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子どもの本で言いたい放題

2019年6月10日 (月)

『ガラスの梨〜ちいやんの戦争』

Photo_20  『ガラスの梨〜ちいやんの戦争』
 の読書会記録

 

 越水利江子/著 牧野千穂/挿絵
 ポプラ社  2018.07

 

ルパン:戦争の話はほかにもたくさんありますが、この本で新しく知った現実が多くありました。特に焼夷弾のところは、とてもリアルに描かれていて、そういうものだったんだということがよくわかりました。油が飛んでくるので火が消えない、これなら逃げられない、ということが実感として伝わってきて、震え上がりました。戦争を題材にしたお話というのは、多く出版されているわりには、敬遠されがちだと思うので、今の子どもたちが読んでくれるといいなと思いました。一点だけ気になったのは、アメリカがしたことについては詳しく書かれているんですけど、同じことを日本がやったということについてはトーンダウンしていることです。p326「もし、日本が攻めていた中国で、日本軍が同じことをしていたら・・・と思えば、やっぱりゆるせない。いや、アメリカのような兵器も物資もなかった日本軍は同じことはできなかったはずだとは思う。」「アメリカ軍とはちがってたとしても、もしひとりの兵、一部の連隊だけだったとしても・・・」という書き方だと、これを読んだ子どもは、結果的にやってないと思ってしまうかもしれません。あとがきで何かフォローがあるかと思ったけれどそれもなくて残念。あと気になったのは、お兄さん夫婦に対して笑生子(えいこ)がちょっとものわかりよすぎるところかな。優等生すぎるコメントで。この夫婦は戦時中でなくても、もともとそれほどやさしい人ではなかったのだから。

アンヌ:出征する時に「行ってきます」では帰るという意味を含むので言えなかった、そんな言葉狩りがされていたんですね。主人公の兄や姉が手紙を書くときの暗号をあらかじめ決めていたというのは、そんな戦時下をいかに生き延びたかの証言だと思いました。焼夷弾の描写には震え上がりました。米軍の爆撃機のパイロットと、戦後にチョコレートを渡そうとするアメリカ人軍医の姿が描かれています。どちらも普通の人間なのに戦争中はまるで違ってしまう。私の世代まではこういう形で戦争を記憶して折に触れ語ってくれる人が身近にいたけれど、もうすぐこんなふうに戦中戦後を生き延びてきた世代がいなくなってしまう、本当にこういう本は必要だなと感じました。その他には「冷やし馬」の場面がとても魅力的でした。

花散里:読めて良かったと思いました。「あとがき」に、この作品は自分の母親をモデルにしていると書かれていますが、笑生子の娘、小夜子が主人公として書かれた『あした、出会った少年』(ポプラ社)など、他の作品も読んでみたいと思いました。これまでの戦争児童文学は被害者としての視点で描かれている作品が多かったと思いますが、この作品は今までの児童文学になかった視点で書かれているのではないかと感じます。巻末の「参考書籍・戦時資料」も詳しくて、たくさんの資料に基づいて描かれた作品であるということが解りました。対象としてはルビが振ってあるので小学校上級から読めると思いますが、描かれている家族の絆など、親子で読んで話し合ってほしい作品だと思いました。動物の描き方、自然描写とか、文章がとても良いと思いましたが、表紙の装丁、挿画も読書を助ける役割を果たしていると感じました。これからの時代を担う子どもたちに手渡したいと思う作品でした。

カボス:モデルにしたお母さんから聞いただけではなく、巻末の参考書籍や戦時資料がいっぱい挙げてあって、いろいろな目配りをしながら書かれているのだと思いました。主観的に身近な人の体験を書いただけのものではないんですね。悲惨な状況の描写が続くなかで、牧野さんのあたたかい絵には、それを和らげる効果があると思います。天王寺動物園で飼われていたヒョウやゾウ、冷やし馬をしてもらっていたのに戦火をあびて燃えながら走った馬のクリ、供出を命じられたのに隠した犬のキラなど、動物に対する愛情が現れているところも特徴のひとつですね。p339には、戦争で殺された生き物と平和時に死んだ生き物の対比も描かれています。またp293では「国家と国家の憎しみは根深く残っても、人と人が心を交わす一瞬は、雲間から差しこむ光のように、たしかに、そこにあったのかもしれない」と、軍と人は違うという視点も出しています。一方でp325では、「あのチョコレートをくれた優しげなアメリカの軍医さんだって壊れてしまうかもしれないし、成年兄やんだって、もし、もっともっと長く戦場で戦えば、壊れてしまったかもしれない」という文章で、戦争で戦うこと自体が人間を壊すことになるとも言っています。
あと、私は米軍が日本全国の数多くの中都市を爆撃していたことや、原爆模擬弾パンプキンが日本の30都市、50箇所に落とされていたことをこの本の後書きであらためて知りました。令丈ヒロ子さんの『パンプキン』(講談社)も読んでいたのですが、そこは頭に入っていなかったんですね。大人も子どもも読めるようにしたいという著者の覚悟を感じました。中学生くらいから読んでほしい本です。

コアラ:大阪の空襲については知らなかったので、こんなにひどかったんだとわかりました。戦争を知るには大切な本だと思います。でも、子どもが手に取って読むだろうか、という印象でした。分量も多いし、難しい言葉や漢字も多いし、内容もつらい。それでも、イラストがやわらかくて、内容をやわらげているんだなと私も感じました。p24〜p25の冷やし馬のイラストとか、すごくいいと思いました。気になったのは、p50のゾウのイラスト。切り抜き方が、なめらかでなくて、境目がなんか気持ち悪いんです。もう少し上手に切り抜いてほしい。

マリンゴ:非常に読み応えがありました。戦争を後世に伝えていきたいという強い思いを感じる本でした。戦闘機「P-51」や焼夷弾の詳細など、私自身、知らなかったことも多く勉強になりました。ぜひたくさんの子に読んでほしいのですが、そう考えると少し文章量が長くてしんどい、という子もいるでしょうか。あと、第8章の「それからの地獄」というタイトルなど、大変さを煽る文言がいくつか見受けられました。ここまでが地獄なのにさらに地獄か、と読むのがつらくなる子もいるかと想像します。見出しなどで煽り過ぎないほうがよかったのではないか、と。そんななか、キラはこの物語の救いの存在ですね。個人的には、児童文学なのでキラが死ぬところまで描かなくてもよかったのかな、と思いました。

西山:キラのことで言えば、この物語はキラに始まり、キラに終わる。最後のキラの死も納得のいく展開です。キラが死んでしまうのではないかとはらはらする場面がいっぱいあったのに、死なせることなくキラの命を全うさせたのがすごくよかったと思います。書き込まれたたくさんの情報はすでにどこかで読んだり、映画で観たりしたことがある内容で新しいことを知ったという事はなかったのですが、主人公が心を寄せる犬を戦争で死なせなかった点は「戦争児童文学」として新鮮に受け止めました。そういう存在を死なせてお涙ちょうだいにしてしまい(補足:まさに『かわいそうなぞう』土家由岐雄著 金の星社)、子ども読者を悲しみで打ちのめす(補足:椋鳩十の『マヤの一生』もなかなかのダメージを与える)のではなく、最終的に打ちのめさない(補足:モーパーゴの口当たりの良さを少し思い浮かべていました)。どんなに惨い人の死が描かれても、キラが無事だったことで子ども読者に決定的なショックを与えないようにしていると思いました。あと澄恵美姉やんがなにしろ魅力的でした。「子どもは泣くもんやっ!」(p242)、とばんと言ったり、とてもすがすがしくカッコイイ女性でした。キラを死なさなかったことと、澄恵美姉やんの魅力をこの作品の美点として読みました。動物園の動物殺害の真相についても、あとがきでフォローしてほしいポイントでした。最初に読んだとき、「ヒョウが、かわいく鳴いた」(p47)というのにひっかかって、あと付箋を貼りそびれて今見つけられないのですが、たしかおばあさんのことも「かわいい」と表現したところがあって、違和感を覚えました。字が大きくて、カットが入ってくるタイミングもいいし、けっこう小学校高学年くらいで読めるかと思いますが、表紙は大人っぽすぎるかな? でもともかく、キラに引かれて最後まで読めると思います。

カボス:動物園の動物のことは、p136でねずみのおっちゃんに「空中があったら、動物園の檻が壊れて猛獣が逃げ出すんで、それを防ぐために、猛獣を殺すようにって、大阪市から命令があったんや。(中略)もともと、うちのキリンやらカバやらは飼料不足のせいで死んだり、餓死したりしてたけど、十月になってからは、市から、オオカミやヒグマ、トラやライオンにも、毒入りのえさを食べさせて頃競って命じられたんや」と言わせていますよ。

ネズミ:こわいほど迫力がありました。笑生子を視点人物として、一人称にとても近く書かれているので、笑生子がどう生き抜いていくのかが気になって、最後まで一気に読みました。『世界の果てのこどもたち』(中脇初枝著 講談社)もそうだろうと思うのですが、一人の個人の体験ではなく、たくさんの資料にあたって複数の人の体験を登場人物にもりこんだり、今の読者の視点から知りたいこと、書くべきと思ったことを強調したりできるところに、当事者本人ではない作家が書く強みを感じました。当事者だと、自分が思ったことに忠実にあろうとして、こういうふうには書けないかな、と。一方で、p326の後ろから4行目からの「今も決して、アメリカをゆるせないと思う笑生子の気持ちと同じに・・・」のあたりは、この時代を本当に生きた人が、この時点でこのように考えられただろうかと思いもしました。

まめじか:自分の家族の体験があって、それをもとにひとつの作品を書いているのですが、今の時代、その意味はすごくあると思いました。ただ、淡々と出来事を連ねていくような文体に、p172「めちゃくちゃよろこんで」とか、p283「ハグハグ食べて」とか、今の言葉が入ってくるのに違和感をもちました。空襲の描写も、こんなに擬音語を使わなくてもいいのではないか、と。カタカナが多いと目立つし、表現として軽くなるような気がします。

マリンゴ:表現について言うと、私はp307 「死ぬほどおいしかった!」という部分が気になりました。ここまで「死」について重厚に描いてきたのに、この場面ではずいぶん軽く使われている気がして。

西山:焼夷弾の「ザーザー」(本文中は「ザーッ、ザーッ」)は、よく言われる擬音で、多分実際の音をよく表しているのでしょうから、それを他の表現でというのはうまくイメージできません。ただ、おっしゃるように「ハグハグ」といった擬態語が全体の印象を軽くしているというのはあるかも。表現が軽いから、読みやすいというのもあるのかもしれない。それを良しとするか、評価は分かれるだろうけれど。

さららん:語り手の言葉のほかに、戦歌や爆弾が落ちる時の生々しい擬音、玉音放送の天皇の言葉とか、さまざまなレベルの言葉が入っています。そんないろんな要素が全体を形作っていくのに、この長さがあってちょうどよかった。というより、このぐらいないと書けない作品だと思いました。最近、外猫の最期を看取ったばかりなので、キラが命を全うして死ぬ瞬間の描写に共感を覚えました。「魂虫」が最初のほうと、最後にまた出てきますが、作者は現実とむこう側の命がつながっていることを、目に見える形で表現したかったのでしょう。体験したことを少女がどのように感じたか、それを中心に書いた作品なので派手な擬音もありかと。空襲の場面は映画館で映画を見ているような臨場感を覚えました。p272に玉音放送の言葉があり、今読むと、今と全く違う天皇の立場に、強い違和感があります。でも歴史の勉強ではなく、主人公と一体化しながら、その生の言葉に今の子どもたちが出会うのは大事なことかと思うのです。それからアメリカが舞台の児童文学でも、戦死者が出た家に栄誉の印を出す場面があり、日本もアメリカでも国の巧妙な仕掛けは同じなんですね。

木の葉:表紙ですが、ちょっとバラバラとした印象を受けました。中扉の絵の方が好きでしたが、こっちだと、いかにも戦争物、という感じになってしまうかもしれません。

カボス:中扉はよくある日本の児童文学という感じです。この表紙だからこそ新鮮な感じがして、私はこの表紙でよかった、と思いましたよ。

木の葉:まず形式的なことですが、大阪の地図があるといいと思いました。それから、ルビはページ初出のようですが乱れているところがいくつかありました。タイトルは、どうしても『ガラスのうさぎ』(高木敏子著 金の星社)を連想してしまうので、もう一工夫あってもよかったのではないでしょうか。この物語はご本人のお母さんの体験がベースになっているということで、書かなければ、という作者自身の強い使命感があったのだと感じました。その思いの強さはよくわかりましたし、それが物語としての勢いにもなっていると思います。その反面、勢い故にか、若干粗さが残ってしまったというか未整理な文章が気になりました。たとえば、p13の「天王寺動物園の仕事も、ときどき手伝っているので、山仕事や手伝いでいそがしい」とか、「宇治からの帰りは、宇治の山から採った柴を運んでくる柴船に乗って帰ってくるので」とか。p54「お母さんとおばあちゃんと、うちだけで、男手が全然ないんで、澄恵美さんがきてくれはって、ほんま、助かってます!」(←澄恵美さんは女性!)とか。p112の「ぼうぜんとした笑生子には、お母やんをなぐさめる言葉さえ浮かばなかった」というのもちょっと気になりました。小学生にその役割を担わせるのか、と。擬音については、使うことはともかく、少し多すぎるのでは? ウウウウ ジャンジャンという言葉など、いささか鬱陶しく感じました。
冒頭のポエム的な部分は、必要だったのでしょうか。私は今一つしっくりきませんでした。ここも含め、いい悪いということでなく、書き方が情緒的だなと思いました。「情」は感動に繋がることなのでとても大事な要素だけれど、私は「情」が全面に出てくるものに、どうしても警戒感が働いてしまいます。なので、感情が表に出た描写が続くと、少し苦しくなります。
戦争に関する記述では、私はあまり新味を感じなかったです。が、それは私が大人だからなので、子ども読者にとっては意味があるかもしれません。いちばん残念だったのは、加害への言及が弱いことです。被害を書くことを否定はしませんが、p41でドーリットル空襲への言及があって、先生が「国際法では、兵隊でない人を攻撃することは禁じられていのに」と言います。そういうことは実際にあったかもしれません。でも、あとがきなりで、重慶爆撃などに触れてほしかったです。無差別空襲はナチスによるゲルニカや、日本軍による重慶が先です。重慶爆撃は、アメリカの日本への空襲の口実になったと言われています。加害への言及としてp325に「かつて、日本が攻めていった戦地では、日本軍はなにをしたのだろう」とありますが、具体的なことは一切触れてません。p326「アメリカのような兵器も物資もなかった日本軍は、同じことはできなかったはずだ」というのも、当時の感情としてはありえるかもしれませんが、ここもあとがきなどでフォローしてほしかったです。加害に対する記述は終始、抽象的で具体性を欠いているのが残念です。なぜ私が加害ということにこだわるのかといえば、被害体験では、厭戦(反戦ではなく)にしかならないことを危惧するからです。そのことは、敗戦前にすでに清沢洌が指摘しています(『暗黒日記』)。お兄やんが戦地に向かう際も、生きて帰ってほしいという切実な思いは伝わるものの、お兄やんが殺ししてしまう可能性への言及はありません。当時のこととしては仕方がないのかもしれませんが、回想としては描き得たのではないでしょうか? 殺す側への想像は、この読書会の3月の課題だった『マレスケの虹』(森川成美著 小峰書店)には書かれています。

