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子どもの本で言いたい放題

2018年3月30日 (金)

『ただ、見つめていた』

Photo_3 『ただ、見つめていた』
の読書会記録


ジェイムズ・ハウ/作
野沢佳織/訳
徳間書店2017.07
原題:THE WATCHER by James Howe, 1997


   

しじみ71個分:とても沈鬱なストーリーだという印象です。でも、作者がからみ合わない視線をテーマにして書いたのはとてもおもしろいと思いました。全くからみ合わないで互いに見ているだけの存在の3人の視線で描かれていて、からみ合わないがゆえに互いにさまざまな妄想を抱いたりするわけだけれども、それが父親から虐待されている女の子の精神が追い詰められ、幸せそうに見えた男の子の家に思わず入って物を取ってしまい、その取られた物が見つかるところから急激にぐぐっと、からまなかった視線の三角形が急に縮まっていき、その3つの視線がぶつかり、集まった点になった地点が、女の子が父親に殺されそうになるぎりぎり寸前のところで助けに入るという構造になっていて、それはとてもスリリングでおもしろいと思いました。でも、家族から虐待されている女の子が、現実逃避で空想の物語をつくるところで、テンポがクッと変わってしまうので、そこはちょっと読んでいてつまずくところがありました。ミステリーっぽいしかけはどうなるのか、興味をひかれました。いろいろなところで、伏線が効いています。また、最後のクライマックスで、父親に殺されかけているところで、幽体離脱みたいに苦しい思いをしている自分を客観視するというシーンは、リアリティがあると思いました。虐待を受けている自分を客観視することで、今苦しめられているのは自分じゃないと思おうとして、切り抜けようとするところは非常に切実ですね。主な登場人物は、女の子を除いて、それぞれアイデンティティの獲得とか、家族の問題とか、あれこれ困難を抱えていて、そのどこがどのようにその後からんでくるのか、わかりませんでしたが、そこが最後につながったのがとてもおもしろいと思いました。

アンヌ:この本はどうとらえていいかわかりませんでした。それぞれが語っていくところが、まるで映画の予告編を見せられ続けている感じで、最後にマーガレットの父親が出てきて、ああ、そういうわけだったのという感じでした。

ルパン:ところどころに別の物語がはさまっているのが、読みにくかったです。最後まで行ってからもう一度読み返してみれば、マーガレットの空想物語のところだけ活字がちがう、ということがわかるのですが、初めのほうにクリスの想像物語もぽん、と入れられているので、何がなんだかわからなくなります。しかも、活字がちがう挿入物語部分も、それがマーガレットの空想だということは伏せられているのですから、ますます混乱を招きます。最後のほうまでわけがわからないまま読み続け、これは最初から読み直さないとだめだ、と思ったあたりで、突然衝撃のシーンと種明かしがあって、ようやくなるほど、と合点がいったのですが・・・果たして子どもはこれを最後まで読めるのかな、と、はなはだ疑問に思います。ラストでどんでんがえし、みたいなものを狙ったのでしょうが、狙いすぎて流れがぎくしゃくしています。子どもでなくても、中高生でも理解しにくいストーリーだと思います。苦境にいる若者の内面世界を描きたかったのかもしれませんが、私の文庫で薦めたいとは思いませんでした。

オオバコ:マーガレットが盗みに入るところから、やっと物語が動いてきますね。そこからは、とてもおもしろくて一気に読みましたが、それまでがおもしろくない。特に、章の初めにあるおとぎばなし風の物語がわけがわからなくて、つまらなくて、途中で飛ばして読みました。読み終わったあとで読めば、なんのことかわかるけれど・・・。大人の私でもそうだから、子どもの読者は肝心の事件までたどりつけるかどうか。心より頭で書いた物語という気がしました。

コアラ:最後が思いがけない展開でした。ミステリアスで不思議な雰囲気だと思いながら読み進めましたが、マーガレットが他人の家に忍び込んだところで、気持ち悪くなって・・・。見つめていた段階から一線を越えてしまったという気がしました。最後はマーガレットにとっても解決になったし、クリスにとっても人助けができたので、とらわれていたものから解放されたし、エヴァンも、妹が悪い夢を見ていてオペラが流れていた家がここだとわかって解決とも言える。ラストで一応3人それぞれの解決になったと思いました。

レジーナ:同じ作者の『なぞのうさぎバニキュラ』(久慈美貴訳 福武書店)は子ども時代の愛読書で、何度も読みました。p119で、母親は、父親との不和について語ろうとしません。アメリカだったら、エヴァンくらいの年齢の子には説明すると思うのですが。 ピラカンサ:そこは、自分たちもはっきりわかっていないからでは? レジーナ:この両親がどういう状況にあるのか、最後まで明かされないので、しっくりこないのかも。p28で、クリスは「願ってもしょうがない」とつぶやくのですが、台詞として唐突ですし、十代の子はこういう言い方をしないのではないでしょうか。p13の「けだもの」も、虐待している親を指しているので、「けもの」ではなく「けだもの」としたのでしょうが、はじめて読む人にはそれがわかりません。選ぶ言葉がうまくはまっていないように感じました。

西山:またこの形か、と私は思いました。視点人物を変えながら、謎を明かしていく。日本の創作だけじゃないんですね。この形の利点もおもしろさもあることはわかりますが、視点人物の年齢も違うとき、どの年齢の読者に寄り添って読んでほしいのかわからない。7,8歳のコーリーの不安、そこから生まれる虚言。14歳のエヴァン。18歳のクリス。それぞれにおもしろいところはあります。例えば、p52の真ん中あたりで、シェーンのひざを見て、「何度もサーフボードから落ちたりしたんだろうな・・・そう思うと、自分のことがひどく恥ずかしくなった」なんていう思春期の自意識にははっとさせられます。マーガレットの物語の隠喩がわかると、呪いをかけられた人形というのが母親なのもおもしろいと思いました。でも、全体としては満足の読書にはなりませんでしたね。

マリンゴ:抒情的ですけれど、わかりづらさに途中までイラッとする内容でした。3冊のなかでは最後に読んだのですが、正直苦手ですね。前に一度読みかけていて、途中で挫折してやめたこと、中盤になってようやく気づきました。ただ、伝わってきたテーマ自体はいいなぁ、と。「ただ見つめているだけ」でも、人間関係は知らないうちに生まれている。見つめられている側が気づいていたり、第三者が見守っていたり。自分はひとりぼっちだと思っていてもひとりきりじゃない。しかも、そこから一歩踏み出せば、さらに周りの人間とつながれる。そんなメッセージが伝わってきたように思いました。ただ、だからといって感動はできなかったんですけど(笑)

ピラカンサ:私がいいなと思ったのは、人間は見た目と内実が違うというところをさまざまな人間を通して描いているところです。幸せそうに見える家族とか、なんの不足もないように見える若者だって、いろいろな葛藤を抱えているということがわかってきます。ただ、視点が3つあり、しかもマーガレットが書いている物語と、クリスが思い描く昔話風の物語まで出てくるので、物語の構造が複雑で、子どもの読者は戸惑うのではないかと私も思います。p134あたりの描写も、なぜそんなことをしているのか最後まで読まないとわからないので、ストーカーみたいで不気味です。マーガレットが書く物語も最後まで読むとなるほどと思いますが、そこがわからないとあまりおもしろくありません。主人公の3人は、おたがいに見ているだけで親しいわけではないのに、マーガレットが虐待されているのを窓からのぞいたエヴァンがクリスを呼んできて一緒に助ける。そこは、物語のリアリティとしてどうなんでしょう? また、この父親ならマーガレットへの虐待は長く続いていたのかと思いますが、町のだれもそれには気づいていないというのも、どうなんでしょう? 物語世界のリアリティがもう少しあるといいな、と思いました。

エーデルワイス(メール参加):衝撃のラストでした。クリスとエヴァンとマーガレットの3人の様子が坦々と綴られていて、確かに3人はそれぞれ悩みがありそう。最後にこうくるか!という感じでした。本筋の間に出てくる架空の物語は、マーガレットが父親に秘密にしていたノートに書いていたものだったことも分かりました。マーガレットは無言で助けを求めていたのが、その無言ゆえにクリスとエヴァンに伝わったのでしょうか。マーガレットは救われましたが、クリスとエヴァンその後はどうなったのでしょうか。彼らの心も救われたのでしょうか。マーガレットの母親は自分夫が娘を虐待することを止めることができない。ただ音楽を鳴らし部屋に閉じこもるだけ。それがとてもやりきれない。母親も被害者と言えるのだけれど、本当にやりきれない。娘を救うことができないことが。原作は20年前に書かれているのですね。これも映画になりそうと、思いました。

(2018年2月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

『ひかり舞う』

Photo 『ひかり舞う』
の読書会記録


中川なをみ/作
スカイエマ/絵
ポプラ社 2017.12




ピラカンサ
:場所が点々と移って、様々な人に出会っていくので、細切れに読むとよくわからなくなりますね。一気に読むと、おもしろかったです。特にいいなと思ったのは、男の子が女の仕事をしようとするというところ。逆のケースはいろいろ書かれていますが、こういうのは少ないですね。物語の中のリアリティに関しては、武士の妻である主人公のお母さんが、子連れで出ていって、洗濯だの料理だのをしてお金を稼げるのかな、とか、おたあを引き取ることにする場面で、身分の低い縫い物師が主人のいる前で、そんなことを言い出すのはありなのか、とか、疑問に思いました。p229の6行目にここだけ「彼女」という言葉が出て来ますが、浮いているように思いました。

マリンゴ:おもしろく読みました。最初は、女性の仕事をする男の子の、お仕事成長物語なのかと思っていました。でも仕事の話が中心ではなく、住む場所がどんどん変わり、物語もいろいろなところに飛ぶので、ラスト30ページになってもどうやって終わるのか想像がつきませんでした。小西行長だけでなく、この女の子・おたあも実在の人物をモデルにしていると、あとがきで知って驚きました。あと、最後のほうは、キリスト教の思想がたくさん語られていますが、小学生がこれをどう読むのか、興味深いです。私自身、小学生の頃に『赤毛のアン』を読んで、ストーリーはわかるのだけど、いたるところに出てくる聖句の意味がさっぱり理解できなくて・・・。キリスト教系の学校に入学してから、ああなるほど、と意味を知ることができたので。小学生はこの文章の意味がわかるのか、あるいはわからないなりに読了するのか、単純な興味として気になりました。なお、知り合いに歴史小説を書いている作家さんがいるのですが、作品を発表すると、郷土史研究家はじめ、たくさんのマニアから時代考証について突っ込まれ、その戦いが大変だと聞きました。その点、この作品は、私の推察ですけれど、児童書だからということで自由に書いているのかな、というふうに感じました。もちろんそれはそれでよくて、おもしろかったです。

西山:まず、男の子のお針子がおもしろいというのがありました。吉橋通夫の『風の海峡』(講談社)を思いだして読みました。同じ時代で対馬に焦点を当てて、小西行長が出てきて、雑賀衆が魅力的で・・・複数の作品で、その時代に親しみが出てきたり、立体的に見えてきたりということがあるなぁと改めて思います。(追記:「望郷」の節では、村田喜代子の『龍秘御天歌』(文藝春秋)、『百年佳約』(講談社)も思いだしました。言いそびれましたが、これ、おすすめです。朝鮮から連れてこられた陶工たちのコミュニティの悲喜こもごもが、悲壮感でなくおおらかに物語られていてものすごく新鮮だった記憶があります。)
 時代考証的にはちょこちょこ気になるところがあったのですが、当時「日本国」と言っていたのでしょうか。p187に「日本国は、この戦で人も金もつかいきってしまったんだ」という言葉があるのですが、「いま」がぽんと顔を出した気がしてひっかかりました。布や食べ物は丁寧に描写されるのに、父親が死んでもけろっと話が進む。妙に潔いというか・・・。そういうところに、いちいち立ち止まらないから、平史郎7歳から37歳までを駆け抜けられるのか、賛否わかれる気がします。また、別のことですが、p331の「五万ものそがれた鼻が塩づけされ、後日、京都にある耳塚に埋葬された」とありますが、確かに「鼻塚」とは聞かないから、そうなんでしょうけれど、読者は「鼻なのに耳?」となるのではないでしょうか。あと、捕らわれた朝鮮人が連行されるところで、p185では「人々の泣きさけぶ声が大きくなってくる」とあるのに、p186では「多くは押しだまって目だけをぎらつかせていた」と書いてあると、え?となってしまう。捕らわれた同郷人に胸を痛めて身を投げるおたあ(p208)とp248の「こづかれたりどなられたりしながら働いている子どもたち」を「笑って見ている」「貴族のむすめ」の感覚が矛盾するように思います。編集担当者はひっかからなかったのかなぁ……。

レジーナ:男性の縫い物師という設定はおもしろいのですが、それが歴史の動きとからむわけではなく、私はあまり入りこめませんでした。タツとの再会や、周二との出会いはうまくいきすぎていて、ご都合主義な印象を受けました。

