか出会えません。この物語は、老人のなかに小学生が入っていきます。戯画化と感じるところもあるけれど、明るくしないと描けないテーマでもあるのかなと思いました。認知症になっても誇りはある、こんな子どもじみたことはできないという「おさるのかごや」の場面だとか、すごく大変な介護の現場での、働く人たちに優しさが伝わってくるところがいいなと思いました。ブルー・コメッツの歌で、おじいさんや母親にも青春があったことを知るというのもうまいです。難しいテーマですが、こういう作品がもっと書かれてほしいです。

ルパン:個人的には母も認知症が始まっていたので、せつないところが多々ありました。おじいちゃんが作品を額に入れられてプライドを傷つけられるところとか、時折正気になったときに悄然としてしまう場面とか。そう思うと、自分たちの世代にはダイレクトに響くけど、今の子どもたちにとってはどうなのかな。小学生のおじいちゃん、おばあちゃんは最近若いですから、ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃん世代の話かな、と思います。いずれにしても、こういう本を通して、子供たちに介護現場の情報が入るのはいいことだと思います。

西山:介護が子どもに身近な話題になっているのは確かだと思います。親が介護でたいへんになると子どもにはねかえるし・・・・・・。

(「子どもの本で言いたい放題」2017年10月の記録)

『神隠しの教室』

『神隠しの教室』Photo_2
の読書会記録


山本悦子 著
丸山ゆき 挿絵
童心社 
2016




レジーナ
:ネグレクトや虐待など現代のテーマが盛りこまれていて、気になっていた作品です。バネッサが、「母親の通訳をするのを負担に感じている」と打ち明ける場面が印象的でした。義務教育に外国籍の子どもは含まれないんですね。知らなかったです。今いろんな家庭があるのに、全員の母親が来ないと帰れないというのは、少しひっかかりました。電話はつながらないのにインターネットは通じるなど、ファンタジーのつくりとして気になる点もありました。

ネズミ:こことは別の世界に行きたいと思っている、学年もばらばらの5人の子どもたちが別世界に行ってしまう。帰ってこられるのかとかドキドキしながら、ぐいぐいと読まされました。字がけっこう小さい長い本だけれど、会話が中心なので物語に入りこむとどんどん読めてしまうというのがいいですね。こんなにたいへんな状況の子ばかり集まるか、と最初は思ったけど、こういう子は1クラスにひとりはいるだろうし、十分ありうることかもしれませんね。読んでいると、いろんな状況の子がいることが見えてくる。乱暴だけど優しくて、時に悪ふざけがすぎてしまう聖哉とか、一人一人のいろいろな面が描かれているのもいいですね。苦しい状況にある子どもたちを応援しようとする作者の姿勢が感じられる作品でした。子どもだけでなく、養護の先生の視点が混じってくるのですが、先生もいじめられていたことがわかることが作品に厚みを与えている気がしました。p314「逃げることも恥ずかしいことじゃない」というせりふは、作者が言いたかった言葉でしょうね。いろいろな問題を抱えながらも、なんとか自分の力で生きていくことを応援していて、いいなと思いました。

西山:バネッサが出てくるところで、おおっと思いました。保健室に連れていく係として、あたりまえのように「日本人」名前でない人物が出てくる。日本の児童文学作品では、登場人物の国籍は多彩とは言えないので、とても新鮮でした。『児童文学』7-8月号の特集<〝壁〟を超えて>で、そういう観点で触れたのですが、現実社会では、地域差はあるとは言っても、様々な国や民族のルーツを持つ子どもがいるのに、 日本の創作児童文学の中ではほとんどお目にかからない。これは、良いこととは思えません。ともかく、一息に読みました。多数派からはじかれたのか、自分がはじいたのか……排除されたかわいそうな子どもたち、ということではなく、たてこもっているとも取れて、外と隔てる壁が両義的で新鮮です。学校自体が、いじめがあったり、子どもたちが抑圧されるマイナスの舞台として焦点化された作品は多かったと思いますが、この作品は、学校がシェルターでもある。大人にもできること、やらなきゃいけないことがあるというのも早苗先生のあり方を通して描かれていて、メッセージとして好感をもちました。

ハリネズミ:著者の山本さんは、やはり2016年に出した『夜間中学へようこそ』(岩崎書店)もおもしろかったですね。さっき、レジーナさんが電話は通じないのにパソコンは通じるのでファンタジーの約束事がどうなっているのか、とおっしゃいましたが、この本に出て来るのは有線電話で、パソコンとはシステムが違うので、私は全然気になりませんでした。ファンタジーの約束事が壊れているとも思いませんでした。児童文学の流れで言うと、親が子どもにちゃんとした居場所をあたえられない場合、親以外の大人が登場して支えることが多いのですが、この作品では「学校」という建物が子どもたちを助ける。そこがとてもおもしろいと思いました。みはると聖哉以外は、「もう一つの学校」に緊急避難したときに、自分たちでなんとかしようという意欲も意志も生まれてくる。でも、年齢の低い1年生のみはるは、母親の恋人に虐待されているのを自分の意志だけではどうすることもできない。6年生の聖哉はネグレクトしている母親が不在なので衣食住すべてに困っていて、これまた自分の意志がどんなに強くても解決できない。だから、外からの助けが必要なのですね。様々な問題を抱えた子どもたちですが、問題の一つ一つがリアルだと思いました。

 最初読んだときは、「母親がそろわないと戻れない」というところで、子育ての責任は母親にあるというメッセージが出てしまっているのではないかと思ったりしたのですが、もう一度ていねいに読んでみると、そう言い出したのは母ひとり子ひとりの聖哉で、聖哉の気持ちが強く反映されているだけだとわかりました。p225に、もう一つの世界に行ったものは戻って来ないとあって、そういう設定だと思って読むと、カレーパンだけ行ったり来たりしているな、とちょっと不思議に思いました。バネッサが自然に出てくるのはいいですね。そのバネッサと加奈は同じクラスですが、それ以外は触れあうことのなかった子どもたちが、時間と空間を共にするうちに触れあっておたがいに思いやったりするようになる。

アンヌ:「神隠し」の物語は多いけれど、この物語は「神隠しにあってしまった」側の冒険談ですね。なんといっても冒険物語に必要なのは、どうやって食物を確保するかという事です。この物語では、「神」ではなく「学校」からの一種の贈り物のような「給食」という食べ物がまず与えられます。けれども、それだけでは一日一食になってしまうから、畑からプチトマトを採集したり保管倉庫から非常食を取って来たりして、生き残るための冒険がなされて行く。そういうところが、気に入りました。でも、実は引き出しの中のロールパンに気づいた時、ここで外界につながっている、きっとここでやり取りをするんだと思ったので、パソコンで通信するというのは意外でした。異世界の中で子供たちは成長していく。外界の大人も変わって行く。でも、それと同時に、大人である早苗先生の中には、まだいじめが影を落としていて、完全に和解するとは書かれていません。納得がいくけれど、ある重さも感じました。

よもぎ:なによりおもしろかったのは、学校という建物が生命を得た存在のように子どもたちを守るという設定でした。長い年月、ずっと子どもたちを見守りつづけてきた古い校舎だからこそ、そういう力を持ったということなのでしょうね。いろいろな状況で苦しんでいる子どもたちを守りたいという作者の思いが伝わってくる作品だと思います。ストーリー自体も、子どもたちがこれからどうなるのか? なぜ聖哉だけ、行方不明になった子どものリストに入っていないのか? など、いくつかの謎が次々に出てきて、最後まで一気に読んでしまいました。長いけれど、小学生の読者がしっかりついていける作品ですね。ただ、文体が重苦しくて、古めかしい感じがしたんですけど、こういう内容だったらしかたがないのかな? ユーモアがないというか……。

ハリネズミ:この作品はテーマがテーマだけに、ユーモアを入れるのは難しいですね。自分のことだけで精一杯だった子どもたちが、「もう一つの学校」に行って少し心がリラックスすると、やさしい面を見せていく。そこの描き方もすてきです。

ネズミ:学校の先生を批判的に描く本も多いけれど、この本では、子どものことを思い、それなりに職務を果たそうとしている先生が描かれてますね。

ハリネズミ:アン・ファインの『それぞれのかいだん』(灰島かり訳 評論社)も、それまでは触れあうことのなかった、それぞれに問題を抱える子どもたちが、宿泊旅行をきっかけに出会って、おたがいを知り、元気になっていくという物語でした。似た設定なので、比較してみてもおもしろいかも。

ネズミ:この作家は愛知県の方なので、身近に日系人を見てきたのかもしれませんね。

西山:テーマとして焦点を当てて描かれているのではなくて、そこにいる子どもの一人として当たり前に出てくるのがいい。

ネズミ:今はいろんな国籍の子どもがいますよね。親が外国籍かどうかは、名前だけではわからないし。思った以上に外国とつながる子どもは多いと思います。

ルパン:今、本が手元になくて、細かいところについてはお話できないんですけど、前に読んだとき、とてもおもしろかったことを覚えています。ただ、別世界の作り方がちょっとご都合主義的に思ったところはありました。給食は出てくるけど、お盆は返せないとか。ただ、読んでいてつまずくということはなかったですね。ストーリー性があってよかったです。神隠しにあった子どもの母親のなかに、保健の早苗先生を昔いじめていた元の同級生がいるわけですが、そこの家庭が、その後どうなったのかも知りたいと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2017年10月の記録)

2017年10月23日 (月)