ハル:もし私がこの本の編集者で、この原稿を預かったとしたらどうしただろうと、わが身の反省も含めて、考えてしまいました。著者の意図として「あとがき」に「この本を、おとなだけが読む本にも、子どもだけが読む本にもしませんでした」とありますが、私が編集者だったら「子どもの本としては描写が残酷すぎないか」とか「削ってはどうか」とか、余計な提案をしてしまったんじゃないかと思うんです。実際に戦争を体験した人の話を聞いているようなこの生々しさが、それこそが大事だと思う反面、本当にそうだろうかとも思いますし・・・。本の中でも、動物園の職員だったねずみのおっちゃんが笑生子に、かわいがっていた動物を殺したことを臨場感たっぷりに泣きながら語るシーンも、「子どもに向かって容赦ないな」と思いました。うーん、でも、残酷な描写をどんどん削ってしまって、ますます戦争の痛みがうすれてしまうのも怖いことですね。それとは別に、さまざまな描写が多少、冗漫というか、ちょっと過多な感じはしました。ちょうどいい例が浮かびませんが、目に見えた景色を「あれはきっとにいちゃんのなんとかや」みたいに、いろんなことをつなげて考えるところとか、たとえば「(隆司も、ここに引きとられるみたいやし・・・。きっと、一休さんもよろこんではるはずや!)」(p324)とか、ラストの「それは、欲望の金色でもなく、空を制す銀色の比翼でもなく、大きな希望の青い空と~」(p346)だったり、冒頭の「わたしは、川を知っている」「あっちにもこっちにも、光る鳥が飛び交うようにせせらぐ川面のきらめき」(p2)だったり・・・。

カボス:「安穏に暮らしている子ども」は、地球上にはそんなにいないんですね。残酷で悲惨な状況に日々さらされている子どもたちもたくさんいる。「安穏に暮らしている子ども」に、そうでない子どもたちのことをどう伝えていくか、は確かに難しいところです。残酷だから読みたくないと本を閉じられては意味がないので。ただいろいろな工夫をして、やっぱり世界の現実を伝えていかないと。あんまり小さい子だと無理ですが、中学生くらいなら視野を広げてもらう必要もあるかと思います。

花散里:本書は作者がたくさんの資料を基に徹底した取材で描かれた作品であるということが「あとがき」を読んでもよく分かりました。7章「生と死」、昭和20年6月1日の空襲で笑生子が見た、「赤ちゃんの頭がなかった」というのは実際にあったことが書かれているのだと思います。勤務していた小学校の学校図書館では広島の原爆の写真集など所蔵していました。高学年は授業で資料として使用していました。丸木美術館の「原爆の図」も、広島の原爆資料館も過去に実際にあった事実として子どもたちに見てほしいと思います。「怖いところを削るよう提案」するということ、実際にあったことを見せないのは、大人の判断として良いのでしょうか? 削っていいのかと疑問に思います。

ハル:痛いことを痛く書かないことも問題ですね。勉強になりました。ありがとうございます。

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エーデルワイス(メール参加):実母をモデルにして、戦争中の生活が克明に描かれています。ノンフィクションとしても書かれてもおかしくないのが、敢えて児童読み物としたところに、戦争を決してしてはいけないと、子どもたちに伝えたいという作者の強い気持ちと願いが伝わってきました。表紙と挿絵がとてもいいですね。

しじみ71個分(メール参加):最初、子ども時代の戦争体験本か、と思わされたが、過去に多く著されているので、どう違うのかを意識的に読むことになった。ユニークだったのは、随所で米軍の非人道的な行為を語りつつ、日本の行為にも思いをいたしている点だった。また、空襲の場面はリアルで、読み進めるのがつらかった。なんと焼夷弾の威力が凄まじいことか、と恐ろしさがずしんと重くのしかかってきた。作家のお母さんが主人公のモデルとのことなので、ていねいに、ていねいにお話を聞いて、このリアリティがもたらされたのだなと実感した。長兄の正義の意地悪さも含め、きょうだいの描き方はみなとても魅力的で、人物像が目に浮かぶようだった。成年兄やんは特に素晴らしく、自分の父が京都で9人兄弟の末っ子で、2番目の叔父が沖縄で亡くなったが、やはり一番、やさしくて優れた人だったと聞いており、ついつい重ねて読んでしまったが、隣り合う京都と大阪では空襲の有無でこんなにも状況が異なっていたのだということをつくづく思い知らされた。また、最後のあとがきに胸を打たれた。作家の想いが詰め込まれていて、あとがきも一つのエッセイのようだと感じた。日本では戦争を全く知らない大人たちが増え、戦争の記憶が消えかかっている今、子どもたちにどのように戦争の事実を伝えていくかは大きな課題だと思う。その課題に敢えて取り組まれたことは本当にすばらしい。

(2019年05月の「子どもの本で言いたい放題」より)

 

『世界を7で数えたら』

Photo_19  『世界を7で数えたら』
 の読書会記録

 

 ホリー・ゴールドバーグ・スローン/著
 三辺律子/訳

 小学館 2016.08
 原題:COUNTING BY 7S by Holly Goldberg Sloan, 2013

 

コアラ:出だしは、内容がすっと入ってこない文章で、数ページで投げ出してしまう子もいるんじゃないかと思いました。p4のソフトクリームを食べている場面ですが、チョコレート液にワックスが入っていて、「もっと正確に言えば、食用流動パラフィン・ワックスというものだけど」という文章は、専門的すぎるというか、話の方向が変な気がしました。同じp4の後ろから5行目、「あたしたちの役目は、それをまた外に出してあげること」という文章も、意味がよくわからない。翻訳のせいかと思ったりしたのですが、読み進めるうちに、主人公の性格のこだわりが原因というか、興味を持つところが人とは違っているということがわかってきて、納得しました。慣れてくるとおもしろくなってきましたね。登場人物が生き生きとしていて、特に後半のクアン・ハがとてもよかったです。人や出来事がつながっている展開がとてもいいと思いました。ただ、最後が納得できなかったです。親権を取得してウィローの家族になるんですが、ウィローのことを思うなら、事前にウィローにそのことについて相談したり、「あなたはどうしたいの?」と聞いたりするはず。それを聞かずに本人に秘密にしたまま進めるのはどうなのかなと思いました。それ以外では、心に残る印象的な場面や文章はたくさんありました。p79の12行目、「あたしは、自分でない人間のふりをしていない。その上で、ふたりはあたしを仲間に入れてくれている」とか、p169の真ん中1行アキの前、「かかってこい。ぜんぶいっぺんに。かかってこい!」とか。p205のビール瓶を割ってステンドグラスのようにする場面とかも印象に残りました。気になったのは、p234の3行目「かんそう機」。ひらがなだと逆に読みにくいと思いました。読み終わってみればおもしろかったので、人にすすめたいですね。

マリンゴ:勢いよく読めるし、整った物語だとは思いました。でも、整い過ぎて、ゲームっぽくも感じてしまったんです。たとえば、最後の最後、パティが実はたくさんお金を貯めててマンション一棟買えるという部分などですね。え、そういうミラクルなお話だったの、と印象が変わりました。あと、いろんな人の視点で描いているのが特長ですが、終盤は切り替わりが早すぎて、ちょっと面倒くさいと思ってしまいました。映画やテレビドラマのシーンを起こしたような作りで、脚本的というか・・・・・・。そんなところが目につきました。

西山:1日で読みました。時間がなかったというせいもありますが・・・・・・。おもしろくは読んだんですけど、出だしのところでは、これは学生と一緒に読もうと思っていたのだけれど、だんだん、まあいいか、となりました。エンタメとして、おもしろく読めるよと紹介はできますが、ことさら読み合いたいとは思いませんでした。その理由の第一はウィローが、コミュニケーションに差し障りがないということです。人物としてはデルがおもしろかったです。ここまでダメダメな大人も珍しいけれど、ウィローとの関わりのなかで徐々に変わっていく。でも、終盤の方でもまだ「デルは『人に奉仕する』ってことの意味がわかってないらしい」(p296)と思われるような行動を取って、クスッと笑えました。なかなか消えないダメっぷり。彼女の天才的な「高い能力」が随所で発揮されてはいるけれど、でもそれで大金を手に入れてハッピーエンドという展開ではなかった点には好感を持ちました。

ネズミ:日本にはない作品で、おもしろく読みました。語りに、ウィローの独特の感性、世界の捉え方が表れているのがおもしろく、勢いがあって、ぐいぐい先を読みたくなりました。ただ、最後にいくほどに、何もかもがあまりにもうまくおさまりすぎて、ついて行き難くなりました。1つ1つの文章が、どれもとても短かったのですが、これはもともと原文がそうなんでしょうか? ダメだったりチャンスに見放されていたりしている大人たちがたくさん出てきますが、普通の日本人とはかなり違う状況なので、読者をかなり選ぶのではと思いました。外国文学を読みつけていない読者がいきなり読むのは、ちょっとハードルが高そうです。

まめじか:ウィローは集団になじめず、親を亡くす前から大きな孤独を抱えています。心を開ける人たちと出会ったことで解放されていく様子が、ひしひしと伝わってきました。ウィローの悲しみに、クアン・ハは彼なりに、いろんな人がいろんなふうによりそうのがいいですね。デルの成長は、いくつになっても人は変わっていけるのだと教えてくれます。以前読んだときほどは引っかからなかったんですけど、それでも、よくわからない箇所がところどころありました。p52「デューク氏はまず、あたしのテストの点のことは話題にしたくないと言った。でも、そこで話は終わった」は、なんで「でも」なのでしょう。p118の「黒いほお」は、人の肌なので褐色のほうがいいのでは。

ヘレン:英語でテキストを聴きました。笑うためにはいいと思いますけど、書き方はあまりよくないと思っていて。ウィローはアスペルガーということですが、そういう人だと他の人の気持ちはわからない。なので、ウィローがいつも他の人の印象を書いているのは、リアリティがないと思いました。好きだったのは、人のつながりということ。一人のやることが別の人に影響していく。

さららん:主人公のウィローが黒人の女の子だとは、初めは気づかなくて、途中で、ああそうか!とわかりました。テストの成績が良すぎたため、学校でカンニングを疑われたのは、彼女の外観でそう思われたのかも。いっぽうカウンセラーのデルは白人、こんがらがった、不潔で劣等感の塊のような人です。初めのうちはウィローの親友のマイやクアン・ハやベトナム人の家族を、どこかで見下していたんだろうけど、だんだん巻き込まれていくうちに、デルが変わっていくところがよかった。デルの殺風景なマンションに、ベトナム人一家が好き勝手な家具を持ちこみ、一家が前から住んでいるように変えてしまうところが、具体的でとてもおもしろかったです。

木の葉:アスペルガー? といったことを意識せず、頭が良すぎる子の話かな、と思い、わりとすらすら読めました。ある程度の長さがあってしかも初読だと、あまり引っかかっている余裕がなく、あれ? と思うところもややすっ飛ばして読んでしまったかもしれません。物語がどこかファンタジーっぽいなと思いました。主人公の頭が良すぎることへの周囲の無理解は描かれていても、あまり苦労している感がなくて、痛手になるような失敗も挫折もなく、お金も降ってきちゃうんですね。ウィロー以外の子、マイにしてもクアン・ハ(この兄妹の名前の付け方が私にはよくわかりませんでした。慣習的な意味があるのか?)にしても、能力の高い子なのだと思いました。とにかく、いろんなことがうまく行き過ぎだな、と。ハッピーエンドの物語を否定する気はまったくないです。とはいえ、物語の途中でこういう終わり方になるだろうなと思ったら、そのとおりになってしまったので、もう少し、いい意味での裏切られ感がほしかったです。庭が大きな役割を果たしているのですが、私には視覚的につかめませんでした。

ハル:この表紙とこのタイトル! ずっと気になっていた本だったので、今回読めて嬉しいです。どんな人も、ダメに見える人でも、お互いに影響しあっていて、ぐるっと輪っかにつながって、世界が変わっていく様子や、それぞれの成長、特にデルの成長に勇気づけられました。「突然変異型」っていいですね。「そう、おれは変われるのだ」(p267)、「もっとすごいことだ。内側の変化だから」(p268)なんて、わくわくしました。ああ良かったな、と読み終えてから、あんまりタイトルは関係なかったんじゃない?と思いました。ただ話題性ということだと、タイトルの勝利もあるのかなと思います。

ルパン:ずっと前に読んで、とってもおもしろかったことは覚えているんですけど、実は話の内容をすっかり忘れていたんですよね。今回読み返したらやっぱりおもしろかったです。エンタメなのかもしれないけど、ここまでやってくれたらエンタメ上等、っていう感じです。物語にしかできないことをいっぱいやってくれていて、つぼにはまりました。ハッピーエンドだし、子どもが読んで楽しめるんじゃないかと思います。登場人物が、大人も子どももみんなが成長していて魅力的です。ご都合主義でも、ストーンとめでたしめでたしで、いいと思います。これだけの分量を読ませる力のある本だと思います。しばらくしてまた忘れちゃったらまた読んで楽しみます。

さららん:どんなに絶望的なことがあっても、この世界は信頼にたるものなんだ、希望は持っていていいんだと、ファンシー的な設定の中で伝えていますね。

ルパン:この子は養父母の庇護のもとにいたときはそれで自分の世界が完結していたんですけど、保護者がいなくなって外の世界に出なければならなくなった。でも、みんなの助けを受け入れてみごとに乗り越えていく、そのプロセスがとても気持ちをあったかくさせてくれるんです。

アンヌ:読み始めたら止められなくて一気読みをしたのですが、逆に読み返す気にはなれない本でした。すべてがハッピーエンドに向かって突っ走っていくような感じで。天窓のガラスの破片は美しいけれど、風が吹いたら危険だろうなとか、挿し木で庭を造るという魅力的なプロジェクトがだめになると、プロの植木屋さんが好意で庭を造ってくれるというのは何か違うだろうとか、気になることがいろいろあるのですが、なおざりのまま進んでいく感じです。15章の養母が癌を病院で宣告される場面は必要ないと思いました。映像として交通事故の場面がほしいから描いたのでしょうか? ガレージに住んでいたパティが実は大金持ちで、しかもタクシーの運転手さんまでくじを当てて、その上二人が恋に落ちるとは、いくらなんでもうまくいきすぎと思っています。

花散里:2016年に出版された児童文学のなかで、表紙の画とともにとてもおもしろい作品だったという印象が今でも残っています。タイトルが特に良かったと思いました。小学校の図書館に勤務していたとき、アスペルガー症候群の子でよく図書館に来る子がいたので、その子のことを思い出しながら読んだという記憶があります。主人公のウィローが好きな場所も「図書館」でした。エンタメというよりもこの本は読ませるところが多く、私は人の絆についてなど、いろいろな意味で本書は奥が深いのではないかと感じていました。登場人物が群像劇風で、特にベトナム人女性、パティがとても魅力的で印象に残りました。寒冷地体で生息する木、柳という名前の主人公のウィローが物語の中で成長していく、その変わっていく描き方もうまくて、後半の里親探しなども興味深く、今回、読み返してみても、やはり子どもたちに読んでほしい作品だと思いました。

カボス:社会にうまく適応できない人たちが、コミュニケーションをとって影響し合い、変わっていく姿を描いているところは、たしかにいい。ただ、主人公のウィローは、7にこだわりがあるのと能力がとても高いだけで、アスペルガーという規定はできないですよね。それと訳が荒っぽいように感じました。たとえばウィローの養母の名前は、ロバータじゃなくてロベルタになってますが、イタリア系かなんかでしたっけ? 私は言葉によって物語世界に入りこみたいタイプなので、細かいところが気になるんです。p102に「超音波検査のあと、もとの服に着がえてからようやく、ロベルタはなにかおかしいと気づいた。医師にもう一度部屋にくるように、言われたからだ。さっき一度いったのに?」とありますが、日本だと検査のあとまた呼ばれて説明を受けるなんてよくあるから、えっと思うし、「それから、医師は『おひとりになる時間を』と言って立ちあがった。『ご主人に電話したほうがいいでしょう』」っていうのもよくわからない。p134では女の人について「姿勢から、下部腰椎に痛みがあるのがわかる」とあるのですが、p135では「背中に問題のある女の人は」となっている。下部腰椎は背中じゃないですよね。またそれぞれの章には視点人物の名前が書いてあるのですが、一人称と三人称が混在していてわかりにくかったです。p152「ふたりの姉弟が家出して、ニューヨークの美術館にかくれるっていう、むかしの本みたいにはいかない。ベッドが必要だし、しょっちゅうおふろやシャワーにだって入りたい」というのは、カニグズバーグの『クローディアの秘密』のことを言っているのでしょうが、クローディアはベッドもある、シャワーもあると考えたうえでメトロポリタン美術館に家出をするんじゃなかったですか? この訳(原文かもしれませんが)だとしっくりきません。p197の「デルが大きな声で言った。/『ヘイ!』/クアン・ハは全身に緊張が走るのを感じた。ハという名前の人間にむかって、『ヘイ』とはふつう言わない」もわからないし、p199にはクアン・ハの台詞で「まるで脱獄かなにかみたいだ」とありますが、脱獄?と思ってしまいました。そういう違和感をあちこちで感じてしまって。
それに、ウィローは肌が褐色でメガネもかけているのですよね? p129でクアン・ハも「だいたい、あの子は変だ。みんな、わからないのか? 服とか、髪とか、メガネとか、〜」と言ってます。そこはこの物語にとってたぶん大事な要素だと思うのに、この表紙はその特徴を消してしまっています。

ルパン:そういうことは編集者が指摘するべきでは?