西山:私は結構最後の方まで、お母さんに再会するのかと思ってました。出て来ませんでしたね。

コアラ:話がサクサク進むのがよかったです。ただ、いろいろなところで粗いというのは私も思いました。歴史的に調べていない気がします。でも、縫い物で身を立てるのはおもしろいと思います。今の時代、縫い物や編み物が好きな男の子もいますが、好きなことをしていいんだよと背中を押してくれているようにも思えます。気になったのが、p57に「慈しめよ」という言葉が出てきますが、唐突かなと。わかりにくい言葉だと思います。ただ、読み進めていくと、キリシタンが異質な者として描かれていて、この言葉もキリシタンの異質さと重なるようになっているのかなと思いました。全体的にはおもしろく読みました。

ピラカンサ:この「慈しめよ」は、主人公もわからなくて、そのうちだんだんわかっていく、という設定なので、これでいいんじゃないかな。

さららん:自分自身、子どもだった頃に、道で配られていたパンフレットでキリスト教に触れ、その教えをどう理解したらよいか、すごく悩んだ時期があります。教会に通う勇気もなかったので、文学の中で出会うさまざまな登場人物を通して、理解を深めてきました。もともと「百万人の福音」誌に連載された『ひかり舞う』には、キリシタンの生き様も背景に描かれ、「神はわれわれに最善を尽くしてくれていると信じるしかない」とストレートな表現も出てきます。歴史物語という枠組みのなかで、こんな言葉が子どもに届けられてもいいんじゃないかと思います。主人公は父親を早くに亡くしていて、どんな人物だったかよく覚えていない。でも母から伝えられた「慈しめよ」という言葉、そして成長のなかでキリスト教に触れることで、もしや父も信者だったのではと次第に気づいていく。父親捜しの物語も用意されていたんだと、発見がありました。描き方は深くはないかもしれないけれど、大きな枠の中で、こういうことがあったと子どもに伝える本であり、縫い物師の少年の目を借りて、小西行長を描いた試みとしてもおもしろかったですね。

オオバコ:最後までおもしろく読みましたが、「おたあ」を主人公にして書いたら、もっとよかったのにと思いました。朝鮮との交流や、侵略、迫害の歴史を児童書で書くのは、とても意味のある、素晴らしいことだと思います。ただ、周二が出てくるところまでは、あらすじだけを書いているみたいな淡々とした書きっぷりなので、途中で読むのを止めたくなりました。かぎ括弧の中の言葉遣いも「?」と思う個所がいくつかありましたね。ひとつ疑問なのは、男の縫物師が、当時それほど侮蔑されていたのかどうか・・・。これは、ちゃんとした着物の仕立てではなく、繕い物をしていたからなのか・・・。縫い物をしていたからこそ、お城の奥まで入りこめるし、いろいろな事柄を知ることができるので、そこはおもしろい工夫だと思いましたが。みなさんがおっしゃるように、歴史的な事柄に破たんがあるとしたら、もったいないなと思いました。

ルパン:飽きずに最後まで読みましたが、男が縫い物師であるという設定が、ほとんど生きていないように思いました。平史郎が針子であったがために物語が大きく動く、ということがないんです。しかも、盛りだくさんすぎて、作者が何を描きたいのかがよくわかりませんでした。明智光秀の衣裳係だった父、あっけなく死んでしまう妹、武家の妻なのに首洗いをして生きていこうとする母、そこまでして息子を守ろうとしている母から離れてしまう平史郎。さらに、男の針子として珍しがられたこと、雑賀の鉄砲衆のこと、小西行長のこと、朝鮮のこと、キリスト教のことなど、どれひとつとっても、それだけで一冊の本になりそうなものを詰め込みすぎて、結局どれも中途半端なのでは? そして、後半、おたあが主人公だっけ?と思うほど、おたあへの愛情はこと細かに描かれているのに、最後は突然現れたるいと幸せになります、で終わってしまう。読み終わってきょとんとしてしまった、というのが正直な感想です。

アンヌ:とにかく私は絵描きの周二が魅力的で好きです。主人公と二人で同じ海の夕焼けの赤に見とれている出会いの場面、一緒に組んで京都に出て店を開き周二がモテモテになる場面、周二がこの時代の風俗図のもとになるような人々の姿をスケッチしていくところなど、生き生きと描かれています。どんな絵を描いたのだろうと思い、美術史の本を見たりしました。そこにあった南蛮人渡来図などを見て、天鵞絨のマントや金糸の飾りをつけたズボンなどを見た日本人は驚いただろうなと思い、布地の魅力というものにはまった主人公の気持ちがわかる気がしました。専門職の仕立て屋というのは昔から男性もいたように思うのですが、とにかく主人公が女の仕事とされてきた繕い物から仕立てを覚えていくのが、独特の筋立てです。そして、時代を描いていく。歴史でキリシタン迫害のことを習っても、なかなか、こんなにキリシタンの人が沢山いたこととか、その人々の思いとかを知ることがありません。物語として描かれる意味を感じます。朝鮮への侵略戦争やその後の外交の復興と朝鮮通信使の魅力的な様子までが描かれていて、そこも、いいなと思えました。ただ、主人公がキリスト教にどう惹かれていったかはもうひとつはっきりしませんでした。朝鮮から連れて来られたおたあへの気持ちも、よくわからない。キリスト者として生きるおたあは孤独ではないですよね。だから、それでいいのかとか、もやもやした気持ちが残ります。

しじみ71個分:私は一気に、おもしろく読みました。これは、出会っては別れ、出会っては別れ、という男の一代記になっていますね。楽とは言えない人生の中で、出会う人がみんな魅力的で、その中でいろいろな気づきを得て成長していくというところはよかったと思いました。わたしも周二という人物はとても魅力的で好きなキャラクターでした。キリスト教系の雑誌に連載されていたと今日教えていただき、納得がいきました。キリスト教にはこだわって書かれていて、平史郎が当初はおたあなどキリシタンの考え方を理解できずにいたのが、おたあからクルスをもらって、最後にやっとはじめて理解でき、そこでキリスト教に対する共感や信仰が生まれているという心情の流れは、宗教に対する人の心の動きとしておもしろいと思って読みました。情景描写がとても美しいところが数か所あって、時々、うるっとなったところもありました。例えば、おたあを連れて、山に登り、海の向こう側に釜山が見えたというところなど、ところどころにキラッとする情景描写がありました。また、おたあを守ってるつもりで、実はそれが自分のためだったと気づいたり、など、主人公が自分の心と対話しながら考えていく内省的な表現はおもしろかったです。

エーデルワイス(メール参加):明智光秀、織田信長、豊臣秀吉、小西行長、キリシタン、雑賀の鉄砲衆、二十六聖人・・・盛りだくさんの歴史読み物でした。琵琶湖、近江、京、対馬、壱岐、長崎、釜山と西日本縦断というスケールです。主人公は平四郎で武士で男でありながら針子として苦難の道を生きるのですが、様々盛り込み過ぎて、主人公の魅力が不足のような気がしました。父に死なれ、自分の責任のように妹を死なせてしまい、母と別れ、様々の人と出会い助けられ成長するのですがステレオタイプ。豊臣秀吉の朝鮮出兵と朝鮮の人々の悲劇、キリシタンのことを描きたかったら、いっそ「おたあ」を主人公にして、運命的に平四郎に出会う設定にしたらよかったのでは・・・と、思いました。

(2018年2月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

『15歳、ぬけがら』

15 『15歳、ぬけがら』
の読書会記録

栗沢まり/作
講談社
2017.06






アンヌ
:いろいろなことがぶちまけられたまま終わった感じがして、あまり読後感がよくありませんでした。けれども、ところどころに胸を打つ言葉がありますね。例えば、p92からp102にかけてのマイナスの掛け算をどう考えるかのところ。主人公の「理解したい」という気持ちを見事にひろいあげていくところは、素晴らしいと思います。ただ、母親や優香さんのおこなっている出会い系の疑似恋愛じみた売春や、裏に暴力団の存在が見える中学生の援助交際や、それに絡む中高校生男子の中間搾取やカツアゲとか、これからも主人公の周りにある暗い淵は変わらないままで終わるこの物語を、誰にどう手渡せばいいのかと思う気持ちがあります。

ルパン:最後まですーっと読んでしまいました。あまり良くない前評判を聞いていたので身構えていたのですが、読み始めてみたら不快感はなく、こういう状態はきついだろうなあ、と、むしろ共感をもって読みました。ただ、ここに出てくる大人たちがなんとも情けなくて・・・主人公の麻美は一応成長して終わるのですが、ダメな大人はダメなまま。麻美をいじめる女子三人組とも、交流はないまま。そういった、ちょっとした口の中のえぐみのようなものは残りました。麻美が、部屋も制服や靴が汚れたままでいて、そのことに嫌気がさしているのに、自分で何とかしようとはしないところなど、イラっとさせられる部分もあるのですが、やはり自分でやる気を出すまでには時間が必要だったのだろうとも思いました。救われない部分が残るところが、リアリティを出しているのでしょう。読後感は悪くはありませんでした。

さららん:テーマを知らないまま、表紙には好感がもてず、タイトルもなんなんだろう?と読み始めましたが、一気に最後まで読み通してしまいました。自分が断片的に知っていた子どもの貧困の問題が、主人公の麻美を取り巻く状況の中に、これでもかというほど詰めこまれていましたね。麻美の立場なら、お腹もすくし、夜、町にも出たくなるだろうし、気持ちを重ねることができました。ときどき情景描写に心理を映し出す象徴的な表現がでてきて、それが強く印象に残りました。例えば学習支援の塾で食べた久しぶりのハンバーグ。フライパンを洗うとき、主人公はぐるぐる回る水を見つめながら、自分の整理のつかない感情をそこに重ねますよね。タイトルになっている「ぬけがら」もそうで、「声を出すその日まで、セミはこの体で、この形で生きていたんだ。ぬけがらに生き方が刻まれてるって、たしかに言えるかもしれない」と、「強いぬけがら」の象徴するものをきちんと言葉にしています。こんがらがった心のなかで、だれかのために何かすることの喜びを主人公は知っていき、そのための勇気もふるう。貧困の中の少女の成長物語として、道筋が見えている感じはするけれど、読んで嫌だという印象はありませんでした。

コアラ:強烈な印象を受けました。以前『神隠しの教室』(山本悦子著 童心社)を読んだときにも、貧困家庭の男の子が出てきて、給食を目当てに学校に行くような感じでびっくりしましたが、これは全編貧困が描かれていて本当に強烈でしたし、いろんな人に知ってもらいたい作品だと思いました。目次が全部食べ物になっていて、空腹だと食べることしか考えられなくなるんだなと思いました。麻美が、お腹をすかせた和馬を見てもお弁当を譲らず、自分ひとりで食べてしまって自己嫌悪に陥っていることに対して、p198で塾長が、「自分が全部食べることで、それをエネルギーに変えることもできるんだよね」「もっとたくさんの食料を手に入れて友達に提供できたら、こんなにすごいことはないんじゃないかな」と言っていて、塾長、いいこと言うなあと思いました。後半で麻美が「強いぬけがらになる」と言ったことについて、p185で男子学生が「ふつう、そういうふうには使わないんじゃないかなぁ」「マイナスの意味で使うんだよ」と言ったり、p218で優香さんが「『強いぬけらがになりたい』っていいな、と思ってさ」「『ぬけがらの意地』みたいな感じ?」と言ったりして、かなり説明されていて、タイトルの意味がわかるように書かれていると感じました。そういうぬけがらの話も、p169の、ぬけがらについての塾長の話、「ぬけがらって、そのセミの生き方そのもの、って気がするんだよね」という言葉で生きてくると思いました。装丁は好ましいとは思えませんが、力強い作品で、書く力のある人だなと思いました。問題が解決されているわけではないけれど、希望のある終わり方もいいですね。

西山:今回読むのは3回目になるのですが、失礼な言い方になるかもしれないけれど,再読して、評価が上がりました。どうも最初は、子どもの貧困にまつわるさまざまな情報のパッチワーク的な感じがしてしまって、このエピソードは聞いたことがある、とかあまり素直な読者になれていなかった気がします。物心つくときからこの状況というわけではないのに、こんなにものを知らないものかと、違和感を覚えてしまったり・・・。でも、今回、時間がない中どんどんページを繰ったのがよかったのか、でこぼこを感じずに読めました。どうしようもない汗臭さなど、生理的な感触と、あと、これは、学生と読んで気づかされたのですが、目次からして食べ物の話—−空腹と食欲の話として、一貫しているということで、作品としての背骨が通っていてよかったと思います。