『バイバイ、わたしの9さい』

Photo_3

『バイバイ、わたしの9さい』
の読書会記録

ヴァレリー・ゼナッティ 作
伏見操 訳
文研出版 2015.12
原書 ADIEU, MES 9ANS! by Valerie Zenatti, 2007



さららん:世界は不幸でいっぱいなのに、自分にはなにができるんだろう?と焦ったにときの感じを、思いだしました。大人が突然、バカみたいに見える時期が、よく描かれています。自分はまだ大統領になれないことに気づいた主人公が、大統領宛に加え、ジダン宛てに手紙を書いたところがおもしろい。十歳の誕生日にジダンから手紙が来て、友だちと会いにいくときの幸福感!全体を通して、少女のあたふたぶりが自分自身の子ども時代に近く(爪を噛む癖もふくめて)、共感をもって読めました。手紙をもらって、世界中の不幸が解決するわけじゃないけれど……一種の夢物語なんでしょう。 

マリンゴ:幼いころの、すっかり忘れていた感情を思い出させてくれる作品でした。小学1年生のときに『マザー・テレサ』の伝記を読んで、こうしてはいられない! と衝撃を受けたのですが……あのときの気持ちは、今はどこへ(笑)。ただ、主人公がいろいろなことを考えていくのはいいんですけど、その結論として、権力をもつ3人の有名人に手紙を送って、そのうちの1人から返事をもらう、というのがこの本のなかでの“解決”になっていることについて、どうも、うーん、と首をかしげてしまいました。

ハリネズミ:英米の児童文学だと、ここでは終わらなくて、もう少しジダンとこんなことを話し合って希望が見えてきました、くらいのところまで書くと思うんですけど、書かないのがフランスの作品だなあと私は思いました。

マリンゴ:あと、ジダンから受け取った返事の内容が具体的に明らかになっていますが、これは、ジダンが自分で書いたもの……ではおそらくないと思うので、著者が書いて本人の許諾を得たものなのか、それとも信頼関係があって許諾なしでやっているのか、リアルとどういうふうにシンクロしているのかが興味あったので、あとがきで触れてほしかったです。 

ハル:心が洗われました。ジダンが扉を開けたところで、じーんときました。この先が書いてないのは、「さぁ、あなたなら、ここからどうする?」という読者への問いかけのように思って読みました。ジダンが架空の有名人ではないところがいいんだと思います。自分たちでも何か動かせることがあるんじゃないか、と思えそうです。でもちょっと、これは実話なのかな? 実話だったら、その後なにか展開はあったのかな? と、気になりはしますよね。 

ヨモギ:前半は、とてもおもしろかったです。9歳の子どもの心情が、生き生きと描けていて、なかなかセンスがいいなと思いました。なかでも、世界の飢えた子どもたちをなんとかしたいという主人公の話を聞いて、ママがパソコンで10ユーロ寄付しておしまいにする。そんなママの姿が悲しい……という下りなど、鋭いなと思いました。ところが、後半でがっかり。えっ、ジダンに手紙を出して対面できるところでおしまい? なんだかストーリーが途中でねじれて、妙なところに行き着いてしまったという感じがしました。これでは、パソコンで寄付しておしまいっていうママと同じじゃないかと。もっとも、フランスの子どもたちが読めば、感激するかもしれませんけれどね。アルジェリア系移民二世のジダンに対戦相手のイタリアの選手に人種差別的な発言をしたから頭突きをした事件があったのが2006年、この本が2007年に出ているので、とりわけ印象が強かったと思いますが、日本の子どもの読者にはまったく伝わらないのでは? まして訳書が出たのが2015年ですからね。日本で出版しようと思うなら、編集者も訳者も、もう少し日本の読者に配慮しなければいけなかったのではと思いました。 

アンヌ:かなり以前に読んで、その時も今回も、最後をどう受けとればいいのか途方にくれました。悲惨な社会状況に気づいた時、この主人公は9歳だから、思春期のように妙に世にすねた感じの受けとめ方をしないで、まっすぐに単純に考えていく。主人公が一人でものごとを考えていく力をつけていくのを応援するように描いているところが、いかにもフランス的だと感じました。とまどったのは、歌手のコルネイユとかジタンとか現実にいる人間を引きいれているところです。コルネイユは日本では思ったよりヒットしなかったようなので知られていません。ルワンダの現実とかも含めて、この短い註だけではなく解説が欲しかったと思います。 

コアラ:私はすごく好きで、読んでよかったと思いました。成長をいい形で書いていると思います。出だしで心をつかまれました。p7に「十さいって、「もう二度と、二度と、二度と」の年。きっとこれから、なにか深刻なことがはじまるんだ。」とあって、10歳をこんなふうに考えたことはありませんでしたが、そう書かれたら確かにそうだと思えて、すごく新鮮でした。『こんとんじいちゃんの裏庭』(村上しいこ作 小学館) のあとにこれを読んだのですが、「すべての問題を解決することは無理」とあきらめを語る大人にがっかりするようなところは『こんとんじいちゃんの裏庭』と同じですが、この話で大人は、考えることをやめろ、とは言わないので、そこが『こんとんじいちゃんの裏庭』と違うところだと思いました。日本の子どもが読んで、ジダンがどういう人かわからなくても、なんかすごいことなんだということはわかると思います。ささめやゆきさんの絵が、すごくよくて、この本の雰囲気に合っていると思いました。

ハリネズミ:私もささめやさんの絵がとてもいいなと思いました。世界の様々な出来事に胸を痛めて深刻に考えるこの年齢の子どもの気持ちがよくあらわれています。この子は大統領になって解決したいと思うわけですが、そういうとき首相になって解決したいと思う子どもが日本にどれくらいいるでしょうか? うらやましいと思いました。ただジダンに手紙を書いて、ジダンに会えて喜んでそれで終わり、というのは、私には物足りません。それから、最初に10歳になるとどんなことが起こるのか、という点が大きなテーマとして出てくるのですが、その糸は途中で消えてしまっている気がします。p7に、「(十さいは、)もう二度と、二度と、二度と自分の年を一文字で書けなくなる」とありますが、日本だとここにも出ているように漢数字で十と書けますよね。つづいて「もう二度と、二度と、二度と、両手で年を数えられなくなる」とありますが、ふつう指は十本あるので10までは数えられる。どういうことかわかりません。もう少し日本の子どものことを頭において訳してほしかったですね。

ルパン:読後感は悪くなかったのですが、あとでふりかえって、おもしろかったかというと、そうでもないなあ、というのが正直なところです。この子の頭のなかでいろいろなことが進んでいくのですが、大きなストーリー展開がなくて、さいご、ジダンとどんなことをして世界を変えていくのかが見えてきませんでした。 

西山:ささめやさんの絵は好きだけど、ラストで、表紙のこれはジダンだったのか!と思った衝撃が強すぎて、感動とはいきませんでした。私は、手紙を出して満足しているとは思わなかった。ここからはじまるのだろうと自然に受けとめていました。(当日読書会では言いそびれましたが、p97で、お気にいりの絵本をシモンが「めちゃめちゃいいよね!」と話しかけてきて好きなページを言いあう場面、とてもよかった。そうやってつながったシモンとジダンのところへ出かけることに意味があるのだと思います。世界を動かすことは、そこから始まっている気がします。)ネットで募金するママの姿が飢えている男の子より悲しく思えたという場面(p40)にはドキッとさせられました。爪をかみ、「自分の先っちょを切ったのに、ちっともいたくないんだよ」(p28)とか、「ハッピー・バースディ」の歌を「バカ丸だし」だと思ったり(p90)、そういう感性おもしろかったです。p54で、どうして平気でいられるのか、どうして何もしないのかと問いつめられた母親が、「寄付もするし、選挙では、いちばんよい政治をしてくれそうな人たちに投票する。よくないと思うことがあれば、デモをするし……」というところ、何もしない大人を批判している部分なので、日本との民度の高さが違うことに愕然としました。このぐらいの分量で、中学年くらいから読めて、世の中のことを考えられる、いい作品だなと思います。 

ネズミ:この本は、私の住んでいる区の図書館にも、隣の区の図書館にもありませんでした。ジダンじゃ日本の子にはわからないと、はじかれたのかなと邪推しちゃいました。終わり方が中途半端ですが、9歳の子がパパとママとニュースを見て、この社会がどうにかならないかと思い始めるというのはおもしろいなと思いました。「自分はどうしてここに生きているのだろう。死んだらどうなるんだろう」とか、私も10歳くらいのときに、ぐるぐるいつまでも考えました。個人の心情を描いている本は多いけれど、こういう社会への問題意識を扱った本は日本では少ないですね。ヨーロッパでは、アフリカや中近東のニュースもよく流れますね。 

レジーナ:子どものとき、湾岸戦争やフランスの核実験のニュースにすごく衝撃をうけたので、そのときの気持ちを思いだしながら読みました。ささめやさんの絵はあたたかみがあっていいですね。でも、結末はちょっと唐突。あと、ジダンはもう引退していますが、こういうふうにスポーツ選手やスターが前面に出てくる作品は、あとになって古くならないでしょうか。

エーデルワイス(メール参加):読み終わって、フーッと心の中でため息をついていました。主人公タマラに「あなたはどうなの?」まっすぐの目で見つめられているようです。真摯に受け止めました。著者のヴァレリー・ゼナッティはユダヤ人としてフランスで生まれ、13歳で両親とイスラエルに移住。兵役につき、今はパリ在住。この経歴を見て、なるほどこのような本を書けるのだと思いました。実際、作者はジダンと交流があるのかもしれませんね。ささめやゆきさんの挿絵も効果的です。