カボス:そうですね。翻訳者だけだと気づかないところもたくさんあるので、編集者の役割は大事だと思います。エンタメだからこそ、もっとていねいに訳し、もっとていねいに出してほしかったな、と思いました。

花散里:デルの「変人分類法」について、ウィローが、「この数か月でわかったことがあるとすれば、(中略)人間をグループや等級にわけることはできないってこと。世界はそんなふうにはできていない」が印象に残りました。一人ひとりが違っていいのだ、ということが。

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エーデルワイス(メール参加):デル・デューク式変人分類法(DDSS)1.不適応型 2.型破り型 3.一匹狼型 4.イカれ型 5.天才型 6.暴君型 7.突然変異型、というここがとても好きです。作者は脚本家、映画監督でもあり、すでにこの作品も映画化が決まっているといいます。本を読んでいて、映像が次々にうかぶので、映画、きっとおもしろいと思います。だからなのか、脚本を読んでいるかのようでした。最初から映画ありきで書かれた児童書ではなく、純粋?に児童書として書かれた作品を読みたいと思いました。

しじみ71個分(メール参加):以前、読んで今回再読したが、私はこの本はとても好きだし、おもしろいと思う。天才的な知能、あふれるほどの知識を持つがゆえに、周囲とのコミュニケ―ションがうまくいかない少女ウィローが、最愛の両親を一度に亡くし、世界を喪失し、悲しみのどん底に陥るが、彼女と出会い、なぜか心を通じ合わせたベトナム人親子のパティ、クアン・ハ、マイ、うだつの上がらないカウンセラーのデル、タクシー運転手ハイロたちが巻き込まれ、ウィローを助け、かかわりあっていく間に、変化がもたらされ閉塞していた自分たちの状況をも新たに切り開きチャンスをつかみ、最後には大きな幸運がもたらされる話で、最後にパティとハイロが共同でウィローの親権を獲得し、ともに暮らせるようになるハッピーエンド。それまでは、最愛の両親を喪失した悲しみと、心を通わせる仲間たちといつか別れなければならない悲しみとが底辺にずっと流れているが、ラストでそれが昇華され、感動が迫る。モチーフとして、植物が重要な位置を占めているが、例えるならウィローは春のようで、周囲の人々は植物みたいだ。ウィローに触れて少しずつ変わっていき、芽吹いて花開いていくように幸せになっていくのが、読んでいて清々しい。植物が種から目を出し、花開いて枯れていくのと同じように、人生もめぐっていく、その中での人と人との関わりを愛おしみ、生きていくことの喜びが伝わってくる。なので、この本はとても好きだ。

(2019年05月の「子どもの本で言いたい放題」より)

『夜間中学へようこそ』

Photo_18  『夜間中学へようこそ』
 の読書会記録

 

 山本悦子/著
 岩崎書店
 2016.05

 

ネズミ:とてもテンポがよくて、優菜の行動にそって一気に読みました。夜間中学がどんなところか、よくわかりました。さまざまな事情から学校に行けなかった人、海外につながる人など、多様な人の存在に気づいて、優菜が変わっていくところがいいなと思いました。中学生の話ですが、小学校高学年くらいから読めるでしょうか。p140で、おばあちゃんが優菜の漢字を知って、「これからは、優菜を呼ぶときには、漢字で呼べる」というところが強く印象に残りました。

西山:たいへんおもしろく読みました。中学入学前の小学生の不安がとてもよく書かれていると思いました。たとえば、「カラフルだった小学校の教室に比べ、中学の教室の暗さときたら驚異的だ」(p30)なんて、ほんとにそうだと思う。でも、不安が具体的に書かれているわりに、入学したとたん、部活の仮入部期間休んで、夜間中学に行くことになったのに、そのことへの葛藤がなさ過ぎるのが気になりました。中学入学直後、人間関係をつくるのに大切な時期のことはあまり書かれていない。戦争がいつごろの出来事で、おばあちゃんがそのとき生きていたということに改めて気づくところも、新鮮でした。でも、おばあちゃんが学校に行けなかったことをきいても、結構しつこくさぼりだとか不登校だとか、疑っているところは不自然に感じました。先月のテキスト『むこう岸』(安田夏菜著 講談社)や、今回の『ガラスの梨』(越水利江子著 ポプラ社)もそうですが、実態を調べて知ったエピソードが、どれだけフィクションの中でなめらかに、なだらかに取り込まれているか、という課題が出てくると思います。この作品も、ときどき生な情報が顔を出しているように感じてしまうところがありました。文章の質の違いを分析できない限り、読み手である私の側の感覚の問題とも言えますが。(補足:ちなみに、私が生な情報に感じたのは読み書きができなくて一番困ったのはお通夜というくだり。p40)駅員さんが応援してくれたり(p28)、電車で席をゆずってもらったり(p59)、というところはよかったです。こういうテーマだと、無理解な人を出す書き方もできるわけだけれど、後半で松本さんと高校生のトラブルもありますけれど、全体として人の良い面を前面に出しているところに好感をもって読みました。

マリンゴ:発売間もない頃に読んだのですが、今回再読できませんでした。記憶が遠いので、あまりコメントできずすみません。知らなかったことを学べるいい1冊で、子どもにおすすめしたい本ですよね。ただ、女の子がおばあさんに対していい子過ぎて、「こんな子、本当にいるのかな」と思ったことは覚えています。個人的には、同じ著者の『神隠しの教室』(童心社)のほうが好きです。

コアラ:タイトルがまじめな感じで、おもしろくないんじゃないかと思ったのですが、最後まで飽きずに読めました。以前、在日朝鮮人のお母さんの手記を担当したことがあって、その中に夜間中学のことも書かれていて、夜間中学の存在は知っていたので、イメージとそんなに違わなかったです。戦中戦後の混乱で学校に行けなかった人を身近に感じる設定、この本では、主人公のおばあちゃんという設定ですが、そういう設定で夜間中学を取り上げることができるのは、今がギリギリのタイミングだと思いました。でも、山あり谷ありの人生の人たちが登場するのに、さらっと読めてしまったせいか、あまり印象に残らない作品でした。

カボス:夜間中学のことをよく知らなかったので、様子がよくわかりました。調べてみたら、東京にも8校あるんですね。そのうちのいくつかには、日本語を学ぶクラスも併設されているそうです。いろんな人が来られる多国籍な空間なんですね。さっき西山さんが「おばあちゃんが学校に行けなかったことをきいても、結構しつこくさぼりだとか不登校だとか、疑っているところを不自然に感じた」とおっしゃったのですが、私はおばあちゃんがなぜ学校に行けなかったかを詳しく書いてあるのがおもしろかったんです。戦争のごたごたで行けなかっただけじゃなくて、おばあちゃんの場合はこうだったし、80歳を超えている松本さんの場合はこうだったということが具体的に書かれているのが、いいなあと。具体的に戦時中の様子が説明されている部分がないと、今の読者には逆に伝わらないのではないか、とも思いました。優菜が昼間の学校に通いつつ、祖母の付き添って夜間中学も体験するという設定なので、空気感の違いがわかるのもいいですね。和真は性格が悪いからいじめられたんだろうな、とわかりますが、その和真を、優菜を出入り禁止にしても担任の先生が大事に守ろうとする場面からは、夜間中学にかかわる人たちの覚悟をが伝わってきました。元の学校の先生も和真を気にかけている場面が登場しますね。各章の冒頭のカットの入れ方がおもしろいですね。また、優菜が昼間の学校へのこだわりがあまり書かれていないという意見も出ていましたが、優菜は夜間中学を体験して昼間の学校の同調圧力はどうでもよくなったんじゃないですか?

西山:だったら同調圧力なんて実は無いんだ、そんなもの気にしなくていいんだと書いたほうがいいのでは?

カボス:そう書いたら説明っぽくなってつまらないんじゃないの?

木の葉:それは書き方によりますよ。

花散里:作者は元小中学校の教員なので、子どもを学校現場で実際によく見ていた人が書いている物語だと思いました。外国籍の子どもたちに日本語を教えている元教員の知人から話を聞いていたので、日本の学校で学んでいる子どもが増えている今こそ読んでほしい作品だと思います。作者の『神隠しの教室』(童心社)は、本書を読んだ後に手にしたので、子どもたちや家庭の描き方に多少、違和感を覚えました。主人公、優菜が周りの人たちから、自分がいい子だと言われていることに対しての思い。その優菜が和真の心を傷つけてしまったときの先生の対応。自分は分かっていなかったと気づいていく主人公の心のあり様などがていねいに描かれていて、人の立場に立って物事を考えるということが作品から伝わってきます。子どもたちに読んでほしいと思いました。祖母の幸という名前の意味、祖母との関わりなどを「夜間中学」を通して、上手に物語の中に組み入れていると感じました。読み継がれていってほしい1冊だと思います。

アンヌ:読み終えてから、おばあちゃんがp246で優菜の名前を漢字で呼んでいるのがいいなと思って前の方を調べたら、p11では確かにひらがなで呼んでいて、それに対してp17ではお母さんは漢字で呼んでいるのに気づいて、おお、と思いました。いろいろとおばあちゃんの心を思って涙ぐむ場面も多かったのですが、名前の意味を知らなかったというところには疑問を持ちました。童謡や流行歌の中にも歌われる名前なので。ただ親に愛されていないと思っていたというので、無意識に意味を聞くことを避けていたのかもしれませんね。p200の松本さんのせりふは、不登校児に届くといいなと思いました。いじめや暴力にあった子に、自分を守ることは重要なんだと大人が伝えるいい場面です。何も知らないなりたての中学生がいろいろな国や年齢や事情を抱える大人から学んでいくというところがすばらしい話だと思いました。駅員さんや周囲の人たちの優しさにもほっとしました。そして、戦争のことを文学で伝えていくことの重要性も感じました。

ルパン:中学生の気持ちがリアルに描かれていたと思います。おばあちゃんを送迎していることをほめられて晴れがましい気持ちや、とりかえしのつかないことを言ってしまって、それまでの幸せ感がうちくだかれた時の気持ち、などです。「夜間中学について教えられている」と思うと楽しめないのですが、「調べて書いてる感」があまりなくて、自然に楽しむことができました。ただ、唯一にして最大の残念は、タイトル。

花散里:逆に、「夜間中学」そのものを子どもは知らないから、このタイトルで手に取るのではないでしょうか。

ハル:読んでよかったなと思うところがいっぱいあったのは確かなのですが、私にはちょっと、優菜という主人公が見えてきませんでした。学級委員的な優等生っぽさや、勘の良さがある一方で、夜間中学の生徒と先生の関係を「マジックみたいだ」と表現するところなどは妙に幼い感じもしますし、ちぐはぐな感じがして、どういう子なのかいまいちつかめません。特に後半、優菜が和真に言ってはいけない言葉をぶつけてしまう場面あたりから、いろいろと疑問が湧いてきます。あの失敗のあとでまだ「和真がまた『じじい、電話くらい出ろよ』とか言いだすのではないかとひやひやしたが、さすがに言わなかった」(p197)とか。この場面でそういう想像する?と思いますし、松本さんにどうして少年時代に中学校に行けなかったのかを聞くのも「今なら聞けるような気がした」(p197)って、ここは優菜が聞いちゃだめじゃないですか? この中学校に来ているひとはいろんな事情を抱えているって、痛いほど学んだばかりなのに。母親に車で送ってもらっていた和真に「電車で来ればいいのに」(p217)って言うのも。「先生、和真くん、すごく変わったと思うよ」(p237)も、最後まで、和真くんはいやな子、いやなやつだった子なんだなというところが、気になってしまいました。
あともうひとつ、生徒に「にんべん」の漢字を書かせる場面で、なんで著者はおばあちゃんに「優菜」の「優」を書かせなかったんだろう。おばあちゃんはこの後の場面でお父さんの「健治」も書けてますし。だったら、「木へん」とか違う字にすればよかったんじゃないかなと思います。でも、実際、黒板の前にたったら、ぱっと浮かばないものかもしれませんけどね。

木の葉:夜間中学という素材がとてもいいと思いました。ファンタジーっぽい構造の作品だなという気もしました。往きて帰りし、というか。ただ、あらかじめ決めているストーリーラインにのって物語が進んでいくという印象で、テーマ性を重視したためか、冒頭が誘導的で、優菜という子が見えないまま、読まされてしまったかな、と。特に前半、優菜が夜間中学のガイド役的に感じられて、もし、具体的なモデルがあってのことならば、むしろノンフィクションで読みたかったです。それにしても、今の中学生ってこんな感じなんですかね。作者の方は教師をされていたそうですので、私よりもずっとリアルな子どもについてはおわかりなのだから、これが現実なのかもしれませんが、優菜が幼く感じました。国の場所を知らないことにもびっくりでした。

ネズミ:中学生はわからないでしょうね。大学生でも、わからない子はたくさんいるので。

木の葉:国の場所ですが、地図帳を見ながら、ブラジルを日本の裏側と発想できますか。地球儀だったらわかるのですが。それから、戦争についてこんなに無理解なのかなと、ちょっと悲しくなりました。後半の戦時についての話題は少し唐突かな、と。優菜も、戦争のことなど何もわかってないはずなのに、すんなり入っている感じがしました。気になった箇所は、p209の「栄養失調で死んだ子どものほうが多かったかもしれないですよねえ」というところ。会話としてはありうる言葉と思いつつ、本当に? と思ってしまいます。裏付けがあってのことなのか。そうでないなら、何らかのフォローがないと、あやまった認識を生むことになります。「そうやって引き揚げの船に乗るまで、全部の赤ん坊が殺された」というのも、自分が乗った船では、ということを強調しておかないと、引き揚げ者のすべての赤ん坊が殺されたような誤解を招きます。
一番気になったのは、優菜のリアル中学との関係です。夜間中学での学びの意義はとても理解できます。そここそがこの作品の肝というか、書きたかったポイントでもあろうかと思います。けれど優菜には現実の学校生活が長く続くのだから。たとえば、一度は出入りを禁じられ、中学で部活を始めます。ところが、再びつきそいをすることになってから、昼間の部活はどうなったのかが気になって。リアル中学生活、ないがしろにならないかな、と思ってしまったんです。
それから、父親ですが、自分の母が漢字を読めないことに気づかなかったというのは鈍すぎるのでは? そのうえ親の気持ちを理解しようとしない。かなり終わりの方になっても無理解のままで、「本当はおばあちゃんのことが好き」という言葉だけではしっくり落ちませんでした。無理解な人としての役割を負わされたようで、なんだか気の毒に感じてしまいました。

さららん:以前、海外に住んでいたのですが、そのとき通った夜間の語学学校を思い出しました。いろんな人種、いろんな価値観の人がいて、意見がかみ合わないところがおもしろかったんです。思い出の扉が開かれ、自分の経験とひとつになって、一気に読んでしまいました。

まめじか:「星に名前があることなんて、学校で教えてもらわなかったら知らないままだった」と、おばあちゃんが語る場面がありますが、学ぶというのは、世界の見え方を変えていくことですよね。優菜が学校生活から一歩外に出て、違う世界を知っていくのもよかったし、夜間中学やフリースクールなど、いろんな学びの場にふれているのも好感がもてました。いい人ばかり出てくるな、とはちょっと思ったけど。

西山:夜間中学を通して学ぶことの意味に気づいたことを、優菜のいる中学での学びへの捉え直しに還元してほしかったです。今自分が昼間の中学で学んでいることがどれだけ意味を持っているのか、夜間中学の紹介だけでなく、もっと普遍化した学ぶことのドキドキを書いてほしかったという思いはあります。敢えて欲を言います。