マリンゴ:日常的な貧困をテーマにしたこの作品は、著者のデビュー作ですよね。これから、どんなテーマを取り上げていくのか、とても気になります。楽しみです。タイトルの「ぬけがら」がいいと思いました。ネガティブな意味で使われがちですが、ポジティブな意味も含めている。そういう発想の変換がよかったです。ただ・・・タイトルに「15歳」とあるので、15歳15歳、と自分に言い聞かせながら読んでいたのですけれど、どうしても12歳くらいの子の物語に思えてしまいました。例えばp60。お母さんが汚し放題で片付けをしないことへの不満が書かれていますが、「じゃあ、あなたがやれば」と読者はツッコミを入れるのではないかなぁ、と。15歳だったら、「出ていく」ことを考えるか、あるいは「自分でやる」ことを考えるか。何かリアクションがある気がしたのです。あと、余談になりますが、セミのぬけがらってたしかに美味しそうだなと思いました(笑)。調べたら、去年の夏、ラジオ番組で小学生が「セミのぬけがらは食べられますか」と質問したそうで、大阪の有名な昆虫館の方が回答しているのですが、「ぬけがらは、ワックスのような、油のようなものでコーティングされているので、生のままでは食べないほうがいい」とのことです(笑)

ピラカンサ:私は出てすぐに読んだのですが、家の中を探しても本がなかなか見つかりませんでした。それで、図書館で借りようと思ったのですが、私が住んでいる区の図書館はすべて貸し出し中。よく読まれているんですね。読み返すことができなかったので、最初に読んだ時の感想のメモですが、私はこの主人公があまり好きになれませんでした。私も、15歳なんだから、被害者意識ばかりもつのでなく、出ていくなり、自分で掃除やご飯づくりをしたりしたらいいのに、と思ってしまったんです。日本の状況だけを見ていれば共感する部分もありますが、海外にはもっとひどい状況のなかで生きている子もいるから。それに、貧困のリアリティも外から描いている感じがして、敬遠したくなってしまいました。

しじみ71個分:あまりひっかかるところなく、すっと読み通しました。年齢よりも幼く見えたり、何でも人のせいにしてしまったりすることに私は逆にリアリティを感じましたね。以前、医療系のシンポジウムで医師のお話を伺った際、貧困は、何をしても無駄、という諦めが続くことから、後天的な無能感、無力感が植え付けられるということを知りました。貧困の非常に難しい問題はそこにあるように思います。例えば、子ども食堂に関わって聞くところによると、フードバンクにお米があっても、家に炊飯器がないからお米が炊けない。家で調理しなくてもいいものでないと、なかなかもらわれていかないそうです。鍋と水があればご飯は炊けるし、ご飯じゃなくてもおかゆでも食べられるのに、調理方法を知らないからそれができないし、学ぼうという意欲もなかなか出てこないということがあります。生活保護の申請も、やればできるのに、それに気づけないし、何か言われるのが嫌で申請をする気も起きないということが実際にあるようです。なので、学習塾の支援があって、人との関わりの中で気づきが生まれてよかった、ダメなまま終わらなくてよかったと思いました。
 貧困によって困難な状況にいる子、お金持ちの家の子なのに、親からの愛情を注がれず生活が崩れて困難な状況にいる子が、社会のはきだめみたいなところに寄せ集まって、互いに傷つけ合いながら、その中で互助、自助で生きていく様は理解できました。

ピラカンサ:私はこういう社会問題を扱った作品こそ、状況がわかるだけじゃなくて、だれもが読みたいと思えるように書いてほしいと思っているので、ちょっと点が辛いのかもしれません。

しじみ71個分:今、思いましたが、もし貧困ということを全く知らない子どもがこれを読んで、例えば同じクラスに、外見的にそう見える子がいたら、どう思うだろうかなと気になりました。あえて、経済的に困難な子を探したり、ことさらに意識したりという逆効果が生まれる恐れというのはないのでしょうか? 貧困という現象を、背景まで深く考えて想像できるかどうかどうかわからないかもしれませんね。大人であれば、社会現象として、こういうこともあるよな、と理解できるかもしれませんが。子どもが貧困ということを理解するのに、この本がどれぐらい助けになるかと考えています。

オオバコ:子どもの貧困というテーマを取り上げたのは、意欲的でよいことだと思いましたが、p14まで読んだところで「こういう展開で、こうなるだろうな・・・」と予想がつきました。戦後まもなく、セツルメント活動が盛んなときがあって、そういう活動をしている学生たちのなかから児童文学を書きはじめた人たちも大勢いたように思います。わたしが関わっていた児童文学の同人誌の同人にも、そういう方がいらっしゃいました。子どもの貧困は、ある意味、日本の児童文学の出発点のひとつだったような気がします。でも、日本全体が貧しかった当時の貧困と、いまの貧困は、ちがうんじゃないかな? 現在の子どもの貧困は、もっと構造的なものなのではないでしょうか? 村上しいこさんの『こんとんじいちゃんの裏庭』(小学館)には、多少とも現実の社会とのつながりがありましたが、この作品には、そういう社会的な広がりが見えないのが物足りなかった。塾長の描き方も曖昧ですし……。「お金持ち」の意地悪をする子たちの書き方もステレオタイプだと思いました。

しじみ71個分:作者は学習支援にも携わっていたということなので、子どもの困難をあれもこれも知らせなければと、現象を詰め込みすぎてしまったのでしょうか?

ピラカンサ:作者に、書かなきゃという意識が強すぎたのかもしれませんね。状況だけではなくて、もっと個を書いてほしかったと思いました。

ルパン:貧困の中にある人たちだけで閉じてしまっているような閉塞感があるんでしょうか。

しじみ71個分:自分の身近な例だと、母子家庭でどんなに経済的に苦しくて、働きづめで疲れていても、子ども食堂に来ないし、あまりつながりたくないようなんですね。子ども食堂なんて頼ったら終わりと言われたらしく、人に頼りたくないという意地もあるようで、そういうのは理解できます。閉塞といえば、それは実態として閉塞しているんじゃないかなと思います。

エーデルワイス(メール参加):作者が現在の子どもたちと関わったことがベースになっているのか、リアリティがありました。育児放棄しているだらしのない心の病気の母親。空腹の描写は本当に辛いですが、最低限の料理も掃除も教えられないとできないのですよね。かったるい様子の主人公15歳の少女の表紙と「ぬけがら」の文字は、マイナスイメージでしたが、実は前向きのメッセージがこめられていました。最後まで読まないと分かりませんね。いわゆる「子ども食堂」が児童読み物に登場したのですね。
こちらにも「こども食堂」が定期的に開かれています。一度お手伝いにいきました。
その日に集まった食材を、その日に集まった初対面のお手伝いボランティアで黙々と手際よく料理を作るのです。前もって献立が決まっていることは易しいですが、その場で決めるのは並大抵ではないと思いました。小学生、中学生が大学生に勉強を教わったりお喋りして楽しそうでした。自分の居場所があるのは本当に大切と思います。定期的に文庫の本を貸し出して、子どもたちに見てもらっています。

(2018年2月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

2018年3月17日 (土)

『凍てつく海のむこうに』

Photo_4 『凍てつく海のむこうに』

の読書会記録


ルータ・セペティス/著
野沢佳織/訳 
岩波書店
2017.10
原題:SALT TO THE SEA by Ruta Sepetys, 2016



しじみ71個分:本屋で表紙を見たときからおもしろそうだと思っていましたが、本当におもしろかったです。まず、東プロイセンに取り残された人々を海路でドイツ本国へ住民を避難させる「ハンニバル作戦」があったということを全く知りませんで、その知識を得たことは有益でした。お話は、登場人物が代わる代わる語る形式で、全員が何か秘密を抱えており、各人のストーリーが結末に向かって集約されていくという構成で、スリルとサスペンスでずんずんと読んでしまいました。それぞれの秘密は、各国の美術品の略奪の補助をしていたところから美術品を持って逃げだしたことや、迫害されていたポーランドから逃れてきたこと、従妹を死に追いやる原因を作ったことなど、それぞれに重く、読んでいてドキドキしました。お話の中では悪役のアルフレッドの描き方も秀逸でした。手に赤く湿疹ができていて、ぼりぼりとかきむしるという描写に象徴される気持ち悪さ、不気味さが何ともいえませんでした。ヒトラーを狂信し、夢想と現実とのバランスを失いかけていて、精神の不均衡の象徴的存在で、手紙の中で好きだという隣家の少女もユダヤ人として告発したということが少しずつ分かってくるのもおもしろかった。この人物によっていつ、どんな破綻が起きるのか、ドキドキさせられて・・・。非常に大事なキーマンで、その暗黒さで話をおもしろく引き締めていたと思います。エミリアと筏に乗ったところで、ポーランド人のエミリアを殺そうとし、結局自滅して死んでいくことで、ここでカタルシス効果があるように思います。さまざまな人々が人種、国籍、体の特徴、性的指向等個人でどうにもならないことを迫害の理由とすることは今となっては理解しがたいですが、アルフレッドのような不気味さで、復活して来ないとも限らないという恐ろしさも感じました。

アンヌ:とてもおもしろくテンポもいい小説ですが、ある意味映画のように一瞬一瞬がくっきり照らされて、説明不足のまま進んで行ってしまうところを感じました。ナチスの美術品強奪に対してフローリアンが何をしたかったのかとかいうことも、もう一つはっきりしない感じです。ただ、ヨアーナのようにドイツ人とみなされて働かされた人々や様々な民族へのドイツやソ連の迫害等については知らなかったので、これからいろいろと調べて行きたいと思いました。

サンザシ:この本は出版されてすぐに読みました。長い小説ですが、人間がちゃんと書けているので、とても読み応えがあります。様々な人生が出会って、その交流からまたそれぞれの人が力をもらって生きていく様子も描かれています。冷たい海で命を落としたエミリアは哀れですが、最後の章に、おだやかに幸せ感あふれる描写が出てくるのは、悲しいし美しいですね。ドイツ人のアルフレッド(正しくはアルフレートでしょうね?)だけが極めつけのどうしようもない存在に描かれていますが、それでも、手をかきむしるなど、どこかに無理が出ているのですね。

マリンゴ:非常におもしろく読みました。知らないこともたくさん書かれていて、勉強になりました。4人の登場人物の一人称なので、緊張感が途切れることなく、話が展開していきます。たとえとして正解かわかりませんが、ドラマ「24」を見ている感覚に少し近かったです。エミリアの出産に関するミスリードについても、他の人の一人称がうまく使われています。真相が明らかになったとき、登場人物たちも驚くので、「だまされた」という不快感がなく読めました。そのあたり、とても巧みだと思います。よかったところをいくつか挙げていくと……。まず67ページの「ポーランドの家庭では、コウノトリに巣をつくってほしいと思うと、高いさおのてっぺんに荷馬車の車輪を打ちつけておく」。非常に印象的で、なるほど、そうやってコウノトリといっしょに生活しているのか、と。すると、後ろのページでも「コウノトリ」が登場し、最後、エミリアが死ぬ前に見た夢(?)のなかにも出てきて、効いてるなぁ、と思いました。166ページの、混乱のなかでドイツ人が整然と列をつくるシーンは、国民性が現れていて、絵が浮かんでくるようでした。288ページで、靴職人が赤ちゃんにも「靴を見つけてやらんとな」というシーンも、登場人物の個性が端的に表れていていいと思いました。もっとも、擬声語が2か所、気になりまして……。冒頭の銃声の「バンッ」、船が沈没するシーンの「ドンッ」。この2つの多用は、せっかくの作品を幼いイメージに見せている気がしました。なお、最後の参考図書一覧は、著者が参考にした本、ではないのですよね? 翻訳の方、編集の方が使われた文献なのかしら。

須藤:作者のルータ・セペティスさんがあとがきに書かれているように、この本をきっかけにして、歴史に興味を持ってもらえたらうれしいので、訳者の方と相談して、参考になる本を紹介するつもりで入れました。

しじみ71個分:擬音は私も気になりました。最初の方の章で、銃声が場面転換のきっかけになっている箇所がありますが、カタカナで「バンッ!」と書くと少々野暮ったく、映画などであれば、少し乾いた「パン!」(再現不能)という音になるのではないかと思うのですけど、頭の中の銃声と字面が一致しなくて、少し引っ掛かってしまいました。擬音は表現が難しいですね。