(「子どもの本で言いたい放題」2017年9月の記録)

『こんとんじいちゃんの裏庭』

Photo_2 『こんとんじいちゃんの裏庭』
の読書会記録

村上しいこ作
小学館
2017.06




コアラ
:最初のコンビニの場面で、主人公の見方に全然共感できず、一人称で進んでいくので、物語にずっと共感できないまま、頭の中で批判しながら読んでしまいました。p4に、「急いでいたわけじゃない。別の通路を通ればいいけど、できなかった」とありますが、ただ「できなかった」でなく、もうちょっと何か表現してほしかったと思います。ここで何か表現されていれば、主人公に寄り添えたかもしれないと思いました。少し残念でした。最初の、暴力を振るった場面が宙ぶらりんのまま、加害者である主人公が被害者として行動すること、それと三津矢さんの加害と被害の話もあって、加害と被害は白黒はっきりつけられない部分がある、ということを描いているのかな、と思いました。裏庭に出てきたじいちゃんが何だったのか、明らかにされないまま終わってしまいましたが、何らかの決着をつけてほしかったと思います。実際に事故にあったときに、もし相手から恐喝まがいのことをされたら、こういう方法がありますよ、という知恵を授けてくれる話としてはいいと思いました。 

アンヌ:初めて読んだ時、あまりにも主人公やほかの登場人物の印象が悪い上に、この先もっとひどいことが起きるんだろうなという予感がして読み進めず、しばらく置いてから読みなおしました。読んでみると、不登校に動じない母の強さや、父親が昔は実はワルだったかもしれないという意外な話や、おじいちゃんと出会う裏庭の話、保険屋の北井の豹変ぶりとか、おもしろい要素がたくさん出てきてほっとしました。 

ヨモギ:私も冒頭の場面でぎょっとなって、主人公にいい感じを持てませんでしたが、作者はかなり考えたうえでこうしたんでしょうね。あとは、村上さんらしいテンポの良い文章で、一気に読めました。途中に入ってくるおじいちゃんとイチジクの場面が、快い緩衝材になっていると思います。ジューシーなイチジク、食べてみたい!坪田譲二の短編『ビワの実』を思いだしました。ただ、絵を描くことの魅力が、あまり書かれていないのが残念でした。闇を描くことについて、もう少し掘り下げて書いてあれば、もっと奥行きのある作品になったのでは? あと、保険会社のお兄さんの変わりっぷりが、ちょっと唐突なのでは? 

ハル:みんな、いろんなことを抱えて生きているのだし、いい面もあればわるい悪い面もあるというのはわかるのですが、登場する大人がみんなどこかちょっと変。「上手に生きていくには」とか「生きづらさ」ばかりで、いわゆる正論をいう大人が誰もいないので、私が中学生のときにこの本を読んだら、主人公にも共感できず、とまどってしまいそうです。世の中、良いか悪いかだけじゃない、というのは、その年齢だからこそ、学びたかったではありますが。 

マリンゴ: 非常に問題があって共感を呼びづらい男の子を主人公に据えて、しかも一人称で書いた著者の勇気に感動しました。なかなか書けないものだと思います。共感できないものの、次々と事件が起こり、それに対して主人公がどう反応するのかなと興味をひかれて、どんどん読み進めることができました。暴力、不登校、介護、そして大人の世界の不条理がてんこもりで、読みごたえありました。特にいいと思った文章がいくつかあります。p188「新しい関係、それを物語というんだ。物語のない人生なんてつまらん。」、p191「ここにいると、体臭も、口臭も、涙の臭いまでまったく同じになっちまう」、p244「いいとか悪いとかで判断するのはもうやめなきゃ。みんなそこを超えたところで、もがきながら懸命に生きている」といったところです。もっとも少しだけ違和感もあって、最後に近いところで、美術部の先生に「暗闇」について話すシーン。いくら人の死を経験して成長したといっても、ここまで素直なキャラに変わるかな? 私としては、主人公が暗闇の絵を描いてみせて、先生に「お! おまえの絵、なんか変わったな」と言わせるくらいの歩み寄り方が自然かなと思いました。あと、タイトルに、もう少し小説のなかのヒリヒリ感が出ると、内容がつかみやすいのかな、と。 

さららん:最初の「いらねえよ、こんなもん」で、いったいどんな乱暴な子なのかと、驚きました。強烈な言葉でした。でも読んでいくと、少しずつ心の中が見えてきて、いいところもいっぱいある子だとわかりました。とんがった言葉をときどき使う悠斗という少年の造型に、中学生や高校生の読者は自然に共感できるのか、聞いてみたいところです。「おりこう」な児童文学には出てこない言葉やモチーフが盛りこまれている部分が、逆にこの本の良さ! 大人の本音とか、だまそうとする部分とか、「善悪を決めようとするためにこの仕事をしているわけじゃない」と弁護士に言われることもあり、人間というものの複雑さを見せてくれる作品でした。おじいちゃんの存在は不思議なままです。混沌状態になったおじいちゃんの裏庭に、作家はどんな意味をこめられたのか、もうすこし考えみないと……。 

レジーナ:冒頭の暴力の場面で、この主人公に最後までついていけるか不安になりましたが、とても好きな作品でした。この年代って、なにかの拍子にキレちゃう子っていて、p213に「自分の心の在りかがわからない」とあるように、自分の心をもてあましていて、でも、世界の中に自分を落ちつかせようとしているというか、なんとか自分の立ち位置を見つけようともがいている時期ですよね。自意識も強くて、ひとりよがりの正義をふりかざして突っ走ることもあるし。p201で、空を見て永遠を感じたり、急にむなしくなったり、そういう振れ幅の大きさや感性の鋭さもよく描かれています。そして、そんな主人公のまわりには、三津矢さんのような大人がいて、失敗を許す社会のありかたが描かれているのもとてもいいと思いました。若いときって、「いい人か悪い人か」とか「正義か悪か」という枠組みでしか見られないけど、主人公もだんだん、謝らせれば解決するわけではないと気づきます。そして、保険屋の前で怒りをこらえたり、三津矢さんが父親を看取れるようになんとかしようとしたり、少しずつ成長していきます。成長することの尊さが描かれている作品だと思いました。認知症の描写も、p68「じいちゃんは、認知症になってから、物と一緒に、たくさんの言葉も失った」、p69「じいちゃんの頭の中で、いろんな言葉と映像が重なり合うことなく浮遊している」など、リアリティがありました。 

ネズミ:おもしろく読みました。最初の場面は衝撃的で、私も「え、蹴ってたの?」と二度見しましたが、前の日に美術部でいやなことがあって、むしゃくしゃして突発的に暴力をふるってしまったというのがわかって、なるほどと思いました。こういう中学生っていますよね。一見とんでもない不良みたいだけれど、中学生同士は「あの子あんなことしちゃって」って思いながら、結構その子を理解している気がします。この作品でいいなと思ったのは、たくさんの大人が描かれていることです。村上さんの『うたうとは小さないのちひろいあげ』(講談社)もそうでしたが、この子の父親、母親のいろんなところを描いています。警官もコンビニのおじさんもそう。両親や大人を批判的に見ながらも、一方で愛されたい、認められたいという気持ちもある、この年頃の子の心の揺れをすごくうまく描いているなと思いました。p14の最後の文「母親はぼくの怒りの理由に興味がない」とか、いい先生だと思ったら、劇場型の指導だったと思いこんで荒れるとか、p107の「ねえ、悠君の中には、いいやつと悪いやつの、二通りしかいないのかな」というせりふとか。混沌としていて、善悪の論理も何も超えちゃっているおじいちゃんが、この子を救うキーになるというのも、なるほどなと思いました。 

西山:非常におもしろく読みました。とても新鮮な感じがした。というのは、近年感じのいい子がでてくるYAが多くて、思春期の若者とおばさんが同じ本で心温めてていいのか、と思うこともあったので(作品を通して世代を超えて感動を共有できるのは素敵なことで、児童文学のよさだと思ってはいるのですが)、久しぶりにとんがった子がでてきて新鮮だった。好印象です。また、最近のYAは、部活とかお仕事もので詳細でリアルな情報自体がおもしろさになっている作品が多いと思いますが、事故処理や法律相談は読んだことない。これって、けっこう大事なとこだと思います。子どもに力を与える。本当のことを知りたいというまっすぐな正義感も王道の児童文学という感じで、好感をもちました。それでいて、きれいごとを出していないのが新鮮。公的なところに行ったときに全然受けつけてもらえない、子どもの無力さが書かれていたのもいいし。清水潔の『殺人犯はそこにいる』(新潮社)をたまたま直前に読んでいたので、調査してどんどんわかっていく展開のおもしろさが、ここにもあってちょっとうれしかったです。表紙とタイトルは、私が感じたおもしろさとはイメージが違うなと感じています。 

カピバラ:私がいちばんおもしろいと思ったのは、警察とか保険屋さんとか弁護士とか、中学生が普通なら関わりのない場所にふみこんで調べていくところです。学校、家庭、部活以外の社会を垣間見るのが新しいと思いました。そして事件の真相が少しずつわかっていきます。冒頭の場面は、えっと思ったけど、いい子が主人公の話はおもしろくないですからね。ほほう、そうきたか、と思いました。でも、どうしてこの子はこんなことをしたのか、読んでいくうちにわからないといけないといけないと思うんですが、あまり納得いく説明がなかったと思います。おじいちゃんとのふれあいとか、いいところもあるけど、最後まで腑に落ちなかった。悩みを抱えた主人公が出てくる話って、かならずどこかにいい大人が出てきて助けになったりするんですが、この作品に出てくる大人たちって、両親も含めてどこか嫌な感じだと思いませんか? 三津矢さんにもはリアリティがないですよ。 