カボス:だけど昼間の中学って、おもしろくないと思います。だってよっぽどの先生じゃないと、組織にがっちり組み込まれていて、自由な発想が禁じられてるんだもの。

西山:だけど、夜間中学は夜間中学、昼間の中学は昼間の中学と分けて、夜間中学にはすてきなエスニックの世界がありますね、だけじゃあもったいない。昼間の中学でも学びのおもしろさに気づくとか。

花散里:部活を休んだら好きな楽器ができなくなるとか、昼間の中学のことが書かれてないわけじゃないですよね。

木の葉:昔、菅原克己さんから識字学級の話を聞いたことがあるのですが、字を習得して作文を書いたおばあさんが、今まで夕焼けがきれいだと思ったことがなかったけど、字をおぼえたから夕焼けがきれいに見える、と書いたんですって。

カボス:さっき優という字も習ったから書けるんじゃないかとおっしゃったのは、p140の場面ですよね。でも、そこでは先生が書いたのを見ながら書いているから、黒板に出て書きなさいといわれたら、やっぱりすぐには書けないのかもしれませんね。

西山:孫の名前をもっと画数の少ない、簡単に書ける字にしとけば感動が増したかも、ですね(笑)。

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エーデルワイス(メール参加):読みやすくてさわやかでした。孫と祖父または祖母の話は児童文学では不滅ですね。私は、「えっ、夜間高校じゃないの?」と思ったくらい夜間中学の存在を知らないかったのですが、とてもよくわかりました。今では外国人の学びの場所になっていて、国際交流してるんですね。

しじみ71個分(メール参加):夜間中学というところが、どのような場所か、どのような人たちが学びに来ているのか、知ることができるよい作品だと思う。定時制高校はよく知られていても、夜間中学に対する認識は全国的に低いと思うので、周知のためには効果があると思う。夜間中学の自由で、国際的である雰囲気や、昼間の中学と違う主体的な学びの場でまた、どんなに年齢を重ねても、国籍が違っていても、学ぼうとする意欲はとても尊いということも伝わる。一方で、物語としてはときどき、何か事を起こすために設定した感じが見えてしまって、作家の意図が見えてしまって興ざめに感じるところがいくつかあった。例えば、p82~84で漢字が書けないことをからかうような言動を中学生が言うあたり、ちょっとわざとらしさを感じてしまった。主人公の優奈が、おばあちゃんの付き添いで学校に通うことになったという流れも、作家の取材経験が透けて見えて感じられた。全体的には、夜間中学を知らしめるにはよかったけれど、お話としてはまあまあ、という印象だった。

(2019年05月の「子どもの本で言いたい放題」より)

2019年5月14日 (火)

『願いごとの樹』

Photo_13 『願いごとの樹』
 の読書会記録

 

 キャサリン・アップルゲイト/著
 尾高薫/訳
 偕成社   2018.12

 WISHTREE by Katherine Applegate, 2017

 

マリンゴ:樹の1人称の物語ということで、非常に興味深く読みました。序盤、1つの章が短くて読みやすいなと思いました。p174、175の白黒反転や、p192、193の全面見開きのイラストなど、レイアウトも工夫されていて、物語の盛り上げに一役買っています。樹が切り倒されるかも、という主軸の話のなかに、ひとりぼっちの女の子の友情の話など、他の要素も入ってきて多層的ですね。気になったのは、p9「クラスの全員が『マイケル』という名前だったら、と想像してごらん」の部分。いくら人間の話をよく聞いて博識とはいっても、樹が1人称で語る比喩としては、自然ではないと思い、そこでちょっと引いてしまいました。あと、メイブの日記帳に何が書かれていたのかが示されていない。それが少し物足りなく思いました。

西山:最初はちょっと読みにくかったです。表紙から得た印象ではYAかと思って読み始めたので、童話的なテイストとのギャップに戸惑ったという感じです。今のアメリカの排他性を憂えている人たちの存在を思うと、切実すぎて切ない感じがしました。でも、しっとりしんみりという空気で覆うのではなくて、ユーモアが覆っていてそれは好きでした。カラスのボンゴの「ムリー」と「カワイー」の使い方や、動物ごとの名前の付け方とか、仕返しが「落とし物」だったり、世界を柔らかくしていてかなり好きです。ただ、まぁ、長さ的に無理とは分かりますが、本のつくりとして、もっと違ってもよかったのではと思ってしまいます。p192、193の見開きの挿絵はじめ、絵の主張も強いし、ずっと文章を刈り込んで、絵をもっとふやして、寓話的なきれいな大判の絵本でもあうだろうなぁなどと。

ネズミ:私はちょっとお話に入りにくかったです。樹が声を出すことで、物語が動くというのになじめませんでした。願いごとの樹、動物が住んでいる樹のイメージが先行して、物語ができたのかなと。人間の心の変化そのものは、あまりつっこんで書かれていないようで、やや物足りませんでした。

まめじか:レッドもコミュニティも、いろんな人、いろんな動物を受けいれ、ときに軋轢が生まれるのを見ながら歴史を重ねてきました。レッドとサマールの想いは、「ここにいたい」という願いに結晶化されていきます。居場所をもとめる切実さが、この物語の底にありますね。アイルランド系のメイブのところにイアリア系の赤ん坊が来て、その子が家庭をもって、というふうに、異なる人たちが家族になって連綿とつづいてきた、命のつながりが描かれているのもいいです。少年が「去レ」という言葉を樹に刻んだのは排外的な風潮からですが、その子のバックグラウンドが少し気になりました。あえて書いていないんでしょうけど。

彬夜:とても好きな作品でした。私は、今回読んだ3冊の中ではこれが一番よかったです。寓話的な作品ってなかなか日本の今の作家は取り組まないようですが、もっとあっていいのかもしれません。この物語の静かで、でもどこか人間くさい(樹なのに)語り口が好きです。からすのボンゴとの会話もいいですね。イスラムの女の子の背景については、もう半歩書いてほしいような気がした一方、そうすると物語の良さを壊してしまうのかも、という思いがあります。日記が出てきた時点で、これが、樹が切られてしまうのを防ぐのかな、という風に予測が立ってしまいました。実は、そこの箇所を読む前に樹に動物たちが集まっている挿絵がちらっと見えてしまって、オウンゴールをしてしまったみたいな気分でした。自責のネタバレですね。ああ、動物たちが助けるのね、と。それから、樹が切られるという方向の物語ってありえたかな、というのもちょっと夢想してみました。

アンヌ:ファンタジー好きとしては楽しみに読んだのですが、樹に話をさせたところで拍子抜けしてしまいました。ここは樹が語らなくても、子どもたちに日記を読ませても樹の成り立ちを伝えられるので話す必要はないと思います。樹の代弁者としてのカラスのボンゴもいますから、日本の作家なら樹のそよぎや気配で書ききるかもと思いました。フランチェスカが家族の言い伝えを思い出さないのも不自然ですし、日記を読むというのが当日だというのも駆け足な気がします。ただ、双方の家族がこれだけ奇跡的な状況なのにまだ溶け合わないとしているところは、現実も描いているなと思いました。

ハリネズミ:おもしろく読みました。ただ日本の読者を考えると、もう少しわかるように出してくれるとよかったと思いました。たとえば、レッドに彫られた「去レ」という言葉ですが、日本だと「出て行け」くらいの言葉かなあと思ったり、レッドが2軒の家のまん中にあるので、どうして家じゃなく、樹に彫るんだろうとも思いました。原書の読者は、サマールという名前が出て来たとき、イスラムっぽいとわかるのかもしれませんが、「去レ」がサマールの一家に向けられているということが日本の読者にも最初からすっとわかるでしょうか? アマゾンで一部を見ただけですが、原書には、願いごとを書いた布がいっぱい樹に巻き付けられている絵がありましたが、日本語版にはないんですね。どうしてなんでしょう? ヘイトの行為として、卵を樹にぶつけるという場面も出てきます。樹に?と思いました。

まめじか:p52で、サマールの家に生卵を投げていますよ。そのあと樹にぶつけるから、サマールの家族に対してだとわかったのかな。

ハリネズミ:家にぶつけるのはわかりますが、2軒の間に立っている樹にぶつけるでしょうか? いいところは、樹を主人公にしている読み物という点がおもしろいと思いました。樹が人間だけでなく動物にとっても大きな存在だということが伝わってきます。それと、動物と樹のやりとりにユーモアがありますね。絵も助けになっています。p202に「とはいえ。」とありますが、ここは句点でいいんですか?

彬夜:「とはいえ。」といった書き方をしてみたくなる時はあります。が、誤植に思われそうで結局辞めてしまうかもしれません。

花散里:サマールの思いがよく描かれているところがよかったと思いました。この本は樹に語らせているのが大切なことだと思います。とても情感豊かな作品だと思います。こういう作品を子どもに手渡したと思いました。主人公の樹の思い、去年読んだ本の中でも忘れられない1冊です。本の創りがとても良いなと思いました。白抜きの箇所、挿絵も作品のよさを支えていると感じました。

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エーデルワイス(メール参加):樹を主人公にして、カラスやリスなど動物たちが登場し、ファンタジーのように思えますが、じつは移民をテーマにもしている奥の深い作品だと思いました。美しい文章だが、全体的に少しわかりにくいのが残念でした。

(2019年04月の「子どもの本で言いたい放題」)

『ぼくたちは幽霊じゃない』

Photo_12 『ぼくたちは幽霊じゃない』
 の読書会記録

 

 ファブリツィオ・ガッティ/著
 関口英子/訳
 岩波書店   2018.11

 VIKI CHE VOLETA ANDARE A SCUOLA by Fabrizio Gatti, 2018

 

まめじか:『神隠しの教室』(山本悦子作 童心社)を読んだとき、日本の義務教育は外国籍の子どもにはあてはまらないと知って驚きました。イタリアでは、難民の子どもにも教育が保証されているのですね。警察に見つからないように生活していても、学校に行けば居場所がある。すばらしい教育制度だと思いました。ヴィキは、7歳にしてはちょっと幼く感じました。p181で、共産主義の意味をきかれて「トマトをダメにするもの」と言ったり、p144で、下のほうがせまくなっている黒板に文字を書くと、下にいくほど文字が小さくなるため、文を書くときは必ずそう書くと思っていたり。おとな目線の子ども像というか・・・。

ネズミ:とてもおもしろくて、読み出したらやめられず圧倒されました。聞き分けのない5歳の無邪気なブルニルダと、まだ7歳なのに兄としてがんばるヴィキ。この年ごろの子どもにとって、外国とはこのくらいぼんやりとした認識しかないだろうと自分の体験からも思い、私はとてもリアルに感じました。難民船で海を渡る家族の体験は壮絶ですが、今も危険をおかして海に渡る人々は同じような体験をしているのではないでしょうか。理由はどうあれ、難民として国外に逃れる人たちがどんな気持ちで、どんな目にあっているのか、これを読むと、いくらかでも想像できそうです。読めてよかったです。

西山:このシリーズでこの束で、読むのに時間がかかるかと思っていたのですが、かまえたほど長くなかったですね。紙が厚いのかな。手が止まらなかったからでしょうか。本筋ではありませんが、子どもが質問して、それにちゃんと答える文化というのが一番印象的でした。なんか、このタイミングでそれ聞く?とか、ちょっと黙ってて、とか結構ひやひやというか、イライラというか、読んでる私は思うわけですが、ちゃんと相手をしてるんですね。p223とか、あんなに大変な状況のあとで明日のクリスマスの劇、見にきてくれるのかって、お母さんは丁寧に答えているけれど、私なら無理。日本では、幼い子もものわかりがよく描かれているのか、あるいは、作品以前に社会全体のおとなと子どもの関係のちがいなのか・・・。とにかく、次から次に困難と直面する極限状況にありながら、おとなを質問攻めにする子どもに私はストレスを感じたというのが正直な感想です。もちろん移民や難民の問題を考えるに当たって、学ぶべきところは随所にありました。p79、で「いい人はたくさんいる」止まりでなく「悪いのは法律」と書いているところに信頼を感じましたし、p188の「働きたいなら文句は言うな。非正規だろうが仕事がもらえるだけありがたいと思え。」が、今の日本と重なったり、p243の「問題はおもちゃじゃない」という下りは支援のあり方を厳しく問うていましたし。

マリンゴ:非常に読み応えのある本で、よかったです。移民の旅の物語は、ずっと大変なことが起きて結末近くで少しほっとする、というような展開が多いかと思います。でもこの物語は、いいことがあって、悪いことがあって、というコントラストが強くて、それぞれの場面がより印象的になった気がします。海のシーンは、非常にリアルで怖かったですね。弱者が犠牲になりますけど、その弱者というのが“ひとりぼっちでいる人間”であるのは、衝撃的でした。ミラノに着いて、都会的な美しい風景に癒されて、でもバラックに着くとそこは大変な場所で、とこれもまたコントラストが強いんですね。ラストが若干、尻切れトンボ感がありましたけれど、実在の子の体験をもとにしているから、そこはやむを得ないのかなと思いました。

ハリネズミ:読んでよかったとは思いましたが、お父さんは、イタリアで最底辺の暮らしをしていて、なんの保障も得られていないのに、どうして家族を呼び寄せようとするのか、読者にはわかりにくいんじゃないでしょうか? 戦争や飢餓だとなるほどと思うんでしょうが、この本では「共産主義だったから」としか出てきません。アルバニアで農業をしていれば現金収入は少なくてもずっと人間的な暮らしができるのに、と普通は思うんじゃないでしょうか。国を出る理由がよくわからないままだと、物語に入り込めないように思います。イタリアの子どもなら、アルバニアからたくさん人が入ってきたのを知っているのかもしれませんが、日本の子どもはわからないので。イタリアの学校の先生は、すばらしいですね。不法移民だとわかっていても「学校にいるあいだは心配いりません。イタリア人の子どもも外国人の子どもも、分けへだてなく受け入れるのが、私たち教育者の役目ですから」(p222)なんて言える先生、すてきです。本としては出だしのつかみが弱いように思いました。作文のテーマが、ヴィキだけじゃなく、何を書けばいいのかだれもわかりませんよね。最後のヴィキのメッセージは、ヨーロッパではなくても「正義」と「法律」は一致しないだろうと思います。日本の読者向けと考えると、あと一工夫あるとよかったと思いました。

彬夜ここは「ヨーロッパでは」じゃなくて、「ヨーロッパでも」だとよかったのに。

アンヌ:海を渡る場面の過酷さに、何度本を閉じたかわかりません。非常に迫力に富んだ描写で、しかもその状況が少年の目を通して描かれているのがつらかった。無事たどりついた時に親切なイタリア人に手助けしてもらえますが、その後も過酷な生活状況やお金を巻き上げる警官や悪徳不動産屋の姿など、なかなか読むのにつらい場面が続きます。そのなかでまるで『クオレ』(エドモンド・デ・アミーチス著 偕成社文庫)のような幸福な学校生活にほっとしました。でも、保育園では冷酷なお役所仕事で移民を受けいれません。同じ国の中に残酷さと優しさが同居しているのを感じました。これを読んだ後、日本の人々にも、人に優しくできる誇りというものを感じてほしいと思いました。

彬夜:ノンフィクションっぽい作品だなと思いました。冒頭部分の位置づけは、どうなんでしょう。主人公が中学2年生になってます。ボートで海を越えるシーンの緊迫感がすごいのに、冒頭のシーンのために、ああ、無事に渡れたのね、と思ってしまいます。それでも、あのシーンは読むのがつらかったです。トラウマにならないかも心配でした。ただ、子どもが幼く感じられました。妹はまだしも、主人公の少年は、ああいう緊迫した状況だったら、もう少し聞きわけがいいのではないかと感じてしまいました。学校に行ってからのシーンでは、これでいじめに遭ったりしたらいやだなと思ったのですが、そうならなくてよかったです。彼らはいわば経済難民のようで、これは少しわかりにくいので、もっと説明があってもいいのかもしれません。ラストはちょっと駆け足で、はしょられた感がありました。その後、どんなことがあったのか、なぜ、お母さんだけがうまく仕事が得られたのか、もっと知りたかったです。警察の扱いはひどいですが、日本人には腹を立てる資格はないかもしれませんね。受け入れ政策も貧弱だし、入国管理局の問題点も指摘されている。それを下支えしているのは私たち自身の無関心なので。