西山:私は同じ作者の『灰色の地平線のかなたに』(野沢佳織訳 岩波書店)がすごく好きなんです。それで、読まなくてはと思いつつまだだったので、今回とても楽しみでした。で、長かろうが、絶対読み始めたら一息に読めるだろうからと、最後に取っておいたんです。そうしたら、まぁ、期待とは全然違って、どんどん読めなくて・・・・・・読み終わらなかったのを作品のせいにするのは、身勝手だとは思いますが、まぁ、敢えて言ってしまえば、私の期待した作品ではなかった、と。言葉は悪いですが、一人称の4人の切り替えが思わせぶりというか、あざといというか、凝りすぎと感じてしまった。『灰色の地平線のかなたに』は、ソ連のリトアニア支配、シベリアへの強制連行という、私は知らなかった出来事、舞台でしたけど、時間も空間も単線だったんですね(もちろん、多少の回想部分もありますが)。ぐいぐい読めた。中身がひっぱっていく作品でした。造り=語り方で引き回すのでなく。(補足:この後、最後まで読みましたが、皆さんの話をうかがったうえでも、この時点で抱いてしまった不満は払拭されませんでした。うまい作品を読ませてもらったという感触は、『灰色の地平線のかなたに』で、出来事とリナたちの姿を突きつけられてしまった、そこに投げ込まれ圧倒されたという感触ととても違っています。今回は、作品が最後まで「本」だった。いっそ、歴史ミステリーと割り切って読めば素直に楽しめたのかもしれません。この辺は、一人称の語りの功罪とあわせていずれじっくり考えてみたいと思います。)
真実を隠した話者たちの切り替えは、こういう史実に基づく重い事実を伝えるうまいやり方でもあるとは思います。同時に、その造りがかえって「むずかしい」にもなりはしないかと思ってしまう。素直な造りの『灰色の地平線のかなたに』の方が案外、読みやすいとう面もあると思います。

サンザシ:この作品は、さまざまな一人称でしか書けませんよね。それに今は英米ではこういう複数の視点で書いた作品はいっぱいあるので、凝った造りとは言えないと思います。私は読みやすかったな。

西山:3分の1ほどしか読み終わってませんけど、アルフレッドは密告したのだろうなと思っていたら当たりましたね。嫌な人がちゃんと描けるのが、この作者の魅力の一つだと思っています。『灰色の地平線のかなたに』のスターラスさんが何しろすごいと思っているので、それに準じるのが、「悪いけどエヴァ」でしたね。アルフレッドは新しい怖さでした。

ルパン:私は一気読みでした。冒頭だけは、入りこむまでに時間がかかりましたが。やはり、エミリアが一番せつなかったです。いとこの代わりに犠牲になり、レイプされて妊娠し、思いを寄せたアウグストからもフローリアンからも女性としては愛されないまま死んでしまうなんて。ただ、エミリアは、死んだあとは、自分の子どもが、憧れの「騎士」フローリアンの娘として愛されて育てられ、オリンピックの選手になるし、自分のなきがらも見知らぬ土地で手厚く葬られるという救いがあります。救いのないのはアルフレッド。だれからも愛されず、理解されず、嫌われ、さげすまれたまま冷たい海に落ちて死んでいくのですから。デフォルメされているけれど、こういう人はきっといる、というリアリティがあって、それだけに読んでいて苦しい気持ちにさせられました。脇役では、靴職人と少年がいいですね。ただ、「少年」は名前で出したほうが、よかったのでは。盲目の少女イングリッドは名前で出てくるので、とちゅうで亡くなってもインパクトがありました。「少年」はこのグループを和ませる存在でもあり、のちにヨアーナとフローリアンの子どもにもなるのに、ずっと「少年」と呼ばれたままなので、存在感が薄くなっていたと思います。

サンザシ:こういう船で避難する人たちは、おそらくいろいろな背景を背負っているので、すべての人に名前を聞くということはもともとしなかったのでは?

ネズミ:おもしろく読みました。『リフカの旅』(カレン・ヘス著 伊藤比呂美・西更訳 理論社)もそうでしたが、自分の親や親族の過去の体験を聞いて、若い作家がこれだけの作品に昇華させているというのに感服します。構成が巧みですね。『いのちは贈りもの』がひとりの視点で描かれているのに対し、この本は複数の声でいろいろな角度から物事を見えてきます。緊張感を保ったまま、最後までぐいぐい読ませられました。アルフレッドは極端ですが、このような人物を出してこないとナチスの宣伝文句を言わせられなかったのかなと、複雑な思いがしました。たいしたことではないのですが疑問に思ったのは、エミリアが船で赤ん坊を産む何日も前、106ページに「陣痛が始まっていて」という言葉が出てきます。陣痛って産む直前の痛みなのでは?(他の参加者から、「前駆陣痛」というのがあるから問題ないという声あり)。

レジーナ:昨年カーネギー賞をとったときから気になっていた作品です。歴史の中に埋もれた人たちに声を与えたいという作者の想いが、全編を通して感じられます。みんなが必死になって乗船許可証を手に入れようとする姿は、現代の難民の人たちに重なりますね。アルフレッドは一面的に描かれていますが、人間の悪の部分を表しているのだと思ったので、気になりませんでした。アルフレッドがはじめ、エミリアをアーリア人種だと思う場面からは、人種という枠組みがいかに表面的で、あてにならないかがよく伝わってきます。緊迫した状況が続きますが、乳母車にヤギをのせ、たくましく生き抜こうとする「ヤギ母さん」など、ちょっとほっとできるユーモアがあるのもいいですね。

花散里:私も『灰色の地平線のかなたに』が好きで、作者のルータ・セペティスさんが来日された折に、講演会でお話を聞かせてもらいました。過去にあった出来事を伝えたいという思いを表現され、丁寧に語られる姿も印象的な方だったので心に残っていて、この本が出るのをとても楽しみにしていました。

エーデルワイス(メール参加):4人が入れ替わり一人称で語りながら展開していく物語なので、まるで映画のシナリオのようですね。いつか映画化されるのではないでしょうか。ヴィルヘルム・グストロフ号沈没のことは全く知りませんでした。その沈没に向かう展開の物語を読んでいると緊張感でいっぱいになり、酸欠状態のようになりました。4人の一人称での文章はこの物語には必要だと思いましたが、私には読みにくくて、なかなか読み進めませんでした。ソ連兵に乱暴され妊娠したエミリアが、妄想で恋人を作り出し、その子どもを宿したと自分に思い込ませたところでは、人は生きるために「物語」が必要なのだと思いました。

(2018年1月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

『八月の光〜失われた声に耳をすませて』

Photo_3 『八月の光〜失われた声に耳をすませて』

の読書会記録


朽木祥/著
小学館
2017.07





アンヌ:「石の記憶」を読んで本当によかったと思っています。実は小学校の林間学校で原爆のニュース映像を見させられて「核戦争が始まったら、自分はただの黒い影になって永遠に焼き付けられてしまうんだ」と恐怖を感じたのと同時に、その年齢なりの虚無感に襲われたのですが、その時の自分にこの物語を手渡したいです。主人公が黒い影に温かみを感じて寄り添う場面を読むと、生きていくことも死んでいくことも、空しいものではないと思えました。

コアラ:私は「石の記憶」では泣いてしまいました。「水の緘黙」でも泣いてしまいました。朽木さんの本は初めて読みましたが、ひどいことが書かれてあっても、しっとりとして後味は悪くないと思いました。特に言葉が美しいと思います。174ページの「あの日を知らない人たちが、私たちの記憶を自分のものとして分かち持てるように」という言葉が印象に残りました。戦争や原爆の本はたくさんあって、きっかけがないと手に取らない本かもしれませんが、なるべく多くの人に読んでほしいと思いました。

サンザシ:この著者は、広島のことを書くと心に決めて、原爆で亡くなった方たちを一人一人生き返らそうとしているように感じます。言葉や表現が立っていますね。被害者意識だけにとらわれることなく、ある日とつぜん人生が奪われるということはどういうことかを考え、つきつめていっているように思えます。そこからまた生を見つめ直すことも始まるのかと思います。偕成社版は「雛の顔」「石の記憶」「水の緘黙」の3点のみだったのですが、この本ではエピソードが増えて、より立体的になったと思います。どの短編にも喪失の哀しみが通奏低音のように流れていますが、そこにおさえた怒りがあるのも感じます。ただ重苦しいだけじゃないのは、明るい陽射しを感じるような情景が差ししはさんであるかと思いますが、それに加えて広島弁がやわらかくてあたたかいリズムを作っているように思いました。最後の短編は、「あなた」を外国人と想定していますが、なぜでしょうか? 日本の子どもには向けられていないのでしょうか?

マリンゴ: まず装丁ですが、子どもが親しみやすいものに仕上がっていて、とてもいいと思いました。偕成社版(『八月の光』)と小学館文庫版(『八月の光・あとかた』)は、格調高い装丁ではあるのですが、子どもがちょっと手に取りづらいのかなという印象があったので。内容については、朽木さんの他の本でも感じますが、広島についての想いがとても伝わってきました。で、先ほど話題にあがっていた「カンナ あなたへの手紙」ですが、わたしは、翻訳されることを前提に書かれたのではないかと、勝手に想像しています。海外の読者、そして日本の子どもたちのなかにも、広島の原爆がどういうものか、知識のない子は多いと思います。そういう子どもに向けて、広島の説明をていねいにしている章というのは、非常に効果的であると思いました。ただ、1つだけ疑問があって……。222ページに「私の国では、夏はとても暑くて、花はあまり咲きません。それなのに、不思議に赤い花だけがたくさん咲きます」という部分。私はこれを読んで、へえ、どこの国の話なんだろう!と、興味を持ったんですけが、え、日本の話?と驚いたのでした。日本の夏は、ピンクの葛の花や芙蓉、紫のルリマツリ、白いオシロイバナなど、さまざまな色の花が咲き乱れるイメージがあるので……。著者の体感として、夏にそういうイメージがあるのか、あるいはカンナの花を際立たせるために意図的にこのような描写にしたのかなぁ、と。

西山:今回、新しく加わった作品も含めて収録順も変わっているとは聞いていたので、どう変わったか楽しみにしていました。「雛の顔」と「銀杏の重」が並んでいるのもとても腑に落ちて、しっくりきました。色のある表紙になったことについては、装丁の中嶋香織さんのお話を伺う機会があって、表紙の桜が、裏ではカンナになる。桜もカンナもこの1冊の中で象徴的な花ですし、よく考えられているなと、改めて感心しました。いつもそう思うんですが、言葉がおいしい! それぞれの語り出しや、かなり息の長い一文が好き。「雛の顔」の冒頭なんて、繰り返し口の中で転がして味わってしまいます。広島弁が全体を和らげている。それぞれの一文が流れるようで、息づかいが感じられます。その点では、「カンナ」は、広島弁が生かされていなくて、ちょっと物足りない。「水の緘黙」は詩のようで、わからなくてもかまわない話かなと思っています。「カンナ」はちがって、伝達性を重視している気がします。どこかで辛い思いをしている人と連帯したいと思っているのでは、と思って読みました。「三つ目の橋」がちょっと異質かな。

サンザシ:私は異質だとは思わなかったんだけど、どういう意味で異質?

西山:「三つ目の橋」がつなぎになっているのかもしれません。最初のほうの短編は詩のよう。そこに生きた人たちのことを、土地の言葉で語って立ち現せている。それに対して、「三つ目の橋」から、情報を伝えようとしていると感じます。

しじみ71個分:短篇の編成は、概ね時系列になっているのではないでしょうか。原爆投下のその日までと直後を描く作品から、「水の緘黙」「三つ目の橋」も戦後の物語へとつながっていくように見えます。「八重ねえちゃん」は、途中までは子ども時代の当時の視点で描かれていますが、終わり近くで視点が変わっていて、現代の地点から振り返るという表現になっているので、そこで雰囲気が変わっています。2回目の改版で、新たに途中で現代の視点に移行する「八重ねえちゃん」と、孫の世代から見た「カンナ」が加わったわけですが、それには著者の必然性があることなのだろうと思います。

ルパン:ひたすら、「すごいなあ」と思いながら読みました。現実に自分が見ていないものを、こういうふうに伝えられるんだ、という筆力に驚きました。「カンナ」の冒頭は私もひっかかりました。夏に赤い花しか咲かない国ってどこ?って。私の中では、夏の花といえばひまわりだし。ところで、広島弁ってやわらかいですか? 私はあんまりそうは思わないのですが。

ネズミ:すごく好きな本です。普通の人の暮らしぶりが語られる一方で、原爆後の地獄絵のような場面が繰り返し執拗に描かれています。作者自身は見ていないのに、おそろしさがずんと伝わってくる描写で、これを描かなければという作者の強い意志が感じられました。前の出版社のものが絶版になったあと文庫本で出たけれど、子どもに手渡したいというので今回この版で出たと聞きました。原爆を描いた本として、ぜひ海外に紹介したい1冊です。でも、方言も用いたこの文体は、訳すのがたいへんでしょうね。文学的な書き言葉の物語で、読書慣れしていない子どもにはややハードルが高いかもしれないけれども、少し読んで聞かせたら読みたくなるのでは。子どもたちに手渡していきたい短編集です。

サンザシ:「石の緘黙」は原爆投下から4年後で、「三つ目の橋」は3年後ですから、時系列的に並んでいるわけではありませんね。

西山:被曝者がてのひらを上に向けて歩いてくる、という描写に今回はっとしました。大抵幽霊のような手の形で書かれ、描かれていた気がしてました。あるいは、勝手にそう思い描いていたのかも。

レジーナ:広島の記憶を文学として昇華させた、すばらしい作品だと思います。広島弁の会話がいいですね。あの日一瞬で消えていったひとつひとつの生に、くっきりした輪郭を与えています。不器用だったり、身びいきなところがあったりもする登場人物が、生き生きと描かれていますよね。ふつうの暮らしが失われることが戦争なのだと、あらためて思いました。「いとけないもんから……こまいもんから、痛い目におうてしまう」という八重ねえちゃんの台詞は、戦争の本質を鋭くついています。わたしも高校の時に原爆資料館に行き、「原爆は自分の上に落ちていたのかもしれない」と思って衝撃を受けたのを、「カンナ」を読んで思いだしました。

花散里:今回のテーマで、日本の作品を考えた時に、すぐに思い浮かんだのが本書でした。『八月の光』(偕成社)は2012年に刊行されたときに読んだ3編がとても衝撃的でした。特に「雛の顔」の真知子の印象が強く心に残りました。今回の本書、全7編を改めて読んで、「失われた声」を丁寧に描いた朽木さんの文学が、戦争被害者の心の奥深くまでを表現していて、いろいろな思いを伝えたいということが胸に迫ってくるような印象を受けました。『八月の光』とともに『光のうつしえ』(講談社)も印象に残る作品で、子どもたちにどのように手渡していったら良いのか、記憶をつないでいくということの大切さを改めて感じました。「カンナ あなたへの手紙」など新しい作品が加わり、表紙の装丁もカンナが描かれていて、新たに伝わってくるものがあり、多くの人に読んでほしいと思う作品でした。

サンザシ:読むのは、小学生だと難しいですか?