ルパン:おもしろく読みました。この本を読んだあと、人を「いい人」と「悪い人」に分けないようにしよう、と思いました。ただ、主人公には最後まで共感できない部分がありました。特に、p192「あなたはもう、死んじゃう人なんだから」と、面と向かって言うのはひどすぎると思いました。こういうせりふを子供が読むことを思うと……。事故については、はっきりと証明できないままで終わり、これが現実ということで、リアリティがあるのかもしれないけど、読後感はすっきりしないものがありました。

ハリネズミ:とてもおもしろかった。主人公のこの年齢の少年が成長していく姿をとてもリアルに描いていると思いました。最初は何事も一面的にしか見ていないのだけれど、人間存在というのは多面的なものだということを段々に理解していく。この年齢の子は嫌なら嫌と思う気持ちも強いし、悠斗も、 三津矢さんや担任のムトユラや、奥谷さんや北井さん、そして自分の両親のことも最初は嫌悪の対象でしかない。でも、様々な側面を見ることによって他者のことも自分のことも客観的に見られるようになっていく。最初の暴力シーンはショッキングですが、あまりにも一面的にしか見ずに自分の気持ちに振り回されてしまう少年の状態をあらわしているのだと思いました。この年齢の子どもは、同調圧力に負けてしまう場合が多いと思うけど、この子はそういうことがないのも、ユニークです。子どもが事件解決に乗り出していく冒険を、ファンタジーではなく飽くまでもリアルに描いているのもおもしろい。わからなかったのは、裏庭のおじいちゃんの存在。最初は悠斗が幻影を見ているのかと思ったのですが、父親が若かったときは同じように暴力的だったという事実を初めて知らされたりもする。かといってファンタジーでもないので、そこをどうとらえればいいのか、よくわかりませんでした。

よもぎ:外国の作品には、裁判所などもけっこう出てきたりしますよね。

ハリネズミ:外国のものだと日本の子どもにはいまひとつリアルにとらえきれないところがあると思うのですが、この作品は現代の日本だし、保険会社、警察、病院、弁護士など、日本の今の社会制度がとてもリアルに出てくる。相当調べて書いたのでしょうね。

しじみ71個分(メール参加):とても共感して読みました。主人公の中学生がコンビニの店員を蹴飛ばすという衝撃的な始まりで、まず少年の持つ毒というか闇に魅かれました。店長にとがめられて、決して悪びれもせず、大人のようなずるい言葉がするする出てくることの違和感のなさを、絆創膏のなじみ方に例えた表現はとても好きです。一方、コンビニの一件から警察が自宅に訪ねてきた間に、認知症のおじいさんが家を出てしまって交通事故に遭う。意識不明に陥ったにもかかわらず、轢いた側から損害賠償請求されるという理不尽な出来事から、大人の嘘やずるさを、子どもであることに傷つきながら、正義感に駆られて追究していくという、少年のアンビバレントな心持ちが描かれていて、思春期の頃の自分を思い出し、「あるある」と思いながら読みました。美術部のトラブルから不登校を始め、友だちや担任の行動の裏を読んで疑ったり、自分の子どもらしい素直さを恥ずかしがったりと、揺れ動く心のさまには多くの思春期にいる当事者の子どもたちにも共感できるところがたくさんあるのではないでしょうか。彼を支えるのが、おじいさんと一緒に庭を手入れしてイチジクを育てた経験だったり、友だちのストレートな友情だったり、というのもとても愛おしいです。少年の思うようには問題は解決もしないし、おじいさんも回復しないですが、きちんとした少年の成長物語だなぁと感銘を受けながら読了しました。

エーデルワイス(メール参加):老人性認知症と、交通事故処理が児童文学で直球で取り上げられたのは極めて珍しいのではと、注目しました。私も認知症の母を抱えていますし、父も数年前に運転中に交通事故を起こし(その後説得して運転免許証を返還)、長女の私が処理をしました。身につまされます。主人公の尾崎悠斗が「僕はどうしたら優しくなれるのか?」と、これまた直球! 村上しいこさんの文は説得力があり読みやすいです。イチジクの生える裏庭に、じいちゃんがときどき姿を現す。好きなシーンです。イチジクはヨーロッパ、中東などの昔話にも登場しますが、特別なくだものだと感じています。

(「子どもの本で言いたい放題」2017年9月の記録)

『ジェリーフィッシュ・ノート』

Photo 『ジェリーフィッシュ・ノート』
の読書会記録


アリ・ベンジャミン著
田中奈津子訳
講談社 2017.06
原題:THE THINGS ABOUT JELLYFISH by Ali Benjamin, 2015



さららん
:親友を失った少女が主人公。どうしてあの子は死んだのだろう?という問いかけに隠された罪悪感が、あの子が死んだわけを知っているのは私だけ、という思い込みにすり変わっていきます。クラゲの存在を通して、少女時代のひりひりする思い出と喪失を描いたユニークな作品です。ゴシックと明朝で、現在と過去(回想)を分け、細かい章立てをして読者に読みやすくしていますね。論文を書くときの構成を借りた点が凝っています。科学的な知識とストーリー(友人の死と、取返しのつかない過ちをどう受けとめるか)が絡まりあいながら進むところがこの本のおもしろさなのですが、私の力不足か、読みとれない部分が残りました。友だちの死を受けいれようともがく主人公の苦しさはよくわかったのですが、行動のすべてには共感できませんでした。

レジーナ:全米図書賞にノミネートされたときから気になっていた作品です。主人公はこうと思ったら、それしか見えなくなるので、おしっこを凍らせてクラスメートのロッカーに入れる場面などは、その気持ちについていけないところもありました。文章は読みやすかったんですけど。あと、p92「時間と空間は同じものだということを知っている。時間のすべての瞬間は同時に存在する」など、ところどころわからない箇所がありました。こうした部分が理解できたらもっとおもしろいんでしょうね。 

ネズミ:まず構成が凝っているなと思いました。論文の書き方を頭に持ってきて章がはじまり、書体が変わっていたり。アメリカのYAのこういうところは感心する反面、ここまでしなきゃいけないかと思う部分もありますが。ストーリーは、友だちを失ったという事実をこの子なりにどう受けいれていくかがメインですね。自分なりに理屈をくりだして、試行錯誤するようすをおもしろく読みました。でも、日本の中1の子とくらべると考えていることが大人っぽく感じて、日本の中1の子が読めるのかなとは思いました。あと、おもしろかったのは家族のようす。ただ両親と兄弟がいてというのではなく、お兄さんにゲイのボーイフレンドがいることがさらっと出てきたり、土曜日だけ父親に会いにいったり、さまざまな感じ方、暮らし方、価値観があるのを見せてくれる本だなと思いました。 

西山:出だしから、最初は観念性についていけませんでした。p4の「三十億」をどんな数字か考えようとして、「三十億時間さかのぼる」という置き換えから置いてけぼりを食った感じです。すごい時間だ、とポーっとするでもなく、ピンときませんでした。いかにもきれいな表紙の感じと、奇妙に観念的な思春期と、先ほどから話題になっているおしっこの復讐場面が、うまく、統一したイメージとならなかった。感覚としては既視感があるけれど、研究レポートの仕立てとか、部分部分にハッとさせられ新鮮さも感じつつ、読み始めたら加速してあとは一息に読んだんですが……どうも心に定着しない感じです。

カピバラ:私はとてもおもしろかった。心に傷を負った子どもを描く作品は多いので、共感してもらうためにどう表現するか、作者は工夫をする必要がありますよね。そうでないと皆同じような雰囲気になってしまいます。その点、この作品には新しい工夫が感じられ、意欲作として評価できると思いました。リアルタイムの生活を描いているところ、亡くなった親友との幼いころからの思い出を書いているところ、クラゲについてなどを自分で調べていくところ、と三つの局面から構成され、1章1章が短いのでテンポよくどんどん進んでいきます。つらくて読めない部分は飛ばしたり、逆にじっくり読んだり、いろんな読み方ができるし、読後感がいいですね。

ハリネズミ:私もおもしろく読みました。時間を前後させる書き方ですが、書体が変えてあるのでわかりやすいですね。ゲイのお兄さんのアーロンが、家族にすんなりと受け入れられているという設定もいいですね。p54の理科の教え方なんかも、楽しくていいな、と思いました。ただ、主人公のスージーは12歳なので、無謀なこともするとは思いますが、シーモア博士に手紙を書きもせずに、家族のお金を盗んでひとりで会いにいこうとします。計画のほかの部分は綿密に計算されているので、そこはなんだかちぐはぐな感じがしました。自分のおしっこを凍らせてフラニーのロッカーに入れておくという部分は、それほど切羽詰まっていたのかと思う反面、強烈なイメージが残るのでストーリーから浮き上がっている感じもしました。イルカンジクラゲのことがずっと出てくるので、最後は、そのせいでフラニーが死んだということが証明されるのかと思っていましたが、肩すかしでした。p56に「大事なことは話し、それ以外は話さない」とありますが、すぐその4行後には「わたしはもう決めたの、話はしないってね。その夜だけじゃなく、たぶんもう二度と」とあって、実際スージーは一切話さなくなる。「大事なことは話す」んじゃなかったの?と不思議でした。ところどころで女性の会話の語尾に「わ」がついていますが、今「わ」をつけて話す人はいないのでは? 