花散里:私は今回選書係だったのですが、海外の作品ですぐに思いついたのがこの作品でした。難民もひとりひとりが個人であるということを、『風がはこんだ物語』(ジル・ルイス作 さくまゆみこ訳 あすなろ書房)と重なるように読みました。人形がなくなったり、海をわたっていくボートのところは、読んでいてもとても辛かったですが、とてもよく描かれていると思いました。
父親が呼びよせたときの思いや、お金を搾取される状況。それでも海をわたりたいと思う一家。日本にも外国籍の子どもたちが増えている今、実話をもとにしているという、こういう作品を読んでほしいと思います。難民・移民の話がひとつの作品として読めたのはよかったと思いました。

西山:さっき、おとなと子どもの関係の違いかもと言いましたけれど、普段おとな向けの作品を書いている作家が書いているから、登場する子どもが子どもっぽすぎるのか、とも疑っています。一般の小説家が書いた子ども向け作品では、妙に子どもが子どもっぽく書かれていると感じることがちょくちょくあって。ああ、でも子どもだけでもないかなぁ。あんなに町へ出るのが危険だと言っているのに、お母さんの教会に行きたがりようが呑気すぎるように感じたし。(そこもイライラしたポイントです。笑)おばけが出るぞという軽口に、お父さんには、妻子がどんな困難をこえてきたのかがわかっていないのだなと、体験の断絶の残酷さを感じました。そうでなければ、単にデリカシーがなさ過ぎですけど。

彬夜:船が着いた場所で助けてくれた人たちのことなども、もっと知りたかったです。

ハリネズミ:組織なのか、個人なのか、この本ではわかりませんね。

彬夜:幼稚園と学校の管轄の違いなどは、興味深かったです。

花散里:難民、ひとりひとりが個人であり、それぞれの思いがあると思います。すべてを手放して難民となった辛さ、父親はどういう思いで家族を呼び寄せたのか、日本の子どもたちにも知ってほしいと思いました。

しじみ71個分:今のヨーロッパの情勢をよく映す作品だなぁと思いました。私は、この主人公のヴィキや妹のブルニルダの幼さは、ときどき危機を招くのでハラハラさせられましたが、アルバニアでの暮らしが素朴なものであったことを想像させられて、素直に読みました。一番いいなと思ったのが、イタリアの学校の先生たちです。教育は子どもたちにとっての権利であり、難民であろうがなかろうが、教育を等しく受けさせるのだ、という強い意志が感じられ、感動しました。保育園の園長は反対に官僚的で意外でしたが。また、特に心に残ったのは、学校の初日、クラスの子どもたちが一所懸命に歓迎のために歌を歌ってくれたり、ハグや握手をしてくれたりしたのに、言葉が分からなくて、逆に孤独と不安でヴィキが泣いてしまったところでした。その心細さ、切なさはリアルに胸に迫りました。異国に暮らすことの難しさ、心細さを子どもの視点でとてもよく描いていると思います。言葉に慣れるのがおとなよりも早い、というのも後で分かりますが。密航の船上の恐怖や、不法滞在ゆえのひどい暮らし、警察に見つからないように幽霊のように忍んで暮らす日々、ミラノには居られなくなって郊外に引っ越すなど、厳しい現実がこれでもかと突きつけられ、問題提起のまま終わった感じもしますが、実話に基づくがゆえに簡単に解決の見つからないことなんだと思わされます。このこと自体がとてもリアルだと思いました。

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エーデルワイス(メール参加):7歳のヴィキの目線で話が進むので、苛酷な密入国の場面にハラハラしました。5歳のブルニルダがあまりにも無邪気で、やりきれなさが何倍にもなります。「幽霊」や「おばけ」という表現は、子どもにとってはとても怖いと思います。イタリアでは学校はすべての人に開かれているんですね。

(2019年04月の「子どもの本で言いたい放題」)

『むこう岸』

Photo_11 『むこう岸』
 の読書会記録

 

 安田夏菜/著
 講談社
 2018.12

 

彬夜:再読です。直球勝負の意欲作だなと思います。このテーマをとりあげたことに共感するし、いい作品だとも思いました。ただ、再読すると、ちょっと気になることも出てきて。いちばん悩んだのは、むこう岸とは? ということなんです。和真と樹希、この2人は対比ではなく、同じ側にいるように感じました。だから、むこう岸は誰にとっての何なのかなと。それから後半、生活保護の解説書めいた感なきにしもあらず、かなとも。もちろん、それあっての物語なので、中学生が読むのにはいいのかもしれませんが。それに「居場所」というのは今、まさに求められる居場所なのですが、まるで樹希たちのためだけに存在するようにしか思えなくて。ここの場の奥行きが見えない、というか。ほかに客がいるの? マスター、生活大丈夫? とちょっと心配になりました。あとは、放火してしまう人ですが、人としてのいやな部分をひとりで背負わされているようで、ちょっとかわいそうでした。いい人と悪い人がやや類型的というか、人が仕分けされてしまっているような印象もありました。人物でおもしろいと思ったのは和真の母親です。父親に対しては、和真の側に立ってかばおうとする、その直後に、生活保護の子とつきあっていないと知って安心する。「総論賛成各論反対」的なリアル感がよかったです。ふつう気がつくでしょ、というツッコミはともかく、梅酒の誤飲でふたりを出会わせるのもおもしろかったです。

アンヌ:私も同じく直球勝負の作品だと感じました。生活保護法の条文を詩のように感じる少年を描いてくれたことに感動しました。政治家が率先して生活保護受給者を非難するような情けない時代に、働いて社会保障費や税金を払うことの意義を知って欲しいと思っているので、うれしい作品です。最初はアベル君以外の人物の描き方が単純な気がしたのですが、再読したときに構造の巧さに舌を巻きました。

ハリネズミ:すごくよくできた小説だなと思いました。生活保護家庭の樹希は母親に対し「もっと根性だしたらどうだ」と思っていますが、和真のお父さんは和真に対して同じように思っているという構造もおもしろい。さっき彬夜さんは「同じ岸にいるんじゃないか」とおっしゃったのですが、最初はやっぱり別の岸にいるんだと思います。樹希は最初、和真のことを「ものすごくお腹がすいている横で、美味しそうなパンをまずそうに食べているようなやつら」の一人だと見ている。和真も樹希を見て、小学校で自分をいじめた子どもたちのことを思い出し、「生活レベルの低い人たちが苦手だ。怖いし、嫌悪感がある」(p63)と言っているし、樹希に「金持ちのおぼっちゃま」だと言われて嫌な気持ちでいる。それが最初の状況じゃないでしょうか。そのあと、元の同級生の桜田という能天気な人に会って、「きみ(樹希)にとってのぼくは、ぼくにとっての桜田くんなのかもしれない」(p92)「哀れんでいるものは、自分の放つ匂いに気づかない。哀れまれているものだけが、その匂いに気づくのだ」(p93)と感じるようになる。最初は向こう岸にいた子どもたちが、だんだんに近づいていく様子がとてもよく描かれていると思いました。
 もう一人のアベル君は、ナイジェリア人の父親の暴力がトラウマになっている存在だと思いますが、こういう存在の出し方もうまいなあと思いました。ナイジェリア人の父親も、ただ暴力をふるっているのではなく、どうしようもない状況におかれて、そうなったというところまで書いています。その結果、アベル君の方は言葉が出なくなり筆談しかできずに、自分はバカだと思っています。和真はそこで、アベル君にも進学校で落ちこぼれた自分を重ねていく。実体験をしたからこその気づきを書いているのも、うまいです。生活保護のところは、必要不可欠な部分だけを書いているように私は思いました。できるところをやっていこうという意欲は書かれているので、それ以上書く必要はないと私は思いました。結局、ほかの人とちゃんと関わりをもてたときだけ、人間は変わっていけるということなんですね。西ヨーロッパだと、必要最低限のお金は生活保護で得て、弱者のためにボランタリーな仕事する人がいますが、日本では生活保護はまだ白い眼で見られているのですね。「カフェ・居場所」のマスターみたいな人はいるので、私はリアリティがないとは思いませんでした。和真の父親やおばあさんはステレオタイプかもしれませんが、やっぱり日本にはこういう人いると思います。

マリンゴ:非常によかったです。テンポがよくて章が終わるたびに、次がどうなるのかと、引き込まれました。こういう物語って、ひとりのキャラが強くて、もうひとりが弱い、というのがよくあるパターンかと思うのですが、本作ではふたりとも強いんですよね。それがとても魅力的です。私自身は、進学校で苦労した経験があったので、和真のほうに自分を重ねてしまう部分がありました。読んでいて思い出したのは、数年前にネット上で物議をかもした生活保護の家庭。ひと月の携帯電話の料金が1万円を超えていて、それはいかがなものか、と批判されたんですよね。でも、既に携帯がないと生活できない時代になっていたし、自分だけでなくキッズ携帯なども必要となると・・・やむを得ないし、「これ、いらないんじゃない」と他人が簡単に言っていいことでもない。私がそんなことを思い出したように、この本をきっかけに生活保護について考えることができるのではないかと思います。

西山:ペンクラブ子どもの本委員会で困難を抱えた子どもたち向けた本を企画中なのですが、その企画の中で学んでいることがこの本の中にあれもこれも詰まっていると思いました。ふたりが互いの理解を進めていく過程が丁寧に積み上げられているという指摘も、ふたりともおなじ岸にいるのではないかという指摘も、どちらにも共感します。結局、和真と樹希たちが同じ岸にいるという指摘を、若干の不満として敢えて指摘するなら、1カ所だけひっかかったところがあります。p66で和真が自分とアベルくんを重ねるところ。「きみは、バカではありません」と和真が思わず発したこの一言はとても重要なわけですが、そんなに重ねられるものだろうか、同じ立場なのに、越えきれない骨の髄まで刷り込まれた差別意識こそがとっさに出てしまうのではないのか、と思ってしまったのです。そんなにすぐにアベルくんの側に立てるのかと。でも、ここで飛躍して、こういうペースで進んでいかないと物語の中での展開は書いていけないと思うので、これはこれでありと思いはします。

ハリネズミ:ここはアベル君を頭で理解するのではなく、自分も進学校の先生や親にバカだと思われたり言われたりする実体験を持ったからこそ言えた言葉なんじゃないですか。

西山:重なる構図は分かるのです。でもこんなに端的にそれを自覚して言葉にできるのか。和真は価値観の彼岸にはいないと思ったんです。育ってくる中でしみついてきた差別意識というものはものすごく根深くて、そう簡単には行かないんじゃないかなと私は思います。それはさておき、生活保護のことを調べるのは、この作品の価値のひとつだと思います。うまく書き込まれている。現実と重ねると、生活保護について調べたいと訪れた中学生に「生活保護手帳」を出してくるって、カウンターの人のチョイスおかしいですよね。でも、p170の「この本のわかりにくさに、怒りすらわいてきた」という一文は大事だと思うから、まぁ、これを出してくるために仕方なかったのかな。子ども学科で、ある先生から「障がいのある人にとってわかりにくさは暴力ですから」と言われてはっとしたことを思いだしたんです。制度自体の至らなさを、お勉強的に生な情報の羅列にすることなく、自然に物語にとけこませて、でもしっかり指摘している。新人作家を比べて言うのは酷ですが、『15歳、ぬけがら』(栗沢まり著 講談社)では、生な情報がつめこまれた印象がどうしても残ってしまったので、やはり、こっちはうまい。生活保護をうけている側を「けなげ」で捉えずタフさで描いたところも好きです。細かいところですが、p177で、「しがない下っ端の、助教だけどね」って、安田さん、いろんなことに気をくばって(笑)。すみずみまで異議申し立てが詰まっていて、すごい作品が書かれたと思います。

ネズミ:意欲作だと思いました。とてもおもしろくて一気に読みました。体は大きくなっても、それぞれの環境によって知っていることも限られ、制約の中で生きている中学生が、周囲との思いがけないかかわりによって世界を広げていくようすに説得力を感じました。いろんなおとなが出てくる物語って、日本の作品では珍しいのでは。頼りない担当ケースワーカーもそうですが、この人はこういう人と、決めつけてしまわないを描き方がいいなあと思いました。生活保護についてていねいに描かれ、個人の努力が足りないせいではないとよくわかります。テーマ性があるけれど、和真と樹希がどうなるか知りたくて、読まずにいられない、物語としての力のある作品だと思いました。

まめじか:すごくよかった。和真も樹希も、相手は自分とは違う側、むこう岸にいると思っているけど、その境界は曖昧なものなんですよね。若いうちは特に、この人はこうだと決めつけて壁をつくってしまうことがあります。でも、お店でアベルが暴れたときに「斎藤のおばさん」が助けてくれたり、エマがおじさんを紹介してくれたり、実は思っていたのとは違う人だったことって、現実にもけっこうありますし。樹希がけなげでなく、かといって敵意まるだしのひねくれた子というわけでもなく、その人物造形もうまい。p135「アベルくんは、泳げない魚で、飛べない鳥なんだろうか? ・・・嵐が吹き荒れる中、物陰でじいっとしているうちに、泳ぎ方も飛び方も忘れてしまったとしたら?」とか、p119「そんな時間があるおかげで、あたしは少しだけ楽に呼吸ができている」とか、心に残る文章もありました。

しじみ71個分:同じように困難な生活を送る子どもを描いた『15歳、ぬけがら』とどう違うのだろうと思い出しながら読んだのですが、登場人物の魅力や、心情の描き込み方の違い? そうなると、作家としての経験や筆力の違いなのかなと思ったりしました。生活保護に関する難解な説明については、和真が学んだ内容として紛れ込ませて、うまいこと読ませるなと思いました。それから、「うまいなぁ」と思ったのはp162~163で、和真の母親が、父親に叱られる和真をかばい、高圧的な夫に対する自分の想いを見せたところで、母親は和真の気持ちに共鳴するのかと一瞬、読者に思わせておきながら、直後に生活保護世帯についてあからさまな差別意識をのぞかせ、和真を失望させるところは二重三重に展開があってあっと思わされました。その効果で、和真のおとなへの失望、おとなの嫌らしさとともに、子どもである自分も含めた差別意識の根深さ難しさがよく伝わるなと思って感心しました。いろんなおとなたちとの対比で、子どもたちの抱える困難や苦しさが分かりやすく描かれていると思います。家庭内での抑圧と自己肯定感の喪失、虐待、貧困とか、さまざまな形で子どもたちが抱える困難を分かりやすく伝えていると感じました。
『むこう岸』というタイトルもとてもいいと思いました。何が向こう岸なのか、って考えさせられます。最初はこの世とあの世の岸のことかと思って、幽霊話か何かと思ったのですが心の問題でしたね。1本の線のような境界を越えて、むこう岸を知ろうとするか、しないか、ということが共生する世界には大事なのかなと思って、よいタイトルだなぁと思いました。「対岸の火事」という言葉もありますが、他人ごとと思って見ないふりをするかしないか、と考えるところが大事かなと。そういう意味で、和真がアベルに勉強を教え、生活保護について調べることを通して学びの喜びに気づく成長や、樹希の進学への希望などはこれからの可能性が最後に見えて、読後も気持ちよかったです。

まめじか:樹希は最後、看護師になる夢をもちます。「むこう岸」は人間関係だけじゃなく、それまで手に届かないと思っていたもののことも含んでいるのでは。いろんなことを考えさせるタイトルですよね。

花散里:昨年読んだ日本の児童文学の中で特に印象に残った作品でした。どうして12月にこういうよい作品が出るのかと思って読みました。一年のまとめをもう書いてしまったのに、と。タイトルもよいし、表紙の絵もとても作品の内容を表していると思いました。和真は名門中学で成績が低迷し、公立中への転校を余儀なくされますが、樹希が母親と幼い妹と生活保護を受けながら暮らしていることを知り、勉強の中だけで生きていた自分自身を見つめ直していく様子がよく描かれていると思います。カフェでふたりはつながりますが、子どもの居場所って大切だと思いましたし、マスターの存在がとてもいいなと思いました。世の中に、親とは違う存在があることが大切だと思いました。
生活保護を受けていたら看護士になれないと思っていたのが、なれることがわかり、勉強していくようになっていくところなど、子どもが読んで共感できるところがあるのではないかと思いました。作者の安田さんは、図書館員にはこういう人がいるのかと、見ているのかと思いましたが、ひとりひとりの人物をよく書いているなと感じました。作品を読んで、無料塾とか子ども食堂とかにも希望があると思いました。

ハリネズミ:p90に「ピアノがべらぼうにうまくて」とありますが、べらぼう、って、今の子どもも使うんでしょうか?