花散里:『光のうつしえ』(講談社)も、難しいかなと思います。

須藤:またこういう形で刊行されることになって本当によかったなと思います。私はまず朽木さんの書く文章が好きで、作品中に描かれている人間にもいつも好感を持ってしまうのですが……。ちょっと余談ですが、古い小説を読んでいると、同じ日本語を話していても、生きている時代によって人間というのはこうも変わるのかと思うことがあるんですよね。そして、過去のことを今の作家が書くと、登場人物が今の人間になってしまいがちなんですが、この短編集はちがう感じがして。いろいろな資料を読みこんで、またご自身の体験もあって書いているからでしょうか。教養や豊かさにささえられた品のよさのようなものを、朽木さんの書く人間からはいつも感じます。作品の感想を一つあげると、「八重ねえちゃん」が私は心に残りました。周りからはちょっとトロいと思われているけれど、おかしいものをおかしいと言える人。大人の理屈に染まっていない人というか。大人はすぐにわかったような理屈をつけてしまうんですが、そこに対抗する子どもの倫理観、「いけないものはいけない」という倫理観に、いまやっぱり立ち返ってみるべきなんじゃないかと思うんですよね。

しじみ71個分:『八月の光・あとかた』(小学館文庫)を読んだとき、これは本当に子ども向けなのかしら?と思いつつ、泣きながら読みました。言葉が非常に美しいです。本当に丁寧に、広島の市井の人々の暮らしが描かれていて、生きていた人、ひとりひとりの人生にリアリティを感じます。言葉一つ一つに文学的なきらめきがあるとでも言えばよいのか、本当にすごい文章力だと心から思います。描写が本当に繊細で、皮膚の裏を針でつつくような、チクチクした切ない痛みのある文章で、たとえば「銀杏の重」の、長女の嫁入り支度をする親戚のおばちゃんたちの場面など、ああ、いかにもおばちゃんたちが集まったらこんな話をするだろうなぁという自然なおばちゃんトークが描かれ、短く詰めた疋田絞りの着物の袖を婚礼用にほどく際、母がしぼをつぶさないで上手に上げてある手際に感嘆したりする、そんなセリフ一つ一つで人々がどれほど丁寧に暮らしていたことなどがよく分かり、心にズンと響いてきます。一発の爆弾が落ちて、それが一瞬で失われてしまう、というその酷さ、非人道性が、つつましくも温もりある生活の描写との対比でありありと表されるように思います。戦争は人の命だけでなくて、暮らしの文化みたいなものも奪ったのだなという感慨もわきました。
 被爆した人々の表現も凄まじく、手のひらを上に向けて、焼けた皮膚が垂れ下がる腕を持ち上げて歩くさまが繰り返し描かれるところや、48ページにある、被爆した人がやかんを拾って歩くけれど、ぽとんと落とし、それを後ろの人がまた拾う、というような表現など、朽木さんがその場にいたのかと思うような凄まじい表現です。個人的に言えば、「水の緘黙」がいちばん好きです。記憶をなくした人の頭に、イメージが断片的に浮かんで、夢幻を漂うような感じはとても美しくあり悲しくもあります。「三つ目の橋」は、被爆経験がスティグマとなって生き残った人にのしかかるさまが淡々と描かれ、切なさが胸に迫ります。あと、「八重ねえちゃん」についていえば、184ページの子犬の表現は確かにとても素敵なのですが、全般を通して他の作品と比較してみると、割と表現が大雑把なように感じました。短いからそういう印象になるのでしょうか。最後の、「帰ってきてほしい。」という切実な叫びに全てが集約されていると思いますし、それは理解できるのですが、展開が急がれているような、何か少々物足りない感じを受けました。189ページから言葉が変わっていて、190から193ページまでを通して、「今も」とか「今なら」とか現在の視点から振り返っていることを明示していて、時間が経過した後だから言えることが書いてあります。その点が少し他の章と異質なように感じました。「カンナ」は表現がとても説明的ですが、今の子どもたちや外国の人々に向けて書くという意図がはっきりとしている作品だと思うので、そのように理解して読みました。いずれにしても、広島にこだわり続ける覚悟をもって、これだけの筆力で書き続けられるということは本当に素晴らしいことだと思います。

ルパン:私は「三つ目の橋」が好きです。同時代に生きていても戦争体験を共有できない人がいる、という現実は悲しいけれど、そういうことも伝えていかなければならないのだと思いました。

しじみ71個分:お付き合いしていた人との別れ話の場面の表現などは本当に秀逸です。袖口を伸ばしたところの折線がくっきりと見え、地が赤茶けた服を着て恋人の親に会いに行ったりしなくて良かった、と諦めようとする辺りの描写がとても繊細で、本当に切ないです。

サンザシ:朽木さんは被曝二世と敢えてはっきりおっしゃっていますが、差別を心配してなかなか言えない方も多いのかと思います。福島も同じですけど。前に原爆資料館の館長さんにお会いしたことがあるのですが、館長の仕事につくまでは被曝したことをずっと隠していたとおっしゃっていました。「三つ目の橋」の主人公は「親のない娘はもらわれん。まして妹つきでは」と言って婚約破棄されて身投げも考えるけど、いつも妹の久子が待つ家に帰ってくる。その妹が、死んだお母さんと同じように、夜玄関に走り出て、戦死した父親が帰ってきた音がした、と言うようになる。そこで終わったら、悲しいだけのお話ですが、その後、主人公は「私はしゃがんで久子を抱きよせました。父も母も逝ってしまったけれど、幼い久子のなかに、父のあとかたも母の声も残っているのだと思いました」と言って、次の休みには妹とよもぎを摘みにいく約束をする。そして、よもぎ団子をつくって「お父ちゃんおかえりなさい、って言うてあげよう」という方向へ持って行く。そのあたりなど、文章だけでなく構成もほんとにうまいですね。

西山:236ページの「今は〜」は、「その頃は」が正しいように思ったのですが、急に時制をひきもどされた感じがして、立ち止まりました。多分、故意にやってらっしゃるのでしょう。ふつうじゃなくしている効果があるのかな。

エーデルワイス(メール参加):地元の図書館には偕成社版しかなかったのですが、無駄のない美しい文章で、すぐに読み終えました。読後になんともいえない余韻が残ります。

(2018年1月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

『いのちは贈りもの〜ホロコーストを生きのびて』

Photo_2 『いのちは贈りもの〜ホロコーストを生きのびて』

の読書会記録


フランシーヌ・クリストフ/著
河野万里子/訳
岩崎書店 2017.07
原題:UNE PETITE FILLE PRIVILÉGIÉE by Francine Christophe  L’Harmattan, 1996




アンヌ
:たいへん内容が重く、戦争の現実に打ちのめされた思いがして読み返すことができなかったのですが、文章が詩的で美しい本だと思いました。ジュネーヴ条約のおかげで捕虜の家族である主人公母子がユダヤ人であっても、人質として最初のうちはフランスに留め置かれたという事実に驚きました。日本の兵士や家族でこの条約を知る人はいたのでしょうか。ここに書いてあるソ連兵と同じように、日本人も捕虜になることが許されなかったことを思うと暗澹としてしまいました。

コアラ:この状況をよく生き延びたと思いました。子どもの視点で、子どもが追体験できるように書かれていると思います。私も子どもの視点で読んでいったので、後半、列車に乗って母親が食べ物を探しに行って戻ってこなかった場面、胸が苦しくなるような恐怖を覚えました。ホロコーストの全体像はこれ1冊を読んで分かるものではないと思いますが、現実の子どもにとってどうだったのか、ということが生々しく書いてあるので、ホロコーストを知らない子どもにとっても、リアリティを感じながら読むことができるのではとないか思いました。

サンザシ:とても読みやすい訳で、多くの子どもに読んでもらいたいけど、もう少し編集の目が行き届くとさらにいいなあ、と思いました。お母さんは精神に異常をきたすのですが、p289の注を見ると、1974年にはお父さんとお母さんの共著で本を出しているようなので、回復したのでしょうか? そのあたりのことも、子どもの読者だと気になると思うので、後書きにでも書いてあるとよかったと思います。p99のユダヤ教についての注も「世界でいちばん古い宗教」とありますが、もっと古い宗教ってありますよね。それから、解放されたあとトレビッツに行って、村の人たちを追い出して家を占拠し、勝手に飲み食いするのですが、「自分たちがひどい目にあったのだから当然だ」というドイツ人全員を敵視している視線を感じました。少女時代にそう思ったというのは十分あり得ることですが、この本は後になってから書いているので、大人の視線としてはどうなのでしょうか? ユダヤ人が迫害された事実は、本当にひどいと思いますが、「だから何をしてもいい」ということにはならない。この著者はそうは言っていませんが、ちょっと今のイスラエルがパレスチナに対してやっていることとつながっている気がして、個人的にはぞっとしました。

マリンゴ: 少女の一人称で書かれていますけれど、最初は漠然とした表現が多くて、少し物足りない気がしました。でも、中盤からどんどんリアルになってきました。年齢を重ねたから記憶が鮮明になってきたのか、あるいは大変なできごとだから特に記憶に残っているのか……とにかくそのコントラストがくっきりしていて、かえって臨場感につながりました。これだけひどい状況なのに、「自分は恵まれている」と少女が思っているところが、重い読後感につながっています。先ほどのお話、わたしはさらっと読んでしまったのですが、たしかに言われてみると、カーテンで洋服を作って、持ち主の家族に逆ギレしているシーンは、小さな違和感を覚えました。

西山:つい最近、今ドイツで親ナチの人の発言がふえている、という記事を見た記憶があります。(「論説室から 寛容をむしばむ毒」『東京新聞』2018年1月24日5面)難しいなと。そういう視点は、巻末の解説なりでフォローすることもできるのかなと思います。この本自体は、非常に興味深く読みました。特に子どもの目線で覚えていたことを書いているというので、新鮮さがありました。今回とにかく衝撃だったし読んでよかったと思ったのは、56ページで「丸刈りにされた男の人がひとり、折りたたみ式のポケットナイフが地面に落ちているのを見つけ、ふと立ちあがってひろうと、のびた爪をそれで切った」という場面。非人間的な扱いを受けて、爪どころではない状況に投げ込まれているのに、人は、爪を切る……。なんだか、とてつもない真実を突きつけられたようで、くらっとしました。子どもならではの問いも、例えば、55ページの「ママ、小さな子たちにあんなにひどいことをする人たちも、自分の子どもたちには、やさしい笑顔でキスするの?」なんて、ドキッとする。作家が、こういうのにはっとしてフィクションを書くと、作品の陰影を深くするかもしれない。そういう生な素材として(ということ語弊があるかもしれませんが)興味深い1冊だと思いました。

ネズミ:最初はおもしろく読み始めたのですが、同じようなトーンで続いていくからか、途中で疲れてしまいました。ユダヤ人の少女の視点で書かれているので、ただ一方的にユダヤ人はかわいそうと読まれてしまうのでは、という懸念も。語りつがれるべきテーマだとは思いますが。

レジーナ:子どものときの記憶をたどっているので、ぼんやりした記述もありますが、母親が他の囚人たちを送りだしながら罪悪感をもつ場面など、真に迫る場面がたくさんありました。これは、大人になってから、当時を思い出して書いた本ですよね。子どもの言葉づかいの中に、たとえば282ページ「老いてしまった気がするけれど、子どもです」など、大人っぽい言い方が混じるのが少し気になりました。