コアラ:小学校高学年から中学生にかけての、女の子同士の関係が変わっていく話で、仲良しグループの付き合いとか裏切られた思いとか、ヒリヒリするような感じがよく表れていると思います。主人公スージーの、フラニーに対する執着は度を越していて、恋愛感情に近いと思いました。フラニーがクラゲに刺されて死んだということを証明してもらうために、クラゲの研究者に会いにオーストラリアに飛行機で飛んでいく計画を立てて、家族には別れの挨拶をするという展開は、支離滅裂だと思いましたが、もしスージーが同性愛の傾向を持っていて、それに苦しんでいる状態だったとしたら、理解できるようにも思いました。もちろんこの話は、フラニーの死が受けいれられなくてもがいているものだと思うので、最後の方でスージーが飛行機に乗なくなったとき、「フラニーはもう帰ってこない」「二人の友情は、あのときああいうふうに終わったままだ」とあって、主人公もフラニーの死を受けいれられたんだな、ということがわかって、ほっとしました。クラゲのことについては、あまり驚きもなく読んでしまいましたが、クラゲという透明感のある生き物のおかげで、陰湿ないじめが描かれていても、少し幻想的な、透明感のある物語になっていると思います。学術書っぽい本のつくりや、過去のストーリーが現在のストーリーに挟まっていて、過去のできごとがだんだんわかってくるという形式はおもしろいと思いました。 

アンヌ:クラゲのこととか、論文のような構造とかおもしろい仕組みのある物語なのですが、最初の、親友の溺死と海というイメージが強すぎて、私はなかなか物語の中に入りこめませんでした。後半のタートン先生とのやりとりとか、ジャスティンとの友情とか、父親が恐竜のことを言いだすあたりとか、好きな場面はあるのですが、おしっこ事件のところが強烈すぎて、飛んでしまいました。また、主人公の言葉がきれいで知性を感じるのに、オーストラリアに行こうとして挫折するあたりの子どもっぽさとかに、複雑な年ごろを描いているなと感じました。 

ハル:私はとてもおもしろかったです。クラゲや原子の世界の神秘的な話と、スージーの現在と、最悪の別れを迎えるなんて知らなかった、平和なころの回想と、交互に入る展開にも引きこまれました。こういった友達とのすれちがいに、実際に悩む子も多いのではないかと思うので、スージーはどういう答えを見つけるんだろうと、とても興味深かったです。欲を言えば、「おしっこ」のインパクトが強いのが残念でした。ちょっと共感のハードルが上がってしまったかなぁという感じがします。また、ラストではジャスティンだけでなく、サラという新しい友だちもできそうで、ここでも胸が熱くなりましたが、読後しばらくしてからふと、サラの顔がきれいだという描写は必要なのか?と、ちょっとひっかかりました。これからおしゃれや恋も、サラと一緒に覚えて成長していけそうだ、ということなんでしょうか。 

マリンゴ: 冒頭の部分で、二人称の小説かと思い、読みづらそうだと警戒してしまいました。そうではなくて助かりました。100ページを超えるあたりから惹きこまれて、最後までおもしろく読みました。主人公の危うさがよく描かれていると思います。おしっこを凍らせるところとか。小さなエピソードだと思っていたナイアドさんが、クライマックスをもりあげる要素として再登場したのが興味深かったです。あと、あとがきに、クラゲのノンフィクションを書くつもりがボツになって、この作品に生かしたという裏話があって、とても興味深かったです。 

ルパン: 友だちとけんかしたまま死なれたら、十代の少女はどれほどつらいだろうかと考えさせられました。死因がわかってもフラニーが帰ってくるわけではないことに気づいたスージーは、きっとフラニーが死ななくてももう帰ってこない、ということを、心のどこかで知っていたのかもしれません。一番好きな場面は、スージーがフラニーのママに電話するところと、サラ・ジョンストンと仲よくなるところです。 

西山:おしっこの件は、もしオーブリーみたいになったら「秘密のメッセージ」を送って、と言ってた(p69)、そのメッセージなんですよね。いや、これではわからないだろう、と思いますが、それはそれとして、絶対なりたくないと思ってた女の子に向かって思春期の階段を上っていってしまうフラニーと、取り残されたスージーのとまどいと悲しみ、怒りは印象的です。そういう意味で、スージーは「普通」の成長から外れているといえるのかもしれない。その生きづらさは相当なものだと思います。 

アンヌ:おしっこの事件についても学校側は特に追及していないのが不思議でした。 

西山:フラニーはみんなが知っている、クラスの子なのに、新学期に先生が特に触れないのが、私には解せない感じがありました。別の学校だっけと、読み返したぐらいです。(読書会の席では言いそびれましたが、こういう風に同じ学校の生徒の死について触れないのは、悪しき日本的やりすごしだと思っていました。「日本的」とは言えないのでしょう。) 

ハリネズミ:アメリカの学校では、個人的なことを話したりしないんでしょうか?

アンヌ:ちょうど『ワンダー』の続編にあたる『もうひとつのワンダー』(R・J・パラシオ/著 ほるぷ出版)を読んだあとだったので、学校のかかわり方の違いを感じました。あの作品では、学校がいろいろな場面でかかわっていますよね。公立校と私立校の違いなのでしょうか。

しじみ71個分(メール参加):素晴らしい成長物語だなと思いました。アスペルガー症候群を思わせるところもあり、感情の表現やコミュニケーションが不得手で繊細で、精神的には幼さを残しながら、同時に高度な知性にあふれた少女が描かれており、最初は遠いところにいるように感じられる主人公にいつの間にか寄り添って読み終えられるという作品でした。彼女の行動は大人には理解しがたいところもたくさんあって、痛々しく切ないのですが、親友だった少女の死を受け入れて乗り越えるために、クラゲの生態調査に没頭し、最後には外国のクラゲの専門家に会いに行く冒険を企てて失敗します。その落ちはなんとなく予想できるけれども、冒険の失敗が判明したときには共に落胆している自分がいました。そして、失敗したときに、家族のあふれるような愛に改めて気づかされる場面では、心がじわりと温かくなりました。理科の授業を通して、孤立していた教室で新しい友達を見つけられますが、その友達がADHDだったり、お兄さんの恋人が同性の青年だったり、背景にインクルーシブな社会への志向が見える点も好きです。現在の物語と並行して、亡くなった親友との出会いから最悪の別れまでが描かれ、その別れの方法は読む側の想像を超えて盛り上がりを迎え、とても成功していると思いました。何よりクラゲの知識が一杯詰まっているのはとてもおもしろかったです。クラゲにも興味がわくし、クラゲの絵も素敵でした。

エーデルワイス(メール参加):理系女子に憧れます。私自身感覚的、情緒的なので、こんなふうに理論的に考えられたらと思います。小学生、中学生の話すことをありのままに黙って聴くことにしていますが、スージー・スワンソンのように、感じることを克明に語ることができたら(心の声ですが)いいですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2017年9月の記録)

2017年10月15日 (日)

『きみのためにはだれも泣かない』

Photo_3 『きみのためにはだれも泣かない』
の読書会記録

梨屋アリエ作
ポプラ社 2016.12






ルパン
:これは…いまひとつでした。人物がいっぱい出てくるし、ひとりひとりがデフォルメされすぎてるけど誰が誰だかわからなくなるし。しかも、なんだか大人が中学生のかわりに書いています、っていう感じがしてしまって。と思ったら、これは別の物語の続きの話だったんですね。なるほど、って思いました。もとの話を読んだらもっと共感できるんでしょうか。

レジーナ:登場人物の会話や心情にリアリティがあり、今の中学生に届けようとして書かれた作品だという印象を受けました。でも、私はちょっと入りこめませんでした。デートDVなど現代のテーマは入っていますが、1冊丸ごと、誰が誰を好きで、誰と誰がくっついて……という内容で。人を愛することの喜びや、好きになったときに世界が一瞬で輝くような感じが伝わってこないからでしょうか。ロジャーをなくしたおばあちゃんの気持ちがわからない鈴理は、アスペルガーかなにかの発達障がいがあるようです。描き方次第でもっと魅力的な人物になったのに、この本ではあまり共感できませんでした。

ネズミ:私は苦手でした。どう言っていいのかわかりません。人物ひとりひとりがデフォルメされて、スペックのなかで動いていく感じで、人物の展開に意外性がなくて。現役の中高生が読んで、どんなことを思うのだろうと思いました。共感できるのか、安心するのか、警戒するのか、読んで救われた気持ちになるのか。それがよくわからなかったので、みなさんの意見を聞きたいと。一人称って、みんなおしゃべりになってトーンが似てきてしまいますね。どんなふうに手渡せる本なのか、私はよくわかりませんでした。

西山:章ごとに語り手を変えるというやり方はこの10年、あるいはもう少し前から本当によく見ますが、主体が変わっても、あまり別の人格に思えない場合も多いと感じています。そんな中、梨屋さんの作品は、例えば『夏の階段』(ポプラ社)にしても、本人が思っていることが、他の人からはぜんぜん違って見える、ちゃんと別の人間を見せてくれるので、この手法が生きていると思っています。今回の作品もそう。ただ高校生の複数の恋愛感情が交錯すると、ちょっと、誰のセリフかわからなくなってくるところは何箇所かありました。鈴理ちゃんは、なにかの障がいを持っているのかなと思いながら読みました。でも、それがp240あたりで、そういう次元の話でなくなる。鈴理ちゃんに障がいがあるとかないとかは関係なくなる気がしました。月乃が他者と決定的に分かり合えないことを思い知らされたことで、新しい関係の持ち方へ回路が開かれている。ここがタイトルにも直結していて、メッセージの要だと思います。p29の「他人に迷惑をかけないためには、自分の心に迷惑をかけるしかない」という月乃の感覚とか、多少自己陶酔的な気分にさせちゃうかもしれないけど、共感する中高生は多いのではないかと思います。