アンヌ:他にもいくつかp111の「なかなか窮屈です」のように子どもらしくない言い方があるので、p128で「山之内くんのしゃべり方って、おじさんぽくて、おもしろーい」とエマが言うように、個性として使わせているんじゃないでしょうか。

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エーデルワイス(メール参加):表紙が暗すぎて、読むのを敬遠したくなりました。しかし、和真と樹希の境遇が、時にはユーモアを交えながらリアルに伝わり、希望を持って終わっていたので、読後感がよかったです。学びたいと思う気持ちが伝わってきます。生活保護についてもよくわかりました。

(2019年04月の「子どもの本で言いたい放題」)

2019年4月21日 (日)

『ぼくとベルさん〜友だちは発明王』

Photo_5  『ぼくとベルさん〜友だちは発明王』
 の読書会記録


 フィリップ・ロイ/作
 櫛田理絵/訳

 PHP研究所 2017.02
 原題:ME&MR.BELL by Philip Roy, 2013

 

カピバラ:描写が細かくていねいで、情景が伝わってきました。ディスレクシアがどういうものが理解できてよかったと思います。両親がそれぞれのやり方で、息子を理解しようとしていくのが嬉しかったです。

西山:時代が時代だからが、父親がエディに障碍があると思って接しているからなのか、エディの父親に対する口調が敬語なのに違和感を覚えて最初はなかなか物語に入れませんでした。なんの話なのだろうと。読み進めたら、いろんな情報が入ってきて、それぞれを興味深く読むことになりましたが、ライムの説明はなかなかむずかしいですよね。p70〜77あたり、興味深いけれど、ついていくのが大変。こういうの、訳すの大変なのではないですか? 今回「世界が変わる」というテーマを得て、エディ本人の抱えているものが変わるわけではないけど、ベルさんという理解者との出会いからエディを包む世界が劇的に変わって開かれた。そういう作品なのだということがクリアになったと思いました。

ネズミ:小学校高学年向けの読み物として、ドキドキしながら読めるよい作品だと思いました。自分はだめだと思っていた少年が、ベルさんやヘレン・ケラーとの出会いのなかで、好きなものを見つけて前に進んでいくのを応援したくなります。少年と大人との出会いは、『ミスター・オレンジ』(トゥルース・マティ作 野坂悦子訳 朔北社)を思い出しました。ただ、話し言葉は全体に古風で、ところにより説明的な感じがしました。特に気になったのは家族の中でのお母さんの口調。「書いてごらんなさい」などは、時代感を出すために、わざとていねいにしたのでしょうか。お行儀のよい感じになりすぎるのは、もったいない気がしました。

レジーナ:昔の上流階級だからじゃないですか?

カピバラ:ここは口調が変わっていくところです。最初は「書いてごらんなさい」だけど、次は「じゃあ、書いてみて」そのあと「さあ、書いて」になってますよ。

西山:エディがおつかいに行ったところは、字が書けないなら口で言えばいいのに、と思ったりしました。

ネズミ:数字の8を書いたっていいのに。

まめじか:おもしろく読みました。p134「思いちがいをされているんでしょう」など、父親への言葉遣いはていねいすぎるような・・・。昔の話だとしても。ところどころ、わからないところはありました。p13で、お父さんは主人公の字が読めとれず遅れて到着します。hとnをまちがえたようですけど、どうまちがったら、8時が9時半になるのか・・・。翼の形について友人と議論しているベルさんに意見を求められ、エディは「よくわかりません。もしぼくが飛行機で空中にうかんだとしたら、たぶん次に知りたいのは無事に地上にもどれるかってことです。でもぼくも、あの見た目はすごくかっこいいと思います」と言います。私は、エディがどちらの側についているのか、このせりふからはわかりませんでした。次のページで、ベルさんが「二対二で同点だな」と言っているので、エディはベルさんに同意し、その形の翼では飛べないと言っているんでしょうが。それと、畑の石を掘りだすのは、「大人の男がするような仕事」みたいですが、父親は、なんでそんな大変なことをエディにさせたんですか?

ネズミ:そんなに石が大きいとは思ってなかったんでしょう。

サンザシ:お父さんは、この子は勉強もできないから畑仕事のプロにしなくちゃと思ったんじゃないかな。

さららん:テーマも、出会いの描かれ方もすごくいいし、応用数学を使って、主人公が大きな岩を滑車とロープで運び出すところなども、大変おもしろかったんですが、例えばp122、p208のロープと滑車のつなぎ方は、文章だけでは想像できない。だからp125に挿絵があって、ほっとしました。ただp124に「馬たちは丘を上り始め」とあるのに、挿絵の絵は平地に見えます。またp103の「馬房」はなじみの薄い言葉ですね。p126の「主はアルキメデスだ」という文章も、スッとわからない。対象年齢を考えると、少し言葉を補ったほうがよいのかもしれません。

まめじか:アルキメデスの原理で、石を動かしたからですよね。

サンザシ:アルキメデスはp113-114にかけてずっと出てきていますよ。滑車の法則を発見した人だっていうのも出ています。もう一度ここでも補うってこと?

さららん:メッセージもストーリーも素晴らしいだけに、訳語でひっかかるのが残念だったんです。物語の魅力をさらに輝かせるためには、p70-72にかけての「ライム」についてヘレンが話す場面も、もう少しわかりやすくなるといいな、と思えました。

鏡文字:正直なところ、前半が読みづらかったです。物語に入れないな、という感じで。冒頭から、プツンプツンプツンと言葉を投げられているような気がしてしまったんです。物語そのものはいい話だなと思いましたし、エピソードもいいんです。なんというか幸福感のある話ですよね。ただ、表現面でいろいろひっかかりを感じてしまったんです。『マレスケの虹』(森川成美作 小峰書店)はちょっと改行が多すぎると思ったのですが、この本は、ここ改行なしにつなげちゃうの? と思うところが何か所かありました。それから、p20の終わりに、「そんなある日、ある人との出会いが、すべてを変えたのだった」とあり、p43には「そしてこの本が、ぼくにとってすべてを変えるきっかけとなった」とあります。すべてを変えるのがそんなにあるの? とか。それから、ベルさんって、今の子たちにピンとくるのでしょうか。

サンザシ:p4に、「世界じゅうでその名を知られる発明家、アレクサンダー・グラハム・ベル」とか、お父さんのセリフで「ベルさんは、この世でいちばんかしこい人なんだぞ」と、書いてありますよ。

まめじか:電話を発明した人って、どこかに書いてありましたっけ?

サンザシ:それは別になくてもいいんじゃないですか。この作品の本筋にはかかわらないから。

マリンゴ:作家はカナダ人ですけど、カナダではだれでもベルを知ってるんでしょうね。

鏡文字:これってまるっきりフィクションなんですか? それとも、エディにモデルがいるんでしょうか。それを知りたいと思いました。

ハル:奥付ページの上のほうに、「この物語は、史実を考慮して書かれたフィクションです」と書いてありますよ。

カピバラ:「考慮する」って微妙ですね。

ハル:まだp108までしか読めていなくて、そこまでの感想ですみません。ヘレン・ケラーに会って「かしこさの正体」に気づいた場面がぐっときました。子どもの頃には「この授業が、実生活でなんの役にたつのか」「なんでこんな勉強をしてるんだ」なんて、つまらなく思うこともあると思いますが、自分の中で賢さとは何かという答えが出ると、世界がガラッと変わるんじゃないかと思います。エディは、賢さとはp68「ぜったいにわかってやるという強い想い」だと知りますが、はたして読者はどう思うか。それぞれの答えが見つかるといいなと思います。なんて偉そうに言いますけど、私ももっと勉強しておけばよかったと今になって思っています。一か所、勉強ができないことの引き合いに、過去に事故にあったフランキーという少年が登場しているのは、嫌だなと思いました。最後まで読んだら、違う意図があるのでしょうか。

アンヌ:以前に読んだ時は、実在の人物ばかりが気になっていたのですが、今回は主人公の気持ちになれました。読み書きがうまくできないということだけで、差別されたり、何を言っても「うそだね」と否定されたりするのが読んでいてとてもつらかった。けれど、数学や問題が解けた時のさわやかさを主人公と一緒に感じられて、再読できてよかったと思います。私も左利きで矯正された世代なので、この視察員には不快さを感じました。お父さんが怒ってくれてよかった。

鏡文字:100年以上も前の1908年に、左で書くことを親が認めてくれるというのは、うらやましいことですね。

アンヌ:p68のヘレン・ケラーの知りたいという強い思いを感じるところも素晴らしいと思いました。主人公の語り口が大人っぽいのは、ディスクレシアではあるけれど、内面にはすぐれた知性があるという事を示すためなんだろうと思います。

サンザシ:これ、読書感想文の課題図書なんですね。感想文が書きやすいのかな、やっぱり。会話とかあんまり気にせずに読んだけど、そういえばそうですね。エディは10歳の子で、何も習っていないのに滑車の道具を考えだしたりする、ものすごく賢い子なんですね。普通のディスレクシアの子は、もっと大変なんだろうなと思いながら読みました。家族の外にいる人との交流の中で、子どもが自信を得ていくというテーマはいいですね。現地音主義で言うとグレアム・ベルでは? ケネス・グレアムはグレアムになってますけど、この人はずっとグラハムですね。

一同:もうそれで定着してるから。

アンヌ:ベルが飛行機まで発明していたとは知りませんでした。

マリンゴ:今回のテーマは「世界が変わる」なのですが、選書をする段階で、「史実とフィクションのさじ加減」というテーマでもいいかなと、担当者で話し合っていました。この本はまさに、史実とフィクションの混ぜ方が興味深い作品だったのです。グラハム・ベル、ヘレン・ケラーという実在の人物が重要な役割を果たす一方で、エディという主人公はどうやらフィクションらしい、と。その辺の作り方がとてもおもしろいなと思いました。カナダ人にとっては、ベル氏は英雄だし、ヘレン・ケラーは世界的に知られている人だし、どちらも一切悪く書かないで、物語にうまく取り込むのは難易度が高い気がしたのです。もっとも、著者もカナダの方なので、リスペクトする気持ちがもともと高いのでしょうけれど。先ほど、ディスレクシアの症状をつかみにくいという話がありましたが、大人になってからディスレクシアだと気づいた人が主人公の漫画があります。やはり絵で表現されると、伝わりやすくて症状がよくわかるんですよね。活字で症状を語るのは難しいのだなと思いました。

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エーデルワイス(メール参加):主人公のエディと発明王ベルさんの友情がさわやかです。ベルさん、魅力的ですね。普通の人には理解できない、ディスレクしあの人の苦労がていねいに書かれていました。エディの観察力の鋭さと数学的な思考の優秀さも。

(2019年03月の「子どもの本でいいたい放題」)

『マレスケの虹』

Photo_4  『マレスケの虹』
 の読書会記録

 

 森川成美/作
 小峰書店
 2018.10

 

ハル:文学で戦争を伝えていくことの意義は、この「虹」を探すことにあるのかなと思いました。戦争の恐怖、悲劇、残酷さを伝え、絶望を知り、だからもう2度と繰り返さない、というところからさらに1歩踏み込んで、その恐怖や絶望の芯に何があったのか、戦争による恐怖の本質をいろいろな角度から考え、学び、簡単には言えないけど、やはり未来の希望へつなげていかなければいけないんじゃないかと、そんなことをこの本を読みながら考えました。

アンヌ:すぐには物語に入り込めなかったのですが、裸足で学校に通う描写のあるp25のあたりから、ハワイでの戦前の移民の生活が感じられてきました。一見封建的なおじいさんもハワイで生きてきた人だから、ハワイ人を差別しアメリカに勝つと言っている日本語学校の校長先生とは違う。p88「じいちゃんはたしかにぼくのじいちゃんだ」の意味が、だんだんわかっていきました。疑問なのが母親で、姉や兄に連絡を取らないのはなぜかと思っていたら、実はスパイと一緒だった。時代の緊迫感を感じました。「何人も令状なしに逮捕されないと、憲法に書いてあるでしょう」とp136でミス・グリーンが口にする憲法の下での人権の話がとても心に残ったのですが、戦争が始まると超法規的なFBIが子どもにまで手をのばす。こんな仕組みを作ってはいけないと思います。ハワイの海にかかる「雨の後の虹」をめぐる思いが美しい物語でした。

サンザシ:ここには、白人も日系人もハワイ人もいるという設定ですが、周りの人たちをちゃんと観察して分析しているところがおもしろかったです。たとえばマレスケはハオレ(白人)について「怒れば怒るほど、一歩ひいて、冷静になろうとする。皮肉を言っておしまいにするのも、文句を言うより、相手に響くと考えるからだろう」と思う一方で、日系一世のおじいちゃんについては、「直情径行で、頭にきたらかっかとして、自分の気のすむまで、どなりちらす」と見ています。日系人でも一世と二世はメンタリティが違って「一世はまじめで、やることはとことんやる」けれど、二世についてはもっとのんき。でも二世でも「シェイクスピアを読んでもすごいなって関心はするけど、ハオレのものだという気持ちがどうしてもぬぐえなかった」り、「俳句を読むと、ところどころ意味はわからなくても、なんとなく気持ちがわかるもんなあ。しっくりくる、って感じだ」とハジメさんに言わせたりもする。先住民のレイラニには「私たちハワイ人は、いつだって、あせらないのよ。雨が降れば雨があがるのを待つし、風が吹けばやむのを待つの」と言わせる。それがステレオタイプになるのはまずいと思うけど、いろんな人が混じり合って暮らしている場所ならではの描写だと思うと、おもしろかったです。パールハーバーの事件があって、日系の人たちが右往左往するというところも、よく描かれています。ただ私はマレスケの母親が一体何だったのかがよくわかりませんでした。スパイだったのか、だまされたのか。本の中で明かされないので疑問として残りました。一か所ひっかかったのは、p157で、マレスケが「ぼくは日本人を見殺しにしてしまった」と言ってるんですが、別に見殺しにしたわけではないのでは? マレスケが服をとりにいったあいだに、いなくなっただけなのでは?

まめじか:p124に「生きて虜囚の辱めを受けず、という男の言葉が、ぼくの頭の中をかけめぐった。捕まるぐらいなら死ね、ということだ」とあるので、このあと自ら命を絶ったと、主人公は思ってるんですよ。

さららん:その日本人を助けられなかったことを、見殺しにしてしまったとマレスケ本人が強く感じているんじゃないですか?

ハル:でも、p121に「ぼくらといっしょに、カヌーで戻ります?」とも誘っているので、たしかに曖昧な感じもします。

サンザシ:マレスケの心自体が揺れているように思い、迷っているのかなと思っていたんですけど。

マリンゴ:児童書で、ハワイの日系人の戦争関連の物語。切り口がとてもいいなと思いました。全体の3分の1のところで、パールハーバーが始まるのもとてもいいバランスだと感じました。それ以前とそれ以後と、空気の変わり方がとてもよくわかります。とても読み応えありました。ただ、最後は作者の言いたいことが全部書かれ過ぎていて、余韻が消されている気がしました。正直、p239「美しい虹だった。」で終わってくれたらよかったのにと思うくらい。あと、風景描写がほとんどないのが残念でした。読み始めて序盤で1度ストップして、本当にこれハワイの物語なのかな、と確認してしまったほどです。美しい海とヤシの木と・・・そういう美しい風景があれば、戦争とのコントラストがよりくっきりしたかと思うのですけれど。

カピバラ:戦争中の話で、暗く厳しい現実を描いていますが、主人公がまわりのいろいろな大人たちをよく見て、14歳という年齢なりに考えていく姿に好感がもて、明るい気持ちで読めました。2つの祖国の間でアイデンティティに悩むというのは、どの国の移民もかかえている問題ですが、どちらかに決めることはない、という考え方は納得ができました。現在の日本でも外国籍の子どもが多くなっているし、今の子どもたちの問題でもあるので、ぜひ読んでほしいと思いました。ただ、この表紙の絵はどうなんでしょう。何だかとっても素敵な男の子が描かれていて、ちょっとこっちを向いて、と言いたくなるような感じなんですが・・・。

ハル:足の付け根あたりの描き方がちょっと変・・・?