マリンゴ:フィクションだと、何歳の視点から書いた物語なのか、あるいは大人になってから振り返って書いた物語なのか、厳密に設定を決めます。でも、この作品の場合は著者も最初に書いているとおり、著者の体験を小説のかたちでまとめたものなので、そこが混ざっていてもいいのではないかと思いました。

花散里:今回の選書担当で、テーマ「魂の記録が残したものは」を考えているときに取りあげたいと思ったのが本書でした。フランス国籍でユダヤ人の少女が9歳から11歳までの間、収容所を転々とし生きのびた「魂の記録」であり、著者自身の伝記で、冒頭に「『文学』というものではありません」と記されていますが、子どもに手渡したい1冊として本書をあげたいと思いました。訳者の方から、もとは大人向けに書かれていた本で、子どもに手渡す本として、地図や年表を入れたり、章立てにしたとお聞きしました。ドイツやポーランド、東欧を舞台にして書かれたホロコーストの作品はたくさんありますが、著者がフランス国内のユダヤ人収容所を転々と移動させられたことが地図などで、分かりやすく描かれていると思います。訳注について先程、いくつか指摘がありましたが、読んでいるときは、訳注が参考になり、子どもたちにも内容を理解する助けになると感じていました。著者や母親は戦争捕虜の妻子として国際条約に守られ、収容所でも離れることなくいられたれたこと、父親の存在が、生きる希望に繋がっていたことなどが、強く印象に残りました。差別や戦争が人間の尊厳を傷つけ、大切な人生をいかに奪ってきたかを、小学校の高学年くらいから理解するのによい本ではないかと思い、「伝えていく」という意味を感じながら読みました。

須藤:大前提として、こういう経験をした人が、自分の記憶を書き残すのは、とても大事なことだと思っています。ホロコーストに限らずですが……。第二次世界大戦のことも、遠くなってきているじゃないですか。ある非常に大きな出来事があった場合に、それを経験した一人一人の視点を残しておいて、参照できるようにしておくのは、とても意義があることだと思います。その意味で貴重な記録だと思いますが、今回児童書の読書会だという趣旨に沿っていうならば、これは子どもの視点で書かれているけれど、子どもが読んでわかりやすい本ではないですよね。収容所を転々とするので、どんどん場面が変わっていきますし……、注釈も子どもが読むには難しいです。それから子どもが読むとした場合に、ちょっと気になったのは、「ドイツ人はきっちりしている」とか、この方の、ある種ステレオタイプな思い込みが、そのまま書かれていることですね。さまざま経験を経た上で、そんなふうに思われるようになったと思うので、別にそう思われること自体は否定したくないですけど、予備知識がない読者が読んでそうなんだと思われると困るというか。194ページで、各収容所にいた人たちが一つの場所に集められる場面があって、そこで一口にユダヤ人といっても実に多種多様な人がいる、という事実に実感として気づくのですが、そこはとても興味深かったです。

しじみ71個分:子どものときに書いた日記を、大人になってから書き直したとありますが、そのとおり子どもの視点から書かれているため、記述は断片的で、戦争の全体像は見えないと思いました。ただ、同時に、戦争を俯瞰で表現できるのは、大人の著者の後知恵であるんだなとも感じました。なので、はじめは違和感というか、読みにくさがあったのですが、後半に向かうに連れて、人の生き死にが切実になってくる中で、表現がどんどんリアルに立体的になってくるのがすごかったです。ドイツにいたユダヤ人への迫害というイメージが強かったのですが、フランスにいたユダヤ人の迫害について知れたのは大きな収穫だった。著者は戦争捕虜の家族ということで特別な地位にあったということですが、戦争捕虜が優遇されていたことなども初めて得た知識でした。それでも、あれほどまでの過酷な環境に投げ込まれたという事実は本当に痛いものでした。後半の描写は本当に臨場感あふれるもので、みんながおなかをすかせているのに、子どもの傍若無人な本能とでも言うのか、お母さんに「おなかがすいた」と言い募るあたり、お母さんの立場を思うと本当に切ないし、絶望的な気持ちがしたと思うけれど、子どもの側からしか書いていないあたり、リアルに子どもの無邪気な残酷さがそのまま描かれていると思いました。お母さんが食べ物をくれない、変な顔をして私を見ている、と言って逆恨みを感じる辺りなども同様です。
 虐殺された人々の苦しみも想像を絶しますが、生き残ることさえ本当に大変だったことも良く分かります。シラミがわいて、チフスになるとか、列車の中に排泄物がたまるとか詳細に書かれているので、一つ一つの描写が体感的に突き刺さってきました。また、戦後の様子が描かれているのも画期的だと思いました。強制収容所の地獄を体験して、大きな心の傷、喪失を味わってしまったために、故国フランスの同年代の友だちが幼稚に見えて、全くなじめなくなってしまい、その深い苦悩が何十年も続いたこと、そして年老いてベルゲン・ベルゼン強制収容所に戻ったとき、生き残り、家族を作り、子孫を残し、命の贈り物をつないだことで、やっと勝利したと宣言するという記述から、戦争が人の命を奪うだけでなく、生き残った人にも心身の大きな傷を残し、その後の人生を奪い取ってしまうのだということを知りました。これは私にとっては新しい気づきであり、読んでよかったと思いました。

ルパン:真実の迫力だなあ、と思いました。衝撃的と言っていいほどリアルな描写が続き、感情移入してしまって胸が苦しくなるほどでした。訳は、読みにくいと思いました。ところどころ表現に引っかかったり、原文が透けて見えるような無生物主語の訳文があったり。それでもやはり私は文庫の子どもに薦めたいと思いました。多少の読みづらさを超える力強さがありますから。先ほどから話題になっている注ですが、私は注があるのが懐かしいと思いました。昔の本は注がいっぱいあったなあ、と。私自身は子どものころ注を読むのが好きでしたし、今でもそうです。

(2018年1月の「子どもの本で言いたい放題」の記録)

2018年1月11日 (木)

『のんびり村は大さわぎ!』

Photo_7 『のんびり村は大さわぎ!』
の読書会記録

 

アンナレーナ・ヘードマン/作
菱木晃子/訳
杉原知子/絵
徳間書店 2016

原書: Min första världssensation

レジーナ:薪を積んで世界記録に挑戦するとか、八本足のテーブルで「スパイダー・クラブ」のひみつ会議をするとか、ユーモアのあるお話ですね。p33「わたしたちの脳みそ、ゆるんでたのか、とけてたのか?」など、主人公のちょっとした言葉づかいもおもしろくて、楽しく読みました。

よもぎ:とてもおもしろかった! おもしろい本をおもしろく訳すのって、なかなか難しいと思うのですが、さすがは菱木さんだと感心しました。子どもといっしょになってギネスに挑戦して、鼻の穴に棘を刺してしまうお母さんなんて、日本の物語には登場しませんよね? 主人公の女の子が養女だってことは最初に書いてあるのですが、後半になってスリランカから来た子どもだとわかる。そして、同じスウェーデンの南部から来たおじさんが「おまえとおれはよそものだ」という。日本の物語だとおおごとになりそうなことを、実にさらっと書いてあるところなんかいいですね。ああ、よその国ではこんな風に暮らしている人たち、家族もいるんだなと、小さな読者たちも自然に分かるんじゃないかしら。登場人物が多いけれど、それぞれキャラクターがはっきり描けているので、「あれ、この人は?」と迷わずに読めたのもうれしかった。

ルパン:これも、とってもおもしろかったです。挿絵の雰囲気が気に入りました。p63の、ストローを口いっぱいにくわえた顔とか、p155の、おじいさんたちが必死で薪を積んでいるところとか。お話とぴったり合っていると思います。薪を積むというミッションと、世界記録への挑戦を組み合わせたアイデアがいい。ただ、宝くじがあたって豪華客船の旅に出ているという設定はいらないんじゃないでしょうか。回想シーンにする必然性がなく、わかりにくくなるだけのような気がします。

ヒイラギ:旅行をしている間に回想したことを録音していくという設定ですよね?

アンヌ:最初の船旅のところで主人公と一緒に退屈してしまい、なかなか読み進めませんでした。村の話になってからは楽しく、北欧の生活や日本と違う価値観を知ることができてよかったと思いました。例えば、年金生活者のおじいさんがのんびりしていたり、けがをして働いていないロゲルも生活は保障されていたりするところ等ですね。後になって主人公が養女で肌の色も違うとわかり、船旅で娘だと思われなかったのはそのせいかと分かったりしました。 

ヒイラギ:今回の3冊はどれも主人公が10歳という同じ年齢なのですが、テイストがずいぶん違いますね。この作品がいちばん子どもっぽい。アッベたちが、無邪気にギネス世界記録に挑戦するんですが、そこで自分たちも無理かな、とは思わないし、周囲の大人も無理だからやめろとか、せめて練習してから本番にのぞめ、なんて言わないんですね。お国柄かもしれませんが、今のスウェーデンは子どもらしい時期を大人がちゃんと保証しているってことかも、と思いました。最初のほうは常体と敬体が混じっているのですが、それに違和感を感じないですっと読めるのは、さすが菱木さんだと思いました。挿絵はおもしろかったのですが、主人公のアッベはスリランカから来たので肌の色も茶色いんですよね。その子が問題なく周囲にとけこんでいるようすをきちんと出すには、挿絵の肌ももう少し茶色だったいうことがわかるようにしておいたほうがよかったのではないかと思いました。表紙だけは少し色がついていますけどね。 

マリンゴ:個人的なことなのですが、わたしはリンドグレーンの「やまかし村」シリーズが本当に大好きで。特に『やかまし村はいつもにぎやか』(大塚勇三訳 岩波書店)は、村の風景と子どもたちを描いた表紙で、少しだけこの本の装丁に似てるんですね。イラストのタッチは全然違うのですが。同じスウェーデンの作家ということもあり、そっちの方向で期待していたら、全然内容が違ったので、「コレじゃない感」がどうしてもありました(笑)。テンポよく、たくさんの登場人物がうまく書き分けされていると思います。また、子どもって先走ってどんどんしゃべってから意図を説明するような、そういうまだるっこしいしゃべり方をしがちですけど、それが文体に反映されていて、10歳の子らしい一人称だなと思いました。ただ、豪華客船の設定がうまく生かされていない気はします。普通に時系列じゃダメなのかな? 1年前の出来事と、今の豪華客船でのことがどこかでリンクする――たとえば気に食わない乗客のギュンターさんが実はギネスの記録保持者で少しだけ分かり合えるとか――そういう仕掛けがあるほうが、個人的には好みです。 

西山:ルパンさんやマリンゴさんがおっしゃっていたのと一緒です。入れ子にして、回想にして、物語をわかりにくくしていると思います。豪華客船のクルーズという大枠に必要性を感じない。中でやっていることの単純明快さや、絵の雰囲気とから考えると、小学校中学年ぐらいの子が楽しく読めるはずの本だと思うので、複雑な構造はそぐわないと思いました。それはそれとして、スウェーデンの人の感性の違いを感じられたのはおもしろかったです。母親が娘のイベントの邪魔するのにはびっくりした。なんのかんの言っても、力を貸すとか何か展開があるかと思いきや、本気で対抗していて、本当にびっくり。「火薬のカッレ」の「本物の〈薪爺さん〉」ぶりも笑えましたね。p171の「どこが薪がたりないっていうのよ!」って、内心一緒になって突っ込み入れてました。いやぁ、なんか、本当にのどかなのんびり村でした。 

ネズミ:私も、クルーズに出て、1年前の出来事を書くという設定がなくてもいいのに、と思いながら読みました。客船でのお母さんとギュンターのやりとりなどなしに、のんびり村の出来事を楽しめてもいいのにな、と。記録をつくろうとがんばるところとか、マムスマムスを食べて気分が悪くなるとか楽しかったです。おもしろさや子どもらしさは、リンドグレーンの『長くつ下のピッピ』に通じるところもあるかな。 

ハリネズミ:この作品では、人種の違う養子がごく普通に受け入れられている。お母さんが娘と張り合うところも、日本だったら継母なのになんて思われるだろうと考えると、遠慮してこうは書かないですよね。そんなの一切関係なく、普通の遠慮のない親子関係になっているのが、またおもしろいと思いました。   

(「子どもの本で言いたい放題」2017年11月の記録)

『わたしがいどんだ戦い1939年』

Photo_6 『わたしがいどんだ戦い 1939年』
の読書会記録


キンバリー・ブルベイカー・ブラッドリー/作 
大作道子/訳 
評論社 2016
原書:THE WAR THAT SAVED MY LIFE by Kimberly Brusker Bradley, 2015