ハル:みなさんがどんな風にこの小説を読まれるのかなぁと、いろいろご意見をうかがいたいと思っていました。確かにたくさんのさまざまな人物が出てきますし、実際にはこんなに特徴が顕著な子っていうのはいないのかもしれないけれど、とてもこまやかに練られているので、物語の世界ではリアリティをもって、きちんと生きている感じがします。日常の中で、中高生だけじゃなく大人も抱くような、友情間でのいろいろなモヤモヤに対して、ひとつの答えを示しながら描いているので、読者は「私が言いたかったのはこれなんだよね」「あのとき私があんな風に思ったのは、変じゃなかったんだ」と、安心できるんじゃないかと思います。若い不確かな心情に寄り添おうとする作家の姿勢が、強く感じられる作品だと思いました。

コアラ:私はあまり入りこめませんでした。出だしが鈴理だったので、鈴理に沿って読んでいたら、あまりにも周りが見えていない言動が多くて、読むのが辛くなりました。寄り添っているのでなく突き放すように書いている感じがしました。それでも、中学生が読んでも高校生の気持ちがわかるように書いてあるし、高校生が読んでも中学生の時はそうだったというように自分の成長がわかるように書いてあるとは思いました。どきっとするタイトルですが、後書きを読んでもどういう意味かよくわからないというか、あまりピンときませんでした。ただ、カバーの絵は、何か物語がありそうで手に取りやすいとは思いました。

アンヌ:最初は月乃さんの視点から書かれているのかと思って読み始めたのですが、途中でそれではついていけなくなりました。他人を突き放してみているような姿勢をとりながら、実は自分を整理できていない。ああ、こういうところが中学生なんだという感じがしました。とても古典的なぐらいに能天気に書かれている彗が物語を動かしてするところにも、リアリティを感じました。とにかくこれだけの人数の登場人物を短い言葉でよく書き分けたと思います。うわべは幸せそうだったり素晴らしい人に見える人間でも、心の中に闇を抱えていたりすることが語られていて、デートDVについては被害者だけではなく、加害者へのメッセージもあります。新しいヤングアダルトの書き手だなと感じました。

ハリネズミ:私はおもしろく読みました。たしかに登場人物は多いですが、デフォルメされて特徴がはっきり出ているので、読んでいて混同することはありませんでした。各章がそれぞれの人物の一人称なので、文体も違いますし。普通ギャルメイクをしている人は自分の素を出したくないと思ってわけだから、周りの人の世話をしたりしないと思いますけど、夏海は違いますね。鈴理だけちょっと浮き上がっているように思いましたが、それはこの子が何かハンディを抱えているからでしょうか。それぞれが個性的ですが、表紙の絵はどれも同じ顔なのが残念。私がいちばん気になったのは未莉亜ですが、未莉亜の章はありません。別の巻で出てくるのかな。全体にユーモアもあって、楽しく読めます。このタイトルは反語的な表現なのでしょうね。

西山:人が混ざるというのではないんですが。単純に、会話が続いているとだれのセリフがわからなくなるところがありますね。

ハリネズミ:どうしてこういう書名なのかなあ、と私も思ったのですが、後書きに「自分の心の動きを感じ取れることは、だれかの心をおもいやる力にも他人のために心を動かせるやさしさにもつながるんじゃないのかな。(中略)悲しかったりさみしかったり苦しかったりしたときに、だれかが代わりに泣いてナカッタコトにしてくれるわけではないのですから。そんな意味を込めて、逆説的ではありますが『きみのためにはだれも泣かない』というタイトルをつけました」とあって、納得しました。

(「子どもの本で言いたい放題」2017年7月の記録)

『日小見不思議草紙』

Photo_2 『日小見不思議草紙』
の読書会記録

藤重ヒカル作
飯野和好挿絵
偕成社 2016.09






ハル
:お話はおもしろくて良かったので、気になったのは本のつくりのことだけです。飯野さんの絵は私も好きなのですが、結構、なんというか、しっとりとしたきれいなお話のときに、飯野さんの絵がバーンと出てくると、笑いたくなってしまうというか。物語と絵が合っているのかなぁ?と思わなくもないです。それから、本がとても重たいのが気になりました。ランドセルに入れたら重たいだろうなぁと思います。

西山:この作品、大好きです。今年度の日本児童文学者協会新人賞受賞作です。入れ子にしている作りが効いていて、人を食っている感じ、「騙り」をおもしろがっている感じが本当に読んでいて愉快で好きです。例えば、「三の巻 おはるの絵の具」は本題の話自体はどこかで見たことがあるような印象ですが、「日小見美術散歩 その七」とした絵の解説が本当に愉快。「(日小見市役所観光課発行 季刊『ひおみ見どころガイド』春号より)」(p108)なんて、もう楽しいなあ! 話で一番好きなのは「一の巻 立花たんぽぽ丸のこと」です。子どもの頃、多分学研の「学習」だったと思うのですが、今江祥智の「たんぽぽざむらい」を読んでとても、好きだったんです。これも、戦意を喪失させる、ゆるさがある。子どもの殿様が楽しそうに笑っているのが、しみじみと幸せな景色。人を殺したくない六平太のこの物語を、私は、自衛隊員に読み聞かせしたいと、結構真剣に考えています。

ネズミ:私もおもしろく読みました。納得のいくまで時間をかけて、じっくりていねいに書いた作品という印象がありました。地図までのっているので、自分が今いる町にも、昔こんなふうに、いろんな感情を持ちながら生きていた人がいたんだろうな、って思えてきます。物語の楽しさ、理だけでは片付かない不思議を味わえる作品だと思いました。

レジーナ:ずっと読書会で読みたいと思っていました! とても好きな作品です。人と動物が入り交じって暮らす不思議な町を舞台に、血のつながらない親子や、恋人たちが心を通わせる様が描かれています。人も虫も動物も、いろんな命を等しいものとしてとらえている感じがします。生きることの美しさやヒューマニティを、声高にではなくそっとうたう作品です。読みおわったあと、世界が少しだけ違って見えて、自分が住む場所にもこんな不思議がかくれている気がしてきました。「おはるの絵の具」はちょっとセンチメンタルで、昔の日本の児童文学にありそう。でも、気になるほどではありませんでした。かんざしをさした熊など、飯野さんの絵はユーモアがあり、作品の世界にもよく合っています。p35で、サルが「おなじだよ。おなじ」というのですが、その意味がよくわかりませんでした。

ハリネズミ:どんな理由にしろ人を斬ったという点では同じ、ということじゃないでしょうか。

アンヌ:最初は、サルがそれまでもいろんな人に刀を渡してきていて、そんな人たちとおまえも同じだったんだなという意味で言ったと思っていたのですが、猿が刀を取り戻すわけではなく刀も埋められてしまうので、違うようですね。

西山:「おれは……おれは……。」の「……」には、「斬りたくなかった」とか「斬るつもりはなかった」が入るのが自然な気がするので、「おなじ」というのは、やはり、人を斬ったことに変わりはないという突き放した一言ということになるのかな。考えさせますね。

ルパン:うーん、おもしろかったけれど、私はまあ、ふつう、っていう感じでした。どの作品も既視感があって。たとえば、「おはるの絵の具」の章は、あまんきみこの『車のいろは空のいろ 白いぼうし』みたいだ、とか。

アンヌ:おもしろかったけれど、それぞれの作品を読み込んで行くと、全体にうまく収まりをつけてしまっているところが逆に残念な感じがしました。一の巻では忠臣だった侍が四の巻では実は熊だったりする意外性や、その奥方や女中が熊の姿なのに紅を指していたりするという物語にしかありえないリアリティがおもしろいと思いました。作品としては、三の巻の「おはるの絵の具」の話が心に残りました。主人公が師匠の言うとおりに、おはるがくれた絵の具の色を再現できるように努力したり、江戸に上がって修行して御用画家として藩に仕えたりすることもなく放浪し、水墨画家となり色を使った絵を描かなくなってしまう。稲垣足穂が『山ン本五郎左衛門只今退散仕る』(ちくま日本文学全集)で、この話のようにこの世ならぬものに意味もなく愛されてしまう経験によって「主人公たちは大抵身を持ち崩してしまう」と言っているのを思い出しました。

コアラ:すごくおもしろく読みました。連作の物語を読むおもしろさを1冊たっぷり味わいました。物語の前後に挟まれている文も、現代から江戸時代の物語にすっと入っていけるようになっていて、うまいなと思いました。「立花たんぽぽ丸のこと」では、六平太の鼻にたんぽぽがぱっと咲く場面、挿絵もおかしくて、電車の中で読んでいて笑えてしかたなかったです。「草冠の花嫁」で「おこん」という女の子が出てきてキツネだったので、「おせつネコかぶり」で「おたま」という女性が出てきたのでネコだなとピンときました。「龍ヶ堰」の上田角之進がクマでハチミツづくり、というのも納得です。「おはるの絵の具」は「おはる」という女の子なので春の精霊かな、と思ったら蝶で、意外だったし切ないラストで、私はけっこう好きでした。「おわりに」も日小見の観光ガイドのようになっていて、行ったら楽しそうと思いました。一番最初の地図を見返すと、物語で馴染みになった由庵の診療所があったりして、また物語を思い返したりしました。本を読み終わって電車を降りたら猫が通っていて、「あ、ネコガミかな」と思ったりして、読む前と読んだ後では、世界が違って見えました。