カピバラ:物語の中身と合っていないと思います。

サンザシ:書名の後ろじゃなくて前に虹が来てるのはわざと?

西山:最初に何の情報もなく本を手に取って、このおしゃれな表紙に「マレスケ」、またまたなんでこんな古くさい名前と思いながら読み始めると、主人公自信がこの名前が嫌だと語っていて、その由来やハワイの日系の世代間の感覚の違いまでそこで伝わってきて、かゆいところに手が届く感じで、うまいなぁと、すっと作品の中に入って行けました。日本の児童書の中で、日系移民のことを正面から書いた作品は、私は思い出せません。こういうドラマで現代の子どもに史実をお勉強的でなく伝えています。ただ、過去の伝達だけでなく、たとえばp37あたりの、マレスケが自分の進路を考えるところなど、今の子にとっても、自分はこれからどう生きていくのかという普遍的な14歳の不安につながっています。戦争についても、p136の後半の部分は、非常時は人権が制限されるという、戦争を過去の出来事としての戦闘だけでとらえない、本質を伝えてくれています。移民のアイデンティティの複雑さを象徴的に伝えてくれる、p161~162にかけての露店のシーンも印象的です。あっち、こっちと立場を2分できない複雑さに沖縄を重ねて思いを馳せました。貴重な過去のことを題材にしているけど、現代的なことも描いていて、大事な1冊が書かれて良かったと思います。先にご指摘があったように、五感に訴える描写があったら、もっとよかったのでしょうね。

カピバラ:最後のお兄さんの手紙、この時代にこんな手紙文は書かないと思ったのですが、これは英語で書いてある設定のものを日本語にしているからなんだと気づきました。

さららん:日本とアメリカでは状況が違うので、なんともいえないけれど、こんな内容の手紙を、軍人のお兄さんが自由に家族に出せたんでしょうか? 検閲にひっかからなかったのかな。

ネズミ:意欲的な作品だと思いました。戦時中の北米の日系人の状況もそうですが、100年前の移民政策によって海を渡った人々の歴史を書いた本はとても少ないので。同じ北米でも、ハワイとアメリカ大陸では違ったのでしょうか。ハワイの日系人はこうだったのかと、興味深かったです。カピバラさんと西山さんがおっしゃったように、マレスケには、今の同世代の子どもも自分を重ねられそうなところがありますね。将来どうしようとか、自分は何をしたいんだろうとか、迷っていて。なので、最後まで目が離せないところがうまい。アイデンティティについて、ありのままの自分でいい、どちらでもいい、と着地したのがいいなと思いました。ひとつだけどうなのだろうと思ったのは、p100のJAPS GO HOMEという言葉。「日本人は国に帰れという意味だ」と書いてあるだけですが、JAPSに差別的な意味合いはなかったのでしょうか。

サンザシ:最初は略語だったのが、戦争の中でどんどん日系人迫害に使われるようになって、蔑称として定着したんじゃないでしょうか?

ネズミ:解説がほしいなと思いましたが、創作だとつかないのでしょうか。翻訳ものでこういう内容だったら、必ずつきますよね。

マリンゴ:たしかに日本の本だと、巻末にあとがきを入れるかどうかは、作家次第ですね。入れたとしても、だいたいは謝辞が中心でしょうか。

まめじか:伝えたいことがあって書かれた、意味のある作品だと思うんですけど・・・。静かなドキュメンタリー映画を観ているようで。入り込めなかったのは、主人公が、思ったことをぜんぶ言葉にしていて、撓めがないからでしょうか。作家をめざすのも、先生の言葉だけでそうしたように読めて、私は納得できませんでした。

さららん:マレスケはあるとき日本人スパイとの関係を疑われ、マレスケの立ち寄ったホテルにFBIが調べに行きます。でもドアボーイは、そんな少年は知らないと答えたんです。それを「かばってくれた」としっかり感じたところに、ハワイという多民族社会の戦争時代に生きるマレスケを感じました。

まめじか:そうした場面で、主人公が自分の特性に気づく様子が書かれていたらいいんですけど、それがないので、最後がちょっと唐突に感じました。

さららん:戦争中の日系人の話は関心のあるテーマです。収容所に入れられた一家の話かなと思ったら、そうじゃなかった。私自身は、物語に起伏がないようには思いませんでした。「しかたがないものは、しかたがない」というのがおじいちゃんの口癖。戦争をテーマにした別の作品で、愛犬が連れていかれたあと、母親が子どもに「戦争なんだからしかたがないのよ」と言う場面があり、その「しかたがない」に強い反発を覚えたことがあります。でも、ハワイに移民したあと苦労を重ねてきたおじいちゃんの「しかたがない」には、人生の重さを感じました。前に読書会で読んだ『ミスターオレンジ』(トゥルース・マティ作 野坂悦子訳 朔北社)の主人公にも、出征した兄さんがいて、『マレスケの虹』の時代や状況と共通するものがあります。今の日本の子どもたちに必要な点を与える、良い作品だと思いました。

アンヌ:小峰書店のサイトでは、読者対象が小学校高学年・中学生向けとなっていますね。

鏡文字:再読です。私はこの本のオビが好きです。色もいいな、と。表紙はオビがあるとないとで、だいぶ感じが違いますね。オビの1941年12月、ハワイという言葉で、描かれる世界がすっと入ります。カバーをとった中もいい感じです。物語としては、まず、題材がとてもいいなと思いました。共感できることがたくさんあります。森川さんの作品の中では一番好きです。が、再読でちょっと気になるところが出てしまって。さっき西山さんが言ったp136。グリーン先生の問いかけに、マレスケ本人がすべて答えを持ってしまっている。「それは、戦争になったからだ」以下の記述です。ずいぶん達観しているな、と。たしかにいろいろ考える子ではあるけれど、他の記述からとりたてて早熟さは感じないタイプです。おそらく作品を描くためにいろいろ調べたことのだろうと思うけれど、「調べました感」が顔を出しているという印象もありました。それと風景描写や身体的な表現も少ないから、潤いがない。冒頭からそのことでつまずきました。p9の「14歳にしてはじめての失恋だ」以降の3つの文はいらないと思います。

さららん:「マレスケは」と三人称で書いてあったら、どんな印象になるでしょう?

鏡文字:そう、三人称にした方がよかったのかも。一人称で描かれている割には、距離があるというか、客観的すぎるんですよね。だからドラマチックなことがあるのに、平板な印象になってしまう。あ、でも、再読で新たに思ったのは、グリーン先生がいいなということで、「本を貸してあげるから」というところは、ちょっとグッときます。最後のお兄さんの手紙、p229「だけどね、ぼくらが殺そうとしている相手は親も子もいるんだ」というのは、日本兵には書けなかったことかもしれない、と思いました。アメリカの兵隊はこういうことを書けたのだとしたら、やっぱり日本の軍隊は・・・と思ってしまいます。ただ、「お母さん ぼくはあなたをあいしています」というのがラストに来て、それが実感なのかもしれないけれど、私は「母か・・・」と少し引いてしまいました。

サンザシ:翻訳だと『そのときぼくはパールハーバーにいた』(グレアム・ソールズベリー著 さくまゆみこ訳 徳間書店)というのもありましたね。その本でも、日系ハワイ人のおじいちゃんやお父さんが収容所に入れられていました。

西山:植民地下の朝鮮人が、日本軍の兵士として戦地に立った皮肉な悲劇も重なりますね。長崎源之助『あほうの星』を思いだします。

サンザシ:アメリカの海兵隊に入る人たちも、貧しくて自分のお金では大学に行けないような人たちが多いと聞いています。そういう人たちが、自分たちはB級市民じゃなくて一人前だと認められたいがために、志願するようですね。

西山:最初に上陸して戦闘に入っていく人たちなので、洗脳というか感情をもたない人間に改造されるんですよね。

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エーデルワイス(メール参加):とても印象に残る作品でした。日本とアメリカの間に戦争が始まり、その最中のハワイでの日系人の生活が書かれています。主人公マレスケの心の軌跡もていねいに書かれていて、伝わってきます。母親への思慕と嫌悪感が切ないですね。兄の広樹のような気持ちで戦争に参加する日系人が多いと思うと、それも切ない。「ノーレイン、ノーレインボウ」という言葉が印象的です。希望がある終わり方ですがすがしいです。

(2019年03月の「子どもの本で言いたい放題」)

『泥』

Photo_3  『泥』
 の読書会記録


 ルイス・サッカー/作
 千葉茂樹/訳
 小学館 2018.07
 原題:FUZZY MUD by Louis Sachar, 2015

 

さららん:『穴』(幸田敦子訳 講談社)以来、久しぶりのルイス・サッカーの作品です。動きの描写がきっちりした翻訳のおかげで、安心して読み進めることができました。同じ学校に通うマーシャル、タマヤ、チャドの3人の人間関係を核に、森の中である事件が起こります。チャドのいじめを避けようと、マーシャルがタマヤと入った森で、パンデミックが始まるのです。フランケン菌とあだ名のつい「エルジー」の不気味な増殖と、帰ってこないチャドを救いに森に戻るタマヤ、タマヤを追って森に戻るマーシャル。単純なからみあいだけれど、説得力がありました。物語には、事件の前から始まる大人たちの聴聞会での証言が織り混ざり、現実の描写と、最初は意味不明の過去の証言が交差して、初めのうちは?だらけですが、途中から、聴聞会の時間が現実の事件を後追いする形になって、真相が明らかになっていきます。巧みな構成です。説明抜き、視点が刻々と変わるところなど、サスペンスのようですが、ホッとするところ、クスっと笑ってしまうところもあって楽しめました。結末はオープンエンディングで、やや不気味。でもこのぐらいの軽さ、辛さがちょうどよく、文明への警告として今の十代にすすめたい作品です。私自身、どっぷり物語に浸って楽しみました。

まめじか:環境問題とサスペンスをくみあわせたのがおもしろいですね。社会派エンターテイメントというか。日本の作品にはなかなかないです。徐々に数が増える掛け算の数式は、正体不明のものと向きあう恐怖をかもしだしています。この本では、若い力が立ちあがり、それが世界を変えていくんですね。今、アメリカでは銃規制、欧州では環境問題をめぐる若者のデモがひろがっています。先日は、JBBYの子どもの本フェスティバルで、作家の古内一絵さんが、福島について考えるだけでなく、行動を起こさないといけないと語っていました。読んでいて、そんなことを考えました。いろいろと思いをめぐらすことのできる本でした。

ネズミ:構成や書き方がうまい。アメリカの売れるYAというのは、こういうところ、抜かりないですね。人物造形がそれほど深いわけではないけれど、物語とからみあって人物像が見えてくるからか、とってつけた感じはせず素直に納得できました。泥にはまっていくシーンと、そこから抜け出すところの臨場感は、作者も訳者も見事です。文学好きの読者にとってもおもしろいし、あまり物語を読み慣れていない読者も、どうなるのだろうとひきこまれるのでは。いじめっ子がいじめていた理由や、いじめを放っておいてしまう周囲など、日本の子どもも共感できそうです。はじめての海外文学の一冊にいい、間口の広い作品だと思いました。

カピバラ:やはり構成が緻密でうまいと思いました。たとえば計算式とか、途中途中にはよく意味がわからないところがあるけれど、あとになってだんだんわかってくるというおもしろさがありました。どうなっていくのか、先へ先へと読ませるんですけど、聴聞会の部分など難しいので、私はむしろ読書力が必要ではないかと思います。

ネズミ:聴問会の部分は、私は最初の1つ2つを読んだ後は、飛ばしてしまって、あとで最初から読み返しました。

さららん:子どもたちの描写の部分だけ読むんだと、飛ばしすぎでは?

まめじか:読んだ中学生が、すごくおもしろいと言ってましたよ。それまでファンタジーなどは読んでなかった子ですけど。

カピバラ:計算式は何かを表してるんだな、と思いながら読んでいき、先へ先へと得体の知れない恐怖が増してきます。ひりひりする感じがあり、私はあまり好きになれない作品でした。いじめっ子が、実はだれにも愛されていない子だった、という設定はちょっとありきたりかな。

ネズミ:そこが初心者向けかなと。

カピバラ:でも初心者だと、やっぱり聴聞会の部分を理解するのは難しいんじゃないかな。

マリンゴ:架空の世界なのにリアルに描かれているのが、さすがだと思いました。少しずつ悪くなっていく症状が、手に取るようにわかりました。私は、実は聴聞会の部分がとてもおもしろかったんです。対応の遅さや隠蔽しようとする行動がうまく表現されていて。これらを読んで、東日本大震災や第二次世界大戦中のさまざまなことを連想してしまいました。でも、児童書だから、ここから一気にハッピーエンドに持っていきます。その筆力がすごいです。そして最後に、こんなひどい事故が起きたというのに、製造をやめない、今度こそは大丈夫と言い張る・・・これも何かを想起させる象徴的なシーンですよね。大人にとっても読み応えのある作品でした。

サンザシ:私もとてもおもしろかったです。本を読み慣れた子だったら、聴聞会の部分もおもしろいと思います。読み慣れているかどうかというより、社会問題に対する視点があるかどうか、かもしれないけど。今の問題と重ね合わせて読めますからね。バイオテクノロジーの怖さもよく出ています。安易に技術開発して使うことのおそろしさや落とし穴がちゃんと書かれている。人物は、厚みがあるというよりは、状況のなかで動くものとして描かれています。展開のおもしろさにぐぐっと引っ張られました。すべて解決したと思ったところで、p218にまた2×1=2がまた出てきます。これ、また同じことがくり返されるという暗示ですよね。怖いです。今はバンパイアとか妖怪を持ち出して変に怖がらせるだけの作品も多いので、そういうのよりよっぽどいい。聴聞会とタマヤたちの話が無関係だと思っていると、だんだんつながってくるのにワクワクしました。テキストみたいな文章ではなく、このくらいおもしろい物語で環境問題を考えると、社会に意識をむける中高生も増えるのではないかと思います。

アンヌ:子供の時からSF好きなもので楽しく読みました。取り返しがつかない発明の恐さは、アレクサンドル・ベリャーエフの『永久パン』(西周成訳 アルトアーツ刊)を思いださせます。皮膚炎の描き方はかなり怖いなと思います。チャドのいじめの原因を家族から疎外されているからだと説明していますが、チャドのふるう暴力場面もかなり怖いです。p157、p160あたりですね。助けに来てランチを食べさせてくれるタマヤがここまで我慢する描写に、作者はタマヤが女の子だからそうさせたのかなと、ちょっと怒りを覚えました。男の子だったらここまで世話を焼くようには書けなかったでしょう。

サンザシ:切羽詰まったいじめっ子だったら、これくらいするんじゃないですか? これが現実なんじゃないかな。タマヤをがまんさせると言うより、むしろタマヤを冷静な存在として描いているのではない?