西山:これだけのかたくなさは、なかなかない、というのが一番の印象です。ひどい扱いを受けている子が描かれている作品は読んできましたが、「丸太をなだめているようだ」という表現があったと思いますが、心も体もここまで硬直している登場人物というのは、私はちょっと記憶にありません。幼児期に当たり前に面倒を見られない、それどころか、暴力も振るわれていたわけですが、それが、知識が足りないという次元ではなくて、自分が何を感じているのか感情自体が自分のものでないようなことになるのだと衝撃を受けました。例えば、p266の中ほど、「スーザンへの怒り(略)母さんへの怒り(略)フレッドへの怒り(略)」何事にも怒りとしてしか出てこない。未分化な感情に混乱するばかりの様子が繰り返し出てきて、圧倒されながら読みました。そういうエイダの内面もそうだけれども、どうなるか、どうなるかと先が気になって読み進めるタイプの本ですね。イギリスの戦時中の感じが、灯火管制とか、人を見たらスパイと思えとか日本と同じだなと思う部分と、それでもクリスマスを祝う様子とか、やはりまるで違う部分とか興味深かったです。 

マリンゴ: 全体的に、すばらしい作品だなと思いました。引き込まれて、一気に読了しました。もっとも、穏やかな気分で読み終える直前に家が焼けちゃって、ええっ、ここで終わるの!?というショックはありましたが。あとがきを読んだら、続編が出るとのことで、それなら納得です。続編を早く読めたらいいなと思います。あと、1か所だけ気になったのは、2度目に会ったときの母親の態度。前半とあまりにも変わらないので、どうなんだろう、と。娘の変化と息子の成長を脅威に感じて、辛く当たるにしろ、もう少し態度が変わるのではないのかな、とちょっとだけ気になりました。 

ハリネズミ:同じ時期のイギリスの子どもの疎開を書いて、同じように虐待されている子どもが、偏屈なつき合いの悪い大人と心を通わせていくという作品に『おやすみなさい、トムさん』(ミシェル・マゴリアン著 中村妙子訳 評論社)がありますね。最初に『おやすみなさい〜』を読んだときは、こんな母親がいるのだろうかといぶかったのですが、これを読んで、ああ、やっぱりいるんだな、と思ったりしました。また『おやすみなさい〜』は物語が直線的に進んでいきますが、こちらはやっといい方向にむかったと思うと、またパニックになったりして、とんとんとはいきません。後書きを見ると、著者はご自身も虐待を経験しているとのことなので、こちらのほうが、よりリアルなのかもしれませんね。それから、イギリスは階級社会ですから、労働者階級のエイダと中流階級のスーザンとは、日本語版で読む以上に隔たりがあるんだと思うんです。日本語に訳してしまうと、そのあたりはよくわからなくなってしまいますけどね。さっき、『春くんのいる家』(岩瀬成子著 文溪堂)の日向は大人っぽいという声がありましたが、この作品のエイダはもっと大人ですね。おかれた状況から、早く大人にならざるを得ないということがあるのかもしれません。 

アンヌ:私はこの本に夢中になってしまい文字通り一気読みしました。列車の中から馬に乗った女の子を見るところから始まる、馬に乗り自由に走れることへの憧れや、馬との一体感がとてもうまく描かれていて、K.M.ペイトンの作品、例えば『駆けぬけて、テッサ』(山内智恵子訳 徳間書店)などを思い浮かべ、どんどん読みすすんで行きました。はっきり書かれていませんが、スーザンは多分レズビアンの恋人を失い、その関係性ゆえに村人や父親から疎外されたと感じているのだと思います。その喪失感から鬱状態になっていたところに、エイダたちが来て、だんだん立ち直っていく。子供たちの世話をしながら時々ひどいことを口にしてしまうのも、そのせいだと感じました。エイダは母親の虐待にひどく傷ついている子どもで、何度も何度も拒絶されたときの思いが甦って、相手を信じることができません。無知で人と会うこともなく育っているので、他人を拒絶する言葉をつい言ってしまいます。そんな彼女が変わったのが第36章のダンケルクです。自分が他者に対して何かできると知った時変わることができるのだと作者は言いたかったのだと思います。そうでなければ、ロンドンでもパニックになり立ち直れなかっただろうと思います。この本はとても心に残るので、ついつい続きを考えてしまって、早く続編が出ないと心が安まらない気がしています。 

ルパン:たいへんおもしろく、夢中になって読みました。いちばん気に入っている場面は、エイダが警察官に向かって「足は悪いけれど、頭は悪くありません」と啖呵を切るところです。主人公に早く幸せになってもらいたい、という一心で読んだので、お茶の招待になかなか応じないところでは、「早く行け~」と心の中でさけんでいました。 

よもぎ:とても読みごたえのある、いい本でした。冒頭の母親があまりにもすさまじくて、ディケンズの小説を読んでいるような……。こういう貧困家庭に育った子どもたちが、ミドルクラスの家に預けられるということがあったんですね。激しい虐待にあってもエイダが心の底に持っていた清らかな魂というか、それは弟に対する愛情によって辛うじて保たれていたものだと思いますが、その魂が馬や、スーザンや、村の人々によって、やがてほぐれて育っていく様子に感動しました。日本の学童疎開にも、いろいろなドラマがあったに違いないのですが、このごろはあまりテーマとして取り上げられないですよね? 

ヘレン:この本も『春くんのいる家』のように、子どもの気持ちがよく感じられますね。 

レジーナ:私も『おやすみなさい、トムさん』を思いだしながら読みました。p110に「わたしたち、暴風雨にもてあそばれてるね」とありますが、主人公は、戦争や家庭環境など、自分の力ではどうしようもないことに翻弄されます。でもp103に、自由とは「自分のことを自分で決める権利」とあるように、最後には自分で人生を選びとっていくんですね。それまでスミスさんと呼んでいたのが、p184ページからはスーザンと呼ぶようになります。主人公の気持ちが変わる重要な場面だと思いますが、どうしてここでそうなるのか、気持ちの変化についていけなくて、ちょっと唐突な印象を受けました。 

何人か:そこは、それでいいんじゃないかな。 

ネズミ:ひきこまれてぐいぐい読みました。エイダがどんなふうに成長していくか、目が離せない。「外国の小説」という感じがしました。日本の作品だと、相手はこう思うだろうと思いながらも、人と人があまり直接的に思いをぶつけあわないけれども、この作品の場合、エイダとスーザンが、面と向かって言葉で伝えていく場面が多いですよね。人間関係の作り方の違い、関係性の違いなのでしょうね。そういう違いがおもしろくもありますが、時には息苦しくなるほど。英米の作品に慣れている子どもじゃないと入りにくいかなと思いました。 

ヒイラギ:疎開を取り上げた日本の作品は、いじめとか空腹などがテーマで、こんなふうに、それを機会に成長するとか、新しい出会いがあるなんていうのは少ないですね。角野栄子さんの『トンネルの森 1945』(KADOKAWA)はちょっと色合いが違いましたが。 

よもぎ:『谷間の底から』(柴田道子作 岩波書店)は、疎開児童が初めて書いた作品として出版当時は話題になりましたが、今でも読まれているのかしら? 

ネズミ:この本の表紙はすてきですが、中身のイメージと違うかな。飛行機乗りみたいで。

(「子どもの本で言いたい放題」2017年11月の記録)

『春くんのいる家』

Photo_5 『春くんのいる家』
の読書会記録

岩瀬成子/作

文溪堂
2017





ルパン
:おもしろかったです。岩瀬成子さんの作品はどれも好きなので、期待していました。複雑な人間関係や心の綾はとてもよく書けていて、さすがだと思いました。ただ、もう少し春くんの魅力が伝わってもよかったのかな、と思います。おもしろかったけれど、印象が薄いというか…。
 

アンヌ:なんだかまるで詩を読んだように感じました。特に心に残ったのは、春くんが夕方まで自転車を乗り回し、日向もまねをするところです。この子たちの孤独と自由と未来への不安が感じられました。ネコを拾ってきた場面では、家族の会話が開かれていく予感がとてもうまく描かれています。でも、こんな風に分析していかないほうが、読んだ後に、ふんわりとしたひとつの世界を感じ続けられるような気がしています。 

ヒイラギ:大きな事件は起こりませんが、日向は親が離婚したために母親と一緒に祖父母の家で暮らすことになるし、春くんは父親が病死して母親が再婚し、祖父に請われて「跡継ぎ」として祖父母の家にやってくる。みんなが新しい環境の中で最初はぎくしゃくしているんですが、だんだんにそれぞれがそれなりの居場所を見つけて行く過程が、とてもうまく書けていると思いました。たとえばp34「お客さんみたいだ、わたしと春くんは。いいのに、いいのに、とわたしは思う。親切にされると、親切にされている自分が特別な子になったみたいな気がする」と日向が思うところとか、p46で春が「自転車で走っているとね、なんか、自分が軽くなる感じがするんだよねえ。たとえば、名前とかさ、どんな学校にいってるかとかさ、たとえば家族とか、そんなもんがだんだん消えていって、かわりに体に空気がはいって軽くなるような、そんな気がね、する。それが、たぶん気もちいい」と言うところなんか、うまいなあ、と思いました。日向の母親が離婚の原因を子どもに言わないで何となくごまかすことろは日本的ですが、でもこの母親も家族の今をよく見ていて、「うちは今、なんていうか、たいへんなときじゃないの。今までべつべつに生活していた人間がこうやってあつまって、なんとか家族になろうとしているのよ。つまり、たいへんなときであるわけよ。でしょう? この際だから、ね、ネコも飼いましょう。みんなでいっしょに家族になればいいんじゃないのかな」なんて言ったりするのも、いいですね。最後に、日向がなんだか笑えるような気持ちになって安心するという場面も、言葉で状況を説明してはいないのですが、読者も一緒に明るい気持ちになれますね。 

マリンゴ: 岩瀬さんの作品は、小学高学年以上向けのものは何冊も読んでいるのですが、中学年向けは初めてでした。言葉にしづらい感情を言葉にするのが岩瀬さんならではの作風だと思いますが、それを中学年に対してもできてしまうところがすごいと思います。どの年齢の子にも言葉にできない感情はあるでしょうけど、学年が下がるほど、ボキャブラリーが少ないために表現できない気持ちが増えると思うんですね。そういう子たちが、本作を読んで「それってこういう気持ちなのか」と、ハッとすることもあるのではないか、と。また、会話の文体ですが、普通は小学生同士の会話って、くだけた現代的な方向に行きがちですが、この作品では、佐伯さんが丁寧語でしゃべってたりして、そこがとてもユニークだと思いました。 

西山:文学だなあ、と思います。岩瀬成子の作品は、筋は忘れちゃうんです。というか、説明しろと言われても、筋が浮かぶわけではない。でも、読みはじめると、岩瀬成子の世界だ!と思う。たとえばp21の「わたしは春くんの青いソックスを見た。春くんとなにか話したいのに、でも、なんのことを、どんなふうに、話せばいいのか、わからない。」「春くんは、わたしが春くんの足を見ているのに気づいて、青いソックスの指先をぴくぴくと動かした。」こういうところ、理屈で説明できない、これ以上でもこれ以下でもない描写に、岩瀬成子だなぁと思ってしまいます。こういう一つ一つが、子どもの心をいい方向に複雑にしてくれる、その複雑さはもやもやを抱えた子どもの救いになるんだろうと思います。佐伯さんの丁寧語も独特の味を出していて、p27の「猛然と腹が立った」とか「それはね、思い過ごしでしょう」とか、こういう話し言葉は、岩瀬成子の世界を作っていると思います。子ども読者がそういう言い回しに出会うことはとても良いことだと思いますし、こういうのはおもしろがると思う。そこここに散りばめられたユーモアも好きですね。「おばあさんになったら、だれでもネックレスを好きになるんじゃないのかな」(p29)なんて、笑ってしまった。刺身を応接間の高そうな壺の中に隠してた思い出話のところもおもしろい。p49の「おれら、悪い子だなあ」「うん、悪い」「わたしは急にうれしい気もちになった。もっと、ずっと悪い子になれそうな気がしてきた。不良とかになろうと思えば、なれるかも、と思った。そしたら、おじいちゃん、きっとすごく怒るだろうなあ。/くふ、くふ。わたしは笑った。」なんて、おもしろくてたまらない。独特で、硬直した子どもにまつわる問題意識みたいなのをゆるめてくれる気がする。一言一言がおいしい1冊でした。 

ネズミ:とてもおもしろく読みました。大きな事件が起こらないのに、物語が成り立っているのがすごいなと。だれが何をしたという筋を楽しむ物語と、岩瀬さんはまったく違うアプローチなんですね。行ったり来たりする思いや細やかな気持ちを見せてくれる作品。p36の「ほんとは気もちがごちゃごちゃしたのだけれど、ごちゃごちゃする気持ちをうまく伝えることなんて、できそうになかったから。」と、p61の「おじいちゃんのなかにも、いろんな気もちがごちゃごちゃとあって、怒りたいとか、心配だとか、もっとべつの気もちもあって、そのいちいちが、すんなりでてこないんだ。」、こういうのを読むと、言葉にできないこともすべてひっくるめて表されていてすばらしいなと思いました。一人称で書いているのに、この子の世界や家族のひとりひとりのようすが自然に伝わってくるのもうまい。大きな事件が起こるのを求めている読み手はとまどうかもしれないけれど、手渡せば好きな子はいるだろうなと思います。「しっかりしろよ、娘」とお父さんが言う父娘の関係が今風で、ステレオタイプな人が出てこないのがおもしろいな。 