ハリネズミ:私もおもしろく読みました。最初は人間だと思っていたのが、獣だということがわかってくるんですね。幽庵先生もネコだし。飯野さんの絵はいいですね。登場するのが人間界と動物界をいったり来たりする者たちなので、ぴったりの気がします。一つ一つはよくある物語ですが、時空を超える仕掛けがあって、過去の歴史と今がつながるように書かれていますね。その仕掛けが見事だと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2017年7月の記録)

『いたずらっ子がやってきた』

Photo 『いたずらっ子がやってきた』
の読書記録

カトリーナ・ナネスタッド作
こぺんなな挿絵
渋谷弘子訳
さ・え・ら書房 2016.12
原書 THE GIRL WHO BROUGHT MISCHIEF by Katrina Nannestad, 2013

コアラ:最初に「1911年デンマーク領ボーンホルム島」とあるのですが、何か事件があったわけでもなく、なぜその時代設定なのかわかりませんでした。単に今より窮屈な時代というだけでしかなく、なぜ今、この現代に、その時代の物語が必要なのかわかりませんでした。読んでいていろんなところで『赤毛のアン』を思い出しましたが、『赤毛のアン』の方がずっと心に残ると思いました。最後まで読みましたが、私はあまりおもしろいとは思いませんでした。

アンヌ:時代設定が1911年というのは、作者が古い時代の話をデンマーク人の夫の親戚等から聞き書きして書いたからではないかと思いました。題名に「いたずらっ子」とありますが、主人公が自主的にいたずらをするのはp.182のアンゲリーナのブルマーを取る場面だけかもしれません。この場面で、おばあさんなんだと思っていた島の女性が思いっきり走ったあげく、みんなで昔を思い出して女の子のように笑い転げて、それから「おばあさん」であるのをやめてしまう。型にはまった大人から、女の子だった自分を取り戻していく感じがして好きです。註が見開きの左ページの端に載っているのは、読みやすく感じました。

ルパン:おもしろく読んでいるところですが、まだ途中です。これまでのところでおもしろかったのは、死んだ七面鳥が生き返る場面です。夜中にひとりで生き返っているところとか、想像するとゆかいです。今、気になっているのは、母親が死ぬまでどういう暮らしをしていたかということです。父親が亡くなって、この時代の母子家庭のはずなのに、お手伝いさんがいたり。けっこう裕福な暮らしをしていたらしいので、財源はどこにあったのかなあ、とか。いずれにしても、都会のぜいたくな暮らしをしていた女の子が、その価値観を田舎の生活に持ち込むわけですが、ここから先、そのへんのところ、どう折り合いをつけていくのか、続きが楽しみです。絵は、好き嫌いがあるかなあ、と思いますが、私はレトロな感じで悪くないと思いました。

レジーナ:全体的に私には読みにくく、作品の世界に入っていけませんでした。たとえば33ページの「なによりうれしいのは、おばあちゃんがわたしに帽子をあんでやりたいと思ってくれたことだ」で、子どもの側から見たときに、「(祖母が自分に)あんでやりたい」という言い方をするでしょうか。先生への手紙で、上着が変だと書いていますが、この書き方だと無神経な感じがして、主人公に共感できません。昔の話なので、体罰のシーンもけっこうあり、この時代設定にした意味もよくわかりませんでした。

ハリネズミ:「あんでやりたい」は、それでいいんじゃないですか。私はひっかかりませんでした。文が長いから読みにくいというか所はありましたけど。

ネズミ:おもしろい本なんだろう、と思って読みました。母親の死をどうのりこえるかというのがテーマでしょうか。互いになじみのない主人公と祖母が共に暮らすなかで死を乗りこえて生きていくというのはすてきで、いつの時代にも通じるテーマですね。でも、どこか違和感がある。前後がつながらない表現がちょこちょこあって私はすっと物語に入れなかったので、おもしろいと言い切るのはちょっと、という感じです。たとえば、p33で、毛糸の帽子のボンボンのことを、「おばあちゃんがあんでいた毛糸の玉だ」と言っていますが、ボンボンは編むのでしょうか?

p36の5行目「わたしはすごくうれしくなって、そのあとはもうおしゃべりができなかった」というのは、どういう意味なのでしょう。また、シチメンチョウがガボガボゴボゴボ鳴く、という表現が出てきますが、この擬声語でいいのかなあと思いました。p187の後ろから3行目「元気で、型やぶりな子だったんだよ」の「型やぶり」と「子」の組み合わせも、私にはしっくりしませんでした。ニシンの燻製の小屋に入って、ネコがついてくるなど、想像するとすごく楽しいのですが。全体のリズムや盛り上げ方をもう少し工夫してくれると、もっと楽しい作品になったんじゃないかと思いました。字組みやルビを見ると、高学年からの作りに見えますが、主人公と同じ10歳くらいの子どもでも、内容としては楽しめそうな気がしました。レイアウトのことを言うと、p7の最初、「一九一一年 デンマーク領ボーンホルム島」は四角で囲まなくてもよいのでは?

ハリネズミ:北欧の国はジェンダー的には進んでいると思っていたのですが、この本では女の子がずいぶん差別されているみたいですね。この時代の田舎だからでしょうか?

西山:ノリがわからない、とういうのが全体的な印象です。失礼な言い方にはなりますが、応募原稿にときどきある感じ。書きたいこと、醸し出したい雰囲気はあるけど、笑わせたいというのもわかるけど、それが一つのまとまった印象にならない感じです。文体の問題かなと思います。燻製小屋のところがおもしろくて、そこあたりからは笑えるようになったのですが。冒頭のおさげをヤギに食べられてしまうというのが、笑うところなのか、どう受け取ればよいのか本当に戸惑いました。p13のおばあさんに手を叩かれたシーンは一瞬で心が冷えたというか、とても深刻にショックを受けて、だから、なかなか書かれているあれこれがユーモアとして受け取っていけない。どう読んでいいかわからないということになっていたと思います。それから、七面鳥の大きさを「お茶箱くらい」とたとえている(p21他)けれど、日本のお茶箱を想像すると大きすぎるし、ましてや今の子どもがお茶箱を思い浮かべられるとは思えません。伝えるための比喩のはずがそうなっていない。

ハル:みなさんのご意見をうかがいながら、確かにそうだなぁと思っていました。あとになって、いろいろな場面を絵にして思い浮かべるととてもおもしろいのに、読んでいるときは笑えないというのが残念ですよね。物語の中で学校の先生に宛てた手紙が出てきますが、子どもが書いたとは思えないような手紙です。大人が、子どもの頃に大人から受けた不愉快な出来事を思い出しながら、「あのとき、ああ言ってやればよかった、こう言ってやればよかった」っていう思いの丈をぶつけたような。手紙だけじゃなく、全体をとおして、主人公の女の子の向こうに大人が透けて見えるような感じがしました。

ハリネズミ:あの手紙は、とても10歳の子の手紙とは思えませんね。いくら賢い子だとしても。

ハル:絵も、攻めてるなぁと思います。ダメというわけではないですが、どうしてこの絵を選んだのか、編集の方にお話を聞いてみたいです。

ハリネズミ:インゲが前向きに生きていこうとするのは、いいですね。物語もなかなかおもしろい。死んだと思っていたシチメンチョウのヘンリュが生き返るところとか、燻製ニシンの小屋で寝たらいつまでも匂いがとれなくてネコがついてくるところなど、愉快です。ただ、インゲのいたずらが、子ども本来の生きる力から出てくるものと、単なるドタバタ(アンゲリーナのブルーマーを持って走り回り、追いかけてきたアンゲリーナのスカートを犬が食いちぎる場面など)と両方あって、それがごちゃまぜに出てくるのが気になりました。それと、舞台はデンマークで、デンマーク語の世界だと思うのに、原書が英語のせいかブロッサム、チャンキー、プレンティなどいくつかは英語のままで出てきます。できたら著者に問い合わせるなどして、全部デンマーク語でそろえてほしかった。みなしごのクラウスに対するところは、昔のチャリティの精神ですね。

ネズミ:カタカナ名の部分ですが、番ねずみの「ヤカちゃん」みたいに、意味をとって日本語にするとか?

ルパン:p78に「民衆学校」とありますが、これは何のことでしょう?