アンヌ:32章のp197「カメ」で、あ、助かるんだと未来を見せハッピーエンドを予感させるところはうまい。ユーモアのある作風とはこういうところかと思いました。気になったのはp232「風船を膨らませる方法」の活字です。らの字がとても読みにくいので、なぜこの書体を選んだのかと。

サンザシ:手書きっぽくしたいんでしょうね。そういえばp233に誤植が。

ハル:あとがきに「パニック小説」という言葉もありましたが、まさにそういう、パニック映画を見るような感覚で、読んでいるときは純粋に楽しみました。2×1=2、2×2=4の数字の意味に気づいたとき、見出し回りの泥がどんどん増えていくことに気づいたときの、うわぁぁぁと背筋にくるような気持ち悪さ。ラストもお約束的で(これは、雪が解けたら、そこには突然変異でさらに進化したバイオリーンがいるんですよね?)、もう、きたー!という感じ。だけど、読み終わってから、ただ「おもしろかった」だけでは済まないものがついてくる。そこがいいですね。やはり、ていねいにつくられた本は、読者にも伝わるんだなと思いました。

西山:7章の最後から登場する数式が、エルゴニムが36分毎に倍に増える様を表しているのだけれど、「2×〇〇」という数式になっています。「〇〇×2」とした方が倍々に増える恐怖が出ると思ったのですが・・・。

サンザシ:アメリカの計算式の書き方なのかしら? でも2つに分裂したものが〇〇個あると考えれば、同じかも。

西山:まさかパンデミックものだとは思わずに読み始めたので、皮膚のただれる様子とか想定外の怖さでした。再読する時間がなかったので、ていねいに読みかえしたら、あらためて気づく絶妙な伏線とかあるのだろうなと思っています。

鏡文字:雪解け後のことを考えた時、園子温監督の『希望の国』のラストシーンを思いだしました。逃れて海辺に出てマスクをとり、晴れやかな気持ちになる。と、手元の線量計がピーピーと鳴ります。あの怖さにちょっと類似したものを感じました。この本は、物語そのものはおもしろく読みました。ただ、p131の聴聞会の記述で、瀕死の状態とあって、そこで死ななかったとわかる。前半の緊張がここで一気に緩んでしまいました。それから、バイオリ-ンの設定。これがファンタジーになってしまったかな、と。ファンタジーが悪いわけではないのだけれど、ちょっと説得性が不足してしまうというか。ところで、ラストの風船をふくらませる方法は、みなさんはどう感じましたか。

サンザシ:助かると思うと緊張が途切れる、というのは、大人の読み方かも。それに、いったんはほっとさせますが、それで終わりではないし。

アンヌ:天才のフィッツマンの頭の中にあるものと実際に生まれてくるものの違いでしょうか? 言葉で表していても、実際はその発明を実現する技術は追いついていない。突然変異に対処できるのか不安が残ります。

さららん:恐ろしい話として読んでいても、これは創り話だから、と、どこかで安心していられます。やっぱりファンタジーっぽいのかも。

鏡文字:人間関係はリアルな緊張感があるのに、バイオリーンがファンタジーなので、怖いんだけど、そんなに怖くない。という感じがしました。

サンザシ:私は逆に、バイオリーンが今の社会のもろもろを象徴的に表しているような気がして、逆に怖かったです。

さららん:装丁もいいですね!

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エーデルワイス(メール参加):私はこの作家とどうも相性が悪いようです。『穴』も読後感が悪かったのを思い出しました。この作品も、内容はおもしろいし主人公が魅力的なのですが、構成が懲りすぎているように思いました。

(2019年3月の「子どもの本で言いたい放題」)

『満月の娘たち』

Photo_2  『満月の娘たち』 の読書会記録

 

 安東みきえ/著 

 ヒグチユウコ/装画
 講談社
 2017.12

 

彬夜:安東さんの作品は、ほとんど読んでいて、これも再読です。3組の母娘が出てきますが、基本的に繭の物語かなという気がしました。安東さんは比喩表現なども巧みで、とても文章が上手。たとえば、「プリンが崩れたみたいに、てれっと笑った」(p10)とか、「(サバが)アメリカンショートヘアーみたいな模様」(p142)とか。私は動物に詳しくないので知らなかったけれど、ネットでアメリカンショートヘアーを検索して、とても納得しました。随所にまだまだおもしろい表現があります。繭の物語と感じてしまったのは、一番深刻そうだからで、語り手=主人公である志保は、ある意味、母とけんかできる時点で健全だなと感じてしまったからでしょうか。志保はすごく冷静な子だと感じました。達観しているというか、冷めた目で世の中を見ているな、と。それから、ちょっと書きすぎ感があるかな、という気もしないではありませんでした。野間児童文芸賞の受賞作だし、おもしろく読みましたけれど、私はやはり、安東さんの短編作品の方が好きです。

アンヌ:うちの家族が珍しく表紙を見て「わあ、ヒグチユウコだ。おもしろい?」と訊いてきて、若者に人気のあるイラストレーターなんだと改めて思いました。私は、残念ながら前半のおもしろそうなやりとりに乗りそびれてしまったようです。そこに繭さんが出てきて、釈然としない人物だなと思っているところに、幽霊らしきものが出てくる。それなのに、助けたのかあの世に引きずり込もうとしたのかわからない、という展開では、幽霊も出てきた甲斐がなく、この親子の問題は曖昧なままで役割を終えた感じです。前半部については、p112の祥吉への恋心を書いておいて、ふと外すところとか、p153の月の話とか、いい場面や言葉がたくさん山あって附箋だらけなんですが、全体については、楽しめませんでした。

カピバラ:中学1年生の志保と美月と祥吉は保育園からの幼なじみで母親同士もよく知っている。3人の会話がテンポよく描かれており、時にアハハと笑いながら読めてドラマでも見ているようでした。幽霊屋敷を探検するというのも中学生にはおもしろいストーリーだし、ちょっとホラーっぽい、謎めいた独特の雰囲気があって、読ませる作家だと思います。でも繭さんの描き方は不自然なところもあり、実在する人のリアルな感じがしませんでした。作者が伝えたかったことは結局何なのか。母親のたった一言の呪縛から逃れられずに苦しむ娘の葛藤? 娘を愛しすぎるために娘を束縛する母の葛藤? 問題提起はいくつかありますが、解決するところまでは行っていないので物足りなさを感じました。タイトルや表紙デザインは魅力的でよかったけれど、男子をシャットアウトしているのが残念。

アカシア:私も安東さんの短編は好きですが、うますぎて子どもにはわかりにくい作品もあると思っていました。この作品のほうが子どもにもわかりやすいんじゃないでしょうか。幽霊話で引っ張っていくので一気に読めるし、ユーモアもあるし。私は、繭さんのことよりいろんな親子関係があるっていうことを書きたいのかと思いました。中心にいる3人は、それぞれ何かしら問題を抱えています。志保と美月は、母親としっくり行っていない。祥吉のお母さんはちゃんとしていて、祥吉は反発も感じていないし家の中に居場所がないとも感じていませんが、お父さんがそばにいません。私は、この本から、「家族はいろいろだ」し、「母親を全面的に正しいと思わなくてもいい」というメッセージを受け取りました。最近は、親子が無条件に絆で結ばれているわけではないと子どもの本でも言っていますが、ひと昔前までは、親子は愛の絆で結ばれているのが当たり前という書き方でした。そうでないのは、たとえばルナールの『にんじん』のように、とても稀な例外だった。だから私は、子どもの頃にこの本を読みたかったと思いました。こういう本がもしあったら、私は救われていたと思うんです。今だって、救われる子はいっぱいいると思います。最後の場面ですが、繭のお母さんが娘を守ろうとしたのか、それとも自分がいる死の方へ引っ張ろうとしたのかわからない、という意見がありましたが、私はわからないからこそいいんだと思います。どっちかに結論づけていたら、月並みになるか、オカルト物語かどっちかになる。わからないからこそ、割り切れない母子関係が立ち現れるんじゃないかな。私にとっては、好感度がとても高い作品でした。

マリンゴ: 素敵な作品でした。娘と母親を描く小説って、2人が向き合うタイプのものが大半だと思うのですが、この小説のなかには「月」という、象徴的なものが1つ加わるので、母娘関係を客観的に描くことができているのだと思います。とても余韻が残ったし、自分自身、母とのことを少し思い出したりもしました。先ほどの話にも出ましたが、私は「解決しない」のがいいと思いました。読者にはそれぞれ違う母娘関係があるから、何かピシッと結論を出されると、「自分とは違う・・・・・・」と感じてしまう人も多いのではないでしょうか。唯一、物語で気になったのは“匂わせ”部分。たとえばp19「でも、笑っているこの時には気づかなかったのだ。残り一パーセントの可能性ともうひとつ、怖いのは幽霊だけではないことに」を読んで、異世界に飛んで行ってしまうなど、よほど恐ろしいことが起きるのだと思ってしまいました。だから、警察署に連れていかれるという実際の展開も、本当ならじゅうぶんショッキングなのですが、自分の想像が激しすぎたので、なーんだそういうことか、と少しがっかりしてしまったのです。こういうふうに先を匂わせなくても、じゅうぶん怪しげな雰囲気は漂っているので、ないほうがかえって読者には親切かなと思いました。

ケロリン:母と娘とは、永遠のテーマなんでしょうね。反抗期からまだ抜け出ていない娘を持つ身としては、胸がイタタタとなりながら読みました。特に、繭さんをなぐさめるつもりで言った、「もしも私なら、最後に大嫌いって言われたってどうってことないわ。子どものついた悪態なんてなんでもない。覚えてもいないわ!」というセリフですが、母親ならなんてこともなく受け止めてるよ、という意味にも取れるのに、美月と志保には、子どもの言ったことを覚えてもいないなんて、勝手だと言われてしまう。母と娘ってこんなことの繰り返しなんでしょうね、とさらにアイタタタとなりました。しかし、今はフルタイムで働く母親も多く、本当に覚えてなかったりするのかも、と思うと、母と娘の関係も、少し前とずいぶん違ってきているのかもしれません。

ツチノコ:かなり好きなお話でした。文章のディティールや、表現で、いいなと思うところがたくさんありました。ヒグチユウコさんの表紙イラストや装丁の色遣いも素敵ですよね。幽霊の描写が中途半端だったり、作中に登場するいくつもの親子関係がどれも似通っているような気がしたり、なんだかしっくりこない部分もありましたが、最後の急展開で吹き飛びました。ラストシーンでは「サスペリア」という古い怪奇映画を思い出しました。館の崩壊と共に母娘関係の呪縛も解けたかのような不思議な爽快感、カタルシスがあります。繭さんがミニチュア作家というのも箱庭療法のようで象徴的ですよね。オビにある、「まるで神話のようだ。新しい時代の母娘の。」という梨木香歩さんのコメントが印象的でした。

西山:子どもたちのぽんぽんとしたやりとりがおもしろくて、ところどころ吹き出しました。例えば、p25の「孤独死」の勘違いなんておかしいし、はっとさせられる新鮮さもあります。p62後から4行目の「美月ちゃんのおばちゃんとうちのママは仲がいいけれど、意見の割れることも多いみたいだ」というくだりなんかも、母親たちの描写として新鮮に思いました。そうやっておもしろく読んでいたのですが、どうも繭さんが出てきたあたりから、つまらなくなってしまった。「お茶飲む? っていうみたいに、『ネコ、だく?』」(p73)と言う繭さん、これはまたおもしろい人が登場したぞと思ったのですが、彼女が危うくなってくるにつれて冷めてしまった。森絵都の『つきのふね』(講談社、角川文庫)と構図が似ているな、と思って。中学生の女の子ふたりと男の子ひとりが、心が壊れはじめた大人をなんとかしようとじたばたする、月が象徴的なモチーフ、クライマックスは火事だし・・・・・・と、そういう構図の類似性を興味深く思って読んでいる段階で、もう作品自体からはちょっと引いた読書になっていたんだと思います。美月ちゃんと志保が再会してせっかく仲良くしていたけれどぎくしゃくするといった、月並みな展開でなかったことなど全体的に好感は持っているのですが、私は、子どもたちが中心のドラマが読みたかったのかなと思います。

まめじか:母娘の複雑な関係性を繊細に描いた作品ですね。さきほど、表紙が女の子向けだという話がありましたが、私は、この本は女の子が読めばいいんじゃないかと。p245の、美月の母親の台詞は、パトリック・ネスの『怪物はささやく』(シヴォーン・ダウド原案 池田真紀子訳 あすなろ書房)を思いだしました。状況はまったく違いますが、『怪物はささやく』では、母親が死を迎えつつある現実を受けとめられず、怒りをぶつける子どもに、あなたの気持ちはぜんぶわかっていると、母親が言うシーンがありました。「子どもが自分のことをどう思ってるかなんて、気にしてらんないの。そんなひまはないのよ。きっとあんたのおかあさんも娘の言葉に傷ついたりしてないと思うわ。だからだいじょうぶ。なんにも悲しむことなんてない」(p245)という美月の母親の台詞は、どんなにわかりあえなくても結局母親の愛は絶対だという前提ですよね……?

彬夜:親の側から見ると、そう感じるということなんじゃないですか?

まめじか:子どもの気持ちがあって、それとは別に親の想いがあるのはわかるんですけど。母親は子どもを愛するものだという前提にこの本が立っているとして、でも、そうじゃない家庭も現実にはありますよね。子どもを愛せない親もいるし。それを書かなきゃいけないということではなくて、思ったのは、その前提は日本的だなと。血縁重視というか。いいとか悪いとかじゃなく。

西山:現役の中学生がどう読むのかとても興味深いですね。私たち大人が気にも留めないところに反応するのかもしれない。親世代子世代混ざって読書会をしたらおもしろそう。

ネズミ: 100ページまでしか読めてません。でも、まだ物語が本格的に始まっていないんですよね。会話のテンポはいいんですけど、『いいたいことがあります!』(魚住直子著 偕成社)と比べると、主人公に特徴があまりなく、読者をひっぱっていく機動力にやや欠ける感じもしました。あまり強引じゃないというのか。でも、日本の作家だからできる技だと思ったのは、美月を関西弁にして、主人公の会話と区別させているところ。こういうのは、翻訳だとできません。

アカシア:しかも中途半端な関西弁と断っているので、ちょっと変でも大丈夫なんですね。

ハル:はじめて読んだときは、「いいなぁ」と思いながらも、読後はどこかほんのり、古いというと語弊があるかもしれませんが、懐かしい感じもあって、少し前に出ていた本かな?と思った記憶があります。今回改めて読み直してみたら、会話もとてもおもしろく、生き生きとしていて、「古い感じ」という印象は抱かなかったのですが、強いていえば、繭さんというキャラクターが、ちょっと昔懐かしい感じがするのかなと思います。母親は母親で、これが親のつとめだと思っているし、娘は娘で、こんなに繊細なのかと思うほど、母親の何気ない一言に傷ついて、親子の関係って、どこの家も似たりよったりで、ずっと模索し続けていくものなのかなと思いました。

彬夜:ラスト近くの、繭の母親が引きずりこもうとしてるんじゃないかというシーン、怖いですね。結果的には、救うことになる。そこがおもしろいです。意図はわからなくていいと思います。ちなみに、安東さんはあるインタビューで「親は完全じゃない。不手際も、失敗も、言っちゃいけないことも言います。子供がそれを全くわからないまま『毒親』だと子供に言ってほしくない」と語っています。親から見る、という視点はかなりあったかと思います。

ルパン(みんなの話が終わってから参加):正直、あまり感動できませんでした。私には、志保とママとの確執があまりピンと来なかったんです。よその家の子に生まれたかったと思うほどの深刻な問題が見えてきませんでした。また、キーパーソンとなるべき繭さんの魅力があまり見えてきませんでした。繭さんが母親の呪縛にどう立ち向かってどう戦ってどう勝ったか、というプロセスがきちんと描かれていないと思ったんです。結局、母親や熊井さんがいないと生きていかれないことを露呈しただけのような。さらに、その繭さんを救うひとことになるはずだったと思われる美月ちゃんのお母さんのp245の言葉も、結果的に美月や志保を傷つけて終わったという、なにかとんちんかんなエピソードに思えてしまいました。さいごに志保はママに抱きしめてもらってよかった、というあっけない結末も、志保がそこまでママを嫌っていたことと結びつかず、拍子抜けしてしまいました。それに、繭さんや美月ちゃんはこれからどうなっていくのか、という疑問が残り、不完全燃焼的な読後感でした。

アカシア:志保のお母さんは管理的なので、感受性のするどい子どもにとっては嫌だと思います。客観的に見るとそうでなくても、子どもにとっては翼をもがれたみたいな気がするんじゃないかな。私にはその確執はリアルでしたが、そのあたりの感じ方は読者によって違うかもしれませんね。

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エーデルワイス(メール参加):会話がスマートで、どんどん読み進められました。印象に残った新鮮な文章がたくさんあり、すぐれた作家だと思います。表紙もいいですね。

(2019年02月の「子どもの本で言いたい放題」)

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