レジーナ:祖父母といっしょに暮らすようになって、そこに従兄もくわわって、どこかぎくしゃくしていた関係性が、猫を飼いはじめたことで少しずつ変わっていきます。子どもの心を繊細にとらえて、くっきりと描いていますね。 

ヘレン:すごくやさしくてわかりやすい話です。子どもの感じとか大人の感じが描写されていて。はっきりした筋があるというより、雰囲気を大事にしている作品です。日向ちゃんは大人のことをよくわかってくれていますね。 

よもぎ:わたしも、西山さんとおなじに「文学を読んだ」という感動をおぼえました。悲しいとか、辛いとか、嬉しいとか……そういう感情の底というか、とっても薄い幕の向こうに透けてみえる心の動きを掬いとるのがうまいなと、いつも思います。わたしがいちばん好きなのは、春くんが夕日の沈む瞬間を見たというところ。最後に、日向ちゃんといっしょに朝日を見ようというところと呼応していて、見事だと思いました。それにp85の日向ちゃんの「だってしょうがないじゃん」という台詞。10歳の子に、こういうことをさらっと言わせるなんて、すごい! わたしは常々、ひとりひとりの人間が描けていれば、たいした筋がなくても、それだけで文学として成立すると思っていますが、この作品でも同じことを感じました。日向ちゃんの家族はもちろんのこと、友だちの佐伯さんや合田くんも、ページからくっきりと立ち上がるように描けている。会話が上手いってことでしょうね。佐伯さんの「なめとこ山の熊」の話、とってもおもしろかった。筋がないという話が出ましたが、実は、ゆったりとした、大きなストーリーが流れているんじゃないかな。

(「子どもの本で言いたい放題2017年11月の記録)   

『オオカミを森へ』

Photo_4 『オオカミを森へ』

の読書会記録

キャサリン・ランデル著
ジュルレヴ・オンビーコ画
原田勝訳
小峰書店 2017
原書: THE WOLF Wilder, 2015




コアラ
:おもしろく読みました。日本とは全然違う世界で、引き込まれました。深い雪や「極みの寒さ」という吹雪など、寒さの描写が印象的でした。翻訳も読みやすくて、かなりの分量なのにすらすらと読めました。「オオカミ預かり人」というのは架空の職業だそうですが、オオカミとの触れあいはとても生き生きと描かれていたと思います。

アンヌ:とにかく表紙も挿し絵も素晴らしくて、楽しみながら読み進めました。オオカミとの生活にリアリティがあって引き込まれましたし、イリヤという兵士が突然現れてオオカミに魅了されて共に行動し、最後には彼の目指しているものもわかって行くというところも、おもしろく読みました。革命の場面で、演説に賛同するのも刑務所に一緒に行くのもまずは尼僧たち。作者はロシア革命の発端である女工たちのデモを踏まえて、この場面を書きたかったのではないかと思います。疑問に思ったのは、刑務所の中にもオオカミを連れた男たちがいるという場面。番犬替わりなのでしょうか? 少し説明がほしかったところです。ラストのエピローグはもっと民話的な語り口にするとか、違う形にしてほしかった。物語と地続きな語りのまま終わるという感じは、少しあっさりしすぎている気がしました。 

西山:最後も敬体にすれば、入れ子で昔話のようになったのかな。 

アカシア一応、全体を昔話風にしているんじゃないですか。 

冬青:導入部が敬体で始まっていて、最後も昔話のような語り口で終わっているので、敬体のほうが良かったかもね。

アカシア:でも、そうすると、ドラマチックな場面の緊迫感やスピード感に欠けるから、これでいいんじゃないかな。
 

しじみ71個分:とてもおもしろく読みました。ワイルドな女の子という設定は好物です。前半の展開はスピード感があって、とても気持ちがいいし、敵のラーコフの描き方もとてもいい。これでもか、というほどの極悪人に描かれていてメリハリが効いています。オオカミとの触れあいは胸に迫りますし、脱走少年兵のイリヤがバレエが好きで最後には願いが叶うという点も好もしいし、少年少女の革命というのも、現実味はないけれど、作者からの子どもたちへの激励として受け止めました。 

冬青:こういう才能にあふれた若い作家が彗星のように現れるなんて、イギリスの児童文学会はすごいと思いました。“Rooftoppers”もおもしろそうだし。まず最初に「オオカミ預かり人」という仕事を思いついたところが素晴らしい。飼いならされたオオカミを侍らせているロシア貴族の邸宅なんて、ぞくぞくしますね。登場人物が大勢出てくるけれど、それぞれが個性豊かに描かれているので、まったくごちゃごちゃにならずに読めました。ラーコフの憎たらしさがちょっとマンガ的だけれど、これくらいに書かないとドラマチックにならないのかもね。フェオのしゃべり方が、森の中で暮らしているにしては女の子っぽいけれど、これはお母さんが貴族の出だから? 世にも美しいお母さんの背景が知りたいと思いました。 

花散里:この本を手にしたとき、表紙画や装丁から絶対におもしろそうだと思って読みはじめました。「野生動物を救う」というテーマで4冊の本を取り上げて紹介(科学技術館メールマガジン)した時に、上橋菜穂子さんと獣医師、齊藤慶輔さんの『命の意味 命のしるし』(講談社)を読みました。齊藤さんは「野のものは、野に帰してやりたい」という思いで猛禽類を野生に帰すために取り組んでいて、上橋さんは「リアル『獣の奏者』」に会いに行くために北海道を訪ねています。この本では、オオカミを野生に帰すという設定にかなり無理があるのでは、と思いながら読みました。91ページのオオカミが仲良く寝ている挿画は、「これがオオカミ?」と気になりましたし、オオカミはもっと獰猛で獣っぽいのではないかと、全体を通して感じました。『鹿の王』で上橋さんは飛鹿とトナカイの違いや、狼に似た黒い犬の怖さとか、よく調べた上で書かれていると思いました。後半、革命扇動者のアレクセイが登場し、子ども達が革命を動かしていくような行動を起こしたり、フェオが演説する場面になると、「オオカミ預かり人」としての前半のストーリー展開から違ってしまったような印象で、読後感はあまり良くなかったです。 

冬青:革命にしては、ちっちゃいけどね。

レジーナ:きれいな装丁の本ですね。極寒の地の静謐な美しさや自然の厳しさ、オオカミの息づかいが感じられるような本です。43ページ「家の周囲の森は命の気配にふるえ、輝いている。森を通る人たちは、どこまで行っても変わらない雪景色を嘆くが、フェオに言わせれば、そういう人たちは読み書きのできない人たちだった。森の読み方を知らないのだ。積もった雪は吹雪や鳥たちのことをうわさし、それとなく教えてくれている。朝が来るたびに新しい物語を語っている」、177ページ「雪景色は見わたすかぎり足あとひとつなく、まだ若い木々があちこちで雪に埋もれ、祈りを捧げる北極グマのように見える」など、ところどころに詩的な文章があるのもよかったです。フランスの革命では、何度も覆されてようやく民衆が力を得ます。これはハッピーエンドで終わっていますが、実際にはロシアの革命でも多くの血が流れたのでしょうね。一か所気になったのは、45ページ「今いるオオカミたちのうちの二頭は、人間で言えばちょうど自分と同い年くらいの女の子」です。同じページに「ハイイロは、フェオより数か月だけ早く生まれた雌」とあります。犬は人間の67倍はやく年をとるので、オオカミもだいたいそうだと思うのですが、そうだとすると、「人間で言えば同い年くらい」にはならないのでは。 

ヒイラギ「人間で言えば」の部分がちょっとちがうかもしれませんね。 

西山:大変おもしろく読みました。いろんな意味ではじめての世界でした。題材も、ちょっとした描写もとても新鮮で。気に入ったポイントがいくつもあるんですが、まず、随所に笑える箇所があるのがいい。例えば、8ページ、5行目から、「オオカミのいる家には幸運がやってくる」として、列挙しているのが、「男の子は鼻水をたらさず、女の子にはニキビができない」という思いもよらない次元で、始まって2ページ足らずのこの段階で「これはおもしろい!」となりました。168ページ「オオカミのところはわからないけど、あとはわかる」とか、全体としてはシリアスで、張りつめていて、血のにおいもするけれど、クスッとさせるところがちょこちょこ出てくる。それを読む楽しさがありました。子どもたちの革命は魅力的だけど、後ろの方は急に軽くなる気はしました。ユーモアを味わいつつも、戯画的には読んでいなかったので、子どもたちが殺されても不思議はないと思っていたから、ホッとするけれど、分裂したイメージになってしまった気はします。アジテーションも浮いてるかもしれない。
 カバー折り返しのところに引用された一節「世界でいちばん勇敢で賢いオオカミが死んだ。だからわたしは…」の一節は、自身を奮いたたせるための言葉だと思って、いつ出てくるかいつ出てくるかと思いながら読んでいたので、演説の一節だったことは、少々不満ではありました。軽くなったようで。それでも、演説は魅力的で音読したら気持ちよさそうと思ってしまった。あと、新鮮だった表現、4849ページ「唇に凍りついた鼻水をかみくだいて吐き出すと」とか。182ページで感情が表れやすい「眉や鼻の穴、口や額がぴくりとも動かないから「表情が読めない」なんて、目以外で心を読もうとするのが新鮮でした。296ページの「罪を犯す覚悟を決めた美しい子どもたちの一団」なんて表現も好き。唯一引っかかったのは、307ページ、「三十分後〜」のところ。時制があれ?と。オオカミを感じさせるシルエットなど、私はイラストにも魅力を感じました。全体に厳しい寒さが感じられるのもいい。訳者おぼえがきで、どこが創作なのかが書いてあるのも親切。満足の一冊でした。 

ヒイラギ:さっき花散里さんがオオカミは挿絵とはちがってもっと獰猛なイメージなのではないかとおっしゃったのですが、私はオオカミが好きなので動画や画像もいっぱい見たことがあるのですが、そんなことないです。安心している時はかわいい表情やのんびりした表情を見せるものです。それに、このオオカミたちは人間に飼われていた歴史をもつ者たちですからね。挿絵もぴったりだと思って見ていました。ただ、野鳥を自然に帰す活動をなさっている齋藤先生の本は私も何冊か読みましたが、この本の場合は、生まれてすぐに人間に飼われたオオカミだから、私もリアリティを考えれば野生にかえすのは無理なのではないかと思います。
 私はおもしろい冒険物語として読んだので、そういうリアリティとの齟齬はあまり気になりませんでした。
これは楽しく読ませる作品なので、これでいいじゃないか、と。原題にもなっているwolf wilderは直訳すると「オオカミを野生に返す仕事をしている人」というくらいの意味でしょうが、訳者の原田さんもそのあたりも含めて考えられたのでしょうか、「オオカミ預かり人」という訳になさっている。リアリティという点でいえば、革命家と言われるアレクセイは15歳で、そのほかの子どもたちはみんなそれより年下です。だから、この子たちが革命を起こすというところにもリアリティはあまりないかもしれない。私は、じつはリアリティにはかなりこだわる方なのですが、この作品ではあまり矛盾を感じませんでした。たぶんこの作品なりの世界がうまくできていて、訳者もうまくそれに沿って訳されているからだと思います。舞台は100年ほど前ですが、今描かれている物語なので、ジェンダー的にもきちんと配慮されていますね。主人公のフェオはおしとやかとはほど遠い嵐のような少女だし、兵士のイリヤはじつは踊るのが好きでバレエダンサーをめざしているなんて。 

西山:たしかに女の子が強く描かれているのもいいですよね。 

アンヌ:実は読み始めた時はもっとロシアの幻想文学的な物語だと思っていました。特にお母さんについては、とても高貴な顔をして威厳があるというので最初は魔女なのかなと思いました。お母さんについての謎解きもしてもらいたい気がします。 

冬青:続編があるのかも。 

西山:少年兵のイリヤが、オオカミの出産を見たがるところ。子どもにもどる様子がきゅんとするほどよかった。 

アカシアあの場面があるから、イリヤが兵士の身分を投げ捨てて将軍にたちむかうことを決意する場面も納得できるんですよね。 

西山:32ページの真ん中あたり、「さげすむような目でにらんだ。少なくとも、そのつもりでにらんだ。本で読んだだけなので、どういう顔をすればいいのか、じつはよくわかっていない」という、ここもハッとさせられ、すごくおもしろく読みました。読書体験と実生活での体験にこういうベクトルがあることを端的に示してくれたことは意義深いと思います。   

(「子どもの本で言いたい放題」2017年12月の記録)

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