ハリネズミ:ところどころ、注があった方がいいな、と思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2017年7月の記録)

2017年9月24日 (日)

『スピニー通りの秘密の絵』

Photo_3 『スピニー通りの秘密の絵』
の読書会記録


L.M.フィッツジェラルド著
千葉茂樹訳 

原書: UNDER THE EGG by Laura Marx Fitzgerald, 2014   
あすなろ書房
2016.11
 

ナガブチ:テンポもよく、読み進めるほどに、楽しく読めました。最後かなり加速しますが、中でもナチスについてのくだりでは、存命者リストの話や施設の話など、非常に具体的な情報が出てくるのが印象的です。1枚の絵が持っていた真の意味、重さを知った時、とても感動しました。

ネズミ:いろんな要素が盛り込まれている本だなと思いました。セオとボーディが仲良くなっていくところがおもしろかったです。でも、あまりに盛りだくさんすぎて、ここまでしないとおもしろい本にならないのか、読者はのってこないのかと、やや食傷気味にもなりました。こういうのが今風なんでしょうか。ナチスのことも出てきますが、実際の収容所の様子などはうかんでこなくて、筋だてのひとつの道具なのかなという感じ。冒頭で、ジャックがセオのおじいさんだということに、途中まで気づきませんでした。前のほうに書いてあったんでしょうか。

アカザ:わたしも、すぐに分からなくなりました。たしかに前のほうにおじいさんだって書いてあるけれど、1か所だけだとつい見落としてしまいますね。

西山:美術館に行きたくなりました。単純に絵画の読み解きは面白いなと。最初、私も貧困の話かと思いました。スピーディーに繰り出される情報と謎解きでだんだん加速してきたのですが、実はあと少しで読み終わっていません。謎解き部分なので、直前に慌ただしく目を通すのももったいないかと、帰りの電車を楽しみにしています。でも、お構いなく、語ってください(笑)

ハル:子ども向けといっても、こんなにおもしろいミステリーがあるんだ、と夢中になって読みました。絶望的な環境にもめげず、たくましく、しかも天才的な才能をもつ主人公の女の子も痛快です。終盤になって、もう残り何十ページもないけどほんとにお話が終わるのかな?というくらい駆け足になってしまったのがちょっと残念ですが、新しい発見もあり、勉強にもなり、絵画への好奇心もくすぐられて、とてもおもしろかったです。

マリンゴ:最初、読みづらいなと思っていたのですが、途中から一気に引き込まれました。ただ、ラストの部分、捜しまわっていた人が隣に住んでいた、というところで、びっくりするというか、それはちょっとないよ、と思いました。作者のサービス精神が旺盛すぎたのでしょうか。伏線がはられていなくて、後で弁解のようにいろいろ経緯が語られるスタイルで、ミステリー作家さんとかが読むと、いわゆる「ルール違反」ではないのかな、と思いました。あと、p114で、「超オタクの奇人レオナルド・ダ・ヴィンチは卒業総代をねらっている」など、画家たちを高校の生徒にたとえて説明する部分はとてもうまくて、読者もわかりやすいのではないかという気がします。

すあま:ちょっと主人公の境遇がひどいのではないかと思いながら読み進めましたが、主人公の世界が広がっていくにつれて、おもしろくなりました。終盤で話が急展開してちゃんとついていけず、探していた人物はおじいちゃんがとなりに住まわせていたのかと思ってしまいました。最後におじいちゃんの手紙を見つけるところは、なくても物語としては十分だったかもしれません。手紙を読まなかったのに、おじいちゃんの希望をかなえることができた、というところはおもしろいと思います。

アカシア:最初の展開から、ジャックが収容所で一緒だったマックスの話になり、マックスが娘の命を助けるために高価な絵を使ったのが明らかになる。そこまでの展開はみごとだと思いました。でも、最後が『小公女』みたいにご都合主義になってしまった。p252には「収容所を生きぬいたとしても、パリの死刑執行人の手から逃れるのは無理だったんじゃないかと思う」とありますが。p246では、その「パリの死刑執行人」ハンス・ブラントが、アンナの出所申請をしたと書いてあるので、流れに無理が。p252には「ボーディがラップスターのまねみたいな話し方をやめるなら」とありますが、ボーディの口調はそういう訳にはなっていないので、ひっかかりました。マダム・デュモンが自分の名前をおぼえていないということで、最後の展開につながっていくわけですが、自分ではおぼえていなかったにしても、「アンナ・トレンチャーを知らないか」ときかれれば、普通は思い出すのではないかと、そこもひっかかりました。あと一歩でおもしろくなりそうなので、ちょっと残念。

ルパン:とてもおもしろく読みました。エンタメとしては最高だと思います。そう思って読むと、となりの奥さんがさがしていた少女だったとか、最後にお金がたっぷり出てきて一安心、というのも、「どうぞどんどんやって」という感じで楽しめました。ただ、児童文学作品として考えると、あまりにご都合主義なのが残念。あちこちに『クローディアの秘密』(E.L.カニグズバーグ作 松永ふみ子訳 岩波書店)のオマージュなのかな、と思われるシーンがありますが、それにしてはちょっとお粗末な気がします。

アンヌ:主人公がニューヨークのど真ん中でビーツを育て酢漬けの瓶詰を作ったり、祖母の残した服を再利用したり、『家なき娘』 (エクトール・マロ作 二宮フサ訳 偕成社文庫)のように生活をやりくりする様子がとても楽しい物語でした。ナチスによる美術品の略奪話は推理小説にも多いのですが、この作品では、絵の謎だけではなく、祖父が盗人ではないということを解き明かすというスリルがあって、主人公と共にドキドキしながら読み進められました。絵の謎を解くために、ボーディがスマホを駆使し、図書館員がパソコンで調べてくれる。このいかにもスピーディーな現代の謎とき風景と、これに対比するように描かれる主人公が現物の絵画を見、参考資料を読みこんで謎を解こうとするところが実に魅力的で、作者の思い入れを感じます。愕然としたのはp264から始まる隣人と絵の関係がわかる場面です。あまりに描写が省略されすぎていて納得がいかず、作者がもともとは長々と書いていたのを削られたのかなと思いました。

カピバラ:この本で一番いいと思ったのは、ふたりの女の子の関係性です。育った環境も性格も全く違うのに、初対面から拒否反応を起こさず、すっと相手を認めていくところがすがすがしい。この年頃の女の子の、大人っぽくしたい、背伸びしている感じもよく出ています。図書館で調べるところもよかった。

アカザ:とてもおもしろくて、一気に読みました。主人公の女の子が魅力的だし、貧しいといっても豊かな貧しさというか、庭で飼っているニワトリに名前をつけたり、読者が憧れるような貧しさですよね。美術史を学んだ作者ならではの贋作の見分け方とかラファエロの絵の話とか、細部がとても魅力的な物語だと思いました。ただ、やっぱり最後ができすぎというか、やりすぎじゃないのかな。

野坂:作者はもともと美術研究者で、その専門を生かした、力のこもったデビュー作ですね。友情物語、謎解き物語として夢中で読みました。主人公セオは相棒ボーディと力をあわせ、死んだおじいちゃんが遺した絵の謎を探るのだけれど、最終的に絵の中にも失われた家族が描かれていたことがわかり、いくつもの家族の喪失と再生の物語が層になっている点、うーんやられたという感じ。絵そのものにも見えない層があって、絵の秘密を探るため、病気のふりをしてレントゲンにかけるところも、奇想天外な子どもたちのパワーを感じました。ただ、大円団の部分で、マダム・デュモン(いじわるな隣人)が、急にきれいな言葉で話しだし、人格が変わったように感じたのは残念。そして、セオはものすごく貧乏なんですが、ただの貧乏ではなく、そうしたことがアートのように感じられるのは、売れない画家だったおじいちゃんのセンス、生き方のおかげ。そんなおじいちゃん、セオの人物像にも、それなりに苦労しているセレブの娘ボーディの描かれ方にも、好感が持てました。

レジーナ:私も『クローディアの秘密』を思い出しながら、おもしろく読みました。ところどころわからない部分がありました。映画『黄金のアデーレ』は、ナチスに奪われたクリムトの絵を取りかえそうとした実在の人物の話ですが、奪われた絵を取りもどすことが、失われた過去を取りもどすことにつながっていて、その点ではマダム・デュモンの人生に重なりました。

しじみ71個分(メール参加):美術の専門家が書いただけあって、絵にまつわる謎解きがとてもリアルでしたし、モニュメンツ・メンという存在も初めて知り、非常におもしろく読みました。貧しく、頼りのおじいさんを亡くし、母は生活力がないという厳しい環境にありながら、知恵をフル回転させて、アナログを旨として生きる主人公のセオと、珍しい家族環境を持ち、ネット検索に非常に長けたボーディ(bodhi、菩提=悟り、知恵)という女の子の二人組が、本とネットという現代に必要とされる知性をそのまま象徴しているようで、その二人が絵にまつわる謎解きをするという構成がとても巧みだと思いました。私が特にいいなと思ったのは図書館員のエディで、タトゥーがあって型破りでありながら、図書館情報学修士号を持ち、専門的なサポートをしてくれる存在として描かれています。また、いかにも司書らしい容姿として描かれる専門図書館員の彼女もプロフェッショナルなスキルをフル動員して子どもたちを助けるというところで、アメリカにおける図書館員の認知度の高さが良くわかり、日本とは違うなぁと実感しました(多くの専門家がそこを目指しているとしてもまだ社会全体でそこまで到達していないという意味で)。セオがおじいさんの宝の絵を売って生活の足しにすることばかり考えて、途中、絵の持ち主探しに消極的に見えるように思えた点はちょっと残念にも思いましたが、生活に困窮しているという意味でリアルだったなとも思います。最後の、お前はニワトリだ、地面をつついて真実を探せ、というおじいちゃんのジャックの言葉はぐっときました。真実を探求する人の姿勢を端的に表した言葉だと思います。小学校高学年くらいの子どもには、ミステリ的な要素に知的好奇心をくすぐられておもしろいのではないかと思いますが、もしかしたらちょっと難しいでしょうか?

エーデルワイス(メール参加):極貧で、家の仕事と母の世話をするセオドラはたくましくもけなげです。言語と図書館と美術館とミステリーがあわさって、おもしろい作品に仕上がっています。訳もいいですね。ナチスの奪った絵画を洞窟から奪い返すという映画を何年か前に見たことがあります。

(2017年6月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

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